第四話 推しにチャリをパクられた。


 いつも通り部活を終えた、午後五時過ぎ。

 俺は一人校舎を出て、自分の自転車がある駐輪場に向かっていた。

 ただ、部活を終えた、とは言っても、俺の所属する文芸部に、部活動と呼ぶべき活動は存在していない。

 部員は俺と、他に同学年の女子が一人いるだけで、しかも彼女は幽霊部員だし──一方の俺も、文芸コンクールに向けて作品を書いたりはしておらず、文芸部にあるパソコンを使って、自分のブログを更新してるだけだしな。

 そうして俺は駐輪場へと辿たどり着く。すると、俺のチャリを含めて、自転車が一列、綺麗に横倒しになっていた。まあ、今日は風が強かったからな……クソが。

 そんな風にイラついてしまいつつ、俺はまず隣のチャリを起こした。それから、自分のママチャリを起こして、それに乗ろうとしたけど──。

…………

 視界に入るのは、風のせいで横倒しになっている、十数台のチャリ。

 別に、直さなくていい。俺のじゃないチャリが、俺のせいじゃない理由で横倒しになってるだけだ。だから、そこまでしてやる義理なんかこれっぽっちもない。

 だというのに、少しだけ考えてしまった。

 これから部活を終えた彼や彼女らが、くたくたになってこの駐輪場に辿り着き、自分のチャリが横倒しになっているのを見つけたら──さっきの俺のように小さくイラついてしまうのだろうか、なんてくだらないことを。

…………はあ……」

 こういう時、想像力が豊か、というオタク男子の性質は、本当にやっかいだと思う。想像しなくていいものまで、想像しなくていいのにな……俺はそう思いつつも、横倒しになった自転車を、一つ、また一つと起こし始めた。

 勘違いしてもらっては困るけれど、俺は別に、善人という訳じゃない。

 だって俺は本当に、こんなことをやりたくはないのだ……でも俺は、ただ俺のために。このまま家に帰ったら、これを直さなかったことに対して絶対もやもやした気持ちになるであろう俺のために、いま他人のどうでもいいチャリを直しているのである。

 つまるところ、ちゃんと自己満足なんだ。

 だから言うなればこの行為は、限りなく善に近い偽善だった。

 ……ほんと、こんなに複雑な感情を抱えてる高校一年生、俺以外にいる? まーたラノベ主人公ムーブしてるよ俺。カッチョいいなあ……そう考えることで自分を慰めつつ、チャリンコを一台、また一台と起こしていると、ふいに──。

 他人を小馬鹿にしたような声が、俺の背後から聞こえてきた。

「そんなことして、楽しい?」

 ……最悪だ。いま一番会いたくない奴に、絶妙に見られたくない場面を見られた。

 そうして、俺が恐る恐る背後を振り返ると、そこにいたのは──つけているマスクを顎の下にずらしながら、俺を見てにやにやと口元を綻ばせる、はなふさゆうさんだった。

「……ええと、学校では絡むなって言ってませんでしたっけ?」

「学校で絡むな、なんて言ってないじゃん。教室では絡まないで、って言っただけ。つか、憂花ちゃんの方から絡むのはいいの。あんたの方から絡んできたら、『なに路傍の石ころが女王様に話しかけてきてんの? 立場わかってる?』ってなるけど、女王様が路傍の石ころを気にかけるぶんにはいいんだもん」

「自分のことを王女じゃなく女王って言ってるあたりに、お前の性格をかいるなあ」

 どこまでも他人を見下したクソ女だった。俺の前でもあの、クラスメイトの前ではつけてる、スフレパンケーキぐらい分厚いペルソナつけろや。

 俺がそうあきれていると、花房はどこか上機嫌な様子で、軽快に言葉を続けた。

「でも、意外かも。みやくんってこういうことはしないタイプというか、自分だけ良ければそれでいい、って人間だと思ってたから。あんたってけっこう偽善者なの?」

「なんだその文章。そんな尋ね方があるかよ……」

「ちょっと、質問にツッコミで返さないでよ。それで会話終わっちゃうじゃん。──もしかしなくてもあんた、会話下手? だから友達いないんだ?」

「お前こそ、相手の気持ちを思いやるのが下手過ぎない?」

 俺がそうツッコむと、あははっ! と声をあげて笑う女王様。たぶん、前世はマリーアントワネットか何かだった。そういえば、性格とかも似てるもんな! 俺はそんなことを思いつつ、『偽善者なの?』という彼女の質問に、改めて答えた。

「まあどっちかっつうと、俺は偽善者だろうな……別にこれだって、高潔なボランティア精神からやってる訳じゃないし。だから、善人じゃないのは間違いない」

「……なんかその言い方だと、『俺は偽善者だ』ってニヒル気取ってるだけの、ただの善人っぽく見えるけど?」

「……そ、そんなことはないですけど?」

「ふうん? まあ、そういうことにしといてあげるよ」

 花房はそう言って、意味深な笑みを浮かべた。……やりづらいわぁ、こいつ……。

 ともかく、俺は彼女には構わず、チャリを起こす作業を再開する。すると、隣にいた花房がふいに、横倒しになったチャリの列の、俺がいる方とは反対側の端に行き──「んしょ」という掛け声と共に、なんと俺と同じように、倒れたチャリを起こし始めた。

 その予想外の行動に、思わず目が点になる俺。

 だからつい、驚きの感情と共に、俺は彼女に尋ねた。

「て、手伝ってくれるのか? お前、性格悪いのに……」

「性格悪いのに、ってなによ! 男性器握り潰すよ!?

「女の子がする発言じゃなさ過ぎるだろ……い、いやでも本当に、ちょっと驚いてさ。俺が最近知った花房さんって、こういうことをする人じゃないと思ってたから」

「別に、憂花ちゃんは性格悪いけど、こういうことをしない訳じゃないもん。──もちろん、誰も見てなかったらこんなことやらないよ? でも逆に、誰かが見てる時には、こういうことをやって『やっぱ憂花ちゃんは良い子だなあ!』って思わせないとだから、本心ではやりたくなくても、全然、こういう偽善はやるんだよ」

「なるほど、クソみたいな理由だな」

 乱暴な言葉がまろび出た。……いやでも、俺以外に彼女の『善行』を見てる人なんて、いま俺達の周りにはいないんだけど。まさか俺に「良い子だなあ」って今更思わせたい訳じゃないだろうし、だとしたら、なんか発言と行動が矛盾している気がするが……。

 もしかして彼女、理由もなく俺を手伝うのが恥ずかしいから、わざと偽悪的に振る舞っているのでは──俺はそんな穿うがったことも考えつつ、手を動かし続けた。

 二人で作業したため、俺達はすぐにチャリを起こし終える。すると、俺の正面に立った花房は「ん」と言いながら、俺に左手の手のひらを差し出してきた。

 ??? なんだこの手は?

「お、お前、それはもしかして、俺にお手をしろとか……?」

「だから憂花ちゃん、そこまで性格悪くないってば……ほんと、あんたって私をなんだと思ってんの?」

「第六天魔王」

「ほんとになんだと思ってんの!?

「いやでも、自分のことを『憂花ちゃん』って呼んでる女が、性格のいい子だとは思えないだろ……ずっと気になってたんだけどさ、それ、やめた方がいいんじゃないか?」

「それくらいわかってるし。だから憂花ちゃんも、普段は自分のことを『憂花ちゃん』なんて呼ばないんじゃん。憂花ちゃんが憂花ちゃんを憂花ちゃんって呼ぶのは、どうでもいい相手と一緒にいる時だけだよ!」

「なにそれ、全然うれしくない。というか、憂花ちゃん憂花ちゃん連呼すんのやめてくんない? なに言ってんのかわかんねえぞそれ」

「こ、こんな私を見せるの、あんただけなんだからねっ!」

「そのツンデレ風セリフも、全然嬉しくねえなー……オタクってこういうこと言ったら喜ぶんでしょ? っていう考えが透けて見えて、めちゃくちゃ嬉しくねえ……」

「うそ。あんたってエスパー?」

「そこは否定すべき場面なんだよなあ……」

 げんなりしつつ俺がそうツッコむと、あははっ、とまた楽しそうな声をあげて、花房は笑顔を見せた。……こうして無邪気に笑ってる時の顔は、本当に可愛かわいいんだけどな。

「というか、さっきから話脱線してるから。そうじゃなくて──ほら」

 花房はそう言いつつ、再度、左手の手のひらを俺に差し出してくる。その理由がよくわからず首をかしげていると、彼女は呆れたようにため息をいたのち、こう言った。

「早く。お金」

「お前ほんといい性格してんな!?

「ふふっ、あんたに言われてもそんなに嬉しくないけど、褒めてくれてありがと」

「いや、だから褒めてねえんだって……どうしてお前はすぐに、褒めてないことまで褒め言葉だと思っちゃうの? 俺が言ってる言葉とお前が聞いてる言葉って本当に同じ?」

「え? だっていま、『ほんと性格いいな!』って言ってくれたじゃん」

「『いい性格してんな』って言ったの! 日本語の奥ゆかしい、皮肉的な表現なの! どうせお前のことだから、わざと取り違えてるんだろうけど!」

「うん」

「うんって言っちゃったよこいつ!」

 抱いた感情そのままに、俺はそうツッコむ。……ほ、本当に、この女は! よくもまあそんな性格で、まんさきのU‐Kaゆうかとしての仮面をかぶれてるな!

 そう思いはしたものの、理由はどうあれ、俺の偽善に付き合ってくれたのは確かにそうなので……俺はしぶしぶ学生カバンからサイフを取り出すと、彼女に尋ねた。

「で? いくら欲しいんだよ」

「え、ちょ──や、お金ちょうだいとかは、さすがにうそだから。ちょっぴりお茶目な憂花ちゃんの、可愛らしいジョークだから。それ仕舞いなって」

「……お茶目でも可愛らしくもないけどな、そのジョーク」

「だいたい、憂花ちゃんまんさきのボーカルとしてもう立派にお仕事してるから、お金めちゃくちゃ持ってるし。あんたみたいな親のすねかじってるだけの高校生とは比べ物にならないくらい大金持ちだから、そんなはした金なんて全然いらないのよ」

「マジお前が男だったら絶対一発ぶん殴ってるのに!」

 俺はそう、ツッコミではなく魂の叫びをする。ラノベの世界には、女でも容赦なくグーで殴る主人公がいるらしいけど、さすがにそこまでの覚悟はないからな……。

 とりあえず、自己満足的な偽善行為はもう済んだので、「じゃあ俺、もう帰るから」と花房に言いつつ、俺は自転車にまたがった。

 すると彼女は「ん。じゃあね」と言って、俺に手を振ってくる。……彼女の性格がアレなのをわかっているのに、手を振られただけでドキドキすんな。自分自身にそうツッコんでいると、ふいに花房が「あ」と何かに気づいたような声を出したのち、尋ねてきた。

「夜宮くんって、帰り道どっち? 大宮方面?」

「え? そうだけど……」

「じゃあ、学校最寄りの駅前も通る感じだ?」

「うん。……それがなんだよ?」

「いや、じゃあちょうどいいかなって。──これくらいの見返りは、いいよね?」

 花房はそうつぶやくと、俺に向かって歩み寄ってくる。……な、なんだよ。相手がお前とはいえ、あんま近づかれると、さすがに緊張するんだけど?

 そんな風に俺がたじろいでいたら、急に花房が「ねえ。あんたの自転車、けっこう乗り心地良さそうだよね? ちょっとだけ乗ってもいい?」と聞いてきた。……は!? お、俺の自転車に乗る!? そ、それって、つまり──。

「お、俺とお前で、二人乗りをするってことか……!?

「え? ……ああ、違う違う。そうじゃなくて、憂花ちゃん一人で、あんたのチャリのサドルに跨ってみてもいい? ってことなんだけど」

────

 顔から火が出るかと思った。

 花房の方も、別にわざと紛らわしく言ったとか、そういう訳ではないらしく、ただ単に俺が勝手に自爆したみたいでクッソ恥ずい。誰かいますぐ俺を殺せ。

 そうして俺が顔を真っ赤にしていると、何故なぜか花房は、たおやかな笑みと共に──。

「ふふっ」

 と、何かいい事でもあったみたいに、笑い声を漏らすのだった。

 ……おいやめろ。俺を恥ずかしさで殺す気か。何でこういう時こそ「うわなに勘違いしてんのダサー!」とか言ってくれないんだよ……俺はそう思いつつ、すぐさま自転車から降りると、つい早口になりながら言った。

「の、乗りたきゃ乗ってもいいけど別に普通のチャリと変わんないぞ?」

「ふうん、そうなの? それじゃ、さっそく──」

 そう言ってサイドスタンドを解除し、俺のチャリに跨る花房。それから、彼女は先程までの微笑を捨て去ると、にやり、と底意地の悪い笑みを浮かべる。な、なんだよ、その顔……わかりやすく悪巧みをしてるみたいで、不安になるんだけど。

 それから、花房は顎にずらしていたマスクを口元に上げて表情を隠してしまうと、弾むような声音で続けた。

「ところでさ、夜宮くん。憂花ちゃんって、電車通学なんだよ。でもさ、こっから大宮公園駅までって、意外と距離あるじゃん? だから、今日も歩いてあそこまで行くのめんどいなあ、って思ってたんだよね」

「は、はあ……それが?」

「だから──今日は憂花ちゃん、このチャリで帰るね!」

「は?」

 俺があっに取られた、次の瞬間──花房はチャリのペダルに足をかけたまま立ち上がり、ぐいっ、とペダルを踏みこんだ。必然、発進する俺のママチャリ。そのまま、彼女は立ちぎの状態で、駐輪場を飛び出していく……って、おい! 何してんだお前!

「じゃあね、ばいばーい! チャリは、駅前の駐輪場に停めておくからー!」

「お、おい、待て……ふざけんな花房! て、てかお前、もしかして──俺と一緒にチャリを立て直してくれたのは、これをするためだったのか!? お前は俺のチャリをパクって最寄り駅に行くために、俺を手伝ってくれたんだな!?

「いや、別にー? 最初っからそういう目的があった訳じゃないけどー! でも憂花ちゃん、思いついたら、こういうことする子だからー!」

「豆腐の角に頭ぶつけて死ね!」

 俺がそう叫ぶと、遠くから「あははー!」と楽しそうな笑い声が聞こえて、それは次第に遠ざかっていった……マジか、いやマジかこれ……。

 正直、二人で一緒にチャリを立て直してる時は、割と楽しいみたいな思いもなくはなかったんだけど、最後の最後で「そうだ、俺がさっきまで話してたのは花房憂花だった!」と思い知らされる、そんな出来事だった。おい、ギャルゲーでもこんなイベント見たことねーぞ。現実どうなってんだよ。

 そうして、それから十数分後。花房に対する恨みつらみを脳内で独りごちりつつ、俺が最寄り駅に到着すると、そこには確かに、俺のママチャリがあった。

 それを受けて一安心した俺が自分のチャリに近づくと、自転車の籠の中に一枚のルーズリーフが入っているのに気づく。それを手に取って読んでみれば、そこには女の子らしい丸文字で「貸してくれてありがとね♡」という文言がつづられていた。いや、貸してねえんだよ。お前が勝手にパクってんだよ。

「まったく、ふざけんなよな……」

 言いつつ、俺は手に取った紙をクシャクシャに丸め──ようとしたけど、何故かそれはできず。だから折り目を一つもつけないまま、学生カバンから取り出したクリアファイルに、それをそっと収納するのだった。

 くっ……俺が花房のことを嫌いなのは、本当なのに! でも俺は、まんさきのU‐Kaが大好きだから、彼女が『ありがとね♡』と書いた紙を捨てられねえ……!

「で、でも実質、これ、まんさきのU‐Kaが書いたサインみたいなもんだからな! しょうがないよな!」

 俺はそう、誰にともなく言い訳するように、独りごちるのだった。