――な、なんだ、これ。

 あのひとはなにを言っているんだと頭の中がまっ白になる。

 そしてその羞恥心と違和感の原因が、同じのものであることに私は気づいた。

 スピーカーごしに聞こえる先輩の声は震えていた。

 不安を湛えるように震えていたのだ。

 今までの放送の屹然とした態度がウソのように、それは素の彼女の声だった。

 だから余計に私は恥ずかしくなってしまったのだ。

 私はしりごみをしてしまう。

 どうすればいいのか、わからなくなってしまった。

 だけど放送はそれだけで終わってはくれなかった。

 私に――いや、校内全体に追い打ちをかけるようにして先輩は続けた。

『さっきは驚いてしまっただけなんです』

 校内に設置されたスピーカーは惜しげもなく、先輩の震える声を流していた。このまま放送を続ければ、先輩が教師によって大目玉を食らうことは想像に難くない。

 私は慌てて先輩の携帯をかき鳴らすけど、応答はない。

 先輩から私への、一方通行の言葉がスピーカーを通して、流され続けるだけ。

『あなたを拒絶するつもりは、なかったんです。ただ、あなたの大きさが怖かった。大きなあなたが怖くて、あなたが大きいことが怖くて、怖くなり続けることが……もっと怖かった』

 仕方なく、私は傷ついた足に鞭を打って、屋上から走りだした。

 先ほどまでの痛みがウソのように私の脚は軽やかに動いてくれる。

 アドレナリンでも過剰に分泌されているのか、私は四階から三階まで一気に駆けおり、管理棟から特別棟への渡り廊下を走る。そのあいだも先輩の言葉は止まらない。

『私は……自分を守るために、籠の中に閉じこもった、弱い鳥だった。変わりたいって、そう思っていたはずなのに、自分の身を守るだけで……精一杯になっていたんです』

 また原稿でも用意しているのだろうか。

 そう感じてしまうほどにその言葉はポエムが入ってて、恥ずかしい代物だった。

 ――でも、それが先輩だから。

 その言葉を聞いているうちに、自分が先輩のどこに惚れたのか気づいた。

『……怖かった。心臓が痛かった。それを望んでいたはずなのに……あ、あなたに、籠の外へと連れてかれてしまうんじゃないかと思うと、ふ、不安で堪らなくなってしまった」

 先輩が語るのは等身大の自分自身で、それは弱さに溢れたものだった。

『だから私は……あなたを、拒絶してしまった』

 それを赤裸々に――放送を使って叫ぶのは、並大抵の勇気では為しえないことだ。

 そう。私が惚れてしまったのは――

『私はそれを、すぐに後悔して……でも、臆病な私には、あなたを追いかけることはできなかった。でも……もしかしたら、こ、これで良かったのかもって、そう思ったの。だって、そのおかげで私は、あなたの手ではなく自分の足で――鳥籠の外に出るという選択ができたから。あ、あなたに釣り合うひとになりたかった、あなたの横に並んで歩きたいと、そう思った。だから放送で……あなたが好きだと言ってくれた放送で、私は変わってみせようと、思ったの』

 ――先輩の強さになんだ。

 一見、先輩は弱々しく見えるし、事実、その通りなのだと思う。

 先輩は自信もなければ、なにかを成し遂げるだけの力もない人間だ。

 それが等身大の先輩――緒輪島紗和という人間だと、私はそう思う。

 それでも先輩は、自分がどれだけ弱い存在なのか、身をもって知っているんだ。

 そして先輩はその弱さを隠さず、克服しようとする強さを持ってる。困難に立ち向かうだけの勇気を持ってる。それは私にはないもので、だからこそ私は先輩に憧れ、惚れこんだ。

 高校生活を現状維持で終えようとしていた私にはないものを先輩が持っていたから。

 ――だからってこの放送はやりすぎだと思うけど!

 道中、すれ違う生徒がほとんどいなかったのは僥倖か。

 ただ体育館やグラウンドのほうでは、たくさんの生徒が部活動に励んでいるはずだ。そうした人びとに先輩の言葉を聞かせたくなかった。それはきっと、安っぽい独占欲がゆえに。

『さっきは驚いて応えられなかったけど、今なら、きちんと、言えます。大丈夫です』

 ――なにが大丈夫なんだよ!

 先輩の頭に、大丈夫な要素なんてなにひとつなかった。

 いつも通りのめちゃくちゃ。

 いつも通りの大馬鹿っぷり。

 いつも通りの可愛らしさだ。

 だから先輩が大丈夫なはずなくて、私はもっと大丈夫じゃない。

 私は長い廊下に焦らされながら、最後の廊下を全力で直進する。

 靴下のせいで滑りそうになるのを堪えながらドアの前で急ブレーキをかける。

『私も――』

 ノブを掴み、回し、全体重をかけて、ドアを開く。

『「――あなたのことが――」』

 背後のスピーカーから聞こえる声と、目の前の先輩の声が、リンクして頭の中で反響する。

 物音に反応した先輩が振り返る。

 そして、ずいぶんとまあ、綺麗な涙を湛えた瞳で、私のことを見据えた。

『「――あなたのことが好き」』

 私は泣きそうになるのを堪えながら、後ろ手でドアを閉め、カギをかける。靴なんて履いてなかったから、ソックスのままミキサー室にあがりこんで、黙って放送の電源を落とした。

「バカだ」

「うん」

「先輩は大馬鹿ですよ」

「……うん」

「この期に及んでどうして大馬鹿って言われるのは不服そうなんですか」

 あなたは紛うことなき大馬鹿ですよ、と私は先輩の頭をぐりぐりする。

 あうあうあう……と涙をこぼしながらも、先輩はぐりぐりを甘んじて受け入れていた。

「……明日から学校、どうするつもりですか? 放送使って告白したおバカさんですよ」

「私が放送部だって知ってるひとなんて、ほとんどいないから大丈夫だよ」

 確かに日常の先輩と、放送での先輩を繋げられるひとはいない気がする。

 だけどそれは、今まで放送部に対する興味が薄かっただけの話だ。この珍事のせいで、生徒たちは放送部に対する興味を強めただろうし、放送部に所属してる人間がだれかなんて、知ろうと思えば簡単に知ることができる。やっぱり先輩は大馬鹿なのだ。

「一応、相手が心塚さんだってわかるような要素は伏せておいたし……心塚さんにも、迷惑はかからないと思うけど……だ、だから私、そんなにバカじゃないよ……たぶんだけど」

「私は泣きながら校内を走りまわってるの目撃されてるんですけどね」

 私を私だと認識できる生徒もまた、ほとんどいないだろうから、いいんだけどさ。

 うん、明日のこととか周りがどう思っただとか、そんなことを考えるのはよそう。

 せめて今だけは、ね。

「放送、怖くなかったんですか?」

「怖かったし、恥ずかしかったけど、私が怖いって、思うほど……心塚さんが、どんな想いで、私に告白してくれたのかとか……想像できて、理解できたような、そんな気がしたから。それに、あのとき、心塚さんが震えたり、泣いたりしてたの……思いだしたから。怖いのは私だけじゃないんだって気づいちゃったら、あとはもう、居ても立ってもいられなくて」

「その割にずいぶんと悩んでたみたいですね」

 都合、五時間近く悩んでいた計算になる。

「それは、やっぱり……心の準備とかあったし、ひと……少ないほうがよかったし」

「まあ、それはいいんですけどね」

 そんな些細な事柄なんてすべて吹き飛んだ。

 哀しみとか、痛みとか、全部全部。

 それもこれも先輩の大馬鹿な放送のせいだ。

 そうやって、この数時間で心に溜まったあれこれの想いを、先輩に向かって吐きだそうとした瞬間、ドアがドン! ドン! ドン! と叩かれた。音に反応して先輩がビクンと大きく震えるけど、私からしてみれば、驚きよりも納得のほうが上回ってしまっていた。

 ……そりゃあ、あんだけ目立つ放送しちゃったら、教師がこないわけないよね。

 むしろあれだけ逡巡してた私のほうが早く放送室に辿り着けたのが奇跡なのだ。

「こ、心塚さん……スタジオのほう、行っててもらえる……かな?」

「えっ、いや、私も一緒に叱られますよ。同罪みたいなものじゃないですか」

「一緒にいてくれると、心強いんだけど……話、ややこしくなるだけだから」

 言われて、考えてみる。

 先輩が校内放送でだれかを告白して呼びだす → 教師が慌てて駆けつけてくる → 先輩と一緒に妙な女子がいる → 先輩が告白して呼びだしたのは女子だった!

 それを先生が察してしまうのを、私たちは目の前で見てなければいけないのだ。

「……そうですね、それは、ちょっと、ややこしいですね」

 だから私は先輩に従って、おとなしくスタジオのほうへ移り、ドアを背にして床に座る。スタジオというだけあって防音がしっかりしているらしく背後の音はほとんど聞こえなくなる。

 無音に近い空間で、ひとりでぽつんと座っていると、再び思考が暴れ回りそうになる。

 だけどそれより、狂ったように踊り狂う心臓を抑えつけるほうが、よほど大変だった。