18章 紳士なオークを目指します


 町を出入りする人々から奇妙な者を見る目で見られているのがぼくです。

 ヌヌの町に戻ってきたものの、いざミュケに会うとなると、足がすくんでこれ以上先には進めなくなってしまうのです。進むか、戻るか、そんな二択はすでに意味をなくしていて、進むと決意していても、勇気が湧いてこないのです。

 もし、拒絶されてしまったら、もし、話も聞いてもらえなかったら。悪い想像ばかりが頭の中を巡って、ヌヌの町に入れません。

 しかし、いつまでもこうして躊躇っていても、なにも解決しません。スクレットさんの言葉を胸に、ぼくはようやく足を一歩踏み出しました。


 ひさしぶり、といっても、ひと月も出ていたわけではないので見慣れた光景です。

 町は賑わい、道行く人々は活気に溢れ、亜人たちも楽しげに歩いています。この町に来た当初は、たいした感慨もなくこの光景を見つめていましたが、人間と触れ合ったいま、人間と亜人がともに生活しているという事実は、かけがえのないなにかなのではないのでしょうか。

 ゆっくり、ゆっくりと「森の出口亭」に近づいていって、いよいよぼくの緊張が最高潮に達しました。はやる心臓の鼓動を抑えようにも、耳元で脈動しているかのような心拍音に吐き気さえ込み上げてきました。

 どんな意図の告白でも、緊張は避けられないのでしょうか。

「森の出口亭」に到着したと同時に、扉の向こうから懐かしい声が聞こえてきました。思わず頬を緩めてしまいましたが、どたばたとあわただしげな音まで一緒に聞こえてきて、反射的に扉から離れました。

 勢いよく開かれた扉から、転がるように飛び出てきたのは旅装束に身を包んだミュケでした。背中には大きな麻袋を背負っていて、これから遠出をするとひと目でわかる格好をしていました。

「もう我慢できない! オリネさんはこんな書き置きがあって、ルトが本当に帰ってくると思ってるの!?

「彼は紙1枚を残していなくなってしまうような人ではないことを、ミュケちゃんがいちばん知ってるんじゃないの?」

「でもっ、もう何日も帰ってきてないじゃない!」

「だから、それは……あら、まぁ」

 聞いたかぎりでは、ぼくを探しにいこうとするミュケをオリネさんが止めていたようですね。ミュケにもオリネさんにも、やはり迷惑をかけてしまいました。

 突然満面の笑みを浮かべたオリネさんを訝しんだミュケが、怪訝な表情で振り返りました。ぼくとばっちり目が合ってしばらく呆然としたあとに、ミュケの瞳からたくさんの涙がこぼれ落ちていきます。

 ああ、泣かせてしまいましたね……。

 オリネさんには仕方ないといったふうに肩を叩かれ、クレナルさんには盛大に罵られ、ミュケにはたくさん泣かれて、ようやくぼくはここに戻ってきたことを実感しました。

 気を遣ってくれたオリネさんとクレナルさんに、ミュケとふたりで部屋に押し込まれて、ちゃんと話し合うまで出てくるなとまで言われてしまいました。

 なにから話せばいいのか、いまだ涙をぬぐうミュケにどんどん口が重くなって、部屋には沈黙が満ちてしまいます。

「……ねえルト、ちゃんと話して」

「──! はいっ」

 泣き笑いの表情で、優しく言ってくれたミュケに、いよいよ腹を括りました。

 どうしてぼくが出ていったのか、そのきっかけと、ぼくが考えていたこと。なぜここに戻ってきたのか、それまでにあったこと、ぼくが思ったこと。

 ひとつとして隠すことはなく、ぼくはすべてをミュケに話しました。

 すべてを吐き出してようやく、肩が軽くなったような気がします。

「もう、バカっ! ルトのバカ!」

 すべてを聞いたミュケが開口一番に言ったのは、ぼくを罵る言葉でした。

「はい、ごめんなさい……」

「ちがうよっ、そういう意味のバカじゃないの。ルト、考えすぎだよ」

 ふと顔を上げてみれば、目元を赤くしながらもほほ笑んでいるミュケでした。

「あのね、ルトが読んだ本って、人間の本なんでしょ?」

「はい、おそらく」

「だったらわたしには当てはまらないよ。全然、ぜーんぜんルトのこと不誠実だとは思っていないもの」

「え……?」

「簡単な話よ? わたしはルトがちゃんと見てくれていること、知ってるから。だから全然平気よ? ふふっ、それに」

 ぼくはもう、なにがなんだかわからなくなってしまいました。でも、ミュケが笑っていることだけは、しっかりと理解できています。

「わたしの好きな人がモテモテなんて、優越感に浸れるじゃない?」

 思わず、笑ってしまいました。



 なんてことのない、そう、ミュケの言葉どおりにただただ考えすぎていただけなのかもしれません。ぼくは人間ではないし、ミュケも人間ではありません。それに人間だからとなにかひとつの価値観でものを考えるのは、単純すぎるということなのでしょう。

 でも、心配をかけてしまったことは確かです。いつか、ミュケのプレゼントをしたい、と考えて、ちょうどよいものがいまぼくの手元にはあります。

「あの、これ……人間には贈り物という習慣があるみたいで、ぼくもそれに倣っていろいろと考えてみたのですが、ミュケに送るならこれがいいかなと。だから、受け取ってくれませんか?」