前半のあらすじ
プノンペン・ステミエンチャイ地区に広がる旧ごみ処理場跡地。そこからすぐのスラムに佇む最底辺の電波長屋。70歳になる大家のF原(仮名)は、嫉妬深く、手癖が悪く、頑固で我儘で、日曜大工と毒物の調合が趣味という変わった老人だ。
このアパートで3年の時を過ごし、体調を悪化させた「井上さん」の脱出劇については25号特集をご覧頂きたいが、彼をここから逃すべく、我々が動いていたまさにそのとき、隣室にほぼ手ぶら同然で引っ越してきた謎の男がいた。スラムに似つかぬ小柄で色白な初老の男。茂田(仮名)である。
これまで住んでいたという家賃40ドルの(はずの)アパートでは、悪辣なクメール大家から毎月150ドルふんだくられ、集団で尾行され、サンドイッチひとつ買うにも大家の陰謀で肉を減らされ、夜逃げ同然でここに逃れてきたのだとか。
地獄の階段を逆方向に降りてしまった人間不信のこのおっさん。ヨレヨレの自転車にまたがり、食事は3食具なしのインスタントラーメン。日本では西成のドヤを転々とする、絵に書いたような貧乏人。ところが、ところがである……。
「カネ、持ってるぞ奴は……1億、2億なんてもんじゃねえ!」
そんな茂田を遠くからしげしげ眺めるF原の独り言を偶然耳にして、貧乏アパートの界隈が一気にきな臭くなった。その日を境に、本人の知らぬところで「10億の男」と呼ばれるようになった茂田。キチガイ大家の妄想か? それとも本当に億万長者なのか?
続・10億円の男
井上さんが新居に越してからは、ステミエンチャイに行くことも無くなった。
暑くて臭い、暗くじめじめした埃っぽい、およそ不快な形容詞が品切れになってしまう、訪れるたびツキが落ちるアパート。あの呪われた場所に行くことも、もうな……。いや、ひとつ、ただひとつだけ気になることがあった。
そう、妖怪家主のアパートに逃げ込んできた、ベースボールキャップの爺さん。口を開けば愚痴の洪水。病的な被害妄想。引っ越し早々、井上さんから毒ガスの話を耳打ちされ、呆然としていたのが可愛らしい「10億の男」茂田のことである。
初対面から一ヶ月ほどが経ち、すでに私を含むプノンペン最下層日本人の間で、10億円の件がうっすら噂になりはじめていた。
このまま妙な噂が定着すれば、食い詰めておかしくなった同胞から狙われる可能性もある。それなら私が真偽を確かめ、噂がただの噂なら、はっきりデタラメと公表したほうが茂田のためにも良かろうと判断。久々にステミエンチャイへ向かったのだった。
行きすがら、噂が「本当」だったときのことも考えた。あの部屋に多額の現金など置いた日には、手癖の悪いF原の良いカモである。それは本人も分かっているはずだ。だとしたら株か、不動産か、それとも金塊か?
いや、10億あって、あの生活は無いわな……。日本のホームレスだって、もっといいもん喰ってるぞ──と、他愛もない妄想を楽しむうち、いつの間にかアパートに着いてしまった。
幸い、大家のF原は留守だった。茂田の部屋は扉が開け放されており、蝿だらけの狭い通路から声をかけると、本人がすぐ顔を出した。
部屋にはうまそうな匂いが漂っている。見るとコンロの上で、ほぼ出来上がったラーメンの鍋がグツグツと湯気を立てていた。
茂田はコンロの火を落とすと、ラーメンの鍋はそのままに、セメントの土間にふたつあった小さなイスを私に勧めた。ベトナムの路上カフェで良く見る、長時間座ると腰が痛くなるやつだ。
「茂田さん、お食事でしたか。どうぞ、僕に構わず召し上がって……」
湯気の立つラーメンを指差して言うと、茂田はゆっくり首を振り、「後で食べるから気にせんといて」と微笑みながら、私の傍らに腰をおろした。
がらんとした部屋には作り付けのベッドとプラスチックのちゃぶ台、小さな扇風機とコンロ。今腰掛けているオモチャのようなイスがふたつ。家財道具はほぼそれだけだ。
手土産に買ってきた王老古(中国製の薬草ドリンク)の缶を差し出すと「いいの?」と言いながら受取り、汗まみれの私の顔をチラと見て、返礼のつもりか、扇風機を動かしてくれた。
暗い穴蔵のような空間の、じっとりと重たい空気がもわもわと撹拌される。舞い上がった埃が玄関から差し込む陽光に照らされ、チカチカきらめいた。
「これはうまい! 良く冷えて最高だねえ……」
普段何を飲んでいるのか? 甘ったるい王老古を一気に飲み干した茂田は、満足気につぶやき。飲み干した缶を眺めた。
その間、私はちゃぶ台の上に置かれた「勤行要典」なる小冊子に目が釘付けだった。タイトルの脇に「創価学会」とクレジットが入っている。これは……。触れて良いものか迷ったが、挨拶代わりにする質問ではないような気もして、まずは、壁に吊るされた大量の服について訊ねてみることにした。
ほぼ何も無い部屋に、一人分と思えない異常な服の量である。そんな私の視線に気がついたのか、茂田が先に口を開いた。
「ワタシの趣味はファッションなんですわ。毎日の古着屋巡りが生き甲斐でね……。でも、道でトゥクトゥクに吊るして売ってる古着はアカンですよ。あれは1着5千リエルとか高いでしょ。ワタシは市場にいる馴染みのババアからしか買わへんから」
そのババア、毎日14時に某市場の駐車場脇に大量の古着を並べ、1着千リエル(25円)で叩き売っているらしい。
いま茂田が着ている服も、上下それぞれ千リエル。常連の恩恵で、たまに帽子など小物をオマケでもらうそうだ。
「今日もさっき戻ってきたばかりですわ。たまに、ワニのマークがついたポロシャツなんか見つけると、シメタッ!って、うれしくなっちゃう」
戦利品のポロシャツをじっと見つめ、ほくそ笑む茂田に、それとなく生活費の質問をぶつけてみた。
「国民年金が月7万円。それだけですわ。この部屋、ワタシには少し高いと思うけど(参考までに、家賃40ドル)、プノンペンだとこのくらいが下の限界だから……。もともとスラムに住むのは好きだから、値段以外の不満はありませんな」
岡山県のとある工業地帯で生を受けた茂田。毎日リヤカーを引いてゴミ集めに精を出す父親は、生まれてこのかた学校に行ったことがない文盲で、気持ち程度の教育を受けた母も、知ってる漢字は「茂田」という己の名字のみ。読み書きはカタカナだけだった。
一家はドブ川にかかる小さな橋の下で、父がトタンで作った掘っ建て小屋に暮らしていた。学校ではゴミ拾いの子とバカにされ、中学を出るとすぐ働きに出たという。
「だから、こういうボロい家が無性に落ち着くんですわ。スラムなら英語を話さんでいいしね。ワタシは中卒だから、英語なんか一切できへんし。アンタは大学出とるの?」
茂田はしきりに私の学歴を気にした。中卒で英語を話す人だって大勢いると思うが、茂田の中では中卒=英語はダメという諦めに似た思い込みがあるらしい。
そんな茂田に春が来たのは40歳の夏。観光で訪れたタイの田舎で小さなゲストハウスに立ち寄ったとき、下働きの少女が気を利かせ、茂田の服を洗濯してくれたのが発端だった。
それまで、母以外の異性が自分の服に触れることなど一度もなかったという。それをこんな清らかな美少女が、ワシみたいに穢れたモンの服を……ハァーッ。
感激した茂田は、いても立ってもいられず少女との結婚を決意。タイ人の平均所得が今のジンバブエ並みだった時代。国際結婚はベリーイージーだった。
「結納金として、田舎の土地を3千坪買うてやったんです。結婚して岡山に連れてきたら嫁はすぐパートに出て、月12万ほど稼ぐようになってね。半分はタイに送金してましたわ。当時、タイじゃ月2万稼ぐのも大変だったから、結構な大金だったと思います」
薄幸の美少女は数年で小太りのババアとなり、タイに行くたび嫁の両親からカネを無心されるようになった。テレビを買え、車を買え、でかい家を建てろ……。欲望は底なしだったという。
茂田がタイの両親と不仲なら、嫁も茂田の家族とうまくいかなかった。特に「倉敷の和田アキ子」とあだ名された妹とは犬猿の仲で、子を授からないまま、結婚15年目にして破局を迎えてしまう。
嫁はタイに帰り、傷心の茂田は縁側でひとり、酒を飲みながらぼんやりとテレビを眺めた。
「テレビ見てたらタイの映像が出てきましてね、タイは懲り懲りだから消そうと思ったの。そしたら少し違う……。良く見るとカンボジアの話でね、ポル・ポト時代の映像を見ていたら、泣けてきて涙が止まらんのです」
お金に余裕があるわけじゃないが、とにかくカンボジアでボランティアがしたい。なんでもいいから手伝いたい。その一心で、プノンペン移住を決めたのだそうだ。
中卒なので英語もカンボジア語も一言も喋れない。中卒なので覚える気もない──という発言に、暗雲をちらりと見たような気もしたが、清らかで純真な志であることは間違いない。恐らく、10億の件はF原の妄想。根も葉もないデマであろう。
「ああ……。アンタ来てたの?」
不意の声に振り返ると、開けっ放しの扉の陰から、黒々とした瞳が私をじっと見つめていた。しわしわの浅黒い顔を苛立ちに歪ませた大家のF原である。
いきなりの出現に面くらい、何を言おうか考えている間にF原は消えた。廊下を去ってゆく草履の足音を聞きながら、10億円を横取りしに来たと思われたかなぁ……と暗澹たる気持ちになる。
コンロのラーメンはぶよぶよにふやけていた。
(了)