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観客が大公会堂から星明かりの広場へあふれ出していくあいだ、ヤルダは浮き浮きした気分を引っぱりつづけていた。マジックショーの全部にうっとりさせられたが、驚愕のフィナーレの裏にあるトリックの見当があっという間についてしまったからといって、この体験の満足感が損なわれることはまったくなかった。むしろ倍増するほうに働いた。
ヤルダはトゥリアのほうをむいた。「隠れている助手の映像が、スモークのカーテンに投影されるところ……光学の講義を持つことがあったら、初回のデモンストレーションにあれをいただきます!」
「あれは悪い出来じゃなかったわね」トゥリアは仕方なさそうに同意した。「休憩時間前の花火はどうにもならない迫力のなさだったけれど、これが新しい安全基準だから。市議会の功績は認めてあげないとね。建物の中でロケットを発射するのは、どう考えたっていいことじゃないから」
「アントニアも来るべきだった」ヤルダはいって、人の隙間を抜けていくために体を横にした。「そうすればきっと気分が引き立ったのに」
「アントニアは気分を引き立たせたくないのよ」トゥリアが言葉を返した。「自発分裂が起きるまで、部屋でじっとふさぎこんでいると決めたんだから」
「アントニアにとってはとてもつらい決断だったでしょうね」自分の一族の期待を考慮から外すのがどんなにむずかしいことかは、ヤルダにもわかっていたが、双とともに成長してきて、それから彼のもとから歩み去るのは、まったく違う話なのだろう。
「あと二日もすれば、アントニアを安全にほかの市へ連れだせる。彼女が同意してくれればだけど」トゥリアはいらだたしげにいった。「でも彼女は、双との交渉に没頭してしまっている──四、五人の仲介者が絡む複雑な駆け引きに。自分の要求を飲ませた上で、双のところに戻れると思っているのよ」
「もしかして、できるかもしれませんよ。交渉を成功させられるかも」
「まさか」
「アントニアが自分の子どもを双に育ててもらいたいと思うのは、そんなにいけないことなんでしょうか?」
「原則としては、全然なにもいけなくはない」トゥリアが答えた。「でも困ったことに、アントニアの双は彼女の願いをまともに受けとらないことが、前例でわかっている。アントニアが望めば、彼女は赤塔市か翡翠市で自由な暮らしを五、六年送ってから、跡継ぎを歓迎してくれて思いやりのある代理双を見つけられるのに」
ヤルダはいった。「そのいいかただと、すごくかんたんなことで、みんながそうしていないのが不思議に聞こえますよ」
あざやかな紫色の光のすじが東の地平線の上の空にあらわれた。不動の中心点から急速に両方向に広がっている。中心自体は暗いままだが、ヤルダがずっと見ていると、そこから出てきた二本のまばゆいすじは紫色から青へ、それから緑色へと、二本のすじのどちらでも新しい色が先にあった色を追うかたちで色を変えていた。それはまるで、鏡の裏に隠れた巨大な星の尾を、だれかが鏡の端から引っぱりだしているかのようだった。だんだんと尾の全体があらわになり、鏡が作りだす完璧な複製は正反対の方向に突進しているように見える。
ヤルダはその場にじっとしていた。トゥリアはすでに停隔 を声に出して数えながら群衆のあいだを抜けて、事象の発生時間を正確に特定できるよう、いちばん近くの時計塔が見えるところへ行こうとしている。もし疾走星を目撃したらどうするか、打ち合わせをしてあったわけではまったくないが、ふたりはいちどの予行演習もなく、見事に役割分担をやってのけていた。ヤルダは場所を動かずに、目にしたあらゆるものの位置を、星々を背景にした光の線の映像との対比で記憶に刻みこんでいた。トゥリアにはそうした細部は把握できないだろうが、まもなく決定的タイミングの情報を手に入れ、それはほかの都市から来る報告との比較の価値を倍増させるだろう。
中心部は二本の赤い尾を吐きだすと、色が消えて黒くなっていった。鏡像のようなひと組のスペクトルの長虫は、いまや全身が生まれ出 でて、ふたつに分かれ、ズーグマの塔群の上空を覆うくすんだ靄の正反対の一角に姿を消していた。ヤルダがこれまでに見たことがあったのは、この壮大な天空ショーの最終パートだけだった。もう何年も前、小麦の収穫のあとで。あのときの中心部は、ヤルダから見て地平線の下にあったに違いない。今 日 までに大学に届いている同様の現象の報告は七件。ヤルダが子どものとき目撃したのは、そのリストの三件目だった。歴史や伝説には流星が山ほど出てくる──そのいくつかには、ありとあらゆる信じがたい話の尾ひれがつく──が、古代の天文学者たちも、英雄譚 の作者たちも、疾走星のようなものを見たことがあるとは、ひと言もいっていなかった。
ヤルダはじっと動かないまま、記憶している疾走星の軌跡と、いちばん近くの明るい星々との角度を慎重に測った。後視線で、若い男が彼女をにらみつけてなにかわめいているのが見えたが、たとえ目的もなく広場をぶらついているときでも、全力でその男のことなどまったく気づいていないふりをしただろう。
「おまえの双はどこだよ?」男がまたわめいた。男のあまりの無粋さにヤルダは呆れるほど驚いた。かつて天空で目撃されたもっとも並外れた出来事──何期 も知られていなかったが、近年ではいちばんツイている人々が一生にいちどか二度目にする──が目の前で繰りひろげられたばかりだというのに、ヤルダの体の大きさや、双がいないのをからかうことしか、この男には思いつけない。
男はしゃがんで、砕けた丸石のかけらを拾うと、それをヤルダにむかって投げつけた。石はヤルダの側頭部に当たった。ヤルダは我慢できずに、男のほうをむいた。
男は勝ち誇ったようにキーキー声でいった。「おまえの双はどこだ って訊いてるんだよ」
ヤルダはしゃがんで、自分に当たった石のかけらを拾いあげた。手に石の重みと尖った角を感じる。石を投げたやつにもその重さと鋭さがわかったはずで、投げるのを思いとどまるのが当然だと実感したヤルダは、石が頭にぶつかったときよりもはるかに大きな怒りが湧いた。めずらしいことに、その男は自分の双を連れているだけでなく、なにかを期待するように浮かれている友人の男たち数人ともいっしょだった。
「あんたの母親 はどこ?」ヤルダは叫びかえして、全力をこめて石の破片を男にむかって投げかえした。
ヤルダが投げつけた言葉に男がショックを受けたのだとすれば、男をその場にひざまずかせたのは、石がぶつかった衝撃だった。狙いをつけたというよりは幸運で、石は男の振動膜を直撃した。男は苦痛に悲鳴をあげたが──それは発声器官の痛みを激化させるだけでしかない──そのあと、苦痛を表現する欲求とそれを減らそうとする意図が歩調を合わせるにつれ、ブーンという震えるうなり声が強まったり弱まったりしはじめた。
男の友人たちには、ぎょっとしている者もいれば、この予想外のひねりが夜の気晴らしに加わる前よりも楽しそうな者もいた。男の双が浮かべているあまりのことにショックを受けたという表情は、貨物列車が幼児を轢き殺すのを目撃したばかりであるかのようだ。ヤルダは不意に激しい恐怖に襲われた。ヤルダがあたえた害のほうが相手のより大きいし、この場を取り巻いていて証人になりうる人々の大半は、いまも地面より空のほうに大きな注意をむけている。後視線でなにかを捉えていたとしても、認識できたのはじっさいの出来事の半分程度だろう。
ヤルダは軽率に報復をしてしまった場から急いで離れて、広場の反対側にいたトゥリアをつかまえた。
「時間は特定できましたか?」ヤルダは尋ねた。
「ええ」事象が展開している最中は冷静沈着だったのに、いまのトゥリアは茫然自失気味な感じだった。トゥリアがこの現象を目にするのは今回が初で、いままで好き勝手に疑ってきたとうてい信じがたい主張のすべてが、申し立てどおりの事実だったと確定されたのだ。
「方位は全部把握しました」ヤルダはいった。「これから観測報告を書きあげて、明日、速達を送りましょう」
「いうまでもないわ」トゥリアは頭にかかった靄を振りはらうように身震いした。「紫色から赤になるまで、うーん、三停隔 半?」
「そのくらいでした」
「では、大気圏のはるか上だけれど、だいぶ近かったことになる。太陽までの距離の何十分の一か」
「一グロス半大旅離 くらい」ヤルダも同意した。
まわりの人々はまだ興奮してブンブンいっていたが、いま自分たちがどんなすごいものを目にしたのか、正しく理解している声はヤルダには聞こえてこなかった。マジックショーを締めくくる優雅な花火大会を見せてもらった、とでも思っていそうな人ばかりだ。
「もっと近かったら、どうなっていたかしら?」トゥリアが問いを発した。「もし地面にぶつかっていたら?」
ヤルダはこれまで、疾走星がこの世界に衝突する可能性を真剣に考えたことはなかった。一世代 でかろうじて半ダースを超える目撃例しかないのに、衝突などとうていありえないとしか思えない。「衝突地点にはいたくないですね」さすがにそれは否定しないが。
トゥリアがいった。「わたしは、同じ惑星の上にもいたくないわ」
いまのところ、疾走星とは、太陽から漂いでて周辺の領域を占めている希薄な気体になにかが 衝突したもの、と考えられている。ふつうの流星が大気中で明るく燃えあがるのと同様、太陽からの希薄な排気でも、じゅうぶんに高速な侵入者を燃えあがらせることはできるのだろう、と。
では、疾走星はどれほどの高速なのか? もし、軌跡全体がまったく同時に光を発したと考えることができるほど、ある物体がとても速く動いているとしたら、その長い直線のうち観測者にいちばん近い部分は、最初はいちばん速い色である紫色に見え、ほかの色相があとに続くだろう。それぞれの色は、観測者から遠ざかる一対の等距離の地点から届くので、反対むきの対称なふたつの軌跡をたどって飛び去るように見える。色の尾に観測可能な非対称があれば、それはすべて、物体自体の速度がもっと遅いことを意味する──軌跡の過去側から来る光は、反対側からの光より先にスタートして差をつけられる──しかし、そんな微妙な効果をじゅうぶんな信頼度で観測して、疾走星がどっちの方向へ移動しているかをはっきりさせられた人さえ、まだいない。
「もし、あなたにわたしの幾何学的時間理論が正しいと証明してもらえたら」ヤルダは請けあった。「とても速い物体は運動エネルギーを大して持っていない、という結論になるので、そこまで衝突の結果を心配しなくていいかも」
「もしあなたの理論を証明したら」トゥリアが切り返す。「物体は運動エネルギーなんかがなくても 、分裂できることになる。宇宙に存在する森羅万象が、いまにも光と熱いガスになりたがっている、ということにね」
「ハッピーエンドにならないからといって、わたしを責めないでください。わたしがエントロピーを発明したんじゃないですから。闇と冷たい塵……明るい光と熱いガス。わたしたちがどちらのかたちで終わりを迎えることになるかが、ほんとうに問題になりますか?」
ふたりは観測結果を紙に残すべく、トゥリアの住居目ざして移動をはじめた。
トゥリアがいった。「気がついているかしら、あなたの理論によれば、疾走星といっしょに旅をする人は、いまわたしたちが見ている光の半分が自分たちにむかって入ってくる ──出ていくのではなくて──と考えていることになるんじゃない?」
ヤルダは胸の上にすばやくスケッチを描いた。