エピローグ


 保志の答えに、

 アスモデウスはそうかとだけ言って笑った。


 あれだけのことがあったのに、童園に来る子どもは一人も欠けていなかった。

 ゴブリンの子もスライム君も、ゴーレムちゃんもハーピーちゃんも、ケット・シーの子もホビット族も、もちろんミイナにクーフェイも。みんなの顔が目の前にある。

 リリアは相変わらず、子どもたちの最後方で、豪奢な椅子に座って脚を組み肘をついて偉そうにしている。魔族を従える魔王のミニチュア版な様相もどこか堂に入ってきた。

 以前は、小生意気な子どもが必死で背伸びをしているようにも見えたものである。

「おはよう、みんな」

「おはよー」「おはようございます」「おはようせんせい」

 挨拶が、返ってくる。人間界式の挨拶も馴染んできたようだ。

「ふふ。おはようですわ、保志。今日もしっかりと、勤めを果たしなさい」

 婉然と笑みを形作るリリアは、女王様、といった感じだ。

「おはよう。相変わらずモロッコを食べてくれないってエレナさんが嘆いていたよ」

「ちょぉおおお、ほ、保志っ! みんなの前で何を言ってくれますのっ!」

 偉そうな顔はあっさり崩れて叫ぶリリア。ちなみにモロッコとはジャガイモに似た食べ物でエレナさんとは単眼触手メイドのことだ。

「好き嫌いはよくないなぁ。ということで本日の昼食はモロッコ尽くしです」

「なっ……! なんてことしますの意地悪ッ! 馬鹿ニンゲンっ!」

 ぎゃあぎゃあと喚き始めるリリアを、子どもたちが生暖かい目で見物していた。その様子に気がついたのか、リリアはなおさらに顔を赤くして、椅子の上で小さくなる。

「あー、ほらみんな、朝の会を始めるよ。ちゅうもーく」

 ぱんぱんと、手を叩く。リリアはふくれっ面のままだ。ちょー可愛い。

「えー、今日はみなさんに、新しい友達を紹介します」

 告げると、子どもたちの顔が興味ありげなそれに変わる。

(……さあて。どうなることやら)

 胸中で、嘆息する。

 とりあえず、リリアの偉そうな態度は崩しておいたが、さてどう反応するか。

 教室に、新しい園生が入ってくる。

 黒髪も艶やかな少女である。人形のように整った、端整な顔つきだ。

 子どもらを前にして、ニコリとも笑わない。緊張しているのとも違う。

 完全なる無表情。冷たい瞳が、教室の中を見据えている。

 人間世界の学園で着るような、制服を身につけていた。膝丈の、プリーツスカート。その内側から、床を擦るくらい長い尻尾が伸びている。

 黒色の、鱗の生えた、まるでトカゲのような尻尾だ。

「──初めまして。ファブルーニル・アイスと申します」

 彼女──アイスはフラットな声でそう名乗った。

「ふぁ、ファブルーニルっ!? ってまさか、あなたっ!」

 慌てたようにリリアが立ち上がった。少女アイスは瞳をすうと細める。

「──ええ。あなたの父君に滅ぼされた、グラントの娘です」

 ざわっ、と子どもたちがざわめく。そこには、明らかな畏れの気配も混じっている。

「ふ、ふうん? この童園に来たということは……竜族も、父様に恭順するんですの?」

「まさか」

 アイスは、あくまで平坦な口調でそう言って。

 保志の右腕をぎゅっと、胸の中に抱いたのである。

 ふにょんっと、柔らかな感触。これは……リリアより、ある。

「ちょ、なっ! なにをっ! 保志も何、デレっとしてますのっ!?

「し、してなひよっ!?」声が裏返った。

「とりあえずの目的として、私は保志先生のつがいになるためにここに来たのです」

 あくまでもクールな顔でそんなことを言うアイス。

「なっ、ななっ、なななななっ」

「んでもって、先生と契約してあなたと魔王をぶち殺しますのでヨロシク」

「ななななななななななななななななななななななっ」

 な、がゲシュタルト崩壊しそうなリリアがふるふると肩を震わせている。

「今日この日から先生は私のものです。誰も手を出さないように」

「そ、そんなのだめぇっ!」

「そうだぞっ! せんせのおべんとうはボクのものだぞっ!」

 アイスの言葉にミイナとクーフェイが泡を食ったように立ち上がった。

「ちょ、あの、アイス? みんな、仲良く、な?」

 言ってみるがアイスの顔は揺るがない。腕を抜こうとしてもガッチリとホールドされている。と、少女は保志の肩を掴んで、引き寄せ。

 ちゅ、と頬にキスをしてきた。

「ぬぁあ────っ!?

 ごぉっ! と教室の中に烈風が巻き起こる。リリアから迸る魔力の渦だ。



「あああ、リリア、お、落ち着けっ!」

 アイスはちゃっかりと保志の背中に隠れていた。何かあったら、保志が守るという計算だろう。ああそして、それはそのとおりなのである。

「先生。私とエッチして、あの凶悪な娘から守って」

「できるかっ! お、おい、落ち着けっ、リリ──」

「やっかましぃっ! ですわぁあぁ────────────────────っ!」

 吹き荒れる魔力の渦に吹き飛ばされて、保志は木の葉のように宙を舞った。

 それをアイスは冷めた目で見上げている。

 子どもたちは保志とリリアの繰り広げる修羅場を指さして笑っていた。

 ああ、もう。

 子どもを相手にするのは、本当に大変だ。

 けれどがんばるしかないか。

 これからもずっと、こんな一筋縄でいかない魔族の子らと過ごしていくのだから。

 そう決めたのだから。

 人間世界のみんな。

 皆月保志は──魔界で保父さんはじめました。