第六話 推しと相思相愛だった。


 放課後。本来なら文芸部の部室にいるはずの時間に、俺は──。

「どうしてこう、ついワクワクしちゃうんだろうなあ……」

 そうつぶやきながら、大宮駅西口からほど近い場所にある、大宮アルシェというファッションビルの五階に入っているCDショップを訪れていた。それは何故なぜなら、今日は『まんげつよるきたい』のニューシングル、『じんちょう』の発売日だからだ!

 だからこそ俺はいま、こうしてCDショップに……え? なに? 通販で買った方が安上がりなのでは、だと? というか、サブスクで聴けばいいんじゃね、だと!? お、お前、もっともなこと言うなよな……正論だけ言ってて、人生楽しいですか?

 そんなことを考えつつ、お店でCDを買う派の俺は、上機嫌で店内に入る。どうやら試聴スペースの一角がまんさきの特設コーナーになっているようで、今日発売のニューシングルもそこに並べられていた。……おお、なかなか力の入った展開してるやん?

 思いながらそちらに足を向けると、そこには既に先客がいて──ピンクのパーカーに、紺色のデニムというで立ちの彼女は、何故か帽子、マスク、サングラスをつけて顔を隠しており……んん? あんな格好をしたやつ、つい最近も見たことがあるような……というか、わざとらしくとぼけなくても、もうこれ完全にあの人じゃないですか!

「……このポップ、めっちゃいいじゃん……」

 という訳で、彼女──はなふさゆうはそう呟くと、特設コーナーにスマホを向け、一枚写真を撮った。カシャ、とシャッター音。そしたら。

「えへへっ」

 ……あの、なんかいま、すげえ可愛かわいい声が漏れ聞こえてきたんだけど。幻聴?

 つい驚きつつ、まんさきのボーカリストが、まんさきの特設コーナーをぱしゃぱしゃスマホで撮影しているのを、遠巻きに眺めていたら──ふいに、花房が何かに気づいたように辺りを見回し始めた。

 次いで、彼女は何の前触れもなくこちらに顔を向けると、俺の姿を発見する。……おい、何でいまあいつ、急にこっちの気配に感づいたんだよ。

「……はあ……」

 それから、花房は一つため息をくと、マスク、サングラスを外した。そうして、その整った御尊顔をさらしたのち、不機嫌そうに俺を手招きする。

…………

 ご本人に会えたっていうのに、どうしてあんまり嬉しくないんでしょうか? 俺がそう思いながら彼女のそばに移動すると、花房は険しい目つきと共に、こう言った。

「憂花ちゃん、まんさきの特設コーナーを見て、ついテンションが上がっちゃったからめっちゃ写真撮ってたけど、なんか文句ある? あ?」

「気まずいからってとりあえずキレるなよ……ないから。いまのお前の行動に関しては、別に文句とかないから」

うそつけし。どうせあんたのことだから、こんな憂花ちゃんを見て『まんさきのU‐Kaはこんなことしねえ!』って騒ぐつもりでしょ?」

「……まあ確かに、まんさきのU‐Kaっぽい行動ではないわな」

「ほら出た! まーたそれ言ってる! めんどいオタク!」

「おい。めんどいオタクに『めんどいオタク』って言うな。ハゲてる人に『ハゲ』って言っちゃいけませんって、小学校の先生に習わなかったのかよ」

 俺がそうツッコんでも、花房はふてくされたような表情で俺を見やるばかり。だから、何か勘違いしてるっぽい彼女に正直なところを伝えるため、俺は言葉を重ねた。

「つか、いまのに関しては、マジで文句なんかないって……まんさきのU‐Kaっぽいかそうじゃないかで言ったら、ギリ違う気もするけど、だからっていまのお前の行動にガッカリなんてしてねえよ。……ゴミ箱を蹴り倒す、ラーメンG太郎から出てくる、俺のチャリを盗む。そんなこれまでのおこないに比べたら全然マシだ。むしろ可愛いくらいだろ」

「……そっか。確かに、自分が所属するユニットがCDショップで特集されてるのを見て、それで舞い上がってる憂花ちゃん、可愛いかも……え、てか待って。むしろ、いまの私の行動、可愛すぎない? 特に意識とかしないでやってたけど、こういう行動が無意識のうちに取れちゃう憂花ちゃん、やばくない? 容姿が可愛いのに行動まで可愛いなんて、憂花ちゃん、神に愛され過ぎでしょ……世界とかもう、憂花ちゃんのものじゃん……」

「わかりやすくうぬぼれてるところ悪いけど、安心してくれ花房さん。お前は容姿や行動が可愛くても、性格が全然可愛くねえから。そこでり合いは取れてるから」

 俺がそう言うと、花房は「むしろ、この性悪な性格も、一周まわって可愛くない? きゅるん☆」とか言いながら横ピースしてきた。彼女は見た目がガチで可愛いので、それが様になってるのがなおムカついた。ふざけんな。俺のU‐Kaを返せ。

 そんな、平常運行の花房に呆れつつも、俺はふと気になったことを彼女に尋ねた。

「そういえばさっき、まんさきの公式ツイッターをのぞいたら、ニューシングルのPRのために、お前が色んなCDショップに行って、ポスターとかにサインしてる様子が上がってたけど……それは終わったのか?」

「ん、もう終わったよ。都内のCDショップ、それから埼玉もいくつか回って、ここが最後。──んで、今日はこのCDショップで解散になったから、憂花ちゃんはついさっきから、まんさきのCDを買ってくれる人がいないかなーって、ここで見張ってたの」

「……まんさきのボーカルって、意外と暇なんですね?」

「いや暇なわけないじゃん。何言ってんの? 今日だって学校お休みしなきゃいけなかったし、このあとボイトレだって行かなきゃいけないしで、むしろ休みが欲しいくらいよ! でも、憂花ちゃんはそんな超多忙な中でも、まんさきのCDを誰かが買ってくれる瞬間が見たくて、ここで張り込んでたってわけ」

「張り込んでたっていうか、特設コーナーの前で浮かれてた感じですけど……」

「写真撮り終わったら張り込もうとしてたの!」

 せっかくできたお暇なのだから、もっと有意義に使うべきなのでは……俺がそんなことを考えていると、花房はふいに可愛らしく小首をかしげながら、尋ねてきた。

「ところで、みやくんは? ここに何しに来たの?」

…………

 おっかしいなあ。俺、ついさっきまではるんるん気分だった筈なのに、今はあんまり心がぴょんぴょんしてないぞ? まん〇タイムき〇らパワーが足りてないぞ?

 そうやって内心でふざけることで心の平静を保ちつつ(これが俺なりの処世術)、俺は一つ深呼吸すると、花房の目の前に置かれている、まんさきのシングルCD『沈丁花』を手に取った。すると、にっこり笑顔の花房が、小馬鹿にするような声で告げる。

「お買い上げ、ありがとうございまーす」

…………

 そう言われ、赤らんだ顔をうつむける俺。俺はまんさきの大ファンなのに、どうしてまんさきのCDを買いに来ていたことがご本人にバレて、ちょっと恥ずいんだろうな……そんな風に照れてしまった俺はつい、それを誤魔化すために、余計なことを口走った。

「べ、別に、あんたの歌が好きだからとか、そういうんじゃないからねっ! たにまちピーさんの曲が好きだから、買うだけなんだからねっ! 勘違いしないでよねっ!」

「……や、その言い方、かなりキモいからやめて。ノリだってわかってるけど、そのノリは絶対、二度としない方がいいよ? 憂花ちゃんはまあ、心が広いからさ。こいつキモいなーって思って終わりだけど、それを普通の女の子にやったら超引かれるからね?」

…………

 照れを隠そうとしたら、二次被害がひどかった。こういう時、自分がコミュ症だってことをはっきり自覚してしまい、辛い……からいじゃなくて、つらいです……。

 そうして、俺が割とマジでへこんでいると、花房は苦笑しつつも、明るい声音で言った。

「えっと、まあ、その……キモい自分を自覚できて、よかったじゃん!」

「お前は本当に他人を励ますのがド下手だな!」

「そんなあんたを応援とかは別にしないけど、強く生きて!」

「うるせえ! 言われんでも強く生きるわ!」

 こちとら、ラノベや漫画、ゲームやアニメ、音楽に小説──娯楽という娯楽を消費するプロじゃ! 誰に愛されんでも、作品さえ愛していれば強く生きていけるわ! こじらせオタクなめんな!

 俺がそう脳内で息巻いていると、あははっ、と楽しそうに花房は笑った。そうして、いまさっきの俺の失態が噓のような、穏やかな空気が流れる。

 ……まさか、あの気まずい空気を打破するために、わざと俺がツッコみやすい、キツい言葉を選んでくれたとか? いや、さすがに考え過ぎか……彼女はそもそも、こういう毒のあることを言う子だしな。

 思いつつ、俺はもう一枚、まんさきのシングルCD『沈丁花』を手に取る。すると花房は、驚いたような表情を浮かべてこう言った。

「え? もう一枚買うの? なんで?」

「……お前、それでもまんさきのボーカルか? こっちのCDは初回限定A版で、こっちのCDは初回限定B版。タイプが違うんだから、どっちも買うに決まってるだろ」

「や、それは憂花ちゃんも知ってるよ。でもさ、どっちかにした方がよくない? だってこっちのB版は、YouTubeで公開済みのMVが数曲入ったブルーレイが付いてるだけだよ? YouTubeでれるなら、別にいらなくない?」

「お、お前、中の人がそんなこと言うなよ……」

「まあ、まんさきのMVはすごい凝ってるし? しかも新曲のMVには、可愛い憂花ちゃんが映ってるから、それだけで十分価値はあるけど……でもあんた、バイトとかもしてない、親のすねかじってるだけの高校生でしょ? CD二枚は金銭的にきついんじゃないの?」

「なに? 俺いま気遣われてんの? それともけん売られてる?」

「もし本当に特典BDが欲しいなら、今度、憂花ちゃんが学校に持ってって、あんたにあげるしさ。だから、素直にほら。A版の、スタジオライブCDが付属したやつだけにしときなって」

…………

 花房のいつもと違う様子に、少しだけ戸惑う。

 だから俺はつい、いま抱いた疑問を、彼女に対してそのままぶつけてしまった。

「どうして、そんなに親身になってくれるんだ?」

…………

 俺の質問に対して、黙り込んでしまう花房。

 でも、本当にそう思ったのだ。

 俺が知ってる花房なら、俺が二枚目のCDを買おうとした際にも、「お買い上げ、ありがとうございまーす」と言うだけだと思っていた。でも実際の彼女は、そう言って済ますのではなく、本当に二枚も買う必要はあるのか、と俺に問うてきた。

 ……別に、花房が俺に対して好感を持ち始めてくれてるからとか、そんな馬鹿みたいな理由じゃないのはわかってる。だからこそ俺は「どうして、そんなに親身になってくれるんだ?」と、彼女に尋ねたのだ。

 すると、花房は照れくさそうに頰をいたのち、小さくこぼすみたいに言った。

「あんたみたいなファンに、無理をさせるのが嫌なのよ」

────

 ……ああ、そうか。そうだったのか。

 もしかしたら俺は、花房憂花という女の子を誤解していたのかもしれない。

 彼女は確かに、性悪な女だ。自分が可愛いことを鼻にかけ、上から目線な発言が絶えない、まんさきのU‐Kaとは似ても似つかない女の子で──だけど。

 まんさきがファーストアルバムを発売した際、彼女はインタビューでこう語っていた。

《──U‐Kaさんはお若いですけど、今後、アーティストとしてどう成長していきたいとか、そういったビジョンはお持ちですか?

 U‐Ka「そうですね……私は、いまはとにかく、谷町さんの作る曲の世界を、ボーカルとしてちゃんと表現できるようになりたいですね。まんさきを始めてから、私の未熟で拙い歌声を、好きだって言ってくださる方が本当に増えたので。なので、そんな風にまんさきを好きになってくれたファンの皆さんに、胸を張れるような。期待してもらえたぶんだけ、その期待に応えてあげられるような、そんな自分になりたいです。


 私は、まんさきを好きになってくれた人が、大好きなので」》


 それだけは、たがえていなかった。

 確かに花房憂花は、まんさきのU‐Kaじゃない。彼女は性悪な自分を隠して、分厚い仮面をかぶり、自らを偽っていたけど……でも、それだけは。

 彼女が、自身のファンを思うその気持ちだけは、噓じゃなかったのだ。

「……ん、どしたの? なんか急に険しい顔してるけど」

「い、いや、別に……」

 花房には『険しい顔』と言われてしまったけど、実際、俺が胸に抱いているこの気持ちは、そんな表情とは真逆だった。

 ……だって俺はいま、少しだけ泣きそうだったから。花房が見ている険しい顔は、それを我慢するためにそうなってしまったに過ぎなかった。

 花房の本性を知った時、まんさきのU‐Kaはもう、この世のどこにもいないと思って泣いてしまったけど……そして、それは決して間違った認識ではなかったけど──でも、たった一つだけ。彼女の中にもちゃんと、まんさきのU‐Kaと違わぬ部分があった。

 それが、ファンである俺には、どうしようもなくうれしかったんだ。

「いやほんと、あんたどうしたの? トイレでも我慢してるならさっさと行ってきなよ」

「や、トイレを我慢してる訳では全然ないんだけどな……?」

 様々な感情を顔に出さない努力をしていたら、しまいには花房にそう言われた。俺はかぶりをふって表情をフラットに戻しつつ、色々と考える。

 ──俺の中で明確に、花房に対する印象が変わったのがわかった。

 もちろん、花房憂花は俺にとって、あまり好ましい人間じゃない。いまだって『まんさきのU‐Ka』を返せ、という感情は消えていないけど、でも──彼女は決して、性格が悪いだけの人間ではない、というのはちゃんと理解できた。

 俺はこれまで、花房が俺達ファンをだましていた事実がショックだったあまり、彼女に対する感情がマイナスに動き過ぎてしまっていたけれど、そうじゃない……花房は、俺が理想としていたまんさきのU‐Kaじゃないことを除けば、性格がそこそこ腹黒いだけの女子高生なのだ。

 当然、それに気づいたからといって、じゃあ偽りの仮面を被っていた彼女を許そうと思える程、俺の推しに対する愛は軽くないけど──でも、俺の中にある、対花房における感情がかなりフラットになったのだけは、自覚できたのだった。

 ……とまあ、そんな風に。花房に対するわだかまりが減りはしたけど、そんな彼女の言葉に納得してばかりもいられない。何故なぜなら花房の、いまの発言。CDをパターン別に二枚買おうとした俺に──「あんたみたいなファンに、無理をさせるのが嫌なのよ」と言った件に関しては、大いに苦言を呈したかった俺は、こともあろうに。

 まんさきのU‐Ka本人に対して、こう告げるのだった。

「あのなあ、花房さん……お前のその認識は思いっきり間違ってるぞ。だって俺はいま、決して無理なんかしてないんだから。──むしろ、買わせて頂けて嬉しいくらいだ」

「は? 買わせて頂けて嬉しい?」

「そう! どうやらお前はファン心理を全然わかってないみたいだな……確かに、販売戦略なのはそうなんだろうと思う。初回限定版を二つ出し、そのどっちもに別々の特典を付け、CDを二枚買わせる商法──でもそれを、『この戦略きたねえよな……』って言いながら、どっちも買ってるファンは三流なんだよ」

「……え、なんで?」

「だって俺達は、まんさきのCDを、二枚も買わせて頂けるんだから!」

…………さっきからこいつの言ってることが、わかるのにわかんないんだけど。怖い」

 花房はそう言って、俺から少しだけ後ずさる。俺がキモいツンデレ台詞ぜりふを発した時ですら距離を取らなかった花房が、しっかりと引いていた。……女の子に引かれるの、心が痛いぜ。しかし、そうは思うのに──それでも。俺はそのまま、言葉を続ける。

 何故なら俺は、こういう時にうそがつけない、拗らせオタクだからだっ!(ドンッ)

「だいたい、二パターン買うのが嫌なやつは、どっちか好きな方を買えばいい。だから、この商法は実はズルくも何でもなくて、消費者に選ばせてくれる商法なんだよ。Aが買いたいのなら、Aを。Bに魅力を感じたのなら、Bを。そして俺みたいな、まんさきが好きで好きでたまらないファンは、両方を。ほら見ろ、ウィンウィンじゃないか」

「それ、ウィンウィンって言うのかなあ……」

「そもそも俺みたいなファンは、少しでも『満月の夜に咲きたい』というアーティストに触れられるコンテンツが増えるだけで、嬉しいものだからな……つまり、それがたとえ既出のMVだろうが、A版とB版に分かれてようが、ちょっとでも特典をつけてくれたならば、それはもう『ありがとう』なんだよ」

…………えっと待って。じゃあつまりあんたは、A版とB版っていう二種類のCDを出された怒りより、特典をこんなにつけてくれてありがとう、の方が感情として勝る、みたいなことが言いたいわけ?」

「そう。だから俺達は、買わせて頂いているのだ……二枚も買わせやがって、じゃない。二枚も買わせてくれて、ありがとう……」

「……いやほんと、夜宮くんって、憂花ちゃんのこと好き過ぎじゃない?」

「ああ、死ぬほど好きだよ」

「ひ、否定しなよ……」

 俺のぐな言葉に、花房は気まずそうに目をらして、頰を少しだけ赤らめる。

 まあ正確には、俺が死ぬほど好きなのはまんさきのU‐Kaであって、花房憂花ではないんだけど……今日はなんだか、それを訂正する気にはならなかった。

「いやでも、お前にはもう何度も言ってるけど、俺は本当にまんさきが好きなんだよ。谷町P太の作る曲が大好きで、あの人はガチの天才だと思ってんだ」

「それに関しては、憂花ちゃんも異存なし! あの人はマジで天才だよね」

「ほんとにな……『沈丁花』のギターリフとか、普段どう生きてたら思いつくんだよ。歌詞だって、今回もキレッキレだったし。あの人はいつになったら捨て曲を書くんだろうな……あと『沈丁花』の歌詞に出てきた《電話に出ない神様》って、あの名曲『死のうとした』にも出てた神様だろ? 世界観のリンクが最高だわ……」

「……ふふっ。やっぱ、谷町さんの曲が好きで、まんさきのファンになった感じだ?」

 花房はそう言って、俺を見つめながら微笑してくる。……そのあまり見ない笑顔にどきりとしてしまった俺は、彼女からとっさに目を逸らし、そのあとでしっかりうなずいた。

「あ、ああ……そもそも俺、ボカロPの時代から、谷町さんの大ファンだったからな。だから俺、まんさきには最初から期待してたんだよ」

「そっか。それで実際、まんさきにどんどんハマっていったあんたは最終的に、憂花ちゃんに激イタなファンレターをくれたってわけね?」

「……い、いきなり俺の古傷に塩を塗らないでくれません? 痛みでショック死するだろうが……」

「あははっ、古傷って言うほどまだ古くないじゃん。──本当、夜宮くんってまんさき好き過ぎじゃない? もしかして憂花ちゃんのことも、谷町さんの作る曲が好きだから好きになっただけじゃないの?」

「いや、それは違う。俺はお前の歌声が好きだから、お前も好きになっただけだ」

「……ふうん? それじゃあ、憂花ちゃんの歌声のどんなところが好きなのか、試しに言ってみてよ」

「ええと……それに関しては、それこそファンレターに書いたはずなんだけど?」

「あのファンレター、内容がポエム過ぎて、憂花ちゃんを褒めたいのか自分に酔ってるだけなのか、よくわかんなかったんだもん」

…………

「だから、ほら。憂花ちゃんのどんなところが好きか、憂花ちゃんに言ってみ?」

 鼻につく言い方をする女だなおい。

 そう思った俺はだけど、ファンレターの内容がよくわからなかったと言う花房に対して、それじゃあ改めてまんさきのU‐Kaがいかにすごいか、彼女に伝えないと! と思い直し、とうとうと語り始めた。

「まず声質がいい。甘過ぎず、だけどハスキー過ぎない、まんさきの歌詞にぴったりマッチした声だ。そんで、音階の取り方が抜群。アホみたいな感想だけど、マジで歌上手うまい。出る声域も広いしな。ハイトーンなんか、よくそんなれいに歌唱できるなって思うよ。たまに、これ人間じゃ歌えないだろって曲も見事に歌い上げるから、最強かこいつって思ってる。つか、歌詞が聞き取りやすいのほんと好き。発音がはっきりしてるから、歌詞カードを見なくても歌詞がわかるの超嬉しい。あと、曲調によって歌い方をがらっと変えてくれんのも最高。それに、谷町さんの歌詞に寄り添った、感情の込め方も抜群で──」

「いい。さすがにもういいから。憂花ちゃん、他人に褒められるの大好きだし、というかそもそも他人に褒められるの慣れてるけど、さすがにおなかいっぱいだから。これ以上あんたに褒められ続けたら、さすがの憂花ちゃんも褒められすぎで腹ちぎれるから!」

 らしくもなく頰を朱に染めて、花房はそう怒鳴った。……なにこの程度の賛辞で照れてんだこいつ。お前はガチで凄い歌手なんだから、これくらい褒められて当然だろ。

 ……というか、この様子を見る限り、もしかしたら花房に何か勘違いをされているかもしれないと考えた俺は、たぶん余計なことだとは自覚しつつも、言葉を重ねた。

「言っとくけど、俺は別に、お前に気に入られようと思ってこんなことを言ってる訳じゃないからな? 俺はマジでまんさきのU‐Kaが凄いと思ってるから、それを言葉にしただけだからな? ──そこは勘違いするなよ? 俺を、お前にコクってきたあのクソ先輩と同じ人間だと思うなよ?」

「いや、わかってるから。わかってたのに、そういうこと言ってくるのがキモい──じゃなくて嫌だから、やめて欲しかったんだけど……」

「……もしかして、また俺なんかやっちゃいました?」

「うん」

「そこは噓でも否定すべきところなんだよなあ……」

 あと、キモいって言葉を飲み込むなら、もうちょっと早く飲み込んで欲しかったです。お前いま、ばっちり発声したあとに言い直してたからな。もう手遅れだよそれ。

 思いつつ、俺は一つ大きく息を吐く。そうして、微妙にかんした空気に身を委ねていると、ふいに……俺が手に持つ二枚のCDを見ながら、花房が言った。

「ねえ。サイン、したげよっか?」

「……え? い、いいのか?」

「うん。……転売とかしないでよ?」

「いや、するわけないだろ、そんなこと」

「あはは、だよね。あんたはそうだよね。──じゃあ、買ってくれば?」

「あ、ああ。そうする」

 俺はそう、普段と同じテンションで花房に返事をすると、まんさきの特設コーナーを離れてレジへと向かった。

「いらっしゃいませ。ポイントカードはお持ちですか?」

「はい」

 そう返事をしつつ、財布からポイントカードを出し、店員さんに渡す。そうしながら、俺は──いやったあああああああ! まんさきのU‐Kaが俺のCDにサインしてくれるんだってさあああああ! うわああああああああうれしいいいいいいいい! となった。

 この状況、俺が犬ならうれションしてるね絶対。というか、俺いま犬じゃなくても嬉ションしそうだもん。やっべえ。花房が実は性悪とか、そういうの関係なくマジで嬉しい。彼女の本性がどうとか、いまだけは全然関係なくなっちゃった。嬉しい……!

 そうして、はやる気持ちを抑えて会計を済ませた俺は、店を出たところにいた花房のもとに戻る。学生カバンからサインペンを出して、CDと共に彼女へと手渡した。

「なんか、あんたにサインするのって、変な感じ……これ、もらって嬉しい?」

「めちゃくちゃ嬉しい」

 やべ、本音が出てしまった。

 俺のそんな返答に、「ふふっ、そっか」とたおやかに笑う花房。……何故だか今だけは、彼女のそんな仕草の一つ一つが、お隣の天使様に見える俺だった。

こうすけくんへ、でいい?」

「あ、ああ。それで……」

「ん……それじゃあ、はい」

 そうして花房から手渡されたのは、可愛かわいらしい丸文字で書かれた、U‐Kaのサイン入りCD。……いまこの瞬間、俺が購入したこのCDは、我が家の家宝になった訳だけど、実際、家宝ってどう扱えばいいんだろうな? 俺ん家に神棚なんてあったっけ……。

 そう思いながら俺がそれを見つめていたら……ふいに、花房はようえんに髪をかき上げたのち、俺の左耳に顔を近づけてきた。「な──お、おま!?

 花房の顔が近づいてきた事実に俺が慌てていると、彼女はそんな俺を見て悪戯いたずらっぽく笑いつつ、俺の耳元で甘くささやくいた。

「これで、憂花ちゃんのファン、辞められなくなったね?」

────

「じゃあ、また学校でね。ばいばーい」

 花房はそう言い残すと、アルシェ内にある下りのエスカレーターに乗り、そのまま俺の前から消えていった。あ、あいつ……色んな意味で魔性の女だなおい……!

 ただ、花房の本性を知ってから色々あったけど、今日のこれに関しては純粋に、ファンとして嬉しい出来事だった。いやほんと、花房があんなやつだってわかってるのに、どうして彼女がくれたサインはこんなにも嬉しいんだろうか……嬉しいなあ!

「……ま、まあ、別に? 俺はまんさきのU‐Kaからサインを貰えたのが嬉しいだけで? 花房憂花という個人に対して、サインくれてありがとうなんてことは、全然思ってないんだからねっ!」

 花房が気まぐれにくれたサインをにやにや顔で見つめながら、誰にともなく言い訳するように、俺は一人そんなことをつぶやく。

 ちなみに、これはちょっとだけ悲しいオチだけど……このあと、家に帰った俺がまんさきの特典BDをようとしたら、そこでようやく──俺はCDを覆う透明フィルムを剝がさぬまま、彼女にCDを渡し、その上にサインを書いてもらっていたことに気づいた。そのため、それを剝がして花房のサインをくしたくなかった俺は、もう一枚。初回限定B版のCDを購入することとなるのだった。さ、三枚買わせてくれて、ありがとう……。