『マクベス』(シェイクスピア著)を読んで  黒崎 大我

『マクベス』はシェイクスピア四大悲劇と呼ばれる作品の一つらしい。学園祭でシェイクスピアオマージュの演劇をやることになり、友人のゆうから一読しておくようにと渡されたものだ。

 昼休みの時間になるとコンビニで買ってきた昼食を持って仮入部中の部室に行き、部長と二人で昼食をとる。あまりにも会話が弾まないので俺は逃げるように本を開いて『マクベス』を読むことにする。


 物語の冒頭。戦に勝利して帰路につくマクベスとバンクォーのもとに三人の魔女が現れる。魔女はマクベスにいずれ王になると予言し、戦友のバンクォーには王の先祖になると予言する。

 マクベスはその予言の通りに王であるダンカンを殺害して王になる。しかし今度は、予言の通りになるとするならば、やがて自分はバンクォーの息子に殺されるのではないかと恐怖に陥り、バンクォー親子の殺害を計画する。計画通り戦友のバンクォーを殺害するがその息子には逃げられてしまう……。


 俺が考えるにはこの一連の事件、魔女の予言がなければ初めから起こらなかったのではないだろうか。

 魔女にやがて王になるとの予言を受けなければおそらくダンカン王を殺害しようなんて考えなかっただろうし、戦友であるバンクォーに疑心暗鬼になることもなかっただろう。

 舞台はすべて三人の魔女によって翻弄されているに過ぎないのだ。



「えっと……。新入部員のくろさき君……だっけ?」

 漫画研究部部長のあおいしおり先輩が本を片手にパンをかじる俺に話しかけた。

「他人行儀な言い方ですね。葵……さん」

 他人行儀なのは俺だって変わらない。最近ではどうにも他人行儀になりがちで、彼女のことを『さん』付けで呼ぶようになってきた。葵に言わせればそれこそ〝他人でしかない〟のかもしれないのだが、少なくとも俺は他人のままでいたくなどないのだ。

 俺と葵とは中学時代に一時期恋人同士ではあったのだが、俺が彼女を裏切ってその関係は終わってしまった。

「別にさ、無理にあーしに付き合う必要なんてないんだよ。むしろあーしは誰かと一緒に食事をするよりも、できるなら一人で静かに過ごしたいのだよ。それこそ〝ボッチめし〟をするような人間を君たち陽キャは勝手にかわいそうだからと手を差し伸べているつもりなのかもしれないけれど、それはそれで余計なお世話なんだよね。君たちにとっての正義が、誰にとっても正義なんだと思い込まないほうがいい」

「別に俺はそんなこと思っているわけじゃない。俺がここに来ている理由は俺自身がここに来たいからっていうだけだ。葵さんだってわかっているでしょ、俺は、今でもあなたのことを……」

「あー、もうそういうのいーんだよね。別にあーしはあの時のことを根に持ってるわけでも何でもないし、黒崎君が責任を感じることでもないんだよ。もう、随分と過去の話じゃないか。今更どうだっていいことだよ。それにね、考えてもみなよ。あーしだってそれなりにアオハルやってるんだ。もう、ほかにおもいを寄せている人がいるということぐらい考えないものかねえ」

「ほかに、好きなやつが……いるのか?」

「いちゃ悪いかい?」

「だ、誰だよ!」

「教えないよ。なんで教えなきゃならないの?」

「いや……」

「それにさ、黒崎君が毎日ここに来るようになったのって、どうせたけぴーの入れ知恵なんじゃない? あの子はホントしたたかな子だよね。黒崎君をここへ追っ払うことで毎日君の彼女と二人でランチを楽しんでいるらしいじゃないか。いいのかい? このままじゃたけぴーに寝取られてしまうよ?」

「優真はそんな奴じゃない。それに、寝取るも何もささとはちゃんと別れている。だから優真と笹葉が恋人同士になろうともそれは何の問題もないことだ」

「問題なくはないんだよ。いいかい? あの二人がもし恋人同士になってしまったら、それはそれでいやな気持ちになる女の子がいるということを考えてみてくれないかな……」

「そ、それはつまり……」

 その続きの言葉は口には出せない。それは、認めたくないことだ……。

 俺が仮入部するまでのしばらくの間、葵と優真とは毎日二人きりでこの場所で過ごしていたのだ。一度は誤解したこともあったが、優真が葵を好きだということはないだろうと思う。しかし、それだけの時間を二人きりで過ごしていた葵にとって、優真の存在が大きなものへと変わって行ってしまっていたということを俺は考えないようにしていたのかもしれない……。


 午後のホームルームでクラスごとの出し物を決めることになった。竹久は演劇の脚本を書いているし、笹葉は実行委員としての責務をこなしている。俺だけが一人何もしていないという訳にはいかないと、自ら率先して司会進行役を買って出た。話し合いはあまり積極的に進めたがる者もおらず、どちらかと言えば何に決まっても別に構わないという雰囲気だった。いくつかの提案はなされたものの皆が皆、自らが中心になって行動したいとは思っていない。ならば自分が中心になってクラスの出し物を引っ張っていかないといけないのだろうが、当日は演劇の主役をやることも決まっている。

 そこで俺は話し合いを意図的に誘導して『コスプレ喫茶』をすることにした。

 これならばあまり他の人がやったことのない挑戦をしなくても、多くの前例があり、それらの資料をあさることでそれなりにリスクを回避することもできるだろう。男女問わずクラス内の様々なグループのこうに合わせることも可能だ。そして何より、俺自身当日は演劇用の衣装を着たまま作業をこなすことができるだろうし、演劇の宣伝効果だって見込めるだろう。公私混同も甚だしいところだが……


 放課後になり、旧校舎へと向かう。演劇の練習にはできることならば体育館のステージを使いたいところではあるが、体育館ではほかの部活動も多く、それにまだまだ演劇に関して未熟すぎる俺たちにとってはその場所は持て余すばかりだ。しばらくは旧校舎の漫画研究部の部室で基礎トレーニングをこなしている。

 俺はクラスの出し物についての雑務があったために少し遅れて到着する。演劇部のわきさんとさん。それに優真の三人がいた。笹葉とむなかたさんは学園祭の実行委員で不在なのだが、葵がいないというのは珍しい。彼女の教室は旧校舎からも近くいつも一番早くに部室に到着している。不意に昼休みの会話が思い出される。葵の言った、想いを寄せる人がいるのだという話。

 少しして休憩になり、優真と二人きりになった。

「ところで最近どうなの? 昼休み、ちゃんと話できてる?」

「いや、正直言うとあまりできていないな。何を話していいのかわからなくて……」

たいは口下手なところがあるからね。まあ、おれみたいに口から出まかせで生きているよりはずっといい。でも、演劇の時にはちゃんとセリフを言わなきゃ駄目だぜ。何しろラストシーンは……」

 ラストシーンのセリフは、優真が脚本を書いたわけではない。一応用意されている脚本にはそれっぽいセリフを記載しているのだが、当日の本番では俺のアドリブでのセリフになる。つまり、それは演劇の舞台を借りて俺が葵に公開告白をしようという作戦だ。優真が脚本を書くことになったときに俺が自ら提案したのだ。演劇の脚本では最後、ハッピーエンドで幕を下ろすということにはなっているが、実際の結末はどうなるかわからない。この土壇場になって少しくじけそうになってきた。葵に、想いを寄せる人がいると聞かされてしまったからだ。

「実はそのことなんだが……少し自信がなくなってきた。どうやら葵はもうすでに好きな奴がいるらしいんだ」

「栞さんに? それって……大我のことを言ってるんじゃないのか?」

「だったらいいんだけどな。どうやらそうでもないらしい」

 ──たぶんそれはお前のことだ。なんて怖くて口には出せない。

「じゃあ、やめにするかい?」優真はシニカルに言った「何なら『ロミオとジュリエット』の通り心中して終わってもかまわないんだぜ」

「いや、それはないな。やるかやらないかは問題じゃないんだ。怖いか、怖くないかだけの問題だ」

「怖くない奴なんていないよ」

「そうだな……」

「まあ、今は少しでも栞さんと話をして互いに理解しあったほうがいいんじゃないのか? たぶん大我は周りがイメージする自分というものにとらわれて、自分は常にこうあるべきだと思う人物像を演じてしまう癖がある。でも、おれは大我がセンスはともかくユーモラスであったり情熱的であったりすることも知っている。そういう部分をもっと積極的に出してもいいんじゃないか? なんでも女子っていうのはギャップに弱いらしい」

「そうか、やってみるよ……」

 優真からの適切なアドバイスを胸に刻み付けたところで、タイミングよく葵が部室にやってきた。遅れてきたことを反省をしている様子はみじんもなく、むしろ遅れてしまった原因に対する愚痴をこぼしている様子だ。

「いやー、遅くなってすまないね。トイレに行って手を洗おうと思ったらさ、ハンドソープがなくなってたんだよ。あーしは少し管理がなっていないんじゃないかと思って職員室に文句を言いに行ってさ──」

 ユーモラスな受け答えを実践する。そのことを念頭に置き、葵の言葉に耳を傾け、適切な返答を試みようと構える。

「──そういえばさ。ハンドソープって名前、中途半端だよね。ソープなのにハンドって、サービスがいいのか悪いのか判断に困るよ」

 優真は葵の言葉を無視するように視線をらす。そこで葵はその視線を俺のほうへと向けた。よし、今しかない!

「ああ、そうだな。確かにハンドソープがなくなっていたら慌てるよな。泡だけに、あわわわわって」

 開け放たれた部室の窓からそよぐ秋の風がえんいろのカーテンを揺さぶる。

 視線をそらしていた優真が俺のほうに向きなおり一言。

「大我。そういうところだぞ」

 そういうところがいったい何だというのだろうか?

 そういうところ。つまり、俺の持つユーモラスな一面が上手うまく発揮できたとほめられたのだと考えていいのだろうか? 少し、自信が湧いてきた。


 学園祭当日。クラスの出し物だったコスプレ喫茶。基本的に俺が中心となって準備を始めたことなので最後まで責任を持ってやりたかったのだが、直前になって優真は「店内の仕切りはおれがやるから大我はこれを持って校内を歩き回ってくれないか?」と言ってきた。手渡されたのはプラカードで表面には『コスプレ喫茶 1─A教室』と書かれており、裏面には『演劇部公演は1540より 体育館にて』と書かれている。要するに宣伝役をやらされるのだ。服装は演劇で使うきらびやかな王様の衣装なのでいやでも目立つ。教室のコスプレ喫茶でも演劇の衣装としてもどちらでも通用するこの格好は宣伝効果としては一石二鳥と言ったところだが、いかんせん注目を浴びすぎて少し恥ずかしさを感じる。まあ、あとで行う演劇の緊張感にあらかじめ慣れておくというのも悪くない。

 校内を一巡して帰ってくると教室は大盛況。急いで喫茶の手伝いをしてまた落ち着くと校内を一巡するの繰り返しだ。

 正午を過ぎてしばらくすると、客の入りはだいぶ穏やかになってきた。クラスごとの出し物は飲食物を扱う模擬店も多く、朝から学祭に来ている人のおなかも満たされているころだ。

「おれたちも休憩にしよう。昼飯まだだろ?」

 優真に声を掛けられて、俺たちも休憩に入ることになった。優真と二人、そこいらで食べ歩きながらほかのクラスの出し物を見て回る。一応、葵を誘ってはみたのだが当然のように断られてしまい、男二人で回ることになってしまった。

 俺は王様の衣装のままだし、優真もまた側近の衣装のままだ。宣伝用のプラカードを持っていないにもかかわらず、校内を回っていればいやでも目立つ。結局、行く先々で質問の嵐で、クラスのコスプレ喫茶と演劇の告知をする羽目になってしまう。

「ねえ、そこの二人。その、イケメン君ともう一人」

 かけられた声に振り返る。俺と優真、どちらがイケメンでどちらがもう一人なのかはこの際どうでもいいことだ。

「そこの君、女難の相が出ているよ。占ってあげるからこっちに来たまえ」

 黒い大きなつばのついた魔女の帽子をかぶった少女が水晶玉を片手に手招きをしている。長い黒髪に隠された左目はその前髪の下で眼帯をかけているのがわかる。片腕と片脚は包帯でぐるぐる巻きになっていて、見るも恥ずかしいかつこうではあるが、本人はむしろうれしそうに微笑ほほえんでいる。

「ああ、言わなくてもわかるよ。君の名前は……そう、黒崎、黒崎大我だね。違うかね?」

「いや、間違ってはいない……」

「そう、君は……、君は今まで多くの女性を悲しませてきた。それらの生霊が君に絡みつき、君の描く未来の邪魔をしているのだ。それらの生霊を成仏させなければ君に明るい未来はないよ」

 思い当たる節がある。もしかしてこの占い師は本当に俺の未来を……。

「ところでもう一人の君。君の名前は何という」

 占い師は優真に質問をぶつける。

「おい、占い師。なんで大我の名前はわかってておれの名前は知らないんだよ。それに人に名前を聞くときは自分から名乗るものだ」

「あわわ、わ、わ、わたしは……りゅ、りゆうぐうざか……かぐだ……」

 占い師は急にしおらしくなった。もしかして人付き合いが苦手なのだろうか。それにしても、リュウグウザカカグヤとは、さすがにキラキラネームも甚だしいものだ。おそらく偽名だろうけれど。

「おれはたけひさ、竹久優真だ。この黒崎大我の、無二の友人だ。覚えておくように」

「ユ、ユーマ……。すごくいい名前だ……」

「そ、そうか? カグヤさんこそ、きれいな響きの名前だ」

「あ、あり……がとう……」

「ところで、大我はさておきおれの未来には何が見えるのかな? 占い師さん」

「そ、そうね……そう、だな……」

 竜宮坂さんは手に持った水晶玉を掲げる。左目の眼帯にかかる前髪を右目の上に重ね、その視界を遮ると、左目の眼帯をはずす。その目は黒い右目とは違い、きれいな瑠璃色をしていた。その目でじっと、水晶に映る逆さまの優真を見つめて言う。

「おお、これは……。うむ、ユーマ君も気を付けたほうがいい。君は体質的に、この黒崎君によって傷つけられた女性たちの悲しみを請け負ってしまうようだ」

 ──俺に傷つけられた女性の悲しみを優真が請け負う。その言葉にはっとする。その女性という存在に、どうして葵のことを思い起こさずにいられるというのだろうか。やはり葵は優真のことを……。

「そ、そうだユーマ君。君には特別におはらいをしてあげよう。儀式には火が必要だ。うむ、そうだな。ちょうど後夜祭でキャプファイヤーがあるからそれを利用するのが都合がいいだろう。今日の後夜祭の時に──」

「いや、あいにくなんだけど。おれはそういうオカルトじみたことはまるで信じてないんで」

「いやいや、そんなこと言って不幸になってからじゃ遅いんだから──」

 立ち去ろうとする優真の手をつかみ、食い下がる竜宮坂さん。困った表情の優真を救いに一人の人物が現れた。

「ねーねー、うらないしさーん。今度はアタシのことを占ってくれないかな?」

 邪魔をするかのように現れたのは宗像さんだった。視線は優真の手を握る竜宮坂さんに向けられている。

「わっ、わあ! お前は宗像!」

 竜宮坂さんは握っていた手を放し、一歩後ずさりする。

「カグヤちゃん、何をそんなに驚いているのよ」

「よ、よくも。お、おぼえていろよ、その顔、おぼえたからな!」

 意味の解らない台詞ぜりふを残して彼女は去っていった。

「アタシ……、まだ顔も覚えられてなかったのかな?」

「瀬奈、知っているのか?」

「知ってるも何も、同じクラスよ。アタシ、あんまり好かれていないかもだけど」

「どうやらそうらしいな」

「ねーねー、ところでさ。一緒にバンドやらない?」

「急だな」

「うん。ちょっと急な出来事でね。実はさ……ホントは黙っていて本番で驚かせようと思ってたんだけどね。今日の学園祭で演奏する予定だったんだよ。だけどさ、バンドメンバーが急におじづいちゃってさ、やっぱり人前で演奏するのが怖いって言い始めちゃって……」

「バンドだって? だから演劇でセリフの少ない役のほうがいいって言っていたのか」

「うん。ゴメンねユウ。さすがにアタシも実行委員やってバンドもやって演劇もっていうのはちょっとハードで」

「ちょっとハードどころじゃないよ。瀬奈じゃなきゃそんなにあれもこれもできないよ」

「ホントは本番で驚かせたくて秘密にしていたんだけど……さすがにそうもいかなくなって……」

「なるほど。だから名残惜しくなって来年はおれ達とバンドを組んで出演したいっていう訳だ」

「あ、ちがうちがう。バンドを一緒にしようっていうのは今日のことだよ」

「きょ、今日? いくらなんでもそれは……」

「うんうん。そこは大丈夫だよ。演奏は演劇の終わった次のステージだからアタシたちはそのままステージ上で演奏をすればいいだけのこと。ほら、演劇で背景用のついたてを使うでしょ。本物のバンドメンバーはその後ろで演奏をしてもらって、ユウたちにはステージ上で演奏するふりさえしてもらえればいいの! もちろん、アタシは普通に歌うけど」

「そんなこと、急に言われてもなあ……」

「サラサは引き受けてくれるって言ったの。だからタイガとユウでギターとベースを引き受けてくれたらいいので! ね、いいでしょ?」

「別に俺は構わない」

「ね、ユウもいいでしょ?」

「ゴメン……悪いんだけどそれはちょっと……」

「うん、そっかー。まあ、無理にお願いするわけにもいかないからなあ、あとひとりくらいはアタシでどうにかするわ。それよりもさ、ユウたちも休憩中? だったらさ、ちょっと一緒にそのあたり回ろうよ」

 断る理由もない。しばらく三人で校内をめぐりながら見かけたものを腹の中に収めていく……が、しかし。宗像さんはどうやってその小さな体に次から次へと食べ物を放り込むことができるのだろうか。

 クレープを片手に中庭の奥に見える弓道部による〝本格的すぎる的あてゲーム〟を眺めながらつぶやく。少し気になっていたのだ。

「なあ、さっきの占いって──」

「大我、もしかしてあんなの本気にしてるのか?」

 優真はあきれたように言う。

「いや、しかし……。確かに思い当たる節はある」

「あのさ、大我は目立つからこの学校内でもそれなりに有名で、その顔見れば誰だって女の子を泣かせてきたことぐらい想像つくよ」

「そうかもしれないが……」

 本当に聞きたいことは、優真への占い。そんな女性の悲しみを引き受けるというところだ。正直に聞いてしまいたいところだが、今は宗像さんも近くにいて言いづらい。少し言葉を濁しながら──

「その、葵のことなんだが……」

「あっ! しおりん!」

 俺のつぶやきに宗像さんが思い出したように声を上げる。

「さっきさ、しおりんを学園祭一緒に回ろうって誘おうと思って行ったらさ、もう先約がいるみたいで。それになんかデートみたいだったから邪魔しちゃ悪いかなって身を引いたんだ。後でユウたちのコスプレ喫茶に顔出すって言ってたケド……」

「わりぃ、優真……。俺ちょっと先に教室の方に戻っとくわ。まだ、休憩の時間は十分あるから宗像さんと二人でゆっくりしていて大丈夫だから」

「あ、ああ。ありがとう」

 葵が俺のクラスに来るということと、デートらしかったという言葉にいてもたってもいられなくなる。いつか来るかもしれない時に備えて教室に帰っておきたかった。


 教室に戻ったがまだ葵の姿はない。もう来て帰ってしまったという可能性もなくはないが、宗像さんの言葉からついさっき〝後で顔出す〟つもりだったのならばあまりそうとは考えにくい。

 しばらくそのまま接客をしていると、やたらと後夜祭のキャンプファイヤーに一緒に行きませんかという誘いを受けた。演劇の片づけがあるから後夜祭には出られないと断っていたのだが、クラスメイトにそのことを話すと、

「黒崎君知らないの? この学校には伝説があって、後夜祭のキャンプファイヤーをカップルで見るとその二人は結ばれると言われてるのよ。昔ね、この学校ができる前にはこの場所に町を守るのお堂があってね、そこに住む巫女は恋愛御法度だったんだけど、それでも互いに愛し合う人と巡り合い、二人の仲を引き裂こうとする町のみんなに反発して二人はお堂にこもり、火をつけて心中したっていうの。だから後夜祭のキャンプファイヤーは誰にも引き裂くことのできない永遠の愛を象徴するかがり火なのよ」

「そうか、知らなかったな」

「ねえ、話を聞いたら少しは興味湧いた?」

「ああ、少しな」

「ねえ、黒崎君。もし、相手が決まっていないんならわたしが一緒に行ってあげてもいいわよ」

「ありがとう。でもそんな話を聞かされたらな、どうしても誘わないといけない人ができたよ」

「まーそーかー。やっぱわたしじゃ相手にならんかー」

 そんな話をしている時、まさに彼女がやってきたのだ。

 コスプレ喫茶の入り口に立って、教室の中の様子をちらちらとうかがっている葵栞の姿に俺の心臓は早鐘を打つ。演劇用の純白のドレスを着ているから嫌でも目立つ。

「俺が接客するよ」とクラスメイトを押しのけ注文を聞きに行く。葵と一緒にいる女子生徒に見覚えはない。葵と同じ緑のネクタイなのでクラスメイトだろう。長い黒髪で色白。うつむき加減であまり目を合わせてくれない。緊張しているのだろうか。宗像さんからデートだと聞いてつい相手が男だと思い込んでしまっていたようだ。そこに少しあんする。

「なんだあ、きみかあ。たけぴーはいないの?」

 当てこすりのような言い方に嫉妬する。

「わるいな。今ちょっと用事があって。そちらの方はクラスメイト?」

「あー、まったく君は目ざといね。知らない女の子を見るとすぐにそうやって唾をつけようとする」

「い、いや……そういう訳では……」

「この子はあーしの親友のつみこだよ。ほら」

 葵に肘でつつかれた女子生徒は「どうも」と聞こえるか聞こえないかの小さな声を出しこくりと頷いた。つみこという名前はどこかで聞いたような記憶がある。今までの会話で何度か耳にしていたかもしれない。以前は友達がいないと言っていた葵に親友と呼べる相手がいたことに驚きつつも、もう彼女は自分の知っている葵栞ではないことも痛感した。

 本当ならば今すぐにでもキャンプファイヤーに誘ってしまいたい気持ちもあったが、演劇の舞台の上で告白することを決めていたし、この場は注文を聞いて素直に引き下がることにした。


 1530。ジャズ研によるビッグバンドの演奏、『Fly with the wind』が終了し、ステージにいったん幕が下ろされる。どんちようの裏側で撤収を始めるバンドメンバーと入れ替わりに舞台セットが用意される。俺と優真はステージ中央に移動し、立ち位置の確認と照明のチェックをする。

「もうちょっと左だ」裏で照明の最終チェックをしている脇屋さんが声を上げる。「上を見てくれ。その照明の真下だ」

 天井からげられるハロゲンライトを見上げ、その照度に目が焼けそうになる。そのまま視線を下に落とし、バミリのはがされたステージの木目を見ながら自分の立ち位置を把握しておく。本番中に上を向いて目を焼くわけにもいかない。

「ほら、ここだよ」優真は足元を指さす。「ここに床板の節目が三つあるだろ。両足の真ん中にこの顔を置いて見つめ合う形で立つとちょうどいい」

 点が三つあるだけで人の顔だと認識してしまうことをたしかシミュラクラ現象と言ったか。生物が野生で外敵を見つけやすいように本能的に錯覚してしまうらしい。足元にいる点三つだけのあどけない顔がまるで不安を隠しきれない自分の姿を映す鏡のようにも感じる。

 今日、今から始まる演劇の最後に葵に告白するのだ。喜劇となるのか悲劇として終わるのかは定かではないがもはや大した問題ではない。ただ、その時のことを考えると自然と手に汗がにじむ。

「暑いな……」

 つぶやいたのは俺ではなく優真だ。言われてみれば確かに暑い。九月の気温はそれほど高いわけでもなく、今までの練習の中でこれほど暑いと感じたことはなかったように感じる。思えば先ほど演奏をしていたジャズ研のメンバーも汗をかいているようだった。

 俺は目を焼かないように手でひさしを作ってもう一度上を見上げた。

「なあ、優真。照明の色が変わってる」

「あ、ほんとだ。この間までもう少し白い色だったよな」

 その様子を見ていた脇屋さんが気を遣ったのか、壁のスイッチを操作して照明の光を小さく絞る。

「昨日照明を付け替えてもらったんだよ。ほら、練習の時に照度を変えようとするとちかちか点滅することがあっただろ? あれは何にも考えていない学校側が調光に対応していない電球に取り換えていたからなんだ。それで以前使っていたものと同じハロゲンライトに交換してもらったのがつい昨日のことだ。だからこうしてギリギリになって照明の調整に付き合ってもらってるのさ」

「え、ちょっと待ってくださいよ。つまり夏休みに体育館の改修工事をした時から昨日まで、ずっとあの白っぽい色の電球だったっていうことですよね」

 優真が少し興奮したように言う。

「ああ、そうだ。まあ、この電球は電気代も高くつくからね。今日の演劇が終わったらまた元の電球に付け替えることになるんだろうけれど」

「そう、そういうことですか」

 優真は何かに納得したようだが、俺には何のことだかよくわからない。俺にわかるのは、LEDの照明よりもこの白熱球のハロゲン球のほうが熱く、電気代もかかるが、それでも演劇をするうえでこのほうが都合がいいということだ。


 俺たちはいったん舞台袖に移動し、緞帳が上がるのを待っている。その時にふとあることを思い出した。別に聞くのは後でもよかったのだが、時間はまだ少しはあるようだ。今聞いておかないと劇の途中に思い出して気になってしまうかもしれない。

「なあ、優真。こんな時に言うのもなんだが、『マクベス』の物語に出てくるバンクォーの予言っていったい何だったんだ? バンクォーは魔女に王の先祖になると予言され、そのことで疑心暗鬼になったマクベスはバンクォーを殺すが、息子のフリーアンスには逃げられてしまう。俺はあの時、物語の最後にマクベスを討ちに来るのはフリーアンスだと思っていたのに、そのまま登場することなく物語は終わってしまう。じゃあ、魔女の予言とはいったい何だったんだろうって」

「ああ、それは簡単なことだよ。『マクベス』の物語は歴史上実際にあった史実をもとにしているんだ。もつとも、実際ダンカンは割と賢王ではなかったようだし、マクベスは暗殺したわけでもなく正々堂々と戦って勝利している。フリーアンスは逃げたそのあとで子孫を残し、その子孫はマルコムの子孫と結婚してスコットランドの王になっている。

 ほら、シミュラクラ現象と似たようなもんだよ。人は目の前にあるものだけを並べて全体像を想像しようとするから、マクベスはバンクォーの子孫が自分の王位を脅かすと考えたわけだが、その舞台の外にある世界について考えが足りていなかったんだ」

「じゃあ、バンクォーはとんだとばっちりだったという訳か」

「そうだよ。おれたちの知らないところでも物語は常に動いているんだ」

「仕方ないな、それを全部把握するなんてできるわけない」

「なあ、大我。こんな時にこんなつまらない講釈を垂れるのもどうかと思うのだが……」

「言ってくれ。そのほうが気がまぎれる」

「ああ。『マクベス』のあの物語。冒頭の魔女なんて本当は存在しなかったんじゃないだろうかって……」

「どういうことだ?」

「うん。三人の魔女の正体は森で見かけた単なる三本の枯れ木なんじゃないかなって…… 枯れ木しかり、ダンカンを襲う時のナイフ然り。実際に魔女が現れて予言をしていたんじゃなく、マクベスが勝手にそう思い込んでいるだけ。あるいはそうであったことにして自分自身をだましているだけなのかもしれない。

 要するにマクベス自身がダンカンを殺したい気持ちとか、バンクォーにその座を奪われるんじゃないかという恐怖心が魔女という形の幻影を作り出したんじゃないかなって……」

「なるほど。つまりマクベスは自分自身が実行を決めた暴挙に対する言い訳がほしかったと……つまりそれは……」

「さあ、幕が上がるぞ」