第十四話 推しの愚痴を聞いた。


 昼休みの時間。

 昼食をさっさと食べ終えた俺は一人、自席で小説を読んでいた。

 そしたら、ふいに聞きみのある声がしたので、何と無しに本から視線を上げると、はなふさが仲の良い女友達二人と、一軍女子グループを形成して昼食を取っていた。……ついそっちを見ていたら、花房は正面に座る女の子をにらみながら、不満げな声音で言った。

「てかさ、ほっしー……いつもサラダしか食べない私の前で、よく唐揚げ丼なんか食べれるよね。ちょっとした意地悪じゃないそれ?」

「別にそんなつもりはないわよ? 私はただ、私が食べたいように食べているだけだもの。そういう訳だから──あーおいしい。カロリーを気にせずに食べる唐揚げ丼は本当に美味おいしいわね。サラダとかいう草の盛り合わせよりよっぽど美味しいんじゃないかしら?」

「こ、こいつぅ……! あとでデブって後悔しろぉ……!

「つか、ゆうが食べな過ぎなんじゃね? ──はいこれ、うちのママが作った激甘玉子焼き。一個あげるから、こんくらい食べときなって」

「うわ! ありがと、ひめちゃん! やっぱ持つべきものは友達だよね!」

「だべ? 今度からあたしのこと、姫様って呼んでもいいかんね?」

「よ、呼ばれてうれしいそれ?」

「……ちなみに、私はあげないわよ?」

「言われなくても、ほっしーには何も期待してません」

「言うわねこの女」

 そんな会話を交わしたのち、あははっ、と楽しそうに笑う花房。どうやら気心の知れた友人達の前では花房も、いつもの仮面をつけてはいないようだった。

 というか俺、また花房のことを目で追っちゃってるわ……彼女から以前、教室では私を見るのもやめて、的な注意を受けたから、気をつけないといけないんだけど。

 ……いやつうか、私を見るの禁止、って結構酷くない? 心が弱いやつなら不登校になるレベルの、悪辣な要求なんだけど……ま、まあ、別に? 俺は心が強いので、ぜぜぜぜ全然平気ですけどどどど。

 実際、クラスでぼっちをやってる俺なので、他人より心が強いのはそうだと思う。友達を作らずに学校生活を送るのって、割と大変だからな……頑張れ、全国のぼっちたちよ。俺も頑張るから。高校卒業したらぼっち同士で集まって、高校生活お疲れ様会やろうぜ。いやまあ、集まったところでみんなぼっちだから、友達にはなれねえんだけどさ……。

 そんなことを一人思案したのち、俺は手元の本に視線を落とす。そうして、静かに小説を読み進めていたら、どこからかこんな声が聞こえてきた。

「ねえ、こうす──」

 名前を呼ばれた気がして、本から顔を上げる。

 すると、そこには──スマホを片手に、俺に話しかけようとした状態で何故なぜか停止している、花房の姿があった。

…………???

 は? こいつ、何してんの? ここは人目のある教室だから、お前みたいな人気者が、俺みたいな陰キャに話しかけちゃいけないんだけど?

 俺がそう、いぶかし気な視線を彼女に送ると、花房はぎぎぎ、とびついたロボットのような動きできびすを返し、そのまま友人達がいる輪の中に戻っていった。すると、花房を驚きの表情で見つめながら、ほっしーことほしぬいがこう言った。

「……憂花? あなたいま、みやくんに話しかけに行ったみたいに見えたけれど……というか、夜宮くんのことを下の名前で呼ぼうとしていなかった?」

「え? いや、全然? 別に話しかけに行ってなんかないし、ましてや下の名前で呼ぼうとなんてまったくしてないよ?」

「そういえば憂花ってこの間、根暗が何の部活に入ってるか、クラスのみんなに聞きまわってなかったっけ? ……え? お前、もしかしてあいつのこと好きなんじゃね?」

「ちょっと姫ちゃん。本当にやめて」

「あははっ、だよねー。さすがにないよなー。根暗だもんなー」

 張り倒すぞこのビッチ。

 まあ俺も、花房が俺のことを好きっていうのはないと思うけど──誰が根暗じゃ!

 別に俺は、友達がいなくて陰キャでこじらせオタクなだけで、全然根暗なんかじゃねえんだよ! ……いやそれ、誰がどう見ても根暗なのでは? 陽キャを羨ましいと思ったことはないけど、陰キャな自分に嫌気がさすことはたまにあるどうも俺です。

 思いつつ、俺はまた何の気なしに、花房を目で追いかけてしまう。そしたら、タイミングが悪いことに、ちら、と。こちらを見てきた彼女と視線がぶつかった。

…………

 それに気づいた花房はすぐさま俺から目をらし、友人達とのガールズトークに戻っていく。表向き、俺に向けられた視線を気にしてはいない様子だったけど、しかし……友人と楽しげにおしゃべりを続ける花房は何故か、少しだけ浮かない顔をしているのだった。


◆◆◆


 放課後。いつものように部室でブログを書いていたら、そこに彼女が入ってきた。

「っす」

「おお。……挨拶の言葉が短すぎない?」

 部室に入ってくるなり、謎の呼吸音だけで挨拶してきた花房に、俺はそうツッコむ。しかし、俺のそんなツッコミを無視して、花房はいつもの席──俺の隣に腰を下ろすと、「はあああー」とわざとらしいため息をきつつ、テーブルに突っ伏した。

「……どうした?」

「いや、別に……」

 前にもあった、何かあった奴の「別に」だった。誤魔化すの下手か。

 まあ彼女の場合、誤魔化す気があまりない、というのが正確かもしれないけど。

 ともかく俺は、どこか落ち込んだ様子の花房に対して──「何でそんなに落ち込んでるんだ?」とか余計なことは聞かずに、ただ自分が気になっていたことを尋ねた。

「そういえば、今日の昼休み……なんか、俺に用事でもあったのか?」

「そのことよ!」

 俺の問いかけに、花房は、がばっ、と起き上がってそう答える。どうやら図らずも正解に近い質問をしたらしい。彼女は腕を組み、わかりやすくいらった様子で話し始めた。

「憂花ちゃん、こうすけと教室では話さないって決めてたのに、それをつい忘れて、あんたに話しかけに行っちゃうしさ……そのせいで姫ちゃん達に、あんたとの関係がバレそうになったから、なんか憂花ちゃんらしくないミスしちゃったなあって、反省してたのよ……」

「ああ、それで落ち込んでたのか……」

「マジでしくったなあ……やっぱ最近、憂花ちゃんちょっと気を抜き過ぎてるかも。ちゃんと、光助は本来なら、スクールカースト最上位の憂花ちゃんとお喋りをする権利なんかない陰キャで、だから憂花ちゃんがそんな路傍の石ころを、みんながいる前で気にかけちゃいけないって、思い出さないとね……」

「お前さあ、もうちょっとくらい俺に対して気遣いとかできないわけ? というかお前、俺に対してはもう、気遣いなんかしなくていいってなっちゃってるだろ」

「うん」

「なんて気持ちのいい『うん』なんだ……責める気にすらならねえよ」

 俺のそんなツッコミに、ふふっ、と小さく笑う花房。……それは何というか、俺が花房の本性を初めて知ったあの頃には想像もできなかった、柔らかな印象の笑顔だった。

「でもほんと、光助がもうちょっとだけ、スクールカーストが高かったらなあ……いまの光助じゃ、憂花ちゃんがあんたに話しかけると、周りが『憂花ちゃんどうした!?』ってなっちゃうからね……あんた、もうちょっとでいいから陽キャになって、クラスのみんなに認知されてくんない? それで、憂花ちゃんと教室でも話せるようになってよ」

「陰キャになんて無茶言うんだこいつ……陽キャになってクラスメイトに認知されるとか、陰キャが一番不得手としてることだぞそれ」

「ふふっ。まあ、夜宮光助って男の子をクラスのみんなにも知って欲しいとか、そういう願望はぜんっぜんないんだけどね。──だって光助のことは、憂花ちゃんだけが知ってれば、それでいいんだもん。むしろ、他のみんなにはあんまりバレたくないかな」

「……お、お前が、その……俺の何を知ってるんだよ……」

「……や、他意とかなかったから。他意なんか全然ないのに、そんな風に顔を真っ赤にしないでくんない? そうやって意識されると、こっちもやりづらいんだけど……」

 花房はそう言って、赤みがかった顔を逸らした。一方の俺も、そんな彼女を見ていられなくて、自覚できるくらい熱くなってしまった顔をうつむける──な、なにこの雰囲気。ラブコメの神様が「呼んだ?」って出てきそうで、すげえやなんですけど!

 そう思った俺はだから、この空気を変えるため、話をもとあった場所に戻した。

「つ、つか……結局、お前が昼休みに俺と話したかったことって、なんだったんだよ?」

「……それなんだけどさ。これ見てよ」

 花房はそう言いつつ、学生カバンからスマホを取り出し、画面を俺に見せてくる。すると、そこには──【まんさきのボーカルU‐Kaゆうかは、若くて美人だから選ばれただけの広告塔に過ぎない】というブログ記事が表示されていた。……ああ、これか……。

ひどくない!? しかもこれ、内容読んでみたら、ほとんどが憂花ちゃんに対する批判だし! これをお昼休みの時間に見つけて、本気でムカついてさ! 憂花ちゃん、あまりにもムカついたから、あんたに報告しようと思ったんだよ!」

「そんなにカッカすんなよ。こういうの、ネットではよくあることだぞ」

「いやそうだけど! そうだけどさあ!」

 むしろ、こういう記事が作られるというのは、まんさきがどれだけ大きなムーブメントになりつつあるのか、という一つの目安ですらあった。……どんなに素敵なコンテンツにも、否定的な感情を持つ人間は出てくるものだ。それは、人気が出れば出るほど顕著で、だからこういう意見にいちいち目くじらを立ててもしょうがないのである。

 しかし、俺がそういう大人な態度でなだめても、花房は納得できないらしい。彼女はスマホの画面をコメント欄までスクロールすると、なおも憤慨した様子で言葉を重ねた。

「だってほら、見てよこのコメント欄! みんな、この記事に超怒ってくれてるんだよ!? この『ラーメンG太郎一人で食べに行けるマン』さんなんか、めっちゃ長文でいかにまんさきのU‐Kaがすごいかって書いてくれてるし! こういう意見があるってことは、この記事が間違ってるってことで──ん? 光助? なんか顔が赤いけど、どうしたの?」

…………い、いや、別に。なんでもないぞ……」

「そう? じゃあいいんだけど……」

 ごめん。前言撤回。

 間違った意見にははっきりと、間違ってる! って言ってやるべきだと思う。そういう訳だから、俺もその、ラーメンG太郎一人で(以下略)さんと、おおむね同意見だった。

 ……つかなんだよ、『ラーメンG太郎一人で食べに行けるマン』っていうクソみたいなハンドルネームは! いやほんと……自分が考えたハンドルネームを改めて他人の口から聞かされると、恥ずかしさで死にそうになるな……!

 俺がそんなことを思っていると、花房はなおもふんまんやるかたない様子で、話を続けた。

「というか、光助はどう思うわけ? あんたの大好きなU‐Kaちゃんが、こんなに言われてるんだよ? もっと怒ったらどうなの?」

「いや、俺に関しては、既に怒り終わってるというか……」

「は? 怒り終わってるって、何が?」

「ああいや、何でもない。──確かに、ふざけてやがんなこいつ。まんさきのU‐Kaは顔なんかで選ばれてない本物だって、誰が聴いたってわかるのにな。炎上商法でPVを稼ごうとしてるこんなくだらねえブログ、運営側でさっさと閉めて欲しいぜ」

 俺はそう言いながら、そういや俺のブログもプチ炎上はいつもしてるなあ……とかいらんことを考えた。人って、何かしらの発言をする時、自分を棚に上げすぎでは?

「だよねだよね! ほんと、ムカつくわあ……憂花ちゃんはこんなに頑張って、結果を出してるのに! その結果を見ないで、憂花ちゃんの可愛かわいさだけを──上辺だけを見て、こういうこと言うやつほんとぶっ殺したい」

「ああ、わかる。気持ちはわかるぞ花房さん。ただ、言葉遣いには気をつけような?」

「たまにさ、YouTubeのコメ欄とかでも、いるんだよ……『おっぱいにしか目がいかない』とか、『顔エモ過ぎない?』みたいなくっだらねーコメントしてる男が。違うだろっつうの! 憂花ちゃんの歌声を褒めろよ! 確かに憂花ちゃんは超可愛いし、プロポーションもやばいけど、いまは歌を聴けよボケナスが! その使い道のないチ〇コもぎ取ってやろうか!? ああん!? ──でも、応援してくれること自体はうれしいよ、ありがと♡」

「いや、無理だから。さすがにいま色々と言い過ぎたと思ったから、最後にしおらしいこと言って取り返そうとしたっぽいけど、もう手遅れだから」

「憂花ちゃん、歌だけ聞いてもらうには、ちょっと容姿が整い過ぎてるんだよね……はあ、可愛すぎてつらい……」

「クラスの女子が聞いてたらぶん殴られそうな発言すんなよ……」

 俺のそんなツッコミに、それまでずっとイライラしていた花房は「あははっ!」と快活に笑った。それから、どこか朗らかな表情で、俺を見つめてくる。……それに耐えきれなかった俺が視線を逸らすと、彼女はまた小さく笑ったのち、穏やかな声音で言った。

「でもなんか、光助に愚痴ったら、ちょっとスッキリしたかも。最初、あんたに憂花ちゃんの本性を見られた時は、どうしようかと思ったけど……こういうことを言える相手がいるのって、悪くないかもね」

「そ、そっか……」

「ふふっ。うん、そう。憂花ちゃんはいままで、どんなことだって一人で抱え込んできたけど、でも──……え? いや、つか……いま私、なんて……?」

「??? 花房さん?」

────

 突然、花房は自身の口を片手で覆って、がくぜんとした表情を浮かべた。そのまま、揺れる瞳で俺のことをじっと見つめる。

 その瞳は何故なぜか、少しずつ潤み始めていた。

 それから花房は、口を覆っていた手をゆっくりと下ろし、視線を床に落とすと、寂しげに笑った。喜びでは絶対にない感情を抱えながら、それでも笑う彼女から、目をらせずにいたら──ぽつり、と。花房ははかなげな表情と共に、一言だけつぶやいた。


「ああ、そっか。私、もう寄りかかってたんだ」


 その泣いているような声に、俺の心がざわついた。

 だから、それがどういう意味の発言なのか、すぐさま考えようとしたけど──でも、そうして考え始めてからすぐに、俺ではその答えに至れないことに気づいてしまった。

 だって俺は、自分が花房にどう思われているのか、それをまずわかっていないから。ちゃんと、わかろうとしなかったから。

 そんな俺が花房の言葉の意味を知ろうなんて、そんなの……母国語ではない言語で用意されたクロスワードパズルを解くようなものだ。前提となる言語を理解していないのに、無理やり問題を解こうとするだなんて、そんなのは無茶でしかなかったし──それでも答えを求めようとしたら、出てくるのは誤答でしかないと、そうわかっていた。

 そうして、俺が何も言えずにいると、花房はゆっくり立ち上がる。それから、いつものように帰り支度を終えたのち、彼女は……俺に向かって、柔らかな笑みを浮かべた。

 ──でも、これまで本当の彼女を見てきた俺だからこそ、わかってしまった。

 いま、彼女が俺に向けてくれている笑顔は、仮面で作られたにせものだった。

「それじゃあ、憂花ちゃん帰るから。──じゃあね、ばいばい」

「あ、ああ……」

…………

 自分が口にした言葉に刺されたように、苦しげな表情を浮かべる花房。

 そのまま、彼女は足早に文芸部の部室をあとにした。……そうして、寂れた部屋にはただ一人、俺だけが取り残される。

 今日、花房はいつものように、俺に「またね」とは言ってくれなかった。