7 遠距離恋愛
ニニは空を見上げて、目を細めました。さわやかな四月の空がひろがっています。前の家の屋根におひさまがあたって、その光がはねかえって、ニニの顔を浮き上がらせています。
(空って、まぶしいんだ。サングラスがいるかも)
ニニはつぶやいて、目の上に手をかざしました。それから、くるりと後ろをむくと、家にはいっていきました。
「とんぼとうさん、一度決めたら、一生かえちゃいけないのかなあ」
ニニは、机にむかって、いつものように虫のような、機械のような、線のような、絵のようなものをかいているとんぼさんを肩越しにのぞいてききました。
「なにを決めようっていうんだい?」
とんぼさんが顔をあげました。
「やだ、ま、じょ、のことに決まってるじゃない。わたしが魔女になるってことよ。もうとっくに決めなきゃいけなかったんだ……。だけどさあ、心配なんだ。もし約束破って、途中でやめたりしたら、殺されちゃうのかなあ」
「ほほーう、そういうことか……そうだなあ……まさか殺されたりはしないだろうけど、どうかなあ、おばけぐらいは出てくるかもしれないぞ」
「えー、やだあ。おばけ?」
「約束破るんだから、それぐらいは我慢しなくちゃな」
とんぼさんは、ちらっとニニを見ました。笑いだしそうに口がゆがんでいます。
「どんなおばけ?」
「さあな、どんなかな」
「小さいのならいいよ。かわいいのならいいよ」
「いや、魔女を相手にするんだから、そうはいかないだろう」
「なにされると思う?」
「くく、『かわいいニニちゃーん、魔女やめるなら、お友達になりましょー。仲よくしーましょー、しましょー』って、冷たーい手でだきついてくるかもなあ」
とんぼさんは、笑いながら、手をくねくねとひろげて、ニニをだきよせました。
「うっそ。やめて、やめて」
ニニは体をよじってとんぼさんの腕から抜けだすと、笑いながら、階段をのぼっていきました。
その夜、とんぼさんはキキにいいました。
「ニニは、やる気あるよ。自分から、いえないだけさ」
「ほんと? わたしにはいやそうなことばかりいうのよ」
「時間の問題だよ」
「でもその時間がないから……あせってるのよ。ふつうは十歳で決めるのよ。それじゃあ、ってすぐ空を飛べるものでもないし……」
「キキ、まってないで、きいてみたらいいじゃないか、あっさりと」
「そうねえ、そのあっさりが、あの子にはむずかしくって。すぐややっこしくなっちゃうんですもの」
キキは、そっと二階を見上げました。二階からは、ニニとトトがはやりの歌を、歌いあっている声がきこえてきました。
「おとこのこは ポケットに ライオンを かってる
あー なぞだ なぞだ なぞだ
おんなのこは ポケットに はちを かってる
あー チクリ チクリ チクリ」
つぎの日、キキはジジにききました。
「ニニは、ブブと話ができてるのかしら。ジジ、知ってる?」
「キキ、知らなかったの? ニニはずっと前からブブとしゃべってるよ。トトだって、ベベと話をしてるようだよ」
「えっ、ほんと? どうして教えてくれなかったの、ひどいじゃない」
「だってさ、それふつうのことだと、僕には思えたから」
そのつぎの日から、キキはなにを思ったか、ぴったりと、ニニの魔女問題を口にしなくなりました。トトの気持ちを思って、心を痛めることもなしにしました。そう決めたのです。もしかしたらキキで、魔女の血筋がとだえてしまうかもしれません。おかあさんのコキリさんは残念に思うでしょう。でもそれもしかたのないことです。こればかりはニニが自分で決めることなのです。キキにもそれは十分わかっていたことでした。そうは思っていても、やっかいなのがキキのお母さんとしてのおせっかいな気持ちです。でもニニはニニなのです、キキのものではないのです。ひとりで勝手に心配し、ひとりで勝手にイライラしても、どうなるものでもありません。
キキはおなじような気持ちを、結婚前のとんぼさんにももっていました。
(どうして、わかってくれないの……わたしはこんなに一生懸命なのに……)
そう、ひとりでばたばた心配するこの気持ちです。それでとんぼさんにも、重い負担をかけてしまったことがありました。
キキは、十歳のとき魔女になろうと自分で決めた日のことを思い出しました。
(コキリさんにいわれたからじゃない。自分で決めたのだ)と思ったとき、一瞬、びりりと体中に恐ろしさが走りました。でもその後、自分で決めたのだというよろこびがあふれてきたのです。そしてはじめてコキリさんと、空を飛ぶ練習をしたとき、はっきりと、魔女になるうれしさを感じたのです。それから、自分のほうきを作ろう、かわいい形のほうきを作ろう。旅立ちの日に着る洋服は……、どんな町にいこうか……つぎつぎこれからおこるたのしいことを想像して、贈り物をあけるときのような、わくわくした気持ちになったのでした。そしてはじめて、ジジがこれからの時間をともにする、かけがえのない仲間だと知ったのでした。
自分で決めたときの、あのふるえるような一瞬を、キキはニニにも、トトにも味わってほしいと心から思いました。これがなければなんにも始まらないでしょう。
とんぼさんがいっていた「あきないほどおもしろいものを見つける」という言葉の意味はこのことだったのでしょう。
魔女の世界でも、「魔女になるか、ならないかは、自分で決めること」といわれています。昔はそうではありませんでした。魔女の子は魔女になると決まっていたのです。でもこの考えは、かわってきました。よろこびを感じなければ、意味がない、また本物の魔法も生まれてこないと考えるようになってきたのです。
キキは毎日を、平和な気持ちで過ごせるようになりました。
ルルルルー ルルルルー
電話のベルが鳴りました。
「はい、はい、魔女の宅急便です」
キキはいつものように、電話の前でかるくお辞儀をしました。
「すいません。花束を届けていただけませんか。今日、僕の彼女、リンちゃんの誕生日なんです。
「はい、かしこまりました。ご安心ください」
入院してるのに、よくしゃべること……、キキは思わずつぶやきながら、「ジジはどうするの?」と声をかけました。
「もちろん、いくよ」
ふだんはヌヌちゃんといっしょに、家族の世話でいそがしいジジも、仕事というと、キキと動きます。大家族ですから、おとうさんも、働かないといけません。ちゃんとした身分もたいせつです。今でも立派な「魔女の宅急便の魔女猫ジジ」なのです。
キキはジジをつれて、「山のなか山村立病院」をめざしました。ほんとうに山のなか、森だらけのところを空からかきわけるようにしてのぞくと、小さな村が見えてきました。
キキが白い病院の七号室にはいっていくと、わかい男の人が包帯をぐるぐる巻きにした足を天井からつって上向きに寝ていました。ボールをぽーいぽーいとほうりなげながら、お誕生日の歌を口笛で吹いていました。
「あっ、すいません。それではよろしくおねがいします」
男の人はキキを見ると、枕の下から財布を出して、お金を数えながらいいました。
「彼女、二十歳になったので、バラは二十本おねがいします。赤いバラをね。『足をつらなくてもよくなったら、僕も飛んでいくからね』って伝えてください。そのときは、魔女さん、僕を運んでくださいね」
「あら……すいません。わたしのほうきは人は運べないことになってるんですよ。はやくなおしてご自分でいらしてください」
「えー、そうなんですか。あと一週間の我慢と思ってたのに。それじゃ当分いかれないなあ、あーあ」
男の人は思わず包帯の足で空中をけとばしました。
「あっ、いて、いててて」
「リンちゃんに来ていただけば」
「あっ、そうですね。そうですよ。来てくれますよ。あーあ、そうですよ」
男の人は、もう一度、「そうだよ、そうだよ」とつぶやき、うれしそうにまた足をあげました。
「いて、いていててて」
「あわてちゃだめですよ。我慢してはやくなおさないと……。それで、リンちゃんはどちらに?」
「あ、コリコの町です。海岸のところに、海につきだしたレストランがあるでしょ。『海の指定席』っていうんです。きれいなところだからすぐわかりますよ。リンちゃん、そこでウェイトレスをしてるんです」
「あら、そこならわたしもよく知っています」
キキはうなずきました。
キキはコリコの町にもどると、赤いバラを二十本、かわいい花束にしてもらい、「海の指定席」に急ぎました。「海の指定席」は春まっさかりのさわやかな風のなか、昔のように優雅にたっていました。
「あーっ、なつかしいこと!」
キキはさけび声をあげていました。あの十四歳のときのことを思い出したのです。いつもどきどきして、なにかをまっている女の子だったときのことを。魔女であることを誇りに思ったり、またそのためによけいな引け目を感じてしまったり。いろいろありました。
「あのときは、おしゃれなドレスが、砂だらけになっちゃってさ、ひどかったね」
ジジも思い出したようです。
キキがさしだした、バラの花束をリンちゃんはぎゅっと胸に寄せて、いいました。
「わたし、いきます。今、すぐ。彼に会いにいきます。魔女さん、乗せてってくださいね。超特急で!」
今にも飛び上がりそうな勢いです。
キキは思わずリンちゃんをだきしめました。
「気持ちわかるわ! 会いたいわよね。彼からもおなじことをたのまれたのよ。でも、魔女のほうきには、人は乗せられないの。魔女のほうきは人の気持ちを運ぶものなんですもの」
リンちゃんの目が一瞬にして、ぬれてきました。
「あら、そうなの……でも気持ちを運ぶなんてすてきなほうきね。わたし、なるべくはやく、お休みをとっていきます。ガタンゴトンと電車に乗って。揺れて……揺れる気持ちを届けに……あーあ、想像しただけでうれしくなっちゃう」
「そう、それが、なんといってもいちばんよ」
キキはいいました。
キキの気持ちは、ふたりのやさしい言葉をいっぱいすって、久しぶりにあまくぽあんとふくらんでいました。
「いいね、わかいってことは……」ジジがしみじみといいました。
「ジジ、あなただって、わかいわよ。みんな、今、今がいちばんわかいとき。そう思おうよね。ドキドキしようよね」
キキは勢いをつけてくるんと方向をかえると、海岸線にそって飛びはじめました。
久しぶりにラジオのスイッチを回しました。
「それでは今日のさわやかな空を眺めながら、おききください。『すいこまれるって、どんな気持ち?』です」
ラジオから音楽が流れてきました。
「すいこまれるって どんなきもち?
すき すき すき って きもち
わたしの わたしだけの うちゅうが
わたしの むねに すいこまれる
すき すき すき って きもち」
キキが十八のころ、はやっていた歌です。あのころの気持ちにぴったりで、ときどき口ずさんでいました。
「なつかしいなあ、思い出しちゃうよ」
ジジもうっとりとしています。
キキもすっかりあまい気持ちになって、ほうきに体をあずけるように、ふわーりふわーりと飛んでいきました。
「キキ、おすそわけ、もらわなかったね」
「もらったじゃないの。昔を思い出したもの」
そして家に着くと、机にむかっているとんぼさんに、後ろからいきなりだきつきました。
「どうしちゃったんだい」
とんぼさんはいささか迷惑そうにふりむきました。この二、三日のあいだにとってきた原っぱの虫の写真を整理していたのです。
「今年はモンシロチョウが多いんだよ」
「気持ちいいもん。ちょうちょだって、飛びたいのよ。それだけ世界は元気なのよ」
「そうかなあ。単純だなあ」
「魔女の計算を信じなさい、虫のおとうさん。魔女の心にはね、ちょうどいいがわかるはかりが入っているのよ。つまりそれが魔女の計算ってわけ、ふふふ」
キキのご機嫌は満開です。とんぼさんの肩に手をおいたまま、顔を近づけて、ほっぺたをくっつけました。
ちょうど階段をおりかけていた、トトはそんなふたりを見て、すいっと顔をそむけると、またのぼっていきました。それをめざとく見たニニは、くくくと小さく笑うと、「しげき強いかも、失恋男には」とつぶやきました。
キキはふたりの視線を感じて、「すいこまれるって……」と口ずさみながら、なにげなさそうにとんぼさんからはなれていきました。
「平和だなあ。ドラマがないよな、うちは……」
ニニはまたつぶやき、やれやれと肩をすくめました。
「ふん」ジジが荒い息をはきだしました。それからぽーんと飛び上がると、ニニの頭の上に飛びのり、またぽーんとおりて、歩きだしました。
「なによ、びっくりするじゃないの」
ニニが手を出して、ジジのしっぽをつかみました。ジジはぐいっとひきもどされながらも、「生意気娘!」とさけび、つめでニニの手をひっかきました。
「イタ、イタイ!」
ニニはあわてて手をひっこめると、目をまるくして、「ジジ、今、『生意気娘!』っていったわよね」とさけびました。
ニニはジジのいっていることがはじめてくっきりわかったことに、おどろいて、すわりこんだままです。
「でも、ほんとうのことだからね」
いつの間にかそばに来ていたニニの猫、ブブが、からかうように口をゆがめています。
ニニはじろっとブブを見ただけで、ジジにひっかかれた手の傷を、ぺろりとなめました。