仲間のオークたちに別れを告げたときと同じように、愛用の槍と着替えだけを持って、ヌヌの町を出ました。
大地のはるか向こう、海のずっと先から登ってくるという太陽が淡く町を照らすのを最後に、ぼくは一度も振り返ることなく、歩き続けました。
どれくらい歩いたのか、道中はおぼろげでした。
目的地はなく、ただたださまようばかり。食料は森での経験から困ることはありませんでしたが、あまり味を感じることができません。
町を出てからずっと、胸の奥が罪悪感で痛んで、ときには息ができなくなるほどでした。ですがこの痛みはぼくの罪の証です。逃げることも、和らげることも許されない罪なのです。
ただ甘んじて受け入れるだけでは、きっと足りないのでしょう。いまなら人間が神にすがる気持ちが、少しだけわかったような気がします。
誰かにすがること。すがり、罪を告白する。それができれば、気持ちは軽くなるのです。
ですが、そんなことをしたからといって犯した罪がなくなるわけではないのです。決して浄化されず、消えず、常につきまとうのが罪。人間が誰かにすがるのは、それをよく知っているからなのではないでしょうか。
少なくとも、ぼくたちオークに女性をさらったことに対する罪の意識はありませんでしたから。
善と悪の境目をはっきりとさせている人間だからこそ、罪という概念が誕生したのではないでしょうか。
いつしか丘陵地帯を越えて、深い谷を下っていました。このあたりはどうにも見覚えがあります。
深緑の草花はほとんど荒らされないためか、たくましく空を向いています。人の往来がないせいか、道らしい道はなく、険しい坂を上り下りする必要がありました。
埋没している岩の一部分が突き出ていて、気を抜くとすぐにつまずいてしまいます。
どこからか獣のうなり声が聞こえてきて、とっさに木の陰に身を隠してやりすごします。こうしていると、森に住んでいたころを思い出して、なんだか懐かしい気持ちになってしまいますね。
まったく人の手が入っていないせいで木々は伸び放題、鬱蒼と生い茂っていて、正直なところどうにも不気味でした。こんな光景を見てしまえば、確かに誰もこんなところ、通りたくはないでしょう。
なにより、獣の存在です。
人の手が入っていないということは、数多くの獣たちが跋扈していることでしょう。そんな獲物たちを狙って、魔獣が徘徊していても不思議ではありません。
この谷を通るたびに被害報告が上がり、それが悪循環となって誰もここを通りたがらなくなる。だからこそ、この谷はここまで自然で満ち溢れているのでしょう。
魔獣を警戒しながら、道中で綺麗な川を見つけました。水の底がくっきり見えるほど透きとおっていて、ほぼ真水に近い水質の川のようでした。
これだけ綺麗な水だと、魚は住めないのではないでしょうか。だからといって飲み水としても適さないので、この川に用はありません。しかし不思議と気になってしまいました。
せり出した岩肌は苔むしていて森では見たことがない動植物がたくさん存在していました。しかし、それらに興味は湧かず、ただ延々と無感情に歩いていきます。
そんな折のことです。
急勾配の向こう側から、なにやら音が響いてきます。
硬質な、鉄同士を打ち合わせたかのような金属音は、容易に戦闘の音だと気づかせてくれます。
様子だけは見ようと、岩肌に身を隠しながら顔を出すと、山賊らしき身なりの男たちに、ひとりの男性が立ち向かっていました。
防具の類は身につけておらず、散歩に来た村人といった服装の彼は、似つかわしくない鉄の剣を手にしていました。
抜き身の剣先が地面に向けられたまま、構えることもせずに男性が山賊たちに歩み寄っていきます。
まるで、これから話をしにいくかのような足取りの軽さでした。
山賊たちは各々の武器を掲げて粘着質な笑みを浮かべています。
獲物がのこのことやってきたのですから、当然といえば当然でしょう。しかし、ぼくには山賊たちが猛獣の入れられた檻に喜び勇んで飛び込んだようにしか見えませんでした。
気の逸った山賊がひとり、身の丈ほどもある大斧を振りかぶって男性に飛びかかりました。
たったひとりに対して、山賊たちが動けなかったのはほかの理由があったのでしょう。
それは、得体の知れなさです。
山賊たちを見ても、逃げるどころか立ち向かうなんて芸当ができるのは、相応の実力を持つ人間か、あるいは己を過信する愚か者かのどちらかです。大半は後者だと思うのかもしれません。しかし、面と向かい合っている山賊たちには、奇妙な圧力を感じていることでしょう。
それは己を過信した愚か者には決してない、威圧感です。
知らずのうちに冷や汗を流していた山賊たちは、男に立ち向かった仲間が現われたことにひそかに安堵している様子でした。
自分ではなくてよかった。どうせ、見せかけだけだろう。山賊たちの胸に、謎の確信が生まれたときでした。
大斧の刃が彼らの足元にまで飛んできたのです。
その切り口は一片の翳りも見当たらず、驚くほど滑らかでした。
それを見れば、並の使い手ではないことがはっきりとわかって、山賊たちは唖然と、胴からふたつに分断された仲間を見つめていました。
それからは一方的な蹂躙でした。逃げようとする山賊から真っ先に首を落とされ、足がすくんで動けなくなった者を後回しにして殲滅していく。
まったくの容赦がない苛烈な戦闘は、ほんの数分で終わってしまいました。
立ち去るタイミングを逃してしまったぼくは、結局最後までそれを見てしまって、少しばかり気分が落ち込みました。ですが、落ち込んでばかりもいられません。あれだけの使い手であれば、気配の察知だってうまいはずです。見つからないうちに逃げるのが、いちばん面倒のない方法でした。
「最初からそこにいるのはわかっているよ」
ぼくが身を隠していた岩肌に、鉄の剣が深々突き刺さりました。
ああ、どうやら最初から見つかっていたようですね。
「すみません、危害を加えるつもりはありませんから……あれ、スクレットさん?」
「きみはいつぞやのオークくんじゃないか! こんなところで、どうしたんだい?」
やはり、この谷に見覚えがあったのは勘違いではなかったようでした。
以前、縁があって行動をともにしたことがある、剣聖と呼ばれる人間の方との再会でした。
*
「それにしても驚いたよ。まさかオークのきみと再会することになるなんて」
「同感です。ぼくも、スクレットさんとはもう会うことはないんじゃないかと思っていましたから」
片や人間から目の仇にされているオーク。片や隠居して他人と関わるのをやめた過去の英雄。不思議な縁もあったものですね。
スクレットさんの案内で、ぼくはいつぞやにお邪魔した彼の住居に、再びお邪魔することになりました。
あいかわらず静かなところで、心が落ち着いてくるような心地の、不思議なお家です。
以前お邪魔したときには、ぼくとスクレットさんのほかにもうふたり女性がいたため、ぼくは外で寝起きしていました。ですが、こうしてあらためて見るとひとりで住むには少しばかり広いような気がします。
ふと、部屋を眺めたときに寂寥感を覚えてしまいそうな、そんな広さです。
「オークくんはあのあと、どうしていたんだい?」
「無事に元いたところに帰って、穏やかに暮らしていましたよ。ああ、騎士さんとシスターさんの知り合いができたんですよ」
「へえ、さすがに森辺の町といったところかな。辺境に行けば行くほど、他種族との境界線は緩くなるみたいだね」
どうやら、人間たちはヌヌの町を森辺の町と呼んでいるようですね。確かに、これほど森に密接した町はどこにも見当たらないのかもしれません。森に近づくということは、それだけぼくのような存在に近づくということですから。
そう考えると、あの町はいささか以上に特殊なのでしょう。人間もそれ以外も、みながみな一緒に生活しているのですからね。
人間の言う、オークのような魔獣も一緒に暮らしていますから、外の人間には信じられないのでしょう。
……そう考えると、ぼくのようなオークが受け入れられていたのは奇跡だったのかもしれません。もう戻れないからこそ、思い出にある町はまぶしいです。
「しかし、どうしてまたこんな辺鄙なところに? 人間の町に行ってみたい、というのは正直おすすめできないけれど……」
「いえ、そういうわけではありません。ただ……」
「ただ?」
ずきずきと胸が痛み始めました。本当のことを言ったところでぼくの罪は消えません。ミュケの笑顔が明滅して、いっそう息が詰まります。
「少しばかり遠出をしたら、迷ってしまって……あはは、これでも森は慣れているつもりだったのですが」
「なるほど。それは災難だね。というか、森で暮らすオークも迷わせるなんて、あそこはいよいよ誰も通らなくなるね。それこそ山賊だって根城にもしなくなりそうだ」
苦笑するスクレットさんに白々しい笑みを浮かべて、ぼくはごまかしてしまいました。
「よかったら今日は泊まっていかないか? 用事がないのなら、人間の生活を堪能してみてもいいかもしれないよ? まぁ、僕の生活は隠居生活だけどね」
ありがたく、スクレットさんのご厚意に甘えることにしました。
しばらくスクレットさんの元でお世話になることが決まって、このままなにもしないというわけにはいきません。なにかできることは、とスクレットさんに聞いてみたところ、畑から野菜を採ってきてほしいとのことでした。
小屋の裏にある庭は、なかなか大きくて家庭菜園を超えているように思えました。なんでも、たまに近くを通る行商人に宿として提供し、見返りに生活用品と交換しているため、多く育てているそうです。
人のしがらみを嫌って山奥に引っ込んだのに、結局は人の助けを借りなければ生きるのもままならない、とスクレットさんは自嘲していました。
……人はひとりでは生きていけない、と本で読んだことがありました。しかし、それは単にひとりで生きていくには物が足りない、なんて単純な話ではないのかもしれません。
整然とした畑におそるおそる足を踏み入れると、驚くほど土の匂いが近くに感じられて、不思議な気持ちになりました。
ぼくたちオークは森の実りを採るとこはあっても、自らで育てることはありません。こうして自給自足をする、という行為は、ひどく新鮮でした。
植えられている植物はヌヌの町で流通しているものと、まったくの初見のものがあります。見たことがないのは人間領でしか栽培されていない植物なのでしょうか。
言われたとおりの数の野菜をかごに収穫していって、終える頃には日も暮れ始めていました。
小屋に戻ると、スクレットさんが台所に立っていて、鍋をかき回していました。
「やぁ、お疲れさま。うちの畑はどうだった?」
「すごいですね。人間はみんな、ああいった畑を持っていると聞いたのですが、ヌヌの……いえ、森辺の町では畑はあんまり見ませんでしたから、驚きました」
かごを手渡すと、スクレットさんが苦笑しながら野菜を切り分け始めました。
その手つきは鮮やかで、料理人にも劣らない腕前なのではないでしょうか。
「へえ、森辺の町に畑は少ないのか。まぁ、森が隣にあるならそっちから採れるしね。あそこは辺境なわりに商人が足を運ぶから、そう問題にもならないのかな」
「どうなのでしょうね。確かに人も亜人も多くて、毎日活気で満ち溢れていましたから」
「そうか。それはいい町だね。僕も一度、旅行しにいこうかな」
「あはは、それはいいですね」
歓迎しますよ、と口をついて出そうになった言葉を、あわてて飲み込みました。
あそこにはもう帰るつもりはありませんから、残念ながら案内できそうにありません。
楽しげなスクレットさんに水を差すこともできず、ぼくはただ黙っていました。
*
目が覚めればすでに日は昇りきっていて、ぼくはあわてて飛び起きました。
まずいです。完全に寝過ごしてしまいました。
ぼくが寝過ごしたときにはいつもミュケが……ああ、そうでしたね。
よく見回してみれば見慣れない部屋で、スクレットさんのご厚意に預かって部屋を貸してもらったのでした。
寝過ごしたのはひさしぶりでしたが、無理もないでしょう。たった1日で、人間領からもっとも離れたヌヌの町から、スクレットさんのお家にまでやってきたのですから。
スクレットさんのお家が人間領のどこにあるのか、詳しくはわかりません。
ご本人が言うとおりに隠居生活をしているのなら、町から遠く離れた場所に居を構えているのでしょうから、人間の町の中心部からは相当離れているのだと思います。
スクレットさんは家族に裏切られた、と言っていました。
ぼくたちオークが穴倉に住む同胞がすべて家族です。父や母といった概念が薄い代わりに、種族みな家族という認識があります。
しかし、人間は違うと聞きました。血のつながりを重んじ、家族と他人を明確に区別する。
それだけ家族とのつながりが強いのに、スクレットさんは裏切られてしまった。
人間はぼくが想像する以上に複雑な生き物のようです。
朝食を済ませたあと、ぼくはスクレットさんに断ってから周辺を探索することにしました。
というのも、以前ここにお邪魔したときは状況が切迫していたので、まともに見て歩くことができませんでした。
いずれは伯爵領──現伯爵領なのか元伯爵領なのかわかりませんが──にも足を伸ばしてみたいですね。
そうだ、どうせなら隣国にも行ってみたいところです。宝石、というものがどんなものか、この目で確かめてもいいかもしれません。
もし──そう、もしもミュケにプレゼントを贈るとしたら、宝石なんてものもいいのかもしれませんね。
小屋に戻ると、誰かお客さんが来ているようでした。ぶしつけだとは思いましたが、ぼくがここにいることが知れてはまずいと思い、こっそり窓から小屋の中を覗いてみました。
笑顔のスクレットさんがお茶を運んできて、それを受け取ったのがなんとフェーレさんでした。
彼女はゆったりとしたローブを着ていて、初めて会ったときよりもずっと顔色がいいみたいです。もしかして、と思って部屋を見回してみると、扉の近くには鉄の胸当てを身につけたカリアさんもいました。
おふたりとも元気そうですね。安心しました。
あれからの経過がまったくわからなくて少しばかり気がかりでしたが、フェーレさんの笑顔を見るかぎりではその後も問題なく暮らせているようです。
ぼくのことを知っているふたりとはいえ、ふたりの前に出るのは少々気まずいですね。あのとき、いわばふたりを騙したのです。必要だったこととはいえ、罪悪感があります。
それに、ぼくとはもう関わらないほうがいいと思うのです。ぼくたちの邂逅はあれっきりで、ぼくのようなオークがいることは早く忘れてしまったほうがいいに決まっています。
亜人ならまだしも、本来ならぼくら魔獣と呼ばれる種族と人間は敵対しています。一方的に敵意を向けられているとしても、対立していることには代わりないのです。
フェーレさんは貴族だと言いました。であれば、もし万が一、ぼくと親しげにしているところを誰かに見られてしまえば、それこそ大問題になってしまうかもしれません。
最悪の場合、フェーレさんになにか不幸が降りかかってしまうかもしれないのです。それを考えれば、やはりもう二度と関わるべきではないのです。
楽しげに談笑する3人をしばらく見守ってから、ぼくは森のほうで待つことにしました。ここならばおふたりに鉢合わせすることもないでしょう。
遠目で小屋のほうを確認すると、ちょうどフェーレさんとカリアさんが出てきたところでした。
そのままスクレットさんと数度言葉を交わして、彼女たちは徒歩で去っていきました。
時間を置いて小屋に戻ると、スクレットさんが少しばかり残念そうな表情を浮かべました。
「遅かったじゃないか。ついさっきまでフェーレとカリアが……ほら、前にいろいろやっただろ? あの子たちが来てくれていたんだけど……」
「ええ、知っていますよ。あのおふたりがいたときに戻ってきましたから」
「じゃあ、どうして?」
「あれはもう、終わったことですから。同じ人間のスクレットさんならいいですけど、魔獣のぼくと親しくするのは問題になってしまいそうで」
「それは……でも、せめてひと目顔を出すくらいはよかったと思うよ。ふたりとも、きみのことを心配していたから」
心配、ですか。なんだか、カリアさんに罵倒されていたころが懐かしいですね。
「そうだ、実はフェーレからおもしろい話を聞いたんだ」
「おもしろい話ですか?」
「うん。僕たちが再会した深い谷があっただろう? どうやらあそこからは原石が採れるらしいんだ」
「原石、ですか?」
「そう、宝石になる前の石さ」
宝石になる前の石……ということは、宝石は加工されて初めて宝石になるんですね。
「それは、気になりますね。実は、スクレットさんから宝石の話を聞いたときから、ひと目見てみたいと思っていたんですよ」
「おお! それなら明日にでも探しにいこうか。ああ、でも採掘道具がないな……少し手間がかかるけど、買いにいこうか」
「でも、どうして突然そんな話が? 宝石には高い価値があって、高値で取引されるんですよね? だったらもっと早くに知られていてもいいはずだと思うのですけど……」
「鋭いね。よい質問だ。ほら、山賊がいただろう? 推測にはなるけど、あの山賊は原石のことを知っていてあの谷を根城にしていたんだと思うよ。でないとあんな危険な場所、いくら食い詰め者でも近寄らないからね」
確かによく考えてみればそうですね。あの山賊たち、あまり腕が立つようには見えませんでしたから、谷を通る旅人を襲って生活してきたわけではなく、原石を採って生活していたのですね。
「山賊はもちろん、ほかの人だって言いたくはないはずさ。なにせあの谷は宝の山なんだからね。誰だって原石のことには口を噤んで、独り占めにしたいものさ」
それが独占欲というものなのですね。お金の価値はわかっているつもりなので、確かに誰にも漏らしたくないでしょう。オークたちが気に入った女性を仲間に触れさせない行為と似通ったものを感じます。
「その原石があの谷には埋もれているらしいんだ。フェーレはその情報をどこから手に入れてきたんだか。……案外子供たちからかもしれないな」
子供は時に無謀なことをするといいますし、充分にありえそうです。
「さて、それじゃあ明日は買い出しだ。近くの村に行こうと思うんだけど、きみは来るかい?」
「村ですか? 行きたいのはやまやまですけど、ぼくが行って大丈夫なのでしょうか……?」
人間の言うところの魔獣ですからね。石を投げられるのならまだいいほうでしょう。最悪殺されてしまうかもしれません。
「なに、簡単なことだよ。顔を晒さなければいい話だからね。肌が露出しない格好をすればバレないさ」
そう言いながらスクレットさんが取り出したのは、雨合羽のように全身を覆い隠す大きな外套でした。むしろ布と呼んだほうが正しいくらいの大きさです。
「手違いで買ってしまったものなんだけどね。取っておくと役に立つね」
苦笑するスクレットさんに釣られて、ぼくも笑ってしまいました。
*
朝早くから小屋を出たぼくたちは、荷車を引きながら村を目指していました。
まだ太陽がほんの少し顔を覗かせたくらいの時間であるにも関わらず、ぼくたちがこうして村に向かっているのはただただ単純に、ものすごく遠いからです。
あの伯爵領ですら、丸一日休みも取らずに歩いてようやく到着したのです。いちばん近い村でも、昼過ぎに到着するというのですから、スクレットさんは本当に隠居してしまっているのだと実感します。
今日買うのは原石の採取に必要な道具です。ぼくはまったく詳しくないので、そのあたりはスクレットさんに丸投げしてしまっているのですが、どうしてスクレットさんはこういったことにも詳しいのでしょうか。
何度か休憩を挟んで予定よりも少し遅いくらいの時間でようやく村が見えてきました。
近づくにつれてはっきりとしてくる村の全容に、ぼくはいささか感動してしまいました。いままでぼくが見たことがある人間の集まる場所は、ヌヌの町とスクレットさんの小屋くらいです。なので、村というものがどんなものか、少し期待していました。
見るからに穏やかで、争い事とは無縁そうな場所です。
長閑、その一言に尽きますね。
牧場らしい柵の囲いの中には、見たことのない生き物が足元の草を食んでいます。人間はあの生き物を家畜として、生活の助けにしているのですね。ヌヌの町では見ない動物たちです。
村の中に入ると、人間の子供が楽しそうに走り回っていました。きゃっきゃっと声を上げて、男女の壁もなく、無邪気です。
いいですね。こういうのんびりとした光景は、あまりなじみがないものですが心が穏やかになります。
木造の家がいくつも立ち並び、なかなか大きい村のようです。スクレットさんも、この村はほかと比べると栄えていると言っていましたから、そのとおりなのでしょう。
数は少ないですが、旅人らしき服装の人間もいて、さまざまなものを買い込んでいるようでした。用途のわからないものがいくつかあって、好奇心のうずきが止まりません。
と、いつの間にか棒立ちになって眺めていたようで、スクレットさんに肩を叩かれて我に返りました。スクレットさんによると、この村は鉄の採掘で発展した村のようで、村を囲む山々からはたくさんの鉄がいまだに採れることから、採掘道具は絶えず製作されているとのことでした。
たしかに、あちこちに作業着を着た作業員らしい人間がいて、納得できる光景でした。
スクレットさんがとある店に入っていったのでそのあとについていくと、多種多様な採掘道具が並べられていました。
勝手のわからないぼくが口出ししても仕方がないので、黙って見守っていると、スクレットさんはさっさといくつかの道具を買い取って荷車にくくりつけました。
「よし、こんなもんだね。日が暮れる前に家につきたいから、もう帰ろうか。ああ、でも村を見て回るくらいの時間はあるけど、どうする?」
「いえ、今回はやめておきます。この外套を借りられるのなら、ぼくひとりでも回れますから」
「そうかい? ならその外套はきみにあげるよ。僕じゃ倉庫に押し込むだけだからね」
なんて、気軽に外套をくれました。本当にありがたいです。
スクレットさんの言葉どおり、日が沈む前には家につくことができました。
今日はもう遅いので、採掘は明日からになります。
すごく楽しみです。
*
朝食をいただいたあと、ついに採掘に向かうことになりました。目的地は、スクレットさんと再会したあの深い谷です。
荷車を引きながら谷に到着すると、以前となんら変わらない森の匂いが感じられました。
「さて、それじゃあこれから採掘するわけだけど、ひとつだけ注意してほしいことがある。この谷は見てのとおり迷いやすい。だから離れないで進んでいこう」
「はい、そうですね」
この谷一帯が鉱山のようで、どこを掘っても原石が出る、とフェーレさんが言っていたそうです。ということは、そこら辺の岩肌を掘れば、原石が出てくるのでしょうか。
「お、こことかよさそうだね。少し掘ってみようか」
どんな理由でここを選んだのかはわかりませんが、スクレットさんから鶴嘴を受け取って、思いきり岩壁に叩きつけました。
が、掘っても掘っても石ころが散らばるだけて、なかなか原石は見つかりませんでした。
その後も何度か場所を変え、ひたすらに掘っていきましたが原石の欠片さえ見つけることはできませんでした。
「うーん、やっぱりそううまくはいかないねえ……そろそろ日も落ちてきたし、次で最後にしようか。そうだ、最後くらいきみが気になった場所を掘ってみないか?」
「いいんですか? それなら──」
ぼくたちが向かったのは、スクレットさんと再会する直前で見かけた川です。どうしてか、あそこにはなにかがあるような気がしていたので、ちょうどいい機会かもしれません。
「よし、さっそく掘ってみようか。どこがいいかな?」
「そうですね……ここにしましょうか」
ふと目についた岩肌を撫でてみました。川が近くにあるおかげか、ひんやりとしていて心地よいです。
鶴嘴を握り直して思いきり叩きつけると、軽い痺れと岩を砕く小気味良い感触が伝わってきました。
余りあるオークの体力と、剣聖と謳われた技術でみるみるうちに岩壁は削り取られていきました。足元には石ころが散乱し、踏み場がなくなるころに鶴嘴で岩を砕く感触が変わりました。
「あれ、なんかいま岩じゃないものを叩いたような……」
「おお、本当かい? ちょっと見てみよう」
鶴嘴をどけて覗き込むと、周りの岩とは違った色の石が顔を出していました。
ところどころが赤い鉱物になっていて、ひと目でそれは岩とは別物だと理解しました。
「お、すごいじゃないか! 本当に大当たりだよ!」
はしゃぐスクレットさんが赤い鉱物の周りと丁寧に削っていき、拳大の原石が採れました。
「うーん」
「あれ、あんまり嬉しそうじゃないね?」
「ええっと、これが価値のある宝石には見えなくて」
「ああ、それはこれが原石だからさ。しっかりと加工すれば、光を通す美しい宝石になるのさ」
なるほど、この原石が磨かれて宝石になるのですね。
「この調子で掘っていこう。できればいろんな種類の原石が欲しいね」
笑顔のスクレットさんを尻目に、ぼくは不思議なこの原石を手のひらで転がしていました。
丸一日採掘に励んだ成果は、赤色の原石に青、緑、黄色、そしてガラスのように透きとおった原石でした。よくもまぁこれだけたくさんの種類の原石が採れた、とスクレットさんが驚いていたので、本当にすごいことなのでしょう。
採れた原石は専門の業者に加工してもらい、きちんとした宝石にすることができる、というので、翌日にはまた村に行くことになりました。
宿の仕事とは違って、最後まで肉体労働でした。この心地よい疲れはどこか懐かしく、ぼくに宿での仕事を思い出させて切なくなりました。
ミュケは、元気なのでしょうか……。
っと、いけませんね。明日に備えて、早く眠ることにしましょう。
*
「さて、お待ちかねの宝石だ!」
帰ってきたスクレットさんが開口一番にそう言って、5つの小さな麻袋を取り出しました。
それぞれに宝石が入っているようで、スクレットさんが袋の口を開けるのをおそるおそる見守ると、中から真っ赤な宝石が現われました。
炎を閉じ込めたような、真っ赤な宝石です。窓から差し込む太陽の光を受けたそれが、まるで本当に燃えているかのようにゆらめいて、ぼくは思わず見とれてしまいました。
「ほら、きみのだ。僕に宝石は必要ないから、全部持っていってくれよ」
「でも……」
「いいから。……どうだい? 少しは気晴らしになったかな」
はっと我に返って、まじまじとスクレットさんを見つめてしまいました。
「はは、わかるよ。再会したときなんか、きみの顔、真っ青だったんだからね。僕の家に来てからも目を伏せているし、よほど鈍くないかぎりなにかあったってことくらいわかるさ」
「そう、ですか……」
ずっと気を遣わせてしまっていたんですね。そんなことにも気づかないなんて、本当にひどかったのでしょう。
ふいに、スクレットさんが真剣な面持ちになりました。
「きみになにがあったのかはわからない。でも、なにか大きなことで悩んでいるんだろう? よかったら、話してくれないか? ……友達の力になりたいんだ」
ともだち。ぼくに、ぼくの友達、ですか。
おかしなものですね。たった数日ともに暮らしていただけなので、その言葉が否定できないなんて。
「人間の友達なんて、初めてですよ」
「僕だって、オークの友達なんて初めてさ」
「聞いてもらえますか?」
ぼくの懺悔を。
すべてを話し終えると、スクレットさんはなんだか拍子抜けしたような、安堵したようなよくわからない表情を浮かべていました。組んでいた腕をほどいて、彼は小さくうなると、ぼくの肩を叩いて言いました。
「いいかい? 僕に言えることは少ないよ」
「はい」
「少し、考えすぎなんじゃないのかい?」
「え……」
「聞いたかぎりでは、ルトはただ混乱してしまっただけなんだよ。それを自己完結してしまったから、罪の意識を抱えることになっているんだ」
確かに混乱してはいましたが、でも不誠実であったことには変わりありません。
「きみが読んだ本がどうあれ、人間と亜人の価値観は違う。とくに女性の心はわからないものだよ」
「で、でもミュケは……あの子はきっとぼくのことを」
「不誠実だ、と思っているかもしれない、って? それこそ本人の胸の内だよ。僕は本人に聞いてみることをオススメするよ」
ほら、わかったろ? とスクレットさんが肩をすくめました。
「ルトの勘違いだったんだよ。勘違いだと納得できないのなら、その彼女に直接聞くんだ。直接聞いてから、答えを出すんだよ」
「でも……」
「怖がる気持ちはわかる。でもね、きみは何も言わずに出てきてしまったんだろう? それは、彼女にとって裏切りにも等しい行為なんだよ。彼女だって、ルトがいなくなって混乱しているはずさ。ルトのように、自分を責めているかもしれないね。きみは紳士を目指しているんだろう? だったら、それを止めなくちゃ。だろう?」
ぼくは、いったいどうすれば。
「ほら、早く帰ってあげるんだ。ちゃんと話して、ちゃんと聞いて、お互いのことを話し合うんだよ。ぼさっとするな! ほら、行けって!」
押しつけられたぼくの荷物を反射的に受け取ってしまって、ぼくはスクレットさんの家から追い出されてしまいました。
「だめだったら僕のところにおいでよ。男ふたり、おもしろおかしく暮らしていこう」
その言葉に、背中を押された気がして、ぼくはまた歩いていました。
今度は逃げるためじゃなく、戻るために。