心塚牝鹿
小鞠は昨日の今日でバスケ部に入部届を提出してきたらしい。そんな彼女は、今日から練習に参加する予定だからと言って、同学年のバスケ部の子と先に行ってしまった。
体育館は南校舎の二階にある。南校舎に行くには放送室の前を通る必要があるから、途中までは一緒に行ける予定だったんだけど。部員が一緒なら仕方ないのかな……?
そんなわけで、
ドアノブを回すと、すでに先輩は来ていたのか扉はすんなりと開いた。
だけど中を覗いてみても先輩の姿はない。またどこかに行っているのだろうか、と考えながら靴を脱いで中に入ると、ガラスの仕切りの向こうに先輩の姿が見えた。
スタジオ的なスペースで原稿を片手に発声の練習でも行っているみたいだった。
さすがに防音設備はしっかりとしているのか、先輩の声はこちらには届かない。
その分、余計なノイズなしに、先輩の真剣な横顔を観察することができた。
先輩がこちらに気づく様子はない。
そんな先輩を一方的に観察するのは多少の罪悪感があったが、その光景は、そんな想いすらたやすく吹き飛ばしてくれる程度には魅力的で、私の雑念を散らしてくれた。
昨日、私が感じた弱々しさはそこには存在しない。
ただ確固たる意志と放送への信念を持った三年生の姿がそこにはあった。そんな練習風景を見て、私はやっと昨日の放送が、ホントに先輩のものだったのだと納得することができた。
……なんだ、可愛いだけじゃないじゃん、先輩って。
十五分ほどの時間がたった。それほど集中していたのだろう。
練習中、先輩はずっと私に気づかず、休憩も挟まないまま延々と朗読を続けていた。
私もまた、先輩を観察するのに熱中していた。
そのおかげで十五分なんてあっという間にすぎてしまった。
そして、ふうと息を吐き、足元に置いてあったペットボトルを拾おうとしたとき、先輩はやっと、こっちにいる私に気づいてくれたらしく、視線と視線がかち合った。
私は、やっほーと、軽い気持ちで手を振る。そんな私の軽さに反比例して、先輩はこの世の終わりみたいな表情を浮かべて、手に取っていたペットボトルを落とした。
飲み口からとくとくと水が広がり、絨毯にシミを広げてゆく。
ああっ、機材とか大丈夫かな? と思うけど、先輩はそれどころはないらしい。
慌ててこちらにやって来ようと扉に向かって走りだす。
だけど急に走ったものだから、足元に散乱していたケーブルに足を引っかけ、盛大に転倒してしまう。ギャグみたいな光景だと笑うわけにもいかないくらい見事で危険な転倒だった。
……顔面からいってたからな。
このまま先輩を放置していると、大事故に発展しかねない勢いだった。
仕方なくこちらから迎えにいくことにする。
「せんぱーい……? 大丈夫ですか?」
私の呼びかけに、うつ伏せに横たわり、死に体だった先輩がガバッと起きあがる。
「い、いい、いつからそこにいたの!?」
――うわっ、こわっ。
必死すぎてゾンビ映画的な怖さがあった。
「えっと……二〇分くらい前、ですかね?」
「そ、そんなにぃ……!? ど、どどどど、どうして、こ、声、かけてくれなかったの!?」
感情が高ぶりすぎて、語尾にことごとく『!』と『?』がついていた。
「先輩、集中してるみたいだったし。邪魔しちゃいけないなって思って。迷惑でした?」
「め、迷惑ってわけじゃないけど……み、見られるのとか、その……私、苦手なの……だっ、だから、今度からこういうことがあったら……先に、声とかかけて欲しい……なって」
「すみません。そういうことなら気をつけます」
そりゃあもちろん多少の罪悪感はあったのだ。
罪悪感があったということは、先輩のこういう反応をなかば予想していたということだ。
だったら素直に謝るしかない。非があるのは全面的にこちらなのだから。
まあ、それはそれとして。
「でも先輩、なんの練習してたんですか? あ、昨日言ってた大会の練習とかですか?」
「ん? あ、いやー、こ、これは、そういうのじゃなくってね……」
先輩は原稿を私から遠ざけるように、自分の背中で隠してしまう。
先輩の背後からクシャッと原稿を丸めた音が聞こえたような気がした。
「え、えーっと……あ、そうだ。『まずは、ミキサー室について説明したいと思います』と」
そしていきなり、なんの前触れもなく放送室の説明が始まってビビる。
先輩のセリフはまるで、小学生の劇の発表会みたいに棒読みだった。
「……この部屋がミキサー室っていうんですか?」
「あっ、ちがっ、そうじゃなくてね……こっちは普通に、スタジオって呼んでる……かな?」
「じゃあどうしてミキサー室の説明から始めたんですか」
なんにしてもいきなりだったし、もうちょっと前置きとかなかったのだろうか。
「じゃ、じゃあ、スタジオの説明から……始めるね、うん」
先輩はなんだか危うい感じで、あわあわしながら、それでも必死に頑張ってた。
「えっと……『先ほど説明した通り、こちらのスタジオでは小規模な放送ではなく、大がかりな企画などに使用します。ラジオの収録やドラマの収録などですね』……と」
「先ほどの説明なんてされてないんですけど」
「あ、ああ、ああああ、そ、そうだよね……そうだ、ごめん……変なこと言っちゃった」
「いいんですけどね」
先輩は挙動不審に情緒不安定をかけ合わせたような、すごく危うい状況に立たされていた。そのまま自分の挙動に飲みこまれて、心臓麻痺で死ぬんじゃないかと心配になる。
「えっと。それじゃあ、先に、向こうの部屋の説明してもらってもいいですか? んと、ミキサー室……でしたっけ。私、向こうの部屋が気になってたんです」
私の言葉に先輩の表情がパッと華やいだ。
うん、どうやらこれが正解だったらしい。
「そ、そうだね、やっぱり放送室といえば、ミキサー室だよね!」
先ほどとは打って変わって元気になった先輩は私の背中を押して、そのミキサー室とやらに移動させた。先輩が元気になってくれたなら、私はそれで構わないのよ? なんて。
先輩はミキサー室の中心に私を立たせると、こほんと可愛らしい咳払いをした。
「えっとね……『ミキサー室はおおまかに、放送用のコンソールと編集用のパソコンのスペースにわかれています。これがコンソールで、これがパソコンですね』」
どうやら大量のツマミはコンソールと呼ばれるものらしい。
「『このコンソールで声や音楽、音の調整を行います。ミキサー室という呼び方にしてもそうですが、これらに決まった呼び方はありません。コンソールを卓と呼ぶ部員もいましたし。だから、だいたいそんなふうに呼ばれている程度の気持ちでかまいません。そしてコンソールの横に置いてあるパソコンでは、ミキサーではできない処理や音楽を流すのに使っています』」
「えっと……うんっ、その『ソウナンデスネー』、いやっ……なるほど? なるほど……」
突然、先輩がつらつらと喋り始めたものだから、思わず面を食らってしまう。しかも相変わらずの小学生の演劇だったから、気をつけないとこちらにまで棒読みが感染しそうになる。
「あー……っと、向こうの壁際にあるパソコンとは別の用途なんですね?」
「そ、そうですね……うん、たぶんそうです。『向こうにあるパソコンは主に録音した音声の編集や映像の処理、原稿の作成などに使用します。ここまででなにか質問はありますか?』」
「映像の処理ってことは、行事の録画なんかも放送部が行うんですか?」
先輩の棒読みにも慣れてきて、やっと質問と回答のキャッチボールができてくる。
「む、昔はそうだった……みたいだね。あとは、大会用の映像とか作るのに使ってたみたいなんだけど、私は畑違いだったから、くわしいことはわからないんだよね……ごめんね。あと行事の映像についても、私がひとりになってからは、その、放送だけで手一杯な状況が続いてたから……え、映像記録として残してるのは、最低限のものだけみたいだけど……」
大会用の映像というワードが少し気になったけど、そちらはスルーしておくことにする。
「じゃあ、私が入ったからには、先輩がひとりじゃできなかったこと、いろいろやりましょうね! 楽しみだなぁ……まあ、なにをするのかとか、ほとんどわからないんですけどね」
先輩は目を丸くさせていた。
そういうふうに驚きを表現するひとらしい。
まん丸おめめがパチクリしてて、こちらも釘づけになってしまう。
「そ、そうだね! うん……一緒にがんばろ!」
一瞬、不安が私の身を包みこんだけど先輩も乗り気みたいで安心した。
「そ、それじゃあ、もう一回、スタジオのほうの説明……するね?」
今度は始めに先輩がいた部屋へと戻って、その詳細を説明して貰った。
要約すると、スタジオは本来ならラジオ収録や発声練習などに使う部屋なのだが、現在は学校行事の機材などの物置に成り果てているとのことだった。
こちらはきちんと整理をしたほうがいいかもしれない。
また先輩が足を取られて転倒しないともかぎらないし。
「大丈夫? な、なにか……わからないこととか、なかった?」
「そうですねぇ……今のところはとくにないですかねぇ」
それは同時に、質問ができるほど内容を理解できなかったということも示してるんだけど、始めはそんなものだろう。知識なんて、少しずつ知って、少しずつ深めてゆけばいいのだ。
「よかったぁ……」
一仕事でも終えたみたいに先輩は安堵の吐息を漏らしていた。
先輩は
燃え尽きる一歩手前の様子だったから、スタジオに置きっぱなしだった水を渡す。
「あはは。でもまさか、こんな説明にまで台本を準備してくれるなんて思いませんでしたよ。先輩がさっき練習してたのって……たぶん、今の説明のための原稿ですよね?」
かぁっと先輩の顔が、点火でもされたみたいにまっ赤になった。
紙でも近づけたら、燃え移ってしまいそうだ。
「き、気づいて、たの……!? あう……や、やっぱり……変だったかな?」
「あ、いえ、そんなつもりで言ったんじゃないんです。ただ、なんだか嬉しいなって」
「嬉しい……?」
先輩の小首がこてっと傾げられる。
所作がいちいちあざとくて、息が詰まりそうになるからやめて欲しい。
「は、はい。だって新入生って私しかいないのに、原稿とか用意してくれるって、なんだか私のために時間使ってくれたんだなぁ……みたいな――あっ、変な意味じゃなくってですよ!? そういうんじゃなくって……なんだろ、と、とにかく、嬉しかったんです!」
今度は私があたふたする番だった。
先輩の落ち着きのなさや羞恥の炎が、こちらにまで燃え移ってしまったみたいだ。
顔から燃え広がった火の手が胸まで侵したのか、やけに血液が熱を帯びている。なんでだろう。こういう空気ってホントに慣れない。思わず、変なことを口走ってしまいそうになる。
先輩はそんな私を見て顔を綻ばせてるし。
「あ、そうですそうです! そうでした!」
私は気恥ずかしさをごまかすように、わざと大きな声を出した。
「具体的な活動内容とかって聞いてないなーって思ったんですけど、うちの放送部って、今までどんなことやってきてたんですか?」
先輩の話に登場したのは『学校行事の手伝い』と『スタジオで録音するゲストを招いたラジオ番組』くらいだ。当然、校内放送の企画とかはあるとして、それに加えて大会出場とか? こうやって例挙してみると他の部活よりよっぽど忙しいんじゃないかって気がしてくる。
だけど先輩の反応はあまりかんばしくなく、言葉を濁すように唸っていた。
「……先輩?」
「わ、私がね……一年生のころとかは、先輩がいたりして、いろいろなこと……やってたみたいなんだ。さっき言ってたラジオとかも……うん、このころはやってたんだよ?
「……ということは今はやってないってことですか?」
「んっ」
と意地らしく唸りながら、先輩は力強く頷いた。
おいおい、なんなんだい、その反応。
「確か昨日の放送じゃ、今は大会を考えてないみたいなこと言ってましたよね?」
「んっ」
またもや力強い肯定をいただける。
その力強さを他に回せればいいのに。
「じゃあ去年の具体的な活動って……校内放送とパシリくらいですか?」
「ぱ、ぱしりじゃないよっ!」
パシリはさすがに聞き捨てならなかったのか、珍しく先輩から鋭いツッコミが飛んでくる。
「こ、これも放送部の立派な仕事なんだから……ね?」
「うへぇ……ま、まあ、そうなんでしょうけど、ね?」
でもやっぱり、それが本業なのかと問われれば答えは『ノー』なのだろう。先輩もどこか納得いかなそうな表情を浮かべているわけだし、うん、デリケートな話題なのかも。
「じゃ、じゃあ、今年はそのラジオ番組、復活させましょうよ!」
「わ、私もできれば、放送部っぽいこと……やりたいんだけどね」
先輩の返答はやはり煮えきれない。
「なにか問題でもあるんですか?」
「こ、心塚さんは、ラジオのパーソナリティとかってできる?」
「やってみたいと思ったことあるけど、実際にできるかってなったら難しいかな?」
「ん、んー……そ、そうだよね……私も、そういうの……絶対ムリだから……さ?」
「あー」
昨日と今日の会話でだいたい把握できたけど、確かに先輩はアドリブがまったく利かなそうだ。喋るのはうまくても、話すのはヘタ……私は喋るのは並で話すのも並……みたいな。だけどラジオだという点を加味すると、きっと大きなマイナス補正がかかることだろう。
不特定多数の第三者に向けて話すのは、想像するだけで骨が折れそうだ。
そうやって考えてみると『今のところは難しい』という答えしかなくなってしまう。
「と、とりあえずは……れ、練習とか、放送で、け、経験を積むべき……っ」
先輩は両手を軽く握って、激励でもするように胸の前でこぶしを揺らした。
先輩がやると小学生のお遊戯みたいに見えるから不思議だった。
「んと……うちの放送部は、火曜と木曜のお昼休み……一時から放送してるの」
今日は木曜日のはずだけど確か放送はなかった。
「じゃあ放送の開始は来週の火曜日からですか?」
「そ、そうなるね……」
「具体的にはどんな内容の放送なんですか?」
やっぱり放送部のメイン活動のひとつだから、その内容次第で心持ちも変わってくる。
だけどやっぱり先輩の反応はあまりよろしくない。
「ほ、放送の内容……?」
それだけではなく、疑問を発したがわであるはずの私に対して、疑問を返してくる始末だ。
なにか変な質問でもしてしまったのだろうか。
「私が聞いてるんですよ?」
「きゅ、急にそういうこと聞かれると……困る」
「困っちゃうような放送してたんですか」
しかもいつも通り、先輩ってば顔赤らめちゃってるし、もうなに放送してんだよ。
私の視線からなにを感じとったのか、先輩は慌てふためいた。
「い、いかがわしい放送とかは、だ、だだ断じてしてないよ!?」
「当然ですからね」
先輩の顔ってば、とうとう汗ばんじゃってるし。
……先輩、どんだけいかがわしい想像してたんですか。
そう問うてみたいけど、聞いたら最後、先輩は卒倒してしまいそうだった。
「去年も先輩は放送してたわけですよね?」
「ん……たぶん」
どうしてそこが不確かなんだ。
「そのときはどんな放送してたんですか? ぴんぽんぱーんしてたんですよね?」
「ぴ、ぴんぽんぱーん……」
先輩はぴんぽんぱーんの響きを楽しむように何度かぴんぽんぱーんと口ずさむ。
ぴんぽんぱーんする先輩はバカ可愛いけど、なんだか胸がそわそわしすぎてしまう。
――そ、そんなことより放送の内容を教えてくださいよ!
私が視線で懇願すると、さっきの控えめな咳払いがこぼれる。
「ま、まずね……ぴんぽんぱーんしてね? そのあと、日にちを言って、か、火曜なら今週の行事予定を、木曜なら来週の、予定を言うの……それで、あとは天気予報を読んで、おたよりとかがあったら、それを読んでみたりするかんじ……かな?」
「へへぇー。おたより」
放送の命運を左右するのは、ズバリこのおたよりだと私は瞬時に理解した。
「おたよりって普通どれくらいくるものなんですか?」
「んっとね……昨年度は……一通もこなかった……かな?」
「それ、だれもおたよりなんで制度知らないってことじゃないですか!?」
思わず声を荒げると、先輩もそれに呼応して、あひぃと応えてくれる。
……いやちがくて。今の私が求めてるのはそんな反応じゃなくってね?
「それ、朝のショートホームルームをマジメに受けてたら要らないレベルの放送ですよね」
行事手予定とか掲示板にも書いてあるって先生、言ってたし。
天気予報にいたっては、昼休みのタイミングで知らされても手遅れだし。
「た、た、確かに、そうかも」
先輩もハッとしたような顔で呟く。
どうやら今までその事実に気づかなかったらしい。
「もう、お昼の放送やめちゃおっか」
そしてかろうじて残されていた放送部の良心すらボイコットしようとし始めた。ふてくされてる先輩も可愛い――とか思ってたら、いよいよ放送部が終了してしまいそうだった。
「いやいや! ダメでしょ? なんで先輩ちょっと半泣きで投げやりなんですか?」
「だって……私は今まで、な、なに……してたんだろうなって、思っちゃって」
「うん、それは確かに」
慰められる余地がないくらい、なにしてたんですかって感じなんだけどさ。
「だっ、だからこそ! 今年からは放送部もパワーアップして、もっと面白い企画とかじゃんじゃん出して、生徒が楽しみにするような放送を目指しましょうよ!」
「おっ、おお……」
私の勢いに気圧されてか、感嘆したような吐息を先輩が漏らす。
「そ、そうだね!」
そして両手を握りしめる先輩。
「そうですよね!」
そしてちょろすぎると笑う私。
ダメだよこの先輩。
なんかもう、小動物的な要素が強すぎて、遊びたくなっちゃう。子犬とか見るとわしゃわしゃーって頬ずりとかしたくなる感じで、先輩とわちゃわちゃしたくなる。
「あー……楽しい部活になりそう……」
先輩の口から呟かれた言葉は、単に彼女の思考が漏れでてしまったものだったんだと思う。なんだか夢心地に溺れていて、口がぽけーって開いてしまっていた。このまま放っておくといつまでも夢で終わってしまいそうだったので、私は放送部の現状を知るという本題に戻る。
「お昼の放送についてはわかりました。あとはどんな活動をしてたんですか?」
「んっと……放課後に発声練習とか……発声練習とか、あとは、その……発声練習とか?」
「発声練習しすぎじゃないですか」
ここは何部なんだって何度目かもわからないツッコミが頭に浮かぶ。
「は、発声練習はいくらやっても、やりすぎってことはないんだよ!?」
先輩は半泣きになりながら言った。どうやら発声練習は先輩のアイデンティティであるらしい。もう少しまともな精神の拠り所を見つけて欲しいと願ってしまう。
「そうじゃないの、そうじゃなくって……」
どうして私までこんなに必死にならなくちゃいけないんだ。
「じゃあもうあれだ、去年は毎日、放課後に放送部で発声練習して帰ってたの!?」
案の定、んっと力強い肯定をいただける。
「まじか……」
こうも力強く頷かれてしまっては、もうなにも言うべきことなんてない。
私の完敗だ。
「放送の内容だけじゃなくて、部の活動自体を変えてかないとダメみたいですね」
「ダメ……かな?」
「このまま正確な発声方法を身につけ続けたいなら私はそれでもいいんですけど」
「そ、そうだね……心塚さんは初心者だし、も、もう少し考えたほうがいいよね」
先輩はぶつぶつと発声練習やら、アナウンス練習やら、滑舌のトレーニングやらと呟いている。慣れてきたらNコンとか考えてみたほうがいいのかな? みたいなことも言っていた。
えぬこん?
「先輩先輩、えぬこんってなんですか?」
「あ、ああ……そうだよね、Nコンって言ってもわからないよね。んっとね……Nコンっていうのは、全国高校放送コンテスト? っていう大会のことで……放送部の甲子園みたいな?」
「放送で言ってた大会ってそのえぬこんのことだったんですか?」
「そうなるね……でも、心塚さんはどう……? 大会とか出てみたいって思う?」
「んー、まだ放送のなんたるかもわかってない状況なんで……明言はできないですかねぇ。具体的に大会ってどんなことをやるんですか? ディベートとかですかね?」
「でぃ、ディベートは弁論部とかでやるんじゃないのかな……わ、私もよく知らないけど。放送部の大会はね、アナウンス部門とか、朗読部門とか、ドラマ部門とか……そういう放送関連のいくつかの部門にわかれてて、それを実際に発表するんだ。あ、あれは地獄だよ……」
なにを思いだしてしまったのか、先輩はぶるぶる震えていた。
先輩があまりにも脅えてたから深く追求できなかった。
「……それじゃあ、明日から……実際に練習とかやってみよっか。それと、よ、余裕とかあったら、火曜から始める放送についても話し合いたいかな……いいかな?」
「はい、わかりました。また放課後でいいんですよね?」
「ん。ほんとは昼休みにも控えておいて、生徒とか先生の呼びだしをするのも仕事だったんだけど……部員が私しかいなくなっちゃってから、なくなったんだ。そういう仕事は、たぶん先生が割り振ってくれるから……とりあえずは心配しなくていいかな。あっ、そ、そうだった」
先輩はなにかを思いだしたみたいな声を出すと、リュックから紙切れを取りだす。
「これ、入部届。もらってきたから、帰る前に書いてくれると助かる……かな?」
「ああ、私もすっかり忘れてました」
全体的にゆるゆるすぎて部活であることすら忘れてしまいそうだったし。
私にとっては二枚目の入部届だったため、淀みなく記入を済ませられた。
筆箱に入っていたシャチハタで印を押し、入部届を先輩に手渡す。
「ん、それじゃあ……これは私のほうから鎌村先生に出しとくから」
「そういえば、そのカマムラ先生……? 私、まだ会ったことないんですけど、部活に顔を出したりとかしないんですか?」
私の感覚からしてみれば、そこからして異常だった。
部活ってもっと顧問が出しゃばってきて、いろいろ説明とかするもんだと思ってた。少なくとも中学のころのバスケ部はそうだったし。それに放送部なんて学校行事と深くかかわってくるものだから、生徒任せにしないほうがいいのでは? とくにこの先輩の場合は。
「どうなんだろ。今まではあんまり、それこそ……行事とかのときに指示をくれるくらいだったけど……今年は心塚さんもいるし、ちょっとは変わるかも……私のほうから頼んでみる?」
「あ、どういうふうになってるんだろうなーって思っただけなんで……ムリにとは……」
いちいち教師に指示とか出されるの、私は苦手だし。
先輩が練習を教えてくれるならそれに越したことはない。
だから正直、先生はあんまり要らないかな、とすら思う。
「わかった……それじゃ、指示をもらってくるだけにする……ね」
そこまで言ったところで、先輩は疲労を色濃く反映させた重たい息を漏らした。
昨日はほとんど無言で貫いたけど、今日は頑張って喋ってくれてたからな。
思わず、頭を撫でたくなる活躍ぶりだった。先輩と後輩の立ち位置が逆だったら、ホントに撫でてたかもしれない。撫でて撫でて、撫で続けていたかもしれない。一度そうなると歯止めが利かなくなりそうなので、これはこれでよかったのかもしれないけど。
「じゃ、急ぎの質問とかなかったら、今日は、終わりにしようかと思うけど……?」
先輩は下から私を見あげる。
その目は『私は疲労困憊ですよ』という意志を発するように潤み、瞳が震えてた。
「はい、大丈夫……かな? うん。また明日、よろしくお願いします」
「んっ、待ってるから」
少し語尾を跳ねさせて、ご機嫌さをあらわにする先輩。
それじゃ。
さようなら。
また明日。
と互いに別れを告げて、放送室をあとにする。
そういえば片づけとか施錠は後輩の仕事なのでは? と今さら体育会系の年功序列を思いだすけど、このタイミングで戻って、カギは私が返しておきます! というのもおかしな気がした。明日、タイミングがあったらそういう力関係とかをハッキリさせておこう。
このままじゃ先輩、腰が低いままだろうし。
……というか放送部って先輩がひとりってことは、あのひと部長なんだよなぁ。
部長会議とかどうしてんだろ? 放送で参加とかしてるのかな。あまり褒められた妄想ではなかったけど、唯一それが、先輩が他者とまっとうに話せる道であるようにも思えた。
『帰宅できるの早くてもでも八時ごろになりそうだから、先に帰ってていいぞ』
そんな簡素な文面。
もともと彼女のメッセージなんて女学生にあるまじきシンプルさだったけど。
私は私で両手でOKマークを作ってるクマのスタンプを送信してからメッセージを返す。
『私は今終わったとこ。そっちは大変そうだ。練習頑張ってね!』
当たり障りのない文面を読み返すと、わけもわからず情けない気持ちになってくる。
沈む夕陽に溺れるようにして、ひとりで行く帰路は、いつもより長く感じられた。