「森の奥の奥で、あるとき、人が、ひとり、生まれます。その人は木のように生えてくるのです」
13 書きかけの原稿
森の奥で幻のようにあらわれた女の子が、トトの歌を、「わたしの歌」なんていってくれたのです。あれはほんとうにあったことなのでしょうか。
(僕の声にあわせて歌って……この歌、すきよって)
トトはうれしくって、どうしていいか……じっとしていられません。なんとしても、あの子にもう一度会って、幻ではなく、ほんとうにあったことだったと、確かめたくなりました。トトはもう一度村にいってみようと思いました。
それにしてもなんてひどい格好でしょう。ズボンもシャツもよれよれのどろどろ、裂けているところもあります。こんな姿をあの子に見られてしまったのです。
トトはもってきたシャツとズボンに着替え、川から水をくんできて、念入りに顔をあらうと、汚れた服もあらって、そばの木につるしました。
「なんだって? 女の子に、森で会ったって! あんたぐらいの女の子だって? そりゃこの村にもそんな女の子は幾人かはいるけどね。森のなかへひとりきりではいっていく子なんていないよ。すぐ迷子になるって知ってるからね。あの森は奇妙なところさ。もしかして、あんた、森の奥までいったんじゃないだろうね。とんでもないよ。狼だっているし、あそこじゃ季節が順番を間違えたりするからねえ」
「じゃ、森のなかに住んでいる人はいないんですか?」
「わたしの知るかぎり、そんなひねくれ者は、いないね。今は夏だから、もしかしたら迷いこんでいるかもしれないけど、でもねえ、まず考えられないね。女の子がのんびり歩いてるなんて、とんでもないよ。夕方にでもなればとことんさびしくなるからね。ケケだって、そうとうかわってるけど、この森はなにをかくしてるかわからないって、あまり奥にはいかなかったよ」
「だけど、僕、たしかに女の子に会ったんだけど……」
「あの森は、さびしいから、そう思いたいのもわかるけど、それ、腐った木だったんじゃないの。よく見間違えるんだよ」
「口もきいたんですよ」
「そうまでいうなら、店先にすわって、通る人を見ててごらん。半日もすわってれば、村の人ぜんぶに会えるから」
お店のおばさんは、昨日とかわらず愛想のない声でいいました。それから、すいっと立って、裏の戸をあけると、手をのばして、リンゴを一つもぎとりました。
「これ、ほしかったんだろ。ほしかったら、そういえばいいのに」
「いいです」
トトはむっとして、一歩さがりました。
(ひねくれ者はいないなんて、よくいうよ。目の前にいるじゃない)
「いいからさ。かじってごらんよ、がぶってさ」
おばさんのほっぺたがふっと笑いました。
トトはのろのろと手を出して、受け取ると、道のはじにすわって、リンゴを食べはじめました。くやしいほどあまくて、おいしく、意外にも気持ちが、わくわくしてきました。
人が通っていきます。子ども、大人。みんな、えんりょなく立ちどまっては、トトをめずらしそうに見ています。
女の人はおそろいの
陽がかたむいてきました。トトはあきらめて、立ち上がりました。
「ねえ、坊や」
お店のおばさんがいいました。
「僕、トトっていいます」
「そうね。たしか、ケケもそういってたわ」
(知ってんなら、はじめからそうよんでよ)
トトはむっとおばさんをにらみました。
「ジャガイモ、もっていきな。タマネギも。リンゴもさ、三つばかり入れといたよ」
おばさんはわらであんだ袋をさしだしました。
「おいくらですか」
「いいんだよ。おすそわけさ。この村じゃそうなってるのさ。物々交換のときもあるけど。それもあるときでいいんだよ」
トトは小さな声で、「ありがとう」というと、袋をもらいました。
(おすそわけだって……どこかできいたよな……あっ、かあさんだ)
トトは部屋の掃除を始めました。ここであと三日間、予定していた日まで過ごすことに決めたのです。ここにいれば、あの子に会える、きっと会えるという気持ちが、このさびしい家にとどまる勇気をくれたのです。
それにしてもケケおばさんは相当あわてて出かけたようでした。スリッパはあっちとこっちに飛んでいるし、机の引き出しは半分あいているし、インクの
(これ、下書きなのかなあ)
トトはぐちゃぐちゃになっている、原稿らしき紙を、一枚一枚ていねいにのばしはじめました。ふと、一行の言葉に目がとまりました。
「森の奥の奥で、あるとき、人が、ひとり、生まれます。その人は木のように生えてくるのです」
「なに、これ」
トトは大きな声を出していました。トトは机の上の原稿をぜんぶ手にとり、しわをのばしました。順番もごちゃごちゃになっています。それをぶるぶるふるえる手で、ならべかえていきました。
トトははやる気持ちをおさえて、まず机の上のろうそくに火をつけました。それからベッドのはじにすわって、読みはじめました。
「森の奥の奥で、あるとき、人が、ひとり、生まれます。その人は木のように生えてくるのです。
ある雨上がりの日、やわらかい緑の芽が顔を出しました。その芽はすぐ、よく人が顔を回して不思議そうにあちこち眺めるように、体を動かしました。そばでおなじように生えてきた芽がひたすらおひさまのほうをむいているのとは、まったくちがっていました。その芽はだんだん大きくなり、枝をのばし、葉っぱをつけていきました。そして春には新芽、夏には葉っぱを重たく茂らせ、秋にはそれを落として、冬になると、雪の下で、うとうとしながら、ときどき枝で雪をかきわけて、外をのぞいたりしていました。
その木は何年かして、子どもの背丈ほどになると、春のはじめに、ぐーんと背伸びをくりかえした後、腰をかがめるように力を入れて、根っこを、『よいしょ』っとひきぬきました。そして、と、と、とっと歩きはじめました。しばらくすると、さらに木は大きくなっていきます。それにつれ、枝はスカートのような形になり、根っこは白い足になり、葉っぱはやわらかな胸のふくらみに形をかえていきました。
てっぺんのわかい枝は、風に揺れるたびに、さらさらとした髪の毛になり、そのなかから、濃い緑の
女の子は明るいほうをめざして、歩きはじめました。そして、森の出口に来ると、立ちどまり、スカートのポケットに手を入れて、『わたしはだれなのかしら』とつぶやきました。でもポケットのなかには、なにもはいっていませんでした。
やがて女の子はまっすぐ前をむいて、森の外へ歩きだしました」
ケケの原稿は、ところどころ「……」とか「××××」のところがあって、でもトトが想像を加えながら、読むと、だいたいこういうことがかかれていたのでした。
原稿はとつぜんここでおわっていました。でももう一枚の白い紙のはじっこに、こんな走り書きがかかれているのに気がつきました。
「とすると……森から生まれた人は、今、どこにいるの?」
トトはしばらく動けませんでした。これはどういうことなのでしょう。ケケが書いた物語なのでしょうか? それともほんとうにおきたことなのでしょうか。こんな森だからケケはここに住むことにしたのでしょうか。あの女の子に会った後なので、トトはもしかしたらこの森でこんな不思議なことがおきているのかもしれないと思いました。トトとの約束を破って、ケケがあわてて出かけてしまったこととなにか関係しているのでしょうか。
「今、どこにいるの?」
ケケの書いた言葉は、そのまま、トトもいいたい言葉でした。
ほんとうに、昨日会ったあの女の子は今どこにいるのでしょう。あの子はここで生まれて、まだ森から出ていかないで、のこっていたのでしょうか。また、森から出ていこうとしたときに、トトの歌声をきいたのでしょうか。ケケの書きのこしたものを読んだ後では、考えれば考えるほど、あの子はこの森で生まれた子に思えてきました。トトの体はぶるぶるとふるえてきました。どうしてもとまらないのです。見えないあの子の手で揺さぶられているみたいでした。
トトはあの子にもう一度会いたいと思いました。それはとても強い気持ちでした。
しばらくして、トトはつぶやきました。
「ここにいよう。あと三日あるから、それまでいよう。探すんだ」
つぎの日、トトは「ほうき楽器」にひもをつけて、肩にかけられるようにしました。
「森のなかへひとりきりではいっていく子なんていないよ。すぐ迷子になるって知ってるからね」
あのお店のおばさんにいわれた言葉をわすれませんでした。
トトは戸棚の中をあちこち探して、古い
ほんとうに森は果てしなくつづいているように見えました。ところどころに大きな木が重なりあうようにたおれています。昔の木の下にもっと昔の木がよこたわっています。厚くつもった落ち葉は、深い穴をかくしています。トトはそれに足をとられてころんだりして、奥に進んでいきました。トトは暗いところでは、怖さをまぎらわせるために、歩きながら「ほうき楽器」をひきました。明るいところに来ると、すわりこみ、「ほうき楽器」をかかえ、気分のままに音を出しました。そしてあのときの歌をくりかえし歌いました。どこかであの子がきいているかもしれないと、思いながら。でもだんだん気持ちがのってくると、そのこともわすれて、夢中になっているのでした。ときにはばきんと大きな音がします。トトはびくりと飛び上がり、その自分のあわてようがくやしくて、おかえしに「ほうき楽器」をらんぼうに鳴らしたりしました。
トトは小さな芽を出したばかりの木を見つけると、しゃがみこんで、話しかけました。
「大きくなったらさ、なにになるの?」
でも木からは、不思議な感じはただよってきません。
「まあそうだよな、もし返事をされたら、こっちが逃げ出すよな」
トトはちょっとおかしくなりました。
それでもトトは歩き回りました。この森はコリコの近くの森とはまったくちがっていました。ものすごく太い木もあれば、ひょろんとして、いつも揺れている木もあります。そろっていないのです。それが重なりあって、とても深い森になっていました。だれが切ったのでしょう、朽ちはじめた大きな古い切り株があり、そこにおひさまの光が流れこむようにさしていました。まるい濃い茶色の切り株と、ひかりの二重丸ができていました。トトは切り株に腰かけて、「ほうき楽器」を鳴らしました。音はぽっかりあいている空の上のほうで吹いている風と響きあっているようにきこえます。
(あっ、これかもしれない。これが、出したかった空の高いところを吹く風の音かもしれない)
トトは楽器屋のおじさんと話したことを思い出しました。口から歌も出てきます。夢中になっているうちに、おひさまのひかりが消えかけて、あわてて立ち上がりました。
ケケがいったように、おかしなことは、よく夕方におこりました。
雷が森の上をよこに走るのです。決まってそれは森の上でした。それも追いかけるように、何本も走るのです。まるでびりびりした音つきの楽譜が、森に落ちていくようでした。
女の子に会えなかったけど、あんまりがっかりはしませんでした。探しているうちに、今は会えないと感じはじめていたのです。
(会えるとしたら、きっと、どこか、人の住んでるとこだ)
そんな気がしてしょうがないのです。
帰る日が来ました。
トトはケケに手紙をかくと、インク
「ケケおばさん、ここで僕は一生に一度の経験をしました。ここは僕の一生で一度の場所でした。ありがとう」
それから家のなかを、きれいに掃除して、出発しました。