第十六話 推しに別れを告げた。


 翌日。

 俺はファンレターでも、ラブレターでもない、簡素な手紙を──『明日、文芸部の部室に来てください。話がしたいです』とだけ書いた紙を、はなふさの机の中に入れた。

 ……正直、俺みたいないちファンが、まんさきのU‐Kaゆうかに対してこんな要求をすること自体、おこがましいにも程があるんだけど──それでも。なんとか花房にそんな思いを伝えることができた俺は、更に翌日の、放課後。

…………

 文芸部の部室で一人、スマホをいじりながら、彼女がここに来るのを待っていた。

 ……ただ、そうして呼び出しはしたけど、実際に花房が来てくれるかは微妙なところだと思っている。彼女にとって俺はもう、避けるべき相手になってしまったっぽいし、だから俺の呼び出しにも応じてくれないのではないかと、そう考えていたけど──。

 こんこん、とノックの音が部室に響いた。

 それを受けて、いつも花房はノックなんてしないから、折悪くひのはらが来たのだろうかと考えながら、俺が「どうぞ」と答えると、扉がゆっくり横滑りに開いて……そこに、彼女が立っていた。

「……ふふっ。何だか、久しぶりだね」

 そう言いながら、彼女──花房ゆうは少しだけ笑うと、照れくさそうに頰をいた。

 ただ、花房はああ言ったけど、クラスでいつも顔だけは合わせているから、そんなに久しぶりという感じでもないんだけどな……俺はそう思いつつも、緊張からか、少しだけ上ずってしまった声で返事をする。

「お、おう。……なんというか、急に呼び出して悪かったな」

「ううん、全然! 確かに私、最近文芸部に行けてないなあー、って思ってたから、ちょうどよかったよ! それで……話って、なにかな?」

「……とりあえず座れば?」

 立ったまま話を進めようとする花房に、俺はそう言った。すると彼女は「あ、確かにそうだね!」と、どこか取り繕ったような明るい声を出したのち、部室に入ってきた。

 俺の隣じゃない、俺から斜め前の席に、彼女は腰を下ろす。……以前とは少し違う距離感に余計な意味を見いだそうとする自分を戒めつつ、俺は花房に向き直る。体は彼女の方を向いているけど、目線は下を向いたまま、俺は抑えめのトーンで尋ねた。

「話っていうのは、あの……どうしてお前は最近、部室に来なくなったんだ? っていうことだけ、聞きたかったん、だけど……」

「……別に、何か理由があって来なかった訳じゃないよ? 最近はちょっと、お仕事の方が忙しくて、だから来られなかっただけだから」

「いやうそつけよ。俺、まんさきのツイッターや、お前のインスタなんかも見てるけど、最近のお前はそんなに忙しくないの知ってるぞ。この間だって、ホームルーム終わって普通に帰ったと思ったら、ツイッターで『暇だー』って言ってたし──」

…………

「や、あの、俺いまよどみなくキモいこと言ったけど。ストーカーっぽいこと言ったけど、あれだから。ツイッターやインスタを見るのはファンとして当然で、お前が帰ってるのを見たっていうのも、偶然目撃しただけだからな? ほんとだよ?」

「ふふっ。私、何も言ってないよ? 大丈夫、全然キモいなんて思ってないから」

「そ、そうか……」

 慈愛に満ちた花房の笑顔に、俺は違和感を覚える。

 俺がこういう失言をした時、花房は自分から率先して、俺をからかったりするはずなのに……どうして彼女はいま、俺のキモい発言を優しく受け流してくれたんだろうか。

 考えつつ、俺は言葉を重ねる。いまの言い方だとどこか、花房が文芸部に来ないのを俺が糾弾しているみたいになってしまっていたので、それに対して言い訳をした。

「勘違いされたら困るけど、俺は別に、お前を責めてる訳じゃないからな? もうここに来られない理由があるのなら、来なくていい。俺はいまお前に対して、『また文芸部に来てくれ』って言ってる訳じゃないから。そうじゃなくて──どうして、ここに来なくなったのか。それだけ、知りたいんだよ」

…………

「俺に悪いところがあったなら、お前に悪いところがあったからだと、ちゃんと言ってくれ。それを直す気はないし、直せるような俺じゃないけど……俺を嫌った理由だけは、教えてくれないか? ……それだけくれれば、あとはいいから。もう二度と、お前を呼び出すなんておこがましいこと、しないからさ……」

 俺のそんな発言に対して、花房は曖昧に苦笑する。次いで、その表情をどこか薄っぺらい笑顔に変えてしまうと、彼女は努めて明るい声で言った。

みやくんこそ、何か勘違いしてるみたいだね……本当に私は、夜宮くんを避けてここに来なかった訳じゃないよ?」

 …………夜宮くん?

 小さな違和感を覚える俺を尻目に、花房はなおも言葉を続けた。

「最近はちょっと、お仕事が忙しかっただけなの。だから、いまの私から、これこれこういう理由でここに来るのを避けてました、なんてことは言えないんだよ。だって、そもそも避けようとなんてしてなかったんだからね」

…………

「あなたの期待に応えられなくてごめんね? ……でも、わかった。夜宮くんがそんな風に思ってくれてたなら、私、今度からお仕事が多少忙しくても、無理やり時間を作ってここに来るようにするよ! そうすれば夜宮くんも、私に避けられてる、なんて的外れな不安を抱かなくて済むようになるんじゃないかな?」

「……さっきからふざけてんのかよ、お前」

「え……?」

 突如低い声を出した俺に、花房は少しおびえたような表情を浮かべる。しかし俺はそれを見ても、申し訳ないことをしたな、とはこれっぽっちも思わなかった。

 だって花房は先程からずっと、俺と向き合ってくれていないから。

 そうやって俺を馬鹿にする彼女に対して、申し訳なく思う筈がないのだった。

「最初は俺の勘違いかと思ったけど、こんなにわざとらしくされちゃ、勘違いのしようがねえよ。つーかぶっちゃけ、話し合いにもなってねえじゃねえか。なんなんだよ……俺はもう、お前の裏の顔を知ってるんだぞ? お前の腹黒い性格を、ちゃんと知ってんだ。だっていうのに、今更こんなことして、何のつもりだよ……」

「……何のつもりって、何のことかな?」

「いや、わかったうえでやってんだろ。とぼけんな。──さっさと外せよ、それ」

「外せって、何を外せばいいの?」

「だから、その仮面をだよ!」

…………

 俺がそう怒鳴ると、花房は一瞬だけしゅんじゅんしたような表情を浮かべたのち、すぐさま取り繕ったような笑みをその顔に張り付けた。……これまで俺は、花房に腹の立つことを山ほどされてきたけど、不愉快さではこれがダントツだった。

 自分のことを「憂花ちゃん」と言わない。本音でものを語らない。自分が設定した『まんさきのU‐Ka』として対応する──。

 クラスのみんなの前でその仮面をかぶるのは、彼女なりの処世術だろう。でも、それを知っている俺に対してそうするというのは……「あなたと真面目に話をする気はないですよ」という、俺に対する侮辱でしかなかった。

 そうして、俺が彼女をにらみつけていたら、花房は──俺の「仮面を外せ」という言葉に対して、可愛かわいらしく小首をかしげる。……少しだけ唇が震えていたけど、それでも。彼女はどこかとぼけたような口調で、こう言うのだった。

「どうして、外さなきゃいけないの?」

────

「私は確かにいま、夜宮くんに対して仮面を被ってるけど、でも……それは、駄目なことなのかな?」

…………ああ、そっか……」

 俺の口からこぼれたつぶやきは、自分でも驚くほど、柔らかなものだった。

 たぶん、それはわかったからだ。いま花房が口にした言葉の意味を、はっきりと──何の未練も抱かないほどにわかったから、俺は納得するようにそう呟けたのだ。

 きっと、花房にとって俺はもう、ただのクラスメイトでしかなかった。

 クズ先輩の一件があって以降、花房から見た俺は、曲がりなりにも他のクラスメイトとは違う存在だったと思う。……それがいまや、花房にとっての俺は、たとえ本性がバレているとしても、自身の素顔を見せたくない相手に成り下がってしまったのだ。

 だから彼女はいま、俺に「仮面を外せ」と言われてもなお、それを外そうとはしないのだろう……どうして文芸部の部室に来なくなったのか、その本当の理由を教えてはくれないし、そもそも俺と正面から向き合う必要もないと思っているに違いない。

 ここまで冷たくあしらわれてしまえば、逆に踏ん切りがついた。

 俺はもう、花房憂花のことで悩んだりはしない。

 だって俺にとって花房は、手が届く筈もない、雲の上の存在で……まんさきのU‐Kaは、スマホの画面の中にしかいない女の子なのだから。

 ……もしかしたら俺は、心のどこかで、おこがましい夢を見ていたのかもしれない。

 いつの間にか自分を、彼女と一緒にいられる人間だと勘違いして……だからきっかけさえあれば、花房との関係もまた取り戻せると、そう思っていたのかもしれない。

 でももう、そんな未練も、たったいま吹っ切れた。

 ──そうだ。これが正しかったんだ。いままでがおかしかった。

 花房と一緒に、楽しい日々を過ごしてきたこれまでが、間違っていたのだ。

 だから、少しだけ寂しくはあったけど──納得はできた。いま花房がした『拒絶』に対して、なんで拒絶するんだ、と痛いファンのように怒鳴り散らすのではなく、ちゃんと諦観を抱けたことが……いちファンとしてわきまえられたことが、ちょっとだけうれしかった。

「……夜宮、くん?」

 そんなことを俺が長々と考えていると、花房は不安そうな瞳を俺に向けてきた。……もしかしたら、必要以上に俺を傷つけたのではないかと、心配しているのかもしれない。だとしたら、そんな顔をする必要はなかった。

 だって、それに関しては本当に、花房は上手うまくやったから。俺を必要以上におとしめたりはせず、かつ必要な傷だけはちゃんとつけてくれた……もう随分と前、彼女にフラれた先輩がそのことで逆切れしてたけど、あいつの馬鹿さ加減を再確認する。何故なぜなら──。

 こんなに上手く男をフッてくれる女を、俺は、他に見たことがないから。

 ……い、いやまあ、そもそもの話、俺は彼女にコクってもいなければ、他の誰かにフラれたこともないんだけどな! 俺は内心でそうおどけつつ、椅子から立ち上がる。そうして、いま俺が抱いた感情が花房に嫌味なく伝わるよう、できる限り優しい声音で言った。

「なんというか、わざわざ呼び出したりして、悪かったな」

「……こ──夜宮、くん……」

「お前が部室に来なくなった理由がわからなかったのは残念だけど、ちゃんと、踏ん切りはついたから。こうして、またここで会えて、よかった」

…………

 俺の言葉を受け、口を引き結ぶ花房。

 彼女は何故か、ぎり、と奥歯を強くんで、耐え忍ぶような顔をしていた。

 そんな、どこか含みのある彼女の表情をちゃんと見て見ぬふりしつつ、俺は一つ深呼吸をする。……正直、顔から火が出そうになるくらい恥ずかしいけど、これで最後だと思ったら、伝えない訳にはいかなかったから。

 花房の目を見つめながら、俺は呟くように口にした。

「い、いままで仲良くしてくれて、ありがとう……」

────

 俺はそう言い終えると、顔をうつむけながら部屋を出ようとする。……こんな素直な思いを語ったあとに、彼女と二人きりの部屋にいることが耐えられなかった俺は、とにかくここから逃げ出すために、部室の扉に手をかけた。

 そしたら、それと同時。

 どこかすがるような声が、俺の背後から聞こえてきた。

「そ、そういえば! わ、私──こ……夜宮くんに、まんさきのデモ音源、渡してなかったよね!?

「え……?」

 いきなり何の話だ?

 そう思った俺が振り返ると、そこには……何故かその瞳をしずくで潤ませた、泣き出すのを必死でこらえる子供みたいな顔をした、花房の姿があった。

 その表情に、俺がめんらっていると……彼女は無理やり思いを絞り出すみたいに、言葉を続ける。慌ててしゃべるが故にかすれる声はどこか、強い感情に満ちあふれていた。

「ほら! 私の本性を他人にバラさないでいてくれたら、まんさきのデモ音源のコピーをあげるって約束! 果たしてないじゃん!」

「ああ、そういえば……」

「だから、明日! それを、あんたに渡したいから……もう一度だけ、会えない……?」

…………

 どこかしゅんとした様子の花房が、うなれながらそう尋ねた。……どうして俺を拒絶した翌日に、わざわざまんさきのデモ音源を渡そうとしてくれるんだ?

 俺はそう疑問に思ったけど──ああ、その約束を果たすことで、俺と彼女の間にある貸し借りの関係も清算したい、ということか? そうであれば、デモ音源自体は喉から手が出るほど欲しい俺としては、うなずかないわけにはいかなかった。

「ああ、いいぞ」

「そ、そっか……良かった……」

 どこかほっとしたように一息つく花房。……そんな彼女の様子に違和感を覚える俺だったけど、それからすぐさま表情をフラットに戻した花房は、重ねてこう言ってきた。

「じゃあ明日も、ここで会うのでいい?」

「いや。文化部は基本、土日部活なしだから、土曜の明日は部室使えないんだよな……」

「そっか。それじゃあ……校舎裏で、待ってるから」

 彼女はそう言うと、扉の前にいた俺の横をすり抜け、部室から出て行った。──俺はその背中を見届けながら、「ふう」と一度だけ息を吐く。

 ……望んでいたものは得られなかったけど、これで、一区切りはつけられたよな? 俺はそんなことを考えつつ、部室を出て鍵を閉める。

 結局、俺と花房憂花の間にあった関係は、元に戻らなかった。

 それでも、俺が再び二次元を楽しむために──大切な日常を取り戻すために起こした行動に、間違いはなかった筈だから。家に帰ったら今日こそは、大好きなラノベを心置きなく読みあさろうと、俺はそう思うのだった。