8 はじまりのひびき
この二、三年、グーチョキパン屋さんのまわりには、レストランや、ブティック、喫茶店がつぎつぎとできて、コリコの町でも、わかい人が集まる、おしゃれな通りにかわっていました。すぐそばには、かわいいお菓子屋さんもできて、
「でもね、なんでも、ほいほいとかわればいいってもんじゃないと思うわ。うちの定番、チョコレートパンも、コケモモパンも、昔からの朝焼きパンも、かわらずに売れてるし、ケケが考えてくれたふうせんパンだって、まだまだ大人気よ。いいものはいいのよ。おいしいものは、おいしいのよ。流行には流されないわ」
ついこのあいだも、通りの先の古いお屋敷の前の塀が取りはらわれたかと思うと、庭にテーブルといすがおかれて、広々としたコーヒー屋さんになりました。「庭園茶屋」という名前も、古っぽいけど、おしゃれだと、わかい人たちに人気です。ところが、ニニは予想に反して、「ちぇっ」と、いやそうな顔をしています。
「トト、あそこさ、なんか味気ないよね。明るすぎる。『茶屋』なんだから、すこし暗めがいいよ。ね、怖いとこがないとつまらない」
「怖いって……ニニ、古い家だったから、ゆうれいとか、おばけとか期待してたわけ?」
「やだ、トトったら考えることが、幼稚! ス・リ・ルよ、どきどきすることよ。なにがおきるかわからないってとこがほしいのよ。あそこは、まったくたんなるふつうのコーヒー屋だわ」
「僕、まだいったことないから」
「ま、一度ぐらいはいいかも。アイスクリームは、まあまあだから。でもいすにすわると、値段が高くなるから、ご用心。立ってぺろぺろがおすすめよ」
ニニはいいました。
それから二、三日して、トトはぶらりと「庭園茶屋」にはいっていきました。カップにはいったアイスクリームを買って、ニニのご忠告通りに、すわらず、壁に寄りかかって、なめはじめました。
そのとき、通りからわかい男の人がひとり、すいっとはいってきました。ここいらではあまり見ない顔と服装です。黒い上着は短めで、細めのズボンがまっすぐにのびています。トトよりだいぶ年上に見えます。カウンターに寄りかかるようにして立つと、「コーヒー」と一言、お金をぽんと前におきました。それから庭のほうに体をむけ、胸のポケットからうすい
トトの目から光の線のようなものが、一直線、その人にむかってのびていきます。トトは映画でも見ているような気持ちでした。
男の人は櫛をポケットにもどし、カウンターに出されたコーヒーカップをつまんで、一口、二口、くいっと投げこむように飲むと、満足したように、小さく
トトは大急ぎでアイスクリームを口におしこみ、ひっぱられるようにあとをつけていきました。
(ニニは、この店にはスリルがないっていったけど、あるじゃないか)
男の人は時計台の近くまで来ると、コリコの町では有名なレコード屋さんの脇の階段を飛ぶようにおりていきます。トトは急いで近づいて、下をのぞきました。
ごんごんとふるえるような音が響いてきました。階段のよこには「夜十時開演 終演時間は未定」と書いた張り紙がありました。
トトはちょっと体をちぢめて、一段、一段、とまっては、様子をうかがいながらおりていきました。でもあと四、五段というところで、そのまま壁に寄りかかるとすわりこみました。音はますます激しくなってきます。ごんごんとトトの胸をうちます。じっとしていられません。トトの体が揺れだしました。腕も動きだし、体も前後に動きます。今にも立っておどりだしそうです。
「おう」
声がします。トトはびくっと体をこわばらせました。
「気に入ったかい?」
さっきの男の人です。かたほうの足をいちばん下の階段に乗せて、見上げています。
トトは声も出ません。ただこくりとうなずきました。
「きみ、乗ってるじゃないか。音、すきなんだ。おどってたよ」
「えっ、ぼ、僕、おど、おどってました?」
トトの口は不自然に、ぱくぱくと動いています。
「いい感じに揺れてたよ。ききに来たのかい。残念だね。まだやってないんだよ。でもな、子どもにはむりな時間に始まるんだよ。夜中だよ。音も、ちょっときついしな。でも、差別はしないよ。子どもだって、すきはすき。大人だってすきはすきだもの。ま、練習でよかったら、はいってきいていくかい」
トトはぎくっと体を動かしました。
「大丈夫だよ。おっそろしい音出してるけどよ、おっそろしい人間じゃないからさ。これだって、真剣にやってんだから。おれ、ゾイっつうの。ずっとビバビバ市でやってるんだ。そこそこ人気でね。この町で五日ばかり、鳴らす予定。よろしくね」
「ぼ、僕、トトっていいます。すいません。この音にひっぱられちゃって」
「おっ、ひっぱられたか。いいこと、いうじゃないか。はいんなよ」
トトは立ち上がると、男の人について、そろそろとはいっていきました。なかは二十人もはいればいっぱいというぐらいの大きさで、一段高くなっている舞台の上には、男の人がひとりと女の人がひとり、汗びっしょりになって、大きな楽器をかきならしていました。すごい音です。四方の壁もびんびんとふるえています。
「じゃ、すわって。わりいな、いすないんだ」
トトは腰を抜かしたようにして、前の床にすわりこみました。薄暗く、がらんとしているのに大勢の人のにおいがします。床には電線のようなものがはっていて、天井にもなにやら線がたくさんぶらさがっています。
「キャオウー」
「オッキャッ」
「キェーエッ」
三人の口からときどきするどいさけび声がはじけます。楽器の音といっしょに、ものすごい力でぶつかってきます。
音は、ちょっととまったかと思うと、まただれかのかけ声が響き、さらに大きくなってつづいていきます。すわってきいているうちに、音が体のなかにたまってきて、トトは胸が苦しくなってきました。自然と立ち上がり、体が動きだしました。
「気に入ったかい」
ゾイが顔をトトの耳に近づけて、どなるようにいいました。
「うん」とうなずいて、それでもたりないような気がして、トトは手をラッパにして、「すごい!」とどなりました。
「いやじゃないの? いやだっていうやつ多いんだよ。君みたいな子どもたちは、もっとあまい音のほうがいいんじゃないの?」
トトはだまって、首を左右にふりました。
「下手だって、いう人もいるしさ。しょうがないよね、それは……でも、文句いったら、耳をふさいで、きいてくれっていってやるんだ。ハ、ハ、ハ、ハ」
ゾイは大きく口をあけて笑いました。
「どきんどきんしてる、こんなのはじめて。ほんと、はじめて! 体が動いて、たのしいよ、僕」
トトは胸に手をあてて、ふはふはと動かしてみせました。こんな大きな声を出したり、大きな身振りをしている自分にトトはおどろいていました。気持ちが、すかっ、すかっと自動扉のように開いていきます。今までトトはなにかにつけ、なぜとか、だけどとか、どうせとかむずかしく考えて、結局やめてしまうたちでした。それがこの勢いです。
舞台の上の三人が手をとめて、前に出てきました。
「気に入ってくれたの、そりゃ、光栄すね」
男の人がいうと、
「どきんっていうの、うれしい言葉だわ」
女の人がいいました。長い髪をかきあげて、上からトトを見ています。
「君も、やってみる?」
「だめだめ、もう、音に負けちゃってるもん」
トトはあわてて後ずさりしました。
「大丈夫。そういう言葉は、やってみてからいうもんだよ」
ゾイがトトの肩をおしました。
トトはおずおずと舞台にあがっていきました。
ゾイがトトにギターのような楽器をわたしました。
「おれが作ったんだけど、やってごらん。音は出るから。いいから、鳴らしてごらん」
それはトトのほうきに形がよく似ていました。かかえると体にぴったりとくっつきます。
みんな、それぞれ楽器をもちなおすと、ばーんと音をはじきだしました。
トトも思いきって、手ではじきました。
「ビーイイーイーン」
「オーヤッ」
音はからみあって、どんどん大きくなります。かけ声も、追いかけるように盛り上がります。
「いいぞ、いいぞ。ビョーンだよ」
ゾイがトトをうながしました。
トトはみんなにあわせるように、おずおずと音を鳴らしていきました。つられて体が動きだします。だんだんと体も揺れだし、思いきってトトはさけび声をあげました。
「キャーッ」
足で舞台をけりつけます。
「キュ、キューン」
トトは生まれてはじめてこんな声を出しました。自然と出てしまったのです。
「いいぞ、いいぞ」
ゾイがトトの声にあわせます。みんなも笑いながら追いかけるように音を鳴らしました。トトの顔に汗がにじんできました。顔をふるたびに髪の毛がひろがり、その先から汗が飛び散ります。
激しい音、激しい動きがつづきます。
トトは頭がくらくらしてきました。胸もばくばくです。でもすぱーんと飛び上がりたい気持ちです。いっしょになにかが飛びだし、すぱーんとなにかがはいってきたみたいでした。自分がどんな格好をしているか、人がどう見ているかなんて、気にしていられません。もう夢中でした。
「そうそう、それでいいぞ。やりたいようにさ、やりたいようにさ」
ゾイが舞台の上で、トトにあわせて、びょーんと飛び上がりました。
「もうだめだー、こうさん! 息が切れる!」
トトはたおれるようにすわりこみました。
「でも、あんた、なかなかやるじゃないの」
女の人がいいました。
「君、魔法に、かかったね」
もうひとりの男の人がいいました。
「魔法?……」
「夢中、夢中がいいんだよ。そうすると、魔法になるんだ」
ゾイは、どなるようにいうと、顔をくちゃっとくずして笑いました。
「キャオーン」
トトは家に帰ってくると、いきなりさけび声をあげました。それから壁につるされているニニのほうきをとると、楽器を弾くように手をぶっつけ、「タタタタッ」と声をあげながら床をふみならしました。
「!!?」
キキはふりむいて、目をむきました。
とんぼさんも、部屋の隅から飛びだしてきました。ダダダダー、ニニが階段を走りおりてきます。ブブとベベはぽーんと飛び上がると、テーブルの下に駆け込んでいきました。
「キャオーン、どう、これ、すごいでしょ」
「どうしちゃったの?」
キキはあやしんで、トトをのぞきこみました。
「気持ちいーっんだっよっ」
トトは汗だらけの顔をシャツの
「いいから、はやく顔あらって、着替えなさい」
キキがいいました。
とんぼさんはそんなトトを見て、肩をすくめ、だまって部屋にもどっていきました。
「きかせて、きかせて、なにがあったのよう」
ニニは洗面所にいったトトを追いかけて、背中をたたきました。
「いえないね!」
トトは大きな声でいいました。
その日はだれもトトからこれ以上ききだそうとはしませんでした。とつぜんはじけたトトにびっくりしながら、でもキキはちょっぴりうれしい気持ちもしているのでした。
「かあさーん、かあさーん、見て」
あまったれた声をだして、ニニがキキの背中にもたれかかってきました。キキは肩越しにニニを見て、おどろいてふりむきました。
「どうしたの、その頭!」
「いいでしょ。心境の変化よ!」
ニニはすまして、くるっと回りました。
ニニの髪の毛がみじかーくなっています。肩まではあったのに、耳すれすれのところでばっちんと切ってあります。
「『切りそろえてもらうだけよ。ちょっとだけよ』って、いったでしょ。そんな男の子みたいな髪にしちゃって」
キキはニニの頭をさわりながら、にらみました。
「だってえ、このほうが髪の毛が顔にかかってこないと思って。だってえ、かあさーん、飛ぶ練習するんでしょー」
ニニはまた体をキキにおしつけていいました。
「えっ?」
「もう、そろそろ魔女の練習してもいいかなって、ニニちゃんとしては、思ったわけさ」
ニニはちょいっと鼻にしわを寄せました。
「もう、そろそろなんて、あんたって、いきなり勝手なことばかり」
キキはあきれたように、ため息をつきました。
「だってかあさん、わたしに、魔女になってほしいんでしょ? それともほしくないの?」
「ニニが心から、そう思うんだったら、かあさん、うれしいけど……ほんとなの……?」
「また、そんな学校の先生みたいなこというんだから。うれしくないの? 練習始めてみようかといってるのよ。もうおそいの?」
「おそいっていえばおそいけど、あなたっていつもおどろかせて……」
「かあさん、うれしくないの?」
「もちろん、うれしいわ」
「でも、鈴をつけるのは、やめてほしいんだけど」
「なぜ? つけたほうがはやく飛べるようになるわよ。それに墜落事故をおこさなくってすむしね」
「でも……きっとものすごく鳴っちゃうよ。ガランガランだよ。コリコの町、うるさがるよ。それに下手なの、ばれちゃうし」
「でも、鈴はつけますよ。かあさんは、コキリさんがやってくれた通りにやりたいの。娘が魔女になるっていいだしたらそうしようとずっと思ってたんだから。やらせてほしいわ」
「ブー、じゃ、いいよ。でもスカートははかないよ。わたしは足が長くて、おしりがくいっとあがってて、ズボン姿がとってもかっこいいっていわれてるんだから」
「あら、それは、それは。自慢はいいけど、旅立ちのときはそうはいかないわよ。魔女は黒いドレス、これ決まりです」
「ねえ、かあさん、もしよ、もしもよ、やめたくなったら、途中で帰ってきてもいいの? ほんとうにもしもの話だけどさ……」
「絶対いけないっていう決まりはないけど……でも、それこそはずかしいことよ」
「だれがはずかしいの? かあさんが?」
「わたしではありません。ニニに、決まってるでしょ。自分にはずかしい、それこそ、いちばんはずかしいことよ。一生つづくもの」
「はずかしいだけで、すむなら、そんなのへいちゃら。気にしないもん。でも、いいや。やってみるわ。やめたっていいなら、あーあ、安心した」
「みんなにさよならいって、すぐまた、ただいまなんて、やめてほしいわ」
ニニはそれにはこたえないで、ぴょんと後ろに飛びのくと、「始めるの、明日からでもいいよ」と笑いました。それから、ちょっと真剣な顔をしてつぶやきました。
「絶対、鈴は鳴らさない。チロコに知れたら、とんでもないよ」