緒輪島紗和
私はひとの群れが苦手で、それ以上に教室の喧噪が苦手な人間だった。
だから昼休みなんかの空き時間は基本的に放送室に入りびたっている。
カギは顧問の鎌村先生が私に一任してくれているから問題ない。そんなに管理が緩くて、せきゅりてぃとか大丈夫なのかな? って思うけど、放送室のカギを使ってできるのは、それこそ放送ぐらいだ。それ以外はこうやって昼休みに使うくらいしか用途はない。だから鎌村先生が私にカギを任せているのは、信頼からではなく、いちいち職員室にきた私にカギを渡すのが面倒だからなんだと思う。私も職員室に行くのは苦手だから、その
そんな私は今なにをしているのかと言うと、部活について学校唯一の友人に相談中だった。
目の前で野菜ジュースを啜るその友人は、面倒臭そうな表情を浮かべている。それでも、いつだって私につきあってくれているのだから、心の底は優しい性格をしているんだと思う。
「……で、部のことで相談ってなにかしら。私は委員会で忙しいから、放送部の仕事は手伝えないって口が酸っぱくなるくらい言っているはずだけど。それに、私たちはもう三年なのよ? 三年生の私が入っても半年たらずで辞めるわけだから、部の延命には繋がらないと思うわ」
その友人――
口を挟む暇がないくらいだったので、私は口を噤むしかない。
初海ちゃんが赤い色の野菜ジュースを啜るタイミングを見計らって口を開く。
「えっとね……? そうじゃなくて、相談っていうのは、こ、後輩のことなの」
「紗和に知り合いの後輩なんていたの?」
意外そうに聞いてくるものだから、私は再び返答を失ってしまう。いやいや、私にだって後輩ぐらいいますし……おとといまではいなかったけど……昨日、できましたし。
と心の中で抗議するけど、残念ながら口から言葉が出ていってくれない。
私の言葉は私と同じように、狭くて暗い所が好きなのかもしれなかった。
「私はべつに怒ってるわけじゃないんだから、いちいち『あうあう』しないで」
「う、うん。それがね、昨日、あの放送のあと……入部希望者がきてくれたの」
「へえ? よかったじゃないの。相談することなんてないように思えるけれど」
初海ちゃんは簡単に言ってくれるけど、後輩ができたことのない私には、心塚さんにどんなことを教えればいいのかわからないのだ。なによりひとりで行う放送部に慣れすぎてしまっていたせいで、だれかと一緒に部活をするという感覚自体、まったく思いだせなかった。
「先輩が教えてくれたみたいに、紗和もやってみればいいんじゃないの?」
「……でも、私って……ああだし」
うまく言葉にできなかったので、私はマイクをちらりと見やりながら呟いた。
それだけで初海ちゃんは、ああ……と、納得してくれたみたいだった。
「紗和のあれは病気みたいなものだもの」
「びょ、病気って……ばっさりと言うね」
「ばっさりもなにも、放送でのあなたと普段のあなた、ほとんど別人じゃないの。たぶんクラスメイトも『放送室のお姫様』の正体があなただってこと気づいてないと思うわよ」
「お、お姫様って言うの、やめてっ!」
その呼ばれ方、すっごい恥ずかしいんだから! 一部の生徒が正体不明の放送部員(私)のことを、その声を揶揄して、そう呼び始めたらしいけど……お姫様はさすがに恥ずかしい。
でも初海ちゃんが、私の
私は小学校のころから引っ込み思案で人見知りが激しかった。
それは自分で『治さなきゃ』って感じるほどに深刻なものだった。
そんな私がリハビリ代わりにと選んだのが放送委員会だったのだ。
『放送ならみんなの顔は見えないし、マイクに向かって話すだけだから恥ずかしさも薄れるはず。それでも充分恥ずかしいけど、これくらいしなきゃリハビリにはならないだろうから』
みたいなことを小学四年生の私は、幼いなりに必死に考えていた。
だから四年、五年、六年、それから中学の三年間の合計六年間を私は放送に費やした。
その成果はめざましいものだった。私の放送技術はすごい勢いで上達していって、気づくと高校で入部した放送部の中でも一目置かれるほどの存在になっていたのである。
だけどそれは放送室の中――いや、放送の中だけの話だった。
当初の目的だったはずの日常会話の改善はまったくできず、むしろ悪化した節さえある。それもそのはずで、放送室という特殊な環境が鍛えてくれるのは、ただしい発声方法やイントネーションなどであって、日常会話やコミュニケーションの技術ではなかったのだ。
それに気づくのが遅すぎたせいで私は初海ちゃんに病気だと揶揄されるまでになってしまっていた。確かに自分でも、これはもしかしたら二重人格の一種なんじゃないかって不安になるほどだった。それくらい、なにからなにまで日常生活での私と放送中の私は異なっていた。
「確かに紗和は後輩指導とか一番苦手そうね」
二本目の――今度はオレンジ色の野菜ジュースを啜りながら、初海ちゃんは言った。
「でも後輩指導も日常会話とは異なるものなんじゃないの? 先輩と後輩って役割がしっかりしている分、クラスメイトとの会話よりよっぽどわかりやすいと思うけど。それこそ放送みたいなものだって割りきって、台本とか作ってみたらどうかしら」
「おお……」
私の口から感嘆の言葉が、ついでに目からは鱗がこぼれ落ちた。
ぽろぽろぽろ。
そんなチープな効果音すら聞こえてきそうだ。
「さ、さすが初海ちゃん! それなら私にも、できる気がする。台本、いいかも」
「あんまり台本を過信すると、アドリブが効かなくなりそうだから注意だけどね」
「う、うん……気をつける」
私の場合、気をつけてどうにかなる問題でもなさそうだけど。
朝から憂うつだった問題が解決して、少しだけ気分が軽くなる。そんな私の変化を見ていた初海ちゃんが、なにやら『物申す!』みたいな雰囲気を醸しだして、語りかけてきた。
「イヤなら放送部なんてもう潰しちゃうのもありだと思うけど」
「へ? それって……どういう?」
「放送部なんて名ばかりで、実質は学校行事の雑用係に成り果ててるじゃない。スピーカーとかマイクとか、会場設営の準備とかに駆りだされて、いいように使われてるだけだし」
「うっ……それは……」
ときどき、その会場設営を手伝ってくれてる初海ちゃんにそれを言われると、なにも言い返せない。確かに彼女の言う通りで、大会などの出場を考慮していない現在の放送部は、行事のときだけに体良く利用されるだけの便利屋になってしまっていた。
だけど同時に、それが『部員がひとりしかいないにもかかわらず、部としての権限を与えられている条件』みたいなものだから、ある程度は仕方がないと割り切っていた。
「そうまでして部としての体裁を続ける意味ってあるのかしら。私だって紗和の放送の技術は認めてるわ。でも今年だって大会に出場するわけじゃないんでしょう? 鎌村先生は紗和のそういう才能を買って、部を存続させてくれてるんだろうけど、でも……いや、だからこそ、そういう期待に応えられないなら、ひと思いに辞めてしまうのもありだと思う」
初海ちゃんが私のことを想ってそう言ってくれていることは理解できた。
だから私も真摯にその言葉に対応しないといけない。
「ありがと。でもね、私……その子のために、もう少し放送部、続けてみたいの」
「……………………」
私を試すような沈黙が続いた。初海ちゃんは私の胸中を探るように、ジッと目を見つめてくる。それは無理やり、自分を見つめなおす時間を課されているような、そんな沈黙だった。
だけど何度考えなおしてみても、私の答えは変わらなかった。
それが自分でも、少しだけ意外だった。
「私の答えは変わらないよ」
「だれかに義理立てして、紗和がムリしてるなら、それはおかしいと思うけど」
「ううん、そうじゃないよ」
私の口からは自然な形で否定の言葉が出てきてくれた。
「その子はね……あっ、心塚さんって言うんだけど……心塚さんはね、私の放送を聞いて、放送室に来てくれたんだって。私の放送をね、いいなって、そう思ってくれたんだって」
あらためて言葉にしてみると恥ずかしくて、顔が熱くなってくる。
だけど同時に、私の胸のうちに暖かなものが満ちてくる。
顔の熱が胸へとおりてきたわけではない、と思う。
ただ、こんなふうに満ちたりた暖かさを感じるのは産まれて初めての経験だった。
「……そう。紗和がそこまで言うのなら、いいんじゃないかしら? 応援してるわ」
「あ、ありがと……初海ちゃん」
初海ちゃんとの会話を通して、自分の考えを整理することができたような気がする。
うん、大丈夫だ。いや、大丈夫とまではいかないけど、頑張ろうって、そう思えた。
「じゃあ放課後まで時間もないし、さっそく『指導用の原稿』に取りかかったら?」
「そ、そうだね! うん、そうだ。そうだ……」
私は慌ててルーズリーフを取りだし、紙面にシャーペンを走らせる。
まずどんなことを教えるべきだろう。放送室の備品の説明と放送のやり方――あ、放送のやり方については実演してみせる必要もあるのか。それに発声練習とイントネーションの矯正とか? いろいろと読んでもらうべき本もあるだろう。
――たはは……先輩って大変だったんだな。
私は今さらながら、そんな当然のことを思い知った。それは目が回ってしまいそうな大変さだったけど――それでも、その大変さはどこか胸が弾むものだった。