大早川美鶴
自室の椅子に座りながら、今日を振り返る。
結局あのあと、私と小鞠はフラジールで弁当を食べ、店の裏でウェアに着替え、そのまま例の公園のコートでバスケの練習――ワンハンドシュートと
小鞠の課題は目下、ボールさばき――ハンドリングだった。
彼女の上背の小ささは、そのまま腕のリーチの短さにも繋がっている。女バス用の六号ボールは彼女の身体に対して少しばかり大きく、ボールを扱いきれていない印象だった。
……そこがもったいねぇんだよな。
スポーツにおいて低身長はハンデになると思われがちだが、ことバスケにおいてはそうとは言いきれない。なぜなら背の低さはそのまま床面との近さを表しているからだ。床面が近ければ、ドリブルのスパンが短くなり、結果的に小回りが利くようになる。その機動力を活かすことができれば低身長のドリブラーは一気に化ける。にもかかわらず小鞠本人は低身長を欠点でしかないと考えている節があった。プレイが力技頼りなのも、そのせいなのかもしれない。
……もしかしたらそこも、牝鹿ちゃんの影響なのか?
どのスポーツでもそうだが、バスケだってポジションによって役割が異なる。牝鹿ちゃんは身長が高く、ゴール下を任されていたらしい。しかし小鞠が立っているのはスリーポイントラインの近くなのだから、その役割は一八〇度異なると言っても過言ではない。それこそ同じコートに立っていながら、別の競技をやっているのではないかと思ってしまうほどだ。
当然、目指すべき場所を間違えれば、本来辿り着けるはずの場所にも辿り着けないし、自滅だってしかねない。だが小鞠がそれを理解してしないとも私には思えなかった。
「やっぱり……牝鹿ちゃんの存在が、あいつにとって大きすぎるのかねぇ」
幼馴染みのいない私には、小鞠にとってそれが、どんな存在なのか想像しかできない。だがその点について想いを巡らせたとき、私の頭に浮かぶのは、他ならぬ彼女の姿だった。
鏡写しになった自分自身の姿が、脳裏にありありと思い浮かぶ。
ぞくりと背筋が震えた。
同時に今日の自分の発言が思いだされ、自己嫌悪めいたものを覚える。
――大丈夫だ。私がついてる。私がお前をささえててやるよ。
小鞠を励ますためとはいえ、そんな発破の言葉を投げかけてしまった。
「……どの口が言ってんだろうな」
自分の面倒すら満足に見られてない私が、他人をささえるなんて冗談がすぎる。
なんだか無性に腹が立ってきて、髪の毛を掻きむしる。
そのまま勢い立つようにして、キッチンへと向かった。
流れと感情に身を任せて冷蔵庫を開くが、目当ての食材は入っていなかった。どうするべきか逡巡し、迷いにも似た熱が冷め切らぬうちに買い物に出かけてしまうことにする。
向かった先は最寄りのスーパーだ。時刻は夕方になりつつあり、店内には買いだしに来ている主婦や親子の姿が散見される。私はそのあいだを縫って小走りで店内を散策し、ビーフシチューのルー、調理用の赤ワイン、卵に挽肉、タマネギ、ニンジン、ブロッコリーにミニトマトといった食材をかごに放る。それから店内で出店しているパン屋でフランスパンを購入しておくことにした。どうせ支払いは親の金かカードだからと、値段なんていちいち気にしない。
帰宅してきた私はスマホでレシピサイトを検索にかけ、レシピを参考にしながら、ふたり分の料理を作り始めた。メニューはすでに決めている。難易度はそこまで高くないはずだ。
少し前まで私だって料理を作っていたのだ。
それなりの手際で、滞りなく調理を進められる。
料理人でもない私がこう表現するのはいささか滑稽な気がしたけど、私は珍しく本気で調理を行っていた。真剣に、一瞬も集中力を切らさないように、自分の持てる力のすべてを使って調理をする。額に浮いた汗を拭うことすら忘れるほどに、私は必死になっていた。
玄関のほうから聞こえてきたカギの音で我に返る。
その音につられ、私はリビングの時計を見やった。
調理を初めて早くも三時間以上の時間が経過していた。
気持ちが現実に戻ってくると、どっと疲れが襲ってくる。
それほどまでに私の体は、極度の集中状態にあったらしい。
「お姉ちゃん、帰ってたんだ。今日は早いんだねー! それに、この匂い……」
荷物が玄関に放り投げられる音がして、軽々とした足音がキッチンに近づいてくる。一瞬、この場から立ち去りたい衝動に駆られるが、それでは意味がないと自分を奮い立たせる。
「お姉ちゃんが料理してるなんて珍しいね。いい匂いー。なに作ってるのー?」
ひょいと自前の効果音とともに、花鶏が鍋やらフライパンを覗きこんでくる。
そこで彼女の動作が凍りついた。
「えっと……」
花鶏にしては珍しく言葉が濁され、一瞬なにかを躊躇するような間があった。私の視界には妹の後頭部しか入らないが、その視線が料理をぐるりと一巡するのがわかった。
「ビーフシチューにハンバーグ、それにオムレツ……お姉ちゃん、これって――」
「お前の分まで作ってあるよ。もう少しで完成するから……テーブルで待ってろ」
花鶏が求めていたであろう答えは与えず、保留にしたまま告げる。
ちらりと一瞥をくれてから、妹はおとなしく私に従ってくれた。
宣言通り、ほどなくして完成した料理を皿へと移し、テーブルへと持ってゆく。訝しむことはやめたのかテーブルに並んだ料理を見て、妹は素直に目を輝かせていた。
「わぁー、やったー! お姉ちゃんの手作りご飯だー!」
喜びを室内に響かせ、花鶏はその手にスプーンを持つ。
それを見届けてから、私も妹の正面に座った。
「お姉ちゃんは食べないの?」
私のテーブル上には、なにも置かれていない。
その空間を見つめながら花鶏が小首を傾げる。
「お前が料理を食べるのを見てからにする」
「変なお姉ちゃん。そしたら、私は先に食べちゃうからねー? いただきまーす!」
花鶏はすでに、料理を楽しむことへと気持ちを切り替えてしまっているのだろう。
ムダに勘繰るようなマネはせずに、子どもじみた笑顔と勢いで食事にがっついた。
「おいしー!」
そして口の中に放りこむのと同時に叫ぶ。信憑性の薄すぎる感想だったが、花鶏の笑みは本当に美味しそうで、油断すると私まで表情を綻ばせてしまいそうになる。思わず、このまま自分も食事を終えてしまえばいいのではないか? なんて日和ってしまうほど。
……情けねぇ。他人の背中を押すなら、せめて自分の足で立ち上がってからにしろ。
そう自分を叱咤して、飲みこみかけていた言葉を、私は無理やり口から吐きだした。
「このあいだお前が作ったやつと――どっちが美味い?」
料理へと顔を向けたまま、花鶏は視線だけ私に向ける。
その眉が花鶏の困惑を示すように八の字を刻んだ。
「………………」
花鶏の返答は沈黙だった。
その沈黙がなによりも雄弁に事実を物語っていた。
……花鶏のクセにいっちょまえに気なんてつかいやがって。
私はキッチンへと戻り、自分の分の料理を皿によそい、あらためて花鶏の正面に座る。そしてわかりきっている結果を確認するために、さっさと料理を口へと運んでしまった。
そして私は花鶏が濁した回答を確信する。
「花鶏が作ってくれた料理のほうが何倍も美味いな」
見た目は同じなのに、その味わいだけが色褪せたように劣っている。
味や美味しさなんて個々人によって感想が異なる
……私の料理だって、それなりに美味いはずなんだけどな。
それこそ比べる対象が花鶏でなかったのなら手放しで賞賛される代物だ。
なのにただ記憶の中に花鶏の料理があるだけで、どうしてこんなにも――
「――マズくなっちまうんだろうな」
たったそれだけの要因で、私はこの料理に吐き気すら催してしまいそうになる。
そんな催吐剤めいた料理を、バツゲームのように一気に胃へと流しこんでゆく。
劣等感と敗北感が
「……お姉ちゃんは料理に本気を出すつもりなの?」
私の奇行を理解できなかったのか花鶏が心配そうな声で尋ねてくる。
もし『そうだ』と答えたならば、妹もまた料理に邁進するのだろう。
「ちげーよ。これはただの気まぐれ……
屈辱で震えそうな声に一本の芯を通し、それを答えとする。
前哨戦? と花鶏は目をぱちくりしながら問い返してくる。
「こっちの話だ。お前との話はそっちが終わったら片づけてやるから心配すんな」
詳しく話してやる義理はない。
これはあくまで私のケジメで、その前準備に花鶏はまったく関係ないのだから。
……しっかし、ひさしぶりに舐める苦汁はクソマズいな。
まるで地面に這い蹲って、汚泥でも啜らされているような心地だ。
もう立ちあがりたくなんてないし、立ちむかう気力なんて湧いてきやしない。
それでも私は料理をすべて食べきって、花鶏と向き合う。
「私はお姉ちゃんの料理……好きだよ」
「けっ。そいつぁどうも。次はお前に苦くて辛いとっておきを食わせてやんよ」
そんな捻くれた返事をしながら、私は食べ終えた食器を片づける。
――素直になれねぇのは私も一緒か。
迂遠でもなんでも宣戦布告は済ませた。
今日の一連のやりとりで、その意図を察せないほど花鶏はバカな娘じゃない。むしろ察しが良すぎるからこそ、突然私がケンカを売ってきたことに戸惑っているのだろう。
だが、ひとまずは小鞠と牝鹿ちゃんの決着をつけなければいけない。
自室に戻って、カバンに入れっぱなしになっていたスマホを確認すると、木実からLINEが届いていた。内容は牝鹿ちゃんが小鞠との勝負を了承してくれたという連絡だ。
……牝鹿ちゃんも快諾してくれたようで良かった。
牝鹿ちゃんへの一対一の申し出は、木実から連絡して貰っていた。
今朝の出来事も相まって小鞠は牝鹿ちゃんへ連絡するのを怖れてしまっていたからだ。
そこは本人が連絡するのが筋だろうとは思うのだが、そこで素直に謝って、一対一に誘える精神構造をしているなら、そもそもここまで話が拗れることもなかっただろう。
だから、それも仕方のない話だとは思う。
ゴールデンウィークの女バス唯一の練習日は連休最終日の前日――その午前中だった。他の部員が九時まで姿を見せないのは経験則からわかっていたので、その前の時間を使って、小鞠と牝鹿の一対一を行う日程に決まった。早朝から準備を始めることになるので、牝鹿ちゃんには申し訳なさがあったが、それも含めて彼女は快く申し出を了承してくれたらしかった。
そんなわけで『打倒牝鹿!』を掲げた私と小鞠の猛特訓が始まったのだった。