18 無線の声
「ニニ、じゃ、かあさんは出かけますから、今日のごはんはたのむわよ」
「へーい、おまかせ」
ニニはベッドのなかから機嫌よく返事をしました。
「あ、僕のことならいいよ。学校に仕事がのこってるから、今日はおそくなる。夏休み中にすませないとな。気をつけていっておいで、キキ、みなさんによろしく」
おきだしてきたとんぼさんはまだねむそうな声でいいました。
「じゃ、いきますよ」
キキがほうきをもち、「さ、出発よ」と声をかけると、ジジは申し訳なさそうに頭をちぢめました。
「わりい、僕はお留守番するよ。ヤアくんと、ノノちゃんによろしくね」
それからぼそっとつぶやきました。「なんか、用事があったんだよな」
「あっ、そう。わかったわ。わたしはひとりで遠出。久しぶりだわ。今日はいいお天気だし、たのしみ。じゃ、ジジ、お留守番おねがいね」
キキは晴れ晴れとした顔で、出発していきました。
キキが風を切って飛び上がる音をきいて、ニニはまっていたようにおきあがりました。それから手ばやくいつものズボン姿になると、台所で朝ごはんを作りはじめました。
「とうさん、ごはんよ。はやく」
「やに、はりきってるなあ」
とんぼさんはめがねのはじをもって、のぞくようにニニを見ました。
「わたしだって、やるときはやるのよ」
ニニはいばって、目玉焼きをお皿にのせました。
「トト、ごはんできてるよ。お姉さまの朝ごはんですよーう」
今度は上をむいてさけびました。
「なんだよ、かあさん、いないんだから、みんなで、たまには、ぐだぐだしようよ」
トトは「巣」とよばれている自分の部屋から、うるさそうな声を出しました。
「トト、あんた、夏休みの宿題、まだなんにもやってないじゃない。はやくしなさいよ」
ニニがすかさず声をとばすと、しばらくして、トトがぶっとふくれておりてきました。それから不機嫌そうな顔で、テーブルのいすにどんとすわりました。
「ふぁ~~、ニニにはいわれたくないね、ふぁ~~」
大きなあくびをして、いきなりパンをちぎって、口に入れようとしました。
「やだ、顔もあらわないで! トト、あんた、なんか寝ぐさーい」
「ふん」
トトはいすから音をたてて立ち上がると、顔をあらいにいきました。
「やれ、やれ、おちびなかあさんも、一人前にいうねえ」
とんぼさんは苦笑いしながらお茶を飲むと、「ごちそうさま」といって、立ち上がりました。
「いってらっしゃーい」
ニニがすかさず声をあげました。
「なんだよ、追いだされるのかい」
「だって、お仕事いそがしいんでしょ」
ニニは鼻にしわを寄せて、にっと笑いました。
「いい天気だあ、さーてと」
とんぼさんはいつものカバンを肩からかけて、出かけていきました。
「はやく、はやくって、いったいなんなんだよ」
トトはふくれたまんまで、目玉焼きを突っついています。
「これ、朝めしかよ、さびしいなあ」
「なにいってるの。わたしだっていそがしいんだから」
「なんでさ、これから二度寝するんだろ。いいとこ、ちょびっと見せといてさ」
「そ、そうよ。当たり。だからどっかに出かけてよ。宿題があるんでしょ。図書館にでもいったら」
ニニはトトの前に顔をつきだし、いいました。
「そういう、おまえさんはどうなのさ」
トトも負けてはいません。
「もち、これからですよ。ま、いいこと考えてるんだ……だからニニちゃまはいそがしいのでーす」
「偉そうに、どうせ町を歩いてちゃらちゃらするんだろ」
「まあね、でもトトが目をむいておどろくようなことよ」
ニニは目をぱっと見開いて、大げさにぐるっと回しました。
トトはどきっと体を後ろにひきました。それから探るようにニニを見ました。
「なんか、あやしいなあ。ニニ、あまりはずれるなよ」
「心配はご無用。だからさ、トトもね、がんばってよ」
「余計なお世話だよ。いわれなくったって、やるときは、トトさまだってやるんだから。おどろくなよ」
トトはそうどなるようにいいながら、(そうだ、ケケおばさんに手紙を書こう)と思いました。
「それじゃ今日一日、ニニの希望にそって図書館にこもることにする」
トトは姿勢を正すと、自信たっぷりな様子でいいました。
「そう、こなくちゃ。でも、また、なにしに?」
「もちろん宿題だよ! 決まってるだろ」
トトはあっさりといいました。
「おなじときに、やる気が出るなんてさ、わたしたちやっぱりふたごよね」
ニニはぽんぽんとトトの肩をたたきながら、「なら、ほら、ほら、はやくいきなさいよ」といいました。そしていそがしさを見せびらかすように音をたてて後片付けをしながら、「さっさ、ほらほら、はやく、はやく」と手をふりました。
「なんだよ、まったく」
トトは露骨にいやな顔をして、のろのろと着替え始めました。いつもなら洋服なんか気にしないトトなのに、あれこれ迷い、その合間に「ほうき楽器」を手にとって、ぱらりぱらりと音を出したり……。これ見よがしにぐずぐずしています。ニニは目をつりあげて、ぴりぴり、いらいら、音をたてて歩き回り、とうとう大きな声でいいました。
「おねがい、ひとりになりたいの。はやくどっかにいってよう」
「わかった、わかったよ」
ニニの態度におどろいて、トトはかばんと「ほうき楽器」をかかえると、靴を突っかけながら、いいました。
「じゃ、いいな。おたがい今日は自由にしようぜ。帰りがおそくなっても、うるさいせんさくはなしだぜ」
そして大きな音をたててドアを閉めました。
「もちろん、そうしましょ」
ニニはほっとした顔で、トトの後ろ姿にいいました。
これでみんな出かけていきました。家のなかはしずかです。心配はすべて解決です。
すると小さな足音がして、ジジがのっそりと出てきました。
「やだ、ジジ、いたの?」
ニニは飛び上がらんばかりにおどろいています。
「ああ、いるよ。悪いかね。なぜか足がだるいんだよ。なんか、気になる、おかしいんだよね」
「体の調子でも悪いんじゃないの?」
「いや、ちがう……それと、ちがうんだ」
ジジは首をかしげながら、考え、考え、歩きながら、ふっとふりかえると、じっとニニを見て、出ていきました。
「やだ。はじめて、わたしを見るみたいに……」
ニニはどきんとしました。
油断なりません。さすが、キキの猫です。ニニは
(まさか……ばれてないよね。でもジジには用心しないと)
ニニはそうつぶやくと、ぶるんと気がかりを頭からふるいおとして、支度にかかりました。
まず家いちばんの大きな袋を戸棚から取りだすと、昨日の夜、またひらひら飾りを三つほどたして、一段とにぎやかになったドレスをていねいにたたんで入れました。とんぼさんに似たのでしょうか、ニニはこういう手をつかう細かい仕事はほんとうにうまいのです。それからきらきらした靴、いつもは脇にかかえているほうきも袋のなかに入れました。これで袋はただの荷物になりました。なにげなくことを運ぶ。秘密にはこれがだいじです。それからブブの毛繕い。ブラシをかけ、ひとたれ香水もつけてやりました。
「やめて、いくらなんでも、やめてよ」
ブブは大騒ぎで、逃げ回りました。
「鼻がきかなくなっちゃうよ」
「猫くさいのが、写真にうつっちゃうよ」
「なに、わけのわからないこといってるんだろ。この人は」
ブブは怒って鼻から息をしゅっと吹き出しました。
用意ができたら、自分のお化粧です。旅立ちの日のために、前から研究していました。それを今日はやってみるつもりです。悩みは目の下に散らばっているそばかす。みんながかわいいといってくれるこのそばかすです。でもニニには子どもっぽく思えるのです。それで今日は思いきって、大人の女性をめざして、なんとか消してみるつもりです。キキのおしろいをかりて、見えなくなるまで厚くぬりました。でも自分の顔じゃないみたいです。やっぱりとろう。石けんで顔をごしごしとあらい、はじめからやりなおしです。いつもだったらめんどくさいお化粧なんて、すぐあきちゃうのに、今日はそうはいきません。ぬったり、とったり、またぬったり。ほっぺたがまるで下敷きみたいにつっぱってきました。でも、もう一度!
すると、
ルルルルー ルルルルー
電話が鳴りだしました。
ニニはびっくと飛び上がり、電話をにらみつけました。
(こんな、いそがしいときに)
でも知らんぷりすることはできません。もしかしたら、あのハリンかもしれません。
ニニは手をふきふき受話器をとりました。
「あああ、魔女のキキさんでしょ? ああ、よかった。ふー、あのねえ……」
電話は男の人で、走りながらしゃべっているように、はあはあしていました。
「あ、あのー」
ニニは「ちがう」といいかけました。でもニニの話なんか、むこうはきこうともしません。
「あああ、おれ、星くず群島のはずれで、漁師をしてるんだけど。む、無線が、無線が、はあ、はあ、飛びこんできたのよ。電気がないのかねえ、その声がとぎれとぎれでさあ。はっきりしないんだけど、泣きそうな声なのよ。はあ、はあ、はあ、こっちも息が切れる。そんでさあ、馬が子産むんだってさ。それが予定の日をとっくに過ぎてるのに、生まれないんだって。死にそうだってんだよ。『助けて、助けて』って、さけぶのさ。『これは、わたしたちの全財産。死なれたら、わたしたちも、生きていけない』って、いうんだよ。馬も死んで、その人らも死ぬっていうんだよ。ものすごくせっぱつまってるの。なんか気の毒でさあ。お医者にみせなくちゃって。でもその人たち、船をもってないらしいんだよ。近くに船もないらしい。それによ、その島には夫婦と赤んぼしかいないんだってよ。なんとか、助けて、助けてっていうもんだから、気の毒でさあ」
電話の人は声をはりあげて、さけんでいます。そのむこうでは波の音がうなっています。
「そしたら、おれ、思い出したのよ。魔女さんにたのもうって。前にカバを運んだって噂をきいたからさ。なんとかしてやるって、いってやった。どうか、助けてやってよ。これから船を探したんじゃ、間に合わないよ。たのむよ。星くず群島よりずっと手前にある島で、コリコからそんなに遠いとこじゃないらしいよ。アラ島だっていってたよ。小さいとこらしい。白い旗をあげとくって。いい天気だし、すぐ見つかるよ。どうか、はやく獣医に連れてってやってよ」
「あの、すいません。その魔女は、今留守なんです。明日まで帰ってきません」
「なんだって……じゃ、あんた、だれ?」
「娘です」
「魔女の娘なら魔女だろ。娘でもいいよ。血ひいてるんだろ。かえってわかいほうがいい。この荷物は、重いからね」
「わたし、魔女じゃないんです」
「え、魔女の娘のくせして! ちぇっ、な、なっさけない! そんなだいじなこと、親から教わってないの? わがまましてるからだよ」
ニニはかっとして、いいかえしました。
「飛べますよ。でも新米なんです。まだ、まだ、よたよたで……これからなんです……」
「よたよただって……上等! 新米、結構じゃないか。いいからいってやってよ。おれだって、知らなきゃよかったよ。でもあの必死な声きいたら、だまってられないよ。あんただって、もう知っちゃったんだから、逃げるなんて許せないよ。むこうは死にそうなんだから」
「だって、だって、むりよ、むり、馬なんて!」
ニニは泣きそうになりながら、首を激しくふりました。
「勇気、勇気だよ。やっておくれ、おねがいだよ、あ、あ、あ、でっかい波が。道具が流されちまう! う、う、うー、じゃ、たのんだよ」
かぶさるように波の音がして、電話はそれっきり切れてしまいました。
ジジが窓から飛びこんできました。
「ニニ、いきなさい」
大きな声で、うなって、にらんでいます。毛を逆立て、いつになくすごい顔つきです。
「いやよ。わたしにはできっこないわ。だって馬を運ぶのよ。まだなんにも運んだことないのに」
「でも、いきなさい。それが魔女ってもんだよ」
「いやよ、むりよ」
「むりでも、やるんだ!」
「だって、だめ、だめ、だめよ。わたし、だいじな約束があるんだもの」
「馬の命がかかってるんだよ」
「だって、だって、小さな島なのよ。海の上なのよ。運ぶなんて絶対できない」
「なんて島だって?」
「アラ島……」
ジジはぽーんと机に飛びのりました。それから壁にはってあるコリコの地図を見つめました。
「近いよ! コリコ湾をまっすぐ抜けて、水平線の向こうにかすかに星くず群島が見えたら、西へ方向を変えれば、小さな島がいくつか見えてくるよ。そのひとつだ」
「とうさんに、相談する!」
「わからずや。とんぼさんにいってどうするのさ。代わりに飛んでもらうのかい」
「やだ、やだ、わたし、約束があるっていったでしょ」
「約束はすこし遅らせてもらうんだね。やらなくって、どうする! ニニはできる」
ジジが毛を逆立てて、どなりました。
「じゃ、ジジもいってくれる?」
「それはだめ。これはブブの役目だ!」
ジジはそういうと、キキの部屋に飛びこんで、ベッドのシーツを口にくわえて、ひっぱってきました。
「これもって、馬をつつんで、ぶらさげて、たりなかったら、その家のシーツか、魚の網でも……それならあるだろ。さ、はやく」
ジジは爪をむきだして、手をあげ、ニニをおどかしました。
「なによ、なによ。だからいやなのよ、魔女なんて。むりむりばかり」
ジジはニニの文句なんてまったく無視。飛びだすような目でにらみつけ、毛は針金のようにつっぱって、口からは火でもふきだしそうです。その迫力のすごいこと! こんなジジを見たのははじめてです。ニニは「だってだって」とわめきながらも追いたてられて袋をあけると、なかからほうきを取りだし、かわりにシーツを突っ込みました。ニニはせまってくるジジにおそれをなし、外に飛びだすと、はじめっから足をこぎ、がくがくと浮き上がりました。思いっきりの自転車こぎです。はやく飛ばなきゃ。こうなったら、やるっきゃありません。ブブが飛び上がって、ほうきにしがみつきました。
幸いおだやかな海です。空もピカピカしています。
「さっさとすませて帰ってくる、ぜったいにーぜったーい」
ニニは風にむかって、どなるようにさけびました。
ニニは激しく足を動かしながら、目が飛びださんばかり、前をにらんですすみます。
「ねえ、ニニ、なんだか空気、いらいらしてない? こっちの気持ちのせいかな」
背中にかじりついてるブブがいいました。
「ブブ、そう思う? わたしもなのよ。空気のなかで、細い線がいくつも、斜めになって、走ってるみたい。ぴりぴりする。こんなにきれいなお天気なのに。わたしたち、緊張しすぎ」
真っ青な海の上に、細かな波が白いあわをたてています。魚がときどき飛び上がります。
やがて、前方にうっすらと星くず群島が見えてきました。ニニは、ジジがいったように、西に方向を変えました。小さな島一つ一つに、波がしま模様になって、寄せています。ニニの気持ちも、やっとすこし落ち着いてきました。風も追い風です。あんまり強くこがなくても、はやくすすんでくれます。
あっ、小さい島のはじっこで、白い旗がちらちらと動いています。
「見つかった! やった!」
ニニは思わず両手をあげて、ばんざいをすると、旗をめざしておりていきました。ずずずーっとひきずるように地面に立つと、目の前にかたむきかけた小屋が見えました。ぎゃぎゃーと赤ちゃんの泣く声がしています。
「こんにちはー」
ニニはさけびながら、なかに飛びこんでいきました。
小屋の裏にある庭ではぱんぱんにはれたおなかをした、茶色い馬がいました。馬はひきつるような息をして、汗をびっしょりかいています。その体を布きれでこすっているわかい夫婦。赤ちゃんはおかあさんにおぶさって、火がついたように泣いています。
ふたりはニニを見ると、立ち上がりました。でもそのまま、ただ
「わたし、魔女です。電話でたのまれて……」
ニニはいいかけて、口をつぐんでしまいました。ふたりの目は、とってもがっかりしているようでした。
「まだ、子どもじゃないか」
男のほうが汗と泥にまみれた顔でつぶやきました。
「でも、あんた……おねがいしなくちゃ」
女の人は、泣いている子を揺すり上げながら、いいました。この人もがっかりしている様子をかくしません。
「大丈夫ですよね」
念をおすように、ニニを見ました。
「予定日過ぎてるのに、生まれないんです。はじめてのお産なんです。苦しんで、苦しんで。わたしたちにとっては、たいせつな馬。全財産なんです」
ニニは急いでシーツをひろげました。
「もっと大きなものもってきます」
女の人は急いで、走っていくと、魚をとる網をひきずってきました。
「これをかごにしたら」
女の人と、男の人は急いで四隅にロープを通しました。
「大丈夫ですか、これで……」
ニニは、大丈夫もなにも、怖くって、うなずくこともできずに、わなわなとふるえています。
ふたりは力いっぱい馬をはげまして、網の上まで歩かせました。ニニはもってきたシーツを馬の上にかけました。
「おねがいです。なんとか、コリコ町立動物園のママ先生のところまで運んでください」
「はい」
ニニはふるえながら、うなずきました。でも、馬はニニの十倍ほども大きいのです。はたしてもちあがるでしょうか。
ニニはロープのはじををほうきの柄に通すと、またがりました。足で地面を思いきりけると、荷物はずずっとひっぱられ、おや、まあ、ありがたいことに、浮き上がりました。ほうきの柄がいまにも折れそうにしなっています。ブブがあわてて馬の背中に飛びのります。ほうきはよろろよろろと、すこしずつ地上をはなれていきます。
落ちてきたら受けとめるつもりでしょうか、馬主のふたりは両手を空中にささげて、泣きそうな顔をしています。ニニはそれを見て、力を入れて口をぎゅっとむすびました。
おひさまは元気に光っています。時計を見ると、約束の時間まで、あと三十分はあります。このままいけば、すこしの遅れで、すみそうです。ニニはほっとして、息をつき、馬の様子を気にしながら、方向を変えました。そのとたんニニはぎくりっと体をこわばらせました。右後方はるかむこうから、ものすごく黒い雲が、まるで悪魔のしっぽのようにのたくりながらこっちにむかってきます。
「やばい!」
ブブがさけびました。「もどったほうがいい」
「まだ遠くだから、あれよりはやく飛べば。前をすりぬければ……」
ニニはぶらんぶらん落ち着きなく揺れる馬にあわてながら、「このまま、いってみる! いかなくちゃ」とさけびました。そして、高いところをめざし、足を激しく動かしました。胸はもうはれつしそうにどきどき鳴っています。
「大丈夫よ、大丈夫よ。約束には、きっと間に合わせてみせる」と、ニニは自分にいいつづけました。
(でも、なぜ、なぜ、さっきまであんなにしずかだったのに)
黒い雲はみるみるひろがってきます。先端が急にのびて、巨大な舌のように、ニニをからめとろうとします。すりぬけるなんて、とても、とても。
風も強くなってきました。ニニたちはたちまち真っ黒な雲にまきこまれていきました。ぐらんぐらんとつるした馬が揺れます。あたりの闇を切り裂くように、稲光が走ります。つぎから、つぎへ。
今年は来なかったといっていた、海坊主風がやってきたのです。それも例年になく、大きいのが。
風にまかれ、渦巻きのように回転しながら、ニニは落ちはじめました。
「ニニ、下、下!」
後ろでブブのさけび声がします。見ると、目のすぐ下に、水面がひろがっています。気がつかないうちに、方角を見失い、ニニはすごい速度で落ちていたのです。横殴りの雨のなか、あわてて周囲を見回すと、小さな島がかすんで見えます。ニニは力いっぱい足をこいで、その島をめざして、おりていきました。
山のような波が、どーどーっと小さな島の上をこえていきます。このままではたちまちみんな流されてしまうでしょう。
「おねがい、立って!」
ニニは馬にどなりました。「歩いてよ!」
その剣幕におそれをなしたのか、馬はよろよろと立ち上がり、歩きだしました。
たたきつけるような雨と波のなか、あたりをすかしてみると、屋根のようにすこし出っ張っている岩を見つけました。ニニは馬の手綱をひっぱって、そこにおしこめました。馬はぐらりとひざをつくと、ちぎれるような荒い息をはきつづけています。ニニはその体にしがみついて、「大丈夫、大丈夫、守ってあげるね」と声をからさんばかりにいいながら、でも守ってほしいのは自分もだと思っていました。馬の体は熱く、それがふるえているニニにも伝わってきて、すこし勇気がわいてきました。助けるはずの馬に、ニニは助けられてるような気持ちでした。そばにちぢこまってブブもいます。ありがたいことにほうきはこわれていません。あのだいじな洋服のはいった袋も、ぬれてはいても、そこにありました。命もなくしていません。
嵐はますます激しく、海の底がわれたかと思うほど、恐ろしい音をたてています。この海坊主風は、いつも一晩はつづきます。このままじっと通りすぎるのを、耐えなければなりません。ニニは気が狂いそうでした。馬はますます苦しそうな息をはき、おなかもぐらぐらと、揺れています。あたりは夜のように暗く、波がひいたときに、ぼんやりとあたりが見えるだけです。ニニは手で馬のおなかをさすりました。そのとき、ニニのなかにノノちゃんのおなかをさすっているキキの姿が浮かんできました。魔女の手は力があるのよ。さすってあげると、丈夫な赤ちゃんが生まれるのよ。キキがそういっていました。ニニは腕で涙をふきながら、また力をこめて、馬のお腹をさすりました。
「安心していいよ。わたし、魔女だから」
ニニはしゃくりあげながら、馬の耳にささやきました。
ふっと馬の動きがとまりました。ニニはあわてて、首にかじりつきました。馬が大きく息をはいたかと思うと、体からするりっとかたまりが出てきました。暗いなかで光っています。生まれたのです。ニニはあわてて、袋をあけ、あのだいじなドレスをひっぱりだして、赤ちゃんの体をおおうと、力を入れてふきました。
雨も、風も、いっこうにおさまりそうにありません。
しばらくしてまた、馬が大きくふるえ、息をはきました。見ると、もう一頭生まれているではありませんか。ふたごです。波のしぶきの光のなかに、二頭の赤ちゃん馬がよこたわっています。ニニは、洋服を布のようににぎりしめ、細かくふるえる体を、かわりばんこに、ごしごしとさすりつづけました。お母さん馬も舌で、赤ちゃん馬をなめています。やがて、赤ちゃんは細い足でよろよろと立ち上がりました。ニニはふーっと気が遠くなりました。
「ニニ、生きてる?」
声がします。顔のまわりで、すーすー、くーくーと音がします。ニニが目をあけると、胸の上にブブ、顔のそばに赤ちゃん馬が二頭、その上からのぞくようにして、お母さん馬が見ています。
「あっ」とさけんだとたん、ニニはすべてを思い出しました。体はびじょびじょにぬれています。髪もよれて顔にかかっています。ニニはしばしばした目を外にむけました。
「ああ、よかった、よかったね。ニニ、大丈夫なんだよ。僕たち生きてるんだよ」
ブブがいいました。
ニニは目を海のほうにむけました。雨はやんでいました。まだ黒い雲にはおおわれています。うねりをのこしている波のむこうの空が、かすかに明るくなってきました。
ニニは立ち上がり、網をひろげると、そこに母さん馬をまんなかに、赤ちゃん馬をならべました。そして網の四隅のロープをほうきの柄に通しました。袋もわすれずにかけました。
「運ぶつもり? いくらなんでも、むりだよ」
ブブがニニの肩に飛びのり、いいました。
「一頭が三頭にわかれただけじゃない。やるだけやってみる!」
ニニは、それからほうきにまたがり、エイッと小さくかけ声をかけて地面をけりました。
ずずずるー
荷物を岩の上にひきずって、ほうきは浮き上がり、海のほうに動きだしました。
ニニの目は、きょろきょろするばかりです。ここがどこなのか、自分がどこにいるのかわからないのです。どっちにむいて飛んだら、アラ島なのでしょう。どっちのほうにコリコの町があるのでしょう。
空が明るくなってきました。太陽がのぼろうとしているのです。そのとたん、ニニは、「あっ、こっちだ」とさけびました。コリコの町の方角がわかったのです。毎朝コリコの浜辺のむこうからおひさまはのぼってきます。なら、おひさまに背をむけて飛べばコリコの町に帰れます。ニニは赤ちゃん馬のことも心配でした。はやく体をきれいにしてあげなければ、と考えました。うろうろアラ島を探すより、ここはまっすぐコリコの町に帰るほうがよさそうです。
さすがに三頭の馬は重く、海面すれすれにしか持ちあがりません。ニニはまるで海の上を自転車で走っているような姿で飛びつづけました。幸い、嵐ののこりの風が背中をおしてくれました。
むこうから、朝はやく漁に出る船がやってきました。ハンドルをにぎっている漁師さんが、びくっとしたように飛び上がり、あわてて無線に飛びつくのが見えました。
ニニは思わずくすりと笑いました。そして、ハリンとの約束を思い出しました。でも、それはもう遠い世界のような気がしました。するりとニニから抜けていったのです。ほんとうにするりと。
そして、(あの島のふたり、よろこぶだろうな、いっぺんに赤ちゃん馬が二頭になったんだもの)と思いました。
コリコの港が見えてきました。朝日をうけて、輝いています。そのなかで、飛びはねながら、手をふっているのは、船から知らせをきいて、かけつけたとんぼさんと、トト、ジジ、それに動物園のママ先生です。
でもニニは動くのがやっとです。半分はもう水のなかです。馬もニニも漂うようにして、近づいていきました。水のなかにはいって、手をのばしている、とんぼさんと、トトの手にすがりつくと、ニニは浅瀬にたおれこみ、いいました。
「馬たちに水を。それから、わたしとブブにも」
トトが近くから水を運んでくると、馬たちも、ニニも、ブブも音をたてて飲みました。ママ先生がおかあさん馬のおなかを布で強くこすると、子馬たちは体をすりよせ、おっぱいを飲みはじめました。それを見て、ニニはしゃがみこみ大声をあげて泣きだしました。トトも後ろをむいて、涙をふいています。
ニニは、顔をあげて、涙をふきふき、「うちって、よっぽどふたごに縁があるね」と笑いました。
「ところでさ、ニニ、どっちが先に生まれたの?」
トトがのりだしてきました。
「あっ、どっちだろう。わからないよう。小さな島の穴、真っ暗だったんだもの。いっしょ、いっしょでいいじゃない」
ニニはいいました。
それから一週間ほどして、馬の親子は船に乗って、島に帰っていきました。子馬は雌と、雄でした。
「なんでえ、またあ。やっぱさ、かあさんのしわざだね。魔法、つかったんじゃないの。ノノちゃんたちもふたごだったりしてさ」
トトがいいました。
キキは、「まさか」といいながら、うれしそうにトトとニニの肩をだきました。
「かあさん、動物だけ運ぶ、魔女の宅急便っていうのどうかな?」
ニニがいいました。
すると、キキがそくざにこたえました。
「魔女の宅急便は
その三人のやりとりを、めがねのなかのとんぼさんの目がじっと見つめていました。うれしそうに、小さくうなずいています。