18



 ラヴィニオがいった。「重力がないと、たぶんこれで精いっぱいでしょう」

 ヤルダは試験用の畑に張り渡されたロープから身を乗りだし、その植物をじっくりと調べた。小麦の茎は高さ二指離スパン に届くか届かないかだった。

「これは……生長しきっているの? 種子ができているの?」茎から突きだしているちっぽけな構造物は、確かに種囊に似ているが、あまりにも小さいので、確かなことはいえなかった。

「ええ、生長しきっています」ラヴィニオが断言する。

「でも、ふつうの小麦の十二分の一の大きさしかないわ!」

「どれほど長く種子を遠心機に入れておいても」ラヴィニオが説明した。「取りだすと、かならず生長をやめます──しかし、まずこの高さまで育ててやれば、畑に植えかえても枯れません。これ以上は大きくなりませんが、自前の種子を作ります」

「すてきね」

 待望の結果とはいえない。だが、ラヴィニオは魅了されていることを隠せなかった。「まるで成熟のプロセスは、生長の停止が直接の引き金になっているかのようです。植物がある決定的なサイズよりも大きいかぎりは。メカニズムをほんとうに理解したら、いま以上に介入できるかもしれません。しかし、いまのところは──」

「いまのところは、年に六回作物を育てるという選択肢がある──一回ずつ極端に少ない収量で」ヤルダは指先で種囊のひとつをつついた。「で、これはじっさいに発芽するの?」

 ラヴィニオが答えた。「はい──親と同じように、遠心機に入れてやれば。はじめのうち種苗は極端に未熟ですが、四ステイント ほどで大きさは追いつきます」

 ヤルダは明快な評決を期待していた。どちらに転ぶにしろ、ある行動を取らざるをえなくなるような結果を。遠心機による種苗が完全に失敗すれば、〈孤絶〉を回転させる以外に選択肢は残らなくなる。一方、従来の作物を育てられる完璧な解決策があれば、エンジンの建造は予防措置として価値があったが、じっさいに点火することは、ありがたいことに不必要だとわかったと宣言できただろう。「そうすると、これでどういうことになったの?」ヤルダは尋ねた。

「通常の農作よりもはるかに労働集約型になるでしょう」とラヴィニオ。「そして、重力があったときに一年間で収穫していたのと同じ総量の穀物を生産するには、少なくとも十ダースの遠心機が必要でしょう」

 十ダースの遠心機 を、年がら年じゅう動かす。燃料を燃やし、補修を欠かさず。山全体を回転させれば、太陽石の蓄えに食いこむだろう──しかし、いちどだけやればすむのだ。

「それで生き延びられます」ラヴィニオがいい添えた。「理想的ではありませんが、やってやれないことはありません」

 ヤルダはラヴィニオに礼を述べ、次の数日以内に決定すると約束した。

 ヤルダは山頂へ引き返し、階段吹き抜けのロープ伝いに進んでいった。ふつうの畑でふつうの小麦を育てるなら、より大きな人口を養うことは、作物のサイズを増すという単純な問題になる。収量を十分の一ずつ増やすためだけに、さらに一ダースの遠心機を建造し、運転させれば、いっさいが変わるだろう。

 だが、〈孤絶〉を回転させる計画を進めてそれを実行に移してから、どこかの気まぐれな小石が山腹に火を点けたら、山があらゆる物を宇宙空間に振り飛ばしている状態で炎を消すのは、どれほど難しくなることか?

 ヤルダは文教地区で階段吹き抜けを離れ、自分のオフィスにむかってロープ伝いに通廊を進んでいった。通りがかった人たちになごやかな挨拶を返しながら、気がかりをおもてに出さないよう努める。トンネルが仕上がったいま、回転用エンジンの完成は熟練した機械工たちの手にゆだねられている──しかし、ここにいるだれもが、塵と危険の中で山腹に出たことがあり、だれもがプロジェクトを自分自身のものとして考える権利を獲得していた。

 興奮と期待の表情をさっと浮かべて見せた人もいる。「あと三ステイント ですね!」と声をかけてきた人もいる。もしまわれ右して、みなさんの作業はすべて無駄だった──これからは機械で育てた、発育不全の小麦という乏しい食料で生きなければならない──と宣言するなら、よほど説得力のある議論をしなければ、その決定を支えられないだろう。

 マルジアがオフィスの外で待っていた。「テスト装置の準備ができました」彼女はいった。「命令さえあれば、打ちあげます」

「まちがいなく安全なのね?」

「点火するときは五街離ストロール も離れていますし、さらに遠ざかりつづけます」マルジアがあらためていった。「観測する機会をすっぱりあきらめるのでなければ、これ以上安全にはできませんよ」

 ヤルダはこの言葉を受けいれたが、その実験について気を許すのはむずかしかった。〈孤絶〉のエンジンは世界を火だるまにしそこなったが、それが目的ではなかったのだ。マルジアの装置は、燃えるところを──星の表面は別かもしれないが──見られたことのない鉱物に火を点けるよう設計されている。

「火花が飛んできて、山に当たったらどうなるの?」

「わたしたちに害になるほど熱い残骸は、届くよりずっと前に燃えつきるはずです」

「〈永遠の炎〉に点火しないかぎりね」ヤルダは気弱にジョークを飛ばした。

 マルジアはひどく腹立たしげにブンブン音を立てた。「その手の世迷い言をいう気だったら、もういっそのこと、たとえなにがあろうとわたしたちは生き延びられるんだといってくれませんか? そして、わたしたちはみんな故郷を目ざして、一族と再会できるんだと」

 ヤルダはいった。「計画を進めて、装置を打ちあげて。なにに注意していればいいか、火事の監視員たちに念入りに教えておいてね」


 三 後、ヤルダはその地区の観測室でマルジアに会った。マルジアはそこに、装置に照準を定めた二台の小型望遠鏡を設置していた。この位置からだと、山から漂い去っているいまも、装置は固定されているも同然に見える。星明かりを浴びた装置は、ほっそりしたシルエットにすぎなかったが、望遠鏡が正しいほうをむいているかどうかを確かめるため、ヤルダがちょっと覗いたあと、マルジアが光学装置に挿しこむフィルターを渡してくれた。映像はかなり明るくなった。

 ヤルダが後視線で壁時計をチェックすると同時に、光の球が装置の安定石でできたはり の片端に噴きだし、輝く破片を宇宙空間に振りまいた。その梁はさっきまで、がっしりした硬石の殻に包まれた、純粋な太陽石の球形爆薬の中央を貫通していた。時限装置の合図で、燃料に解放剤が投入されて熱と圧力が高まり、ついに覆いが吹き飛んだのだ。殻の赤道部分はわずかに薄く作られていたので、爆発はそこから梁の外側へむかい、梁に取りつけられたほかの機器は影響を受けず、正味の力やトルクはほとんど残らなかった。梁はかろうじてそれとわかる回転を獲得して、視野にそのままとどまっていた。

 そしてそれは燃えていた 。太陽石は散乱しており、安定石そのものが燃えあがっていた。

 この未曾有の偉業を前に、マルジアが勝利の歓声をあげた。ヤルダとしては、安定石に点火するのは不可能だとわかったほうが、はるかにうれしかっただろう──そして星々やジェンマは、単に世界の表面の大部分をこの鉱物に覆われていなかったのに違いないとわかったほうが。安定石の砂は燃える燃料を消せる。安定石はズーグマの〈大発火〉の拡大を防いだ。安定石は炎に屈せずに〈孤絶〉の打ち上げに耐えた。しかし、いま──。

「空気のせいで違いが生じます」マルジアがうれしそうにつぶやいた。同じような実験が故郷でも試みられていたが、熱の一部を運び去る空気がつねに存在するので、安定石は決して引火点に達しなかったのだ。

 すでに燃えている炎を同じ効果で消せるかどうかは、まもなくわかる。点火トリガーから梁に沿って数歩離ストライド のところに、圧縮空気のタンクが四つ、その中身を炎に放出する準備をした時計仕掛けに取りつけられていた。放出が起きたときは、見逃しようがなかった。空気が梁を勢いよく流れると同時に、装置全体が横むきに加速し、ヤルダはその装置を視野におさめておくために望遠鏡をまわしはじめなければならなかった。いったんぴったりと追跡して映像を安定させると、人工の風が梁の周囲に広がる白熱したかさハロー を歪めているのが見てとれた──しかし、安定石そのものは暗くならなかった。火は自給自足で燃えつづけた。崩壊する鉱物の微片それぞれが創りだす光は、隣人を同じ運命に遭わせるだけの熱を伴っているのだ。周囲のガスがなにを運び去っているにしろ、それを埋めあわすために割けるだけの熱を。

 ヤルダはうろたえた。しかし、装置にはもう一段あり、テストする仕掛けがもうひとつある。最初の四つのタンクがから になった一、二停隔ポーズ 後、二組目のタンクがひらいた。しかし、今回の空気は──はるかに流れが穏やかだったが──粉末にした硬石で半ばふさがれたパイプを通るようにしてあった。これは究極の消火用砂だった。万物のうちでもっとも不活性な鉱物であり、熱を自らに引きこみ、エネルギーの段階的連続カスケード を中断させようとするのだ。

 硬石の砂は放射状に注がれ、四つの対称的な流れがまっすぐ梁にむけられて、ロケットの効果を無効にし、重力がない状態で、砂ができるだけ多くたまるようにした。それは最良の場合を想定したシナリオのためのモデルだった。混乱させる回転のない状態で山腹を消火することに等しい。

 放出のタイミングは、早いほうがいいという根拠で選んだ当て推量であり、この実験の対象である梁の部分は、その時点で火が点いていなかった。砂の中には漂い去っているものもあったが、それを埋めあわせてもお釣りが来るほど追加されていた。蚕食する炎の光に照らされて、大きくなる砂山がヤルダには見てとれた。

 火が砂山に当たったとたん、視界がまっ黒になった。フィルターが働いて、星々さえ見えなくなったのだ。ヤルダは自分を抑えた。砂の下でまだなにが起きていても不思議ではない。しかし、これがうまくいけば、あといちどの実験で足りるだろう、とヤルダは思った。もし回転する装置で同じことを試し、遠心力が消火効果を台無しにするとわかれば、発育不全の小麦というささやかな代償を支払って、自分たちの身を守れるようにするまでだ。

 光がちらついて明るくなり、装置のなれの果てを照らしだした。火は梁を飲みつくしつづけていた。隠れていたにすぎなかったのだ。救うべき〝消火効果〟などない。

 ヤルダはマルジアのほうをむき、「次はなに?」と力なく尋ねた。

「いくつかのパラメーターを変えられます」マルジアがいった。「流出の速度か、硬石の粉末の量を調節できます」

「これがもう、あなたに考えつけるベストの構成だと思った」

「そうでした」とマルジア。「でも、わたしの推測は絶対確実ではありません。いくつかの小さな変化で、まだ改善できるかもしれません」

「違いが生じるほどの?」ヤルダは答えを迫った。

「ありえないことではありません」

 ヤルダはいった。「それなら試す価値があるわ」

 解決法があるに違いない。あとにしてきた生活と同じくらい危険に満ちた生活が搭乗者たちを待っている、などということは受けいれられない。地表で走る閃光は、これまでのところじゅうぶんに無害だった──しかし、第二のジェンマ誕生の瞬間を、ここで起こすわけにはいかない。最悪の事態が起こりうるという証拠が得られるときはすなわち、〈孤絶〉そのものが炎上するときだ。

 マルジアがいった。「わたしがズーグマで化学を学んだのは知っていますね?」

「もちろん。確かいちど会ったわね、わたしがコーネリオを訪ねたあとに」

「わたしたちは、つねにナイフをかたわらにおいて研究をしていました」とマルジア。「研究中はできるだけ体を保護していましたが……不測の事態が起きると、手遅れにならないうちに効果的な消火器が見つかるとは、かならずしも望めませんでした」

 ヤルダはぞっとした。「それがわたしたちにできる最善のことだと思うの? 手足を切断する覚悟を決めることが ?」

「わたしは自分の手を二度切り落とさなければなりませんでした」マルジアが答えた。「そうするか、なにもかもを失うかでした」

「あなたの決意は立派だと思う」とヤルダ。「でも、手は作りなおせる。肉は補充できる。捨てた岩石は永久になくなるのよ」

 マルジアはしばらく考え、「わたしたちの〝空っぽの回廊〟は、望んだほど通常物質が空っぽではないと判明しました」といった。「直交する物質も同じように見すごしているということはありえますか?」

「ありえるわ」直交星群団クラスター は、一ダース青光年以上も離れているが、疾走星そのものの塵や小石が四方を取り巻いているし、もっと大きな光らない小天体があっても不思議ではない。

「数世代ジエネレーシヨン にわたって山がなくなるまで削りとっていく、ということを考えると不安にはなりますが」とマルジア。「でももし、火にやられた部分を時おり宇宙空間へ投げこむことしか、身を守る方法がないとしたら……もしかしたら、失っているものが、じつはかけがえのないものではないという可能性に気が休まるかもしれません」

 ヤルダはいった。「わたしは、気が休まる、という言葉で満足したくはないわ」

 マルジアは食いさがった。「別の岩石天体を採鉱しようとして宇宙空間を渡るというアイデアは、いまのわたしたちをひるませるかもしれません。でも、わたしたちの子孫になにができるか、だれにもわかりませんよ」

「子孫にあとどれほどの重荷を負わせようというの?」ヤルダは弱々しく尋ねた。「どれだけになっているかわからない残りの燃料で帰る方法を考えだすように期待するだけでも、ひどいものよ。今度は、火事のダメージが山を人の住めない核にまで縮める前に、応急手当てがまにあうよう宇宙空間の鉱山 を見つけることになるわけね」

「どんな選択肢があるんです?」マルジアが答えた。装置の消えかけた残り火のほうを身振りで示し、「喜んでもっと実験をしますが、ツキが変わるとは思えません。解決策がなんであれ、あとから来る人々がそれを見つける役割を果たす、と信頼するしかないんです。もしすべての答えを自分たちで出せるなら、そもそもこの旅に出る必要はなかったでしょう」


 一日三回、火災監視員は勤務交替のために縄梯子を下りてきた。監視員たちが報告する衝突閃光の数は上下したが、ヤルダが予想したランダムな衝突数を上まわることはなかった。

 もしその塵が既知の縁のある、輪郭のはっきりした障害物のような物でできているのなら、それを迂回する針路を計画できただろうし、少なくとも計算をして、燃料を使う価値があるかどうかを判断できただろう。しかし、速度のせいで行く手にあるすべての通常物質が見えなくなる前には、そんな問題が存在するとは少しも考えていなかった。そしていまとなっては、問題を回避するための操縦方法は、ランダムな迂回をひとつずつ試して、それで事態がよくなるか悪くなるか確かめる以外にないも同然だ。燃やせる太陽石はそんなにたくさんありはしない。

 マルジアの追加実験は無駄に終わった。燃える安定石がそもそも消せるとしても、消しかたの発見は相変わらずの彼方にあった。

 ヤルダはもっとも経験豊富な建設技師のパラディアを探しあて、山の一部を放棄する 可能性を検討してもらうよう頼んだ。その問題を二日にわたって熟慮した末、パラディアはヤルダのオフィスに戻ってきて、予備的なアイデアをスケッチしてみせた。

「いちばん単純なふたつの選択肢は」とパラディア。「犠牲にする外装板のような物を設置すること──火が点いたら、かんたんに外せる消耗品のタイルで地表を覆うこと──あるいは外部はそのままで、必要なら山の外壁を丸ごと吹き飛ばす準備をすることでしょう」

「外壁を丸ごと吹き飛ばす?」ヤルダはもはやなにも考慮の対象外にしない覚悟ができていた。「そして気圧が失われて、だれもが冷却袋に入って修理をしようとしながら、二年をすごすことになるの?」

「まさか」パラディアは面白そうに答えた。「外の区域を個別のセクションに分けます。与圧ドアをすべての連絡通路に設置して、それぞれのセクションに爆薬を前もって仕掛けておきます。いったん監視員が火事の正確な場所を特定したら、あとは決められている手順に従う──爆薬の時限装置を始動させ、全員を避難させ、そのセクションを封鎖し……それから火事もろとも壁を宇宙空間に吹き飛ばす」

「最初の選択肢について教えて」ヤルダはこうつけ加えたくなる気持ちを抑えた。正気のほうを 。「タイル、外装板」

「それには問題がふたつあります」とパラディア。「地表に効果的な外装板を被せられるほどの量の材料を内部から採掘したら、構造的な問題が起きはしないか? 遠心力から生じる重圧の下でも、あらゆる室の安全性が保証されなければなりません。旅の最後にメイン・エンジンを再使用するときのことはいうまでもなく。しかし、たとえ原料が足りても、次の問題は、われわれの幸運が尽きて地表に火が点く前に、外部全体を覆う時間があるかどうかです。それはどんな条件下でも大変な仕事になるでしょう──しかし、山が回転していれば、これまで試みられたうちでもっとも困難な事業になるでしょう」

「回転の開始は遅らせられるわ、その価値があるのなら」ヤルダはしぶしぶいった。この盾がじっさいに身を守ってくれるなら、それが完成するまでは、人々は発育不全の小麦で食いつないでいけるだろう。

 パラディアがいった。「信頼できる数字を得られるようにしましょう」

 ふたりは十日にわたりいっしょに作業をした。マルジアの実験のおかげで、安定石の燃える速さはわかっていたし、地表の微片衝突場所をひとつでも見つけられた人はまだいないものの、無限の速度でぶつかったときにさまざまな質量の塵粒子が外装板に食いこむ深さは、ヤルダが見積もることができた。パラディアは建設中に山全体を調査したことがあり、直にその組成の詳細な記録を集めていたし、さまざまな室が打ち上げのストレスにどう耐えたかを自分の目で見ていた。

 数字は思わしいものではなかった。役に立つ保護層で山を覆うと、回転だけで分解がはじまりかねないところまで内部はがらんどうになって弱体化する。しかし、回転をあきらめても救いにはならない。減速のために次にエンジンに点火したとき、〈孤絶〉は瓦礫となるだろう。

「計画を立ててちょうだい……もうひとつの選択肢のための」ヤルダはいった。

 パラディアはパニックに近い表情で、まじまじとヤルダを見た。

「なにも急いでくれといっているわけじゃないわ」ヤルダは安心させるようにいった。「これをきちんとやるためには、必要なだけ時間をかけるべきよ。でも、構造的な考慮だけを根拠にすべての選択をして。それ以外の実現可能性は切り離して扱う──機器のいくつかをもっと安全な場所へ移さなければならないのなら、あるいは設備のいくつかを複製しなければならないのなら、そうするわ」

 パラディアはそれでも浮かない顔だった。「この件に関してフリドといつ話をするんですか?」

 ヤルダはいった。「わたしがあなたに話をしているのは、あなたならこの仕事ができると知っているからよ。必要なだけ助手をつけてあげる──だれでもいいから、好きな人を選んで。回転用エンジンが仕上がるまで、手が くのを待たなければならない人もいるかもしれないけれど、いったん仕上がったら、これが最優先課題になるわ」

 パラディアは慎重に答えた。「この責任をあたえられて光栄です──でも、お言葉ですが、フリドとバビラを仲間に引きこむべきだと思います。助手 は指示に従い、わたしの計算をチェックできます。でも、わたしがまちがった道を進んだとしても、自信を持ってわたしと議論はできません。これは重要すぎて、ひとりにまかせるわけにはいかないんです」

 ヤルダはその言葉に一理あると認めるしかなかった。「なぜフリドとバビラなの?」

「そのふたりが、わたしたちの中でもっとも経験豊富な技師だからです」とパラディア。「ほかのだれに相談しろというんです?」

 パラディアは恐れているのだ、とヤルダは悟った。計画がうまくいかず、〈孤絶〉が大破して空気がなくなったら、計画立案者の責任が問われるだろう。ヤルダが非難の矢面に立つとはいえ、この件でヤルダの側近だった者も糾弾を免れない。だが、ほかにひとつしかない独立した党派の最有力メンバーが、プロジェクトに同じように関わるなら、パラディアは余波から多少は守られることになる。

 それが、そんなに不合理なことだろうか? 方針の違いがあろうとも、フリドとバビラがその計画を熱心に精査することをヤルダは疑わなかった。意見の相違がなんであれ、ヤルダの評判を落とすためだけに、〈孤絶〉そのものを危険にさらしはしないだろう。

「わかったわ」ヤルダはいった。「フリドと話しましょう」

 フリドは彼のオフィスにいた。彼は問題の要約と、ふたりの計算の結果に辛抱強く耳を傾けた。

「もちろん、喜んで手を貸します」フリドはいった。「しかし、先へ進む前に、この件を乗員集会にかけるべきだと思う──回転用エンジンのときとまったく同じように」

 ヤルダは訊いた。「どうして? 建設作業員はこれを処理できるわ。だれも通常業務から離れさせなくていい」

「確かに」フリドは同意した。「しかし、それでも全員に影響をあたえるでしょう。山じゅうに爆薬を仕掛けることは、軽々しく扱っていいような変化ではない」

 ヤルダはパラディアにちらっと目をやったが、彼女は無言のままだった。「軽々しく この結論に達したわけでないことは、はっきりしているはずよ」ヤルダはいった。「計画に賛成するの、しないの?」

「もちろん賛成します」フリドは落ちついて答えた。「そしてそれが安全に、成功裏に実行されるのを見るために、できることはなんでもしたいですね。問題は、どうしたら乗員たちを味方につけられるかだ。〈孤絶〉を外部の脅威から守るにあたって、内部の敵から命を狙われる危険が増さないと人々を納得させられますか──つまり、破壊工作者の危険から?」


 回転用エンジンが点火する前に、準備の具合を確かめるため、ヤルダは山頂から下りてきた。畑では、古い洞窟の床から育つ最後の作物が収穫されていた。薬草園では、作業員たちが植物やネットを被せた土を、まもなく水平になる壁に移しかえていた。土埃と有機物の破片からなる靄が、こうした室に充満し、通廊や階段吹き抜けへ漏れだして、苔の光を暗くしたり、表面という表面を黒い埃でべったりと覆ったりしていた。

 ラヴィニオをはじめとする農学者たちと相談した末に、森は手つかずのまま残しておくと決めていた。遠心力に影響されないほど山の軸に近いし、生長しきった木々からなる複雑怪奇な迷路全体を移す──さらには樹精をつかまえて移動させる──のに必要な労力は、そこに含まれるすべての動植物が重力なしでうまくやっているときには、どれほどの利益があろうと引きあわないと思えたからだ。

 外側の階段吹き抜けに刻まれた螺旋状の溝には板が被せられて、トンネルの床になる部分の隙間を橋渡ししていた。壁がすでに通行できるので、環状の通廊はそのままにしておけたが、乗員たちは放射状の支トンネルに縄梯子を取りつけるのに大わらわだった。

 文字どおり作りなおさないとしても、工場という工場、作業場という作業場、オフィスというオフィスに再考 が必要だった。しかし、畑から製粉所や厨房まで、人造林から大工の作業場まで、薬草園からホリン貯蔵庫まで、〈孤絶〉の全域を通っていくヤルダと言葉を交わすだれもが、不平をいわずに大変動を受けいれていた。

 いまは人々を仕事から引き離して、パラディアの計画というニュースに直面させるときではない。それにフリドが自分でそうするほど愚かだとも思えない。作物を救うという共通の大義で結ばれて、人々がこのように忙しくしているうちは、ほかのなにかに耳を貸す物好きはいないだろう。

(でも、この仕事が終わったときは?)フリドは耳打ちに次ぐ耳打ちでヤルダの評判を落とし、新しいプロジェクトに関する自分のメッセージを広めて、なぜヤルダが自分で説明しなかったのだろうと疑問に思わせることができる。これをどう扱うにしろ、対決を長く遅らせることはできないだろう。


 ヤルダは花火のはじまりを観測所で待っていた。いっしょに見ようと以前の作業チームを誘ったが、だれもが応じたわけではなかった。下方の観測室のほうが、はるかに花火がよく見られるのだ。しかし、ヤルダには別の思惑があった。大型望遠鏡を地平線のすぐ上の一点に固定しておいたので、仲間たちはいちど覗けば、目にしたものを記憶に刻むことができた。チームが山腹にうがつのを手伝ったトンネルからあふれ出る炎は、さぞかし見ものだろう。だが、エンジンの効力をじっさいに証明するものは、まず望遠鏡を通した視野のわずかなズレとしてあらわれるのだ。

 ファティマが握っていたロープを放し、空中で体を丸めた。「この場所であなたは回転物理学を発見したんでしょう?」

「そのはずよ」ヤルダは答えた。「でも、じつをいうと、なにひとつ見覚えがないの。地面、建物……なにもかもが変わってしまった」望遠鏡そのものさえ作りなおされていた。ここにあった望遠鏡のレンズが、新しいフレームに塡めこまれている。

「だれかがここに碑を立てるべきです」とファティマがいった。「それを記念するために」

「わたしが死ぬまで待ってもばち は当たらないわ」

 ヤルダは望遠鏡と並んでいる時計に視線を走らせた。点火まであと三分隔ラプス 。オーシリアと彼女の双が、ドームの端にある清掃人用把手のいちばん下にしがみつき、期待の表情で山を見おろしていた。プロスペラと友人たちは入口の近くに浮かび、透明石の板からどんどん複雑なかたちで斜めに跳ね返ろうとして競いあっている。空中でにっちもさっちもいかなくなることはまずないし、ドームが壊れる心配もない。だが、だれかが望遠鏡に衝突したら、ヤルダは腹が立つだろう。

「昨日ニノに会いました」ファティマがいった。

「どうだった?」答えを聞かなくてすめばいいのにと思いながら、ヤルダは尋ねた。

「あまり元気ではありませんでした」

「本を持っていったの?」

「あの人はもう読んでいません」とファティマ。「集中力をなくしたそうです。文字を見ると目まいが起きるだけだ、と」

 ヤルダはいった。「残念だわ。でも、あなたなら彼を元気づけられたはず」

 ファティマの表情が強ばった。「いつ出られるかがわかれば、あの人も楽になるかもしれません。日時を決められれば──」

「日時を決めるですって? かんたんなことだと思う?」

「あなたはリーダーなんでしょう?」ファティマがぶっきらぼうに答えた。「しかも、みんな、ますますあなたを尊敬しています、回転用エンジンの建造をあなたが決めてからは。あなたは作物を救い、あたしたちみんなを飢えから救おうとしている! そのあとで、人々があなたをお払い箱にすると本気で思うんですか?」

「わたしがほかになにをするかによるわ」とヤルダ。

 ファティマは支持ロープから狼狽するほど遠く離れて漂っていた。まにあううちに手を伸ばして体を引き戻す。

「あなたにとってつらすぎるようになっているのなら、ほかのだれかを訪問に付き添わせましょうか」ヤルダは提案した。

 ファティマはヤルダに正面からむきあって、「どういう風か、ありのままに話します」といった。「あたしは二ステイント ごとにあの人に会いにいきます。パンを持っていき、ゴシップを教えて、ジョークを飛ばそうとします。でも、それだけ、それしかできません。まわれ右して立ち去るとき、あの人にとってなにも変わっていません。あの人はあたしの友だちです。決して見捨てません……でも、だれかが拷問にかけられているあいだ、手を握っているようなものです」

 ヤルダの皮膚が粟立った。「ごめんなさい」

「謝るのはやめて」ファティマが怒りのにじむ声でいった。「とにかく、あの人のためになにかしてください」

 オーシリオがはしゃぎ声をあげ、プロスペラのグループがドームの端へ殺到して、エンジンから出る炎を目におさめようとした。ヤルダはファティマに身振りで合図し、「見にいきましょう。望遠鏡を通してなにかがあらわれるまで、しばらくかかるから」

 ふたりはロープ伝いに最寄りの窓まで行った。山腹を見おろすと、星明かりを浴びた岩石から横むきにあらわれ出ている青白い炎の淡い円筒が三つ見えた。ヤルダは不測の事態が起きるのを不安な思いで待った。エンジンの一台が地面から千切れ、くるくるまわりながら宇宙空間へ飛んでいき、その途中で山に火を振りまくところが目に浮かぶ。だが、青白い炎は微動だにせず、エンジンの振動もほとんど感じられなかった。

 有頂天になってもいいはずだった。小麦のことを知らずにいたら、全員が死を迎えていたかもしれない。だが、いまや次の作物の成功は保証されたようなものだ。ニノに聞かされた、〈孤絶〉の人々の運命に関するアシリオの冷笑的な予言を思いだした。そして土を食うそして殺してくれと泣いて頼む 。そうなりかけたという事実は、〈孤絶〉が次にズーグマ上空で煌々と輝くとき、アシリオがどういう顔をするか想像する喜びを限りなく大きくしただけだった。

 しかし、自分はニノのためになにができるだろう? 乗員たちの前に立ち、これから彼は自由に歩きまわることを許されると宣言するのか──人々を宇宙空間から隔てている壁という壁に爆薬を仕掛けたい、と知らせた直後に。あるいは、パラディアの計画には新しいリーダーが必要だ、そのリーダーは現行犯でつかまった囚人を遅ればせながら処刑することで、乗員たちのあいだに潜んでいる破壊工作者予備軍に正しいメッセージを送るだろう、とフリドが人々に説明するのを、なにもせずに待つのか?

 ヤルダは望遠鏡まで戻り、チームに集まってくれと呼びかけた。望遠鏡の視野の中心に据えておいた星の尾の赤い端が、いまやかろうじてわかるほど、十字線からズレていた。

「望遠鏡がエンジンの振動で揺すられたわけじゃないって、どうしたらわかるんですか?」冗談半分にプロスペラが尋ねる。「山がほんとうにまわったんだって、どうしたらわかるんです?」

 つらく危険な仕事、山腹じゅうからあふれ出す美しい火炎。すべては幻影であっても不思議のない変化を付加するためだった。

 ヤルダはいった。「どうしたらわかるかって? 辛抱して、しばらく待って、それからもういちど見るのよ」


 回転開始から二日目、監視所──賢明にも、回転開始当初は無人にされていた──のひとつが、それを地上につなぎ留めていたロープから引きちぎられ、宇宙空間に失われた。ヤルダが監視の責任者に任命したイシドラは、監視員が再度配置される前にほかの三つの監視所を引き戻し、ロープを強化してテストした。

 エンジンが停止するまで、それ以外に深刻な損傷の報告はなかった。文教地区では些細ながら不愉快な事態が次々と持ちあがった──その大部分は、ここでは遠心力が、無視するには強すぎるものの、従来の方法で物をその場にとどめておくほどの摩擦を生みだすには弱すぎることを、理解できるかどうかに関わっていた。古い様式の重力のもとでなら、置かれた場所から動かないはずの機器や家具は、いまではふつうに使うときに押したり引いたりしても移動しないようにするために、無重力だったときと同じくらいしっかりと固定しなおす必要があった。

 ヤルダは、自分自身のオフィスや個室で獲得したわずかな重量が大いに気に入った。移動にはいまも古いロープのシステムを使えたが、周囲の壁やロープや把手のどれにも手が届かなくなったときでも、もはやパニックを起こしてじたばたすることはなくなった。そういうとき、床に変わった壁にむかってゆっくりとではあるが降下しているヤルダの体は、にっちもさっちもいかなくなることはないのを受けいれていた。

 光学作業場がふたたび機能するようになるのを手伝ったあと──サビノは軸そのものに位置する完璧に無重力の彼専用の部屋へ移った──ヤルダは畑へむかった。中央階段を舞いおりていくあいだは、まるでなにも変わっていないようだったが、放射状出口で縄梯子をつかんだときは、素直に下の手を作りかえて、足から先に下りた。

 トンネルは最寄りの室の最上部に通じていた。内部の平たい円盤は、いまや横倒しになっていた。縄梯子はそのまま露出岩石のひとつへ延びており、ヤルダが険しい壁と壁とのあいだを移動していくにつれ、苔の光を浴びていてさえ、その場所を地下の洞窟として考えるのはもうむずかしいのがわかってきた。夜中に秘密の谷へ下りていくほうに似ていた。

 ここの重力はいまも弱かったが、土埃が空気から一掃されていた。谷の床は人けがなかったが、ヤルダが鋤き跡と鋤き跡とのあいだに注意深く踏みこんだとき、新しく植えられた種子がすでに苗条を生やしているのが見えた。その光景を見て、安堵の震えがヤルダの全身を走りぬけた。

 見るからに華奢なガードレールが、隣室に通じる放射状トンネルの口を囲んでいた。この出口はいまやまったく実用的には見えなかった。「ああ、エウセビオ」ヤルダは小声でいった。「あなたの美しい設計のなにもかもが横むきになってしまった」レールとレールとのあいだをするすると移動し、縄梯子にたどり着く。それは、かつての通廊の床をたどっていた。梯子の側面を握り、その構造物が自分のほうに揺れたとたん、落ちれば怪我をするという休眠していた古い感覚が、突如としてふたたび目をさました。

 二番目の畑は、最初の畑よりもあとに種蒔きがされていた。苗条は見えなかったが、ヤルダは埋めてある種子を見つけ、発芽しているのを確かめた。問題があれば、ラヴィニオが教えてくれていただろう──けれど、次の収穫を約束するものに自分の手で触れれば、安心できたし、心強くなった。

 山の表面にいちばん近い三番目の畑では、農民たちがまだ働いていた。半ダースの炎石のランプが、室の最上部にある入口から畑の一角まで延びる滑車綱に並べられていた。下りていく途中、露出岩石に斜めに落ちる自分の巨大な影をヤルダは見た。

 地面に達すると、農民のひとりのエルミニアが近づいてきて、ヤルダに挨拶した。

「ここでのみなさんの作業に感謝します」ヤルダはいった。「種蒔きが終わるまで、どれくらいかかるの?」

「あと一日。でも、そのあとまた次の畑が……」エルミニアは山頂の方向を身振りで示した。〝上〟にふたつの異なる意味があるいま、それをどう呼んだらいいのか、よくわからないのだ。「そこで二日。それで作物の種蒔きは完了です」

「機会がありしだい、そのふたつの室をつなげるわ」ヤルダは約束した。

「ほんとうに?」エルミニアの声は、気乗り薄に聞こえた。

 ヤルダはとまどった。「ここに大きな畑をひとつ作ったほうが、作業はかんたんになるんじゃないの?」作物のためにはさらに空間が必要で、それは邪魔になる岩石をくり抜いて作ることになるが、とにかく広い土地ひとつだけで作業するほうが好都合だろうと思えたのだ。

「あなたはここに爆発物を仕掛けようとしている、と聞きました」エルミニアがいった。「ここより下で起きる火事を吹き飛ばすために。もしそういうことになるのなら、失う作物はできるだけ少なくしたいんです」

 鋭い指摘だったが、ヤルダは返事をしなかった。ただの雑談の中で計画を認めたくなかったのだ。個々のセクションの境界をどこに引くかに関する賛成反対の議論を引き起こすのは、もっと願い下げだった。

 けれど、噂はすでに広まりつつあった。対処を遅らせれば遅らせるほど、ヤルダの立場は弱くなるだろう。

 ヤルダはいった。「あなたの友だちと同僚たちにニュースを広めてもらえないかしら。いまから五日後の第三 に、山頂で集会があると」

「なんについての集会です?」エルミニアが尋ねた。

 いい質問ね、とヤルダは思った。(あなたの小麦畑が足もとで爆破されるかもしれなくても、なぜすっかり安心していていいのか、についてよ)

「作物は片がついたから」ヤルダはいった。「今度は、ジェンマの二の舞になるのを避けるためにどうするかの話が必要なの」


 ヤルダは集会所の外で待機し、入っていく人々を数えながら、ふたつのスピーチを頭の中でおさらいした。

 片方のスピーチは、乗員たちが山腹でともに働いてすごした時間に関するものだった。わたしたちは自らの命をおたがいの手にゆだね、〈孤絶〉の運命を万人の手にゆだねました。わたし自身が事故で命を落とすところでしたが、救出されました。でも、みなさん全員が、友人たちの勇気や創意工夫にまつわる自分なりの話を持っています。なのにそのあとで、なぜ自分たちの安全を守りつづけるには恐怖のルールが必要だ、と考えるのでしょう? お腹をすかせた子どもたちをかかえた、ひとりの意志の弱い農民が、ひとつの危険な行為をおかすように説得されました。しかし、ニノは悔い改めていますし、罰を受けています。そして、ふたたびだれかを傷つけようとする理由がありません。彼自身の犯罪のためであれ、〈孤絶〉の未来のためであれ、彼は死ぬ必要はないのです。彼を生かしておくことは、弱者のおこないではありません。万人が信頼しあうことの表明になるでしょう。

 ひとつ目のスピーチがうまくいかなった場合に備えて用意したもうひとつのスピーチは、仕掛けた爆薬に勝手に近づけないように制限し、なおかつ火事への対応が遅れて役に立たずに終わる心配のないような、設備と手続きに関するものだった。さらにヤルダは、もしどちらのスピーチもうまくいかずにやけっぱちになったときには、予定外の壁の破壊をする場合に、山の外側にいる人たちを救助するための緊急時対応策をどうするかについて、一席ぶつつもりになっていた。

 パラディアが会場から出てきて、「だれを待っているんです?」とヤルダに訊いた。

 ヤルダはリストをあらためて、「イシドラと、あと三人。四人とも、さっきまでの監視のシフトに就いていたんだと思う」そのシフトの本来の終了時刻は集会開始の時刻と同じだったが、たとえ集会のことを忘れていてシフトの最後まで監視をしていたのだとしても、イシドラたちの到着はヤルダの予想よりも遅れていた。「四鳴隔チヤイム がすぎるまで待って、そのときはこの人たち抜きでもはじめるわ」

「まさか、だれかが……?」パラディアが不安げに尋ねる。

「ロープを切ったってこと?」ヤルダはほかのことで頭がいっぱいで、そのようなことは考えさえしなかった。しかし、そう考えたとたん、痛いような恐怖が心に走った。「もしそんなことが起きたなら、いまごろはもう、ほかの人たちが警報を発しているはずよ」監視所は、新たに強化された設計ですでに一シフトを無事に終えていたが、いずれにしろ手順はきちんと決まっていた。もしだれかが宇宙空間を漂流するハメになったら、ほかの監視員は自ら同僚を連れもどそうとしてはならない ──即座に山へ戻って警報を発するべし。

「会場の雰囲気はどう?」ヤルダは尋ねた。到着した全員に挨拶したが、だれもが同じようにていねいな態度でヤルダに接した。バビラとデルフィナさえ回転開始の成功を祝う言葉をかけてきたときには、だれの言葉もふるまいも、真意を明かしているとは信用できなくなった。

「自分の目で見るべきですね」パラディアがいった。

 ヤルダはロープ伝いに入口まで行った。会場には人々がのびのびと手足を広げられるだけの余地がたっぷりとあり、まさにそうしている人も多かったが、乗員の約三分の一が最前列のほうにかたまっており、弱い重力に対して体を固定する支持ロープにしがみついて、興奮気味に体を揺すりあい、ブンブン音を立てたり歓声をあげたりしていた。

 この一団の中心にフリドがいて、見識を披露していた。フリドの言葉は聞こえなかったが、熱狂的な反応は耳を聾するほどだった。外の通廊でもこの騒音はずっと聞こえていたのだが、騒々しい友人たちのグループが、自分たちのなし遂げたことを喜んでいるのだとヤルダは思っていて、ひとりの男が群衆を魅了しているとは想像もしなかったのだ。

 自分にだれがだませるというのだろう? 自分は政治家でも雄弁家でもない。信頼の上に未来を築く ことにまつわる自分の言葉に耳を傾ける人などいないだろう。もしフリドを打ち負かしたければ、とっくの昔に彼に背くよう人々をそそのかしはじめるべきだった──フリドは出奔者だった自分の娘を無理やり双のもとへ戻らせたのだという話をでっちあげるとかして。そうでなければ、英雄譚サーガ から採ったニノの忠告を容れて、あっさりと殺しておくべきだった。

 ヤルダはパラディアのもとへ戻った。「あなたが彼のところへ行って、わたしからの取り引きを持ちかけたら、耳を貸すと思う?」

「どういう取り引きですか?」

 ヤルダはいった。「ニノを生かすと約束すれば、わたしは退いて、彼にまったく反対しない。仮定上の未来の破壊工作者を、八分裂的ぞうごん で好きなように脅してかまわない──わたしが任期のうちに下した決定を尊重して、ニノを生かしてくれさえすれば」

「彼が断ったらどうします?」パラディアが尋ねた。「あなたは自分の立場を弱くするだけになりますよ」

 会場で歓声がまた湧きあがるのが聞こえた。「ほかになにができるの? 彼に訊いてみて。頼むから」

 パラディアはしぶしぶとロープを伝って入口のほうへ戻っていった。

「ヤルダ! いいニュースです!」

 ヤルダは声のしたほうをむいた。大声で呼びかけてきたのはイシドラだった。彼女とほかの三名の監視員が遠くから近づいてくる。

 パラディアがためらった。「そうすると、みんな無事だったんですね?」

「ええ、みんなそろっているわ」とヤルダ。

「それがいいニュースなんですか?」パラディアはとまどっていた。「もちろん、いいことだけど……」

 それ以外の可能性は考えられない、とヤルダは返事をしかけたが、イシドラの声の響きが気になって、思いとどまった。

 パラディアはまた入口へむかおうとした。ヤルダは「待って」といい、むきを変えて、通廊の奥にいるイシドラに声をかけた。「いいニュースというのは?」

 イシドラが言葉を発する前に、その顔に浮かぶ歓喜に満ちた困惑の表情を見て、ヤルダの皮膚がチリチリしはじめた。

「衝突なし!」イシドラが叫びかえした。「二シフト、まったく衝突なーーーーし!」

 監視員たちが近づいてきて、ちゃんと話ができるようになるまで、ヤルダは無言で待った。

シフトも?」とイシドラに尋ねる。

「最初のシフトのあと、話そうとしたんです」イシドラが説明した。「でも、あなたはとても忙しかったし、新しい状況で観測員が混乱しただけかもしれないと思って。わたしたちは監視所を作りなおしたから……すじが通らないのはわかっています。それではゼロという結果を説明できないのは。でも、確かめなけりゃなりませんでした。その件で大騒ぎする前に、自分で確かめなけりゃならなかったんです」

 パラディアがいった。「回転開始から衝突がないの? まちがいないのね?」

 ほかの監視員のひとりだったプロスペラが、「四 のあいだ暗い岩を見つめて、閃光の幻覚を見はじめなかったんだから奇跡ですよ。ゼロはゼロです」と答えた。

 パラディアはヤルダにむき直り、「どうしてでしょう? 塵から抜けだしただけだと思いますか?」

「そういう偶然の一致を信じるの?」ヤルダは答えた。

「ほかにどうしたら説明がつくんです?」パラディアがいい返す。

 ヤルダはイシドラと目配せを交わし、彼女に話をさせた。「回転の開始で」イシドラが答えた。「それまで閃光を生じさせていたものがなんであったにしろ、地表にぶつかっていたものがなんであったにしろ、岩石を熱するよりも早く、遠心力で投げ飛ばされるようになったに違いないわ」

 パラディアが信じられないといいたげに、「無限の速度 を持つ塵粒子にとって、そんな力はなんでもない。そんな話はまるっきり的外れよ!」哀願するようにヤルダに話しかける。「同意してくれますよね? それとも、みんな頭がおかしくなったの?」

 イシドラがヤルダにうなずいた。あなたが説明する番です

 ヤルダはいった。「あなたに完全に同意するわ、パラディア──つまり、閃光はそれほど速く動くものが生じさせたのではありえない、という点は。閃光は、直交する塵から来ているに違いない……ここでいっているのは、いまじゃなくて、打ち上げの前にわたしたちと直交していた塵よ」

 パラディアは目をしばたたいた。「疾走星ですか? もともとの 疾走星ですか?」

「そう考えないかぎりすじが通らないでしょ?」ヤルダは答えた。「閃光を生じさせていたものがなんであれ、それは〈孤絶〉に対しては非常にゆっくりと動いているから、回転でじゅうぶん振り払えるに違いない。そういえば、わたしたちは最初から、〈孤絶〉の軌道が疾走星を手なずけると思っていたわ」

 パラディアは顔をしかめた。「でも、疾走星を手なずけたというなら、閃光の原因はなんです? それほどゆっくりとぶつかる物が、どうしたら岩を白熱させられるんです?」

「見当もつかないわ」ヤルダは白状した。「でも、岩を熱しているのが運動エネルギーではないとしたら、考えられるのはなんらかの化学的プロセスだけ──その場合、なんらかのかたちで岩と反応するには、塵はじゅうぶん長く岩の上にとどまらなければならないに違いない。いまは山腹に残骸がとどまれないから……もう閃光はないわけよ」

 パラディアはいまや腹を立てていた。「まさか、こういいたいんじゃないでしょうね。疾走星が……安定石用の解放剤 でできている、と? ここの宇宙空間を満たしている、直交する世界由来の塵は、じつは岩石ではなくて、故郷の星では燃料を燃えさせる特殊な目的で植物から抽出されている精製物だ、と」

 ヤルダはいった。「最後のちょっと辛辣なところはいただけないけれど、なにがぶつかっていたにしろ、それは安定石用の解放剤としてふるまったに違いないわ。どうやってかは訊かないで──でも、それを信じないなら、ほかにどうすれば閃光が突如としてやんだことを説明できるか、教えてちょうだい」

 パラディアは無言でヤルダをにらみ返していたが、やがてこういった。「さっぱりわかりません。でも、あなたのいうとおり、偶然のはずがありません。回転がわたしたちを守っているんです。だから、なにがぶつかっていたにしろ、高速の物質ではありません

「つまり、閃光を生じさせていた物より何ダース倍も大きい破片であっても、いまや、山腹を火だるまにできると信じる理由はないわけね」とヤルダは話を誘導した。

「まったくありません」パラディアが同意した。

「それなら、壁を爆破する計画は不要なんじゃない?」

 パラディアはためらった。「完全に。犠牲にしてもいい外装板が軸の付近に何枚か必要なだけです──遠心力の保護を受けない山頂と基部に……」言葉を途切れさせる。安堵のあまり、パラディアは震えていた。

 ヤルダはパラディアの肩に手をかけてから、イシドラにむき直った。「みんなで中へ入って、フリドやその友人たちとこの朗報を分かちあうべきだと思うわ」