緒輪島紗和
金曜日。お昼休みの放送室にはいつも通り、私と初海ちゃんの姿があった。
「ど、どうしよ、初海ちゃあん……」
「昨日の今日でどうしたのよ。それと喧しいから『ちゃあん』って呼ばないで」
私の嘆きを初海ちゃんは淡々とした調子で受け流した。そんな余裕に満ち溢れた初海ちゃんだからこそ、相談相手にふさわしいんだけど、淡泊な反応をされるとヘコみそうになる。だけど話を聞いてくれる意志はあるようで、さっさと話なさいよと野菜ジュースを啜っていた。
「ん、んとね……入部してくれた子、私が思ってたよりずっとマジメだったんだ」
「……なによりじゃないの」
なにが問題なのか理解できないとでも言いたげだ。
だけどこの『マジメ』っていうのは、かなり重大な問題だったりするわけで。
「で、でもね……私、ずっと心塚さんのこと……不良だと、思ってたから……」
「今どき不良じゃなくても髪くらい染めるわよ」
「う、ううん……髪は普通だよ?」
どうしてそこで髪の話が出てくるのかわからなくて初海ちゃんを見つめる。
彼女も発言が理解できないとでも言いたげな目で私のことを見つめていた。
「だったらピアスの穴でもあいてるの?」
「そういうんじゃなくって……その……心塚さんってすっごい背が高いんだ」
言葉を聞いた初海ちゃんはゲホゲホと野菜ジュースで咽せてしまっていた。
オレンジ色の飛沫が机に飛び散って、水玉模様を作る。
私はそれをポケットから取りだしたティッシュで拭う。
初海ちゃんはいつもはしっかりしてるから、私がこういうお姉さんらしいことができる場面はかぎられている。なんだか嬉しくなってきて、つい笑みがこぼれてしまう。
「もう、初海ちゃんったら。気をつけないとダメだよ?」
「なにが『もう』で、なにが『初海ちゃんったら』で、なにが『ダメだよ?』なのかしら。もとはと言えば紗和が妙なことを言うから悪いんじゃない。いますぐその得意気な顔をやめて」
「あ、う、うん……ごめんなさい」
本気で怒っていたわけではないことを表明するみたいに、初海ちゃんは軽い咳払いをひとつこぼすと、今度こそ野菜ジュースをしっかりと飲みこんでから私を見た。
「えっと。さっきの話……私にはまったく文脈が掴めなかったんだけど、どういうことなのかしら。背が高いからとか聞こえたけど……背が高いと紗和にとっては不良なの?」
「だ、だって……怖いし」
「私にしてみれば、紗和の偏見のほうが怖いんだけど……なんなの、それ」
「こ、心塚さんはすっごくいいひとなんだよ……? でも背が高くて……」
「紗和の正体を知ってなお、入部を取りさげなかった時点で、その子がいい子なのはわかりきってるのよ。私が文句を言いたいのは、紗和のその迷惑な思考のほうなのだけれど」
「そ、それはひどくないかな!? そ、そも、そもそも私の正体ってなに!?」
「日本語を喋れない」
「しゃ、喋れてるよ!?」
しゃ、喋れてるよね!? なんか急に不安になってきたんだけど!
「あら、言われてみれば確かにそうね、気づかなかったわ」
「は、初海ちゃんはっ、今までどうやって私と意志疎通してるつもりだったの!?」
「私の読心術がなせる技なのかと」
「ひ、ひどいよぉ……」
ブラックジョークすぎて、私の心がずたずたに引き裂かれそうだった。
「も、もう私の正体とかそういう話は、い……いいから!」
「じゃあ話を戻しましょう。紗和はその後輩のなにが怖いって言うのよ」
初海ちゃんはさっきのことなんてなかったみたいに平然としていた。
顔で『私は怒ってるよ!』と伝えようとしたけど、読心術が得意なはずの初海ちゃんは私の顔を見て鼻で笑うだけだった。いったい彼女は私の心からなにを読み取ったのだろう。
……ひ、ひどすぎるよぉ。
うん、でも今はおとなしく話を戻しておこう。
このままじゃ私の心が微塵切りにされてしまうだけだろうし。
「えっと……心塚さんの前にいると、なにを喋ればいいのかわからなくなって、怖くなって、心臓がばくばくしてきて……顔が熱くなってきて、もう、わけわかんなくなっちゃうの」
私の言葉を聞いて、初海ちゃんは黙りこむ。
それから私のことをしげしげと眺めてから口を開いた。
「紗和の場合、それってだれに対しても同じなんじゃないのかしら」
「そ、そんなことないと思うけど……初海ちゃんが相手なら落ち着いてられるし」
「それは褒められてるのかしらね」
初海ちゃんは苦虫を口いっぱいに頬張ったみたいに複雑な表情を浮かべていた。
――わ、私と意志の疎通ができるってマイナスポイントなの!?
心の中でのツッコミはやっぱり初海ちゃんには届いてくれなかった。
「……で、具体的な相談内容はなんなのよ。現時点の紗和の話じゃ、まったくなにが言いたいのか伝わってこないんだけど。つまり後輩のことをバカにしたかっただけ?」
「そ、そんなんじゃないよぉ……そうじゃなくって、どうやったら心塚さんと、きちんとお話できるようになるかなって、そう思って……こういう、怖いのとかって、治るのかな?」
「犬とか猫じゃなんだから……」
初海ちゃんの視線が憐憫とか侮蔑とか、そういう色合いを帯び始める。
「まあ、犬とかの恐怖症は、無理やり子犬とかに触れさせて治療するみたいよ。何度か触っているうちに危なくないって脳が理解して、反射的に怖いって思わなくなるみたい」
「な、なるほど……」
それは有益な情報だった。
ということは私もガマンして心塚さんに触れば、怖いのとか治るのかな。
犬に触るみたいにして頭をわしゃわしゃーってすれば大丈夫かな……?
……か、噛まれたりとかしないよね?
心塚さんがガブッ! と私に噛みついている様子を想像して心が恐怖で跳ねる。
「あと身長差が怖いなら、普通に目線の高さとか合わせればいいんじゃないの?」
「あ、ああ……単純だけど、そ、それが一番なのかな」
目線が同じだと、まだ少し怖いかもしれないから、心塚さんのほうが気持ち低めのほうがいいかな? それと触れあいを組み合わせれば完璧かもしれない。うん。放送室の床に心塚さんを座らせて、わしゃわしゃーって。ん? んん! なんだかいけそうな気がしてきた!
「う、うんっ、初海ちゃん、私、頑張ってみるよ!」
私は立ちあがり、放課後に向けて決意を表明する。
「頑張るのはいいけど、犬の例はあんまり参考にしないほうがいい……って聞いてないし」
私はとにかく頑張ってみようと、そう思いました。
気づくと初海ちゃんは私を置いていってしまったのか、放送室にひとりになっていて、すごくビックリしました。教室に戻って初海ちゃんを怒ろうとしたら、逆に怒り返されました。
それはとっても理不尽なことだなぁって私は思いました。まる。