9 試運転
キキは戸棚から箱に入れておいた鈴を取りだしました。もうちゃんとみがいて、つるす丈夫なひももつけてあります。
「とんぼさん、あの子の気のかわらないうちに、どんどんすすめちゃうわね」
キキはいいました。
「そんなに心配しなくても、ニニはちゃんと考えてるよ」
とんぼさんはいいました。
「そうね、でもあの子は、いつなにが飛びだすかわからないから、はらはらしちゃう」
キキはよいしょと箱をかかえると、二階にむかって、いいました。
「ニニ、さ、いきますよ」
「どこに?」
とたんにキキの目がきゅっととんがりました。
「どこにって、あんた、なに考えてるの。まっくらくらさんぽの森でしょ。鈴をかけにいくのよ」
「あ、そうだ。でもわたしもいかなくちゃだめ?」
「なんですって、だめよ。あなたのことでしょ。つけたとこ見といたほうがいいでしょ。失敗がすくなくってすむから」
「はい、はい、そうでした。それはだいじなことでした。いきます、いきます」
ニニはうすい上着を肩にかけて、おりてきました。
「さ、はやく、暗くなるまでにおわらせなくちゃ」
キキはニニをうながすようにして、入り口にむかいました。すると、さーっと出てきたのはジジです。
「キキ、ブブも連れていかなきゃ」
「あ、そう、そうね」
「ブブはまったく、魔女猫の自覚がないよ。このとこ、夜になるとあそびに出かけてるの知ってる? それもニニをさそって……」
「へー、わたしにかくれて?」
「そう」
「どうして、わたしに教えてくれないのよ」
「だって……」
ジジがつづきをいおうとすると、
「ふたりでなに話してるのよ? こそこそ」
近づいてきたニニがいいました。
「ニニ、あんた、夜になると、ブブとあそびにいくんですって?」
「あそびじゃないわよ。ブブの魔女猫教育よ。ちゃんとしとかないといけないでしょ。さては、かあさんにいいつけたのは、あんたね」
ニニがぐいっとジジをにらみつけました。
ジジは一歩、二歩と逃げ腰になりながら、ぶつぶつといいました。
「ほら、キキ、今の子って、こうだから。でも、魔女猫教育ったって、なにしてるかわかんないよ」
「ニニ、ちょっと、説明してほしいわ。その、あなたの魔女猫教育を……」
「べつに、たいしたことじゃないわよ。夜、ふたりで歩くときの用心とか……ね、ブブ」
ブブは部屋の隅で、用心深く、こっちを見ています。
「だってさ、ひどくほえる犬がいるから、それになれとくとか……いろいろ、ね、ブブ」
「いろいろだなんて……ふたりで公園の木にのぼったり、つながれている犬をからかったり……要するに、いたずらだよ」
ジジは後ろにさがりながら、キキにいいました。
「あら、このあいだ、夜おそく、犬がうるさくほえてたけど、あれはニニたちのしわざだったの? ニニ、ちょっと、説明してよ」
「べつに……かあさんが心配することないよ。ふたりで考えてるんだから」
「あなたとブブ、もう言葉がつうじあってるのね」
「まあね。やることは、ちゃんとやってるよ」
ニニはぶすっとこたえました。
キキは深くため息をつきました。それから、どうしようもないというように頭を左右にふりました。
「でも、もうやめなさい。子どもが夜出歩くなんて、とんでもないわ。わたしにかくれてなんて、悲しくなる」
「わかったわよ。悪かったわよ。もう、やらないわよ。でも、悪いことばっかり先々想像して、しばりつける親のやりかたって、自分の安心のためじゃないの」
ニニはきっとした声でいうと、キキから目をそらしました。
部屋の隅にいきかけたジジが、反対側の隅から様子をうかがっているブブのところに近づいて話しかけるように鳴きました。
「にゃう、にゃう、にょご、にょご、にゃるー」
なにかいいきかせているようないいかたです。
「にぃ」
ブブが短くこたえています。
「ジジなにいったの?」
キキがいいました。
「ちょっと、お説教」
「それで?」
「わかったって」
「ならブブもちゃんとわかったのね」
「まあまあってとこだね」
ジジは先輩ぶって、鼻をもぞもぞと動かしました。すると、ブブがいきなり飛び上がったかと思うと、走りだし、棚の上に飛びのり、カーテンに飛びつき、くるったように走りだしました。
「ブブ、やめなさい」
キキがさけびました。でもさらに勢いがついて、部屋中を走り回ります。
「わかった、わかった。もう力があるってとこ見せなくってもいいよ、ブブ」
ニニがにやにやしながらいいました。すると、ブブはぱたりとおとなしくなり、ニニの足下をゆっくりと回りはじめました。
「ほら、いい子でしょう。いつだってわたしを守ってくれるのよ。大きな犬がほえても、ブブがうなったら、後ろむいて逃げ出すよ」
「そうなの??? ほんとかしら……」
キキは信じられないようです。
「あんたたち……なんかあやしい。でも、仲はよさそうだから……まあ、いいとするけど」
「ブブって、ニニにそっくりだよ。ゆだんしたらだめだよ」
ジジがいいました。
「わかってますよ」
キキはぶすっと、こたえました。
「ニニの練習には、僕もいくよ。仕事始めだから。見ときたい」
「ジジも心配してくれるのね。感謝です」
そういいながら、キキは心のなかで、つぶやきました。
(いまだにジジはわたしに命令する)
それから、ニニにいいました。
「あなたは、西行きの電車に乗るのよ。一つ目の駅でおりたら、大きな森が見えるからね、はやく来てよ。ブブ、ちゃんとあんたも来るのよ。なまけちゃだめよ」
「はーい。ご心配なく」
ニニは靴をはきながら、ブブの代わりに、こたえました。
「それから、ほうきをわすれないようにね」
「うん、それじゃ、飛んでいってもいいの」
「とんでもないわ。まだ、飛べるわけないでしょ。町のまんなかで墜落してもいいの?」
「それはこまります。こまります」
ニニは壁からほうきをとると、「ブブ」と声をかけて、歩きだしました。でもすでにブブはニニの肩に乗っていました。でもニニはぜんぜん気がついていないのです。
「ブブ、はやく」
奥にむかって、もう一度さけびました。
「ここにいるよ。ドンカン」
耳のそばで、ブブがさけびかえします。
ニニはびっくりして、飛び上がりました。
「大丈夫かな、この魔女。鈍感な魔女なんてつかいものになるかなあ……」
ブブはぶつぶつといいました。
「さ、はやく、いくなら、はやく!」
ブブがしっぽをいらいらとふりました。見ると、キキはすでにはるか空高くを飛んでいます。ほうきの房の上にこのごろ急に太りはじめたジジのおしりがまるく見えました。
「ジジったら、あいかわらずえらそうにして」
ニニはくすっと笑って、ジジの後ろ姿が遠のくのを見上げていました。
キキは森の上をぐるり、ぐるりと回って下を眺めました。
「あーあ、なつかしいなあ」
ジジがため息をつくようにいいました。
「あの、まっくらくらさんぽのときは子どもたちだけが夜の森へいって。でね、ジジは小屋で、お留守番させられて、ご機嫌斜めだったわね」
「そうだよ、先輩風吹かしたかったのに……でも猫は闇のなかでも、目が見えるから、いっしょじゃ子どもたちの冒険にならないからね」
あのころより、森は一本一本の木がひろく枝をのばし、葉も濃く重なって、全体が盛り上がって見えます。まわりの畑をおとものようにしたがえて、大きく、立派になっていました。その脇で、このごろ、あまり子どもたちが来なくなった、「お泊まり小屋」はさびしげに、しょんぼりとちぢこまって見えました。キキはおりて、森のなかにはいっていきました。午後の陽のなかでも、夕方のように、暗くひんやりとしています。べつの世界のようです。キキはあの、まっくらくらさんぽのときのヤアくんの堂々とした姿を思い出し、なつかしさでいっぱいになりました。
「あの子はいつも先頭だった。モリさんとおなじ。頼れるおちびさんだった。ノノちゃんと仲よくやってるかな」
キキはまたほうきに乗ると、あらためて、すーっと垂直に飛び上がりました。それからあたりを見回し、枝をえらんで、鈴をつけていきました。つけるたびに鈴は「おひさしぶり」とでもいうように、カランカランと音をたてました。
駅のほうから、ぶらりぶらりと手をふって、ニニが歩いてくるのが見えます。
「おとこのこは ポケットに ライオンを かってる
あー なぞだ なぞだ なぞだ
おんなのこは ポケットに はちを かってる
あー チクリ チクリ チクリ やーっ やだ いたいよーだ」
気持ちよさそうに歌っています。ブブも肩の上で、のんきにしっぽをふってあわせています。
「大丈夫かしら……あのふたり。ねえ、ジジ、わたしたちは、もうちょっと、しっかりしてたと思わない?」
キキは後ろをふりむいて、いいました。
「僕はね」
ジジはあっさりといいました。
「あいかわらずの自慢屋。すこしはわたしをほめてくれてもいいでしょ」
「キキはあまいよ。鈴ぐらいニニにつけさせろよ。まあ、そういってもなあ……まだニニ、飛べないもんな。そういえば、コキリさんもやってたね」
キキは手をのばして、ジジの耳をにぎりました。
(またお説教のつもり?)
でも、そのとおりだったかもしれないと、キキは思いました。
キキが、自分ひとりでなんでもできると思っていられたのは、コキリさんと、オキノさんに、そしてジジにも守られていたからです。その人たちに包まれていたから、キキは、冒険に飛びこみ、そこで出会うことに手ばなしでよろこぶことができたのです。そしてつぎの冒険にも贈り物をあけるような、わくわくした気持ちになれたのです。
自分ひとりでできたことなんて、ほんのすこしでした。今はそう思います。ここはしっかりニニを見守ってあげなきゃ。
だけど……と、やっぱりキキは思ってしまうのです。
「あの子、なんでも『べつに……』って、平気な顔してるんだもの。感激がないのよね」
「でも、なんでも感激するのは、おっちょこちょいだし」
ジジがにまっと口をまげました。
「かあさん、どこ?」
下から、ニニの声がのぼってきました。
「ここ、ここよ」
キキは高い枝からぽーんと飛び上がると、ゆっくりニニのそばにおりたちました。
「鈴は、あと二つでおわり。『お泊まり小屋』の屋根にもつけとこうか」
「やだ、あんな低いとこなんて意味ないでしょ」
「おう、おっしゃいますね」
キキは機嫌良くおどけてみせました。
キキはのこりの二つを、比較的低い木の枝と、近くの電信柱のてっぺんに取りつけると、まじめな顔でニニを見ていいました。
「やってみる?」
「うん」
ニニもまじめな顔でうなずきました。
「どきどきしてる?」
「ううん、べつに」
ニニは首もふらず、口先だけでこたえました。どうやらどきどきしてるのは、キキのほうです。
ニニはズボンのポケットから、サングラスを出してかけました。
「なに、それ!」
キキはおどろいて、飛び上がらんばかりです。
「だって、空ってまぶしいよ。それに、これって、魔女っぽいでしょ」
「やめて。不良の魔女みたい」
「めがねだけで決めちゃうの? もしかしたら、わたし、めがねなくてもほんとうの不良かもしれないよ」
「ちがいます。わたしの娘です、ちがいます」
キキはきっぱりといいました。
「うわー、すごい自信! 信じてくれて、ありがとう。でもそんなにいわれちゃ、サングラスがかわいそう」
こんな光景を「お泊まり小屋」の後ろにかくれて見ている者がありました。トトです。そばに立てかけてある自転車を見ると、ここまで乗ってやってきたのでしょう。ベベもいっしょです。
「自信ありそうだけど、きっとうまくはいかないわよ。はじめからはむりよ。いっくらおてんばでもさ」
ベベがこそこそといいました。ベベとしては、トトをなぐさめているつもりなのです。このごろでは、ベベの言葉は、ぜんぶといっていいほど、トトにわかるようになりました。でもこのことは、なるべくかくしておこうとベベと約束していたのです。
「魔法はね、秘密だと力が大きくなるものよ」
ベベがそういったのです。トトはベベの「魔法」という言葉に、ぞくっとするほどうれしくなりました。魔法はめったにないものだけど、魔女だけのものでもない、トトはそう思いたいのです。
「あのね、しっかりとほうきをまたいでね、目は前方斜め上、一点を見つめるのよ。きょろきょろしないように」
キキは自分もほうきにまたがっていいました。ジジがブブを横目で見て、さっと房の上に飛びのります。しっかりと先輩風を吹かせてます。
ブブはそれをちらりっと見て、よこむいて、鼻を鳴らしています。
「えー、よそ見しちゃだめなの? 見物しちゃだめなの? それじゃ飛ぶ意味ないじゃない」
ニニがぷーっとほっぺたをふくらませました。
「上手になったら、それもできるようになるわよ。はじめは集中。それがかんじん。さあ、つま先で、ぽーんと地面をかるくけってごらん」
「わかった」ニニはうなずいて、地面をかるくけりました。
「やったっ!」
よろこんでさけび声をあげたとたん、ニニは糸のとれた風船のようにまっすぐに浮き上がっていきます。
それを見上げて、トトは
「やった! できた、できた。かんたん」
ニニがさけびました。
一歩おくれたブブが、うなるような声を出して、ほうきの先に飛びつきました。ほうきがぐらりとかたむき、がくがくと揺れだしました。ニニはとっさに自転車をこぐように足をはげしく動かしました。ほうきはもとにもどり、ブブはうまく房のまんなかに乗ることができました。
するとまたニニのほうきは、ぷーっと垂直にのぼりはじめました。
「あっ、上手、上手よ、ニニ。どう、たのしいでしょ。いい気持ちでしょ。空気がすーっとしてるでしょ」
キキの声はうれしさにうわずっています。
でも、ニニはそのまま、あれよあれよという間にまっすぐにのぼっていきます。ほうきの柄をいろいろ動かしても、前にも後ろにも、右にも、左にも動きません。ただただまっすぐに、上へ、上へ。キキはびっくりして、見上げるばかりです。
「あれ、変だよ。どこまでいっちゃうの?」
ジジもおどろいて、おろおろ声です。
「どうするの、どうするの、とまらないよ。かあさーん」
ニニの声が風に乗ってきこえてきました。近づいてきた灰色の雲のなかにすいこまれていきそうです。キキはあわててほうきの柄をにぎりしめ、飛び上がろうとしました。
すると、遠くから声がきこえてきました。
「ニニ、ニニ、さっきの自転車、自転車こぎ」
トトです。ベベを肩に乗せ、自転車をこいで走ってきます。
それをきいたニニは足を見えないペダルに乗せるようにして、こぎだしました。ほうきはゆっくり回れ右を始めました。そして右にも左にも動くようになり、はやくもおそくも飛ぶことができるようになりました。キキはほっとすると、そのニニの飛びかたを笑いながら、後ろについて飛びはじめました。
「なんだ、これ」
ジジも笑いをこらえています。
ニニは足をふみつづけ、ふわふわとおりてきます。そして、音もなく地面におりたちました。これを上手な飛びかたといえるかどうか、でもニニは鈴を一個も鳴らさずに、はじめての飛行を終了したのです。
つづいておりてきたキキは、
「ニニ、やったわね。一回で成功、すごい」といいました。それから、そばに立っているトトに気がついて、笑いかけました。
「あんたの、お姉ちゃま、なかなかですね」
「まあ、墜落は免れたね。行方不明にもならなくてすんだし。まあ、上出来でしょ」
トトも笑いました。
「トト、でも、よく自転車飛びって気がついたわねえ。かあさん、びっくり」
キキはとてもご機嫌です。
「だけど……これでいいのお? 変だよ、やっぱり」
ニニは不満です。鳥のようになめらかに、最高にかわいく飛んでる自分の姿を想像していたのです。足をばたばた動かすなんて、鳥よりかえるに似ています。
ところがニニの自転車型飛行は、このままの姿で、ずっとつづくことになりました。見えないペダルをこがないと、ぷーっと真上にのぼりつづけてとまらないのです。空の果てまでもいってしまいそうです。
どうやらニニにはこの自転車ギコギコ飛びしかできないようです。これなら、まあまあ、上手といってもいいくらいです。小回りもできます。どこにだっていけて、またもどってもこられます。鈴だって一回も鳴りません。
でもニニは決して町の上を飛ぼうとはしませんでした。このギコギコ飛びを見たら、キキの優雅な飛びかたになれている町の人がなんというでしょう。とくにチロコには絶対見られたくありません。
キキは「今になおるわよ、一人前になれば。大丈夫、ニニにはできる」となぐさめてくれました。
(ズボンをはいたせいかなあ。やっぱ、サングラスかなあ)
ニニはわがままをいったことが気になりました。昔からの、伝統魔女たちが怒りはじめたのかもしれません。
やがてすこしずつ、ニニが練習を始めたことがコリコの町にひろまっていきました。
「今度のは、なかなかおてんばだね」とか、「けがしないといいがね」とか、「足をばたばたさせて、あれ流行なんでしょうかねえ」とか、ささやかれ、それはゆっくりとひろまっていきました。