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「もし時間が空間とまったく同一だとしたら」ジョルジョがヤルダに尋ねた。「わたしが歩いて〈大橋〉へ行くことはできるが、歩いても明日には行けないのはなぜだね?」
ヤルダは隣の部屋から聞こえるブンブン、キャッキャいう元気でにぎやかな声に気を散らされた。ヤルダがズーグマを離れているあいだに、ジョルジョの双が出産して、子どもたちは日中はお祖父ちゃんに面倒を見てもらっていたが、ジョルジョは子どもたちと離れているのに耐えられず、大学の自室の隣に子ども部屋を作ってしまった。
ヤルダは質問に意識を集中させた。「先生はすでに、存在しうるいちばん直接的な道すじで、明日へむかって移動している最中です。その最短距離は直線で、じっと立っていれば、その線をたどっていることになります。それに勝る方法はありません」
「その話は意味をなしている」とジョルジョは認めてから、「だが、勝る方法がないのはいいが、劣る方法もないのはなぜだ? のろのろ移動して遅くなっても、予定より遅れて明日に着くことができないのはなぜだ? 〈大橋〉に歩いていくときなら、わたしは確実にそういうこと ができるのに」
「いえ、明日へ行くときもそれはできます」ヤルダは答えた。「もしじっと立っているのをやめて、ズーグマの街なかをうろうろすれば、先生はご自分の移動にいくらかの時間を加えることになります 。でも、先生はとっても速く動くことはできませんから、じっさいには大した遠まわりは実現できません。明日への距離は、ズーグマを横切る距離よりも、とてつもなくずっと大きい。実現可能なかたちでその距離を増やしても、その比率は測定不能なほど小さなものにしかならないのです」
ジョルジョは面白がっていて、仮想反論者の役を演じていることを一瞬忘れているのがわかった。ヤルダは、自分のアイデアが正しいとジョルジョを納得させていないのはわかっていたが、それでもジョルジョは、それは全学の自然科学関係者の前で発表する価値があることだと考えた。物理学者、数学者、化学者、生物学者。だが、かくも多くの同僚たち相手に話をする前に、ヤルダが当然出てくる反論の集中砲火から確実に自分のアイデアを守れるようにさせておきたいと思ったジョルジョは、思いつくかぎりの質問や難癖に対する予行演習をしてヤルダを準備万端にしようと、全力をあげていた。
「じっさいのところ、明日はどれくらい遠いんだ?」ジョルジョが質問した。
「青い光が一日で移動できるのと同じ距離です」
「青い 光? 青のなにがそんなに特別なんだ?」
「まったくなにも」ヤルダはきっぱりといった。「紫色のほうが速いし、わたしたちが知覚できないもっと速い色すらあるのは、確実だと思います。が、空間に右方向 と前方向 のまん中の線──そのふたつの方向へ等しく進む印になる線──が存在するのとまったく同様、右方向 と未来方向 のまん中の線も存在します。そのような角度で到達する光を、わたしたちは青として知覚していて、もしその光に一日間ついていったら、それに等価な距離を進むことになります」
「わたしは青い光の競争相手にはなりようがない」ジョルジョがいった。「だからわたしは、はっきりわかるほど遅れて明日に着くことはできない。だが、昨日に歩いていけないのはなぜだ?」
「だいたい同じ理由からです」ヤルダは答える。「先生の進路を後ろむきになるまで曲げるには、持続的なとてつもない加速が必要になるでしょう。それは原理的には可能であるはずですが、とうていかんたんではありえないことです。先生は大きな慣性を持って、未来へむかって進んでいる。筋力やトラックのエンジンを使って、ご自分の軌跡を少しだけ逸らすことはできますが──先ほど先生がいわれたように、青い光はかんたんには追い越せません」
「だが、たとえわたしたちには想像 しかできないとしても」ジョルジョは粘った。「過去へむかっての旅は、未来へむけての旅とは、大いに違っているだろう。未来へむけて旅をしながら、わたしたちは石を一撃でばらばらの破片に砕くことができる。もしわたしたちが過去へむかって旅をしたら、わたしたちの眼前で破片が飛びあがって、もとの石に戻るだろう。その 区別がそれほど明確なのはなぜなんだ……北 とか南 とかいう空間内の方向は、はっきりとは区別がつけられないのに?」
「先ほど考えたのと同じ理由です」ヤルダは応戦した。「遠い過去、いまわたしたちが住んでいる部分の宇宙のエントロピーは、ずっと低かった。単一の始源世界があったにせよなかったにせよ、物事がいまよりずっと秩序立っていたことは確実です。エントロピーが増加している方向は、エントロピーが減少している方向とは、根本的に異なって見えます──が、それは空間や時間の基本特性ではなく、過去の来歴が偶然そうであっただけのことです」
ジョルジョはまだ納得しなかった。「どちらの 方向の時間も、空間内のどんな方向とも、まったく異なって見えるじゃないか」
「それは、ほぼ完全にそのひとつの軸沿いにのみ移動する物体に、わたしたちが取り囲まれているからです」ヤルダはいった。「物理学が、そうした物体はその方向へ移動しなくてはならない と定めているわけではなく、そうした物体は、その進路に進ませることになった共通の来歴を持っているからです。わたしたちに見ることのできるすべての世界のすべての来歴は、四次元をほぼまっすぐに貫く線の束を形成します。わたしたちが知るもっとも速い星でも、青い光の速さの一グロス分の一で移動することさえとてもかなわない。たがいに限りなく平行に近い直線の束の中に生きていたら、線に共通の方向がわたしたちにとって特別なものに見えても、驚くことではありません」
ジョルジョは攻めかたを変えた。「物理学自体が、わたしたちの来歴がほとんど平行であることを定めているわけではない、ときみはいう。すると、きみの理論によれば、ある物体はわたしたち自身の軌跡に対して、完全に直交する軌跡を取ることができる、と?」
「はい」
「その物体は、無限の速度 で移動できるというのだね?」
ヤルダはひるむことなく、「はい、わたしたちはその物体を、そのように表現することになるでしょう」その物体は、ヤルダとジョルジョが空間の一区画と考える範囲を、一瞬で横切ることができるだろう。「ですがそれは、垂直の棒を、〝無限の傾きを持つ〟と表現するのと同様、おかしなことではありません。山道と違って、垂直な傾きは、水平方向のどこかに行ってしまうことを気にする必要なしに、垂直にのぼっていったところに着く。わたしたちが時間と呼ぶものを横切ることを気にする必要なく、進んでいったところに着く物体は、なにひとつ異常なことはしていません。じつのところ、そこには〝無限〟なものはなにもないのです」
「その物体の運動エネルギーについては?」ジョルジョが問いただす。「質量の半分かける速度の二乗は?」
「その公式は単なる近似式です」ヤルダはいった。「速度が小さい場合以外には使えません」
ヤルダは皮膚に図表を呼びだした。「物体のエネルギーと運動量を知りたいときには、長さが物体の質量であるような矢を描き、その矢が物体の来歴の線に沿った方向を指すようにします。物体が動いていないと思うなら、矢が時間軸沿いにまっすぐを指すようにします。物体が動いていると思うなら、矢をそれに合わせて傾ける必要があります。