「トト、返事がおくれてごめんなさい。お申し出の件承知しましたよ。歓迎します。夏休みだから、ひとり旅をするには、とってもいい時期だと思います。ただケケには条件があります。まず、とんぼさんと、キキのお許しをもらうこと。だまって家出はだめよ。へへへ、あたしはやっちゃったけどね。それから計画はすべて自分ひとりで立てること」
11 ひとり旅
「とうさん、このごろ、夜おそくまで仕事してるけど、なにかいてるの?」
トトは通りすがりに、机にむかって、鉛筆を動かしているとんぼさんをのぞきこみました。とんぼさんは時間があれば、なにかをかいているのです。
「それって、秘密の地図でしょ。宝物をかくすつもり?」とニニがよこから半分からかうようにいうと、
「すーごい宝なんだぞ。見てろよ。おたのしみだぞ」なんて、とんぼさんもふざけていいかえしました。
でも、今、トトはとんぼさんがかいているものを見て、おやと足をとめました。これまでは、むずかしそうな、昆虫の細かい絵や、その解剖図みたいなものを、くりかえしかいていたのに、今日のは意外にもかんたんな絵です。ちょっと長い靴下みたいな形をしています。なかには斜めの線が二、三本ひかれ、ところどころに数字や、なにかの印のようなものがかきこまれていました。
なにができるのだろうとトトもニニとおなじようにたのしみにしていたのに、こんな靴下のかたっぽみたいなものになってしまったとは……。
「えっ、これ?」
トトは思わずのりだしました。
「なんだと思う?」
とんぼさんが顔をあげました。トトの反応をためすように笑っています。
「ぼ、僕には、く、靴下に……見えるけど……」
「よし、靴下に見えれば、しめたものさ」
「虫の絵かいてると思ったよ」
「はじめはね……」
「僕は……虫のロボットができたらいいなって、ちょっとたのしみにしてたんだけど」
トトはついがっかりした声を出してしまいました。
「ロボットねえ、そういえなくはないんだけど。ほら、オキノさん、足が痛いっていってただろ。ひざがまがらないって。だからすこしらくになるものがないかなって。虫の足って強いからね、なにか教えてもらえるかと、細かい絵をかくことから始めてみたのさ。昆虫みたいな足の力がちょびっとでもあったらいいなって、単純に思ったんだ。そしたら、だんだん気持ちがはいってきてね、足の力のもとが見えてきた」
「気持ち、はいるって?」
「うん、はじめは虫の形のほうにこだわっちゃってた。でもオキノさんがすこしでもらくになる方法はないかなって考えていったら、すこしずつかわってきて、こんなかんたんな形になってきた。まだまだ……時間かかりそうだけど、もうすこしだな」
「とうさん、すきだね」
トトはとんぼさんの目をまっすぐに見ると、うん、うんと、うなずきました。
「ああ、すきだねえ。自分でも、つくづくそう思うよ」
とんぼさんは、照れたように笑いました。
「これをコマコマ屋さんにたのんで、丈夫な布地で試作品を作ってもらおうと考えてるんだ。まだ改良するとこはいっぱいあるんだけど、オキノさんの足、すこしはらくになるかもしれない」
トトはこの二、三日、町の細い裏通りにある、楽器屋さんのウィンドーをのぞきに通っていました。このお店は小さいけど、いろんな楽器をならべているのです。豚のおしりみたいなものに、これまた豚のしっぽみたいなものがついていて、そのしっぽをひっぱると、鳴るらしいのです。いったいどんな音が出るのでしょう。
(きっとさ……ぶーりぶーりなんてさ。くくく、なんかくさそう!)
想像してはたのしんでいます。
ほかにも、これが楽器なの? っていいたくなるようなものがいっぱいあります。
「だれが作ったんだろう……」
見ていてあきません。
「君、いつも、来てるね」
お店のなかから、とんぼさんぐらいの年の、男の人が出てきました。
「はいって、見ていいよ」
「僕、買えないんだけど」
トトはいいました。
「そんなこと、問題にするなよ。さ、さ」
店のなかにも、いろいろな形の楽器がおいてありました。
ただの棒なのに、小さな穴がたくさんあいているのや、三重になっているタンバリンや、まるいギターや、柄のながーいほうきみたいな形のギターや。
「これも、楽器ですか?」
トトは底を木ではってある、靴を指さしました。
「打楽器だよ。わたしの近作でね。底にかたい木をはってある。はいてね、おどって、地球をたたいて音を出すんだ」
「地球を?」
「うん、ここ、地球だろ」
楽器屋さんは、板底の靴を手にもって、床をたたいてみせました。
「じゃ、ここにある楽器、みんなおじさんが作ったの?」
「そうさ、たのしい音の出るもの作るのすきなのさ。こんなのどうかなって、勝手に作っちゃうんだ。君、興味あるの?」
「ええ、とっても」
トトははにかみながら、うなずきました。
「僕も作ってみたいなって」
「作ってごらんよ。できたら見せてほしいな」
楽器屋さんはいいました。
「ええ、ぜひ」
トトは自分のこわれたほうきのことを考えました。あれから二つに折れた柄の両方に穴をあけ、細い針金を何度もくぐらせて、一本につなぎました。柄はだいたいもとの長さにもどりました。でもほぼまんなかに針金のお団子のようなものができてしまいました。房も枝をたして、きつくくくりつけました。ちょっと多すぎて、ほうきというよりは、スカートをはいた、棒の人形みたいになってしまいました。
ニニは意外とお気に入りで、「これ、かわゆーい」なんて、さわったりしています。
「飛ぶわけじゃないんだから、これでいいんだ。記念品だからね」
けげんそうにしているキキに、トトはいいました。
でも、この楽器屋さんを見ていると、トトは自分のほうきも音を出しそうな気がしてくるのです。
だれもいないときに、そっともちだして、浜辺にいっては、房をなぜてみたり、柄の針金の所をたたいてみたりしました。
しゅゆーん しゅゆーん
房はこんな音を出しました。
しゅらりーん しゅしゅりりーん
針金に響いて、柄はこんな音を出しました。なかなかすてきです。
調子をつけると、はずんだ音にも、しずかな音にもなります。でも強くたたくと、音が急にわれて変になり、きれいな音にしようとすると、どうも小さくなってしまうのです。
(たのしむだけだから、これでもいいか)
でもトトはとんぼさんが、気持ちがはいれば、力のもとが見えてくる、といったことを思い出しました。それで、自分の風変わりなほうきにもなにか力のもとがかくれているかもしれない、それと「ふたごののっぽさん」のおじいさんもおなじようなことをいっていたのを思い出しました。なんにでも、もう一つの名前がある……このこわれたほうきにもかくれてる名前があるかも……もしあるならなんだろうと思いました。
トトはとんぼさんのまねをして、絵をかきはじめました。
(房がもっと細くて、長かったら、しなやかになって草のささやいているような音にきこえそうだ。針金のとこは、なにかでこすったら……たぶんぎーぎー声だな)
トトはああでもない、こうでもないと思いながら、絵をかきつづけました。かいていると、体のなかで、すこしずつ、音が生まれてくるのです。それはトトのなかから生まれてくるのに、どこかよその世界から響いてくるようでした。トトはビバビバ市からきた、ゾイさんたちの音を思い出しました。気持ちよくって、にぎやかで、体がおどりだすような音楽でした。でもトトは、あれとはすこしちがった音が……もっと、もっと自分の気持ちにぴったりくる音が、きこえてくるといいなって、今は思っています。
いろいろな形のほうき? いえ、楽器の絵ができました。
トトはそのなかから一枚をえらんで、楽器屋さんに出かけていきました。
トトがおずおずと絵をひろげると、楽器屋のおじさんはくりかえし見ながらいいました。
「おう、こう来たか……おもしろいね」
それから絵の表面をなぜていいました。
「ところで君、どんな音がきいてみたいの?」
「………」
トトはとっさにこたえが出ませんでした。でもすぐ、「これだ」と心に浮かんできたものがありました。
「空の高ーいとこを吹く風の音……そういう音、きいてみたい」
トトは思わず前のめりになりました。変なこといっちゃったかも……顔が熱くなって、あわてて下をむきました。とつぜん出てきたのです。トトは自分でおどろいていました。
「空ねえ……」
楽器屋さんは、上を見上げました。
「高いとこねえ……風かあ……」
「僕、その風を感じてみたいんです」
自信なさそうに肩をすぼめて、トトはいいました。
「ふーん、そうかい。僕には、わからないなあ。君の音だからね。君の気持ちにぴたっと来るまで、すこしずつ手を入れて、鳴らしてみて、また手を入れてみたら、どうかな。いつか納得できる音、見つかるよ」
それからトトは自分のかいた絵を見ながら、ほうきを改良していきました。柄に口のような穴をあけたり、房に細い枯れ草をたしてみたり、木の実をいくつかくくりつけたり。
この「ほうき楽器」の形をかえるたびに、トトは自転車にのせて、だれもいない浜辺のはじっこや、ニニが飛ぶ練習をしたまっくらくらさんぽの森の奥にいって、ためしに音を出してみました。さすってみたり、ちょんとたたいたり、あけた穴を吹いてみたり、ひもをつけてびょーんとひっぱってみたり、力を入れて、空中を切るようにふってみたりしました。そしてまた改良していきました。だんだん音に変化がついてきて、鳴らしていると、うきうきと心が、そして体も動きだします。またその動きにつれて、ちがった音が出てきました。気がつくと、いつもベベがそばにいて、応援でもするように耳を立ててきいています。そっと家を出てきたのに、不思議な猫です。
「いい音になってきたね、ふん、まったく、よくなってる」
ベベは耳をぴぴっと動かしました。
「そうかな」
トトは、あまり素直になれません。噓ではないにしても、ちょっとおせじがはいっていると思ってしまうのです。
(ベベもいいけど……)
トトはだれかにきいてほしいと思いました。それもトトの気持ちをわかってくれそうな人……。
トトは塀のかげにかくれて、郵便屋さんが来るのを、毎日、毎日まっていました。ベベも、木の上から様子をうかがっています。
あっ、今日は、郵便屋さんがとまって、カバンから手紙を出しました。
パタン、ポストのふたが閉まる音がします。郵便屋さんが角をまがると、トトはすばやく手紙を取りだし、ちらりと裏を見ました。
「ケケより」
トトは手紙をポケットに入れ、かけだしました。
「トト、返事がおくれてごめんなさい。お申し出の件承知しましたよ。歓迎します。夏休みだから、ひとり旅をするには、とってもいい時期だと思います。ただケケには条件があります。まず、とんぼさんと、キキのお許しをもらうこと。だまって家出はだめよ。へへへ、あたしはやっちゃったけどね。それから計画はすべて自分ひとりで立てること」
(当たり前だよ。そうじゃなかったらいかないよ)
トトはケケの手紙から、顔をあげて、笑いました。
「これは、そんなにかんたんなことではないわよ。コリコの町から、あたしの住んでいるソロン村まではとっても遠いんだから。父からできるだけはなれて遠いとこに住もうってケケさんは
ケケは決して意地悪いってるのではありません。
トトに会えるなんて、とってもうれしいこと、このうえなしよ。行ったり来たりの手紙で十分知ってるつもりだけど、はじめて顔をあわすんだものね。背は何センチ? まさかあたしより大きいなんていうのではないでしょうね。そうだ、似顔絵を送りっこしようよ。ではご成功を祈ります。トト、だいすきよ。 ケケより」
つぎの日からトトは図書館にいって、しらべはじめました。いくら地図を見てもソロン村なんてのっていません。いちばん大きな地図を見て、へー、こんなところ! って、やっと探しあてました。直線距離にして、千三百キロ。コリコの町から北へ、スルヘリ山脈をこえて、さらに北へ、ひたすら北へいったところです。なんでこんな小さな村にいるの? って感じです。
「あたしって、さびしがり屋だから」とケケはいつもいっているのに。
「ここには知り合いもいないんだよ。ひとりぽっちという仲間とくらしてる」とケケが手紙でいってきたとき、トトは、「半分魔女」だから、やっぱりどこかかわってるんだ……と思いました。
トトは地図と、時刻表をかじりつくようにしらべて、ソロン村への自分の地図を作りました。列車と列車の時間もつなぎ、お弁当を買うところ、食べるところまでかきこみました。通る時刻をはかって、おひさま、月、星などもかきました。でも暦を見ると出発の夜は、残念なことに魔女好みの満月ではなく、月のない夜でした。
トトは地図をしっかりと、「ほうき楽器」の柄にまきつけました。
こんなトトなりの準備をしたところで、おそるおそるとんぼさんと、キキに自分の計画を打ち明けました。
「いいでしょ、いってもいいでしょ?」
トトはくりかえし、ふたりに攻め入るようにいいつづけました。
「夏休みだからな……」
しばらくしてとんぼさんは、ふーっと天井を見上げてから、つぶやきました。
「なんのためにいくの?」
キキがききました。声がとんがっています。
「いきたいから」
「それだけ?」
「うん、それだけ」
「なにかいいことあるの?」
「わからない」
いいことか……悪いことか……なにかがおきるかもしれません。きっといいことがおきる……でもそんなことは後の後、まずいきたい。ひとりでなにかしたいのです。まったくのひとりでは、やっぱり心細いのですが、それでもケケに会えたなら、ケケはきっとトトの気持ちをわかってくれるし、変な楽器で、変な音を出しても、笑ったりしないで、ちゃんときいてくれると思ったのです。
キキはトトと目をあわせないで、どこだかわからないところをにらんでいます。反対なのです。いくらケケのところにいくにしても、はじめてひとりになるトトを心配しながらまつなんて、考えただけでも、胸が苦しくなります。
しかもケケは、わけもわからないほど遠くに住んでいるのです。
とんぼさんはトトの顔をじっと見てぽつりといいました。
「ひとりでいくのか……」
とんぼさんは思い出していたのです。夏休みをキキに会わずに、
キキも同じことを考えていて、トトも本気なのだ、きっといくんだ、もうそれは決まっているんだと思いました。
キキは、窓のむこうを見て、
「あー、きれいな空」とつぶやきました。
するとこわばっていた顔がふとゆるみました。
「じゃ、毎日、うちに電話をするのよ」
「やだ、そんなことするなら、いかないよ」
トトはキキの言葉がおわらないうちにいいかえしていました。
この話を知ると、ニニはさわぎはじめました。
「えーっ、いいなあ。ひとり旅、かっこいいじゃない」
「まあな」
トトは得意げに、いいました。
「ねえ、連れてってよ、ねえトト」
「なにいってるんだよ。かっこいいっていったくせに。ひとり旅って、なんだと思ってるのさ。言葉のとおり、ひとりでいくもんなんだよ。連れてってもらうもんじゃないんだよ」
「だって、だれもいないなんていやだあ。だからトトといっしょがいい。遠足って、おしゃべりがたのしいんだもん」
ニニの口はあまったれてゆがんでいます。
「まったく、ニニってわけがわからない」
トトは話にならんというように、苦笑いしました。
明日は出発するという夜、朝はやく出るから、絶対見送りはいらないと、トトはみんなにいいました。
「ほんとうにいらないよ。ほんとうにね」
トトはしつっこいぐらいにくりかえしました。
それからベベを、自分の部屋に連れていって、背中をやさしくなぜながらいいました。
「ベベ、僕たちいつもいっしょだけど、今度だけはいっしょにいけない、悪いけど」
「うん」
ベベはあっさりとうなずきました。
「ほんとうだよ。あとをつけてきても、切符がなけりゃ列車に乗れないんだよ。カバンになんて、かくれないでよ」
「しつっこいなあ。わかってるったら」
ベベはそっぽをむいて、にゃーんと鳴きました。
トトは朝はやくどころか、夜明け前に家を出ることにしました。キキの見送りを警戒したのです。「いってきます」なんて、まじめにいうのは照れくさいし、キキから細かい注意をきくのももうたくさんでした。足音をしのばせて、そっと外に出ました。
トトはドアの前で、ぐるりとまわりを見回しました。
(なんだよ。たった十日のつもりだよ。弱気だぞ)
そう、いちばん不安を感じているのは、トトかもしれません。
いつも朝のはやい、グーチョキパン屋さんも、カーテンがしっかりと閉まっています。
まだ夜の気配のなかで、街灯がトトをあやしむように見下ろしていました。見なれた道が、ちがって見えます。黒いかたまりが、さーっと道をよこぎっていきました。
「ベベだ」
トトは追って走りだそうとしました。でも、ゆっくりと「ほうき楽器」をもちなおすと、また歩きつづけました。
始発列車にはまだまだです。駅は、がらんとひろく、大きな生き物のおなかのなかにいるようでした。トトは隅のベンチで横になると、ひざをかかえるようにして、体を丸めました。
すこしずつ、あたりが明るくなり、人もひとり、ふたりとふえてきました。
そして、トトが乗った列車はしずかに、コリコ中央駅を出ていきました。窓のむこうを、コリコの町が後ろへ過ぎていきます。大きい町だと思っていたのに、あっという間に、列車は町の外に出ていきました。
トトはあけた窓の枠に両ひじをのせて、じっとしたまま、どんどん動いていく景色を見ています。風が顔にあたっては、後ろに飛んでいきました。
さあ、いよいよ、始まりです。今から二晩と三日、上手に乗り換えをして、ケケのところまで、旅をつづけなければなりません。こうしていると、とってもかんたんに思えました。体を乗せていれば、列車はひとりで動いて、運んでくれるのです。
ところが話はそんなにかんたんにはいきませんでした。雨がふりだし、窓は閉められ、駅名をかいた看板がけむって見えなくなりました。
トトは地図をひろげては、眺めました。でも地図と窓のむこうの景色とは、まったく、まったくべつのものでした。
トトはまず最初の乗り換え駅で失敗しました。乗り越してしまって、駅を三つもどらなくてはなりませんでした。予定していた列車はとうに出てしまっていました。つながりがいいと思って、乗り換え時間を短くしたのが失敗でした。後の列車が来るまで、何時間もまたなくてはなりません。考えて、考えて、完全だと自信があったところが、かえってうまくいきませんでした。間違えると、その間違いをなおせなくなり、どんどん計画はくるっていきました。
第一日の夜から、乗り換え駅のベンチで過ごさなければならなくなりました。この駅からは網の目のようにいくつもの線路がのびています。どの線を明日、トトはたどっていくことになるのでしょう。北にいくはずだから、あれかな、あっちかな……でも北のほうにのびてる線は何本もあるのです。
「考えたってしょうがないよな。電車にまかすより」
トトは線路から目をそらしました。でも自分が走る線もわからずだれかにまかせてるなんて、なさけない気もします。トトはリュックをだきかかえ、かしこまって、すわったまま夜の明けるのをまちました。外が明るくなり、立ち上がったときには、体が四角にかたまったように、こわばっていました。のどもからから、おなかもからっぽです。駅の人が水をまきはじめました。かわいた道がぬれていくのを見て、トトははじめてもってきた水筒とお弁当のことを思い出しました。昨日の朝、家を出てから、なにも食べていませんでした。
ところが、リュックから水とお弁当を取りだしても、まったく食べたくないのです。やたら頭がかわいたようになって、目もしみて痛く、口もあけたくないのです。トトはこじあけるようにして、水筒の水をちょびっと口に入れました。すると、どうでしょう、そのちょびっとした水がじわじわと体にひろがっていくのがわかりました。のどを通って、胸の奥を通って、おなか、それから手の先までも……。トトはもう一口飲み、つづけて飲み、パンをかじりました。ふとトトは夏の暑い日のくすりぐさを思いうかべました。水ちょっとと、パンのふたかじりで、こんなに気持ちが強くなれるものでしょうか。安心が体にひろがってきたのです。
(体があって、よかったよ)
トトは、こんなわけもわからないことを考えました。でも不安をなおしてくれたのは、ほんのすこしの水とパン、そして自分の体。それはとても不思議な感じでした。
トトはこれからの旅を考えることができるようになりました。
でも問題はこれだけでおわりませんでした。ちがう方向の列車に飛びのってしまって、あわてて飛び降りたり、「ほうき楽器」に気をとられて、リュックをわすれそうになったりで、もういろいろたくさんありました。でもいいこともありました。
もう何カ月も旅をしているというお兄さんに会いました。
「おれはね、リュックをしょって、家の扉を閉めて、自転車に乗って、まず西にむかって、まっすぐ、まっすぐ走りはじめたんだ。なんども、なんども背中からおひさまがのぼって、おれがむかっているはるか西の
お兄さんは日に焼けた顔から、白い歯をぴかっと光らせて、笑いました。
「今日のお初の出会いは、君だった。でも、君、なんか、気持ち、あわててない?」
「いや、べ、べつに」
トトは顔をこわばらせてこたえました。なんだか今の自分を見透かされてしまったような気持ちです。
「行く先ばっかり気にしてると、かえってどじるよ。気持ちよく旅つづけろよな。おれも、また、こぐ。ほら、見てくれよ。おれの足、自転車こぎの形になっちゃったよ」
お兄さんはそういって、手で足をたたくと、自転車にまたがりました。
「君、これからどこへいくの?」
「北のほうのソロン村まで。コリコの町から来たんです。でも電車に乗り遅れちゃって」
「そうか、君に会えてよかったよ。君がちゃんと電車に間に合っていたら、そしておれが、この駅に寄らなかったら、会えなかったものな。さて、おれは、出かけるか。じゃあな、また、どこかで会おうぜ」
「えっ、また?」
トトは走りかけたお兄さんにいいました。
「そうだよ。まただよ。君の北と、俺の西がつながるときな。魔法がおきたらな。地面ってつながってるからさ。ありがたいことに地球はまるいらしいぜ」
お兄さんはふりかえって笑いました。短いズボンから出ている足は、まぶしいほどかたい筋肉で盛り上がり、機械のように動きだしました。
「ええ、たのしみです」
トトはその後ろ姿にいいました。家を出てから、ちぢみがちだった気持ちが、ふーっとひろがっていくようでした。そして、お兄さんがいった、「知らんぷり」という言葉をトトは気にしていました。
トトははじめの予定より、一日余計にかかって、やっとのことソロン駅に到着しました。無人駅でした。たしか、駅から左のほうにつづく切通しを過ぎたところに村はあるはずです。トトは歩きはじめました。道はぽこぽこしたかるい土で、歩くたびに煙のようにまいあがりました。峠の途中から、十軒ほど、草屋根の小さな家がぽつんぽつんとはなれて、建っているのが見えました。やっと、やっとです。到着です。
ケケと似顔絵を交換したとき、「おなじような家ばかりだけど、村からちょっとはなれた、小川のむこうの小さな家よ。間違えようがないけど……念のため、赤いリボンの旗をたてておくからね」とかいてありました。見わたすと、その家はすぐわかりました。トトは峠をかけくだりました。畑のなかの道を通り、小さな川をこえると、赤いリボンの家がありました。
「ケケおばさーん、トトが来ましたよーう」
トトはうれしさのあまり、いつになく大声でさけんで、ドアに通じる道を走りました。ところがすぐ近くまでいって、ぴたりととまりました。ドアに封筒がさがっていたのです。封筒いっぱいに大きく、トトへ、とありました。急いであけると、白い紙にはこう書いてありました。
「トト、遠路はるばるごくろうさん。ところで、ごめん。急に出かける用事ができました。どうしても十日は帰れません。たぶん君がいるあいだは帰れないと思います。ほんとうにごめんね。ドアはあいています。はいって、まず休んでください。細かいことはなかの手紙にかいてあります」
(なんだよう、これ)
トトは