緒輪島紗和

 

 放送室に入ってきた顧問の鎌村先生は疲れた顔で前髪をかき上げる。

「……いったいだれが悪者か教えてやろうか?」

 鎌村先生はジトッと粘着質な視線を私に向けた。

 そんな目で見つめられた状態で口を開けるほど、私は図太い神経をしていなかった。

「お前だよ――と言いたいところだが最終的にお前を信用した私が悪者になるんだよ」

「す、すみません」

 私は謝罪の言葉を口にするが、鎌村先生はすでに私のことなど眼中にない様子だった。先生は私の表情を見て、それから私の背後を見て、最後にスタジオのほうを見やった。

 その視線はまるですべてを見透かしているようで、私はなんだか恐ろしくなる。

「やるならもっとうまくやれ。ついでに無能から無能扱いされる私の身にもなれ」

「あ、はい……すみません」

 なんだか無茶な要求をされているような気がして、つい気がない返事をしてしまう。

「次、このようなことがあれば放送部は活動停止だ。わかったな?」

「は、はい、わかりました」

「以上だ。面倒事はなるべく私のかかわらない形で起こしてくれ」

 それだけ言い残して、鎌村先生は放送室から出ていこうとする。

「そ、それだけですか!?

 叱られてる人間が思わず引きとめてしまうほど、鎌村先生の説教は淡泊で短かった。説教ってもっとねちねちと、しつこく同じことをくり返すものだと思っていたから。

「それだけだ。緒輪島の反応を見ていれば、反省は充分に見受けられる。自分の行動の問題も把握してるのだろう。だったら私から言うべき言葉はないし、必要なのは言葉ではなくこれからの行動だ。それに私はキミを過大に贔屓しているからね。せめて期待には応えろよ」

 威圧でもかけるみたいに先生はそう言って、今度こそ放送室から出ていこうとした。

 だけど気でも変わったみたいに振り返る。

 腰元まで伸びる長い髪の毛が靡いて、そこに染み込んだ煙草の臭いがかすかに香る。

 先生は私を見てイヤらしい笑みを浮かべた。

「そうだ。唯一の注意だが、放送室はあくまで放送を行う場所だ。節度は守れよ。不純な交遊に耽るなよ? キミみたいな人間が一番、溺れると酷いんだ。覚えておくと後学のためになるぞ。今のは間違いなくセクハラだが、これでバカやったことは帳消しにしてやるよ」

 そして鎌村先生はかかかと笑いながら、今度こそ本当に放送室から出ていった。

 先生が出ていってしばらくして、私はやっとなにを言われたのかを理解して、ボッと顔から火を噴いた。それから顔の熱が落ち着くのを待ってから、スタジオの心塚さんを呼んだ。

「あれ、けっこう早かったんですね」

 ホントはもうちょっと早かったんだけど、ということは黙っておく。

 心塚さんはミキサー室へと歩いてくるとき、呻き声とともに顔をしかめた。

「ど、どうかしたの!?

 いきなりの出来事に私は慌てる。

 スタジオでなにかあったのだろうか。

 いつかの私みたいに配線に足を引っかけて転んでしまったとか?

「やー、ちょっと足、痛めちゃっただけで……たいしたことじゃないですよ」

 言いながら、心塚さんは笑顔を見せようとしていた。

 だけど痛みのせいか笑みが引き攣って、かえって悲痛な有様になっていた。

 私は慌てて彼女の足元を見やる。

 ソックスが破けていて、ところどころ血が滲んでいた。

 彼女の様子を見るに、さらに捻挫でもしているのかもしれない。少なくとも彼女が言う『たいしたことじゃないですよ』はまったく信用にならないことだけはわかる。

「ほ、保健室に行かないと!」

 心塚さんに背中を向けながら中腰になる。

 なのにいつまでたっても心塚さんは動く気配を見せてくれない。

「心塚さん、どうしたの! 痛くて動けないの?」

「いや……そうじゃなくて、先輩、それ、なんのポーズですか?」

「お、おんぶだよ、おんぶ! 背負ってあげるから早く乗って!」

「え、ええー……そこまで重傷じゃないですよ。それに、私、重いですし」

「重いとか関係ないし、私のほうがお姉さんなんだから、黙って背負われなさい!」

 私が少し強い口調でそう言うと、心塚さんは観念したのか、あうう……と漏らしながら私の背中に乗った。ずっしりとした感覚によろめくが、なんとか歩けないこともない。

 両手で心塚さんのお尻をしっかりとささえ、準備完了だ! と出発しようとする。だけど私はドアの前で右往左往してしまう。まさかこんな難関が序盤で待ち受けてるとは。

「……先輩、ドア、私が開けるんでちょっと屈んでもらえますか?」

「あ、うん……ありがと……」

 どうにも締らないなぁと思いながら、とぼとぼ足を進める。

 保健室は管理棟の一階にあるから、少しだけ長い道のりだ。

 だけど心塚さんのためなら頑張れる。

 道中、背中に乗った心塚さんが、私の頭頂部に向かって口を開いた。

「先輩、私、女の子ですよ?」

「……お、おんぶされるのに性別って関係あるの?」

 言わんとしていることがまったく理解できず、妙な問い返し方をしてしまう。

「そうじゃなくて……さっきの、放送の……告白の話、です」

「あー、うん。そっちか。そっちだよね」

 そうだよね。

 と頷いていると、危うくバランスを崩しそうになったので心を引きしめる。

「わかってるよ。私も女の子だからね。でも、そんなの関係ないのかなって」

 かっこつけてみようとしたけど、私には似合わないなと思って言いなおす。

 私にはまだかっこをつけるだけの余裕も資格もないだろうから。

「関係ないわけじゃ、ないね、ごめん。私……自分でも意外なんだけど、そういうのに、ぜんぜん抵抗ないみたいなんだ。今まで……その、そういう、好意とか、恋愛とか、まったく考えてこなかったからかもしれないね。むしろ、私の好きが心塚さんで良かったって思ってる」

 私は気の利いたことを言えないし、想いを伝えるのに適切な言葉も選べない。

 だからその分、口を動かして、とにかく言葉を重ねるしかない。

「でも……すべてのひとがそう思うわけじゃないだろうから。そういうこと考えると……少しだけ、不安だったりはするよ。でも、心塚さんがいてくれれば、今はそれでいいのかなって。そのためなら、多少の不安くらい、かまわないよ。それくらいの覚悟は決めたから」

「それが先輩の言っていた、鳥籠の外に出るってことですか?」

「そう……だね。あらためて言葉にされると、恥ずかしいけど」

「ねえ、先輩」

「なに? 心塚さん」

「ふたりで一緒に、いろいろなこと、知っていきましょう。並んで歩いて――いえ、鳥籠の外なんだから、この広い大空とか、そういう感じの所を……並んで、飛んでいきましょうよ」

 そう演技がかった声で呟いて、心塚さんは笑う。

「これ、思った以上に恥ずかしいですね」

「で、でも、なんだか、やってやろうって気にならない?」

「そうですね。なんか壮大な感じがして、奮い立つような、そんな気がします」

 もしかしたらそれはホントに『気』のせいでしかないのかもしれない。だけどそれが、私たちが飛び立つための最初の風になってくれるなら、気でもなんでも、かまわなかった。

「先輩、もう一回言っても……いいですか? ……昼休みのとき、言葉、きちんと」

「うん。私も聞きたい」

「私、先輩のことが好きです」

 囁くように言われて、私の心臓が強く収縮する。思わずよろめいて、転倒しかける。

 それだけの衝撃が襲ったはずなのに、私はどうしてか、その言葉に違和感を覚えていた。

「……先輩?」

 心塚さんが不安そうな声を出す。

 だけどその声のおかげで私は、なにがそんなに面白くないのか理解してしまう。

「私、心塚さんに紗和って呼んでもらいたいんだ。たぶん、ずっとそう思ってた」

「えっ、そ、それって……いつからですか?」

「初めて会ったとき……心塚さんが私のことを先輩って呼びだしてから……かな」

 初日、心塚さんは私のことを紗和ちゃんと呼んだ。それから紗和ちゃん先輩って呼んで、最後に名前のつかない先輩で落ちつかせてしまった。それを私は気にしていたんだと思う。

「しょっぱなですね」

「ん、そうだね。初めからだったんだと思う」

 なにが……とは言葉にしなかった。

 境界線は自分でもよくわからなかったから。

「だけど先輩ってのも捨てがたいんだよね」

「じゃあ……紗和先輩……とかですか?」

「あっ、それ……いいかも」

 名前と先輩のいいとこ取りだ。

 呼ばれるだけで、眩暈にも似た感覚が私を襲う。

「そ、それで……もう一回、好きだって、言ってもらいたい……かも?」

「えっ、は、恥ずかしいですよ……だ、だって、名前で呼ぶんですよ? あ、ああ! ほら先輩、保健室、保健室つきましたから、一旦、この話題やめましょう? ね?」

「ちょ、ちょっと! ちゃんと紗和先輩って呼んでよ!」

「やっ、だって……それは、ほんともう、今はっ、ダメですって」

 そう空気に溶けて消えそうな声で呟いて、心塚さんは急に笑い始めた。

「こんな顔で保健室入ったら、大怪我でもしたんじゃないかって、勘違いされちゃいますね」

 照れたように、嬉しそうに、熱っぽい声でそう言いながら、心塚さんは強く、私の体を後ろから抱きしめた。首筋のあたりに、ぽたりぽたりと、熱いものが当たって弾ける。

「大丈夫。私は牝鹿のこと大好きだから。もう突き放したりしないから。だから一緒に、放送部、頑張ろ? たくさんの困難が待ってるかもしれないけど、ふたりなら、大丈夫だから」

「うん……うんっ……うん!」

 自分で言っていて、目の奧がカッと熱を帯びるのがわかる。

 首筋を伝う熱さに触発されて、私もまた、堪えきれない想いが目元からこぼれ落ちる。

 だけど両手が使えないから、拭うこともできない。

 私たちは保健室の前で立ち止まり、涙がとまるのを待つ。

 あと少しで保健室が閉室してしまうと理解していても、涙はとまってはくれない。それでも、そんなどうしようもないことですら、今の私たちには希望の光に見えたのだった。