平楽初海
湿度と温度が高まった室内に甘酸っぱい苺のような香りが充満していた。
そんな香りに脳を蕩かされていると、簡素な電子音が響く。木実に触れるのに夢中になっていた私はその音に体を震わせる。その震えに反応して、木実が湿っぽい鳴き声をあげた。
音の発信源を見ると、ドア脇のフォンが私たちを呼んでいるのだとわかった。
「……なにかしら」
「時間じゃないすかね。あと一〇分で退室の時間ですし」
木実はこの展開を予想していたのか、さして驚いた様子もない。
けれど私は彼女の言葉より、汗ばみ赤らみんだ頬や、だらしなく半開きになった口唇に目を惹かれる。覆い被さっていた私が動きだせずにいると、咎めるように木実が口を開く。
「無視してたら店員きちゃいますよ。見られたいってんなら……話は別ですけど」
そういうものかと私は納得し、フォンへと向かう。
手癖で利き手を伸ばしかけるが、すぐに過ちに気づいて逆の手で受話器を取る。
『お時間一〇分前になりましたが延長のほうどうなさいますか?』
「延長、どうするか、ですって」
振り返り、木実に判断を仰ぐ。
彼女は先と同じ姿勢のまま、腕で目元を隠していた。
「こんな状況で二回戦おっぱじめられるほどあたしゃ図太くないっすよ」
センパイがどうしてもって言うのなら、あたしはつき合いますけどね。
そう投げ捨てられるように囁かれる。
一瞬迷いが生じるが、こんなことに、これ以上時間を浪費するのは憚られた。
もう充分、木実のことは弄んだ。
少なくとも心の中の釣り合いがとれる程度には。
「延長は不要です。これからフロントに向かいます」
店員の返答を待たず、私はフォンを元の位置に戻した。
「これからフロントに向かうと伝えたわ。帰りましょう」
置いていたカバンのもとへと向かう。
そんな私を木実は上目遣いで睨んでいた。
私と付き合い始めたことを後悔したのかしら? と訝しんでいたら、
「ちゃんと拭いてから出てってくださいよ」
入室時に伝票と一緒に渡されたウェットティッシュを投げ寄こされた。
……どうしてこのタイミングで今日一番の不機嫌な顔をされるのかしら。
そんなことより、もっと彼女を傷つけることをしたつもりなのだけれど。
そもそも私はこのタイミングで手を拭かない女だと思われているのだろうか?
いろいろな意味で納得がいかない。
だけど今日、木実が始めて照れた顔を見せた瞬間だったので、無粋な言葉をかけるのはやめておいた。指先を拭いながら、どれくらい拭くのが正解なのかと妙なところで悩む。あまり綿密に拭き取るのも、木実が汚いと言っているようで憚られてしまう。それでも木実が私を監視するように見ていたので、爪の隙間から指のあいだまできちんと拭わざるを得なかった。そんな私の所作に満足したのか、木実は伝票を持って先にフロントへと向かってしまう。
会計を済ませ、自分が奢ると言って聞かない木実に無理やり金を渡す。
「あたし、学校に自転車置いてきたんで戻りますけど、センパイどうします?」
「そうね……急ぎの用もないから、私も付き合うわよ」
「なら、一緒に行きましょうか」
そう呟いた木実の横顔がどこか不機嫌そうで、だけど思い当たる節しかない私は、逆に戸惑ってしまう。今さらそんな顔をされる理由が、私にはわからなかったからだ。
私が悩んでいる間に、木実はひとりでさっさと外に出てしまった。
追い縋るような情けない形で、私は彼女の背を追って歩く。
外に出ると空気がやけに新鮮に感じられて驚いた。同時に私の中に芽生えていた粘着質な熱がフッと拡散してゆくような気がして、少しだけ惜しいと感じてしまう。
空気が澄んでいる。
ただそれだけのことに、どうしようもなく私は、押し潰されそうになっていた。
暗くて、湿っぽくて、カビ臭い空気が、なんだか異様に恋しい。
「わざわざついて来てくれなくても、ひとりで帰れるんすけどね」
「心配なんかしてないわよ。それとも私とは帰りたくないのかしら。幻滅した?」
木実を見やれば、彼女はバツが悪そうに頬を掻いていた。
「いや、そーゆーんじゃなくて……センパイ、なんか『気持ち良かったかしら』とか聞いてきそうでイヤなんすよ。せめて一時間くらい……熱が冷めるまでは離れてたい、みたいな」
「……聞かないわよ、そんな恥ずかしいこと」
だから私のことをなんだと思ってるんだ、この女は。
「でも、気になってはいるんじゃないすか?」
「それは……」
答え倦ねてしまう。
なんと答えたものなのか。
なんと答えても、それは間違いである気がする。
だからといって沈黙が最善なのかと言えば、決してそんなことはないのだろうけど。
私が悶々と考えていると、時間切れを告げるように木実が苦笑しながら口を開いた。
「最中はあたしの顔、ちらちら見てたみたいっすけど」
「黙々とやるのも、それはそれでおかしいんじゃないのかしら」
大まかなやり方しか知らないから、正解がわからなかったのだ。ただ行為の目的を考えてみれば、相手の反応を覗うというのは、そこまでおかしいことでもないだろう。
「あたし、もっと滅茶苦茶にされるんじゃないかって……思ってましたよ」
「あなたをどうしようと、それは私の勝手よ。それとも、そういうのがお好みだった?」
「好みの問題じゃなくって、このひとはなにがしたいんだろうなって、そう思いました」
一歩先んじるようにして木実は歩みを進めた。
あなたが始めから傷ついたような顔をしていたから。
私が傷つけられる余地がないくらいに酷い顔をしていたから。
そう言ってやろうとしたのだけれど、そんな余地は存在しなかった。
今の私には、まるで木実がなにかから逃げたがっているように見えたから。
だから私も、それ以上なにも言わないまま、彼女の後を追い続けた。高校前のバス停が見えてきたあたりで、木実は振り返らぬまま、冷たい声で言葉を投げかけてきた。
「思いだしたんすけど、センパイって甘党でしたよね」
「……まあ、甘いものは嫌いではないわね」
「センパイが思ってるほど、あたしは甘くないですよ」
「あなたに甘ったるさを求めるほど、私は
「あたしにはセンパイが、甘い蜜を啜りたがってるように見えましたけど」
セクハラかしら、そう思い、実際に押し倒したのは私のほうなのだと思いだす。だけど、そうと言われたところで、自分がなにを求めているのか、私自身、把握しきれていなかった。
「甘えたいなら甘えさせてくださいって言わないと、わかんないですよ」
「だれがあなたなんかに」
「やっぱり甘えたい相手ってのは姫様なんすかね?」
「……違うわよ。あんな子に寄りかかったら、すぐに潰れてしまうわ」
「でもセンパイは……だれかと一緒に潰れてしまいたかったんじゃないんですか?」
今日の木実はやけに突っかかってくる。
まるで私を怒らせようとしているみたいだ。
私なんかを怒らせてなにがしたいのだろう。
やっぱり告白に対する私の答えが気にくわなかったのだろうか。
彼女は私に『わからない』とそう言っていたけど、私だって彼女がなにを求めているのか、まったくわからない。想像することすら許されない。それがひどく気持ち悪い。
「センパイ。手ぇ、繋ぎましょ」
答えを聞く前に、木実は私の手を奪い取り、先導するように進んでしまう。
「ちょっと! 急にどうしたのよ」
柔らかくて温かい手だ。
木実の体温は基本的に高く設定されているのだろう。先ほどだって、私なんかが軽々しく触れたら、火傷してしまいそうなほど、彼女の体は強い熱を放っていたのだから。
「ただ少しだけ恋人っぽいこととかしたくなっただけっすよ」
校門から排出され生徒たち。
彼らは逆走する形の私たちを、興味深そうに見つめていた。
彼らは私たちのどこに注目しているのだろうと、そんなことを考える。
同性が手を繋いでいる。そんなのべつに珍しいことでもなんでもない。
だからこの手に視線を感じてしまうのは、ただの自意識過剰にすぎないはずだ。
いったい木実は私をどうしたいのだろうと、漠然と考える。
「あっ、初海ちゃん!」
そのとき、昇降口のほうから名前を呼ぶ明るい声が聞こえてきて、私と木実は歩みをとめた。聞き覚えのない明るい声に一瞬戸惑ってしまう。クラスメイトだろうか。
だが私の記憶に、そんな声で私を呼ぶ女子はいない。
私は訝しがりながら、昇降口のほうへと振り返った。
「……紗和」
私のもとへと駆け寄って来たのは、夕陽に顔を赤らめている紗和だった。
その後ろから背の高い女子が歩いて来る。
彼女が心塚さんだと私はすぐに気づいた。
時計を確認すると、六時前をさしている。
ちょうど部活動が終わる時間だったのだ。
自分の不運と無警戒さに笑ってしまった。
「校門から来てたみたいだけど、どこか行ってたの? 図書委員のお仕事……とか?」
「違うわ。仕事じゃなくて――」
口からは否定の言葉が出てきたが、続く言葉は見つけられない。紗和になんと説明すればいいのか、紗和と――そして紗和が心塚さんに向ける好意から逃げた私にはわからない。
私が沈黙していると、木実が私の手を引き寄せて、肘を絡め取り、身体を密着させた。
密着した体を通して、彼女の熱と、かすかな強ばりが伝わってくる。
「デートっすよ、デート。初めまして。緒輪島センパイっすよね? 初海センパイから噂はかねがね聞いてますよぉ。放送部、やってるんでしたよね? あっ、あたし、真倉木実って言います。図書委員やってて、初海センパイの後輩で……あとは、センパイの恋人やってます」
「え……っ」
と漏らしたのは紗和のほうだった。
私はと言うと、怒りや戸惑いより先に、紗和がどんな反応をするのかに気を取られてしまっていた。だが最初にわかりやすい反応を示したのは、紗和のうしろに立っていた後輩で、彼女は意外そうな表情を浮かべながら、私と木実の顔を交互に見つめていた。
――そういえば木実とあの子は知人だったんだっけ。
知人というか、奇縁というか。
私にとって好ましくない出会い方だったはずだ。
「お昼休みのとき様子がおかしかったのは、真倉さんとのことがあったから……なの?」
「……そういうことになるのかもしれないわね」
私の言葉に紗和は、ヒビでも入ってしまったように、くしゃりと表情を崩した。
「そうだったんだ……私、驚いちゃった。初海ちゃん、なにも言ってくれないんだもん」
昔の紗和のような弱々しく震えた声色に私の嗜虐心が満たされる。
やはり、弱いままのあなたが好きなのだと、心の底からそう思う。
だけど彼女は私の想いを弄ぶみたいに力強い笑みを作って見せた。
「でも良かった。おめでとう初海ちゃん私もすっごく、嬉しいよ!」
綺麗な笑顔と声で告げる紗和は私の知っている彼女ではなかった。
鳥籠から解き放たれた彼女は――空の広さを知った彼女は――
――私が容易く触れていい存在ではなくなってしまっていた。
おめでとう、か。
その言葉が私にとってどんな意味を持つのか、紗和はわかっていないのだろう。
目頭が熱を帯びる。こぼれそうになる液体を堪えようとすれば堪えようとするほど、代わりに頭の内側が沸騰しそうになる。今すぐこの場から逃げだしてしまいたかった。
紗和から視線を逸らすと、代わりに心塚さんと目が合ってしまう。
最悪だ。
そう思うけれど彼女は彼女で、なにやら複雑そうな表情をしていた。
「紗和先輩……私……その、そろそろ行きませんか?」
心塚さんはサッと私から視線を逸らすと、歯切れの悪い口調でそう言った。
「あっ……そ、そうだね……」
紗和の表情に逡巡が垣間見えた。
だけど後輩との時間を選んだようで、
「じゃあ初海ちゃん、真倉さん、また明日ね」
そう別れの言葉を残して、ふたりは行ってしまった。それが心塚さんなりのフォローだったのかはわからないけれど、結果的に私は、彼女に救われた形となってしまう。
行き場を失ってしまった感情だけが私の中で燻り、八つ当たりをしそうになる。
「あたし……余計なことしましたかね」
当たり散らしてしまいそうな想いを必死で殺し、冷静を装う。そうしていないと、いよいよ歯止めが利かなくなって、私を形作っているすべてが崩れてしまいそうだったから。
「いいえ、助かったわ……たぶん、木実がいなかったら、私はダメだったと思う。だけど、そうね……少し疲れたわ。木実、ここで別れましょうか」
「今行ったら、あのふたりとバス停で鉢合わせにならないっすか?」
「学校で休んでくことにするわ。三〇分も休んでれば、彼女たちも行くでしょうから」
木実が口を開きかけ、すぐに噤む。
しばらく黙考していたようだけれど最終的に、
「そうっすか。それじゃ、あたしたちもまた明日っすね」
と、私を孤独にひたすことを選んでくれたらしかった。
「ええ、また明日」
駐輪場へと歩いてゆく木実の背中を見送ってから、校内に戻る。
ひどくバカで愚かなことをしていると自覚しながら、再び靴を履き替える。
図書室にでも向かおうと思ったけれど、一カ所に留まるより今は歩いていたかった。
「寒いわ」
四月の第三週なんてそんなものなのかもしれないけれど。
学校の敷地をひとりで歩いていると凍えそうになってしまう。
――ひとりでいるって、どうしてこんなに寒いのかしら。
寒いのは苦手だ。
苦手? いや、得意なひとなんていないとは思うけれど。
そういえば『暑いのと寒いの、どっちが苦手?』なんてくだらない質問があった。
私の場合、強いて言うなら寒いほうなのだろうが、だからって、暑いのも同じくらい嫌いだったりする。たぶん私の体は根本的に温度調節が苦手なのだろう。そこでさらに、
『寒いのが苦手なひとは孤独が嫌い』
『暑いのが苦手なひとが集団行動が嫌い』
という心理テストがあったことを思い出す。
寒いのも暑いのも苦手な私は、そもそも生きるのに向いていないのかもしれない。
独りはイヤで、だれかと一緒にいるのも苦手。
わがままだとはわかっているのだけど、私自身どうしていいのかまったくわからなかった。
そんな益体もないことを考えながら、
二年生の教室が建ち並ぶ区画にさしかかったところで、渡り廊下の向こうから、私以上にふらついた女子がやってきた。バスケのウェアを着ているからバスケ部なのだろうが、意識がないんじゃないかってくらいその子の歩みは不確かで、さながら歩く死体みたいだ。
指で突くだけで倒れてしまいそうだ。
その子は私が突くまでもなく、ひとりでにくたりと
「……大丈夫? いえ、大丈夫ではないのは、見ていればわかるのだけど」
とりあえず少女に話しかけてみるけど応答はない。このままにしておくわけもいかず、廊下の脇へ運んであげるけど、非力な私は少女の身体を引きずることしかできない。
それから女バスの子に知らせるべきだろうと気づき、体育館に行ってみることにした。
渡り廊下を進み、突き当たりの両開きの扉を開く。
中を覗くと女バスがだらだらとしたやる気のない動作で、パスを行いながらコートの上を行き来していた。こんな練習で倒れるなんて考えられないけど、さっきの彼女は特別、体力がなかったのだろうか。私はコートの端で順番待ちをしているらしい部員に話しかける。
「すみません、渡り廊下のとこで女バスの子が倒れてたんですけど」
女バスは大慌てになるかもしれないな、などと考えていたが、なぜかそうはならなかった。私の知らせを聞いた女子は嫌悪感を隠そうともせず、知らせに来ただけの私を怨めしそうに睨む。私がその視線の意味合いを掴もうとしていると、その子はコートに向きなおり、
「大早川ー! 南羽がまた倒れたってさ!」
と、私以上に他人事といった調子で、他の生徒へと呼びかけた。呼ばれた大早川という生徒は、明らかに部外者である私を注視した。それから小走りでこちらにやって来る。
「小鞠――いや、その子、どこで倒れてましたか?」
「すぐそこ、渡り廊下のところよ」
「ありがとうございます」
礼を言い終えると、大早川はすぐに体育館を飛びだした。
残されたメンバーたちは、大早川の背中を、害虫の死骸でも見おろすような、悪意すらこもってそうな目で見つめていた。見ているこちらが不快になるような視線だ。大早川の姿が見えなくなると、練習が再開されるのかと思いきや、彼女たちは談笑を始めたのだった。
「ひとりで勝手に張り切って、ひとりで勝手に倒れて、ホントいい迷惑」
「つーか、練習程度で倒れるとかダサくない?」
「美鶴さんもいい迷惑だよね」
「あんなやつの世話なんかする必要ないのに」
「というかあのふたり、朝練とかやってるらしいじゃん」
「マジで? 熱血じゃん。主人公みたい」
「主人公(笑)」
「いやー、私も全国つれてって欲しいわ」
どうしてそうも巧みに、醜い声色を出せるのだろうと不思議になる。
他人を嘲笑するときの人間の表情や声は独特だ。
優位に立っているという自信からか、化けの皮が剥がれ落ちる瞬間がある。
今の彼女たちがまさにそうで、見ているだけで嘔吐してしまいそうだった。
「……あの子、脱水とか起こしてるかもしれないので、ボトル借りますから」
私はなるだけ平坦な声を意識して、近場にいた下級生らしい生徒に声をかけて、返事を待たずに歩きだす。まさか制止されるとは思わなかったが、場の雰囲気からして、無意味な悪意を向けられそうな気がしたから。私はボトルを持って、先ほどの女生徒の元へ戻った。道中、走って戻ってきた大早川にボトルを手渡し、彼女に遅れる形で現場に辿り着く。
後輩はむき出しの肌すべてを汗で濡らし、細かく浅い呼吸をくり返していた。
「その子、大丈夫なの?」
「ただの疲労だと思います。あとは寝不足とか貧血とか。大丈夫かはわからないです」
「そんな状態で熱心に励むほど、価値のある練習だとは思わないけれど」
私の無神経な言葉に大早川はキッと私を睨んでくる。
「……私もそう思いますよ」
てっきり否定してくるものだと思ったから、その正直な告白に私はうろたえる。
「だったらこんなになるまで放っておかないで、とめてあげるべきだったんじゃない?」
「先輩は――自分から好んで傷つこうとする相手にどう接するのが正解だと思います?」
まるで自分と木実のことを指摘されているようだったから、私は一瞬、言葉に詰まる。
そんなことは有り得ないとわかっていても、彼女の力強い瞳が、私の心を見透かしているように感じられたから。そんな私の反応を訝しんだのか、その視線は険しいものになる。
不自然な間をごまかすようにため息をついてから私はゆっくりと口を開いた。
「そうなることを、その子が望んでたっていうの?」
「わからないです。でも、そうとしか思えないときがあるんです」
「どうするのが正解なんて私にはわからないわよ。その子の考えを、あなたがただしく理解できてるとも思えない。それに――たぶんその子自身も、よくわかってないんだと思うわ」
詳しい状況はわからない。
だけど、この大早川という女生徒が違和感を覚える程度に、この子の行動は不可解だったのだろう。それでも、そうしたすべての行動に意味があるとはかぎらない。
むしろ自分でもわからないからこそ、がむしゃらになるしかない場面もある。
「ううっ……」
沈黙がおりかけたところで倒れていた子が呻きをあげる。
どうやら軽く意識が飛んでいただけらしい。
だとしても非常時には違いないが。
倒れていた子は大早川を見て、私を見て、表情を曇らせた。
「私、すみません。ご迷惑をおかけしました。すぐに練習に戻りますから」
その子は慌てて立ち上がろうとするが、身体が本調子ではないのだろう。
すぐに崩れて、膝をついてしまう。
「小鞠、倒れてたんだからムリするなって。とりあえず、水分補給しろよ」
手渡されたボトルを素直に受け取って、中に入っていた麦茶を飲み干す。
良く言えばひたむき、悪く言えば愚直にすぎる女生徒の姿に、なぜかひどい苛立ちを覚えてしまう。先ほどの出来事と合わさって、自制が効いてくれそうにはなかった。
「部外者が口を出すようなことじゃないと思うけど……あなた、今日はもう帰りなさい。そんな状態でできることなんてたかが知れているし、先輩だって迷惑してるってわからない?」
「そ、それは……」
突然の乱入者に少女は目を白黒させている。
なにか言い返そうと口を開くが、その口が言葉を紡ぐことはなかった。上級生という立場の私に遠慮したのか、図星を突いてしまったのか、はたまた言い返す気力も沸かないのか。
「このひとの言う通りだ。今日はもうあがって、身体を休めようぜ。私が送ってくからさ」
「で、でも……先輩に申し訳――」
「なに今さら遠慮なんてしてんだよ。私と小鞠の仲だろ。それに小鞠がいねぇと、あんな練習やる意味もねぇしな。どうせ今だって、あいつらは練習サボって喋ってるだけだろうし」
大早川は苦笑する。
その発言が的を射ていて、私は内心で複雑だった。
……そうとわかっていて、どうしてこの子たちはこんなに必死なのかしら。
そうと尋ねる前に大早川は私に礼を言って立ち去ってしまう。
後輩もそれにつられて頭をさげて、その背中を追った。
取り残された私は、手持ちぶさたを具現化したような有様だ。
女子高生ならだれしも、一筋縄ではいかないなにかを抱えているのだろうか。
少なくともあの後輩たちが、気持ちのいい高校生活を送っているようには見えなかった。覚えたくもない親近感を覚えながら、私は、自分自身が抱える憂うつを思いだしていた。