19 旅立ち
「トト、ご機嫌よう。
お返事、遅れてすいません。君の郵便局留めの手紙は、たしかに受け取りました。
パリパリ市って、大きいよ。いつもいつも、夜も、昼も、動いているの。やっと、だいたいの地形がわかってきました。下町のアパートに、ちっちゃな部屋を見つけました。ほんとうに小さいのよ。君の『巣』とおなじぐらいかも。でもそばに安い食堂があったので、さっそく『ケケの台所』なんてあだ名をつけ、毎日通っています。これで食事の心配はなし。ちゃっかりしてるでしょ。今のところ、あたしはなにしろ町を歩いています。すれちがう人を見ながら、いや、探りながらっていったほうがいいかも……。
ここで、あたしがなにをしてるかっていうとね、前にいったかもしれないけど、『探してる』んだ。こんな不思議なこと、ありえないんだけどね、どうも気持ちが決まらないのよ。やっぱり探してみようって思ったの。やるだけやってみようってね。半分魔女はしつこい! だって、もう半分がよ、この町のどこかに、歩いているような気がするのよ。半分が二つで、一つ。まずそこから始めないとね。それでなにかが見えてくる……といいんだけど……? まあ、ゆっくりやるわ。でも働かなくちゃ。『ケケの台所』にいくためにも働かなくっちゃ。
トト、これが、今のあたし。まだ、半分のままです。いい先輩になれないね。あたしの物語はまだ歩きつづけています。では、また手紙を書きます。申し遅れましたが、キキ、とんぼさん、あんたのお姉ちゃん、ニニによろしく。おっとと、ふたりとも十二月に十三になるのよね。ニニは、やっぱりキキのあとつぐのかな? まだ、あの旅立ちの儀式はつづいてるの? こういう大きな都会にいると、なおさらキキたちの儀式について考えてしまう。あれはやっぱりたいせつなことと、あたしは思う。じゃ、さよならのケケでした」
ケケおばさんはやっぱり自分の仲間だとトトは思うのでした。
(ケケおばさんの物語……、僕にも物語)
あの馬の事件から、ニニは妙にしずかになりました。ブブを連れ、毎日、どこかに出かけていくのです。なにもいわず、肩にブブをのせ、まっすぐ歩いていきます。キキは、それをだまって見ていました。
ニニはハリンに電話をかけて、約束を破ったことをあやまりました。
「わたし、きいたわ。ニニ、いいことしたね。すごい冒険力だね。ますます、すてきよ。ねえ、旅立ちのときの写真、とってもいいでしょ。おねがいね」
ハリンがいいました。
「うん、約束だから、いいよ。でもすてきにとってよ」
夏休みもおわり、秋が始まろうとしていました。
(秋ってさ、もうあそびはおわりよって、顔してる、なぜかさ。みんなも自然とまじめな顔になって、動きがはやくなる、これってなんだろう)
ニニは、日増しに北からの風がかわいてくるのを感じていました。
(今年もおわり……。わたしは……十三……)
ニニは、うすい雲の空を見上げました。
「昨日、ヨモギさんの家にいったとき、気がついたんだけど、かあさん、畑に種用のくすりぐさ、ずいぶんのこってるね。意外に多いんでおどろいた」
トトがいいました。
「あら、そう」
キキはうなずきながら、「種が多いのね」とつぶやきました。
そして、十月の十五夜に、キキは、ニニをさそって、のこしておいたくすりぐさを刈り取り、種にすると、十二種をそれぞれに分けて袋に入れ、暗い戸棚の奥にしまいました。その作業をしながら、ふたりはおしゃべりをして、たのしそうでした。
でも、キキはニニに、魔女のことはなにもいいませんでした。
そしてとうとう十二月二十八日、ふたりの誕生日がやってきました。
「キキがこの町にやってきたのも、十三のときだったなあ」
夕ごはんを前に、とんぼさんは、なつかしそうにいいました。
「そうね」
キキは、反応も小さく、うなずいただけです。
いつもの年なら、お誕生日ですからおソノさんたちもよんで、にぎやかに食事をするのに、今年は、だれもそのことをいいだしませんでした。十三歳というのは、魔女の家では記念すべき歳のはずです。でも、まだニニの気持ちもはっきりしていないのです。だれもが、その話題をさけて、自然とえんりょがちになっていました。
「じゃ、ささやかに、いり豆茶で乾杯しようか。ふたりの誕生日なんだから」
とんぼさんがいいました。
「ところで、その前に」
とつぜんニニが口を開きました。
「かあさん、十三になったら、魔女はいつ旅立ちしてもいいの?」
「い、いいんだけど……。その前に魔女になるかならないかが、問題よ」
「わたし、なるよ。ずっと前から決めてたわ。わかんなかった?」
ニニはあごをしゃくって、えらそうに口をひょいとまげました。
「また、そんな……。わたしは、まだあなたの口からはっきりときいてませんよ」
「ごめん、照れくさくってさあ。きっちり宣言なんてわたしらしくないもん。でも、だれもなんにもいわなくなったから、知ってるんだと思った。そしたら、こんな地味なお誕生日会になっちゃってさ。がっくり。まあ、さんざんいいたい放題いってたから、無視されてもしょうがないけどね」
「こんなだいじなことを、ふざけないでよ」
キキはもうびりびりふるえています。
「ちゃんと考えたもん。ねえ、ブブ、話しあって、ずっと前に決めてたのよね」
ニニは味方をもとめるように、足下のブブにいいました。ブブは、「にゅー」と小さく返事をしました。
「やー、おどろいたね。決まってたんだって。ブブもいってるよ」
ジジが、キキに大きな声をあげました。
「もう、知らない!」
キキはおこって、目が真っ赤です。
「わすれないでもらいたいな。まったく。僕だって、おなじ十三なんだから。いつもおいてけぼりは、ひどいよな」
トトがいいました。
「そうだよ。ふたりそろって、おめでたいんだよ。キキかあさん、かりかりする気持ちはわかるけど、ニニはこういう娘なんだから。そこがかわいいんだよ、みんなをおどろかして」とんぼさんがいいます。
「すねてみせて、あとはかわいいってやだ。ずるいよな」
トトがにっと笑いました。
「ごめんなさい。でもうちって、わたしがいるから、にぎやかでしょ。どきどきできるでしょ」
ニニも肩をすくめ、キキに笑いかけました。
「それじゃ、はっきり決めたのね」
キキはもう半分は機嫌をなおしていいました。
「そう、決めたの。もう一つおどろかしちゃうけど、わたし、十三になったから、すぐ旅立ちたいの。お正月の後、すぐの満月に、旅立つわ」
「まあ、なんってこと!」
キキの目は丸く、口も丸くあいたまま閉まりません。
「一月なんて、寒いぞ」
とんぼさんがいいました。
「空の上は、空気も凍ってるぞ」
トトもいいました。空の上が……でもふと、氷みたいに冷たくても、飛べるなんてやっぱりうらやましいと思いました。
「うん、わかってる。でも、もう、決めたの。いいでしょ」
「あとすこししかないわ。つぎの満月は一月の七日よ」
キキは暦をちらっと見ていいました。
「もう準備はできているから、心配しないで」
ニニはきっぱりといいました。
「わたし、今は心から魔女になりたいの。本物のね。さんざん迷ったけど。ほんとに迷ったけど、決めたの。わたし、魔女の決まりどおりに、一年間、どこかでくらすわ。これはきちんとするわ。お届けやさんをするかどうかは、わからないけど。わたしが、自分に、『いいよ』っていえるものになるの。そしたらがんばる。この言葉は、盛大な誕生パーティーで派手にいうつもりだったんだ。それがこの地味パーティーとは……残念!」
ニニはくっと口をとがらせました。
「かあさん、なんでもすぐで悪いけど、わたし、せっかちだから、ごめんね」
キキはそわそわと歩き回りました。あんなにやきもき気がかりだったのに、はっきりと決まったとなると、気持ちは複雑でした。うれしさと、さびしさが急にこみあげてきたのです。
しばらくだまってうつむいていたキキが顔をあげていいました。
「そう、わかった。最高に素晴らしい夜にしようね」
キキは自分も通ってきた道なのに、あんなに平気な顔で、あんなにうれしい気持ちで、旅立ったのに、ニニのことになると、どうしてこんなにさびしいのでしょう。キキはとんぼさんのほうを見ました。とんぼさんは、キキにうなずきながら、「そうか、そう決めたか」とひとりごとのようにいいました。それから、ニニにむかって、「ニニ、たのしみだなあ、わくわくするなあ、とうさんも」と、いいました。
旅立ちの日が近づくにつれ、ニニはにぎやかに動きはじめました。遠くに住んでるオキノさん、コキリさんをはじめ、ヤアくんやら、モリさん、仲よくしてきた人全員に知らせました。
「派手だね」
トトはあきれていいました。
「当然でしょ」
みんなが、自分の旅立ちを見たい、見たくないわけがないと、ニニは思っているのです。
(僕だったら、えんりょしちゃうな。まったく、僕って、変なやつ)
その変なやつも、ひそかに旅立ちを考えていました。ニニとおなじ満月の夜に、だれがなんといおうと、出かけることにしたのです。もう学校にあてて、手紙も書いてあります。
「自分も、ニニとおなじ魔女の血筋だから、一年間の休学を許してほしい。性格はちがうかもしれないけど、僕はニニとまったくおなじに成長しました。ただ空を飛べないというだけです。一年たったら、絶対帰ってきます。ご心配をかけるようなことは絶対しません。自分が満足のいく、呼び名はちがっても魔女とおなじような生き方を見つけたい。それが目的です。それがきっと僕の魔法です。空を飛ぶ姿は見せられないけど、僕の魔法です。信じてください」
こんな内容の手紙です。これを旅立つそのときに、ポストに入れるつもりです。
トトはキキにも、とんぼさんにも、その日の朝、いうつもりです。ニニが許されることを、トトにも許されないはずがありません。きっとふたりともびっくりするでしょう。でも、理解してくれるはずです。トトはそれを信じていました。
とうとう、ニニが旅立つ日の朝になりました。午後にはみんなも見送りに集まってくるでしょう。パン屋のおソノさんは、オレくんといっしょに、昨日のうちに、てるてる坊主をたくさん作って、まわりの家にくばりました。おかげで、お天気はよさそうです。冷たくかわいた空がひろがっています。きっとお月さまは姿を見せるでしょう。
「ねえ、おねがいがあるんだけど。見送りの人たちが来ないうちに、やってもらいたいことがあるの」
ニニがいいました。
「なに?」
キキと、とんぼさんがそろってききました。
「笑わないでよ。小さいときさ、よく四人で重ねいすごっこってしたでしょ。あれやりたいの」
ニニは照れながらいいました。
「ほーう」
とんぼさんが声をあげました。
「えーっ、あれーっ?」
トトがいやそうな声をあげました。
「いいぞ、やろう、やろう」
とんぼさんは急いでいすに腰かけて、手で膝をぽんぽんとたたきました。
「さ、おすわり。キキ」
キキは、「くくく」と、のどの奥で音をたてました。笑いだしそうなのです。自分も旅立ちの日、オキノさんに「たかいたかい」をしてもらったことを思い出していました。
「いいわよ。でもとんぼさん、大丈夫? ふたりはもう小さな子じゃないのよ。重いわよ」
キキはそういいながら、とんぼさんの膝にすわると、今度ははっきりと笑いながら、「おつぎのかた、どうぞ」と膝をぽんぽんとたたきました。
「じゃ、わたし」
ニニはわざとはずみをつけて、キキの膝にどんと乗りました。
「ぐっ」
とんぼさんのおしつぶされたような声がしました。
「さ、トトも、思いっきりいらっしゃい」
キキがいいました。トトも、どんと、ニニの膝の上にすわりました。
「ぐっ」、「きゃは」、「ぶっ」
それぞれのつぶされた声が飛び出してきます。
「かーさなった かさなった みんな みんないすになった
かーさねーいすでーすよっ さ だれかさん おねがいしーます
いっぺんにかたづけてくださいな さあ さあ さあ 重いよ 重いよ」
ニニが子どものころのように、甲高い声で歌いました。
キキもあわせて、歌いました。とんぼさんも、「ははは、重い、重いぞ」といって、笑いました。「弟はいちばん上で、らくちん、らくちん」トトの声がつづきます。
「ねえ、トト、今度は順番代わってあげてもいいよ。かあさんのお膝に乗りたいでしょ」
トトはくっと口をまげて、「そんなこと、どうでもいいよ」とらんぼうにいいました。
「それでーは、おかたづけをいーたしましょう、いーたしましょう」
ニニがトトの肩をたたいていうと、四人は立ち上がり、腰をのばしながらばらばらになりました。
キキは、下をむいて、まるで小さな女の子のように泣いています。
「なんだね、たった一年のことだよ。あっという間にたっちゃうよ」
とんぼさんは、キキの肩に手をかけていいました。
「ところで……こんなときに、なんですけど……」
トトがおそるおそるいいかけました。
「わかってる、もういわなくってもいいよ。とうさんも、かあさんもわかってるから」
とんぼさんはうなずきながら、キキをはなすと、トトの両肩に手をおきました。
「お祝いしたいぐらいだぞ。決めたんだね」
「今夜、いくの?」
キキがききました。
「うん」トトがうなずきました。
「わかってたの?」
「そりゃ、わかるさ」
とんぼさんがいいました。
ニニは、トトの手をにぎって、ぶらんぶらんとふりながら、いいました。
「へーっ、そうなんだ。へーっ、そうなんだ。いっしょに旅立つんだ。そうなんだ!」
キキはにこっと笑うとトトをだきしめました。そしてしばらくなにもいわずにそうしていました。
「そんな、たった一年だよ」
トトはキキの手をそっとほどいていいました。
「うん、すぐたってしまうわね。でも……今のトトは変わるわ。今のトトとはお別れだもの、そしてかあさんはたのしみに、変わったトトをまってるわ。それでどこへいくつもり?」
キキはまだ心配そうです。
「わかんない」
トトはこたえました。でもトトは、パリパリ市にいくつもりでした。ケケとはまったく関係なく、この大都会を行き先にえらびました。トトの気持ちのなかに、森で会った女の子のことがないといったら噓になります。でも、会いたい、それだけではないのです。はっきりと口に出せないけど、どうしてもそこになにかがあるように思えるのです。
「僕も自分のなかの不思議を見つけにいくんだ」
トトは自分にむかってうなずきました。
「あっ、お月さまが出てきましたよ」
家の外で声がします。ニニが窓から見上げると、金色の、まんまるのお月さまが東の空に姿を見せました。そばに幸せのベールのような、うすい雲をひきつれています。月のせいで、空は黒い鏡のようにつややかにひろがっていました。
「わたしのお月さま、よろしく」
ニニは小さく手をふって合図を送りました。
「じゃ、元気でな」
いつ来たのか、後ろでトトがささやきました。ふりむくと、背中にリュックを背負い、「ほうき楽器」をかかえ、手にベベを入れたかごをさげています。
「一足お先に」
トトはかたほうの目をぱちんとつぶりました。それからドアを細くあけると、みんなに見られないようにするりと抜けて、歩きだしました。
「トトったら」
ニニはじっと、じっとトトの後ろ姿を見つめました。べそをかいたように、口がまがっています。ニニのなかで、今までいつもいっしょだったトトとの時間が思い出され、それがぐるぐると回っていました。
「さ、ニニ、こっちも笑って、いこうぜ」
ブブが足下でいいました。
「もうそろそろよ、ニニ。さ、コートを着て。マフラーをまいて、このくすりぐさの種もわすれないで」
キキがニニのそばに来ていいました。
あんなにこだわっていたのに、ニニはやっぱりズボン姿で旅立つことにしたのです。
「自転車こぎだもの、このほうがらくだから」
それをきいてキキは首をすくめただけでした。
「ニニ、これからニニの一年が始まるのよ。たのしくね。宝物にしてね。仲よしをたくさん作るのよ。じゃ、握手」
キキはニニの手をにぎって、「ね」とうなずいて、笑いました。
「うん、わくわく、わくわく」
ニニは笑って、手をぶらんとふりました。ふたりの目は涙でいっぱいです。
見送りの人たちのにぎやかな声がきこえてきます。
「ああ、わたしは、やっぱりいくんだわ」
ニニは小さくつぶやきました。その自分のつぶやきをきいて、あらためて自分で決めたことに納得をし、こっくりとうなずくと、ふきあげてくるようなよろこびを感じました。
「さあ、これからよ。いこうぜ、ブブ。覚悟はいいか?」
ニニはほうきをもち、バッグを肩にかけると、さっとドアをあけました。
「おう」
ブブがしっぽをぴんとたてて、返事をしました。
「わー、いよいよ、出発ね!」
いっせいにさけび声があがります。
「はーい、いってまいりまーす」
ニニはすばやくほうきにまたがり、とんといつものように地面をけりました。こういう出発のしかたに決めるまで、ニニはいろいろ考えました。
派手にやるか?
しめっぽくみんなとだきあおうか……。
お別れの一言も必要かな……。
でも、あっさりに決めたのです。泣くのもいやだし、泣かれるのもごめんです。
とんとけって、地面の力をかりると、ニニは浮き上がりました。
またしても、ぷーっと浮いていきます。やっぱりぷーです。どんどん浮いていきます。ニニは目のはじに、とんぼさんと、キキの姿をとらえました。ふたりは肩をだきあい、じっとニニを見ています。ニニとのあいだはどんどん開いていきました。ハリンの姿も見えます。両手でにぎっているカメラのレンズが目のように光っていました。遠くにコリコの中央駅も見えました。トトはきっとあそこにいるはずです。
ニニは力を入れて足をこぎました。そしてまあるく円をかくと、もどるようにおりてきました。みんなの頭の上すれすれまで来ると、もう一度手をあげて、
「いってきまーす」
とさけびました。おや、声がかすれています。
「えへん」
ニニはわざとせきばらいをして、もう一度声をはりあげました。
「いってきまーす。またね。ありがとう」
それから足こぎをつづけ、上へ、上へと、のぼっていきました。
「元気でねー」
「がんばってねー」
下からの声も、だんだんと小さくなっていきました。
ニニは顔を上にむけました。
すぐそばにあるように、まんまるのお月さまが見えます。まぶしいようなひかりが、ニニの体全体を浮き上がらせました。
「お月さまよろしく、わたしをおねがいね」
ニニは大きな声でいいました。
そのころ、トトは駅のホームで、パリパリ市行きの列車がはいってくるのをまっていました。
ベベをかごから出し、肩に乗せてやりました。
トトは顔をあげ、空を見上げていました。小さい影が遠くでぷーっとあがり、ゆれながら飛んでいきます。トトは胸のところまで、手をあげて、何回もふりました。
「ベベもしばしコリコの町とお別れだよ。いいな」
トトはベベの背中をなぜながらいいました。すると、しんみりとしているトトとベベのあいだを裂くように、
「うー、うー、ぎゃあ」
後ろからうなり声がきこえてきました。おどろいてふりむくと、ベベにむかって、あのギャアが……いや、ノックが、ほえながら走ってきます。その後ろからヨモギさんが小走りについてきます。
「えーっ」
トトは声をあげました。
「お見送りよ」
ヨモギさんはそばに来ると、はあはあといいながら、ほほえみました。
「どうして、どうして、わかったの?」
「そりゃ、わかりますよ。こういうふうになると思っていたわ」
ヨモギさんはトトの手をにぎって、いいました。
「ああ、これでよし。これでいいのよ。元気でいってらっしゃいね。わたしもノックと帰りをまってますよ。ノックがいて、毎日がたのしいのよ、おかげさまで。じゃ、これで帰りますよ。見送りは、あっさりが、わたし、すきなの」
ヨモギさんはノックに、「さ、いきますよ」と声をかけると、手をふふふっとふって、後ろをむきました。
「うー、うー」
ノックはベベに低いうなり声をあげると、ヨモギさんについて歩きだしました。
「『へっ、あばよ』だってさ、あの子ったらさ、かっこつけちゃって」
ベベがふんと鼻を鳴らしました。
パリパリ市行きの列車がホームにはいってきました。トトは乗客のすくない車両をえらんで、窓辺にすわりました。
空にはすんだひかりを放つ冬の満月が輝いています。
「僕にもまんまるのお月さまだ」
トトはつぶやいて、手をちょっとあげて、あいさつを送りました。
列車はきしむような音をたてて、動きはじめました。ホームをはなれていきます。
そのとき、トトは目を見張りました。
あのときのあの森のにおいをかいだような気がしたのです。
「あっ」
思わず声をあげると、膝の上のベベも、はっと顔をあげ、空中に鼻をむけて、くくっと動かしました。