ヤルダもいまでは図の意味がわかった。ダリアの胸を斜めに下っている線は、ハタネズミ一匹ずつの生涯をあらわし、点線の部分は世話される必要がある幼い時期をあらわす。そして横の矢印は、どの親族がその世話をするかを示す。「遅れて生殖をする個体の中には、二匹の仔を世話するものもいれば、四匹のものもいる」ヤルダは気づいたことをいった。「遅れて生殖をする個体は、すべてが姉たちの仔の世話をするけれど、母が先に生殖をした個体なら、おばの仔たちも背負いこむことになる。公平とはとてもいえません」
ダリアは面白がっているようすで、「そして、先に生殖をする個体は、そうでない個体の半分しか生きられない──なるほど、これは公平じゃない! でも、自然が作りだした可能性を隅から隅まで学ぶことには、価値がある。いつかその役に立つ部分を拝借して、もっといいものにまとめあげられると期待して」
ほかの種 の生物学的特質からは役に立つ部分を拝借 しようがないのでは、とヤルダは訊こうとしたが、その前にリディアがいった。「男たちを生殖させるようにする薬はどう? ホリンに加えてそういうものがあったら、もっといいと思う!」
「薬だけでそれが可能だとは、思えない」ダリアがそれに答えていった。「わたしたちの近縁の種にはどれも、子どもたちを世話するために一生不妊のままの個体がいる。それを考えると、子どもたちを世話することが決まっている男たちに、出産にまわせる潜在的な能力の持ちあわせがあるとは思えない。子どもが教育よりも身体的な庇護を必要として、世話を提供する個体がとても大きくなりがちなときでも、パターンは同じ。生殖か世話かのどちらかで、両方ということは絶対にない。ハタネズミは興味深い例外だけれど、系統樹の遠くの枝にいる生き物だから」
ダリアは胸を平らにして図を消し、会話はもっと日常的な話題に移った。女たちが日々の悩み事を並べたてるあいだに、ヤルダはトゥリアの友人たちの輪のことをもう少し知った。ダリアは大学で医学を教え、リディアは染料工場で働き、アントニアは市場でランプを売っている。
「サイコロ六個 をやる人?」リディアがいいだした。
「やるわ」ダリアがいった。トゥリアとアントニアも同意した。
「わたし、ルールを知りません」ヤルダは正直にいった。
リディアが自分のポケットから小さな立方体のサイコロをひとつかみ取りだした。「各人が手持ちのサイコロ六個でスタートする。サイコロの各面には、赤と青それぞれで一から三までの数字が振られている」ヤルダにひとつ渡して、それを確かめさせた。「各人が手持ちのサイコロ全部を転がして、青が上をむいている面の数字の合計から、赤の面の合計を引いたのが、その人の得点になる。その得点ごとに、単純なルールに従って、その人がサイコロを何個持っていなくてはならないか が決まる。持っているサイコロの数がそれと違ったら、サイコロをその分手放すか、未使用のサイコロの山 からその分を取る。バンクからはかならず偶数個を取って、得点が変わらないように、赤と青でひとつずつ、同じ数を上にむけて置く。
こうやって、順番にプレイしていく。ただ、プレイヤーは自分のサイコロのどれかひとつがそのときに出した色と数字を好きなように変えてもよくて、その際には、そのときほかのだれかのサイコロのひとつに出ている色と数字を、それに合わせて変えるように指定する。たとえば、わたしはあなたの青の三 を赤の二 に変えるように指定することで、自分の赤の三 を青の二 に変えることができる。そのあとあなたとわたしは、各人の新しい得点に従って自分のサイコロの数を調整し、という具合に進んでいくの」
「勝者はどうやって決まるんですか?」ヤルダは質問した。
「得点の合計が一グロスに達した人か、全員が六ダース巡したときに得点の合計が最高の人」
「得点とサイコロの数についてのルール──?」
「やっていればすぐ覚えるわ」リディアは請けあった。
じっさい、三ゲーム終える前に、ヤルダはゲームをすっかり理解していた。リディアが最初の二ゲームに勝って、ダリアが三ゲーム目に勝った。
リディアがまた勝利した第四ゲームのあと、アントニアが詫びをいっていとまを告げた。
「双はわたしが納品待ちで店にいると思っているの」アントニアがいった。「でも彼は、この時間より遅くに納品に来る人がだれもいないのも知っているから、幸運を期待するわけにはいかない」
アントニアが去ったあとで、ヤルダは暗い気持ちでいった。「あんな生活に甘んじなくてはいけないなんて」どんな嘲笑や屈辱を受けてきたにせよ、少なくともヤルダは、だれかに自由を奪われてはいなかった。
「世の中は変わっていくわ」リディアがいった。「市議会に女を数人送りこめたら、強制帰宅の禁止への取り組みをはじめられる」
「議会に女を?」その発想はヤルダには、まったくの夢物語に聞こえた。「それほどのお金を持っている女の人がいるんですか?」
トゥリアが部屋の反対側にすわっている女を指さした。「彼女は 街じゅうに穀物を配送する会社を所有している。余裕で議席の代金を支払えるでしょう。現実に問題なのは、彼女が議席を買うのを拒んでいる男たちを根負けさせることね」
「わたしたちが生きているあいだに、実現するわ」リディアが確信をこめていい切った。「この街では一ダースの裕福な女性が、同じ政策実現にむけて動いている。第一に、出奔者の合法化。第二に、ホリンの合法化」
「ホリンってなんなんです?」リディアがその名前をいうのは二度目だったが、それはヤルダがこれまで、どこかよそで使われるのをいちども聞いたことのない言葉だった。
一瞬、グループの全員が黙りこんだが、やがてダリアがいった。「この人に今夜会ったばかりなのはわかるから、トゥリア、責める気はまったくないわ。でも、高い教育を受けているズーグマの女に、ホリンがなにかを知らない人がいるとすると、地方ではどれくらい期待が持てるでしょうね?」
ヤルダは困惑していた。「リディアさんは薬だといいましたが、なにを治すんですか? わたしはズーグマに来てからずっととても健康なので、わたしが知らなかったのはたぶんそのせいです」
「ホリンは出産を抑制するの」ダリアがいった。「あなたは何歳?」
「十二歳です。十二歳になったばかりです」
「なら、あなたはホリンを飲む必要があるわ」
「でも……」ヤルダにとって内密にしておきたいことではあったが、この状況で恥ずかしがっていても仕方ない。「わたしには双がいないんです」彼女はいった。「わたしは単者です。代理双も探していません。それに自分の身を守れるくらいには力がありますから、跡継ぎがほしくて破れかぶれになっている見捨てられた哀れな金持ちの少年に攫われることがあるとも、まったく思いません。そのわたしになぜ、出産を抑制する薬が必要なんですか?」
トゥリアがいった。「わたしたちはみんな、双がいないわ──それにどっちにしろ、ホリンは誘発に対する保護としては、ほとんど効力がない。ホリンがいちばん効果的に抑制できるのは、自発出産よ。あなたの歳だとそれが起きる可能性はとても小さいけれど、ゼロではない。わたしは二ダース歳まであと二年。ホリンがなければ、もう一年生きてはいられないでしょう」
ヤルダにはこのすべてが初耳だった。「父からはいつも、もし代理双を見つけられなければ、わたしは男と同じ生きかたをすることになるだろうといわれていました」
「あなたのお父さんが真実をご存じのわけがないと思うわ」リディアがいう。「とてつもなく大勢のトゥリアの年齢の女とお知り合いだったわけじゃないでしょうから」
「ええ、そうです」故郷の村に一ダースを四歳以上すぎた女はひとりもいなかったのではないか、とヤルダは思った。
ダリアがいい足す。「自発出産は人口集中地域でのほうが起こりやすい、という話を聞いたこともある。あなたがずっと生まれた家にいたら、お父さんの予言したとおりになったでしょうけれど、ズーグマのような都市では、確率が歪むの」
頭が混乱してきた。ヤルダは、単者は異なる種類の運命のもとに生まれついているという自分の信念を、やがては父にも受けいれさせられる、と思っていた──そして、それでこの件は片がつくのだと。それでも父が時おり、ヤルダにしつこく小言をいうことはあるかもしれないが、代理双を無理やり押しつけてくることは絶対にないとわかっていた。いまヤルダは、ズーグマの市議会が違法と見なす薬に手をつけることを──そしてその薬をこの先一生使いつづけることを──考えざるをえなかった。
そのせいでヤルダが不安になっていることを、ダリアは見てとった。「ホリンをいくらか用意してあげる」ダリアはいった。「でも、大学では顔を合わせないでおいたほうがいいでしょう。今夜から三夜後、わたしは大公会堂で公開講演をするわ。そこに来る気があれば、講演のあとで会える」
「ありがとうございます」
「こちらの若いレディはショックを受けている」トゥリアがいった。「そしてわたしは明日、私的講師をしている商人の息子の中でもいちばん怠惰なやつのところに行かなくてはならないので、わたしたちは今夜はこれで切りあげさせてもらうわ」
話を続けているリディアとダリアを残して、ふたりは部屋を出た。トゥリアは市場の端までヤルダといっしょに歩いた。「ほんとうにここの地下で眠るの? どこかに部屋を見つけるべきよ」
「地面で眠るほうが好きなんです」ヤルダは返事をした。「それにプライバシーも気にしませんし。だれもわたしにちょっかいは出しませんから」
「でしょうね」トゥリアは譲歩した。「でも、これからは新たに考えなくてはならないことがあるわよ」
「なんのことです?」
「いったいどこにホリンを隠しておくつもり?」