第十二話 推しが肩こりになった。


 最近、はなふさゆうの様子がおかしい。

 いやまあ、俺にとってのあいつは、ゴミ箱を蹴りつけてたあの瞬間から、ずっとおかしな女なんだけど……最近の彼女は、それとはまた別のベクトルで様子がおかしかった。

 それは例えば、先日の出来事なんかが、わかりやすくて──。

 その日。俺はいつも通り、職員室で鍵を受け取ったのち、文芸部の部室へと向かっていた。そしたら、部室の扉の前に……スマホを手鏡代わりに使いながら、しきりに前髪をいじっている、花房の姿があった。

「……なんか、前髪ちょっとおかしい? てか、今日リップ濃すぎかも……憂花ちゃんはそもそも可愛いし、唇ももとから赤いから、薄くのせるくらいでよかったのに……」

 ……薄々わかってたけど、あいつ、独り言でも自分のことを『憂花ちゃん』って呼ぶんだな。どんだけ自分が好きなんだよ。

 それから、花房はスマホをスカートのポケットに仕舞うと、何故か緊張した面持ちで、何回か「すぅー、はぁー……」と深呼吸したのち、部室の扉に手をかけた。

 なので俺は彼女に、背後から話しかける。

「まだ鍵、開いてないぞ」

「ひゃあっ!? ……あ、あんた、まだ中に入ってなかったの……? つか、じゃあ、さっきの私の行動も……み、見てた……?」

「ああ、少しだけな。なんかしきりに前髪を気にしてたけど、今日は髪型のセットが決まらなかったのか?」

────

 かあああ、と顔をりんぐらい真っ赤にする花房。……い、いや、何故に? 女の子なんだし、髪型がおかしいかもって悩むことぐらい、普通にあると思うんだけど。

 俺がそう考えていたら、花房は俺の横をすり抜け、部室からすたすた遠ざかっていく。それを受けて俺が「え、花房さん?」と話しかけると、彼女は振り返ってこう怒鳴った。

「別に! 文芸部の部室の前で髪を直してたのとか! 何の意味もないから!」

「お、おお……特に意味なんか見いだしてなかったけど、そうか……」

「じゃあ、憂花ちゃんもう帰るから! ばいばい!」

「えっ……部室には寄ってかないのか?」

「寄ってかない! 別に、あんたに会わなくても憂花ちゃん、毎日楽しいし!」

「どういう自慢だそれ。──というか、じゃあさっき、部室の扉に手をかけてたのはなんだったんだよ?」

「うっさい! 黙れ! またね!」

「……怒るのか別れの挨拶を言うのか、どっちかにすれば?」

 俺がそう言っても、花房はそれを無視。彼女は荒々しい足取りで廊下を歩き去ると、そのまま階段を降りていった。

 そうして、花房の姿が見えなくなった、次の瞬間。

「……ああああああああああ……!」

 という、何かを恥ずかしがるような叫び声が、廊下にこだまするのだった。……あの、姿は見えずとも、謎のほうこうが聞こえちゃってるんですけど。

 とまあ、そんなことがあったり。また、別の日では──。

 俺と花房はその日、部室で思い思いの時間を過ごしていた。俺はパソコンに向かってブログの執筆。花房は俺の方をちらちら見やりつつ、スマホをぽちぽちいじっていた。

 というか最近、暇さえあれば花房に見られてる気がするんだけど、これはモテない男子特有の自意識過剰ですかね……? 俺はそんなことを思いつつ、ブログの執筆に必要な国語辞典を取りに、本棚へと向かった。すると、本棚のすぐそばに座る花房の肩に、ホコリがついているのを見つける。

 ……いま考えれば、いきなり女の子の肩のホコリを取ろうとするとか、キモい行為以外のなにものでもなかったのに……その時の俺はどうしてか、なにまんさきのU‐Kaゆうかが肩にホコリなんかつけてんだよ、という思いが先行してしまい、花房の肩にあるそれを、彼女の肩には直接触れぬよう注意しつつ、そっと摘まみ上げようとした。

 そしたら、次の瞬間──。

────っ!

「なっ……ちょ、ちょっと驚きすぎだろ……」

 俺が彼女の肩に手を伸ばすと同時、花房はびくうっ! と大きく体を震わせたかと思ったら、はじかれるように椅子から立ち上がり、すぐさま後方へとジャンプした。そうして俺から距離を取ったのち、部室の窓に背を預けると、花房は驚いたような顔で言った。

「え……い、いま、あんた……憂花ちゃんにえ、エロいことしようとした……!?

「な、なんつうぎぬを着せんだお前……! し、してねえから! 肩についてたホコリを、みっともねえから取ってやろうとしただけだ!」

「ななななんで勝手に、憂花ちゃんの肩のホコリを取ろうとしてんのよあんたは!」

「お前こそ、なんで肩のホコリを取られそうになっただけで、そんなに驚いてんだよ……キュウリ見せられた時の猫かよ」

「あんたがいきなり憂花ちゃんの柔肌に触れようとしたからでしょ! マジでありえない! あんた、憂花ちゃんが誰かわかってんの? ──憂花ちゃんだよ? あんたなんかが気安く触れようとしていい憂花ちゃんかどうかくらい、考えればわかるでしょ!?

「花房さんこそ、自分で憂花ちゃん憂花ちゃん言い過ぎて、肝心の言いたいことが俺に伝わりづらくなってるって気づいてる?」

「と、ともかく! こうすけは今後一切、憂花ちゃんに触ろうとするの禁止! 破ったら、まんさきのデモ音源あげないからね!」

「まーたその契約を引き合いに出すのかお前は……そのうち、『消しゴムを貸してくんないとデモ音源あげない!』とか言い出すんじゃねえの?」

「返事は『はい』しか認めてないんだけど?」

「……はい」

 めんどくさくなった俺はつい、適当に返事をする。将来イエスマンにだけはなりたくない俺なのに、思わずうなずいてしまったぜ……こうして人は大人になっていくのか……。

 でもどうして花房はいま、俺に肩を触られそうになった程度のことで、こんな大げさに反応したんだろうな? ワイヤレスイヤホンを二人で使った時は、俺をからかう余裕があったくらいなのに……案外、他人から触れられるのに慣れてなかったりするんだろうか。

 ……いやまあ、普通に、キモオタに触られるのが嫌だっただけなんだろうけど。

 という訳で、以上、今日より前に起きたエピソード二つでした。

 これらのエピソードからわかる通り、花房はどこか以前と比べて、俺に対する態度がおかしいというか──うぬぼれたことを言わせてもらえれば、最近の彼女は何故なぜか、俺を異性として意識し過ぎているようだった。

 ……いま自分で考えてて「俺キメエな……」って思ったけど、ともかく! 花房が俺を好きというのはあり得ないにしても、俺に対する彼女の様子がどこかおかしい、というのは確かな事実であり。なのでそれを受けて、いまの俺が思うことは──。

 最近の花房はなんだか、彼女らしい性格の悪さが薄れていて、だからすげえやりづらいのだった。──いや、やりづらいのかよ。そこは嬉しいじゃねえのかよ。……もしかして俺って、花房のあの、ちょっと性格が悪いところもそんなに嫌いじゃないのでは?


◆◆◆


 そんなこんなで、時系列は現在。

 俺と花房がいつものように、放課後。文芸部の部室でうだうだしていると、俺の斜め前の席に座っていた彼女が、こんなことを言い出した。

「ねえ光助。あんたさ、自分の嫌いなところを挙げてってくれない?」

「は? いきなりなんだよ? というか、自分の嫌いなところを挙げるようお願いするって、それ、どういうタイプのSMなん?」

「や……SMとか、普通にキモいから。そういうこと言うのやめてくんない?」

「え、ごめん……」

「まあ、謝ってくれたら、別にいいけどさ……」

 少しだけ頰を朱に染め、そっぽを向きながら花房はそう言った。……先日に引き続き、やっぱり様子がおかしかった。ちょっと前まで『チ〇コもぎ取る』とか言ってた彼女が何を今更、SMってワードで恥じらうことがあるんだよ……。

 俺はそう思ったけど、でも──男たるもの、エロい話題を女の子にふるべきじゃない、というのは俺も同意見だったので、そもそもの場所に話を戻した。

「というか、自分の嫌いなところを挙げてくれって……どういう理由で?」

「……別に、そこはどうでもいいじゃん。とにかく、理由なんかないけど、あんたは自分の嫌いなところを、憂花ちゃんに教えてくれればいいの」

「なるほど。理由を教える気はない、と……」

「だから違うって。──憂花ちゃんはただ単に、あんたから『自分の嫌いなところ』を聞いて、あんたのことをちょっと嫌いになりたいだけだもん。そこに理由なんかないの」

「は、はあ? 俺をちょっと嫌いになりたいって、なんだそれ……つか、理由もなく俺を嫌いになりたいと思ってる時点でもう、花房さんは俺のことが嫌いなのでは……?」

「ソンナコトナイヨ?」

「わかりやすく『否定できてない否定』をすんな」

 俺のそんなツッコミに対し、どこか曖昧な笑みを浮かべて笑う花房。それから、彼女はまた少しだけ顔をらしてしまうと、どうにも言いづらそうに続けた。

「や、マジで憂花ちゃん、光助が嫌いとかじゃないんだけどさ……もうちょっとでいいから、あんたのことを嫌いになりたいなー、とか? そんなことを思ってるんだよ」

「一体どういうきっかけがあったら、人を嫌いになりたいと思うようになるのか、謎なんだけど……とにかく俺は、自分の嫌いなところを言えばいいんだな?」

「そ。あんま深く考えないで、とりあえず言ってみてくんない?」

 花房にそう言われ、俺は少し黙り込む。

 正直、花房の狙いが意味不明だし、だからあまり気は進まないけど……それを望む花房の目がどこか、弱っているというか、すがるような色をたたえていることに気づいた俺は、ひとまず彼女の望むまま、話を続けた。

「正直、俺が思う『自分の嫌いなところ』って、あり過ぎてなあ……ちょっと長くなるかもだけど、それでもいいか?」

「うん、いいよ」

「それじゃあ、まず……顔面が残念」

「そんなことないでしょ。普通だよ、普通。イケメンじゃないけどね」

「キモオタ」

「オタクなだけでキモくないじゃん。憂花ちゃん、オタク好きだし」

「……性格が偽善的」

「変に善人過ぎるより、よっぽど人間らしいんじゃないの」

…………こじらせファン」

「拗らせてようが、ファンはファンだよ。これからも憂花ちゃんの応援、よろしくね」

………………中学に上がるまで、夜中のトイレに一人で行けなかった」

「あははっ、それはダサいね。でも、いまは一人で行けるんでしょ? 一人で行けるようになってよかったじゃん」

「お前なんなのマジほんとなんなの」

 俺は真っ赤になった顔を両手で覆いながらそう言った。

 マジなんなんだよ、今日の花房……俺が思う『自分の嫌いなところ』を一個一個否定してくれるとか、こいつ、俺のために作られたヒロインなん? こんなん続けられたら、かなわぬピュアピュアな恋心を抱いちゃうからやめて……モテないオタク男子ほど、恋に落ちたらめっちゃピュアなの知らないのかよ……。

 そんな俺の様子を見て、「???」と小首をかしげる花房。自分がしたこと(オタク男子のコンプレックスを一つ一つ丁寧に否定するという、天使過ぎる行為)に気づいていない様子の彼女は、不満げな顔になってこう言った。

「いやいや、お前なんなの、は憂花ちゃんの台詞せりふなんだけど。その程度の、憂花ちゃんが簡単に否定できるような『自分の嫌いなところ』を並べて、それで憂花ちゃんが光助を嫌いになれるとでも思ってんの? ふざけてんの?」

「あの……どうして俺がいま、こんなにも彼女に怒られてるのか、誰かわかる人いる?」

「もしかしてあんた、憂花ちゃんに嫌われたくないからって、自分が本当に嫌いだと思ってる部分は言ってないんじゃない? だとしたら、憂花ちゃんもっと怒るしかないんだけど。──ねえ光助。私、本気だからね? すっごい真剣に、あんたが自覚してる、みや光助の嫌な部分を知りたいのよ」

「そ、それは、何で……?」

「……最近ね、憂花ちゃん、左胸がちくちくするんだよ」

 花房はそう言って、制服の左胸あたりを、左手でぎゅっと握り込んだ。

 それから、握り込んだ手を放した彼女は、俺を一瞬だけ見たのち、すぐさま視線を逸らす。──対面の俺に、ほんのりと朱に染まった横顔を見せながら、花房は続けた。

「そのせいで、お仕事にも支障が出てる。私に期待をしてくれて、私が期待に応えたい人達に、迷惑をかけちゃってるの。──それが、嫌なのよ。この問題を一刻も早く解決したい。だからお願い、光助……憂花ちゃんに、自分の嫌いなところを、ちゃんと教えて」

…………

「もし嫌いなところがもうないなら、キモいと思うところでもいいから。──ほら、なんかない? 普段あんたが生活してて、こういうところが自分はキモいなあ、とか、そう思うことがあったりしない? ねえ、教えてよ。憂花ちゃんを助けると思って!」

 結局のところ、花房が口にした言葉は断片的で、だからどうして胸に痛みを覚えた彼女が、俺を嫌いになりたいのかはわからなかったけど、でも──そうして口にできるギリギリまで自身の感情を語ってくれた花房の、真剣な思いだけは伝わったから。

 だから俺は、自分でもすごくキモいと思う事実を伝える覚悟を、決めるのだった。

「じゃあ、一個だけ……お前が確実に引くことを、言ってやるよ……」

「う、うん! そういうのちょうだい!」

「聞いたあとで後悔しても、知らないからな……」

「後悔なんかしないから、早く言ってって!」

「……その言葉、後悔することになるぞ」

 ダークヒーローみたいな台詞を吐く俺。……い、いやでもこれ、本当に言っていいのか? 俺がこれから彼女に告げる事実は、曲がりなりにも積み上げてきた俺と花房の関係を、一瞬で崩壊させかねないレベルの、爆弾発言なんだけど……ええい、ままよ!

 引き下がれなくなった俺はそうして、真正面から彼女の目を見据えると──花房にならともかく、まんさきのU‐Kaには絶対に言えない、すげーキモいことを言うのだった。

「じ、実は俺、二次元でしかシコったことない……」

────

 ピキーン、という空気が凍る音が聞こえた。

 ……なんか最近の俺、こういうやらかし発言多くない? 俺がどこか冷静な頭でそう思っていると、顔を真っ赤にした花房が、目を大きく見開きながら「し、シコ……!」とつぶやいた。まんさきのU‐Kaになに呟かせてんだ俺……。

 そうして、部室に重苦しい沈黙が落ちる。……もしかしたらこれが、俺と花房が交わした最後の会話になるのかもな……だとしたら、俺の最後の発言がアレ過ぎて申し訳ねえなあ……とか考えていたら、ふいに花房が、どん! とテーブルを強くたたいた。

 それから、彼女はいまだ真っ赤に染まったままの顔を俺に向けると、心底悔しげな表情と共に、大声でこう怒鳴るのだった。

「めっっっっっちゃキモい! さすがに、いまの光助の発言は超絶キモいし、それを憂花ちゃんに言える神経とか、マジでなんなのこいつ、もしかして脳が溶けてんじゃないの、って思うけど、なのに……だっていうのにどうして、こいつを嫌いになれないのよぉ!」

「あっぶねえええええ耐えたああああああ!」

 花房の口から「もうあんたとは二度と口きかない」的な発言が出ると踏んでいた俺は、思わずそう叫んだ。

 ……いや、そんなに怖がってたなら、あの爆弾発言自体をやめとけよ、という話ではあるけどな! だ、だって花房が、自分でもキモいと思うところを、俺に言って欲しいって言うから……でもだからって、ここまでちゃんとキモいことを言っちゃう俺、さすがにピュア過ぎない?

 俺がそう自分にツッコんでいると、次いで花房は、帰り支度をさっさと済ませたのち、俺に向かって「じゃあ憂花ちゃん、もう帰るから。これ以上、キモい男と一緒にいたくないし。──またね」とだけ言い残し、部室をあとにするのだった。……あ、俺のこと、嫌いにはならなかったけど、キモいとは思ってる感じですね? 了解でーす。


◆◆◆


 俺がやらかし発言をした日から、また時間は経過して、数日後。

「やっほー、光助!」

 俺が部室でパソコンをいじっていると、勢いよく部屋に入ってきた花房に、どん、と背中を叩かれた。……いきなりのボディタッチにドキドキしつつ、俺は「おお」と返事をする。すると、花房は俺の隣の席に座りながら、うれしそうな顔で話し始めた。

「おとといと昨日は、ここに来れてなくてごめんね? 憂花ちゃんに会えなくて寂しかったでしょ? ……憂花ちゃんもさすがに、二次元でしかシコれない男と二人っきりの部室に行くのが、ちょっと怖くてね……」

「お、お前……俺の黒歴史をさらっと掘り起こすなよ……」

「いや黒歴史って。まだ三日前の話だし。直近のやらかしじゃん。鮮度しかないんだから、あの時のことを憂花ちゃんにイジられるのはしょうがなくない? ──あ、いまのイジるって、エロい意味じゃないからね? あははっ」

「お前は下ネタに強いスナックのママかよ……というか、言っとくけどな花房さん……そのことをイジり続けるようなら、俺にも『家に帰ったら絶対にプリン食べる事件』で迎撃する用意があるからな……?」

「……やめよ光助。これ、あれだから。お互いに核兵器を持ってる国同士のいさかいみたいになってるから。核廃棄しよ」

「だな。核、いくない」

 俺達はそんな会話をしたのち、あははは、と乾いた声で笑い合う。……何というか、花房の様子がいつも通りというか、おかしくなるより前の状態に戻っている気がした。下ネタにも以前と同じ反応をしているし、俺を意識し過ぎている感じもない。

 そんな彼女の態度についあんしていると、花房はふと思い出したように、話し始めた。

「あ、そうだ。この間、憂花ちゃん言ってたじゃん? 『最近、左胸がちくちくする』って。あれ、原因わかったよ」

「え……そ、そうなのか……?」

「うん。──肩こりだって」

「は? か、肩こり……?」

 花房の言葉を受け、頭上にハテナマークを浮かべる俺。一方、そんな俺とは対照的に、花房は肩の荷が下りたみたいに笑っていた。

「肩がこると、ろっかん神経の付け根のところが圧迫されて、胸がちくちく痛むことがあるんだって。昨日、ここ最近の悩みをたにまちさんに相談したら──『それは肩こりだから、思い悩む必要はない』って言ってくれたんだよ。正直、憂花ちゃんは別の理由があるんじゃないかなって思ってたんだけど、よかったー。憂花ちゃん、ただの肩こりだったんじゃん」

…………

「まったく。この憂花ちゃんをこんなに悩ますとか、ムカつく肩こりだったなあ……そういう訳だから光助、憂花ちゃんの肩んでくれる? もちろん、全力でね」

「……ああ、わかった……」

「え……な、なんで素直なのあんた? 憂花ちゃん、肩揉めって言ったんだよ? そこはいつもの、『まんさきのU‐Kaはそんなこと言わないんだよ!』的ツッコミがさくれつするところじゃないの?」

「まあ、今日くらいは揉んでやりたいと思ってな……」

「ちょ、いいから! 本当に揉もうとしないでいいから! ──てか、憂花ちゃんの肩に触りたいだけでしょ! そういうとこ相変わらずキモいから!」

「いや、そういう訳じゃなかったんだけどな……」

 俺は言いつつ、花房の肩を揉むために立ち上がった椅子に、改めて座り直す。……意外だ。彼女にはこういう、アホっぽい部分はあんまりないと思ってたのに。今回のこのてんまつに関しては、花房がすげえアホに見えるな……。

 ──たぶん、花房の左胸がうずく原因は、肩こりなんかじゃない。

 決してそういう身体的な理由じゃなくて、彼女は何らかの『左胸がちくちくする』ような感情を抱いてしまったから、その結果、そういう痛みを覚えたのだと思う。

 だけど、そのせいで花房が、ボーカリストとしての仕事を上手うまくこなせなくなっていることに気づいた谷町さんが、そんな彼女に対して──「それは肩こりだよ」というかりそめの答えを与えた。それに、花房は飛びついたのだ。

…………

 ただ、それが肩こりじゃないのはわかるけど、それでも……俺は、彼女が抱えている『肩こりではない感情』を一体何と呼ぶべきなのか、そこまではわからなかった。

 ……それは、より正確にはたぶん、わかろうとしなかった、というのが正しいかもしれない。もしその安易な可能性を認めた時に、俺が──花房憂花に対して、もう随分と好意的になってしまっている俺が、どういう思いを抱いてしまうのか。それを知るのが怖かったから、俺は花房の感情と向き合うことをしなかったのだった──。

 俺みたいなこじらせオタクにとって、推しっていうのはどこまでも、尊い存在であって欲しいから。

 それを、俺自身が抱くよこしまな感情で汚してしまうことが、怖かった。

「肩こり、早く治るといいな」

「ほんとだよ。……まあ、憂花ちゃんをこんなに悩ませた肩こりなんて、今回が初めてだから……どうせ、長い付き合いになるとは思うけどね」

 そう語る花房の表情は、何故なぜかとても幸せそうで、太陽みたいにまぶしくて。

 だから俺はそんな彼女を、直視することができないのだった。