第五話 推しはジタリアンだった。
日曜日。たっぷりと惰眠を貪り、正午過ぎに起きた俺が二階にある自室からリビングに下りると、テーブルの上にこんなメモ書きが置かれていた。
『家族で出かけてきます。お昼はこれで何か適当に食べてね。 母より』
いや家族で出かけるって、じゃあ置いてかれた俺は何なんだよ。もしかして俺、橋の下から拾ってきた子なん? ならその割には両親に愛されてるからいいか。いいのかよ。
「……しゃあない。なんか食いに行くか……」
メモに添えられていた千円札を手に取り、適当な格好に着替えて家を出る。
それから時間は進んで、午後零時半過ぎ。
俺は徒歩で、大宮駅東口前にやって来ていた。
なんと我が家は、埼玉県内において断トツで栄えていると言われる大宮駅(あくまでも個人の感想です)にそこそこ近いので、ふらっと家を出るだけで食べ物屋には困らないのだ。そうして駅周辺を歩いていると、とある気になる店を見つけ、俺は足を止めた。
そこは赤い文字で『ラーメン』と、そして黒い文字で『G太郎』と書いただけの、シンプルな黄色い看板を掲げた店だった。
ラーメンG太郎なあ……麵は極太、野菜も大盛りの、ガツン系ラーメンを出す店だっていうのは知ってるけど、あそこってなんか、独自の文化があるじゃん? だから食べてみたい気持ちはあるけど、こういう時にふらっと入りにくいんだよな。
そんなことを考えつつ、その
そう感心した俺が、その女の人をまじまじと見ていたら……え? いや、つか待て。
あれって、もしかして──。
「……はあ……♡」
彼女はどこまでも幸せそうな表情で、深々とため息を
それから、胃に入れたラーメンのぶん、ぽっこりしたお
次いで彼女は、はっ、と今更何かに気づいたような顔をすると、手に提げていたバッグにタオルを仕舞ったのち、そこから帽子、マスク、サングラスを取り出して、装着。そうして顔を完璧に隠すと、いま着ている大人っぽい服装とも相まって、お忍び芸能人みたいな格好になる。それから彼女は、その顔を俺がいる方に向け──硬直した。
「────」
「…………」
彼女はサングラスをかけているので、その目が俺を捉えているのかどうかは、わからない。でも、わからない
とりあえず、ぎぎぎ、と
こつこつこつこつこつ。
……ああ、駄目だ。背後から誰かの足音がする! それにビビった俺は更に早足になるも、背後の誰かもそれに合わせて、更に早足になった!
「なんで逃げるの」
ひいいいい!? 声をかけられた!?
や、やめて! 近づかないで! 俺は何も見てないから! 学校中のみんなが憧れるあの子が、ラーメンG太郎から出てきた場面とか、ぜんっぜん見てないから!
俺がそう脳内で叫んだところで、それはあとの祭り。次の瞬間──がしっ、と。早足で俺を追いかけてきた背後の誰かに、俺は右肩を
「ぎゃあっ!」
「つーかまーえたっ♪」
そうして俺が振り返ったその先には、マスクとサングラスを取り、ニンニク臭い息を吐く女が──
◆◆◆
「ねえ
「やめて。お願いだからやめて花房さん。俺の記憶を物理的に消去しようとしないで」
「あーもう、マジでしくったなあ……久しぶりにG太郎食べたから、ちょっとだけ気、抜けてたのかも……どうしてあんたはそう、憂花ちゃんの見られたくないとこばっか見るわけ? もしかしなくても、憂花ちゃんのストーカーとかしてる?」
「俺がストーカーとか、そんな下等人種になる訳ないだろ。ファンがストーカーになった時、そいつはもうファンじゃないんだよ。──そこにあるのは自分勝手な欲求だけ。ファンっていうのは、
「……いや、ただの冗談だったんだけど。マジで怒り過ぎじゃない?」
「お、俺も、別に怒った訳じゃないんだけどな……?」
俺はそう、弁解するように花房に言った。こういう時、相手のした発言をさらっと受け流せずに、マジになって反論してしまうのが、俺のよくないところだと思います!
先程から場所は変わって、駅前の広場。
「ここじゃお客さんの邪魔になるから、ちょっと移動しよ?」と言った花房に引き連れられて、俺はいま、隣に座る彼女から人一人ぶんの距離を離してベンチに座っていた。
「いやでも、俺はうるさいオタクだから、はっきり言わせてもらうけどさ──お前、何やってんだよ……花房さんは仮にも、まんさきの
「別にいいじゃん、好きなんだから。──というか、さすがに憂花ちゃんだって、まんさきのU‐Kaとして顔出ししてからは、通う回数減らしてたし。だから今日は、久しぶりに満たされてたのに……絶対、誰にも言わないでよ?」
「誰にも言えるかよこんなこと……!」
まんさきのU‐Kaは実は腹黒で、人のチャリを平気でパクるような女で、しかも休日にはラーメンG太郎で息をニンニク臭くしてます! なんて、『
俺がそう
「これも、あれだから。あんたが憂花ちゃんの秘密を他人にバラさなかったら、あんたにデモ音源をあげるっていう契約の中に、入れるからね? 憂花ちゃんがラーメンG太郎の常連客、通称ジタリアンだってことを口外したら、約束はナシだから。わかった?」
「ああ、そうしてくれていいよ……それで、他には? まんさきのU‐Kaが大好きな俺をガッカリさせるような秘密がまだあるんなら、先に言っといてくれ。──なんだ? 実は憂花ちゃん、常に五股ぐらいはしてます! とかか?」
「は? 二股とか、憂花ちゃんそういうのは絶対しないから。つか、男と付き合ったこともまだないし」
「
「……まあ? 憂花ちゃんはあんたに言われなくても、可愛いって自覚してるけど? だから、あんたに言ってもらう必要もないんだけど……でも、もっと言ってもいいよ?」
「調子に乗んな。事実を言ったまでで、調子に乗せようとして言った訳じゃねえから」
「その発言がもう、憂花ちゃんを更に調子に乗せてくれるんだけど……でも、本当にそうなのよ。告白なら散々されてきたけど、付き合った経験はないよ」
「……へえ、意外だな。そうなのか……」
「ふふっ。よかったね、あんたの大好きな子が、まだ処女で」
「お、お前……女の子が処女とか言うなよ……」
個人的に、オタク男子である俺なんかは、こうして女子とお
とりあえず、下ネタに会話が
「ラーメンG太郎、好きなのか?」
「もうマジで好き。大好き。愛してる」
「お前は本当に、まんさきのU‐Kaと
「あの豚臭いスープがもう、たまんないよね! チャーシューも味がしっかりしてて、山盛り野菜も、あのスープだからこそ美味しく食べられて! ──そして何より麵!
「…………」
「引いてんじゃねえよ」
花房はそう言って、俺の肩を軽くパンチした。……ちょ、やめてそれ……そういうじゃれ合いみたいな身体的接触、めちゃくちゃドキドキするから……思いつつ、俺は一つ息を吐く。それから、彼女の顔は見れないまま、正面を向いて会話を続けた。
「い、いや、別に引いた訳ではないぞ? いまの熱っぽいトークを受けて、お前が根っからのジタリアンなのは、よーくわかったし……ただ、返すコメントに困っただけだ」
「それが引いてるってことなんですけど」
「にしても、本当にG太郎が好きなんだな……というか、ラーメンが好きって感じか?」
「うん、ラーメン大好き! つか憂花ちゃん、食べ物ならだいたい好きかも。そもそも、何かを食べてる時間が大好き、みたいな?」

「なんだその、食いしん坊キャラみたいな発言……ああ、でもそういえば、ウザい先輩をきっぱりフッたら、その腹いせにウザいことを言われたあの日も、『家に帰ったら絶対に、プリン食べる』って言ってたもんな。花房さんって、甘い物なんかも好きなのか?」
「二度とその話やめてね♡」
俺の質問を無視して、どこか恐怖を感じる笑顔と共に、彼女はそう言った。……それなりに時間が
なので俺は軽く
「で、でも、女の子がラーメンG太郎に通えるなんて凄いな! あそこって結構、量が多いって聞くけど、花房さんは食べ切れたのか?」
「うん、もち。そもそも、食べ切れなかったらG太郎は通わないでしょ。それに憂花ちゃん、こんな、女子なら誰もが羨むプロポーションしてるけど、実は結構大食いだよ?」
「え、大食い? でもお前、お昼の弁当とかはいつも、サラダを食べるだけで終わってなかったっけ?」
「は? あんた、なに他人の弁当
「…………」
心臓を正論というナイフで刺され、血しぶきと共に倒れる俺(比喩表現)。そうだね。クラスの女子がどんな昼食を食べてるのかチェックしてるの、普通にキモいよね……。
俺がそう落ち込んでいると、花房は少しだけ慌てたようなそぶりを見せたのち、彼女にしては珍しい、優しい声音で続けた。
「あ……や。でも、キモいけど、憂花ちゃんはそういうの気にしないから。確かに、クラスメイトとして憂花ちゃんは可愛すぎるから、どんな昼食を食べてるのか、つい気になっちゃうもんね。キモいけど、全然平気だよ、うん。ギリ平気なキモさ」
「お前、俺をちゃんと励ます気ある?」
「ええと、わりかしなくもない、みたいな?」
「花房さんって、こういう時に正直過ぎるだろ」
「あははっ! 確かに、いまのはちょっと正直過ぎたかもね。──でも安心して。あんたの私服がダサいことについては、さっきから憂花ちゃん、正直に言わないでずっと我慢してるから。……ねえねえ、こんな気遣いができる憂花ちゃん、超偉くない?」
「その気遣いもたったいま台無しになりましたけどね!」
俺のそのツッコミを受けて、くふふっ、と楽しそうに笑う花房。一方の俺は、自分の私服を改めて確認し、ちょっと
「うん、ダサいよ」
「他人の独り言に
「あんたのことはどうでもいいけど、憂花ちゃんのファンがダサい服着て外歩いてるのは嫌だから、次からはもうちょっとマシな格好で歩いてね」
「……俺を思って『服装を変えた方がいい』って言うんじゃなく、『私が気に食わないからやめろ』って言ってんのが、お前らしいなあ……」
俺がそう
「てか、話を戻すけど──憂花ちゃん、こう見えてかなり大食いなんだよね。G太郎やラーメンに限らず、食べることがめっちゃ好きだし。何なら、大食いユーチューバーも好きだよ。いつも『そのくらい私だって食べられるけどね!』って思いながら見てる」
「ライバル目線なのかよ。どんだけ大食漢なんだお前」
「中三の頃、袋麵五個を一食でやっつけたことがあります!」
「お前はフードファイターかよ……だっていうのに、じゃあ学校ではどうして、サラダを食べるだけなんだ?」
「あんま大食いすると、私のキャラとそぐわないじゃん。……実は憂花ちゃん、食べても全然太らない体質なんだけどさ。だからって、お昼に大食いして、それでもこのプロポーションを保ってるってバレたら、他の子に嫉妬されちゃうしね。──あんたにはわかんないかもだけど、女子って結構めんどいのよ。だから、その辺のめんどさをなくすために、『私、ちゃんと節制してるよ!』ってポーズを取って、お昼はサラダだけにしてんの」
「…………」
それは確かに、男の俺にはよくわからない話だった。いや、わからないは言い過ぎなんだけど、そんぐらい別に平気じゃね? と思ってしまうというか。
それに、一つだけ疑問に感じることもあったので、俺はそれを口にした。
「でも花房さんって、昼休みはいつも、仲の良い女の子達と食べてるよな? ミーハーなクラスメイト達と一緒に食べるのならともかく……別に、その人達の前でくらいなら、素の自分で──食べたいものを食べたいだけ食べる自分でいても、いいんじゃないのか?」
「…………」
そう言われて、花房は俺を見やった。一瞬だけ、苦笑いのような表情を浮かべる。しかし、彼女はすぐさまその顔に微笑を張り付けると、俺を諭すように言葉を
「確かに、
「…………」
「ちっ。また余計なこと喋り過ぎた。はい、この話終わりね」
花房が口にした言葉の意味を考えていたら、そうやって話題を打ち切られた。それから彼女は「私、絶対に油断してる。よくないなあ……」と、小さく呟くのだった。
「…………」
一方、花房のそんな言葉を聞いてしまった俺は、聞こえないフリをした。
花房憂花に踏み込む資格も、そのための勇気も持たない俺は、そうやって彼女からちゃんと距離を取るのだった。
……別に、本音を語り過ぎた彼女を気遣って、あえて花房に踏み込まなかったとか、そういう訳じゃない。俺はただ、推しが隠したがっている部分まで暴こうとするのは、ファンとして正しくないと思ったから──そういう理由で、話し過ぎたと言う彼女から一歩引いただけだった。……ほんとだよ? ツンデレとかじゃないよ?
そうして、変な沈黙が落ちそうになると同時、花房は努めて明るい声で尋ねてきた。
「ところで、夜宮くんはどうしてあそこにいたの? あそこで会ったってことは、あんたもG太郎を食べに来てたとか?」
「……いや。俺の方は別に、昼食に何を食べようかなって、ぷらぷら歩いてただけだ。そしたら、俺の推しがジタリアンだったことが判明してな……」
「ギャップ
「ギャップ萎えしたんだよ」
「えーうそー? 憂花ちゃんみたいな可愛い女の子が大食いだったら、更に可愛くない? ほら想像してみて? 憂花ちゃんが『ニンニクマシマシヤサイマシアブラカラメオオメ』って注文したのち、フードファイターのようにG太郎ラーメンを平らげる姿を!」
「……俺が愛した『まんさきのU‐Ka』はどこに行ってしまったん……?」
「あ、駄目だこいつ。憂花ちゃんに幻想を抱き過ぎてて、ジタリアンな私を受け入れられてないっぽい。憂花ちゃんは可愛いと思うけどなあ、いっぱい食べる私……」
「性格が終わってるからなあ……」
「いや言い過ぎでしょそれ。軽くボコって泣かすよ?」
「お前は近所のガキ大将かよ」
俺がそうツッコむと、また花房は楽しそうに笑って、ベンチから立ち上がる。それから彼女は「さて。それじゃあ、憂花ちゃん帰るから。また学校でね。でも
そうして、ゆっくり遠ざかる彼女の背中を、ぼんやり見送っていると……俺はふいに、いま自分が抱いている感情に気づいて、
「……おいおい。なんでこんな気持ちになってんだよ、俺は……」
相手は花房だというのに、それでも休日に彼女と絡めて
そういう訳だから世の女性は、ぼっち男子にこそがんがん声をかけるべき。そうすれば高い
そんなことを考えながら、俺は再び嘆息すると、ベンチから立ち上がる。
花房との会話を経て、食べたいものが決まった俺が向かう先はもちろん、黄色い看板を掲げるあの店だった。
たぶん、こういう機会でもないと、一生入らないからな……俺はそう思いつつ、ラーメンG太郎の前にできている行列に、早速並ぼうとしたけど──。
「……や、やっぱ、今日はやめとくか……」
どこかギラギラとした目つきで並ぶ常連さん達を前に、軽い気持ちで入ろうとしていた俺はつい、回れ右をして駅の方へと戻り始める。……ま、まあ? 入ろうと思えばいつでも入れるし? だから別に、今日じゃなくてもいいっていうか?
そうやって脳内で言い訳を重ねていると、ふいに、正面から誰かが近づいてきた。
その人は帽子、マスク、サングラスをつけた、どこか怪しい風体の人物で……彼女は、俺の肩にぽん、と手を置くと、
「意気地なし」
「な──お、お前、帰ったんじゃなかったのかよ……!?」
「夜宮くんがラーメンG太郎の方に行ったのを見たから、ちゃんと並ぶかな? と思って観察してたの。そしたら、案の定だもん。いまの行動を見て、あんたの性格がよーくわかった。──夜宮くんって、絶対自分から好きな女の子に告白とかできないタイプでしょ? そういう大それた一歩を踏み出すのが苦手で、自分にとって大事なことほど、明日になったら、明日こそは、って予定を先延ばしにしちゃう男の子なんじゃない?」
「ぐっ……な、何を、わかったようなことを……」
「余計なお世話かもしれないけど、そんな性格のままだと、一生童貞かもしれないよ?」
「マジで余計なお世話だわ!」
ただ、そうツッコみはしたものの、彼女の指摘はあながち間違ってもいないので、強く反論できないのが
ちなみに、このあと。花房と別れた俺はコンビニに寄り、G太郎系ラーメンを再現したチルドのラーメンを購入し、家でレンチンして食べたのだった。ひとり家で