『ロミオとジュリエット』(シェイクスピア著)を読んで  竹久 優真

 学園祭をかわいい女の子と一緒に回る。という現実世界ではめったに起こることもなく、なおかつ定番のシチュエーションを期待していたのだが、あいにくさささんも実行委員で体育館に常駐しているため時間の都合を合わせられないし……うん、まあ確かにしおりさんもルックスだけで言うならばかわいいと言えなくもないのだろうけれど……。いや、そもそもが僕と栞さんとが二人で学園祭を回っていたりなんかすればたいに合わせる顔がなくなってしまうだろう。

 結果。僕は大我と二人で学園祭を回ることになる。

 まあいいさ。少なくとも男で彼以上の相手なんていないのだろうし、むしろ多くの女子生徒たちに羨望のまなざしを受けることになるくらいのパートナーだ……と、自分を納得させてのことではあったのだが、実に神様というのはいるものだ。

 たまたま同じ時間に休憩に入っていて、たまたま通りかかった瀬奈と鉢合わせして、僕らはしばらく三人で回ることになった。

 途中で大我が気を利かせて、(あるいは自分の都合を優先させてかもしれない。栞さんに会うために教室に急いで戻ろうとする大我に「自分も一緒に帰るよ」などと空気の読めない発言をしなかったことを鑑みればお互い様)瀬奈と二人きりになった。

 果たしてこれをデートと言ってもよいのだろうか? 食べては歩き、食べては歩きの繰り返しだが、彼女と二人であるならそれだけでつまらないなんて感じることはない。

 お化け屋敷でまったく怖がらずに平常運転で歩き続ける瀬奈も、バルーンアートのキリンをネッシーと呼ぶ瀬奈も、美術科の作品展示であか先輩の桜の油絵に付けられた、実行委員の指示を無視した百万円という値札に「全然売る気ないじゃん」と笑ってつぶやく瀬奈も見ていて飽きることはない。

 しかし、彼女の言いだしたバンド演奏のフリをしてほしいというお願いを聞き入れなかったのには訳がある。

 僕の知らないところで瀬奈がバンド活動だなんてものに精を出していたことに嫉妬していたというのもあるけれど、と酔狂ばかりで卑しく生きている僕に、できるならば瀬奈の前では地に足をつけて、正直に、堂々とした姿でありたいという野心が芽生えてきたからだ。だけど、彼女があっさりとあきらめて他をあたると言ったのはそれはそれでさみしいものがある。どうしてもとお願いされるのならばやぶさかでもなかったんだけど。

 休憩時間も終わりに近づき、僕たちは一度別れることにする。

「それじゃあ、またあとで」

「ああ、演劇頑張ろう」

「うん、せっかくまた四人で何かできるんだもん。がんばろうね」

 瀬奈は、〝四人で〟と言っていたのだ。演劇に参加するのは四人なんかではなくもっと多くの人数だというのに。

 おそらく瀬奈の言う四人とは、僕と大我、それに瀬奈と笹葉さんのことだろう。はじめてこの四人で過ごしたのは春の文化祭の日。とても居心地が良いと感じたのは何も僕だけではなかっただろう。

 それ以来何度となく一緒に過ごしたこの四人組も、いろいろあって四人全員がそろって共に過ごすことはなくなってしまった。

 おそらく瀬奈もまた、再びこの四人で活動をしたいと願っているのだ。

 思えばバンドの練習もあって忙しかったであろう瀬奈が、無理を通して僕らの演劇に参加してくれたのは、本来演劇なんて苦手なはずだった笹葉さんが自らをステージに押し上げたのも、またこの四人で何かをしたいと思ったからではないだろうか。



 いよいよ学園祭も佳境に差し掛かり、僕たちも演劇のために体育館へと移動するころ、だんだんと雲行きが怪しくなってきた。

 ここで言う〝雲行きが怪しい〟は比喩表現なんかではなく、物理的な現象のことだ。

 天気予報では降水確率10パーセントとなっていたものの、秋の空というものは乙女心並みにうつろいやすい。空は真っ黒な雲に覆われ、次第に降り出した雨から逃げるように屋外の露店は撤収し、イベントも中止となり、来場者は皆屋根のあるところへと避難する。

 ステージのある体育館もそれは例外であるはずもなく、幸か不幸か僕らの演劇が始まるころには体育館は超満員となる。僕らのメンバーの中に天気を自在に操るてんのような存在がいるのではないかと感じざるを得ない。

 つい先ほど、メールで友人のぽっぽが演劇を見に来ているというメッセージが入っていた。しかも、同級生のわかみやさんとかたおか君も見に来ているというのだ。幕の隙間から客席ホールを少しのぞき、どこにいるのか確認しようとした。

 あまりの超満員。ぽっぽたちがどこにいるのか確認をするどころか、激しく緊張が高まる。

 多くの期待と不安を胸に、今、超満員のステージの幕が上がる。


 まだ照明のついていないステージの上、わき先輩のナレーションから物語は始まる。

『病により急死したブリテン国王の後を継ぎ、若き王子リアは王位を継ぐこととなる。王の即位に伴い、妻を迎えて婚礼の儀を執り行うこととなった──』

 ナレーションの終わりとともに大我ふんするリア王にスポットが当たる。会場の数か所から黄色い声が飛ぶ。この直後に登場する僕にとっては少しプレッシャーだ。

『ああ、何ということだ。どうやら母上は私の結婚相手には従妹いとこのゴネリルがふさわしいと言い出してしまった。しかし、しかし私は……』

 いよいよ僕扮するリア王の忠臣ケント伯の登場だ。素早くリア王のもとに歩み寄る僕に黄色い声が飛ばないのは当然だ。嫉妬などしない。

『何を迷うことがありましょう。リア様、あなたは国王であられる。あなたの意見に誰が反対できましょう。他に……心に決められた方がおいでなのですね』

『わかるか、ケントよ。実は私はキャピュレット家の令嬢コーデリアに恋してしまったのだ』

『なんと、キャピュレット家とは』

『ああ、そうなんだ。我がモンタギュー王家とは犬猿の仲と言われるキャピュレット家の令嬢だ。うわさではキャピュレット家は国家転覆をかんけいしているとも言われている。そんな者を妻にするなどいくらなんでも大義名分というものが……』

『いや、そんなことはありませんぞ。大義名分が必要というのならば、むしろ好都合。対立する家同士の結婚となればそれはひとつの国家安泰の印。ためらうことなどありません』

『いやしかし、それだけではまだ足らない……はっ、そうだ! こういうのはどうだろうか』ライトが消え、暗闇の中を素早く移動する。まずリア王が玉座に座る。教室の椅子に段ボールで細工しただけのものだが、これがなかなか見事な出来栄えだ。さすがは美術科の皆で作った作品だ。栞さんはあれでいてかなりのカリスマ性を持っているらしく、彼女が声を掛ければ美術科の生徒は大概手を貸してくれる。あるいは弱みでも握っているのかもしれない。

 リア王の隣にはケント伯の僕、それにリア王の母ガートルード役の瀬奈がワインレッドのドレスに身を包んで立つ。さらにその隣は王弟クローディアスの脇屋先輩。その向こうに白とオレンジのドレスのゴネリル役の笹葉さんと純白のドレスに身を包んだコーデリアの栞さん。笹葉さんに関しては言うまでもないが、馬子にも衣装というか、栞さんもこうして黙ってさえいればなかなかの美人だ。

 全員のスタンバイが完了したところで唯一ステージ上に立っていないメンバー、ティボルト役のとべっち先輩がステージ裏の照明を操作する。

 ステージ全体が明るくなり、劇は再開する。リア王が二人の花嫁候補にプロポーズさせるシーンだ。

『今日ふたりに来てもらったのは他でもない。今からふたりには私のことをどう思っているのかをそれぞれ言ってもらいたい。その上で私をより感心させた方を妻としたい』

 笹葉さんが一歩前に出る。

「ではゴネリル。君の気持ちを言ってくれ。君は私のことをどう思っているのだ」

『それではリア王様』

 透き通るような響きの声。いったいいつの間にこれほどの演技力を身につけたというのだろう。才能もあるのかもしれないが、相当な努力をしてきたはずだ。それも、実行委員という面倒くさい仕事をこなしつつここまでの努力をしてくれた笹葉さんには正直頭が上がらない。

『──あなたはお気づきになんてならなかったかもしれませんが、わたしはずっと以前からあなたのことを見つめていました。しかしそれを恋だと気づくには少しばかり時間がかかってしまったかもしれません。

 相手の身分を問わず等しく皆に気づかいのできる、そんな優しさを持ったあなたにかれていったのかもしれません。

 あなたはお笑いになるかしら? 今もこうしているわたしの胸があなたに焦がれる思いで張り裂けそうになっていることを?

 いいえ、わかっております。あなたにはおもいを寄せている人が別にいることくらい。

 それでも、こうしてこの想いを打ち明ける機会を与えて下さったことに、心より感謝をしているんです』

 このセリフを考えたのは笹葉さん本人だ。初めに僕が考えていたものよりもはるかに良い。正直、これならリア王が心動かされてゴネリルを結婚相手に選んでしまうのも無理はないと思えるかもしれない。

 続いて、コーデリアの告白だ。栞さんが一歩前へ出る。コーデリアはうつむき、何も言わない。

『さあ、言ってくれ。コーデリアよ。そなたの気持ち、存分に伝えてくれ!』リア王は後ろを向き、つぶやくように言う。『どんな言葉でもよいのだ。私の気持ちは初めから決まっている。恐れることなど何もないのだ。さあ、言っておくれ……』

『ああ、リア王よ。あなたはなんて残酷な人なのでしょう』

『残酷とな?』

『だってそうでありましょう? 身分も決して高くないわたし、ましてや長い間モンタギュー家がキャピュレット家とは仲が悪いということだってリア王様は知っておいででしょう。

 それなのにこのような人前で想いを言葉にしろなどと言われ、どうしてそれが言えましょう。そんなことをして、わたしが選ばれなかった時、果たしてわたしに帰る家があるでしょうか?』

『いや、しかし……それはだな……』

『きっとあなたという人はそうやって人前で何も言えないわたしをあざ笑い、元より決めてあったそのゴネリルという女と結婚をなさるおつもりだったのですね。ああ、何という残酷。わたしはそうして人前で恥をかかされるだけの運命なのですわ』

『私が、恥をかかせるだと?』

『そうでありましょう?』

『ええい、なにを言う。恥をかかされたのはこちらの方だ。お前のようなやつは知らん。どこへでも行くがいい! 私は、ゴネリルと結婚するぞ!』

『リア王様!』

 僕の、わずかなセリフの後にじっとせつなそうにリア王を見つめた栞さんが舞台袖にはける。

 ステージの上ではリア王がゴネリルにプロポーズをするところで一幕が終わる。


 いったん舞台袖に全員がはけ、ステージ上では第二幕が始まる。二幕ではリア王とゴネリルがなかむつまじく暮らしているシーンが続く。

 舞台の脇でそれを見ている僕の心臓は驚くほどに早く脈打っていた。ステージの上では〝配役〟という仮面をつけているからこそ歯の浮くようなセリフもキザな言葉も平気だが、一旦袖にはけてしまうと素の自分が出てきて、急に今までやっていた演技というやつが恥ずかしく感じてしまう。これも、一種の真夜中のラブレター効果というやつだろうか。

 ともかく僕のセリフなんてほかの皆に比べれば大したことないにもかかわらずこのありさまだ。それなのにステージ上の笹葉さんなんてまるでそんなことなど平気であるかのように堂々とした演技をこなしている。

 リア王を演じる大我に寄り添う笹葉さんはとてもかいがいしく、そんな姿につい見とれてしまう。舞台の上の演技とはいえ、少し前まで交際していたこの二人が僕のいないところでああして仲睦まじくしていたのかと想像してしまうと、なぜだか胸が締め付けられる。

 ……いや、これは単に演劇で緊張した僕がばし効果とかいうやつで過剰に反応してしまっているだけに違いない。──と、そういうことにしておく。


 ステージ上の舞台は続き、王妃きさきの父となったクローディアスが次第に権力を握るようになり、母ガートルードもクローディアスの考えを支持している。

 対してリア王は王であるにもかかわらずその意見をないがしろにされるようになり、そのいらちをゴネリルにぶつけるせいで夫婦は不仲になっていく。

 そんななか、クローディアスはキャピュレット家の領地を強引に没収するなどしつような嫌がらせをする。ついにはキャピュレット家が謀反を企てているとして討伐隊を派遣することとなる。

 その指揮を執るのはリア王。対するはキャピュレット家のティボルト。

 舞台の上には大我扮するリア王ととべっち先輩扮するティボルト。練習に練習を重ねたとはいえ、ふたりともその剣さばきは見事なものだ。普段は一見えない印象のとべっち先輩だが、こうしてみるとなかなかどうしてかっこよく見えるものだ。それに大我、いくら運動神経が万能だとはいえ演劇部の先輩を相手に決して見劣りのすることの無い動き、それは単に彼が優秀なだけではなく、人の見ていないところで人一倍の努力をしてきた結果だ。彼が努力を惜しまない人間だということを僕は知っている。いつも、口先だけで適当に言いつくろってのらりくらりやっている僕なんかには到底できない芸当だ。

 激戦の末、ついにリア王はティボルトを打ち倒し、倒れゆく中でティボルトはリア王に、妹のコーデリアがプロポーズの際に冷たい態度をとったのは本心ではなかったことを告げる。

『あれはなあ、オレがアイツに言ったんだよ。もしオマエが本当に愛しているならばどんな冷たい言葉を投げかけても受け入れてくれるはずだってな……

 だがどうだい? オマエはそんなコーデリアの気持ちをるでもなく罵り、裏切って他の女と結婚したんだ。──なあ、どんな気持ちだ? それでオマエは幸せになれたのか? そんなオマエに、妹を幸せにする権利なんてない。

 フフッ、先に地獄で待っているぞ。キャピュレットもモンタギューも関係ない。みんな、みんな呪われるがいい……』

 そうしてティボルトは息を引き取る。

 リア王は自分の犯した罪に気づき、絶望のうめきをあげて二幕が終了する。


 ステージの上では引き続き第三幕が上演されている。キャピュレットの屋敷で軟禁状態のコーデリアのもとに夜中に忍び込んだリア王が窓の下から愛をささやくシーンだ。ロミオとジュリエットの中のもっとも有名なシーンのオマージュ。

 舞台の袖ではティボルト役を演じたとべっち先輩が着替えを始めている。ティボルトが死んだことにより、とべっち先輩は次に登場するリア王の父の幽霊として再登場することになる。少人数での演劇だからひとりで何役もこなさなければならないということは致し方ない。その度にキャラクターを演じ分けるというのもなかなか大変だろうとは思う。

 王の幽霊の衣装に着替え終わったとべっち先輩は脱ぎ終えたティボルトの衣装をすぐにハンガーにかけてるす。その姿を見ながら思う。こんなちようめんなとべっち先輩が脱ぎ捨てた衣装にしゆうれん現象で引火させただなんてどう考えたっておかしいのだ。

 ステージ上では高いところにある窓から見下ろす演技のためにつくった大掛かりな屋敷の壁セットが並べられ、コーデリア役の栞さんとリア王役の大我とが愛をささやき合っている。まったく。あの二人も普段からああして素直に気持ちを伝え合えれば僕がこんな茶番なんてせずに済んだのだろうけれど……


『ああ! コーデリア! 私はあなたを裏切り、さらにはあなたの兄まで手に掛けた。今更許してくれなどと言えようはずもない。こうして会う資格さえないというのに……

 どうしたらいいんだ。それでもあなたを想うこの気持ちはとどまることなく……いや、むしろ増していくのだ。許されないと知りつつもあなたをどんどん好きになってしまう!』

『ああ……リア様。わたしなどにそんなことを言ってはなりません。わたしは罪深い女なのです。

 兄の敵であるはずのあなたがどうしても憎めないのです。いいえ、それどころかこの愛は一層増すばかり。今や国家に牙をむき、家も取り潰された卑しい身分のこのわたしがリア王様のことをいとしいと思うなんてなんと許されないことでしょう。わたしは罪深い……』

『ああ! あなたはどうしてコーデリアなのだ!』

『ああ……どうしてあなたはリアなのでしょう』


 三幕が終わりいよいよ四幕が始まろうとしている。

 ほんの脇役で、出番の少ない僕の演じるケント伯の出番が再び訪れようとしている。

 舞台の袖でじっと演劇を見ていただけの時間が長すぎたのか、次第に迫ってくる次の出番を考えると心臓が再びばくばくと脈打ち始めた。冷や汗で額に張り付く前髪をかきあげる。

「ねえ、ひょっとして緊張してる?」

 横から瀬奈が僕の顔をのぞいてくる……というか距離が近い。

「少しね」強がって言ってみたがやっぱり正直に打ち明ける「……ほんとうはかなり」

「ねえ、知ってる? 緊張しているときは手のひらに〝人〟っていう文字を三回書いて飲みこめばいいんだよ」

 ──聞いたことくらいはある。でも、そんなのは気休めに過ぎない。

 でも、今はそんな気休めさえ欲しいくらいだった。僕は素直に左の手のひらに右手の人差し指で三回〝人〟という文字をなぞり、それを口元に寄せてすっと息をのんだ。

 ほんの少し息を止め、そしてゆっくりと息を吐き出す。とても自然にできた深呼吸のおかげか随分と気持ちが楽になった。あながち、単なる迷信というわけでもないのかもしれない。

「よし、じゃあもういっかい」

 瀬奈にせかされ、僕はもう一度手のひらに〝人〟という文字を三回なぞる。それを口元へと近づけようとした時、その手を瀬奈が両手で包み込むようにつかみ、自分の口元へと寄せる。

 瀬奈は「すっ」と短く息を吸い込む。僕の手のひらに、かすかだけど彼女の吐息のぬくもりと、唇のやわらかい感触が残る。

「えっ……」

 つぶやく僕に目を流し「なに?」と一言──。

「もしかして、アタシは緊張なんてしてないと思ってた? そんなことないんだよ。これでも、実はすっごい緊張してるんだからっ」

 ──いや、そういうことではないのだが……

「よし、じゃあ行こうか」

 立ち上がって一歩前へと進む瀬奈。それに合わせて僕も立ち上がる。

 さっきまでとは比べ物にならないほどに心臓がバクバクと悲鳴を上げている。もう、吊り橋だとかそんなレベルじゃない。


 第四幕。恋に悩むリア王とその忠臣であるケント伯のシーンから物語は再開される。

『──ああ、私はどうしたらいいんだ。地位も名誉もプライドも、もう何もいらない。欲しいのは、コーデリアただひとり……

 しかし、今となってはもうどうすることもできない。私はすでに結婚してしまっているし、コーデリアは国家に反逆した家系の娘。どうしたってこのおもい、成し遂げる事はかなわない。ああ、ケントよ私は一体どうしたらいい……』

『リア王様。本当にコーデリア様以外に何もいらないとお思いですか?』

『ああ、もちろんだとも。彼女のためならば、この命だって惜しいとは思うまい』

『もし本当にそうお思いならば、国も地位も名誉も捨ててコーデリア様とどこか遠くの地に逃げる……という道もあります』

『しかし、王の私が逃げるなど……』

『心配には及びますまい。実質、今この国を統治しているのはクローディアスです。リア王様が今ここでお逃げになっても、すぐに国が傾くということはありますまい。

 もし、その覚悟がおありとあらばこのケント、お二人の逃亡に助力いたします』

『……わかった。ケントよ、その助け、借りられるか?』

『はい、お任せください』

 セリフを言いながら、僕はふと思う。このケントのセリフ、聞きようによってはリア王に対し、〝もうお前いらないからどっかいけよ〟的なニュアンスに聞こえないだろうか。どうせ気づくならもっと前に気づくべきだったが、本番になって初めて気が付いたところでもうどうしようもない。あとは勢いに任せるしかないのだ。

 シーンは変わり、次は僕がコーデリアのところに行き、駆け落ちをする待ち合わせ場所を決め、軟禁状態のコーデリアを解放する。

 これで、またひとまず脇役に過ぎない僕の出番はしばらくない。ほっと一息つきながら舞台の袖で皆の演劇を見守ることになる。

 リアとコーデリアのあいびき場所は郊外にあるはいきよ。草木も眠る深夜、待ち合わせ場所でひとり、コーデリアが来るのを待つリア王の前に突如現れたのはコーデリアではない。病にて急死した父王だった。

『リアよ、心して聞くがよい。わしの死んだのは病のためではない。殺されたのだ』

『殺された?』

『毒を飲まされたのじゃ』

『一体誰がそのようなことを?』

『わからぬか? お前の母、ガートルードじゃ』

『は、母上が? いったいなぜ?』

『うむ、あれと弟のクローディアスは恋仲にあったようじゃ。それでわしのことが疎ましくなったのじゃろう』

『そ、そのようなことが……まさか』

『女の心というものはな、うつろいやすいものなのじゃ。しかしなリア。母を恨んではならんぞ。悪いのはおそらくクローディアスの方じゃろう。あやつめ、おそらく権力欲しさにガートルードをたらしこんだのであろう。気をつけろよリア、やつは次にお前を国から追放しようとするやもしれん』

『気を付けるも何も……もう少しで私は国を捨てて逃げ出すところでした。いや、こうしてはいられない。すぐさま城へと戻り、母上の不義の真偽を確かめなくては!』

 王の幽霊は消え、リア王は城へと立ち去る。

 誰もいなくなった廃墟に遅れて来たコーデリアはひとり、暗闇の恐怖におびえながらうずくまる。

 シーンは変わり王城に。止める衛兵を押しのけてリア王が無理にクローディアスの寝室に入ると、そこには一つのベッドの中、母ガートルードとクローディアスがいるのを確認する。

『やはり、母の不義は事実であったか! おのれクローディアス! 剣をとれ! 父の敵、ここで晴らす!』

『何を偉そうにこのクソガキが! ええい、この際きさまも逆賊としてこの場で成敗し、この国は私がもらい受けようぞ!』

 クローディアスは剣をとり、リア王との激しいを演じる。

 普段は裏方の仕事ばかりをやっていてあまり活発そうには見えない脇屋先輩だったが、さすがは演劇部の三年生。見事な立ち回りはやはり昨日今日はじめたばかりの素人でないことは一目瞭然だ。しかし、やはりそんな脇屋先輩に勝るとも劣らない昨日今日殺陣の練習を始めたばかりの大我がすごいということが余計に目立つ。

 激しいけんげきの末、クローディアスの剣がリアをとらえる。リアにとどめを刺そうと突いたクローディアスの剣は我が息子を守ろうとするガートルードを貫く。

『ガートルード!』

『母上!』

 ひるんだクローディアスめがけてリアの剣が振り下ろされる。

『母上……せめてもの手向けだ。クローディアスとはあの世で共に暮らすがいいさ……』


 いったん幕が引き、いよいよ物語は終幕へと突入する。舞台の袖に降りてきた瀬奈は自らの演じるガートルードが死んだことで出番は終了。汗で額に張り付いた髪の毛は、いつでもてんしんらんまんな彼女でさえ緊張していたというゆるぎない証拠だ。クローディアス役の脇屋先輩も舞台の登場はここで終わりだが、彼にはまだ照明や効果音など裏方の仕事が残っている。とべっち先輩もチョイ役ではあるがまだ舞台に登場する予定があるので脇屋先輩と交代だ。

 そしてケント役の僕にもまだ少し出番がある。


 舞台の上では終幕が始まっている。王とはいえ国家を混乱に陥れた罪は免れることができない。せめてもの計らいで身分をはくだつされ地方へと追放されるリア王。旅立ちの際の妻ゴネリルとの別れのシーン。

『お願いです、リア様! わたしもつれていってくださいまし!』

『ならん! お前まで王都を離れてこの国はどうなる? もう、モンタギュー家の一族はお前しかいないのだ。ゴネリル、お前が女王となってこの国を守って行かなければならない。いいな!』

 すがるゴネリル──笹葉さんを振りほどいて立ち去る大我。

『ああ、リア様……』

 泣き崩れる笹葉さん。われながら、よくもこんな残酷な脚本を書いたものだ。これでは笹葉さんを捨てて栞さんを求める事実そのものじゃあないか。そしてこの後そのすべてを知りながらも大我の手助けをしようとする僕もケント伯そのものと言える。

 実際脚本を書くときにそのことを意識しなかったというわけでは無いが、その時はまさかゴネリル役を笹葉さんが演じるとは思ってもいなかった。こうして、まるで事実の再現のような舞台になったことをどうか許してほしいところだ……と、その時舞台上のゴネリルが予想外の行動を取り始めた。

 本来の予定ではリア王が舞台袖に行ったところで暗転し次のシーンになるところだが、暗転する直前、泣き崩れるゴネリルは胸元から薬の瓶を取り出す。

『ああ、リア様のいなくなったこの世界で、どうして生きている価値などありましょう。それならばいっそ……』

 ──どういうことだ?

 僕はそんなセリフなんて脚本に書いた覚えはない。

 舞台の裏で照明を操作しようとしていた脇屋先輩が袖にいる僕の方を見る。

 いや、そんなことをされても僕にだってどうすればいいかわからない。しかし、笹葉さんが舞台の上でセリフをしゃべっている以上、途中で照明を落とすわけにもいくまい。

 演者の皆が不安そうに見守る中、舞台上のゴネリルは薬の中身を飲み干し、苦しみながらにその場に倒れ込んだ。

 ──これは……もしかすると彼女なりのささやかな抵抗だったのだろうか?

 自分を捨てた大我に対し、自らの死を持ち出すことで彼を糾弾しようとしたのかもしれない。

 その真相を、僕は笹葉さんに後で聞いてみたいとも思ったが、果たして僕にそんなことを聞く勇気があるだろうか。脇屋先輩は倒れたゴネリルがもうそれ以上の演技を必要としていないであろうことを確認し、照明を暗転させた。


 つい、予想外のことが起きて舞台に見入ってしまっていたが、次のシーンは僕の登場だ。慌てて舞台脇に構える。手のひらに、〝人〟という文字を三回書いてから口をつけて吸い込む。その場所は、さっき瀬奈の唇が触れた場所だ。わかっていて、わざとやっている。


 クローディアスの死後、領地を返されたキャピュレット家。しかし家督を継ぐティボルトは既になく、家の復興を期待されるコーデリアは婚姻の話を持ちかけられる。

 しかし、その胸のうちはいまだリアとともにある。

 望まぬ結婚をするよりも、あえて死を選ぼうとするコーデリアの前にケント伯が登場する。


『コーデリアよ。そなたには死をもつてしてでもリア王と添い遂げたいと願う覚悟がおありか』

『もちろんですわ。ケント殿。愛するものを失った世界で、どうして生きていく意味などあるでしょう』

『うむ、よくぞ言った。ならば、この毒薬を飲むがよい』

 僕、ケント伯はポケットから薬の入った瓶を取り出す。こうして改めてその瓶を見ると、つい先ほどのシーンでゴネリルが飲んで死んだ毒薬とまったく同じ瓶だ。どうせ使いまわしなのだろうから仕方ないのだが、その瓶に一抹の不安がよぎったのもまた事実だ。

『この薬はな、飲めばたちまち呼吸が止まり、心臓も動きを止める。そしてそなた、コーデリアの遺体は町はずれのれいびようへと収められるだろう』

 コーデリア、黙ってうなずく。

『しかしな、これは偽りの死の薬。一度心臓の動きを止めてもまた、一日もすれば止まった心臓は動き出す。そこでな、コーデリアはそのまま都を離れ、遠く離れた郊外でリア王様とおち合い、共に暮らすが良い……』

 手に持った薬瓶をコーデリアに手渡すと、『ああ、ケント様!』と言いながら栞さんが僕に抱きつく。豊満な胸が僕の胸に当たり、何度も練習を繰り返してきたにもかかわらず相変わらず緊張してしまう。

 薬を受け取ったコーデリアは一気に薬を飲み干し、その場で倒れゆくところを僕が支える。そのまま、俗にいうお姫様抱っこという形で舞台の袖にはける僕。これにて、僕の登場シーンはすべて終わりとなる。

 舞台の袖で息をついた僕は隣に座る瀬奈とともに舞台のラストシーンを眺める。

 客席からは見えないだろうが、舞台を挟んで反対側の舞台の袖に、そんな僕たちを見つめる笹葉さんの姿があった。

 先程、脚本になかった演出をした笹葉さんではあったが、舞台は問題なく進行しているし、僕から別段そのことを指摘する必要もない。遠くからではあるが、笹葉さんの労をねぎらいささやかに微笑ほほえんで見せた。

 しかし、笹葉さんの表情は遠くからでもまだ緊張した面持ちなのがわかった。

 まるで、まだ自分の演技はすべて終わったわけでは無く、まだ続きがあるのだという緊張感だ。

 僕は、その時ちゃんとそんな彼女の動向に気づいておくべきだった。その後に起きる、予想外な展開などじんも考えていなかったのだ。


 ステージの中央ではまさにクライマックスシーン。ケント伯がリア王によみがえったコーデリアを迎えに行くよう伝えるための遣いを走らせてはいたが、コーデリアの訃報を耳にしたリア王がいてもたってもいられなくなりコーデリアの眠る霊廟へと向かい、不幸にも遣いとすれ違ってしまう。

 霊廟で心臓の鼓動を止めたコーデリアに泣きつき、悲嘆の末取り出したナイフで胸を突こうとする。

 原作となる『ロミオとジュリエット』ではロミオの死後、ジュリエットが息を吹き返し、かたわらで死んでいるロミオに気づき、自らも同じナイフで胸を突いて心中する……が、あまりにも悲劇的すぎる結末を僕は変更することにした。

 胸を突いて自害しようとするリア王を前に、直前で息を吹き返したコーデリアがそれを止め、二人はハッピーエンドを迎えるというものだ……

 ──いや、わかっている。それがいかに茶番でご都合主義的な結末かということぐらいは。

 しかし、この舞台は演劇であって演劇ではない。事実、僕の親友くろさき大我がその青春時代に胸を痛めている恋煩いの大願成就をモチーフにしたものだ。

 リア王がナイフを高く掲げ、観衆が息をのむ。体育館全体が凍りついたように沈黙し、薄っぺらい体育館の天井を激しく雨粒がたたく音だけが響く。わずかな沈黙が、随分長いようにも感じる……

 ──いや、本当に長すぎる。

 脚本通りに目を覚まさないコーデリアの演技にリア王役の大我は戸惑う。いつも冷静なはずの大我が少し取り乱しているようにも見える。ちらりと、舞台の袖にいる僕に視線を向ける。

 そんなことをされても困る。僕にだってどうすることもできない。

 あまりに長い沈黙に、観客からざわめきがこぼれはじめる。まさか、栞さんは本当に眠ってしまってるのではないだろうか……

 なんて、そんな甘い考えが単なる願望に過ぎないことくらい自分自身ちゃんとわかっている。

 栞さんは、そんなドジッコなんかじゃない。思慮深く、そうめいで、何よりこうかつだ。

 おそらくこれは彼女のなんらかのたくらみに違いあるまい。またしても僕たちは、おそらくまんまと彼女の策略にめられてしまったのだろう。

 舞台袖の僕の額に冷ややかな汗が大きな粒をつくり、それが流れ落ちようとすると同時にコーデリアはようやく起き上がる。

 会場の誰もがようやくほっと一息をついたところで栞さんは大我に向かって言う。

『まったく、しびれを切らしましたわ。あなた、いつになったらそのナイフを胸に突き立てるのかしら?』

 再び観客と、大我とが息をのむ。

『ナイフを振り上げるだけ振り上げておいて、その胸に突き立てる勇気もないなんて、なんて情けないことなのでしょう。そのような一貫性の欠けた男に、ひとりの女を永遠に愛し続けるのなんてきっと無理ですわね』

 ──マズイ。この演劇は完全に栞さんに乗っ取られてしまった。

 大我が、この演劇を通して栞さんに伝えたかった言葉は当然彼女に伝わっている。しかし、彼女はそれをわかった上であえて大我に物申したかったのだろう。

 以前、自分と交際しておきながらそれを捨てて、笹葉さんという恋人を作ってはまた捨てる。そんな大我を、栞さんは許してはいない。

 もちろんこれは、そんな簡単な話などではない。栞さんには栞さんの言い分が、そして大我には大我の言い分がある。本当は何も知らない僕なんかが間に入ってこんな茶番に仕上げるべきではなかったのかもしれない。当人同士の問題なんて、互いにちゃんと向かい合って話し合ってこそその先に進める物語なのかもしれない。ましてや男と女、黙っているままではそう簡単におもいなんて通じるものじゃない。

 それはなにも大我と栞さんだけのことじゃない。きっと彼女も、それに彼だって、もちろん彼女も、そして僕にだってそれは言える事だろう。


 どうしていいのか困窮した大我は舞台の袖にいる僕の方に救いを求めて視線を送る。

 そんなことをされても困る。

 僕だって、どうすることもできない──いや、僕がどうにかする事じゃない。大我自身が、決めなければならないことだ。

 僕は黙って目を伏せた。大我は栞さんに向き直る。

『ああ、コーデリア……あなたは私の死を望んでいるのか?』

『愛は、望んではいない。あなたは既に王などではなく、王の器でもありえない……』

『……そうか……どうか、許してくれよ、コーデリア……』

 リア王は、黒崎大我はその掲げたナイフを胸に突き立てた。

 大我がその場に崩れ落ち、栞さんが立ち上がる。舞台の反対側、脇屋先輩の隣に立っていた、ティボルトの衣装を着た男がステージ上に現れ、コーデリアの隣に立つ。

『うまくいったな』

『はい。お兄様──』

 書き換えられた脚本が、すべて自分たちの思惑通りに行ったかのような口ぶりのセリフだ。

『リアに殺されたフリをしたオレが亡き前王の格好でやつの前に現れた時、アイツは全く気づく気配もなかったオレを父の幽霊だと信じ込むとは、実に愚かな奴だ』

 当然僕はそんなセリフを書いてもいないし、そんなつもりでストーリーを組んでもいない。しかしその一言で物語は全く別の方向へと進み始めた。

 しかし、そもそもこのティボルトの衣装を着た男、この男は一体誰なんだ? とべっち先輩でないのは確かだ。

 ずいぶんと顔立ちの整った男だ。前半のステージでティボルトの役を演じていたとべっち先輩は僕の隣にいる。言っては悪いが、とべっち先輩とは似ても似つかないほどのいい男だ。まあ、かつこうはそれほど違うわけでもないので、客席のうしろの方の人ならば一目見ただけではティボルト役の人物が入れ替わったことになど気が付かないかもしれない。しかし、あまりにも響きのよいその声はきっとそれほど広いとは言えない会場の体育館内に響き渡る。前の方の客席から黄色い声が飛び交う。

「……しろ

 とべっち先輩がつぶやく。なるほどこの男が演劇部を窮地に追いやっておきながら自分は素知らぬ顔で逃げ出した男か。

 いまさらノコノコとステージに上がってきては僕の脚本を踏みにじった男。知らない間に栞さんと結託して僕の脚本を書き換えたのだ。

 ステージ上の予想外な展開にくぎ付けになっていた僕が、向かいの舞台袖に笹葉さんがいないことに気が付いたのはその頃だ。

 スポットライトが自害するリア王にあてられている隙に、霊廟の隅にもう一つのひつぎが置かれていた。

 城井先輩ふんするティボルトと栞さん扮するコーデリアが棺の前に移動する。脇屋先輩がライトを操作して棺にスポットを当てる。

 二人が開けた棺に横たわっているのは毒を飲んで死んでしまった笹葉さん扮するゴネリルの遺体だ。

『だいじょうぶだ。もうじき目を覚ます』

 ティボルトの言葉に、ゆっくりと目を覚ますゴネリル。ティボルトはしゃがみ、ゴネリルの手を取る。

『だいじょうぶ、あなたが飲んだ毒薬はコーデリアが飲んだものと同じ薬。一時的に、仮死状態をつくるだけにすぎません。その想いを貫く心こそが王たる器。あなたこそこの国の女王にふさわしい……さあ、これからはモンタギュー家とキャピュレット家、共に手を取り合いながらこの国を治めていきましょう』


 ──まったく、これはこれで一つのハッピーエンドではないか。

 自分勝手なモンタギュー家の王族は皆死に、純真だったゴネリルだけが生き残って女王となる。その傍らにいるのは滅んだはずのキャピュレット家の王子ティボルト。二人が結婚して国を継げば、両家の争いのない国が出来上がることだろう……


 だがしかし、これは僕の書いた物語なんかではない。それがちょっとに落ちない。

 僕だって僕なりにこの物語をつくってきたのだ。勝手に書き換えられたのでは納得がいかない。

 そんな僕の耳元で、瀬奈がぽつりとつぶやいた。

「ねえ、ユウ。サラサって、あの男と結婚しちゃうわけ?」

「え? たぶん、ストーリー的にはそういう結末……なんだと思う」

「ユウは、それでいいの?」

「えっ」

 瀬奈に言われ、なぜだか知らないがそれはとてもよくないことのような気がした。

 もちろん、僕の創ったストーリーとは違うし、あの城井って男はなんだか気に入らない。いつもいつも栞さんのいいように操られるっていうのも気に入らないが、なんだかそもそも根源的にすごく嫌な気がする。

 僕はこの物語を、こんな形で終わりにしてしまいたくはない。

 どんっ! と、僕の背中が強く平手でたたかれた。とべっち先輩だ。

「行けよ。真打登場だ!」

「真打? 僕が?」

 とべっち先輩が強くうなずく。この人、こんなに頼もしい人だったか?

「奪われたものは奪い返すのよ!」

 瀬奈まで僕に発破をかける。


 ──やってやろうじゃないか。真打登場だ!


 ステージ右端ではゴネリルとティボルトが手を取り合って立ち上がる。まさに舞台はひとつのハッピーエンドを迎えようとしている。


『そうはさせるものか!』

 ステージの端から登場した僕、ケント伯にスポットライトが当たる。まるで、こうなることを予測でもしていたように正確に僕の登場に合わせられたスポット。

 ステージ上の左右二つのスポットライトの中央の暗闇の中には、短剣を胸に突き立てて死んだままのリア王が居る。大我はさすがに今の状況で自分がその場にいることがまずいと判断し、倒れた状態のままスポットライトに当たらないよう、逃げるように舞台の袖へと避難する。

 そして、それを待っていたかのようにステージ全体が明るくなる。

『だれだ、お前は』

 ゆっくりと振り返りながらティボルトが言う。

『ケント様!』

 笹葉さんが、僕にすがるような目でそう叫ぶ。

 ──あれ? ケント伯って王妃であるゴネリルに様付されるような立場だっけ? などと一瞬考えるが、今はそんなことはどうだっていい。ここまで来たからにはあとは勢いに任せて思いっきりアドリブでどうにかするしかない。

『リア様の愛したこの国を、きさまのような賊にみすみす渡してなるものか!』

『ほほう、おもしろい。ならば、やってみるがいい』

 ティボルトが剣を抜く。それに合わせて僕も腰にぶら下げていた剣をさやから引きだす。ただのハリボテだと思っていたけれど、ちゃんと僕の携行している剣も鞘から抜けるように作っていた脇屋先輩に感謝だ。本来舞台の上で剣を抜く予定なんて一切なかったケント伯の剣を、わざわざ鞘から抜けるように作る必要もなかったはずなのに。

『いざ!』

 剣を構えてティボルトめがけて切りかかるが、ティボルトはそれを簡単にはじかえし、反動でよろけた僕はその場に盛大に転んでしまう。

 しかし、すぐさま起き上がり、二度目三度目とティボルトに向けて剣をふるう。しかし、そのどれもをティボルトは簡単にかわし、そして打ち返す。

 そもそも、なんてやるつもりもなかったし、練習だってしてこなかった僕だ。見よう見まねで剣を振り回す演技をしたところで、そんなへなちょこな動きはティボルト、いや、演劇部のエースである城井にはふざけているようにしか見えないのだろう。いくら僕から打ちかかったところで、城井はそれを全て簡単に打ち返してしまう。僕としてはこのままティボルトを打ち倒して無理やりハッピーエンドと行きたかったところなのだけれど、おそらく城井にとってそれは望まない展開らしい。

『ふん、あいもない』

 言い捨てた城井は反撃に出る。次々に打ちつけてくるけんげき。僕はそれらを受け止めていくのが精いっぱいだ。たとえそれがおもちゃの剣だったとしても、演劇という名目でやっている以上それを食らってしまったなら僕は死ぬ演技をしなくてはならないだろう。そして舞台は城井の思う通りに進んでしまう。

 それは、何としても避けたいところだ。

 僕は、立て続けに打ちつけられるすさまじい城井の剣戟を受け止めながら、一瞬のそのすきをうかがっていた。

 ひとつの剣戟を受け止め、次の剣戟のために振りかぶるモーションの一瞬の隙、その瞬間に僕は足を思い切り踏ん張り、前かがみで重心を前へと落とす。剣を横から振り抜こうと、一歩前へと踏み出す。

 次の瞬間!

 僕の目の前には城井の足があった。

 僕の反撃の瞬間を見きった城井は、容赦なく僕の顔面へと蹴りをいれ、僕はその勢いで思いっきりステージにぶっ倒れる。もはやこんなの、演技でも何でもない。僕は言い逃れする余地もなく、城井に負けてしまったのだ。

『ふん、雑魚が、調子に乗るなよ』

 城井の剣が僕に向けて振り上げられる。覚悟を決めた僕はその場で目をつぶる。自分のふがいなさをかみしめ、余計なことをするんじゃなかったと後悔がよぎる。

『お願いやめて!』

 その声に瞑った目を薄目で少し開くと、目の前の城井、ティボルトに後ろから両手でしがみつく笹葉さん、ゴネリルの姿があった。

『ゴネリル! 何のつもりだ!』

『お願い! そのひとはわたしの、わたしの……』

 倒れている僕を目の前に、後ろに振り向くティボルト。少しきようではあるかもしれないが、僕はその一瞬を突き、持っていた剣をティボルトに突き立てる。

『な……ゴ、ゴネリル……君は、私ではなくこの男を選ぶというのか……』

 ティボルトはその場に崩れ落ちる。

『おのれ、キャピュレットの野望ももはやここまでか……』

 コーデリアはそれだけ言い残し、舞台を去る。

 ステージに残されたのは僕、ケント伯と笹葉さん、ゴネリルだけだ。シンと静まり返った舞台中央、笹葉さんがゆっくりと立ち上がる。キラキラとしたまなざしで僕をゆっくりと見つめる。

『ああ、ケント様!』

 笹葉さんは僕に抱きつく。合わせるように、僕も笹葉さんを抱きしめる。柔らかなその体が胸の中でかすかに震えている。少し汗のにおいのする彼女の髪から甘い香りが漂う。


 ──これは、よくない。

 なれない演劇の、しかもアドリブ演技中というかつて無いような緊張感の中、笹葉さんとこんなに触れ合ってしまうと……いわゆるばし効果とでもいうのだろうか。理性が、追いつかなくなってしまいそうだ。すぐ後ろで、僕たちの様子を瀬奈が見守っているというのに。


 そんな僕の感情をよそに、ステージの幕がゆっくりと下りていく。観客たちが立ち上がり拍手喝采をしている。

 一応、物語はここでハッピーエンドを迎えたことになるのだろうか……

 僕自身、これが一体何の物語だったのかさえよくわからない状況だが、見ていたみんなが納得してくれたというのならば文句はあるまい。脚本を担当した僕としては十分冥利に尽きる。

 ステージの内側、客席との間のどんちようが完全に閉まりきると、二人同時に大きくあんのため息をつく。湿り気のある暑い吐息が首筋にかかる。

 暑い……。天井からぶら下がるハロゲンライトがジリジリと僕の何かを焦がす。背中に汗がにじむ。

 ステージ脇にいた他の出演者たちも拍手をしながらステージ中央に集まる。ティボルト役の城井先輩も立ち上がり僕に言う。

「おい、いつまでそうやってるつもりだよ」

 僕は城井先輩に言われてはたと気が付いた。ステージの幕が下りきったにもかかわらず、僕は笹葉さんを抱きしめ続けていたのだ。目の前の笹葉さんが耳まで真っ赤にして僕を見つめていた。

「あ、ああ……ごめん」

 慌ててその手を放す。きっと、緊張感のあまりそうしていないと落ち着かなかったのだろうと自分自身に言い訳をする。


 さて、演劇は無事終わった。これで僕の役目も……


「さあ、最後もういっぱつ盛り上げるぞー」


 瀬奈がこぶしを突き上げて発破をかける。

 バンド、フラッパーズのメンバーがスタジオセットのついたての裏でセットを終えて、フェイクのギターとベースを持ち出してきた。笹葉さんはすでに舞台のドレスを着たままフェイクのキーボードの前に立っていた。ギターを大我が受け取り、ベースを栞さんが受け取った。

 マイクを手につかんだ瀬奈がステージの中央に立ち、ほかの演劇メンバーはステージを後にする。部外者である僕も、ステージにいるべきではないのだろう。

 瀬奈に声を掛ける。

「なあ、ドラムのフェイクがいないんじゃないのか?」

「いや、さすがにフリとはいえ、ドラムは無理でしょ。それに、フェイクのためにドラムセットもう一つ用意するの大変だし……」

 確かに瀬奈の言うとおりだ。

 だから、僕は栞さんのところに歩み寄る。

「すいません、差し出がましいようなんですが……、そのベースは僕に譲ってくれないですか?」

 栞さんはニヤついた表情で言う。

「たけぴーにできるのかい?」

 ベースのストラップをはずしながら言う。たぶん彼女は初めから、僕がこんなことを言い出すのを予測していたのだろう。

と酔狂は僕の専売特許です」

 ベースを僕が受け取り、栞さんは舞台の袖にはけていく。瀬奈は、そんな僕を見ながら眉と目とで二つのVを作りながら『ししっ!』と笑っている。

 ──僕だって、居心地のいいこの四人で何かをしたいと日ごろから思ってはいるんだ。そうしてできるならば、これから先もこの四人であり続けたいと思っている……


 再び、幕が上がる。

 さっきまでとはまた、少し違った歓声がステージ上に届く。瀬奈はもちろん、笹葉さんに大我。さっきまでの演劇から引き続き、皆一様に王様やらお姫様のコスプレをしているのだ。バンドのメンバーのルックス的には僕以外には文句の付け所が無い。

 瀬奈の澄んだ声色で音楽はスタートする。

 僕たちは演奏のフリをするだけだ。それほど難しいことじゃない。

 イントロが流れ始めたとき、悔しいけれど僕はその曲を知っていることに気が付いた。いつの日だったか瀬奈と二人で聞いた曲だ。はじめ聞いたときはそれほど好きでもなかったのだが、瀬奈が口ずさむたびにあの日のことを思い出し、いつの間にか僕も気に入ってしまい口ずさむこともあった。『フライングマイガール』という曲だ。ヴォーカルの瀬奈がフラッパーズの名の通りおてんば娘のごとく、飛び跳ねるようにステージの上で歌う。

 今回の一件で一番飛び跳ねたと言っていいのは、やはり瀬奈ではなく笹葉さんの方だろう。いつだったか、自分が閉じこもって身動きできないと言っていた笹葉さん、いつしかみごとにサナギからちようとなって羽ばたいたのだと思う。

 それに引き換え……我らがリア王黒崎大我についてはまるでいいところなしだった。自らの恋にまいしんすると言っておきながら臆病になり、僕が余計なおせっかいをしようとしたばかりに多くの群集の前で、栞さんにフラれるみたいになってしまった。もちろん責任の一端は僕にあるわけだが、やはり大我自身、自分の殻を破れずに仮面をつけ続けたことにも原因があるのではないだろうか。彼の仮面の下にあるその素顔は決して醜いものなどではないはずで、案外直球で攻めていればうまくいっていたのかもしれないなどと考えている。

 しかし今回彼が心に負った傷は案外大きなものらしく、なんでも完璧にこなすリア王がこんな簡単な演奏するフリさえおぼつかない。ギターを演奏する指の動きと、実際に聞こえている演奏の音とがまるでみ合っていないのだ。これではさすがに僕たちが演奏していないことがばれてしまうじゃないか……

 ──いや、よくよく考えてみればもう一組、仮面なんて脱ぎ捨てた方がいいやつらがいるんじゃないだろうか。

 これまた僕のおせっかいなのかもしれないけれど、それでも僕はこういうことをついついやりたくなってしまう性分らしいのだ。

 僕は、演奏するフリをやめ、両手を大きく天井に掲げた。何事かと観客が僕に注目するが演奏のベースの音は依然鳴り続けている。これで、僕たちが実際に演奏していないことが完全にバレたはずだ。もう、いまさら後には引けない。

 僕はうしろをふりかえり、演劇用に用意されたその大きな背景の衝立に手をかけた。きっとこの衝立の裏で実際に演奏している本物のフラッパーズは、次の瞬間に起こるハプニングなんてきっと予想していないだろう。慌て驚くその姿を想像して、性格の悪い僕は軽くほくそ笑む。衝立の向こうをのぞくとステージ裏で照明の管理をしている脇屋先輩が僕にサムズアップを示している。今回、僕が最も見くびってしまっていたのはこの男だろう。

 音楽はまさに佳境に入り、サビへと続くメロディーへと差し掛かる。テンポが速くなるに従い、ステージ上にはいないドラムの連打音が鳴り響く。大我や笹葉さん、それに観客の不安そうな視線を一身に受けた僕はゆっくりと衝立に力を入れる。大きな衝立はゆっくりと倒れ、ステージ上の照明が暗転する。ただ中央の、見た目こそあまりえない本物のフラッパーズ達にしっかりとスポットライトがあてられる。さすがは脇屋先輩、グッジョブだ。

 一瞬の出来事におどろきを隠せない本物のフラッパーズだが、このタイミングで演奏をやめてしまうほどに素人むき出しなやつらじゃない。表に出るつもりのなかった彼らにステージ衣装なんて存在しない。一目であかぬけていないことが丸わかりするほどに校則をきちんと守って着た制服姿の彼らが汗にまれて必死で演奏する姿が照らし出される。

 その姿を、僕は純粋にかっこいいと感じた。僕と大我、それに笹葉さんはステージから離れ、舞台の袖で観客となる。本物のフラッパーズのそばに駆け寄った瀬奈は僕たちと演奏しているときよりももっとずっといい笑顔で歌い続けた。

 観客からの割れんばかりの歓声が会場を包む。最後の最後で、すっかり本物のフラッパーズにステージの主役を持って行かれてしまったようだ。

 それを僕は、なぜか誇りに思う。


 シェイクスピアは、『ロミオとジュリエット』という悲劇的な結末を迎える戯曲を〝喜劇〟だと位置づけているらしい。

 確かにロミオとジュリエットは社会のことをまるで理解できてなどいないし、自分たちだけの狭い世界の中で目の前にぶら下がった恋を世界のすべてだとして盲目的な行動を起こすのだ。

 ならばシェイクスピアに一言物申すことにしよう。


 ──笑いたければ笑うがいい。


 それでも未熟な僕たちにとって目の前にぶら下がるさいな恋愛や苦悩こそがすべてであり、だからこそそれらにすべてをささげてみたいなどとほざきながら過ごす毎日が、誰に笑われようとも、ちっぽけな僕たちにとってはそれこそが大事なことなんだ。



 学園祭が終わるとほぼ同時に通り雨はやんだ。

 騒々しい祭りが終わり、来客は去る。各々が胸にこの日の思い出を刻みながら片付けをこなしていた。それぞれクラスの出し物や委員会の作業のある者もいれば、もう作業を終えて後夜祭の時間を待ち遠しくしているものも少なくない。

 僕の作業ももうすぐ終わる。僕はステージ裏で演劇部の片付けを手伝っている。ここに残っているのはもう僕と脇屋先輩だけだ。先輩の作業もあらかた終わったようなので、階段下の照明装置とモニターの並ぶ彼の定位置に近づき話しかける。床の焦げ付きを足で隠すように立ち、真上の白熱球の洗礼を、頭頂でジリジリと感じる。

「脇屋先輩はどうして今回の演劇をどうしてもやりたいと考えたんですか? とべっち先輩から聞きましたよ。どうしても脇屋先輩がやりたいっていうからやるんだって……。あ、思い出作りっていうのはナシですよ」

「ふん、本当にやりたかったのはあいつの方だよ」脇屋先輩はクールに言ってみせる。

「あいつは部長なんて似合わない肩書背負ったばかりにいつも自分を犠牲に生きているからな。俺が無理にでもやりたいって言わなきゃ我慢するだろ。本当は自分だってやりたいくせに……。見ててわかるだろ? 城井がバケモンみたいなだけでだって演劇に関してはなかなかだ」

「まったくですね。何しろの件でも自分を犠牲にするくらいですからね」

「……気づいていたのか?」

「ええ、まあ。さすがにLEDの照明じゃあしゆうれん火災は起きませんからね。もっと直接的な火種があったんですよ。ほら、ここあまり人目につかないし、換気扇の真下だし……。脇屋先輩だってずっと知っていたんでしょ? ここ、ほとんど先輩の定位置ですし、換気扇があっても喫煙後しばらくは匂いだって少しくらいは残るでしょう? 自分がここへ戻ってくる前に誰がここにいたのかを考えれば真犯人がわからないはずがないです」

「そんなことが発覚したならまあ間違いなくアイツは終わりだろう。でも、それはあまりにももったいないだろ? 俺も戸部もそれをわかっているからこそ隠すことにしたんだ」

「そうですか。僕はてっきりわかっていて放置していたことで事件が起きてしまい、とべっち先輩にそれをかばわせたことで脇屋先輩自身に後ろめたさがあったからだと思っていたんですけど」

「まあ、それもあるかもしれないな。でもまあ、残念ながら俺も戸部もいくら演劇をやっているからってそれで将来食っていけるかっていうとそれほどではないだろう、そんなに甘い世界じゃないよ。だけどアイツは違う。いつかアイツが有名になって、昔一緒に演劇をしていたんだって自慢くらいはしたいところってのが本音かな」

「まあ、わからなくもないです。僕も周りに優秀すぎる人が多すぎて……。だからせめて優秀なワトソン役でありたいと考えているんです。天才の隣にいた凡人にできることといえばそれらの出来事を記録に残すことくらいですからね」

「それが君がペンを握る理由かい?」

「いえ、すいません。カッコつけすぎました」

「いや、お前は十分にかっこいいよ。俺が将来どこかで演劇を続けているようならまた脚本を書いてくれよ」

「その時はちゃんとギャラをいただきます。高いですよ?」

「生意気だな」

「生意気ついでにもう一つ。脇屋先輩、城井先輩に書き換えられたあの脚本、あらかじめ知っていましたよね?」

「ああ、知っていたさ。でないとあんなに完璧に照明はあてられないだろ」

「まったく。まんまとやられてしまいましたよ」

「まあな。俺はこうやって舞台を裏から操るのが性に合っているんでな」


 片付けを終えた脇屋先輩はサムズアップをして帰る。さて、自分もそろそろ帰ろうかと思っていたところにさらなる来訪者があった。生徒会長のほしさんだ。学園祭の実行委員長をしていて、演劇やバンド演奏を行ったステージを笹葉さんや瀬奈と一緒に受け持ってくれていた。

 今までほとんど話すらしていなかった彼が僕のところにやってきて「今日はお疲れ様」とねぎらいの言葉を掛けつつ、「ところで、さいとうさんはここにはいないのかな?」と言ってきた。

「いえ、もうここに残っているのは僕だけです。さっきまでは脇屋先輩もいたんですけど。どうかしましたか?」

 少し緊張した様子の星野さんが気になり、つい首を突っ込みたくなったのだが、そもそもその斎藤さんとは誰なんだろう。

「い、いや、実はね……後夜祭でキャンプファイヤーをするんだが、その時に彼女を誘ってみようかと思っているんだが……」

 なるほど、なかなか彼も隅に置けないものだ。

「そうですか。がんばってください」

「いいのか?」

「いいのか? なぜ、僕にそんな許可を取る必要が?」

「いや、それは斎藤さんと君が親しげに見えたから……」

「えっと……その斎藤さんというのはいったい……」

「いや、まあ、確かに斎藤なんてこの学校に何人いてもおかしくないね。一年F組の斎藤はるさんだよ」

 一年F組と言えば瀬奈と同じクラスだ。ならば瀬奈と話をしているときに周りにいた誰かなのだろう。僕と親しげに見えたというのは星野さんの嫉妬心によるものだろう。何しろ誰とでもうまくやっていけるのが僕の特徴でもある。

「僕は別にそれほど彼女と親しいわけではありませんよ。ですから気にせず誘ってみてください。ああ、そうだ。僕ももう、ここから引き揚げますので、今からここへ呼び出すっていうのはどうですか? 何なら、連絡とってみますよ」

「そうだな。頼めるか?」

 星野さんは少し照れている様子で言った。瀬奈が教室にいるらしいので彼女に LINE で斎藤春奈さんという人と話をしたい人がいるのでここに呼んでほしい旨を伝える。返信を待つ間の手持無沙汰に星野さんに聞いてみた。

「そういえば、ステージの天井の照明、どうして急にLEDからハロゲン球に戻したんですか?」

「急でもないさ、演劇部のひらさわさんには前々から言われていたんだけどね。学校側としてもお金を出してLEDに取り換えたばかりだし、予算を回してはもらえなかったんだが……あおいさんがね、全額自分で持つから大至急用意してほしいと言ったんだ。これ、結構高いんだけどな……」

 まさか栞さんがお金を出していただなんて驚きだ。同人誌を描いていて、多少の収入があるとはいえそんなに気前よく支払うなんてとてもじゃないが頭が上がらない。

 瀬奈からの返信があった。

「斎藤さん、今からここに来るみたいです。それじゃあ僕は引き揚げますんで、グッドラックです」

 星野さん一人を残し、脇屋先輩の真似まねをしてサムズアップで体育館を後にした。


 後夜祭が始まろうとしていた。グラウンドの中央にキャンプファイヤーがかれていて、その隣には仮設ステージが設置されている。はじめはさっさと帰ろうかとも考えていたのだが、何やら楽しそうな雰囲気に、大我に一緒に行かないかと声を掛けたが断られてしまった。思い切って栞さんを誘おうと思っているらしい。

 仕方なしに一人でそちらのほうに向かったところ、運よく瀬奈と笹葉さんが二人でいるのを発見した。グラウンドには予想以上の生徒が集まっていた。

「すごい人だな。参加義務のない後夜祭なんてほとんどの生徒は無視して帰ると思っていたのに意外だな」

「あれ、ユウ知らないの? 後夜祭のキャンプファイヤー。一緒に見ると将来結ばれるっていう伝説があるのよ」

「なるほど、そういうことか……」

 さっき大我に断られたことや、生徒会長の星野さんのことが頭をよぎる。

「あれ、でもそれっておかしくないか? キャンプファイヤーって今年初めてやるんじゃなかったか?」

「そりゃそうよ。だってその伝説作ったのアタシたちなんだからっ!」

「ウチまで巻き込まないで、瀬奈が一人でうわさをばらまいたんでしょ」

「えへへ、でもまあいいじゃない。うそでもそんな噂を信じたカップルたちが今日こうしてここに集まって、それで幸せになれば伝説は本当になるのよ」

 彼女は目を細め、眉とふたつのⅤサインを作って『ししっ!』と笑う。

「あ、そういえばユウ。さっきハルナを呼び出したのって誰なの?」

「ああ、あれね……生徒会長の星野さんだよ」

 本当は守秘義務というのがあるのかもしれない。しかしあいにくだけれど僕は口が軽いのだ。秘密は、暴露されるためにある。

 笹葉さんと瀬奈は顔を見合わせて苦笑いをする。もしかして、僕は余計なおせっかいでもしてしまっただろうか。

「それじゃあ、おれたちもキャンプファイヤー見に行こうぜ」

 イケメンさながらに両手に華で行こうと誘ってみたのだが瀬奈に断られてしまった。

「実はさ。特設ステージでもう一回歌うことになったんだよね。だからアタシ行けないんだ。

 だからユウはサラサと二人で行ってきて」

「ああ、するとあれだな。伝説に従うとおれと笹葉さんがこの後結ばれることになるのかな?」

 そんな冗談を言ってみたのは、そのことで瀬奈が少しでも嫉妬してくれたらと思ったからだ。

「何言ってんのよ。そんなことあるわけないでしょ。伝説なんてアタシが勝手にでっち上げたものなんだからねっ!」

 その言葉を、どういう意味でとらえたらいいのかはわからない。


 トリを務める瀬奈たちフラッパーズが準備を始める中、特設ステージ上ではジャズ研のメンバーによる『Fly me to the moon』が演奏されている。

 日が沈み、暗くなった校庭にこうこうと輝くかがり火からパチパチとはじけるように火の粉が次々と空高く舞い上がる。星空の中に小さく輝く三日月に向かって。


 そして、それを見上げる隣にいる笹葉さんの白い顔は炎の光を浴びて真っ赤に染まっていた。