第八話 推しとハイタッチをした(してない)。


はなふさってさ、なんかムカつかない?」

 昼休みの時間。俺がトイレから出てくると、廊下でクラスの女子が女友達にそう話しているのが聞こえた。それに驚いた俺は、開いた窓のそばへと移動する。サッシに両腕をのせ、ぼけーっと中庭を見ているフリをしつつ、彼女達の会話に耳をそばだてた。

「わかるわかる! 確かに歌は上手いけど、ちょっとてんになってるよね?」

「ほんとそう。あいつ絶対、そんな自分を隠してるんだよ。花房ってああ見えて、実は体面とかすっごい気にするタイプだって絶対。そとづらを気にして、よそ行きの仮面を被って、嫉妬されないよう上手く立ち振る舞う……ほんと、気に食わない女」

…………

 女子の観察眼えげつねえなおい。

 正直、クラスの大半のアホ(失礼)は、花房に裏の顔があるなんて夢にも思っていないはずだけど、そうか……中にはいるんだな、彼女の本性を何となく察している奴も。

 考えていると、花房アンチ系女子は再びその汚い口を開き、悪口を話し始めた。

「つかさ、今日の体育だって、あいつのせいで負けたんじゃん。あいつがあそこでフリースロー決めてたら勝ってたのに、ああ、それは外しちゃうんだ? って感じ。いまはあいつ、まんさきとしてブレイクしてるけど、ああいう場面で決めきれないあたり、未来は暗いと思わない? どうせ数年後には、まんさきなんていなくなってるでしょ」

「あははっ、ねー。花房さんって、何でもできる訳じゃないんだね。むしろ、体育に関しては、うちらに迷惑かけてたよね」

「今度からあいつ一人でチーム組んでバスケやりゃいいのにね」

 そう言い捨てたのち、けらけらと下品に笑う女子二人。……醜いわー。見た目うんぬんの話じゃなくて、心がすげー醜いわ。

 高校の体育は基本的に男女別なので、花房にどれくらいの責任があったのかは知らないけど、たかがフリースローを外しただけでそんな言ってやんなよ。お前ら、外見の勝負じゃ絶対に花房に勝てないのに、内面でも負けてどうすんの? じゃあ何で勝てんのよ?

 思いつつ、俺はまどぎわからそっと離れ、教室へと足を向ける。

 ここで陰口をたたいている二人に対して「おい、やめろよ」的な注意ができたら、カッコいいのかもだけど──そういうことは一切やらずに、俺は教室へと入っていった。……お、俺は、あれだから。ヒッキーやキョンくんに近いタイプの主人公だから。ここで正義漢ムーブはできない男だから!

 ただ、まんさきのU‐Kaゆうかが大好きで、だからこそファンをだましていた花房に、いまだ好意的な感情を抱けていない俺だけど、でも……そんな俺でも。

 さっきの陰口にちゃんとムカついているのが、ちょっとだけ意外だった。


◆◆◆


 その日の放課後、花房は文芸部の部室に来なかった。

 というか、俺から上手いこと部室に来る許可を得た彼女だったけど、ガス抜きのために毎日欠かさず文芸部に顔を出すとか、そういう訳でもなさそうだった。

 しかも、あんたに愚痴を聞かせてやる、とか言ってた割には、三日に一回くらいのペースでここに来ても、俺と何てことないおしゃべりをして帰るだけで、愚痴なんか全然吐かないしな。じゃあなんで部室に来てんのお前……。

 そんなことを考えつつ、午後五時過ぎに部室を出た俺は、箱へと足を急がせる。

 そうして体育館の前を歩いていると、ふいに──きゅっ、きゅっ、という、体育館特有の、上靴と床が擦れる音が聞こえてきた。どうやらバレーだかバスケだかの部が部活をしているらしい。気になった俺は足を止め、体育館の入り口から、中をひょいと覗き込む。

 すると、そこにあったのは──。

「よしっ。まず一本成功」

 制服を着たまま、バスケのゴールに鮮やかなシュートを決める、花房ゆうの姿だった。

「……いや、何してるんだよ……」

 彼女に聞こえないよう、そうつぶやいた。

 でも、本当にそう思ったのだ。放課後に居残ってまで、何してんだあいつ……というか、運動しやすいように髪を束ねてるんだろうけど、ポニーテールがやばいくらい似合ってんなおい! 超絶可愛かわいいので、いつもあれでいてくれたらいいのに……。

 あと、ええと、なんだ……彼女がジャンプする度に、その……豊満なお胸が、おたわむれになるというか──おいなんてよこしまな目でまんさきのU‐Kaを見てやがんだ俺。お前はおっぱいで彼女のファンになったのか? ああ? 違うだろうがこのボケ! 色ボケ!

 俺がそう自分を戒めていたら、花房は再度フリースローを放った。しかし、今度のそれはゴールに嫌われ、がこん、とリングにはじかれると、そのまま体育館の床に落ちた。

「ちっ。意外と難しいかも……」

 花房はそう文句を言いつつ、ボールを拾いに行く。それから、もう一度フリースローの位置に下がってシュートを放った。──入ったり、外したり。入ったり、外したり。彼女は額に汗をにじませながら、無我夢中といった様子でシュートをし続けていた。

…………

 それを見ながら、俺はふと、昼休みにあったことを思い出した。

『つかさ、今日の体育だって、あいつのせいで負けたんじゃん。あいつがあそこでフリースロー決めてたら勝ってたのに』

 どうやら花房は今日の体育で、フリースローを外して負けたらしい。

 だからなんだと思う。体育のバスケで、自分のせいで負けたぐらいのことでどうして、彼女がいまここでこうしているのか、俺にはまったくわからない。

 でも、ただ──これが花房憂花なのだと、そうは思った。

 体育の時間に、フリースローを決められなかった。それだけのことにちゃんとつまずいて、放課後、一人で黙々とフリースローの練習をしてしまう……それが彼女なんだと思った。

 そこに、どんな理由があるのか、俺にはわからない。

 次の体育では絶対に勝ってやる、なのか。

 あいつら、私のことを馬鹿にしやがって、なのか。

 まんさきのU‐Kaは、完璧じゃないといけないから、なのか。

 案外、むしゃくしゃしたからやっている、というのもある気がした。……ただ自分が、やりたいから。上手うまくなるためにじゃなくて、自分が納得するために。彼女はいまそれだけのために、シュートを打ち続けているのかもしれない。

 何にせよ、美しかった。

 花房が一人、制服から着替えることもせず、バスケのゴールだけを見据えてシュートを打ち続けている姿は、どこまでも美しかった。

「……努力するのが苦手、なんて言ってたけど、そんなのうそじゃねえか……」

 紙のように薄い、でも確かな好意がまた一つ、俺の中で折り重なる。花房憂花を知る度に、少しずつ彼女にかれている自分に気づいて──そんな自身を戒めた。……ファンがなに推しに対して下心を抱いてんだよ。そんな純粋じゃないもんは捨てろ。

 俺にとっては、推しを推したいと思うそれだけが、純粋な気持ちなんだから。

 そこまで考えた俺は静かに、体育館の入り口から離れる。……これは、いちファンが無遠慮に見てていい場面じゃない。そう思った俺が、体育館に背を向けたら──。

「あんた、まだ憂花ちゃんに話しかけられないの?」

 そんな声が背後から聞こえてきて、つい振り返る。──彼女は、制服の袖で額の汗を拭いながら、からかうような微笑をこちらに向けていた。

「……気づいてたのか」

「まーね。ちょっと前から、憂花ちゃんのことが好き過ぎるファンの男の子が、目をギラつかせながら憂花ちゃんをかんしてるなーって思ってたし」

「し、視姦って、言葉強すぎない? ……というか、『まだ憂花ちゃんに話しかけられないの?』ってなんだよ。お前、ちょっと前に──憂花ちゃんから話しかけるのはいいけど、あんたから話しかけるのはあり得ない、みたいなこと言ってただろ」

「あれ、そうだっけ?」

「鳥くらい記憶力ないですね」

 俺のきついツッコミに、さして気にした風もなく、花房は快活に笑った。それから、彼女らしくない爽やかな笑みを浮かべて、花房は続ける。

「ねえ。みやってさ、いまどうせ暇だよね? 手伝ってよ」

「どうせ暇ってなんだよ……めちゃくちゃ忙しいっての。これから家帰って、女子高生が南極を目指すアニメをなきゃいけないし、それに大型モンスターを狩猟するゲームもやんなきゃいけないし、あと胸のひもを引っ張ったら顔と両腕からチェンソーが出てくる主人公の漫画も読まなきゃいけないし──」

「ほら、暇じゃん」

「なんでパンピーはすぐ、オタクが趣味に浸ってる時間を暇って言っちゃうの? 俺達オタクにとっては、そんな時間こそが有意義な時間なんだけど?」

「あははっ。まあ、憂花ちゃんも根はオタクだから、そこはわかるけどね。──でも、あんたにとっては、それらの何よりも優先されるべきは、この憂花ちゃんでしょ?」

…………

「だから、憂花ちゃんが『あんた暇だよね? 手伝って』って言ったら、夜宮は何もかもをなげうってでも、憂花ちゃんにかしずかないといけないんだけど?」

「何でそんな、『北の反対は南だよ? そんなことも知らないの?』ってトーンで性悪なこと言えるのお前? あと『傅く』って日常会話で初めて聞いたわ」

「いやツッコミとかいいから。──憂花ちゃんは答えだけが欲しいの。ほら、ぐだぐだ言ってないで早くうなずきなよ」

「これ、性悪とかじゃなくて、もはやただのドSなのでは?」

 ツッコミとかいい、と言われた俺はそれでもそうツッコみつつ、一つ息を吐く。それから、ついうんざりした声音になってしまいながらも、彼女に言った。

「で? 何を手伝えばいいんだ?」

「……ふふっ、本当に手伝ってくれるんだ? 別に、憂花ちゃんがあんたに話しかけたのは、あんたとちょっと話がしたかっただけで、断られたらそれでもいいと思ってたんだけど……偽善で付き合うのなら、そんなのはいらないよ?」

…………

「あんたが手伝いたいって思ってくれたなら、手伝ってよ」

 手に取りやすい理由を潰され、一瞬黙ってしまう俺。けれど、さっきの花房の様子を見て、推しの努力に胸を打たれていた俺は、体育館に足を踏み入れながら尋ねた。

「それで? 俺は何をすればいいんだ?」

「……あはっ。夜宮って、憂花ちゃんのこと好き過ぎじゃない?」

「ああ、大好きだよ。──まんさきのU‐Kaがな」

「いちいち照れ隠ししなくてもいいのに」

「ただの本心なんだよなあ……」

 俺はそう言いつつ、体育館の中ほどまで進む。そしたら、「じゃあ、夜宮はゴール下に入って。それで、ゴールしたボールを憂花ちゃんにパスしてくれる?」と言われたので、俺はバスケットゴールの下に位置取った。

「ところで、さっきから花房さんは何をしてたんだ?」

「何をしてたって……見てたならわかるでしょ。フリースローだよ」

「いや、そういうことじゃなくて。このフリースローはどうなれば終わりなんだよ?」

「ああ……それはね、憂花ちゃんが五回連続で、この位置からシュートを決められたら終わり、ってしてる」

「……花房さんって、実は自分に厳しいのか?」

「ふふっ、違うよ。憂花ちゃんは、憂花ちゃんの有能さを信じてるだけ」

 そう言い終えると同時、ボールを持って高くジャンプする花房。手首のスナップと共にボールを前へと押し出し、バスケットゴールに投げる。それはれいな山なりの放物線を描き、ゴールリングへと吸い込まれていった。──ぱすっ。乾いた心地いい音が鳴る。それが床に着く前に、俺は落ちてきたバスケットボールを両手でキャッチした。

 すると、それを見た彼女は俺に向かってピースサインを掲げながら、こう言った。

「どうも。容姿端麗、もくしゅうれい。歌が上手くて可愛くて、頭もそれなりに良くて、そのうえスポーツまでできちゃう憂花ちゃんです。れるのはご自由に。でも、あんまり入れあげ過ぎないでね? 憂花ちゃんはみんなの憂花ちゃんなので、あなた一人のものにはならないから。憂花ちゃんのことは、ちゃんと分をわきまえたうえで愛してね!」

「これで、あとは性格さえ良ければなあ……」

 りょうてんせいを欠く、ということわざがこれほどまでに似合う女も珍しかった。

 それから花房はしばらくの間、五回連続ゴールを目指してシュートを続けた。三回、四回連続までは何とかいけるんだけど、五回となると難しいらしく、目標達成には惜しいところで届かない。……意外とプレッシャーに弱いタイプなのかね?

 俺がそんなことを思いながらボールを彼女にパスしていると、ふいに──花房は不思議そうに小首をかしげながら、尋ねてきた。

「どうして憂花ちゃんがこんなことをしてるのか、聞かないんだ?」

「……聞いたら、教えてくれるのか?」

「ううん。教えてあげないけど」

「じゃあ『何で聞かないの?』って聞くなよ……」

「あはは、確かに。いま憂花ちゃん、ちょっとめんどい女子っぽかったかも。──滅多に見れない、憂花ちゃんのめんどい部分が見れてよかったね」

「お言葉ですけど花房さん。あなた、普段から結構めんどい女ですからね?」

 俺がそう言うと、花房は愉快そうに微笑したのち、「そっか、聞かないんだ」と繰り返した。……そこにどんな意味があるのか、俺には推し量れなかったけど、花房がそう呟いた時の表情は、どこか穏やかで──それに俺はつい、ドキリとしてしまうのだった。

 そんなこんなで、俺が花房を手伝い始めてから、三十分。時間も時間だし、そろそろ諦めて終わろうと彼女に提案するべきか、俺が悩み始めていた、その時──。

「絶対決める。だって、ムカつくし。だから、決める」

 そんな、花房の心情が現れた……だけど、その心根までは見通せないつぶやきを漏らしながら、五投目。──綺麗に飛び上がった彼女は、ボールを投げた。

 美しい軌跡を描いて飛ぶバスケットボール。それが、どんっ、とバックボードに当たった、次の瞬間──ぱすっ、と。あの乾いた音が、俺と花房の耳に飛び込んできた。

 そうして、ゴールリングを通ったボールが、体育館の床に落ちる。だけど俺は、それを拾いに行くことはしなかった。だってそんなこと、もうする必要がなかった。

「い、いまの……花房!」

「いやったああああああああああああ!」

 花房はそう叫ぶと、ぴょんぴょん飛び跳ねながらこちらに駆けてきた。それから、俺の目前まで来ると「いぇい!」と言い放ち、右手を挙げてくる。ハイタッチの構えだ。

 ……しかし、目標をクリアしてハイテンションになっている花房とは対照的に、彼女の手伝いをしていただけの俺は、割と冷静で──かつ、そんなことが気軽にできるような陽の者ではないので、思わずちゅうちょしてしまった。……お、女の子の手に自分から触れるとか、そんなの、恥ずかしくて恥ずかしいんですけど……!?

 そうして、俺が幾度となく、振りかぶって彼女の手をたたこうとしたのち、恥ずかしくなってやめる、を繰り返していると、ついには──ほんのりと頰を赤らめた花房が、そんな俺を見ながらこう怒鳴った。

「いやもじもじすんなし!」

「……す、すまん……」

「ハイタッチなんか、別に恥ずかしいことじゃないから! だっていうのに、あんたが恥ずかしそうにするから、私まで恥ずかしくなってきちゃったじゃん! ほんと、どうしてくれんの!? 憂花ちゃんが挙げたこの手、どうしてくれんのよ!」

「……ゆっくり、下ろして頂ければ……」

「ああもうちょっと手貸して!」

 花房はそう言うと、ハイタッチをするために挙げている右手は維持したまま、空いていた左手でいきなり、俺の手の甲をつかんできた!?

「なっ……お、お前、なにを……!?

「うっさい。いちいちリアクションすんな」

 つい頰を赤らめる俺を無視しつつ、花房は摑んだ俺の手を、自身の顔の前に掲げた。

 次いで彼女は、俺の手のひらに向かって勢いよく、自身の右手をぱちん! と叩きつける。そうしながら彼女は、どこか無理やりなハイテンションで「い、いぇーい!」と騒いだ。ひどく自分勝手なハイタッチだった。いや、そもそもハイタッチかこれ……?

 それから、ハイタッチ(?)を終えるとすぐさま俺の手を解放してくれた花房は、朱に染まった自身の顔を手のうちわであおぎつつ、とげとげしい声音で言った。

「はい、これでハイタッチ完了ね!」

「ハイタッチって、完了するものでしたっけ?」

「これに関しては全面的にあんたが悪いんじゃん。ああん?」

「はい、ですね。ごめんなさい」

 わかりやすくキレている花房に、俺は素直に頭を下げる。自分が悪いと思った時にちゃんと謝れる俺は、本当に偉い子だと思いました。親の育て方が良かったんだね。

 そうして、俺に頭を下げられたのを受け、はあ、と一つ大きく嘆息した花房は、ゴール下に転がるボールを取りに行き、それを俺にパスした。──反射的にボールをキャッチする俺。次いで彼女は、スカートのポケットから何かの鍵を取り出し、それも俺に投げてくる。俺がその鍵も受け取ったのを見届けると、花房は酷く冷たい声で言った。

「じゃあ、バスケットボールを戻すのと、体育館の鍵を戻すの、やっといて」

…………

「なにその不服そうな目。いま憂花ちゃん、すっごい腹の立つことがあったんだけど?」

「どうぞお帰り下さい花房様。あとはわたくしめがやっておきますので……」

「ん。普段からその態度でいてよね」

 花房はそう言いつつ、自身の荷物が置いてある体育館脇に移動する。学生カバンからタオルを取り出して汗を拭うと、そのまま学生カバンを肩に掛けて体育館を出て行──こうとする直前、一度だけこっちを振り返った。

 それから、あきれ混じりの微笑を浮かべた彼女は、俺に向かって言うのだった。

「手伝ってくれて、ありがと。──またね」

────

 俺が驚いたのを確認すると、花房は悪戯いたずらっぽく笑って、今度こそ体育館を出て行った。……そうして体育館に残されたのは、右手に鍵を持ち、左手にバスケットボールを抱えた俺一人。しばらくして我に返った俺は、そこでようやく、花房に対する返事を口にする。

「……ああ、またな……」

 聞こえていなくても、彼女にそう言った。

 それは、ファンとしては間違っていたかもしれないけど、それでも──花房に聞こえていないのをいいことに。俺は彼女に、そう言うのだった。