12章 悪役にはもってこい


 紳士として、いえ、男として、スクレットさんもなにか感じることがあるのか、静かに涙を流すフェーレさんをじっと見つめていました。

 貴族には関わらないと決めているスクレットさんが同席していることですら、自らのポリシーを曲げている真っ最中だということに気づいたのは、きっとぼくだけでしょう。

 彼の貴族に対する感情は、憎悪なんて生易しい言葉では片付けられないほど複雑で、くすぶっているようでした。

 人間が言うところの、魔獣であるぼくが人間の心を理解しているなんて口が裂けても言えませんが、それでもわかることはあるみたいです。

 人間は誰もが悩んでいる。葛藤して、毎日を生きているようです。寝ても覚めても股間を膨らませるばかりのオークとは大違いです。

 誰もが黙り込んでしまったとき、スクレットさんが唐突に口を開きました。

「とにかく、そろそろごはんにしよう。僕は外で枝を拾ってくるから、そっちのオークくんも手伝ってもらえないかな? ふたりのほうが早く終わるし、美味しいものもご馳走できるんだけど……」

 食事で気が引けると思ったのでしょうか。ぼくの仲間たちならともかく、そこまで単純ではありません。

「たくさん作るには枝が多く必要だからね」

 拾ってきます。



 孤児院で毎日料理を作っていた、というフェーレさんが調理を担当し、作る気満々だったスクレットさんが少々肩を落としながらおとなしく食事を済ませていました。

 フェーレさんの料理はいままで食べてきたもののどれよりも美味しくて、図々しくもおかわりなどしてしまいましたが、フェーレさんはばくばくと食べるぼくにほほ笑んでいました。なぜでしょうか。

 今日はこのまま、ぼくを含めてスクレットさんの小屋に泊まることになったのですが、この小屋はもともとひとりで暮らすことを目的としていて、4人が横になるのは無理でした。

 体が大きいぼくは当然外で、スクレットさんが女性ふたりは疲れているだろうから、と自ら外で眠ることに決めていました。彼もまた紳士ですね。

 きゃっきゃと楽しそうな声が漏れてくる小屋に、悲壮感でいっぱいだったフェーレさんも少しは元気になったようでした。

 ひとつしかないハンモックは家主であるスクレットさんが使い、ぼくは慣れているので手近な木に登って太い枝に体を倒しました。

「それにしても、人間という種族にもいろいろあるのですね」

 独り言のつもりでした。

「魔獣は、いや失礼。オークも集団で暮らす種族だと聞いたことがあるけれど、人間のように暮らすことはないのかな?」

「オークは、とにかく仲間意識が強いです。同じ穴倉で育った仲間はみんな家族で、誰かが襲われたら全員で仕返しにいくことだっていつものことです。……だから、少し驚いたんです。家族なのに、人間は助け合わない。ぼくはそれに驚きました」

「普段魔獣だと忌み嫌い、蔑んでいるきみたちのほうがよっぽどつながりを大切にしているんだね。人間に血のつながりを求めるのは酷だけど、せめて肉親くらいは信じていたかったよ」

 信じていたかった。その言葉の意味はぼくにはわかりません。

 でも、ひとつだけ。スクレットさんも、肉親に裏切られてしまった人なのでしょう。権力が強ければ強いほど、人間は求める生き物だと、哲学書に記されていました。あながち間違いではないのかもしれません。

「あの、スクレットさんはどうして強くなったんですか?」

 人間のあいだでは有名な剣聖。なんのために強くなったのでしょうか。

「どうして、か。ひさしぶりに聞かれた気かするね。……そうだな。ぼくの住む村は、国境近くにあったんだ」

「それは、戦争をしたという隣国との国境ですか?」

「そうだよ。ぼくは幸いにも剣の才能があったみたいでね。剣の師匠ができると、すぐに追い越してしまったよ。いまよりも上に、もっと強く、って高名な剣の剣士に弟子入りして、いつの間にかいちばん強くなっていた。それからは簡単だよ。もともと剣を習ったきっかけは家族を護りたかったからだ。戦争前は魔獣がよく襲ってきてね。相手が兵士になっただけで、なにも変わらなかった。だから、僕は隣国の王様に直談判しにいったんだ」

「よく、無事で帰ってこれましたね」

「気さくな人だったよ。身構えていたことが阿呆あほらしいくらいにあっさりと兵を引いてくれたんだ。護るために戦う男は宝石よりも価値があるって。ああ、この国は宝石がよく採れてね。宝石の価値が高いものだから、なにかと比べられるんだ。僕はよくわからないんだけれど女性が憧れてやまない土地なんだって」

「なるほど……」

「そうして帰ってきた僕は、とある貴族に腕を振るわないかと誘われて、村が護られたことだけで満足だった僕は断った。そうしたら、家族どころか村がなくなっちゃったよ」

「そんな……」

「それだけなら、僕は死んでしまった家族を死ぬまで家族だと思っていたよ。でもあの人たちは、金儲けのために僕を売ろうとしていた。その話は偶然聞いたからよく知らないけどね」

「そんなことが」

「だから僕は貴族が嫌いだし、知らなかったとはいえ貴族の血を継いだフェーレさんを助けたくはない。でも、フェーレさんが伯爵家に行ったところで、腹いせに孤児院が焼かれることはなんとなくわかる」

「それなら知らせないと」

「知らせてなんになるんだい? 僕は手を貸すつもりはないよ」

 顔を背けて言ったスクレットさんは、どこか躊躇しているように見えました。だからぼくは、胸を張ります。

「ぼくが、助けます」

「どうして? きみは、魔獣だ。人間に嫌われているじゃないか。フェーレさんについていったところで、殺されるのがオチだ」

「ぼくは、紳士を目指しているんです。紳士は、困っている人はかならず助ける者です。ぼくが魔獣だとしても、フェーレさんはいま、困っています。だったら助けるのが紳士でしょう?」

「そんな、理由で……」

 スクレットさんがなにを躊躇っているのか、少しわかった気がします。彼は紛れもない紳士です。ですが、もっとも護りたかった家族を失い、あまつさえ裏切られてしまったのです。護ることに意味を見失ってしまっているのではないでしょうか。怯えているのではないでしょうか。

「本当は、理由なんてなんだっていいんです。フェーレさんが作ってくれた料理が美味しかったから、フェーレさんはぼくを見ても優しかったから、ただ、護りたいからって理由でも、なんだったら理由なんてなくてもいいんです」

 そうです、ぼくは紳士に憧れて、紳士になろうとしています。紳士ならこうするだろう、と考えて、でもやっぱり、ぞくはぼくの意思で、誰かを助けることにしているんです。

「ぼくは紳士を目指しています。見返りとか、お礼の言葉とか、そういったものは求めていません。ぼくは自分が憧れた紳士になりたいだけなんです」

「結果は求めないのか?」

「はい」

「そっか」

 それだけ言うと、スクレットさんは黙り込んでしまいました。もう夜も遅いですし、眠ってしまったのでしょう。



 夜明け前に目が覚めたぼくは、同じように目を覚ましたスクレットさんと一緒に、近くの小川に顔を洗いにきました。

 やはりというかなんというか、オークが清潔にしているのはたいそう驚かれるようで、スクレットさんも声こそ出しはしませんでしたが、やはり驚いていました。

 入れ替わりでフェーレさんとカリアさんとすれ違い、朝食はスクレットさんが作ることになりました。

 質素ながら彩り鮮やかな品々に、フェーレさんも感嘆の声を上げていました。鼻息荒くレシピを聞くところを見ると、本当に貴族らしくない人です。

 朝食を済ませて、フェーレさんとカリアさんは揃って神妙な面持ちで姿勢を整えました。

「昨日は私事に巻き込んでしまい申し訳ありませんでした。にも関わらず、命を助けていただき、本当にありがとうございました」

 深々と頭を下げたカリアさんたちに、スクレットさんは頷くだけでした。

 重苦しい沈黙を破ったのはフェーレさんでした。

 がたりと音を立てて立ち上がったフェーレさんが、泣きそうな顔でほほ笑みました。

「昨日、一晩考えたんです。私、やっぱり伯爵家に行こうと思います」

 カリアさんもおそらくは説得したのでしょう。力なくうなだれてしまっている姿を見ると、失敗してしまったみたいですね。

「それでいいんですか?」

 この4人の中でいちばん関わりが薄いのはぼくです。だからこそ、ぼくはいま一度尋ねました。

「本当にそれでいいんですか?」

「いいわけないだろうっ!?

「カリアさんは静かにしていてください。ぼくはフェーレさんに聞いているんです」

「待って、カリア。……本音を言えば、いますぐにでも孤児院に帰りたいです。子供たちや院長先生と一緒に、穏やかに暮らしていきたいです。でも、だけど、私じゃないと、私でないといけないんです。だから、私は行くことにしたんです」

「本意ですか?」

「……それは」

「もう一度聞きます。その選択は、フェーレさんが心から望んだものですか?」

 わざわざこんなこと、聞かなくても答えはわかっています。

「……死にたくないよ……みんなのところに帰りたいよぉ……」

 ぼくは紳士失格かもしれません。女性を泣かせてしまったのですから、紳士とは呼べないでしょう。でも、ぼくはそれが聞きたかったのです。

「ではフェーレさん、伯爵家の場所を教えてもらえませんか? ぼくが、魔獣であるぼくが伯爵家を叩き潰してしまえば誰もが魔獣の仕業だと理解してくれるでしょう」

 苛烈といえば苛烈なぼくの言葉に、一切の偽りはありません。そもそもの原因はフェーレさんが婚姻相手を殺したと思われていることです。それを覆すには、無実だと証明する必要があります。ですが、フェーレさんの味方は貴族側にはひとりしかいません。たったひとりではどうすることもできないでしょう。

 それなら、誰もがわかるように魔獣が暴れてしまえばいいのです。

 作戦とも呼べない単純な話を聞いたスクレットさんは苦笑い、カリアさんはなぜかぼくを見つめていて、フェーレさんは唖然としていました。

「確かにそれならフェーレさんの潔白が証明されるね。でも、きみはそれでもいいのかい? こうして話しているきみには、人間と変わらないだけの知能があるようだ。僕が言わなくても、危険性は理解しているんだろう?」

「もちろんです。終わったあとのことも、一応予想くらいはしています」

 伯爵家を潰すことができれば、ぼくはかならずお尋ね者になるでしょう。人間を襲う危険な魔獣が現われたのですから、ぼくの首に賞金がかけられてもおかしくありません。

「でも、ぼくはやりますよ。もともと人間領に長居するつもりはありませんでしたからね。森の向こうに雲隠れしてしまえば誰も見つけられませんよ」

「だ……だめです、だめですよそんなことっ! だってオークさん、それって私を助けるために貴方が犠牲になるってことですよね……? そ、そんなのだめですっ、だめなんですっ!」

「べつにフェーレさんを助けるためじゃありませんよ。……忘れたんですか? ぼくは、本来はオークなんですよ。ぼくはただ、貴方を肉奴隷として残しておきたかっただけなんですよフェーレさん、貴女も簡単に騙されてくれましたね」

 これだから人間は救えない。なんて、悪どく見えるように言うと、カリアさんが椅子を蹴飛ばしてフェーレさんを背に庇いました。

 そうです、それを求めていたんです。少なくとも、ぼくが目的を果たすまではずっとそうしていてください。

 やることはやりました。スクレットさんの小屋から出て、伯爵家に向かいました。事前にスクレットさんから場所を聞いておいて正解でした。



 日が暮れるまで歩いて、伯爵家まで1日と少しという距離でしょうか。ここ数日間ずっと歩き通しでしたが、それだけで疲れるほど柔な肉体ではありません。

 なるべく早く伯爵家を壊滅させなければなりません。具体的には、フェーレさんが伯爵家に到着するまでに、でしょうか。

 貴族は馬車を使って移動すると本で読みました。馬の足の速さはよく知っていますのでのんびりしている暇はありません。最低限の睡眠と食事だけをとってここまで来ました。できるかぎり人目につかないよう動いてきた甲斐あって、騒ぎにはなっていません。

「それにしても、スクレットさんも無茶をしますね。ぼくについてくるのは自殺行為だと思うのですが」

「これでも大英雄と呼ばれたこともあるんだ。やわな鍛え方はしてないよ」

 さすが剣聖さんといったところでしょうか。ぼくがあの小屋を出て2日ほどの距離を追いついてきたのですから、まさしく英雄の素質がある人間ですね。

「でも、フェーレさんたちは大丈夫なんですか?」

「僕が小屋を出るときに、3日ほど出かけるってでまかせを言っておいたからその分は遅れているんじゃないかな。あのふたりは律儀で誠実で礼儀正しいから、僕に一言告げてから小屋を出ようとするだろうからね」

 なるほど、それは助かります。

 スクレットさんの見立てどおりなら、少なくとも3日分の距離は離れていることになります。ぼくたちに追いつくためには途中で馬車を拾わなければ間に合わないでしょうね。のんびりしているわけにはいきませんが、余裕はできました。

 そういえば、結局斧を返し損ねてしまいましたね。話を聞いたかぎりでは、フェーレさんの従者だったカインさんの持ち物らしく、あのカマキリに殺されてしまった人と同一人物でしょう。

 フェーレさんに形見を返すのは、これが終わってからにしましょう。代わりに、なんて言えませんが、多少なりともフェーレさんの力になるのであれば、カインさんも形見を使うことを許してくれるのではないでしょうか。


 ひとりで黙々と歩いているよりも、誰かと言葉を交わしているほうがずっと精神的に楽ですね。

 ぼくもスクレットさんも口数は多いほうではありませんが、彼も不安を覚えているのでしょう。気まずくならない程度に雑談をしているうちに、ようやく、伯爵領へ到着しました。

 いまはちょうど深夜なのですが、歩き通した直後に戦闘というのはいささか無理があります。気疲れは油断を生んでしまいますから、少なくともひと眠りはしたほうがいいでしょう。

 スクレットさんには宿で眠るように言ったのですが、どこから足がつくかわからないからと言って、野宿を選びました。ここまでずっとフードを被り仮面をつけるほどの力の入れようです。

 太陽が昇って、落ちて、月が昇って、落ち始めたころ、ぼくたちは伯爵領へと入り込みました。

 スクレットさんが聞き込みをしたところ、領地を統治しているクラビス伯爵はたいへんな浪費家で有名らしく、派手好きかつ見栄っぱりなため、邸宅は領内でも類を見ないほどの大きさのようです。実は領の外から見えていた館こそが伯爵邸らしいです。

 そんな両親の背中を見た7人の子供たちもまた、ひどく派手好きで領民から蛇蝎だかつのごとく嫌われているらしいです。5人の息子たちは見栄っぱりで、ふたりの娘は派手好き。次男坊が死んだことに内心では手を叩いて喜んでいるようでした。

 こんなところに嫁いでしまえば、フェーレさんもどうなるかわかりません。ここは徹底的に、魔獣らしくやりましょう。

 巨大な門の前に到着したぼくたちは、ひどく退屈そうにしている見張りの兵士たちを切り捨てると、そのまま門を越えて侵入しました。

 広大な庭ですね。花壇や芝生、背の高い木など、センスはよさそうです。足音を立てないよう、慎重に芝生の上を歩いていると、噴水が水を吹き上げていました。大理石を使った噴水はかなりの大きさを誇っています。これだけでも莫大な金銭がかかっていそうですね。これだけ広い庭を維持するためには庭師を雇う必要がありますし、庭師ならば誰でもいい、なんてわけではないでしょう。

 邸宅の壁に到着するまで数分はかかりました。全域の広さは推して知るべし、ですね。

 レンガで組み上げられた邸宅は見た目どおりに頑丈そうです。見栄を張るためには金を惜しまない姿勢の伯爵家です。ハリボテなんてことはないでしょう。

 しかしそれゆえに困りました。レンガは硬く、手持ちの斧では砕くことも難しいでしょう。

「なにも無理に忍び込む必要はないんですよね……。スクレットさん、ぼくはこれから派手に侵入しようと思います。そっちのほうが魔獣らしいでしょうから」

「わかった。確かにそっちのほうが効果的だろうね。どうせなら正面から入ろうか。ここの扉はすべて高価なガラスで作られているからね。いちばん大きい正面玄関の扉を壊してはいろうか」

「それがいいですね」

 やることは簡単です。派手に暴れて、派手に騒いで、犯人がぼくだということを周りの目に焼きつけてしまえばいいんです。たったそれだけのことですが、当然ぼくは追われることになるでしょう。フェーレさんとカリアさんにしっかりとお別れをしたかったのですが、それも叶わないでしょう。


 では、いきます。