せっかくいい雰囲気だったのに、空気を読まない怒鳴り声で台無しです。びくりと飛び上がったミュケを受け止めながら、ぼくたちは起き上がりました。
それにしてもおかしいですね。いま宿に泊まっているのはぼくたちだけですし、宿を切り盛りしているのもオリネさんだけです。にも関わらず、野太い男の声が聞こえてくるのはなにかトラブルでも起きたのでしょうか。
怒鳴り声を上げる男とオリネさんが言い争っているようで、ぼくたちが泊まる2階まで内容が筒抜けでした。
男のほうはひたすらに怒声、しかも数人はいるようで違う声も聞こえてきます。対するオリネさんの声は、最初こそ勇敢だったものの、数人の男に怒鳴られてしまえば恐怖だって感じるでしょう。
オリネさんと仲良くなったミュケが心配そうにしています。
「ルト、私オリネのところに行くね」
反対されると思ったのでしょうか、それだけ言うとミュケは眉を寄せたまま部屋を出ていってしまいました。仲良くなった人のためなら無茶をすることも辞さないのがミュケのようです。
体まで重ねておいて情けないのですが、ミュケのことはあまり知りません。長いあいだともにいるつもりでしたから、ゆっくり知っていけばいいと考えていたのは悠長だったのでしょうか。
それはともかく、ぼくも行きましょう。複数人で女性を囲むような輩は、紳士には程遠いですから。
先に部屋を出たミュケを追いかけて、ぼくも1階へ向かいます。その間にも罵声が聞こえてきて、ミュケの声もそこに混ざりました。
階段を下りてミュケとオリネさんの姿を見つけました。彼女たちは宿の出入り口に陣取って、外にいる3人組を中へ入れないようにしているようでした。
「んだてめーっ! これは俺たちとそっちのねーちゃんのお仕事の話なんだよ! 部外者は引っ込んでな!」
「残念、私オリネの友達だから部外者じゃないわ。それに仕事ですって? どうみてもチンピラが脅しにきてるだけじゃない! 何様のつもりか知らないけど、オリネに手を出したらただじゃおかないわっ」
ふんと鼻を鳴らして言い切ったミュケは、ものすごく格好よかったです。いくら友達といえど、昨日知り合ったばかりの人のためにここまでする子はそういないでしょう。
しかし、そんなミュケの態度が気に食わないのか、3人のうちの背の低いウェアドグ族の男が、長い耳をぴんと立てて怒りの形相でミュケに近づこうとしました。さすがに傍観している状況じゃないので、ぼくも階段を下りて彼女たちのうしろへ陣取りました。
「このアマァ……」
「まあ待て、おまえは短気だからいけないんだ。見ろ、おふたりともべっぴんさんじゃないか。怒鳴り合うんじゃなくて、お話しようじゃありませんか」
顔を真っ赤にするウェアドグ族の男をたしなめるように、もうひとりが割り入ってきました。
「話すことはなにもありませんっ。帰ってください!」
「お嬢さん方を困らせたくないので帰りたいのはやまやまなんですがねぇ、これも仕事なんですよ」
キザったらしい長身のウェアフォク族の男が、かけていたサングラスをずらしてオリネさんを睨みました。
仕事というのは善良な一般市民を怒鳴りつけることなのでしょうか? ミュケの言うとおり、彼ら3人組はただのチンピラにしか見えませんが、実はカタギかもしれません。
「だからよぉお嬢さん、いいかげんこの宿の権利書渡してくれないかなぁ?」
チンピラですね。地上げ屋といったところでしょうか。
「そうだぜ、べつに店を取り上げて放り出そうってわけじゃないんだ。仕事は斡旋するし、それなりの金も積む用意があるんだぜ?」
にやにやと、嫌らしい笑みを浮かべた背の低いウェアドグ族の男が続けます。
「まぁ、仕事の前に味見させてもらうけどなぁ! なんならそっちのエルフのねーちゃんも仕事紹介してやってもいいんだぜ? その耳じゃあどこも雇っちゃくれねえだろうしよぉ。ねーちゃんもキレーな顔してるから、スケベ親父どもがたくさん金落としてくれるだろうな」
「さいってー! それのどこが仕事よ! 私たちに娼婦になれって言うの? ふざけないで!」
「この宿は絶対に渡しません! いまの話を聞いてわかりました。あなたたち、この宿どころか私たちまで商品にする気ですね? 断固拒否します!」
激昂するミュケたちでしたが、チンピラたちは柳に風で、むしろ気の強い女ほど高く売れると喜んでいました。
「聞き分けてくれや。俺たちもキレーな顔した女をボコボコにするのは良心が咎めるんだわ」
ウェアフォク族の男が、嗜虐的な笑みを浮かべてミュケたちに近づきました。つまり、言うことを聞かないなら暴力で、ということでしょう。
それを聞いて、オリネさんがミュケを庇うように背中に隠しました。意地でも宿を渡さないつもりのようですが、いくら力に優れたウェアベア族とはいえ、大の男3人とやり合うのは無謀というものでしょう。
事情を知るために見守っていましたが、もはやそんな状態ではありません。なにより、気丈に振る舞ってはいますが、ミュケもオリネさんも怖がっています。
「ここから先はぼくがやりますよ」
「あっ……ルト!」
ミュケたちの前に出ると、ウェアフォク族とウェアドグ族の男がたじろぎました。しかしそれもつかの間のこと、ふたりはぼくを訝しげに見やったあと、にんまりと笑いました。
「おうおう、一丁前に用心棒を雇ったのか? 涙ぐましいねぇ。でもあいにくと、こっちには生粋のウェアレオ族がいてなぁ。豚1匹なら八つ裂きよ」
まったく会話に参加してこなかった最後のひとりが、のしのしと宿に入ってきました。身長はぼくよりもはるかに大きく、ぼさぼさのたてがみがウェアレオ族であるなによりの証拠でした。
彼らウェアレオ族は、生まれてから常に戦いに身を置いて、戦場で死ぬと言われている武人気質の種族です。オークであるぼくを軽く超える身長、まるで鎧のような筋肉、鉄を粉砕する腕と、大木をへし折る脚。ひとたび戦いに赴けば、その場にいる敵すべてを殺戮する死神とも呼ばれています。
ぼくの前に立ち塞がったウェアレオ族の男は上半身裸で、引きしまった体には無数の傷痕が残っています。その風格はまさに歴戦の勇士であり、とてつもない威圧感を醸し出していました。
「泣いて謝るならいまのうちだぜぇ? なんてったってそいつは容赦って言葉を知らないからな。ひき肉になりたくなきゃ手持ち金を置いて地面に頭こすりつけな!」
ゲラゲラと笑うウェアドグ族とは裏腹に、ウェアフォク族の男は憐憫の表情さえ浮かべてぼくに言います。
「おまえもこんなところで死にたくはないだろ? この犬っころの話は無視してもいい。なんなら路銀くらいなら払うからここは穏便にいかないか?」
「勘違いですよ。ぼくは用心棒ではありません。この宿に泊まっている者です」
「じゃ、とっとと出てってくれねぇか? どうせここは俺たちが貰うんだ。おまえが泊まる部屋はねえ」
横暴もいいところですね。ここまでくるとむしろ清々しいというか、遠慮は必要ないでしょう。
いつまでも黙っていてはミュケたちも不安がりますし、いいかげん片付けてしまいましょう。
「ちょっ、ダメです! この宿のことならわたしがなんとかしますから、ミュケちゃんを連れて逃げてください!」
仁王立ちするウェアレオ族に近づくぼくがなにをしようとしているのか感づいたらしいオリネさんが、制止の声をかけてきます。
「そういうわけにはいきませんよ。オリネさんはミュケの友達です。ならば貴方を守るのもまた、ぼくの役目です」
侮っているのか、目の前に来ても動かないウェアレオ族の鳩尾を狙って引き絞った拳を放ちます。
「これでも怒っているんですっ! ミュケは絶対に渡さない!」
全力を込めた拳が狙いを違わずウェアレオ族の鳩尾へ吸い込まれていきました。肉を打つ音が鈍く響いて、男は宿の外まで吹き飛んでいきました。それに構わず、高く売れそうだの、味見をするだの、好き放題言ってくれた男の風上にも置けないウェアドグ族の頭をわしづかみにして、頭突きを喰らわせてやりました。
ぐるんと目を白くしたウェアドグ族を、顎が落ちそうなくらい口を開けたウェアフォク族に投げつけて、全員沈黙させました。
おかしいですね。勇名轟くウェアレオ族が、たったの一撃で倒れてしまうなんて思っていませんでした。室内だからと槍を置いてきたことを後悔するほど警戒していたのですが、拍子抜けしました。
「うそ……」
「ルトっ、ルト! やっぱりすごいわルト! すっごくかっこよかったわよ!」
飛びついてくるミュケを抱き留め、腰が抜けてしまったらしいオリネさんが信じられないといった目でぼくを見るなか、吹き飛んで動かないウェアレオ族に目を向けると、鳩尾を押さえてうずくまっていました。
「あの、ウェアレオ族なんじゃ……?」
「ひいぃ、勘弁してくだせぇ! おらはただの農民で、戦なんて行ったことないんです! このふたりに金儲けさせてやるって言われてついてきただけなんですよお!」
そういうことですか。ウェアレオ族といっても、すべての個体が戦好きというわけではありませんからね。巨体でそれっぽく立っていれば威圧感はものすごいですから、それを利用されたのでしょう。でも、ぼくが聞きたいのはそれだけじゃありません。むしろ、こっちが本命です。
「貴方たちの親玉はどこにいるんでしょうか?」
こういった問題は、元を断つ必要がありますからね。丸まって震えるウェアレオ族が吃音混じりに素直に話してくれました。
「くくく、クレナル様だ! おらたちはクレナルお嬢様に指示されてきたんだ! 勘弁してくだせぇ!」
その言葉に驚愕の声を上げたのはオリネさんでした。
「クレナルって、あのクレナル? インプ族で小さくて、おっきい屋敷に住んでいる……」
「へ、へぇ! おらはその屋敷に通ってるこのふたりについてきただけなんでさぁ。ひと目だけお会いしたことがありますが、インプ族のお方でした」
「そんな……」
「オリネ?」
床に座り込んだままがっくりと肩と落としたオリネさんに、ミュカが駆け寄りました。
「信じられないよ……だって、ナルちゃんは友達で、いちばんの友達で……」
この宿にチンピラをけしかけたのは、オリネさんの友人だったようです。
*
気絶したチンピラたちをウェアレオ族に任せてお帰りいただくと、ぼくは一度部屋に戻って槍を持ってくることにしました。
仲のいい友人だと思っていた相手にこんなことをされたオリネさんはすっかりと意気消沈してしまい、今日は早くも宿を閉めることにしました。
泣きそうな顔で「どうせお客さんは来ませんから」と言った彼女の話では、幾度となくあの3人組がやってきて、押し問答をした結果、町の住人はおろか、旅人も巻き込まれることを嫌って利用しなくなってしまったらしいです。
よくよく話を聞いてみると、この一件の全容がわかってきたような気がします。まず、「森の出口亭」にチンピラたちがやってくるようになったのは、オリネさんのご両親、つまり先代の店主さんがいなくなったあとでした。見計らったかのようなタイミングですでに怪しかったらしいのですが、まさか自分の友人がそのタイミングを狙ってくるとは思わなかったのでしょう。結果、客足は遠のいてしまったようです。
「ちょっとだけ嫉妬深いところもあったけど、ナルちゃんはそんなことする子じゃないっ」
ほかでもないチンピラたちからの言葉も庇いたてるオリネさんはいまだに信じられないようでした。
すでにブランチとなってしまいましたが、3人で食事をして、ぼくはさっそく動くことにしました。
今回は槍の先を使うつもりはありません。あくまでも穏便に済ませるのがいちばんですから、流血沙汰は避けたいのです。
「ルト、本当に行くの? オリネは護衛もたくさん雇ってるって言ってのよ?」
これから向かうのはもちろんオリネさんの友人である、クレナルさんのお宅です。
この町でも有名な豪商の一族で、邸宅も相当大きいと聞きました。腕利きの護衛も揃っているため、話し合いでの解決が望ましいのですが、明確な敵意を向けてきた相手が応じてくれるとは思えません。臨機応変に対応しつつ、オリネさんの宿を奪おうとした理由を聞きにいくことにしました。
「わかっていますよ。できるだけ穏便に済ませるので心配することはありません。ぼくだって痛いのは嫌ですからね」
「……でも」
「ぼくはぼくにできることをするだけですよ。ミュケだって、オリネさんことを見捨てられないのでしょう?」
「そうだけど、ルトが危ないことをする必要はないじゃないっ」
「確かに必要はありません。ですが、ぼくの恋人が困っていて、女性が泣いているのです。動く理由は充分なんです。紳士は絶対に困っている人を見捨てませんから」
「じゃあ! 怪我しないで帰ってきてねっ、約束よ!」
ぎゅっとミュケと抱き合って、彼女は見送ってくれました。