波長と速度はもちろん変化するが、そういったものは、たくさん重なった波面が観測をおこなう者に対して相対的にどう配置しているかに依存した測定値にすぎない。赤と紫色のふたつのパルスの本質的な違いは、北にむかう光のパルスと北東にむかう別のパルスの違いと同程度のものでしかない。

 星々が伝えているのは、こういうことだ。光は光であって、つねに変わらず、同じものでありつづけている。 とか方向 とか速さ とかいった性質は、光がなにか別のものにぶつかって、それとの対照で測定可能になったあとではじめて意味を持つ違いだ。虚無の中では、光は単に なのだ。

 頭がぼうっとしてきて、放心状態で居住区画に足を運び、寝床のつるつるした白い砂の中に寝転ぶ。ヤルダの出した結論は、どれひとつとして意味をなさなかった。熱ショックによるただのうわごとだ。丸ひと晩、シーロの幻覚を見ていたことがあるのだから、丸一日、論理的思考力を失うこともありうる。眠れば具合が悪いのも治って、朝にはすべてがすっきりするだろう。


 ヤルダは翌日を自分の計算の再チェックに費やした。計算で依拠した数字はすべて正確だった──そしてヤルダの幾何学的作図はとても単純で、五歳の子どもでさえそれが正しいとわかるものばかりだった。

 それでもまだ疑えることはただひとつ、ヤルダの解釈だった。波長の長さの斜辺を持つ直角三角形は、じっさいには便利な記憶術、速度-波長の公式をかんたんに覚える方法にすぎないのかもしれない。じっさいには抽象概念しか意味していない直線や角さえあれば、どこにでも幾何学の法則を反映した数学を見出すことが可能だ。

 すると……光はなんらかのエキゾチックな媒体の中の振動で、たまたまその媒体が持っている性質が、ヤルダが方程式の中に見つけた 幾何学のすべてを完璧に模倣した ものだった、ということなのか? さらにその媒体は、剪断波と圧力波がまったく同じ速さで伝わるようにするなどということまで、やってのけてしまうのか? この魔法の物質は、なんでもできてしまうのだろうか?

 光の三つの偏光は、それがすべて同じ種類のものであるかのように、同じ速さで伝わる。ヤルダは自分が作ったパルスと波面の図表のひとつを、胸に呼び戻した。それは空間の三つの次元をひとつだけに投影したものだったが、現実では、波面のそれぞれは平面であり、時間の経過とともに三次元的な集合の中を動く。その集合の中には三つの独立した方向があるはずで、それは時間を含む四つの次元の中を通る光のパルスの経路に直交する。三つの偏光は、すべてが 横波──その四次元的な意味で横方向をむいた波──でありうる。その速度すべてを同じにする奇跡的偶然は必要ない。

 もうほとんど日が暮れていた。ヤルダは建物を出て、下界からの小道が山の頂上に出たところに腰をおろした。自分は頭がおかしくなってしまったか、でなければ、ずっと先まで探求を進める必要があるなにかを思いがけず見つけたかだ。

 胸に浮かべている波面の図表をいじりまわす。斜辺の長さが一である、内側の三角形がどんな意味を持つのかを考えた。その三角形の直角をはさむ二辺の比は光の速度だが、ふたつの辺それぞれの長さは、いったいなにをあらわしているのだろう?