第一章 新設! 魔界妖童園


「貴様に我が造った保育所の世話役を命じる」

 と。やたらと偉そうな男が、丼を手に床に座っている保志にそう言い放った。

「…………………………………………は?」

 一日の仕事も終わって帰宅して、晩飯にラーメンを作って、さあ食べるぞと意気込んだその瞬間だった。見慣れていた自分の部屋、その情景が一変していた。

 なんということでしょう、安物の壁紙はなめらかな石造りの内壁に、木目の天井はその奥が見通せないほどに高い高い暗闇にと変わり果てていたのである。

 整然と並んだ、複雑な文様の彫り込まれた石柱が、暗天へ向かって何本も伸びている。

 広くて、ただただ灰色な場所だった。

 中世西洋の映画や、ファンタジーアニメなんかで見る、どこかの王宮のようだ。

 そのど真ん中に保志は座り込んで、仁王立ちした男が彼を見下ろしている。

「え、え、えええ? な、なんですここは? あなたはいったい……?」

 わけがわからない──丼を持ったまま、立ち上がる。

 男の背後には幾人もの人影があった。

 いずれも筋骨たくましい巨躯ばかりで、なんのコスプレか中世風の鎧を着込んでいる。

 鉄の鎖をつなぎあわせた鎧や、大きな、鱗のような切片を貼りつけた鎧。総鉄製の、やたらと重そうな鎧を着込んでいる者もいた。果たして動けるのだろうか。

(なんだ、これ。いったいどういう状況なんだ?)

「ぐわははは。頭が混乱してるか。まあ、無理もないのぉ」

 偉そうな男は保志の狼狽を笑い飛ばす。

 見上げるほどに大きな男だった。

 身長は、二メートル近くはあるだろうか。外国人のようで、金髪に、彫りの深い面相である。だが保志に向けられる言葉は、流暢りゅうちょうな日本語だ。

 何より目を引くのは男の頭頂に乗っかっている異物である。山羊のそれの如く、ぐるりと渦を巻いているそれは──たぶん、角ではないか。角にしか見えない。

 それに、彼の目。カラーコンタクトでここまで鮮やかな赤が出せるものだろうかと、そんなことを疑問に思うくらいに、その瞳は血のような深紅であった。

「貴様は、人の世界で子どもの世話をしておるな」

「は、はい……」

 人の世界とは、どういう意味だろう──そんなことを考えながら、頷く。

 保志はとある保育園の保父である。

 今日も一日子どもたちの世話をした。散々に振り回されながらも充実した一日を過ごした。

「そんな貴様に大役じゃ。感謝せい」

 男が鷹揚に頷く。いや、いきなりそんなことを言われても。

「あ、あの? 何がなんだか。というか、ここはいったいどこなんですか?」

 どういう手品で、アパートの一室に居たはずの自分がこんなところにいるのか。

 なんでこんなコスプレ集団に囲まれているのか。

 まるっきり、意味がわからない。

「ここか? ここは、魔界じゃ」

 そして、男は──そんなことを言った。

「………………はいな?」

「だから、魔界じゃ。貴様ら人間族の世界と表裏成す、もう一つの世界よ」

 と。男は、その太い指を、パチン、と鳴らした。

 刹那。空間に、光がさした。

 天井を覆っていた暗闇が晴れていく。井戸の底から見上げるような虚空に広がるのは、抜けるような青空であった。そして、そこに。

「え? ええ? えぇえええぇえええぇえええええ~~~~~~~っっ!?

 巨大な、トカゲのような怪物が、その空に何匹も悠々と泳いでいたのだ。

 あり得ない──空想の世界にしか存在し得ない、あれはドラゴンと呼称される怪物ではなかろうか。蛇腹を波打たせ、巨大な羽をはためかせ、そんなものが天空に、十も二十も飛び回っている。あまりに非現実的な光景であった。

(し……CG? でっかいテレビ? 何か、仕掛けが……)

 本当を見極めようと目を開く保志に、男はフム、と頷くと、

「まだ信じられんか。ならば、これでどうだ?」

 ばさっ、と。男の背中に、一対の羽が生えた。

 黒く、巨大な──からすのような、羽である。

「ほ……ほんも、の……?」

 今の映画に使われている、メイクやギミックなんかの技術なら、素人の目を騙すこともできるかもしれない。だが、男の羽も、天を舞うドラゴンも、造りものとは思えなかった。 存在感というか、在りようの重さというか、そんなものが違うのだ。

 あれは本物だと、本能が理解している。

「ぼ……ぼく、は」

「貴様はこのわしに召還されたのだよ。人間界から、な」

 そう言って男は、彫りの深い顔に笑みを形作る。覇気に満ち、荒々しく、気圧されるようなその笑みは、金色の髪と相まって、牙を剥く獅子を連想させた。

「……………………………………………………」

 もう何がなんだかわからずに──保志は手にしたラーメンを一口、啜った。

「我が名はヘーシュム・アスモデウス・デーウ。この魔界の覇者にして──魔王である」




 異世界とでも、あるいは異次元とでも言おうか。

 近くて遠く、遠くて近い世界である。そこは人ではない何かがばっする世界である。

 ──魔界と呼ばれるその世界は、ずっと、人の世界とともにあった。

 人間界と魔界は隔絶されていた。まれに、何かの間違いで魔界へと迷い込む人間もいるが、そのほとんどは魔物に喰われて消失する。

 世に言う神隠しとは、あるいはその迷い人のことであるのかもしれない。

 人間界は、柔らかな贄に満たされた極上の楽園だ。

 その世界を目指そうとする魔族は無数にいた。

 だが、闘争を好む闇の種族が人の世界に攻め入ってきたことはない。

 血で血を争う殺戮を自ら求める彼らは、まず、己の背中を警戒しておかなければならなかった。人の世界に攻め入ろうなどという動きを見せれば、瞬く間に周囲に潰され、貪られ、根絶させられた。

 乱世である。それが皮肉にも、人間世界に安寧を与えていたのだ。

 だがそれは危うい天秤の上に乗った安寧だ。

 ある種族が魔界の勢力図の大部分を握ることができれば、次に狙うのは人間界だ。

 ──だが。アスモデウスはそうしなかった。

 覇を唱え、魔界の平定に乗り出した彼は、上位の魔族をも軽々と凌駕する絶大な魔力で反抗勢力を駆逐していった。混乱の極みにあった魔界を、瞬く間に掌握したのだ。

 そうして彼は、魔族へ向けこう言った。

 人の世界になど攻め入らない。

 この世界を、平和にしてみせると。

「魔族というものにはな、様々な種族がいる。ニンゲンのように、目と髪と肌の色が違う程度ではない。てんでばらばらだ。故に、争う。

 だから我は、そんな連中に、相互理解の機を与えたいのよ」

 それぞれの、種族を統べる上位の魔族は永きに渡る闘争の怨恨もあってもはや多種族を受け入れるほどの寛容を持ちあわせてはいない。

 今は、アスモデウスの力とカリスマに、矛を収めているだけだ。

 ならば、思考の硬直していない子どもの時分なら、どうだろうか。

 そして彼、魔王アスモデウスは創設した。

 魔界の次世代を担う子どもたち。貴族や、族長クラスの子息ばかりを集めた保育園。

 ──魔界妖童園を。




 そんなわけで、皆月保志は今、異形の子らの前にいた。

 魔界の言語がわかるようにと、アスモデウスに翻訳の魔術をかけられている。

 言葉は通じるのだ。やれるだけ、やるしかない。

「それじゃあ、みんな。まずは自己紹介から始めようか。ええっと、端に座っている君から──」

 と、保志は皮膚が岩石に覆われた人型に自己紹介を促した。その、彼? 彼女? が立ち上がろうとした時、先んじて響く声がある。

「お待ちなさい。わたくしよりも下賤の者を優先するとはどういうつもりですの」

 その声は、子どもたちの最後方から。豪奢な椅子に座っていた、少女からだ。 

 金色の髪をふんわり浮かせて立ち上がる少女は、鋭い目を保志に向けている。

「ウゴウゴ。ウゴウゴウゴ」

「へぇえ。ゴーレムちゃんか。女の子なんだ。その、目尻のあたりの形とか可愛いね」

「スルーされましたわ!?

 岩石製のゴーレムちゃんは、保志の言葉にもじもじしていた。なんか可愛い。

「じゃあ、次。ええっと、ハーピーちゃん? その腕の羽で、飛べるんだ。凄いね」

「えへへー」とはにかんで、腕が翼な鳥少女は羽をはためかせた。

「ちょ、ちょちょ、お聞きなさいなっ!」

 慌てた様子で噛みついてくる金髪の少女。よくいるのだ。こういう、自己顕示欲の強い子どもが。だがここで彼女の言うとおりにしていては、後々舐められる。

「はいはい。順番が来るまで、ちょっと待とうねっ!?

 あしらおうとした瞬間であった。

 まなじりを吊り上げた少女が、右腕をこちらに向けた。

 手のひらに、ボゥっと、円形の何かが浮かび上がる。複雑な文様が描かれた、魔法陣だ。

 子どもたちから小さな悲鳴が上がる。つまりアレは、危険な行動なのか。

「喰らいなさいなっ!」

 刹那。少女の手のひらから閃光が迸る! 

 ──だが。

 じゅっ! と弾けるような音とともに、保志の目前で閃光は拡散した。

「……なん、ですって」

 魔術による一撃を消失させられ、少女は目を見開いていた。

 おおお……と子どもたちも、保志が無事であったことにどよめいている。

「たいした魔法抵抗力ですわね。……なるほど。お父様に見込まれただけあって、身を守る術くらいは心得ているというわけですのね」

 などと、少女は勝手にそんなことを思ってくれた。というか、身を守る術ということは、今の閃光には攻撃性が秘められていたわけで、この子は何をしてくれるのか。

 今の閃光を散らしたのは保志の力ではない。

 保志の懐には、魔王から譲り受けていた身を守るための指輪があった。

 魔王の魔力が込められた、守護の指輪だ。それが、保志を守ってくれたのだ。

 人間の身体は、魔族と比べて格段にもろい。子どもとはいえ魔物の、たかが爪先に引っかけられたくらいで、下手をすれば死んでしまうかもしれないという。

「まったく、礼儀を知りませんの。このわたくしを無視するとは」

 大股で、少女はこちらに歩んでくる。

 銀色の小さなティアラが、頭の上できらきらと輝いていた。

 小生意気に輝く紅の瞳が保志を映し出している。勝ち気なツリ目は毛を逆立てた子猫のようで、ぷにっと膨らんだ、子どもらしい頬が可愛らしい。お高くとまった小鼻の下には、薄桃色の唇がつやめき、真珠のような小粒な歯がそろりと並んでいる。

 その王冠と金髪によく似合う、黒と白の相克するドレスを少女は着用している。

 ゴシックロリータ、とでもいうのだろうか、たっぷりと飾られたフリルが、花びらが風に踊るが如く歩みに合わせて揺れている。膝の上まで覆い隠す、真っ白なニーソックスにもフリルがひらひらしていて、幼くも形よい足の躍動を彩っていた。

「下等な魔族ごときを優先して、わたくしを誰だと思っていますの?」

 腕を組み、こちらを見下すような目で──まあ実際は見上げているのだが、少女が睨む。

その血のように赤い瞳と、天上で輝く星のような金糸の髪と、何よりも、頭頂に生えた、山羊のような角に保志は見覚えがあった。

 少女は保志の傍らでくるりとターン。子どもたちに向かいあう。舞い散る金髪から星の粒子が流れ出たと、そんな錯覚を覚えた。

「初めまして、ですわ。わたくしこそこの魔界を統べる王、アスモデウスが娘、ヘーシュム・リリア・デーウですの。あなたたちのような下級魔族とは視線を合わせることすらあり得ない実に高貴な存在ですわ。この機会に、せいぜいその目に焼きつけるがよろしくてよ」

 と、実に高貴な高笑いを見せつける。

 すこぶる高飛車な自己紹介であった。

 そんな彼女に対して、子どもたちの視線がどこか白けていくのを保志は感じた。

「なんだあいつ」「えらそーだな」「へんなやつ」

 ──まあ、ここまで権力を鼻にかけたような物言いでは、それも仕方あるまい。種族間の区別差別もいまだあいまいな子どもたちだ。

 誰とでも仲良くなれるし、誰を相手でも仲間はずれにできる時分である。

 それは、つまり、魔王の娘という金看板も通用しづらいということだ。

 そんな空気を敏感に感じ取ったのだろう、リリアは眦を吊り上げる。

「このわたくしと敵対するのなら、魔界そのものを敵に回すのだと心得なさい。わたくしは投げつけられた手袋を避けることはいたしませんわ」

 自信と迫力に満ちたその眼差しに、子どもたちが顔を背ける。

 小柄な体躯ながら発する覇気は圧倒されるほどで、血は争えないものだと思う。

「はいはい。自己紹介が終わったのなら、さっさと元のところへ戻りなさい」

「ちょ、触るんじゃありませんわよっ! 気安いですわよ、ニンゲン!」

「…………そういえばさっき、うんこに行って手を洗ってないな」

「みぎゃぁぁぁあぁあぁあああぁああああっ!?

 素っ頓狂な叫び声を上げてリリアが逃げていく。

「ば、ばばばばっちぃですわ、ばっちいですわっ!」

「……魔界にも衛生観念ってあるんだな」

 まあ、王宮暮らしのリリアが特別なのだろうけど。

「こ、こここ、このっ! これだから血の卑しい輩はいやですわっ! どうしてわたくしまで、こんなところに通わなければいけませんのっ。まったく、お父様ったら……」

 ぶつぶつと愚痴るリリアに、保志は嘆息する。

(……まったく、先が思いやられる子だな)

 本当にこんな子が、友達を欲しいと願っているのだろうか?


「……実はだな。わしの娘も、童園に通うことになっておる」

 と、魔王アスモデウスはその貫禄のある顔を綻ばせた。

 覇気のある顔にが溢れる。

 それだけで、この男が娘のことを、深く愛していることがわかる。

「娘さん……が?」

「うむ。それで、だ。我が娘、少々気むずかしくてのぉ。わしの血を引きすぎたのか、友達を作るのによい性格ではないのよ。魔王の血族は最強だと自負しておる。皆、その血にひれ伏すべきだと。けれどこれからの魔界は、それではいかん」

 これまでの、闘争の記憶が蘇っているのだろう、アスモデウスは顔をしかめる。

「なんとか、よそ様の子どもと仲良くしてほしい。何よりそれを頼みたいのだ」

 と、魔王は己の過保護に、恥ずかしげに頬を掻く。

「……ええっと。つまり、魔王が童園を作ったのは……」

 自分の娘に友達を作ってあげたいと、それもあるのか。

「……公私混同ではないですか、それ?」

「いやだって、あれじゃぞ。夜中、遠見の鏡で娘を覗いてみたら、暗い部屋の中で一人、ぬいぐるみを並べて友達ごっこなんぞしているのじゃぞ?」

「何をしてやがりますかお父さんっ!?

 思わず魔王相手に突っ込んでしまった。

「貴様っ! 人間の分際でっ!」と、魔王の背後に控えていた男が迫ってきた。

 鱗の鎧を着た強面の男だ。

 なぜだか保志はこの男に、ずっと睨まれ続けていた。

「ひぃっ、す、すいませんっ」

「よい。ニンゲンは、魔界での上位下位には無関係だ。そう心得よ」

「なっ……! だが、アスモデウスッ!」

「心得よ、と言った」

 低く、獅子が唸るように魔王が言うと、鱗鎧の男はぐっと歯を噛み後ろへ下がった。

 けれどその男の、保志の心臓を射抜くような視線は変わらない。

 何か、個人的な恨みすら感じる憎々しげな眼光だ。

(い……居心地が悪いっ!)

「わしの娘というだけで、周りが恐れてしまう。だから今のうちに、娘には友を得てほしいのよ。……わしとて、いつ、この座を追われ討たれるか、わからんからの」

 そんな保志の心中も知らず、アスモデウスは言う。

 魔界を平定したばかりだという彼には、やはり敵が多いのだろうか。

「と、いうわけで、頼むぞ、人間よ」

 大きな手がぽんと、肩に置かれる。

「……その、それで、もし断ったらどうなるのでしょうか……?」

 アスモデウスはフム、と頷き、空を見上げ、

「竜族のものたちも、しばし美味い肉を喰っておらんなぁ……」

「張りきってやらせていただきますっ!」

 そう答えるしかない保志であった。


「さて、それでは次の人、自己紹介をお願いします」

 小うるさいリリアの前にハーピーの女の子が自己紹介していたから、次はあの子か。

 目を向けられた少女が、おどっと身体を震わせて、頬をぽっと赤らめて、立ち上がる。

 ぷるんっ、と、その胸に鎮座する豊満な物体が揺れた。

「………………………………………………でかっ」思わず口に出していた。

「あ、ああああ、あのっ! ミイナ・ルサリアですぅ……」

 恥じらいに顔を伏せて、蚊の鳴くような声で少女はそう名乗った。

 身長は、リリアと一緒くらいだろうか。頭を撫でるのにちょうどよさそうな高さだ。

 丸みを帯びて、愛嬌に満ちた顔。瞳は大きくて、まつげが長くて、うるるっと潤んでいる。透き通るような緑色の髪は、人界の染料ではあり得ないほど艶々だ。

 幼げな手足は肉付きがよくて柔らかそう。お尻も体格からすれば大きめだ。

 それに、とにかくというかなんというか──その胸が、でかい。

 大きなメロンを二つ、突っ込んだような豊かな丸みが、衣服の生地を張りつめさせて自己主張しているのだ。

 小柄な身体に似合わなすぎる、巨乳だった。

 背は低いのに、身体の凹凸はなかなかに悩ましい。いや、むしろ幼い風貌にそのナイスなボディというアンバランスが、なんだかイケナイ気分にさせる少女である。

 子どもに似合わないその妖悦な風情は、何よりも露出度満点な衣服のせいでもあろう。

 まるで紐のような、というか紐にしか見えない、水着以下な布面積の衣装であった。

 鎖骨から胸の谷間から、お腹までが丸見えなのだ。

 あまりにも過激に過ぎて、裸よりもなおさらいやらしいほどである。

 そんな彼女、瞳を潤ませてちらちらと保志を見ている。あんなセクシーな格好をしているのに、引っ込み思案な性格なのだろうか。皆に注目されて恥じらっているようだ。

 背中に生えている、こうもりのそれに似た羽がぱたぱたしていた。

「あ、ああ、いいよ、座って」

「は、はいぃ……よ、よろしくお願いしますぅ……」

 促されるのを待っていたのだろう、少女──ミイナはぺこりと頭を下げて座ろうとする。瞬間。なぜだか足を滑らせて、前向きにすっ転んだ。

「ぷぎゃっ!」

 大きな胸をぶにゅんと潰して悲鳴を上げる。というか、どうして座ろうとしただけで転べるのか。胸か。胸でバランスを崩したのか。

「ふぇえええ……」半泣きで、座り直す。

 彼女はどんな魔物なのだろう。傍目には普通の人間にしか見えない。まあ、人の子どもと比べて、少々豊満に過ぎる身体つきではあるが。

 それにしても──多彩だ。

 二足歩行する猫。不定形のスライム君は、男の子だという(なんと喋ることができた)。単眼の少女は、眼球に埃が入りやすいのが悩みだそうだ。身体中に鱗を生やしたトカゲの少年は、そろそろ脱皮の時期だそうで、全身が白い膜に覆われている。

 姿形のまるで違う彼ら彼女ら。魔族の中ではまだ子どもだというが、皆、保志よりは長く生きているらしい。

 こうして見ると、人の世界で画像化されている、魔物という存在と彼らはとてもよく似ていた。魔物とはこういうものであろうという前知識があったおかげか、だから保志は、異形を前に取り乱さずに済んでいた。

 保志と同じように、過去、この世界と関わりを持った人間がいたのだろう。そんな人たちの残した言い伝えや絵なんかが、現在の人間世界に魔物を描き出しているのだ。

「はーいっ! はいはいはいっ! クーフェイだぞっ!」

 元気のいい声を張り上げたのは、頭に、犬の耳みたいなものを生やした少女だった。

 そう、耳だ。毛の生えた三角形の物体が、頭に二つ乗っかっている。

 彼女はぴょんっ、とその場で飛び跳ねて──。

 がっづん!

 天井に激突した。やたらと痛そうな、頭蓋骨が割れていてもおかしくないような衝撃音がこだまする。

 驚異的な跳躍力を見せた少女はすたっと着地をすると、

「よろしくだぞ、保志センセッ!」

「無事っ!?

 けろりとした様子で手を振るケモノっ娘に絶句する。

 オレンジの髪は動きやすそうなショートカット。その下に、ニコニコと、陽気な笑顔が輝いていた。くりっとした瞳は稚気に溢れ、口腔には八重歯を覗かせて、私は元気いっぱいだぞ、とその表情で示している。

 ちっこい身体ながら、程よく筋肉がついてそれでいて柔らかそうな手足だ。カモシカのような、と表現するにふさわしい四肢がしなやかに伸びている。

 どうしてか、体操服姿であった。それも、人間界では過去のものと化したブルマ姿だ。艶めく紺色のブルマは、化繊にしか見えない。

 あるいは人界から持ってきたブルマなのかもしれない。

 クーフェイの、健康的な子ども脚は濃紺の生地によく映えていた。

 そのブルマの腰から、毛がたっぷりの尻尾がはみ出してパタパタ揺れている。

(……触りたい)

 触りたい。触って触って、モフモフしたい。

 欲望を、必死で抑え込む。

 見ればリリアもクーフェイの、揺れる尻尾に目が釘付けだった。触りたそうに手を伸ばして、その首が尻尾に合わせてメトロノームのように、右に左に揺れている。

「ええっと、クーフェイちゃん? あたま、大丈夫?」

「え、何が?」

 よくわかっていない様子で小首を傾げるケモノっ娘。いろんな意味で頭は大丈夫だろうか。

「ねぇねぇねぇせんせせんせせんせせんせっ! これからここでなにするんだぞっ!?

 ぶんぶか手を振ってクーフェイがいてくる。

「そうだね。これからみなさんには、ここで」

「コロシアイをしてもらいます?」

「古っ! いや違う、なんでそうなるっ?」

「だって魔界はじゃくにくきょーしょくなんだぞ? お父さんが言ってたぞ! よわいヤツはみんなえさなんだって。それがこのよのことわりだって」

「……アグレッシブな理だね」

 獣の耳と、尻尾。よく見れば尖った八重歯に、手の爪も鋭く尖っている。その外見が示すとおり、野性味に溢れた一族のようだ。



「まるで、逆。今日からみんなが始めることは──仲良くなること」

 と、保志はみんなに呼びかける。

「な、なかよ……く?」と、ミイナ。

「そう。それが、魔王様からみんなへのメッセージ。僕はそのために、ここに来たんだ」

 そんな保志の言葉に、子どもたちは、不思議そうに顔を見合わせるのだった。




「アスモデウスよ。本気で言っているのか。魔族の相互理解など」

 向かいに立つ魔王に、鱗鎧を着込んだ男はそう問いかける。

 魔王城の一室、魔王の私室である。

「もちろんだとも、グラント。わしは本気だぞ」

 頷くアスモデウスの口元には、笑みが浮かんでいる。彼の手には水晶玉が一つ乗っていた。遥か遠くまでを見通すことのできる、遠見の水晶である。

 そこには椅子に座って頬を膨らませているリリアの姿が映っていた。

「うォオン、可愛いのぉ可愛いのぉわしの娘は。そう思わんか、グラント?」

 ずずいと水晶球を見せつける魔王はまるっきり親バカの様相である。

「……変わったな、アスモデウス」

 苦々しげに、グラントと呼ばれた男は魔王を睨みつけた。

「あれほどに、破壊と殺戮を好んだ魔王はどこへ行った?」

「そんなもの、もうこれからの魔界に必要ない」

 と、アスモデウスは水晶球の表面を撫でながら言う。

「魔族を統制したのだ。次は人間界を攻めるのだと、皆が期待していたのだぞ」

「魔界の次は、人間界か。破壊と殺戮。そんなものを繰り返して、なんになる」

 破壊の権化であった魔王は、水晶に映る娘を愛おしげに見つめている。

「わしは魔界を平和にしたい。そのために、これまで戦ってきたのだ」

「おためごかしを。……お前はただ、人間の世界を守りたいだけなのだろうが」

 グラントの物言いは、吐き捨てるようだった。

「なにせ、リリアは──」

「グラント」

 アスモデウスの、血のように紅い眼差しがグラントを射抜く。

 魔王の体躯から何かが溢れ出す。目に見えぬ、力の圧がグラントへと襲いかかる。

 並の魔族ならば魂が消失するような眼光に、けれどグラントは微動だにしない。

「そのくらいにせい」

「……ふん」

 鼻を鳴らして、グラントはきびすを返す。

 扉を開き、退室する寸前──ぽつりと、彼は呟いた。

「まだ──サラが忘れられんか」




 その日はとりあえず、始業式ということで、自己紹介だけで解散となった。

 帰路につく子どもたちを、手を振って見送る。

 まだ子どもらは、保志との距離を測りかねているようだ。ちゃんと帰りの挨拶を、返せる子は少ない。あるいは、挨拶というその習慣自体がないのかもしれない。

「……まずは、挨拶から。そういうところから教えないとな」

 今夜は、彼らの顔と名前を覚えなければならない。魔王から、生徒の一覧が描かれたファイルを預かっていた。人間界の流儀に合わせて、作成してくれたらしい。

 童園も、保志のいた保育園をそのままコピーして建造されていた。

 教室の数や、トイレだとか保健室だとか、そんなものまで一緒である。

 人間界にぞうけいが深い。それに、見た目に反してわりあいマメな魔王様だ。

 童園を出る。

 少し離れたところに、中世を舞台にした映画にでも出てきそうなお城が建っている。

 魔王の住む、王城だ。

 童園はその、王城の敷地内に建造されていた。まあ敷地内と言っても、城までは十五分は歩かなくてはならないし、そもそも正門からは城の方が近かったりもする。

 子どもたちが正門への道を歩いている。

 近しい種族となら話が合うのだろう、ほとんどの子がグループないし二人組を作って、お喋りをしながら歩いている。

 今日、初めて会った者も多いだろうに、やはり子ども同士は垣根が低い。

 ──一人だけ、後ろの方でとぼとぼと、歩いているリリアを除いては。

「……ふん」

 つまらなそうに鼻を鳴らし、不機嫌そうに金髪を揺らして歩いている。その目はどこか眩しそうに、寂しそうに、前を行く子どもたちを眺めている。

 誰も近寄れず、ただ一人だけで在る強者。

 それがまるで、魔王の娘というものの行く末のように見えて──。

「途中までみんなと歩きだ。誰かと一緒に、帰ったらどうだい」

 そう、声をかけていた。

 はっ、とリリアが保志を振り返って、眦を吊り上げる。

「何を言いますの。このわたくしが、下級魔族に混じるなんて、そんなこと」

「この童園に集まっているのは、それぞれの種族の、貴族や族長の子どもなんだろう?」

「それでも、お父様に比べれば遥かに下級ですの」

「……これからみんなと、ここで一緒に過ごすんだよ? もっと仲良くしないと」

 と言い聞かせてみるが、リリアの態度は揺るがない。

「ふん、ですの。お父様は力で、この魔界を掌握しましたのよ? その娘であるわたくしが、誰かに舐められるようなことをするわけにはいきませんの」

 と、保志を睨みつける。その強い瞳に、たじろいでしまう。

 リリアはただ、育ちのせいで高慢なわけではない。魔王の娘という誇りがある。自分の中に確かな信念を抱えているのだ。それは、保志ごときには否定できるものではなかった。

 けれど、リリアの眼差しに宿る、一抹の寂しさは消えていない。

「……じゃあ、僕は? 人間と帰るのは、どうだい?」

「あ、あなたと……ですの?」

 と、リリアが目を見開いた。

「うん。魔界の、階級の上下に人間種族は入ってないだろう。僕とならどうだろう?」

 大きく赤い瞳が保志を映している。

 可愛らしい顔は、少し困ったように、でもどこか嬉しそうに口元を引きつらせていた。

「ど、どうして、あなたと帰らなければいけませんの?」

 うーんと保志は唸り、腰を落としてリリアと向きあった。

「初めてのこの世界で、一人だと不安なんだ。ぜひ、魔王の娘たる君の寛大なる心をもって、僕と一緒にお城まで帰ってくれないかな。お願いだよ、リリア」

 頼んでみる。すると彼女は一瞬だけ、ぱっと表情を明るくして、

「そ、そんな風に頼まれてはしょうがありませんわねっ。王者にも、情けというものはありますわ。後をついてくるぐらいなら、許してさしあげますっ」

 腕を組み、ぷいと背けたその顔はけれどほんのりと赤らんで、隠しきれぬ笑みがあった。

「うん。じゃあよろしく。手を繋ぐ?」

「ばっ、ばっかですの。調子に乗るんじゃありませんことよっ」

 すたすた先を行こうとするリリア。と、ふと立ち止まって、

「早く来なさいなっ。あなた一人置いてけぼりになりますわよっ」

 そんなことを言いながら待っていてくれる少女に、保志は苦笑して駆け寄っていく。

 いい子なのだ。だからなおさら、童園のみんなと馴染ませてあげたい。

(よし。やるぞ)

 リリアの小さな背中を見ながら、保志は決意を新たにするのだった。