平楽初海
木実の告白から一週間が過ぎた。
けれど私は答えらしい答えを見つけられないまま、燻り続けていた。もうもうと煙が立ちこめる胸中のせいで、どうにも息がしづらくて、悪酔いでもしてしまいそうだった。
今日は休みが明けた月曜日。
昼休みの放送室という居場所を追放された私は、教室でおとなしく野菜ジュースを啜っていた。少しぬるくなった野菜ジュースは喉に絡みつくような感じがして気持ちが悪い。
冷たいミネラルウォーターが欲しくなった。
「あのね……初海ちゃん、私ってちゃんと、先輩らしく振る舞えてるかな?」
そして私を放送室から追放した本人が目の前に座ってそんなことを聞いてきた。
最近はずっとこんな調子である。
火、木は放送室に引きこもり、月、水、金は私に部活と後輩の話を聞かせてくる。
ひとの気も知らないで……とは思うけれど、紗和が人並みに空気を読める人間であったならば、私が彼女に目をつけることも、彼女が孤立することもなかったと思う。
だからこの状況すら自業自得と言えるのかもしれない。
それでも私は疲れ果てていた。
「知らないわよ……放送部でのあなたがどんなかなんて」
それから、先週の一連の出来事を思いだしてため息が漏れる。
紗和が後輩に告白して、私も後輩に告白されて。
で、それはまだいいとして、次の日には紗和に礼を言われながら、同性の後輩の恋人ができたことをカミングアウトされて、初海ちゃんなら信じられるから、なんて言われてしまって。
……それで、私が紗和のことを拒絶できてしまえば楽だったのだろうけど。
彼女の喜びに満ちた表情やら、熱に浮かされた言葉やらを聞いてると、その想いに水をさす気も失せてしまって……細かな感情やらを放置したまま、今に至ってしまったわけだ。
そしたら今度は先輩らしくとかよくわからないことを相談される始末だ。
正直、今すぐこの場から逃げだしてしまいたかった。
「急にどうしたのよ。うまくいってないわけじゃないんでしょう?」
「なんだかね……いっつも私が牝鹿ちゃんにお世話されてるような気がするなぁって思って、私も牝鹿ちゃんのお世話して、お姉さんやってみたいなぁって、そう思って」
紗和は顔を赤らめ、それをごまかすように菓子パンをかじかじし始める。
でこピンでもしてやりたい気分だった。
でこピンで収まる感情なのかはさておいて。
「甘えられたいのね」
「やっ!? そ、そういうんじゃなくって……お世話したいだけだし……」
菓子パンの糖分にでも犯されているのか、紗和の発言がいつにも増して甘ったるい。
……惚気てんじゃねぇよって。
私は紗和の甘い吐息を遮断するため、わざと大仰な音を立てながら野菜ジュースを啜る。マズいジュースを啜っていると、気分が悪くなってきて、途端に敗北感に見舞われてしまう。
「なんでもいいけど……甘えられたいならもっとしっかりするしかないでしょ」
紗和にしてみれば、それができれば苦労しない、という感じなんだろうけど。
「うっ、うう……それでね――」
――しばらく紗和との会話を続けていたけれど、肝心の内容はさっぱり頭に入ってきてくれない。まるで紗和の言葉を理解し、記憶することを脳が拒否しているみたいだ。
それだけではなく、発作のような嘔吐感に見舞われ、私は反射敵に立ちあがる。
急な動作に、紗和は怯えたように私を見あげた。
「は、初海ちゃん? どうしたの? といれ……?」
「……委員会の仕事、頼まれてたの忘れてた。ごめん……私、行かなきゃ」
我ながら不自然な早口だったと思う。
紗和が違和感を感じとれる程度には。
「仕事なら私も手伝うけど……それに初海ちゃん、なんだか顔色悪いよ?」
「そうね……保健室にも寄ってみることにするわ」
立ちあがろうとする紗和を置いて、私は教室から逃げだした。
教室そばの階段を使って一階へ、それから図書室への道のりを進む。
中へ入ると、固定客のような利用者の中にちらほらと新顔が見える。
一年生だろうか。
入学して二週間で、昼休みの居場所を図書館にさだめてしまうだなんて。一見、勉強熱心なようだけれど、学校を他者とのつき合いを学ぶ場だと捉えてみると、とんだ不良生徒だということになる。しかし彼らは居場所を見つけられただけマシなのだろう。
私はカウンターを通りすぎ、長テーブルの席で児童文学を読みふける少女に話しかける。
「木実、ずいぶんと暇そうね」
私の声を聞いて、木実はバッと顔をあげた。
それからすぐ、澄ましたような表情を取り
そのくせ、どこか期待したような眼差しだけは残っていて、笑ってしまいそうになる。
「初海センパイこそ、昼休みに会いにきてくれるなんて珍しいっすね。暇なんですか?」
口調は挑発気だけれど、その瞳が期待のせいか、かすかに揺れるのがわかった。
素材の味を損なわない程度の薄化粧が逆にあざとく感じられるような、そんな顔かたちをしている。それがだれに宛てられた化粧なのか少し考え、時間のムダだったと切り捨てる。
「そうね。私はきっと暇なのよ。だから少しつき合ってくれないかしら」
「……学校抜けだして、どっか行きますか?」
「昼休みさえ潰れてくれればいいから、そこまでしてもらう必要はないわ」
「そっすか。というかセンパイ、顔色悪くないっすか?」
何気ない仕草――きっと邪気のない厚意で、木実は私の額へと手を伸ばしてきた。
私はその手をサッと払いのけ、そのまま彼女から視線を逸らしてしまう。
「私は大丈夫。でも、心配してくれてるなら……屋上までつき合ってくれない?」
新鮮な空気が吸いたいの。
そう言うと、木実は小さく笑いながら、
「いいですよ、あたしもちょうど、そんな気分だったし」
そう返してくれた。
読んでいた児童書の貸しだし手続きカウンターで済ませてから、木実は私のもとへ戻ってきた。彼女が小脇にハードカバーの本を挟んでいる姿は、なんだか面白い。
「その本、気にいったの?」
「気にいったていうより、読み始めたものを途中で投げだすのがイヤってだけです」
「文学やら哲学を読みあさって一ページ目で投げだしてた人間のセリフとは思えないわね」
「……あれは『読み始めた』のうちに入りませんから」
無駄口を何度か行き来させていると、屋上にはあっという間に辿り着く。四つも棟がある割に、さして広くないのが開栄高校の特徴だ。一度覚えてしまえば迷いようがない。
屋上には生徒の姿が散見された。
主な層は二、三年の女学生だ。彼女たちは昼食と会話に夢中のため、新しく入ってきた私たちを気にとめる様子もない。その空気感が、今はとてもありがたかった。
私たちは適当なベンチに腰かける。
「で、なにがあったんすかね。もしかして勢いあまって告白でもしちゃいました?」
「してないわよ。あなたみたいな色ボケと一緒にしないで」
色ボケと聞いて、木実はなぜか少しだけ嬉しそうな表情を浮かべた。
「その理論だと意中の姫様なんて、最大級の色ボケなんすけどね。ではでは、そんな高尚なセンパイは、あたしのような色ボケのもとへなんの御用があって来たんです?」
「……………………」
「……センパイ?」
言葉に詰まったのは、木実の皮肉に心を打たれたからではない。
そうではなく自分が吐こうとしている言葉に絶望したからだ。
そしてその絶望に犯されてなお、私の口は止まらなかった。
「もし、もしも、あなたがそう望むのであればだけれど――」
ゆっくりと言葉を選びながら、木実に言葉を提示してゆく。
相手の好意を利用し、最低な形で踏みにじる言葉たちをだ。
「――私はあなたを好かないし、恋なんてしないし、愛さないと……そういう条件でかまわないのであれば、あなたと恋仲になってあげる。私を好きにしていい権利を与えてあげる」
一瞬、木実は表情を凍りつかせた。
口を半開きにしたまま私を見つめる。
その目があまりにも滑稽だったものだから、私は笑いを堪えるのに必死だった。
「……それ、あたしの告白に対する答えですか」
「ええ、そのつもりよ」
「それって恋仲だって言えるんですか」
「さあ、定義はわからないけれど、形としてはあなたの望んでいたものが手に入るはずよ」
木実は私の申し出になんと答えるだろうかと予想する。だが考えるまでもなく――そして、私が彼女にこのような申し出をした時点で、その答えはわかりきっていた。
「センパイがそれでいいって言うなら、あたしはおとなしく従いますよ」
「そう。可愛いのね」
「好きになってくれないんじゃなかったでした?」
「そういう可愛らしいところが……大嫌いなのよ」
本当にこの子は、どうして私なんかを好きになってしまったのだろう。
バカじゃないのか。
死んでしまえばいいのに。
心の底からそう思ってしまう。
私なんかを好きにならなければ――
――そんな顔をすることもなかっただろうに。
傷つけてやろうと思っていたのに、そんな余地すらないと感じてしまうほど、彼女はすでに傷だらけの表情を浮かべていた。そんな彼女の油断は軽薄な笑みに隠れてしまったけれど。
「ねえ、センパイ?」
「どうしたのよ」
数秒、木実は黙し、震える瞳で私を見つめていた。
「……いえ、なんでもないです。ただ嬉しいなって、そう思っただけですよ」
健気に笑おうとする木実を、私はいったいどんな表情で見つめていたのか。
「そうね。これは、あなたが望んでいたことだものね」
そう言って、それから、口から吐きだされそうになる毒や汚泥や言葉を止めるため、自分の口を塞いだ。木実が教えてくれた、唇で口を塞ぐという、笑ってしまうような方法で、だ。