エピローグ 推しと口約束を交わした。


 はなふさもろもろあった、翌々日。朝のホームルームの時間。

…………

 俺は自席で一人、頰をかすかに赤らめながら、頭を抱えていた。

 それは、何故なら……今更ながら、これまでの自分の行動を振り返って、すげえ恥ずかしくなったからだ!

 ……いやほんと、なんだったんだよ、おとといのやり取り。いま思い返してみれば、あまりにも青臭過ぎない? 青春のかほりが強過ぎない? くそ、恥っずいわあ……。

 そして何より、俺としては──三日前の、もう花房とは関われないと思ったからこそ口にした言葉達が、全部が終わったいまになって、俺を照れくささでさいなんでいた。

『い、いままで仲良くしてくれて、ありがとう……』

 死ね。氏ねじゃなくて死ね俺。そう思ったのはうそじゃないけど、そういう大切な思いほど、わざわざ言葉にするべきじゃないだろうが……ああああああああ!(照)

 そうして俺が脳内で大騒ぎをしていたら、がらら、と。教室後方の扉を開けて、花房が入ってきた。……彼女の顔をまともに見られない。そんな俺に対し、花房は普段と変わらぬ様子で、「おはよう、ゆうちゃん!」と声をかけてくるクラスメイトに「おはよう」と挨拶を返しながら、自分の席に向かっていった。

 とりあえず、教室じゃ彼女とからむ機会はないんだから、いまはそんなに意識する必要もないか……俺がそんなことを考えつつ、花房の背中をぼんやり見ていたら、自席に荷物を置いた彼女はそれから、何故か俺のいる方へと歩み寄ってきた。

 最初は俺の勘違いかと思ったけど、彼女はそのままぐんぐんこちらに近づいてくると、俺の机のすぐそばで足を止め──爽やかな笑みを浮かべながら、こう言った。

「おはよう、みやくん」

「な──は……え?」

「んんー? どうして返事してくれないの? もう一回いくよ? ──おはよう、夜宮くん」

「……お、おはよう、花房さん……」

「ふふっ。うん、おはよ」

 そんな他愛もない会話に、クラス中が『ざわ……ざわ……』と、カイジの緊迫したシーンみたいな空気になる。そりゃそうだ。あの、スクールカーストの頂点に君臨するまんさきのU‐Kaが、あろうことかカースト最底辺の陰キャに、朝の挨拶をしたのだから!

 ……い、いやつか、こいつ何考えてやがんだ! 教室で俺なんかと話したら、お前の人間的価値が下がっちゃうだろうが! クラスでの俺の地位の低さ、めてんのかオラ!

 目の前にいる花房に対して、俺がそう思っていたら……彼女はふいにスカートのポケットからスマホを取り出すと、その画面を俺に見せながら、こう言った。

「あ、そうそう。──ねえ見てこれ! このブログ、この間まんさきが出したシングル『じんちょう』の歌詞の考察をやってて、すごいんだよ! さっきスマホいじってたらこの記事を見つけてね、あとで夜宮くんに教えてあげようと思って!」

「ふ、ふうん、そうなんだ……」

 適当なあいづちを打ちつつ、花房が見せてくるスマホの画面をのぞき込む。

 と、そこには──『限界オタクの限界突破ブログ』という、アホみたいなタイトルのブログが表示されていた。おい何だよこの、痛いオタク感丸出しのブログは。こいつ絶対、学校でオタク友達も作れないタイプのオタクだろ──……ってこれ俺のブログ! 噓だろ、俺が書いたブログ記事、ご本人が読んでくれてんのかよ!? すげーうれしい!

 俺がそう脳内で騒いでいたら、さっさとスマホを仕舞った花房は、それから言った。

「それだけ。じゃあね」

「あ、ああ。じゃあ……」

 そうして、花房は俺の席から離れると、彼女がいつもつるんでいる友人達の輪の中に入っていく。「おはよー、ひめちゃん、ほっしー」「おっは」「おはよう」そんな朝の挨拶を交わしたのち、ほっしーことほしぬいは、花房にいぶかしげな視線を送りつつ、こう尋ねた。

「ところで、さっきのは何だったのかしら? あなたから男の子に話しかけるなんて、珍しい場面を見てしまったのだけれど……」

「ああ、あれは気にしないで。夜宮くん、まんさきが好きだって言ってたから、私がつかんだまんさき情報を、彼に教えてあげてただけだよ」

「ご本人直々に!? 根暗、めっちゃキョドっててキモかったから、からかうのやめたげろし!」

「別にからかってないのにー」

「憂花にそういう気はなくても、ああいうモテない男子は勘違いすっから……だからあんま、変に絡むのも可哀想かわいそうだかんね?」

 姫ちゃんことひめさきはそう、注意するように花房に言った。……というか、なんか姫崎がめっちゃ芯食ったこと言ってんだけど。しかも、俺を気遣うような発言までしてるし。これ、ギャルがオタクに優しいという説は割とマジなのでは?

 俺がそんなことを考えつつ、姫崎を見つめていると、何故か「…………」と無言を貫く花房にめっちゃにらまれた。……いやそれ、どういう感情? 何でそんなわかりやすくいらってんの? そう疑問を抱いているうちに、朝のホームルーム開始のチャイムが鳴る。

 こうして、俺の代わり映えしない今日は、だけど──ちょっとだけいつもと違う景色を俺に見せながら、相も変わらず過ぎていくのだった。


◆◆◆


 放課後。文芸部の部室にて。

 俺が一人、いつものようにブログ記事を書いていると、ノックもなしに扉が横滑りに開かれた。そうして中に入ってきたのは、どこか恥ずかしげに顔を背けている彼女で……花房は俺を見つけると、片手を挙げながらこう言ってきた。

「や、やっほー。元気してた?」

「お、おお。……元気してたも何も、さっきだって教室で顔は合わせてただろ」

「あはは。だよね」

 花房は照れくさそうに笑いつつ、くちゃくちゃと何かをむ。どうやら口にガムを入れているらしく、だから俺が花房の口元をつい見ていると、彼女はふいに尋ねてきた。

「あんたも食べる? ガム」

「え……くれるのか?」

「うん。まだ余ってるから、一個あげるよ」

 花房はそう言ったのち、取り出した包み紙に嚙んでいたガムを吐き出した。次いで、彼女は嚙み終えたガムを手のひらの上に乗せると、それを俺に差し出しながら言った。

「はい。どうぞ」

「……もしかしてお前、自分のファンにならどんな仕打ちをしてもいいと思ってる? だからこんな、さっきまでお前が嚙んでたガムを俺にくれるっていう暴挙ができんの?」

「大丈夫。心配しなくても、まだ味はあるよ!」

「そこの心配はしてねえんだわ!」

「じゃあ、何が不満なの? 憂花ちゃんがさっきまで嚙んでたガムだよ? そんなの、憂花ちゃんの大ファンであるあんたなら、喉から手が出るほど欲しいと思うけど」

「いや、こればっかりはさすがに、こじらせファンの俺だって欲しいとは思わねえから……お前がさっきまで嚙んでたガムをもらって、俺はどうすりゃいいんだよ」

「そ、それは、その……食べればいいんじゃない?」

「お前、実際に俺がそうしたら、絶対に引くだろ」

「あー、確かに……いくら憂花ちゃんでも、さっきまで自分が嚙んでたガムを、こうすけこうこつとした表情で嚙み始めたら、何やってんのこいつキモって思うかも……」

「それはさすがに、その原因を作った自分を棚に上げすぎでは? ──ともかく、そんなん貰っても互いに何の利益も生み出さないから、それはさっさとゴミ箱に捨てろって」

「……でも、逆の立場だったら、憂花ちゃん、ちょっとだけ欲しいけど……」

…………

 いま俺は何も聞いていない。まさか、俺の大好きなまんさきのU‐Kaが、自分にとって憧れのアーティストが嚙んでいたガムなら、ちょっとだけ欲しいと思ってるなんて、そんなはずはきっとないから。たぶん俺は幻聴を聞いたのだろうと思った。

 そんな風に俺が現実逃避をしていると、花房はどこか取り繕ったように笑ったのち、

「というか、嚙んだガムをあげるとか、さすがに噓だから。──はい、これ」

 と言いながら、学生カバンからガムのボトルを出し、テーブルの上に置いた。……今のはさすがに噓で良かったわ。俺は思いつつ、「ども」という言葉と共に、ボトルから取ったガムを口に入れる。その間に花房は、俺の隣の席に腰かけた。

 すると、変な沈黙が俺と花房の間に落ちる。……こういう、会話が何もない時間に、俺達はどう過ごしていたっけな……俺がガムを嚙みながらそう考えていたら、しばらくの無言があったのち──隣にいる花房が、ぽつり、と。小さな声でつぶやいた。

「これからは憂花ちゃん、また、ここに来るから」

「……そっか」

「もう、来なくならない。時間があったら、必ず来るよ。もちろん、あんたに寄りかかるべきじゃないって、いまでも思ってるけど……だからまた、おとといみたいに、めんどくなっちゃうこともあるかもしんないけど。それでも……もう手放すなんて、嫌だから」

…………

「憂花ちゃんはそういう理由で、我慢しないことにしたの。──あんたには、それだけ報告しとくね」

「ああ、わかった」

 俺のそんな返事を受け、言い終えた花房は、ふう、と一つ息を吐く。

 見やれば、彼女の頰はうっすらと桜色に染まっていた。

…………

 そんな彼女の横顔につい見蕩みとれてたら、「見んなし」という言葉と共に、肩を軽くパンチされた。──だ、だから、そういうじゃれ合いみたいな身体的接触はやばいって、何度言えばわかるんだ……(地の文で思ってるだけで、本人には一度も言ってない)。

 それから、花房は桜色に染まったままの顔でそっぽを向くと、強い語調で続けた。

「つか言っとくけど、我慢しないっていうのは、『これまでと同じように一緒にいる』ってことじゃないからね? むしろ、こっからだから。──覚悟しといた方がいいよ? 神に愛されてる系女子の憂花ちゃんが、こうかつかつ可愛かわいらしい乙女な本領を発揮したら、あんたみたいなモテなくてオタクで童貞な、でも私だけが良さをわかってあげられる系男子なんかすぐにれさせ──は? 別に失言とかしてないけど? あ?」

「……話の途中で何かを誤魔化すようにいきなりキレ始めんなよ。普通にこええよ」

「と、ともかく、あれだから! 憂花ちゃんがこれからもこの部室に来て、あんたとおしゃべりをしてあげる以上、あんたは、その……ふ、不可抗力で? こんなにも可愛い憂花ちゃんを、つい? ……す、好きになっちゃっても、別にいいけど?」

「は? お、お前それ、どういう意図の発言なんだ……? というか、お前を好きになるも何も、俺はもう既にまんさきのU‐Kaのことが、ファンとして好きなんだけど……」

「だ、だから、そういうんじゃなくて……あんたはいま、その……光助だったら、まんさきのU‐Kaじゃなくて、花房憂花の方も好きになってもいいよっていう許可を、他ならぬ憂花ちゃんからもらったのよ……」

「な……!?

 熟れたいちごくらい顔を真っ赤にした花房のそんな発言を受け、驚きのあまり眩暈めまいを覚える俺。……花房がこんな俺に対して、「憂花ちゃんを好きになってもいい」と明言した。それは、つまり──。

 そうして、俺が脳内でおこがましい結論を出そうとすると同時、彼女は慌てて続けた。

「や、あんたは憂花ちゃんを好きになってもいいけど、別にそれは憂花ちゃんがあんたを好きだからとか、そういう訳じゃないからね? ただ今後、あんたがこんなに可愛い憂花ちゃんとこれからもずっと一緒にいたら、こんなに可愛いんだから好きになっちゃってもしょうがないよね! って話であって、えっと……──あ、あんたの気持ちには応えられないけど、これからは憂花ちゃんのこと、好きになってもいいんだからねっ」

「何その新しいツンデレ台詞ぜりふ。好意があるようで絶妙にないっていう、ツンデレ界に激震が走ること間違いなしの文言なんだけど……」

「す、好きになってくれたら、ちゃんとフってあげるんだからねっ!」

「いや、それもツンデレできてねえよ。ツンデレなめんなお前」

……ごにょごにょな男の子の前で素直になるのって、難し過ぎじゃない? 彼氏とか作って青春してるふつーの女子高生って、どうやってこんな難しいことしてるわけ……?

 花房はいまだ赤らみの消えない顔をうつむけ、独り言のように呟いた。……いやまあ、二人しかいない部室なので、だいたいは俺にも聞こえちゃいましたけど……。

 次いで、彼女は「んん!」とわざとらしいせきばらいをすると、ぐ俺の目を見つめて──やっぱりすぐさま目をらしたのち、こう言った。

「と、とりあえず、憂花ちゃんが言いたかったことをまとめると……憂花ちゃんはもう二度とこの場所から逃げないし、これからはこの、いま私が抱えてる恋ご──肩こり! 肩こりにも真正面から向き合っていくから! 覚悟しなさいよ!」

「お、おう……肩こりに真正面から向き合うという表現は謎だけど、わかった……」

 どうにも唐突なまとめをする彼女に、俺はそううなずいたものの……正直、彼女の言葉は俺にわからす気が無さ過ぎて、その真意を把握することはできそうになかった。

 いや、それはもしかしたら……彼女が抱えている感情をちゃんと理解することで、俺自身が間違ってしまうのが怖いから、わざと把握しようとしていない部分もあるのかもしれないけど──。

 そうして、どこか居心地の悪い沈黙が部室に落ちる。それを受けて花房は「ちっ……なんか、乙女爆発させちゃったじゃん……キモ……」と呟いたのち、何度かかぶりを振って頰の赤らみを飛ばすと、ふいにからかうような笑みを浮かべて、続けた。

「憂花ちゃんがまた部室に来てくれるようになって、うれしい?」

「……べ、別にー? 一人の方がパソコン作業を進めやすいから、そういった意味では嬉しくないと言えなくもないとも言えないというかー?」

「ふふっ。何それ、どっちなのよ。──まあ、どうせそんな風に言うってわかってたから、逆に期待通りかも。何度も言ってるけど、たまには素直になった方が可愛いのに」

「うるせえ。そもそも俺は、お前に可愛いと思われたくねえんだよ」

 俺がそう言うと、花房は──「そうやって男の子ぶってるところなんかは、結構可愛いけどね」とはにかみながら呟いた。……俺の心臓がドキドキしちゃうんで、そういうあざとい発言、やめてくれません? 俺はそんなことを思いつつ、嚙んでいたガムを包み紙に出すと、今更ながら──今日、花房がここに来たら聞こうと思っていたことを尋ねた。

「そういえば……今朝のあれは、なんだったんだよ」

「今朝のあれ? ……ああ、憂花ちゃんが教室で、クラスに男友達が一人もいない陰キャに話しかけたこと?」

「本人の前で陰口言うのやめろや。──でも、そうだよ。俺みたいな、友達が一人もいない陰キャに教室で話しかけるなんて、何考えてるんだ。お前はそれでもまんさきのU‐Kaかよ。まんさきのU‐Kaとしての自覚が足りないんじゃないのか?」

「何でいま憂花ちゃんが怒られてるのよ……つか別段、あれに関しては、そんなに深い意味があった訳じゃないから。強いて言うなら、実験がしたかっただけで」

「実験?」

「うん。ああいう形でなら、光助と教室でもからめるかなって、そういう実験」

────

 花房の言葉に驚いた俺はつい、顔が熱くなるのを感じる。すると花房は、「や、別に、教室でもあんたとお話がしたかったとか、そういうんじゃないから……」と、ほのかに頰を赤らめて反論した。……そののち、不機嫌そうにそっぽを向きつつ、彼女は続けた。

「結局のところ、今回の痴話げんかっていうか──あ、あの騒動はさ! あんたが教室で憂花ちゃんと話せないくらい陰キャだったのが、きっかけだったじゃん?」

「ん? そうだったっけ……?」

 俺はそう言いつつ、以前を思い出す。確かに今回のことは、教室で俺に話しかけようとした花房が、それに気づいてやめて……というのが最初にあった。つまり、きっかけの部分としては、俺が教室で話せないレベルの陰キャだったから、というのがあるのか。

「だから、また教室であんたと喋れなかったせいで、ああなったら嫌だから……教室でもある程度、あんたと話せるようになっときたいなって、そう思ったんだよ」

「……なるほどな。つまりお前は、まんさきのU‐Ka状態でなら、教室でも俺みたいな陰キャと話せるか、周囲の反応を試したって訳だな? ……でも、今回の騒動って別に、教室で俺と話せなかったうんぬんは確かにきっかけにはなったけど、問題の本質は、お前の性格的な部分にあって──」

「あー、そういうのいいから。憂花ちゃん、自分で自分の悪いところを自覚してはいるけど、それをわざわざ他人に言われんのは大っ嫌いだから。ちょっと黙っててくんない?」

「お前らしい拒絶の仕方だなあ……」

 思わず俺がそう漏らすと、花房は楽しげに「ふふっ」と微笑したのち、言葉を続けた。

「ともかく。今回のことがあって、憂花ちゃんは教室でもあんたと絡めるようになりたいと思ったから、仮面をかぶってあんたに近づいたの。そしたら……ちょっとだけ、教室がザワついちゃったかな?」

「そうだな。そういう訳だから、もう二度と教室では絡まないでくれな?」

「うん。だからこれからは、教室ではもうちょっと気をつけて、光助に絡むね?」

「『うん』っていう返事の意味わかってんのかお前。英語で言うと『イエス』だぞ。何も了承してないのに使ってんじゃねえよ」

「だって憂花ちゃん、別に光助の意見なんか聞いてないもん。あんたが『教室では絡まないでくれ』って言おうが、憂花ちゃんは自分のやりたいように絡むだけだし。──つまり、いま憂花ちゃんが言ってるのは、『これからは教室でも絡んでいい?』って話じゃなくて、『今後は教室でもがんがん絡んでいくから覚悟しろよ』ってことなんだよ」

「お前はDQNか何かですか? 俺の意思を無視して、絡んでやるぞって……」

「ゆくゆくは、憂花ちゃんがあんたに『パン買ってきてー』って言っても、クラスのみんなが、『ああ、いつものやつね』ってなるくらいの認識にしたいかな!」

「志が高すぎるし、俺への扱いが雑すぎる……」

 俺がそうツッコむと、花房はまた楽しそうにからからと笑ったのち、ふいに真面目な顔になって──「でも、本当にそうなるのが目標かな」と呟いた。……俺の学園生活に、分厚い暗雲が垂れ込め始めた瞬間だった。

 という訳で、次回──『第十八話 推しにパンを買いに行かされた。』にご期待ください! おい、タイトルでネタバレすんな。『じょううち死す』じゃねえんだから。

 俺が脳内でそうふざけていると、花房は急に不機嫌そうな顔になって、こう言った。

「というかさ、いまふと気づいたんだけど……なんで憂花ちゃんの方からばっか、あんたに話しかける努力をしなきゃいけないわけ? そんなのおかしくない? 教室でも絡みたいのはあんただって同じなんだし、たまには光助も、憂花ちゃんに話しかけてきてよ」

「え……そ、それは、どういう……」

「別に、何でもいいから! 『今度、一緒に買い物行かない?』でも、『お昼、一緒に食べない?』でも、『ライン交換しない?』とか、そんなんでいいからさ──今後はあんたからも、憂花ちゃんが今朝やったみたいに、教室で話しかけてきてよ。……あ。いまふいに思いついた案だけど、いいかもこれ。しかも、あんたから話しかけてきてくれたら、みんなに優しい設定の憂花ちゃんが教室であんたと絡んでても、ぜんぜん不自然じゃないし。むしろ、あんな陰キャとも喋ってあげてる憂花ちゃんえらい! ってなるしね」

 花房はそこまで言い終えると、満足げにうんうん頷いた。……ええと、花房さん? それ、確かにお前はいいかもだけど、俺がそんな高いハードルを越えられねえから。クラスの誰とも喋れない俺が、大好きな推しに話しかけられる訳ないだろ。アホか。

 そう思った俺が花房に抗議するような視線を向けると、それを受けてよけい楽しそうな顔になった彼女は、そのまま話を続けた。

「そういう訳だから、明日! 明日のお昼休みに、憂花ちゃん、それとなく姫ちゃん達の輪から外れとくから。その時を狙って、あんたは私に話しかけてきてね!」

「いや、どういう訳だよ……あ、あの、花房さん? そんなん、さすがに無理ゲーだから。俺みたいなただのキモオタが、お前みたいなキラキラ女子高生に話しかけるなんて、そんなのはおこがまし過ぎて……」

「でも、あんたこの間、憂花ちゃんをここに──この部室に呼び出したりとか、してたじゃん。あんなおこがましいができるなら、話しかけるのなんて余裕でしょ」

…………

 花房の言葉につい、赤らんだ顔を俯ける俺。

 確かにあれは、俺史上最高におこがましい行いだったよな……一応、ああした理由はちゃんとあるし、だから決してよこしまな感情で花房を呼び出した訳じゃないんだけど、それにしたってファン失格だよな……。

 そうして俺が自己けんに浸っていると、何も言わない俺に花房はにっこり笑って、先に言い切ってしまうように告げた。

「はい! それじゃあ決定ね! 明日、お昼休みの時間に、光助は憂花ちゃんに話しかけること! ああ、楽しみだなあ……明日、憂花ちゃん何を言われるのかなあ……『ずっと憂花ちゃんのファンでしたサインしてくださいデュフフ』とか言われるのかなあ」

「お前俺のことをそんな、ステレオタイプなオタクだと思ってたのかよ……つ、つか、花房さん? 俺、割とマジでそんなことやりたくねえんだけど……なんなら明日、仮病でも使って学校休んでやろうかな……」

「ちなみに、明日あんたが教室で憂花ちゃんに話しかけてきてくれなかったら、まんさきのデモ音源はまずデータを消去して、そのあとでCDをたたき割るから」

「お前はその約束をずっと体のいい人質に使い過ぎでは? もしかして俺、お前から無理やりにでもデモ音源を奪い取った方がよかった?」

「ふふっ……でも、あんたはあれを受け取らなかったじゃん」

「……まあ、そうだけど……」

「いつかあんたにあげたいのはそうだから、憂花ちゃんにそんなひどいことさせないでね」

 俺の頰をつんつん、と二回ほどつつきながら、どこか悪戯いたずらっぽく花房は笑った。こ、こいつ……あんまビッチ臭いことすんなや! 俺は内心でそう抗議しつつ、花房をにらみつけたけど──「ふふっ」それに対して彼女は、やっぱり楽しげな顔をするだけだった。

 ……なんというか、おかしな関係になってしまったなと、そんなことを考える。花房の本性を知った当初は、俺と彼女がこんな風になるなんて、じんも思っていなかったのに。

 というか、そもそも──。

『ともかく! あんたは今後、一年D組の教室では一切、憂花ちゃんと絡もうとしないように! 話しかけるなんてもってのほかで、じっと憂花ちゃんのことを見つめるのも禁止だから。それ破ったら、デモ音源あげないからね。──返事は?』

 花房は最初、彼女の秘密を知った俺に対して、そう言っていた。

 それが今や、あの頃とは全く真逆のことを──『話しかけてくれなかったからデモ音源あげないから』と言いだしてるのは、どういうことなんだこれ……。

 俺はそう思いつつ、花房の横顔を見やる。すると彼女は「なに? 憂花ちゃんの顔に見蕩みとれちゃった? こんなに可愛かわいいから仕方ないけど、あんま無遠慮に見ないでね」と言ってきた。黙って顔を見られることもできんのかお前は……。

 ただ、そんな彼女を見つめながら、俺は少しだけ感慨にふけってしまった。

 そもそもは、こうなるつもりなんてなかった。……また、この関係性が正しいのかどうかと問われれば、俺は正しいとは思わない。

 だって俺は、まんさきのU‐Kaのファンだから。

 彼女の歌声が大好きで、そんな彼女を推してる大ファンで──ファンっていうのは、推しを遠くから見つめる、じっひとからげのうちの一人であるべきだと思っているから。だからこそ俺は、大好きな人のこんなにもそばにいる自分を、心のどこかで許せていなかった。

 だけど、でも──。

「……ちょっと。さっきから憂花ちゃんのこと見過ぎじゃない? なんなの?」

「いや、何でもない……」

 そんな、ファン失格かもしれない俺にも、確かに言えることがあるとするなら、それは……まんさきのU‐Kaが大好きだった俺はいま、性悪で自分勝手で、だからこそ女の子らしい、まんさきのU‐Kaではない彼女と一緒にいる今日を──楽しいと。


 こんな今日が明日も続いて欲しいと、それだけは願ってしまっているのだった。


 ……い、いやまあ、あれだけどな! 俺は花房と話をするようになる前から、ラノベや漫画、ゲームやアニメなんかで充実した日々を過ごしてたけどな! ただ……それとはまた別種の『楽しい』がこの世にあったことを、花房と出会って知ったというだけだ。

 これはあり得ない、もしもの話だけど……もし俺が花房と一緒に過ごしているうちに、俺もリア充になったと勘違いして、その結果。オタクコンテンツを下に見るようになったり、ラノベや漫画を読まなくなったりしたら──そんな未来の俺は、いまの俺がぶっ殺しに行かなきゃならねえと思ってる(迫真)。

 元々オタクで、でも女ができた途端にオタクを下に見始めるやつとか、本気で嫌いだからな俺。俺はそんな奴にならないよう、オタクとしてのやいばとがらせておかねえと……具体的には、深夜アニメもリアタイでチェックし続けねえとな……!

 俺がそんなことを考えていたら、花房はふいにスマホを取り出し、「やば、もう時間だ」とつぶやいた。それから、彼女は慌てて学生カバンを肩にかけると、すぐさま席から立ち上がり、扉の方へと移動する。そのまま、扉に手をかけると同時──後ろを振り向いた。

 どこか感慨深げに、俺をじっと見つめる彼女。

 次いで、花房は一瞬だけ照れくさそうな顔をしたのち……うれしげに歯を見せながら、どこまでも明るい声音で、言ってくれたのだった。

「じゃあ、またね!」

 そうして、花房は扉を横滑りさせて開けると、廊下へと一歩、足を踏み出した──。

 彼女は、俺の返事を待たない。いつも俺は、彼女のくれる「またね」に対して、ろくな返事をしてこなかったから。だから花房は今日も、俺にそれを渡すだけ渡して、すぐさま帰ろうとしたけど……それを見た俺は、覚悟を決める。

 花房がラーメンG太郎から出てきた、あの日──あの日の俺は結局、ラーメンG太郎に並ぼうとして、だけどそうすることができなかった。

 残念ながら、そんな自分を変えたい、なんて青臭い思いは、これっぽっちも抱いていないけれど……だからって、自身のそんな性格を言い訳に。こういう場面で、言うべきことを言えないままなのは、いい加減うんざりだったから──今日くらいは。

 こんな今日が明日も続いて欲しいと、そう願ってしまった以上……俺からも、少しだけ素直な気持ちを彼女に伝えるために、俺は花房を呼び止めた。

「ま、待ってくれ、花房!」

「……ん? なに? 何か忘れ物?」

 俺の制止に、花房は足を止めて振り返った。……こちらを見つめる彼女の瞳を見つめ返す。でも、それはすぐに恥ずかしくなって目をらしたのち、俺は──ずっと言おうとしていて、ただ言うべきかは悩んでて、だけどやっぱり言いたかった思いを、口にする。

 それは、何気ない再会の約束。

 もしかしたら果たされないかもしれない、ただの口約束で……だけど。

 だからこそ、大切な友人との別れぎわにはちゃんと交わしたい、そんな言葉だった。

「ええと、その……ま、また、な……」

────

 そう言った俺に対して、花房は一体、どんな顔をしてくれたのか。

 それは、それを口にすることができた、俺だけが知っているのだった。