『オセロー』(シェイクスピア著)を読んで  竹久 優真

 学園祭が終わり、一か月ほどの月日が流れた。朝晩はすっかり冷え込むようになり冬服のブレザーの下にカーディガンを一枚着込む生徒が目立つようになった。それでも依然女子生徒のほとんどは短い丈のスカートに生足をさらけ出し、冷え性であっても必死で何かと戦っている。そこにはきっと一言では言い表せないプライドのようなものがあると言っていい。

 まあ哲学はともかくとして、それはすべての男子生徒にとって実に喜ぶべきことだ。

 僕とたいはあの、文芸部とは名ばかりの漫画研究部へと続く長い階段をゆっくりと上りながらそんなことを考える。階段の上部には、この寒さにもかかわらず短い丈のスカートで無防備に階段を駆け上がる生徒がいる。

 実にふうこうめいな景色だと眺めるのは隣に居るイケメンとて同じだ。一瞬ちらりと振り返るそのしぐさに慌てて僕たちはうつむき、ずっとそうして階段を上っていたかのように取り繕う。

「それじゃあ、またあとで」

 部室へと向かう大我に一声かけて学食の一つ手前にある校舎のほうへと向かう。

 放課後、生徒会執務室に来るようにと生徒会長に呼び出しを受けていたからだ。

 生徒会執務室は現在使用している校舎の中で最も古い校舎の、しかも職員室のすぐ向かいにある。それだけでなるべく行きたくなどはないのだが、わざわざ生徒会長様に呼び出されたのだから仕方がない。


 生徒会執務室前。ちょうどそこから出てくる一人の生徒に僕は見覚えがあった。なるべくなら関わりあいたくないのでそのままどこかへ行ってほしいのだが、どうやら僕に気づいた彼はその場で僕の到着を待っている様子だ。仕方がないので腹をくくる。


「おお、ちょうどいいところに来た。お前からもアイツに言ってくれないか。オレがぜったいにスターにしてやるってさ」

 相変わらずいやのない美しい顔でそんなことを言うものだからこいつは嫌だ。

 とべっち先輩たちが学園祭を最後に引退すると入れ替わりに復帰して、演劇部の新しい部長になったしろ先輩だ。城井先輩が復帰するやいなや残りの部員も皆こぞって復帰して、演劇部は何事もなかったかのように活動を再開している。あまりに虫のいい話過ぎて僕はどうしてもこの城井まさひこという人物を好きになれないでいる。たぶん、きっと向こうもそう思っているだろう。それでも、最近やたらと僕に絡んでくるのは、僕の近くにいるあの人のことが、随分とお気に入りになっているかららしい。

「いや、でも彼女は彼女で重要な仕事があるので、なかなか簡単にはOKしてくれないと思いますよ」

「だからお前に頼んでるんじゃないか、アイツ、お前の言うことだけは素直に聞くみたいだからさ。それに、生徒会っていうのは部活動とは別だから掛け持ちすることが認められてると言ったのはお前だろ? だからさ、手が空いているときくらいはこっちに顔を出すように説得してもらえないか?」

 ──正直。アイツアイツとなれなれしく呼んでいることも気に入らない。いつから城井先輩はさささんとそんなに仲良くなったというのだろうか。

 学園祭の準備期間中、実行委員になっていた笹葉さんがあまり合同練習に出られなくて、それを陰ながら指導していたのが城井先輩だったという話は聞いた。その練習に付き合っていくうち、いてもたってもいられなくなった城井先輩がしおりさんにいいように利用され、こっそりと書き換えた脚本で無理やり出演したという話を聞かされた時は正直複雑な気持ちだった。勝手に書き換えられた脚本を笹葉さんにも渡し、何も知らない彼女がまんまとその通りに舞台で演技をしたということも聞かされている。

 でも、だからといって、やはり僕の知らないところで笹葉さんと城井先輩が仲良くなっているというのはどうにも気に入らない。なぜかっていわれても、気に入らないのだから気に入らないので仕方ない。

「いや、そもそも城井先輩はなんでそんなに笹葉さんのことを引きこみたがるんです?」

「はあ? なんでって、彼女に素質があるからだよ。

 なあたけひさ。なんでオレが演劇部をやめるって言い出したかわかるか? お前、さんがを起こして演劇が台無しになり、それにオレが腹を立てたと思ってるだろ?」

「違うんですか?」

「表向きにはそうだが真実は違う。原因は別さ、照明だよ。体育館の照明が変わってしまったことにみんな気づきもしなかったのに、笹葉だけはそれに気づいていた。だからオレは指導をすることにしたんだよ」

「照明? 照明って、ステージの照明がLEDに替わったってことですか? それを、ほかの人が気づかなかったと?」

「ああ、そうだ……。お前も、気づいていたのか?」

「──はあ。まったく……」僕は、先輩に対して厭味を思いっきりぶつけるように大きなため息をついた。「城井先輩は本気で照明がLEDに替わったことに誰も気づいていないと思っていたんですか? こんなことをあえて言うのも失礼かもしれませんが……城井先輩って結構馬鹿なんじゃないですか? そんなこと、笹葉さんやおれだけじゃなく、みんな気づいていましたよ。とべっち先輩も、わき先輩も」

「はん? 気づいていただって? そんなわけないだろう? 戸部さんは自分のペットボトルの水が原因だと思い込んでいたんだし……」

「そんなわけないでしょう。あれは城井先輩をかばうため、口から出まかせで言ったんですよ。おそらくとべっち先輩はLEDじゃあしゆうれんは起きないことを知らなかったのか、相当に焦って思いつくままに出まかせを言っただけでしょう。むしろ、演劇の天才とうたわれた城井先輩に嘘だとばれないような演技をしたとべっち先輩って、本物の天才なんじゃないですかね? それに、あの場所を定位置にしている脇屋先輩がタバコのにおいに気づいていなかったと本気で思っているんですか? いいですか? 喫煙後の残り香が臭いことを知らないのは喫煙習慣のある人だけです。みんなわかっていて、あなたをかばい続けたんですよ」

「そんなわけないだろ。だいたい、なんでそんなことを……」

「それも分かりませんか? 凡人っていうのはですね。天才に対して劣等感を感じながらも、それが身近にいることを誇りにしているんですよ。いつかあなたが成功して有名人になったとき、せめてその天才の仲間だったことを自慢したいんですよ」

「なんだよそりゃ。みんな知っていてオレをかばっただと?」

「そりゃあまあ、笹葉さんに才能があるというのは否定しませんけど、おれの周りにいる天才だと思える人たちは、どちらかと言えば努力の天才なんですよ。とべっち先輩も、脇屋先輩だって……。でも、あなたはどうでしょう? 才能なんて言葉に足を引っ張られていたんじゃあいつかきっと彼らに追い抜かれてしまいますよ」

「言ってくれるな。オレが努力をしていないとでも? いいか? 努力をしていない天才なんてどこにもいないんだよ。才能があるやつが努力して、初めて天才となりうるんだよ。笹葉にはその才能がある。おまけに努力家だ。だから努力次第で天才になりうるんだよ。だからオレは彼女に執着するんだ」

「本当にそれだけですか? ただ単に城井先輩が彼女に恋しちゃっているだけでは?」

 僕はちやして見せる。

「そ、そういうお前はどうなんだ?」

「僕?」

 僕は──決して笹葉さんに恋しているわけじゃあない。だって僕は……

「お前だって自分に才能がないと勝手に決めつけているだけなんじゃないのか? その能力を努力によって開花させれば天才にだってなりうるかもしれないだろう? どいつもこいつも自分のことを過小評価しすぎなんじゃないのか? もしくは過小評価することで努力することから逃げようとしているだけなんじゃないのか?」

「……」

 城井先輩が言っている『お前はどうなんだ』という言葉は、僕が笹葉さんに恋しているだとかそういう意味の言葉ではなかった。何でそんな勘違いをしてしまったのだろうか。そんなことを深く考えたわけではないけれど、僕が最後に城井さんに投げかけた台詞ぜりふは──。


「ともかく、あなたに笹葉さんは渡しませんから」


「わかった。宣戦布告と受け取っておく」

 そう言って、城井先輩は生徒会執務室の前を立ち去った。

 一仕事を終え、大きくため息をつく。

 ──まったく。僕のような小物が城井先輩のような人を相手をするには、たとえと酔狂が取り柄の僕であっても随分とすり減らすものがあるだろう。

 生徒会執務室のドアを開け、中をのぞき込む。生徒会長様が一人忙しそうに雑務をこなしているようだ。

「今、ひとり?」

「ええ、城井先輩が話をしたいからって、ほかの役員を追っ払ってしまっていたの。もう、こっちだってやることが山済みで猫の手も借りたいくらいなのに……まあ、いいわ。こうして竹久が来てくれた時に二人っきりというのはかえって都合がいいもの」

「……それは、おれと二人きりになりたかった……という意味でとらえて良かったのかな?」

「な、何言ってんのよ! そういう意味じゃないわ!」

 生徒会長様はほおを赤らめて視線をらす。こういうところが僕の知る以前のままの彼女であることに安心を覚える。

 ──新生徒会長の笹葉さら

 笹葉さんは先日行われた生徒会選挙に立候補して、新生徒会長となった。例年であれば生徒会長をやるのは二年生の生徒であり、入学間もない一年生である笹葉さんがその役職に就くというのはあまりにもレアなケースだ。それに関して説明すればきっと長くなるので今は割愛させていただくとして、ともかく彼女はサナギから見ごとに羽化してちようとなり、慣れない雑務に追われる毎日である。

「あ、あのね……部活動の部費に関する予算をまとめなきゃいけなくて、それで資料に目を通していて気が付いたんだけど……」

「あ、ああ……なるほど。そういうことか。生徒会長ともなると随分と忙しそうだね」

「うん、それでね……少し信じがたいことなんだけれども……どう調べてみても、竹久たちの所属している部、漫画研究部なんてどこにもないのよ」

「え?」

「記録の上ではあの部室の名義はまだ文芸部のままになっていて、今は廃部した扱いになっているの。つまりあおい先輩は初めから漫画研究部なんて立ち上げてもいないし、あの部室は使われていないものを無断で占拠しているだけ……と、いうことになるわ。他の先輩にも話を聞いてみたんだけど、やっぱり誰も去年漫画研究部なんてものが存在したという事実を知らないみたいなの。それに部活動をして認められているなら顧問の教師がいるはずなのだけれど、当然漫画研究部の顧問をしている教師というのはどこにもいないのよ。

 つまり、葵先輩はずっとあの教室を届け出無しで不当に占拠し、通い続けていただけ……」

「そんな……」

 たしかに、そう言われてみれば納得するところもあるにはある。僕がはじめてあの部室を訪れた時も表札は『文芸部』と書かれていたために勘違いして入ったことが原因だ。今までは単に表札を書き換え忘れているだけだという話を栞さんに聞かされて納得していたけれど、確かにおかしいと言えばおかしい。しかし、今まで無断で占拠していただけで問題が無いのならばそれ自体たいした事でもなかったのだが、やはり、ことはそれだけでは済まされないようだ。

「あのね、今まではそれでよかったのかもしれないけれど、ウチが生徒会長となって、それに気づいてしまったからにはどうしてもそのまま放っておくわけにもいかなくて……。ほら、今年もまた新しく部を創設したいって届出も出ているし、正直部室が割り当てられないような部だってあるかもしれなくなっているの」

「……つまり、おれたちはあそこにはいられなくなると?」

「うん、まあ、正直に言えばそういうことになる……。あの旧校舎一階の隣、競技かるた部も二階にあった油画部も部員が集まらなくて廃部となることが決まり、部室も明け渡さなきゃいけなくなったし、このまま見過ごすというわけにはいかないのよ。ウチの、立場としても……」

「まいったな、そりゃあ……」

 ──この学園には図書室というものが無い。読書好きの僕としては静かなあの場所が思うように使えなくなるというのはさびしいことだ。僕が、と一緒にいられる場所であることとしてもそうだし、せっかく用意したくろさき大我と葵栞とを引き合わせるための場所としてもだ。

 演劇の舞台演出上とはいえ、全校生徒の目の前で大我の好意を拒否してみせた栞さんではあったが、引き続きこの部室に訪れる大我を黙認している様子だった。しかしあの部室が使えないということになれば……

「それでね、竹久。ウチ、差し出がましいようなのだけれども、少しだけ対策を練ってみたの」

「え?」

「つまりね、また改めて新しい部を申請する、というのはどうかしら」

「たしか、この学校のルールでは五人以上の部員で新しく部を申請することができて、三人未満になると廃部になる、ということだよね。おれは漫画研究部を存続させるために大我を部に引きこんだ。それで、部は存続できると考えていたんだけれど、そもそも存続させる部なんて初めからなかったんだ」

 ──僕はふと考えた。もし、この部室が初めから不当に占拠していただけのものだとしたら、初めて僕に会ったときに僕や瀬奈を引き込む必要なんてなかったわけだし、部の存続のために大我を勧誘する必要もないわけだ。なのに栞さんは僕を使って大我を入部させようとしたということは……

 いや、今はそんなことより部の存続をさせることが必要だ。今現在、部員は僕と栞さん。そして大我の三人が確定していると言っていい。

「つまり新しい部を申請するにはあとふたり必要ってことか。普通に考えるなら瀬奈に声をかけるべきなのかもしれないけれど……」

「うん、それが瀬奈は……別の部に加入することになっているの……」

「え、そうなのか? き、聞いて、なかったな」

「ウチの学校のルールでは、ひとりの生徒が複数の部に所属することは禁止されているから……」

「人数が、足りないわけだ……」

「それでね、油画部のあかさんに声をかけてみたの。油画部が廃部になったから必然的に部室を失ってしまったのね。だから取引を提案してみたのよ。

 絵を描く場所を提供するかわりに、新しく申請する部に名前を貸してほしいって。赤城さん、快諾してくれたわ」

「そうか、それは仕事が早いな。ところで赤城先輩に絵を描く場所を提供するって、いったいどこを?」

「これよ」

 笹葉さんが取り出したのは見覚えのある鍵だ。立派な鼻ひげを生やした猫のキャラクター『わがはいなつせんせい』のキーホルダーからぶら下がっているその鍵はおそらく旧校舎の三階、時計塔の機械室の鍵だ。長い間行方不明になっていたものを少し前に発見して職員室に返した。

「で、でもそれ……普段職員室に置いてあるものだろ? 理由もなく貸し出してはくれないはずだ」

「そのことなら心配ないわ。だってこれ、ウチが職員室に預ける前にこっそり作っていたスペアキーですもの。それに、万が一誰かに見られた時にも複製だと疑われないように同じキーホルダーもつけておいたわ。このキーホルダー、なかなかレアなグッズだからしんぴようせいも高いはずよ」

 そして彼女は、目を細めて『ししっ!』と笑う。まるで誰かの真似まねでもするように。

「じゃあ、残りはあと一人だね」

「そ、その……残りの一人……なんだけど……ウチ……じゃあダメかな?」

「え? 笹葉さんが? でも、生徒会長の仕事があるんじゃ……」

「うん、まあそれはそうなんだけど……。別に生徒会の仕事は部活動ってわけじゃあないから兼任することはできるのね。活動自体には参加する時間が取れないかもしれないから一応名前を貸すだけみたいにはなるのだけれど……」

 生徒会と部活動とは兼ねられ……。確かにその穴を見つけて一計図ったのは僕だ。

「いやまあ、笹葉さんがそれでいいっていうならおれとしても断る理由なんてないけれど……でもいいのかな? 演劇部の城井先輩がしつこく笹葉さんを勧誘しているみたいだけれど?」

「別に、演劇部に入りたいわけじゃあないから問題ないけれど……そ、それにね。さっき竹久言ってくれてたでしょ。ウチのことを城井さんには渡さないって……そこの扉、薄いから結構話が聞こえてくるのよね」

 つい、勢いで言ってしまったさっきの言葉、まさか聞かれてしまっていたとは……。まあ、聞かれてしまったのなら今更隠す必要などないだろう。

「ああ、笹葉さんは絶対誰にも渡さないから」

「ちょ、な、なに言ってんのよ! べ、べつにそういうことを言っているわけじゃないんだから……」

 笹葉さんの白い肌が、みるみるうちに真っ赤に紅潮してしまった。

「え? おれ、なんか変なこと言ったかな?」

「な、なんでもないわよ!」彼女は背を向け、後ろ手に持っていた、部活動申請用紙を差し出し、そのままで言葉をつなぐ。「ともかく、これで仮提出しておくのだけれど、竹久は今日中に部の名前を決めておいてよね」

「部の名前? 漫画研究部じゃ?」

「別に、それでいいのならそれでもいいのだけれど、せっかくだから名前を新しく決めてもいいんじゃないかしら? 一応、部長は竹久にしておいたから。あなたが責任を持って決めるのよ。いいわね!」

「部の名前か……。それにしてもおれが部長……とはね」

「あとそれともう一つ」

「ま、まだあるのか?」

 笹葉さんは机の中から冊子を取り出す。

「こんなものを見つけたのよ」

「これは──」

「学園祭の日、ウチらが演劇をしている時に体育館の入り口で販売されていたらしいのよ。ウチの学校の女子生徒が販売していたらしいのだけれど、それが誰なのかがわからないのよ」

 そこに置かれた冊子の表紙にはイケメン王子とその家臣らしき男のイラストが描かれている。一見BL漫画の表紙のようにも見えるがそのタイトルが『To be or not to be』となっていることだけでなく、イラストの二人の男性に似た人物を僕はよく知っているし、その絵柄にだって見覚えがある。手に取って中を見るとそれはあの学園祭で演じた劇の脚本だ。実際の僕たちが使っていたのは僕がパソコンで書いて印刷したものをホッチキスで止めただけの簡素なものだったが、これはきれいに製本されてところどころに挿絵も入れてある。

「まあ、誰が作ったのかはまるわかりだけどね」

「問題はその冊子、生徒会には無許可で販売されていたのよ。まあ、許可も何もそれを申請するべき漫画研究部なんて初めからなかったのだから当然と言えば当然なのだけれど、まあ、それはいいわ」

「い、いいんだ」

「だって、それが販売された学園祭当日、ウチはまだ生徒会長ではなかったわけだし責任はないわ。それどころかウチが所属することになる部の前身がもたらしたであろう不祥事なら、その火の粉が降りかからないようにもみ消しておくことにするつもり」

「わるい会長殿だ」

「それよりも問題はその中身よ。竹久、演劇の脚本が書き換えられていたことは知らなかった、ラストシーンはアドリブで演じたって言っていたわよね?」

「あ、ああ……」

 ページをめくり、演劇のラストシーンのセリフを確認する。

 物語の後半は細部こそ違うものの僕の予定していたリア王とコーデリアのハッピーエンドではなく、生きていたティボルトがゴネリルと結婚して国を乗っ取ろうとするストーリーになっていた。それはいい。どうせあのシナリオは栞さんと城井先輩で考えたものなのだろうし、はじめからそう演出するよう画策されていたのだから。

 問題はその後だ。脚本では、その後に現れたケント伯によってティボルトが討たれるというシナリオになっている。

 これは、僕が演劇のステージ上でアドリブとしてやったことだ。これが学園祭の当日印刷されて販売されていたというのなら、僕があの時どう行動するのか、栞さんは完全にお見通しだったというわけだ。

 しかしたとえばこれが、学園祭当日販売されたものではないということだって考えられる。学園祭の後でその部分を書き直したうえで印刷され、笹葉さんのもとへ巡ってきたということも考えられるが、おそらくそうではないだろう。そうであるならば僕のセリフはきっと一字一句誤りのないように記載されていると考えていいが、これは意味合いこそはあっているもののセリフ自体は全く別のものになっている。

 そして何よりも、物語のはじめ。ゴネリルのリア王に対する愛の告白のセリフは、僕が書いたセリフのままだった。

 そのセリフが変更されたのは学園祭の前日。笹葉さんが考えて提案して演じたもので、前もって印刷された脚本なら変更されていないのは道理にかなう。そして、演劇の後にそれに準じて書き換えたというのならば、あの素晴らしいセリフに書き換えないはずがない。

「やっぱりウチは、葵先輩のことがいまひとつ信用できないし、好きにはなれないわ。だから、部長は竹久がやってくれるほうがうれしいかな」

「そうだね。確かにおれなんかじゃ栞さん相手にかなう訳もなく振り回されるだけになるだろうけれど、笹葉さんが力になってくれるというのなら少しはやりようもあるかもしれないな」

「うん……ありがと」

 生徒会執務室は他の教室よりも風通しが悪いらしく、内緒話のために窓を閉め切った教室の中で、冷え性で厚着をしている笹葉さんは少しほてってしまったのだろう。赤ら顔でうつむいている。

 そろそろ僕も立ち去ったほうがいいだろう。舞台脚本の冊子を受け取った僕は少しな挨拶をしながら生徒会執務室を後にした。



 学園敷地内の一番奥にある旧校舎のとある教室に到着。

 教室の隅では栞さんが黙って原稿用紙にGペンを滑らせ、ゴリゴリと紙を削る音が聞こえている。紙とインクの匂いは嫌いじゃない。心を落ち着かせてくれる。

 新入部員の黒崎大我は部長の命令に従いおつかいに送り出されているらしい。居候の美少女むなかた瀬奈が暇を持て余していたようなのでゲームの相手をしてやることにする。


「これはもうアタシの勝ちだな」


 そう言いながら彼女は8×8マスの盤面に並ぶ白い石を次々とひっくり返し、黒い石へと並び変えていく。細めた目と眉が二つのⅤの字を作り勝利を確信したように微笑ほほえんで見える。

『ししっ!』と言っているようにも見えるが声に出しているわけではない。単に僕がそう感じて心の中でアテレコしているだけだ。


「もういい? 納得した?」

 鼻歌交じりのご機嫌な彼女に問いただすと。「どうぞ!」と言う。

「それじゃあ──」

 8×8の盤面の隅に白い石を置いた僕は先ほど彼女が黒くひっくり返したばかりの石を片っ端からひっくり返し、盤面のほとんどを白に染めていく。

「ああぅ、なんてことするのよ!」

「そんなこと言われてもな」

「もう、なんでユウはそんなに強いのよ、しおりんとは引き分けだったのにい……」

「いや、むしろなんで瀬奈はそんなに弱いんだよ。もう、これで角は三つが僕のものだ。もう、負けを認めてもいいんじゃないか」

「いや、アタシは絶対あきらめないから。まだまだ逆転の余地はあるわ」

「いやあ、ないと思うけどな」


 ──この後、盤面をめちゃくちゃ白くした。


「あー、もう一回勝負よ」

「かまわないよ。先攻後攻どっちがいい?」

「もちろん先攻の黒よ。だって黒のほうが白よりも絶対強そうだもん!」

「〝絶対強そう〟って、随分といい加減な考えだな。そもそも〝絶対〟って言っておきながら〝強そう〟って不確定な言葉を組み合わせてるし」

「あーもう、そーいうのいいから。なんか強そうだから強そうでいいのよ」

「まあ、確かにオセローのほうが隊長でイアーゴーは部下だから強いっちゃあ強いのかな」

「は? ユウ何言ってんの?」

「いやだから、オセローと黒と白の話」

「ん?」

 ──通じていなかった。まあ、瀬奈はあまり文学とかに興味がないらしく仕方のないことなのだけど。

「うん。『オセロー』はシェイクスピアの四大悲劇の一つともいわれる作品で褐色のムーア人隊長オセローとその部下で白色肌のイアーゴーを中心とした物語だ。イアーゴーはかんけいけていててのひらを何度も返しながら人々を翻弄し、オセローはその度に気持ちをコロコロと変えていく姿からこのオセロというゲームの名前が付けられたんだ」

「ああ、なんか知ってる。確かオセロって日本人が考えたんだよね。それなのに海外の話から名前をとったんだ」

「うん、まあ、それに関して言えば少しややこしい話があるんだけどね。一応、オセロゲームを開発したという長谷川五郎さんは一九七〇年ごろにツクダにアイディアを持ち込んで商品化したんだけど、十九世紀にはほとんど同じルールのリバーシというゲームが存在していて、これを開発したとされるジョン・モレットとルイス・ウォーターマンはシェイクスピアと同じイギリス人なんだ。だから、この二人がリバーシをオセロと名付けておくほうが話はしっくり来たんだろうけどね」

「あれ、日本人が考えたんじゃないんだ」

「どうだろう。長谷川さんがリバーシの存在を知っていたかどうかは定かではないし、そのあたりのエピソードも二転三転して事実が何とも言えない。そもそも日本にも源平碁という名の非常に似たゲームは以前からあったわけだけど、あくまでオセロという名前で商標登録をしたのは長谷川さんであって、二十年の間ツクダはそのあたりの真相を白黒つけずに商標を守り続けた」

「うーん。でもそれって……」

「それ以上は言ってはいけない。もはや過ぎたことだし今更白黒つけることに大した意味なんてないよ。オセロは日本人である長谷川さんが考案したゲームだ。それで十分」

「まあ、それを言い出したのはユウなんだけどね」

「ああ、それはそうと、こういうものを見つけたんだ」

 僕は先ほど笹葉さんから受け取った冊子を取り出し机の上に置く。聞き耳を立てていた栞さんはペンを止め、眼鏡をはずした。

「いやあ、たけぴーのおかげでひと稼ぎさせてもらったよ」

「いったいいつの間に用意したんですか、こんなもの」

「いつの間にって、そりゃあ当日に間に合うように前もってだよ。劇も大盛況だったおかげで、一部三百円で三百冊、学園祭の当日に完売したよ。だからネットで予約を受け付けて追加の二百冊、今日完成したって報告があったので今、黒崎君に取りに行ってもらっているところだ。あれ、もしかして自分の取り分を要求したいとかそういう話だったのかな? それならもう全部使っちゃったから残ってないんだよね。どうしてもっていうなら体で支払わないこともないけれど」

 栞さんがネクタイをするっと滑らすようにほどき、シャツのボタンを上から二つはずす。シャツの中で窮屈そうにしていた胸元が少しだけのぞく。

「ちょ、ちょっと、しおりん!」

 瀬奈は相変わらず無邪気に驚いた様子。いい加減慣れてもいいころだと思う。

 それにしても一冊三百円で合計五百冊か。単純計算で十五万円。僕はそのあたりに詳しくないので何とも言えないが、印刷代の経費を差し引いたところで十分に利益が生まれているだろう。そして漫画研究部という部活動が実在しないのであればその収支報告を学校側へ申請する必要もなく、栞さんの懐に入るのだ。

 おそらくその金額があれば、体育館のステージの照明をLEDからハロゲン球に交換するくらいのことはできるのではないだろうか。

「まあ、この件に関しては我らが新生徒会長殿がもみ消してくれるそうですが、次からはちゃんと報告するようにしてくださいね。笹葉さんに、あまり迷惑をかけないようにしてください」

「たけぴーがそう言うのなら従うよ」

「それならいいけど……あまり信用に値しないんですよね。栞さんの言葉は。

 それより、ふと思ったんですが、学園祭当日、体育館の入り口で冊子の販売をしていたという女子生徒、いったい誰なんですか? めぼしい人は皆ステージの上に立っていたわけだし……」

 普通に考えるならば栞さんの友達……ということなんだろうけどそれはそれで納得しがたい。彼女には、友達という友達がいないのだ。僕らを除いて。

「あ、それなら──」

 と瀬奈。信じがたいようなことを言った。

「──ぽっぽ君じゃないかな?」

「ぽっぽだって? いや、販売していたのはウチの学校の女子生徒で……」

「ぽっぽ君ならあの日、うちの学校の女子の制服を着ていたよ。緑のネクタイだったし、あれ、しおりんの制服だよね?」

「そうだよ。ぽっぽ君の女装、なかなか似合っていただろ」

 栞さんはあっさりと事実を認めた。そういえばたしか、学園祭当日ウチのクラスのコスプレ喫茶に来店した栞さんは女友達と一緒だったと大我が言っていたが……それならば僕も一目見ておきたかったなと後悔する。

 そんな僕の隣で冊子を眺めていた瀬奈が声を上げる。

「あ、アタシ。わかっちゃったかも……」

「なにが?」

「この演劇に隠されていた本当のテーマよ。ほら、城井さんが脚本を書き換えたって言ってたでしょ?」

「ああ、言ったよ(本当に書き換えたのはたぶん栞さんだろうけど)」

「たぶん城井さんはユウの演劇の脚本を見て自分も出演したいって思ったのよ。舞台に上がってとべっちさんと仲直りするために!」

「なんで、そうなるんだよ?」

「ほら、ココ見て! この脚本のタイトル。本当は城井さん、とべっちさんのことが好きだったのよ!」

to be orオレ not to be

 ああ、なるほど。確かにそう読めなくはないかもしれないが、どうしてそんな結論にたどり着くのか不思議でしょうがない。そもそもこの脚本のタイトルをつけたのは僕だし、そんなはずもないというのが当然の意見ではある。僕はそのことについてちゃんと否定するべきなのか、しないべきなのかについて迷った。迷った挙句無視することにした。そんなことは大した問題ではない。そんなことよりも僕には気になっていることがある。

「ところでさ、瀬奈……。部活、始めるとか聞いたんだけど……」

「あ、そうそう。そのこと言わなきゃいけないんだった! アタシね、軽音楽部に入ることにしたの! フラッパーズのみんなにヴォーカルとして正式のオファーされちゃってさ。ほら、アタシ頼まれると断れないタイプじゃん?」

「頼まれると断れない? だったらさ……」

 ──そんな部活になんて参加しないで、僕と一緒にいてくれとお願いしたいのだけど……

 そんな言葉を用意してみたけれど、それを口にする勇気はなかった。

 瀬奈はほおを赤らめてそっぽを向き、

「んまあ、ともかくそういうことだから、今までほどここへは遊びに来れなくなるかなあ」

 そんなことを言う。僕は強がりで返す。

「そ、そうか……それはさみしくなるね」

「あれれ? もしかして泣いちゃう?」

 意地の悪そうな瀬奈から目をそらし、栞さんへと視線を移しながら、

「うん、それは泣いてしまうかもしれないな。泣きそうだから栞さんに慰めてもらわなきゃ。

 ねえ栞さん、前に言ってましたよね。やりたくなったらいつでも声かけてくれって、確かお願いされると断れないんだって。僕、やりたくなったのでお願いします」

「うん、まあたけぴーがそう言うのなら仕方ないね。断る理由なんてどこにもないし」

「ちょ、ちょっと何言ってるのよ!」

 瀬奈が慌て始める。

「あ、よかったら瀬奈も見ていかないか? 何なら手伝ってくれてもいいけれど……、瀬奈もさっき、頼まれると断れないタイプだって」

「い、言ってない、言ってないよそんなこと。それに、アタシ今からバンドの練習あるから今日はちょっと……」

 慌てるように荷物をまとめて教室から抜け出す瀬奈。教室には栞さんと僕だけが取り残される。

「いいのかい? せなちー行っちゃったけど」

「彼女なら大丈夫ですよ。僕も少しばかり本気ですからね、さすがに瀬奈がいたんじゃあ気が散ってしまう」

「そうじゃなくてさ、あーしなんかでいいのかい? 本当はせなちーとやりたいんじゃ?」

「瀬奈ではいろいろと物足りないものがありますからね。それに、ついさっきやったばかりですから」

「そうかい、じゃああーしが相手になってあげよう。さあ、始めようか」

「望むところです」

 栞さんと二人向かい合い、間に8×8の盤面を置く。

「黒と白、どっちがいい?」

「もちろん黒です。だって黒のほうが絶対強そうですから」

「それほとんど負けフラグだよ」

「負けるわけないじゃないですか」


 対局は均衡する。どちらも互いにけんせいしながら慎重に手を打つも、これと言った決定打を打てず、じりじりと盤面だけが白黒に埋め尽くされていく。

「ところでたけぴー。オセローのことなんだけどさ」

 栞さんが話しかけてくる。

「その手には応じませんよ。そうやって僕の集中力を欠こうっていう魂胆でしょ」

「イアーゴーはいちごの模様のハンカチがオセローから妻に贈った大事なものだと知っていたにもかかわらず、副官であるキャシオーがそれを知らなかったというのはおかしな話だと思わないかい?」

 僕の言葉を無視して話し続ける栞さんの言っているのは、シェイクスピアの戯曲『オセロー』のことだ。さっきも触れた通り、このオセロゲームの名前の由来にもなっている。

 褐色の隊長オセローとその副官キャシオー、それにかんけい高いイアーゴーの物語だ。

 くだんについては、オセローの妻が大切なハンカチを落としてしまい、それを手に入れたイアーゴーがキャシオーにわなを仕掛けるために彼の部屋に落とすというところだ。キャシオーはそのいちごの模様が気に入ったからと懇意にしているしようにこれのコピーを作ってくれと頼む。そのさまをオセローが見て、キャシオーと妻が浮気をしていると疑うことになるのだ。

「残念ながら、そのことについては以前、ゆっくりと考えたことがあるんです。だからその推理に夢中になって手を打ち損じるなんてことはないですよ」

「ほう、では聞かせてもらえないかな」

「ええ。カギは物語の前半です。舞台がヴェニスのころにイアーゴーとキャシオーの会話で、イアーゴーの『将軍は結婚したのだ』という言葉に対し、キャシオーは『相手は誰だ?』と言っている。つまり、この時点でイアーゴーが知っている事実を副官であるキャシオーは知らなかったわけだ。しかもオセローの妻とキャシオーとはそれ以前からも知り合いだったらしい記述もあることから、キャシオーだけが知らなかったというのはどうにもおかしいように思える。そしてオセローとその妻デズデモーナの結婚は親の許可を得ることもなく、作中の言葉を使うならば盗人ぬすつとのように結婚したのだという。

 僕が思うにキャシオーは以前からデズデモーナにおもいを寄せていて、隊長であるオセローはそのことに気づいていた。だからキャシオーが行動を起こす前にオセローは抜け駆けしてデズデモーナと結婚した。そのことを引け目に感じていたオセローは神経が過敏になっていたんじゃないだろうか。もし、自分が行動せずにずっと見守っているだけだったなら、デズデモーナはキャシオーの愛を受け入れて結婚していたんじゃないかと考えていたわけだ。だから、イアーゴーの告げ口にはしんぴようせいがあり、妻の浮気を疑った。

 そしてキャシオー。本当はあのハンカチがオセローから妻に贈られた大事なハンカチだということを知っていたんじゃないかな。そのハンカチが自分の部屋に落ちていたことから、彼女が自分とあいきするために来たんじゃないかと期待する。そこでキャシオーは一計思いつく。いちごのハンカチのコピーを作り、町の娼婦に持たせることで、オセローの贈ったハンカチはそれほど価値のあるものでもなく、オセロー自身が方々で浮気をしているのだと妻に思い込ませようとしたんじゃないだろうか」

 僕は黒い石を8×8の盤上の隅に置き、その周りの白い石を一気にひっくり返す。

「なるほど、そう来たか……。うん、ではもう一つ聞こう。オセローにとって信頼している部下はあきらかにキャシオーではなく、イアーゴーの方だ。なのになぜ副官はキャシオーなんだろうか?」

「え、あ……うーん。それはさ、オセローよりも地位の高い人間が任命したんじゃないかな。オセローの妻の父親はたしかヴェニスの高官で、キャシオーとは以前から知った仲だったはず。もしかしたら娘とキャシオーを結婚させたいと思っていたのかもしれないですね。それをオセローが間に入って結婚してしまった」

「だとしたら父上殿はお怒りになっただろうねえ」

「確かオセロー達がサイプラス島に赴任して間もなく死んでしまったはずだ。娘がヴェニスにいなくなったことで急に衰弱してしまったんだとか。物語中盤でその弟と親戚がサイプラス島にやってきてそんな話をする」

「そう、そこでその親戚筋はキャシオーを隊長に任命しようとして、イアーゴーが計略を起こすきっかけになるわけだけど……その親戚筋はなぜ到着してすぐに父が死んだことを娘に告げようとしなかったんだろうか? それどころかオセローをさらに奥地の任に着けようとしている。当然妻はそこについていくことになるだろうし……。まるでこの親戚たちは父の死を隠して、娘がなるべくヴェニスに帰ってこられないようにしているようにも感じるのだけれどね。彼女の父は確か、ヴェニスの権力者なのだろう? 娘がいなければ誰がその家督を継ぐのだろうか? 本当に父は娘がいなくなったことで衰弱死したんだろうか? 自分の息のかかったキャシオーをサイプラス島の隊長に任命することでその地位を盤石にしようとしていたのでは?」

「……」

「はい、じゃあこっちの角はいただくね」

 ──しまった。またしても栞さんのペースにはめられて打ち誤ってしまったようだ。

 勝利を確信したのか、余裕を持った栞さんは演劇の脚本を眺めながらに相手をする。

 ふと表紙に描かれているイラストを見ながらライトノベルみたいだなと思う。思えばこの部のメンバーは僕と笹葉さんが文学系だとして、栞さんと赤城さん(名前を借りているだけだけど)はイラスト系なわけだ。それならばいっそのこと……

「ねえ、栞さん。新しく設立する我が部のことなんだけどさ、『軽文学部』というのはどうだろう?」

「好きにするがいいさ」

 さすがは栞さん。いちいち余計な説明をする必要がないのは楽でいい。もとより、彼女にとっては初めからこうなることが計画通りなのかもしれないけれど。

「じゃあ、決まりですね」

「あ、もしかして『軽文学部』という名は『軽音楽部』にせなちーを取られてしまったことに対する当てこすりなのかな? 当てこすりって言葉……」

「別にエロくないですよ」

 ──彼女のペースに飲まれないようにする。

「そんなことよりいいのかい? たけぴー、早く白黒つけないと、瀬奈ちーはあのバンドメンバーにとられちゃうよ? それともなにかな? 他にも白黒つけたい相手がいるのだとか?」

「誰のことを言ってるんです? でもまあ、そうなんでも白黒つけてしまうのがいいというものでもないんじゃないですか?」

「そんなことを言っているとそのまま灰色の生活を送ることになりそうだ。灰色でいいのは脳細胞だけだよ」

「何も灰色にしなくてもいいのでは? パンダもシマウマもかわいいですよ。それに、栞さんこそどうするつもりですか? あの黒のこと」

「残念だけど虎は白黒じゃない。黄色と黒だからね。あーしのアオハルに介入する余地はないね」


 ──勝負がついたようだ。


 僕はもう少しどうにかなるんじゃないかと期待していたのだが、さすがに栞さんの前には手も足も出ない。

「そんなに落胆することはないだろう? 君は負けていないんだからさ」

「引き分けだから落ち込んでるんですよ。栞さん、わざと引き分けになるように打ったでしょ?」

 ──うわさをすれば影。いや、もしかすると少し前に到着しておきながら外で会話を盗み聞きしてタイミングを見計らったのかもしれない。段ボールを担いだ我らがリア王の到着だ。

「何の話だ? さっき、白だとか黒だとかいう会話が聞こえたけど」

「ああ、オセロのことだよ」

 僕は机の上に開きっぱなしのオセロゲームを指さす。

「ああ、そういえばゆう、知ってるか? オセロってやっているときに、つい秘密にしていることをばらしてしまうことがあるってのを?」

「いや、初めて聞いたな。そうなのか?」

「だってさ、コクハクゲームなんだぜ」

「大我、そういうところだぞ」



 最近の世の中ときたらやたらめったらと黒白つけたがる傾向があるようだ。そしてその結論は黒のほうが多いから勝ちなのだとか、白のほうが少ないから我慢しなければならないだとかそういうことではないし、むしろ数が少なくても声が大きければ勝ってしまうということだってありうる。なんでも黒だの白だの決めつけて排除しようとする必要なんてどこにもないし、それならばいっそグレーであり続けることこそが平和と協調を生み出すのではないだろうか。


 ──いいや、わかっている。こんなくだらないたわごとでけじめをつけることから逃げていることくらい。

 もちろん。僕だっていつかはちゃんと彼女に黒白つけようとは思っているのだ。それを、いつやるべきなのか。

 それが、問題だ。