第八話 推しとハイタッチをした(してない)。
「
昼休みの時間。俺がトイレから出てくると、廊下でクラスの女子が女友達にそう話しているのが聞こえた。それに驚いた俺は、開いた窓のそばへと移動する。サッシに両腕をのせ、ぼけーっと中庭を見ているフリをしつつ、彼女達の会話に耳をそばだてた。
「わかるわかる! 確かに歌は上手いけど、ちょっと
「ほんとそう。あいつ絶対、そんな自分を隠してるんだよ。花房ってああ見えて、実は体面とかすっごい気にするタイプだって絶対。
「…………」
女子の観察眼えげつねえなおい。
正直、クラスの大半のアホ(失礼)は、花房に裏の顔があるなんて夢にも思っていない
考えていると、花房アンチ系女子は再びその汚い口を開き、悪口を話し始めた。
「つかさ、今日の体育だって、あいつのせいで負けたんじゃん。あいつがあそこでフリースロー決めてたら勝ってたのに、ああ、それは外しちゃうんだ? って感じ。いまはあいつ、まんさきとしてブレイクしてるけど、ああいう場面で決めきれないあたり、未来は暗いと思わない? どうせ数年後には、まんさきなんていなくなってるでしょ」
「あははっ、ねー。花房さんって、何でもできる訳じゃないんだね。むしろ、体育に関しては、うちらに迷惑かけてたよね」
「今度からあいつ一人でチーム組んでバスケやりゃいいのにね」
そう言い捨てたのち、けらけらと下品に笑う女子二人。……醜いわー。見た目うんぬんの話じゃなくて、心がすげー醜いわ。
高校の体育は基本的に男女別なので、花房にどれくらいの責任があったのかは知らないけど、たかがフリースローを外しただけでそんな言ってやんなよ。お前ら、外見の勝負じゃ絶対に花房に勝てないのに、内面でも負けてどうすんの? じゃあ何で勝てんのよ?
思いつつ、俺は
ここで陰口を
ただ、まんさきの
さっきの陰口にちゃんとムカついているのが、ちょっとだけ意外だった。
◆◆◆
その日の放課後、花房は文芸部の部室に来なかった。
というか、俺から上手いこと部室に来る許可を得た彼女だったけど、ガス抜きのために毎日欠かさず文芸部に顔を出すとか、そういう訳でもなさそうだった。
しかも、あんたに愚痴を聞かせてやる、とか言ってた割には、三日に一回くらいのペースでここに来ても、俺と何てことないお
そんなことを考えつつ、午後五時過ぎに部室を出た俺は、
そうして体育館の前を歩いていると、ふいに──きゅっ、きゅっ、という、体育館特有の、上靴と床が擦れる音が聞こえてきた。どうやらバレーだかバスケだかの部が部活をしているらしい。気になった俺は足を止め、体育館の入り口から、中をひょいと覗き込む。
すると、そこにあったのは──。
「よしっ。まず一本成功」
制服を着たまま、バスケのゴールに鮮やかなシュートを決める、花房
「……いや、何してるんだよ……」
彼女に聞こえないよう、そう
でも、本当にそう思ったのだ。放課後に居残ってまで、何してんだあいつ……というか、運動しやすいように髪を束ねてるんだろうけど、ポニーテールがやばいくらい似合ってんなおい! 超絶
あと、ええと、なんだ……彼女がジャンプする度に、その……豊満なお胸が、お
俺がそう自分を戒めていたら、花房は再度フリースローを放った。しかし、今度のそれはゴールに嫌われ、がこん、とリングに
「ちっ。意外と難しいかも……」
花房はそう文句を言いつつ、ボールを拾いに行く。それから、もう一度フリースローの位置に下がってシュートを放った。──入ったり、外したり。入ったり、外したり。彼女は額に汗を
「…………」
それを見ながら、俺はふと、昼休みにあったことを思い出した。
『つかさ、今日の体育だって、あいつのせいで負けたんじゃん。あいつがあそこでフリースロー決めてたら勝ってたのに』
どうやら花房は今日の体育で、フリースローを外して負けたらしい。
だからなんだと思う。体育のバスケで、自分のせいで負けたぐらいのことでどうして、彼女がいまここでこうしているのか、俺にはまったくわからない。
でも、ただ──これが花房憂花なのだと、そうは思った。
体育の時間に、フリースローを決められなかった。それだけのことにちゃんと
そこに、どんな理由があるのか、俺にはわからない。
次の体育では絶対に勝ってやる、なのか。
あいつら、私のことを馬鹿にしやがって、なのか。
まんさきのU‐Kaは、完璧じゃないといけないから、なのか。
案外、むしゃくしゃしたからやっている、というのもある気がした。……ただ自分が、やりたいから。
何にせよ、美しかった。
花房が一人、制服から着替えることもせず、バスケのゴールだけを見据えてシュートを打ち続けている姿は、どこまでも美しかった。
「……努力するのが苦手、なんて言ってたけど、そんなの
紙のように薄い、でも確かな好意がまた一つ、俺の中で折り重なる。花房憂花を知る度に、少しずつ彼女に
俺にとっては、推しを推したいと思うそれだけが、純粋な気持ちなんだから。
そこまで考えた俺は静かに、体育館の入り口から離れる。……これは、いちファンが無遠慮に見てていい場面じゃない。そう思った俺が、体育館に背を向けたら──。
「あんた、まだ憂花ちゃんに話しかけられないの?」
そんな声が背後から聞こえてきて、つい振り返る。──彼女は、制服の袖で額の汗を拭いながら、からかうような微笑をこちらに向けていた。
「……気づいてたのか」
「まーね。ちょっと前から、憂花ちゃんのことが好き過ぎるファンの男の子が、目をギラつかせながら憂花ちゃんを
「し、視姦って、言葉強すぎない? ……というか、『まだ憂花ちゃんに話しかけられないの?』ってなんだよ。お前、ちょっと前に──憂花ちゃんから話しかけるのはいいけど、あんたから話しかけるのはあり得ない、みたいなこと言ってただろ」
「あれ、そうだっけ?」
「鳥くらい記憶力ないですね」
俺のきついツッコミに、さして気にした風もなく、花房は快活に笑った。それから、彼女らしくない爽やかな笑みを浮かべて、花房は続ける。
「ねえ。
「どうせ暇ってなんだよ……めちゃくちゃ忙しいっての。これから家帰って、女子高生が南極を目指すアニメを
「ほら、暇じゃん」
「なんでパンピーはすぐ、オタクが趣味に浸ってる時間を暇って言っちゃうの? 俺達オタクにとっては、そんな時間こそが有意義な時間なんだけど?」
「あははっ。まあ、憂花ちゃんも根はオタクだから、そこはわかるけどね。──でも、あんたにとっては、それらの何よりも優先されるべきは、この憂花ちゃんでしょ?」
「…………」
「だから、憂花ちゃんが『あんた暇だよね? 手伝って』って言ったら、夜宮は何もかもをなげうってでも、憂花ちゃんに
「何でそんな、『北の反対は南だよ? そんなことも知らないの?』ってトーンで性悪なこと言えるのお前? あと『傅く』って日常会話で初めて聞いたわ」
「いやツッコミとかいいから。──憂花ちゃんは答えだけが欲しいの。ほら、ぐだぐだ言ってないで早く
「これ、性悪とかじゃなくて、もはやただのドSなのでは?」
ツッコミとかいい、と言われた俺はそれでもそうツッコみつつ、一つ息を吐く。それから、ついうんざりした声音になってしまいながらも、彼女に言った。
「で? 何を手伝えばいいんだ?」
「……ふふっ、本当に手伝ってくれるんだ? 別に、憂花ちゃんがあんたに話しかけたのは、あんたとちょっと話がしたかっただけで、断られたらそれでもいいと思ってたんだけど……偽善で付き合うのなら、そんなのはいらないよ?」
「…………」
「あんたが手伝いたいって思ってくれたなら、手伝ってよ」
手に取りやすい理由を潰され、一瞬黙ってしまう俺。けれど、さっきの花房の様子を見て、推しの努力に胸を打たれていた俺は、体育館に足を踏み入れながら尋ねた。
「それで? 俺は何をすればいいんだ?」
「……あはっ。夜宮って、憂花ちゃんのこと好き過ぎじゃない?」
「ああ、大好きだよ。──まんさきのU‐Kaがな」
「いちいち照れ隠ししなくてもいいのに」
「ただの本心なんだよなあ……」
俺はそう言いつつ、体育館の中ほどまで進む。そしたら、「じゃあ、夜宮はゴール下に入って。それで、ゴールしたボールを憂花ちゃんにパスしてくれる?」と言われたので、俺はバスケットゴールの下に位置取った。
「ところで、さっきから花房さんは何をしてたんだ?」
「何をしてたって……見てたならわかるでしょ。フリースローだよ」
「いや、そういうことじゃなくて。このフリースローはどうなれば終わりなんだよ?」
「ああ……それはね、憂花ちゃんが五回連続で、この位置からシュートを決められたら終わり、ってしてる」
「……花房さんって、実は自分に厳しいのか?」
「ふふっ、違うよ。憂花ちゃんは、憂花ちゃんの有能さを信じてるだけ」
そう言い終えると同時、ボールを持って高くジャンプする花房。手首のスナップと共にボールを前へと押し出し、バスケットゴールに投げる。それは
すると、それを見た彼女は俺に向かってピースサインを掲げながら、こう言った。
「どうも。容姿端麗、
「これで、あとは性格さえ良ければなあ……」
それから花房はしばらくの間、五回連続ゴールを目指してシュートを続けた。三回、四回連続までは何とかいけるんだけど、五回となると難しいらしく、目標達成には惜しいところで届かない。……意外とプレッシャーに弱いタイプなのかね?
俺がそんなことを思いながらボールを彼女にパスしていると、ふいに──花房は不思議そうに小首を
「どうして憂花ちゃんがこんなことをしてるのか、聞かないんだ?」
「……聞いたら、教えてくれるのか?」
「ううん。教えてあげないけど」
「じゃあ『何で聞かないの?』って聞くなよ……」
「あはは、確かに。いま憂花ちゃん、ちょっとめんどい女子っぽかったかも。──滅多に見れない、憂花ちゃんのめんどい部分が見れてよかったね」
「お言葉ですけど花房さん。あなた、普段から結構めんどい女ですからね?」
俺がそう言うと、花房は愉快そうに微笑したのち、「そっか、聞かないんだ」と繰り返した。……そこにどんな意味があるのか、俺には推し量れなかったけど、花房がそう呟いた時の表情は、どこか穏やかで──それに俺はつい、ドキリとしてしまうのだった。
そんなこんなで、俺が花房を手伝い始めてから、三十分。時間も時間だし、そろそろ諦めて終わろうと彼女に提案するべきか、俺が悩み始めていた、その時──。

「絶対決める。だって、ムカつくし。だから、決める」
そんな、花房の心情が現れた……だけど、その心根までは見通せない
美しい軌跡を描いて飛ぶバスケットボール。それが、どんっ、とバックボードに当たった、次の瞬間──ぱすっ、と。あの乾いた音が、俺と花房の耳に飛び込んできた。
そうして、ゴールリングを通ったボールが、体育館の床に落ちる。だけど俺は、それを拾いに行くことはしなかった。だってそんなこと、もうする必要がなかった。
「い、いまの……花房!」
「いやったああああああああああああ!」
花房はそう叫ぶと、ぴょんぴょん飛び跳ねながらこちらに駆けてきた。それから、俺の目前まで来ると「いぇい!」と言い放ち、右手を挙げてくる。ハイタッチの構えだ。
……しかし、目標をクリアしてハイテンションになっている花房とは対照的に、彼女の手伝いをしていただけの俺は、割と冷静で──かつ、そんなことが気軽にできるような陽の者ではないので、思わず
そうして、俺が幾度となく、振りかぶって彼女の手を
「いやもじもじすんなし!」
「……す、すまん……」
「ハイタッチなんか、別に恥ずかしいことじゃないから! だっていうのに、あんたが恥ずかしそうにするから、私まで恥ずかしくなってきちゃったじゃん! ほんと、どうしてくれんの!? 憂花ちゃんが挙げたこの手、どうしてくれんのよ!」
「……ゆっくり、下ろして頂ければ……」
「ああもうちょっと手貸して!」
花房はそう言うと、ハイタッチをするために挙げている右手は維持したまま、空いていた左手でいきなり、俺の手の甲を
「なっ……お、お前、なにを……!?」
「うっさい。いちいちリアクションすんな」
つい頰を赤らめる俺を無視しつつ、花房は摑んだ俺の手を、自身の顔の前に掲げた。
次いで彼女は、俺の手のひらに向かって勢いよく、自身の右手をぱちん! と叩きつける。そうしながら彼女は、どこか無理やりなハイテンションで「い、いぇーい!」と騒いだ。
それから、ハイタッチ(?)を終えるとすぐさま俺の手を解放してくれた花房は、朱に染まった自身の顔を手のうちわで
「はい、これでハイタッチ完了ね!」
「ハイタッチって、完了するものでしたっけ?」
「これに関しては全面的にあんたが悪いんじゃん。ああん?」
「はい、ですね。ごめんなさい」
わかりやすくキレている花房に、俺は素直に頭を下げる。自分が悪いと思った時にちゃんと謝れる俺は、本当に偉い子だと思いました。親の育て方が良かったんだね。
そうして、俺に頭を下げられたのを受け、はあ、と一つ大きく嘆息した花房は、ゴール下に転がるボールを取りに行き、それを俺にパスした。──反射的にボールをキャッチする俺。次いで彼女は、スカートのポケットから何かの鍵を取り出し、それも俺に投げてくる。俺がその鍵も受け取ったのを見届けると、花房は酷く冷たい声で言った。
「じゃあ、バスケットボールを戻すのと、体育館の鍵を戻すの、やっといて」
「…………」
「なにその不服そうな目。いま憂花ちゃん、すっごい腹の立つことがあったんだけど?」
「どうぞお帰り下さい花房様。あとはわたくしめがやっておきますので……」
「ん。普段からその態度でいてよね」
花房はそう言いつつ、自身の荷物が置いてある体育館脇に移動する。学生カバンからタオルを取り出して汗を拭うと、そのまま学生カバンを肩に掛けて体育館を出て行──こうとする直前、一度だけこっちを振り返った。
それから、
「手伝ってくれて、ありがと。──またね」
「────」
俺が驚いたのを確認すると、花房は
「……ああ、またな……」
聞こえていなくても、彼女にそう言った。
それは、ファンとしては間違っていたかもしれないけど、それでも──花房に聞こえていないのをいいことに。俺は彼女に、そう言うのだった。