6 かくれた名前
あのほうき事件の後、トトは何事もなかったように、いつものトトにもどりました。しずかで申し分のない、いい息子です。でも、キキも、とんぼさんも、あれ以来トトの体のなかで、どきどきざわざわとなにかが揺れているのを感じていました。
「彼の問題だからなあ……」
キキが心配すると、とんぼさんはこういいました。
「わたし、ほんとうにおばかさんだったわ。男の子が生まれて、びっくりしちゃったんですもの。一つも不思議なことではないのに。子どもは女の子で、魔女になるって、勝手に思いこんでいて」
「そういうのを凝りかたまりっていうんだよ。しっかりしてよ、キキ。魔女は気持ちが自由なのが取り柄なんでしょ」
「うん、そうよね、でもトトのことになると、わからなくなっちゃうの。修行がたりなくってすいません。トトって、いつもいい子だったでしょ。今でもいい子だけど。でも、このごろ、ちょっとちがってきた。心がもやもやしてる。トトってすこし複雑でしょ。むずかしいわ」
「そうおっしゃいますがね……僕だって、トトとおなじだったよ。考えることはたくさんあった」
「やっぱりわたしが魔女だったからよね。トトもそれがすごく気になってるのよ。それはよくわかるの。空を飛ぶのは、ほうきではなく、魔女の血が飛ぶんだっていわれてるんだから……トトはその血をもってるんですもの。でも、男の子だから……」
「だから、たのしみ」
とんぼさんはいいました。
「わたしは心配で……」
キキはつぶやきました。
北の山から吹きおろしてくる風に力がなくなると、土のなかからかすかにあたたかい空気がのぼってきます。この季節、いつもだったら、キキは、さあ、始まりよという、はりきった気持ちになるのです。でも今年はちょっと気分が落ちこんでいました。もうすぐ春分がやってきます。その前の満月の夜、魔女のたいせつな仕事、くすりぐさの「種のおきよめ」をしなければなりません。これは昔からの決まり、魔女の仕事です。男の人は参加できないのです。キキは、トトがまた仲間はずれにされたように思うのではないかと気がかりでした。ニニのほうもまだはっきりと、魔女になるとはいいだしません。ほんとうにまだなのです、まったく。ニニはまるで流行の洋服でもえらぶみたいに、迷っているのです。人にうらやましがられれば、ほいほいとなろうかなといってみたり。もっとおもしろそうなことが目につくと、やっぱりやめて、こっちにしよう、なんていうのです。気持ちは行ったり来たり、まるできまぐれブランコです。
ついこのあいだは、コマコマ屋さんから、小切れを買ってくると、つぎあわせて、変てこな形のぬいぐるみを作りはじめました。「おめめちょ」「おやゆびちょ」なんて名前をつけて、一目見たのではなにがなにやらわからない形をしています。
「すごくかわいいでしょ。わたしって、天才かも」
こんなことをいいだしました。
「そんないいかげんな天才なんて、いるのかね」
トトが薄笑いして、からかいました。
「やだ、いいかげんでも天才は天才よ。わかってないなあ。わたしの作品、すっばらしく今的でね、抽象的なんだって。抽象的ってどういうことなの?……たぶんかわいらしいってことだよね。お店の人にいわれちゃったわ。ぜひ売らせてください、きっとはやりますよ、って。出来上がったらみんなもってきてくださいねって。わたし、十二歳で社長になれるかも」
これをきいて、トトはあきれたように首をふってつぶやきました。
「抽象的ってさ、わけがわからないってことじゃないの」
ニニがこんなことをいって、さわいでいたのは、つい三週間ばかり前のことでした。でも、いまではぱたりと、おわりです。
「あきっぽいんじゃないわよ。どんな形にしていいか、わからなくなっちゃったんだもの」
「天才なのに??」
トトがまた皮肉をいいました。
キキは、こんなニニの態度を気にしない、気にしないと自分にいいきかせながら、やっぱり心配なのでした。
(ニニはずっとあんなふうに生きていくのかしら。それですめばいいけど……でも魔女は『いや』なことでもたのしみにかえていかないと……)
そうはいってもキキだって、相当いいかげんに決めたのです。(魔女になるのって、おもしろそーう!)それだけです。もうすっかりわすれているのです。
「まだ時間はあるよ。いちばんたいせつなことは、あきっぽいニニが、あきないほどおもしろいものを見つけることじゃないか。それが魔女じゃなくてもいいじゃないか」
とんぼさんはこんな意見です。
「そんなこというから……この世の中には不思議なんてない。見える世界がすべてだって、考える人がふえてくるんじゃない。今はどんなことでもお金で計算して考えるんですもの。それを上手にできることが魔法だって思う人がいるでしょ。それはどうかしら……?」
「でもな、キキ、見える世界もだいじだよ」
とんぼさんはいつでも、ゆっくりです。それに短い言葉しかいいません。
とんぼさんの考えももっともです。ニニがいやだというなら、それもしかたがありません。でもキキはコキリさんから受け継いだこの役目を上手にニニにわたしていく責任をやっぱり感じてしまうのです。
ルルルルー ルルルルー
「はい、魔女の宅急便です」
キキは受話器をとると、いつものように、ちょっと頭をさげていいました。
「ええ、ほんとうにぽかぽかしていいお天気ですね。はい、……はい、そうですか……『ふたごののっぽさん』ていうんですか。わかりました。うかがいます」
キキは電話を切ると、二階へむかって、大きな声でいいました。
「ねえ、ニニ、かあさんの代わりにいってくれないかしら。たのみたいことがあるんですって。お年寄りらしいの。かあさんは反対のほうに急ぎのお届けものがあるのよ。おねがいできませんか?」
すると、すぐニニの声が階段を伝っておりてきました。
「わたし、空を飛べないよ。魔女の宅急便なのに、これって規則違反じゃないの」
「もーう、どうしてニニはいつも問題をややっこしくするの」
キキは急いで出かける支度をしながら、高い声をあげて、いいかえしました。
そばで本を読んでいたトトが顔をあげていいました。
「ねえ、ニニ、魔女になるんだったら、はやくかあさんに、そういったらいいよ。かあさん、いらついてるよ」
「それが、わたしはいやなのよ。かあさんは、面とむかってはいわないくせに、どっかで、こんなふうにチクチクにおわせるんだから」
「もう、その言葉は、ききあきたよ」
トトは立ち上がると、階段をおりながら、キキにいいました。
「かあさん、僕がいくよ。僕でもいいんでしょ」
「あら、あなたが……」
キキはちょっと言葉をつまらせました。それから思いなおしたように明るい声でいいました。
「ありがとう。トトはいつも協力的で、助かるわ。そんなに遠いところじゃないから、でも一時間はかかるかな。ほら消防署の道をどんどんいくと、道がせまくなるでしょ。しばらくすると、道の両側に
キキは窓からその先のほうを指さして、ふっと笑うと、「コリコの町って、ふたごばやりだこと」といいました。
トトは歩いていきます。
(飛べるってことはだよ、あっという間に着いちゃうってことだよな。僕はくやしいことに、たっぷり、たっぷり時間がかかる)
トトはぶつぶつひとりごとをいいながら歩いていきます。
しばらくすると、「ふたごののっぽさん」の銀杏の木の先が見えてきました。近づいていくと、まるで魔女のほうきをさかさまにしたように、葉を落とした枝がぼうぼうと空にむかってのびています。秋に落ちた葉は黄色と茶色のまだらになって、まわりに散らばっていました。トトは葉っぱをひろって、胸のポケットにさしました。でもなにを思ったのか、もう一つひろって、重ねるようにさしました。
(この木が門なのか。ちゃんとまんなかをくぐって……と。ふたごさん、いっぱいよろこんでくださいよっと……)
トトはまわりを見回しながら、二つの木のあいだをはいっていきました。細い道がつづくその奥に、古い家がありました。軒が低く、ドアをはさんで、小さい窓が二つならんで、おばあちゃんのめがねのように、きらりと光っています。屋根にはまだらに草が生え、丸みをおびたその形は、肩を落とし、ゆったりとすわりこんでいるように見えました。地面に近いところは
「おう、おう、あんたも魔女かい、坊や」
暗い入り口から出てきたおじいさんが、いきなり声をかけてきました。トトは思わずむっとしていいました。
「ちがいます。魔女の息子です。代わりに来ました」
「そうかい。じゃ、魔女って名前にしなさい」
おじいさんはいきなりこんなことをいって、満足そうに大きくうなずきました。
「うん、ぴったりだ!」
「ええ!? 魔女?」
いきなりいわれて、トトの目がぐっとまんなかに寄り、「それっていやみかよ」と口のなかでいいながら、おじいさんを見つめました。
「そういわれても僕、飛べません」
トトは突っかかるようにいいました。
「これはべつの問題だ。つまり、ふつうによばれているのは、人がつけた名前だ。だがほかにだれもが、ちゃんと自分でつけた名前ももっている。知らないだけでね。ふだんはかくれていて、あるときふっとあらわれる。人に影があるようにね。影っていうと、暗くって、陰気な感じがするけどね、そうじゃなくて、いってみれば、その人の愛する中身っていうかな……そこをわすれてはいかんのだ。君には『魔女』って名前がかくれていそうだぞ。なにも君のおふくろさんに気をつかってるわけじゃないよ。ふん、いい名前じゃないか。わしのところの門は、『ふたごののっぽさん』ってよばれているだろ。ごぞんじのように、ふつうあの木は銀杏って名前なんだけどね、それが表の名前。裏の名前は『のっぽさん』でね。二つがあるから、それがまんまるの一つになるっていうのが、ま、この世ってことだと、わしは思うのさ」
トトは思わず手をぐっとにぎりしめました。
(なにいってるんだろ、このおじいさん。すこしおかしくなってるんだ)
「おや、頭が、こんがらかったって顔してるぞ。こんがらかったのは、わしの頭じゃないぞ。君の頭だぞ」
おじいさんの目はトトの気持ちを見すかすように、細く揺らいできらりと光りました。それからズボンのつりひもに親指を入れてにぎると、大きな口をあけて体を揺らして笑いました。
「わっ、は、は、は、は。わしは、この名前探しに、このごろ、生きがいを感じておるんじゃよ。ま、名づけ親じゃな。だってそれがないっていうのは、ほんとうにあるってことにはならないからね。この世にいるってことにもならないしな。このごろじゃ、自分でいうのもなんだけど、だいぶうまくなってな、ぴったりの名前を見つけてあげられるようになった。見つければ、呼んでやるしね。そうすりゃ、相手もうれしがる。ごらん、ふたごののっぽたち、うれしそうに揺れとるだろ。これこそ年寄りの役目だ、そう思うとる」
おじいさんは顔をはるかむこうの銀杏の木にむけて、目をぐるりんと回しました。
(やっぱり……変だよ……)
トトはなるべくはやく帰ろうと、それでご用事は……というようにおじいさんを見上げました。するとおじいさんはトトの目の前で、おいでというように、手をひらりと動かして、家にはいっていきました。トトはしかたなく後につづき、暗い部屋のなかを見回しました。いろいろなものが、いろいろなところにおいてあります。棚のはじっこやら、壁にそって、ならんでいたり、すきまにささっていたり。
「ラクサンはいかがかな? わしは『お茶』のことを、『ラクサン』ってよんでいるんだ。この名前でよぶと、いい味を出してくれるよ。どうだい、ぴったりの名前だろ」
トトは思わず顔をしかめました。
どう考えても、変なことばかりです。でも、家のなかは、ごちゃごちゃといっぱいものがおいてあるのに、なんだかいやな気がしません。この家のようにどれもゆったりと満足げにすわりこんでいます。
「湯飲みは『キモチン』なんだよ。どうしてそんな名前になるの? ってききたいだろ? いっしょにくらしているとな、だんだんそのものの根っこみたいなものが見えてくるのよ。湯飲みは、『キモチン』なんだ。いいだろ。せめてわしだけは、そうよんでやりたい。愛なんだなあ、これが。君もやってごらん。えんりょするこたあない。自由に見る、これがだいじじゃ」
(まねなんてするわけないよ!)
トトは声には出さずに、いいました。
おじいさんはうれしそうにしながら、「ラクサン」を「キモチン」に入れてくれました。
「魔女は特に、かくれたものを見る目をもっているはずだよ。魔女ってそういうものさ。君の将来がたのしみだね」
(僕は男だよ。魔女にはなれないことになってるのに。この人、しっつこいなあ)
トトはため息をつき、とりあえず口にふくみました。
(これで、いい味って……いうわけ……?)
トトはどうせお茶はお茶だと思いながら、飲みこみました。すると、いつにないあまい香りが鼻を抜けていきます。
(気のせいかなあ……)
「そう、そう、わしのたのみはな、君に花の球根をもっていってもらうことなんだ。ほしい人に分けてあげてください。たくさんあるもんで、おすそわけだ。手のひらぐらい深く掘って、植えるんだよ。植えるのは秋がいいらしいが、ま、その人の気持ちで、自由にやってもいい……たのめるかな?」
「ええ、もちろんです」
トトはこれでおわりになると思って、ほっとしました。
トトはおじいさんに別れをいい、球根のはいった、重いバケツをさげて、歩きはじめました。ところがあんなに変な話だと思ったのに、この球根のかくれた名前はなにかなと気になりだしたのです。トトは道ばたにすわると、球根を手にとって、じっとながめました。茶色くって、まるい。ちょっと頭がとんがっていて、ひげのような根っこがさがっています。
(これのかくれた名前ってなにかなあ。見つけないと、ほんとうにあるってことにはならないんだ。この世にいるってことにもならないんだよな)
トトはおじいさんがさっきいった言葉を、思い出していました。
(僕の名前、「魔女」か……そういわれてもな。そんなかんたんなものじゃないんだけど。ところで……この球根の名前は……。やんなっちゃうなあ。気になってしょうがないよ)
トトは手にもった球根を、ぽーんと投げて、受け取りました。それからふっと笑いました。
(勝手に僕がつけたっていいんだよね。自由でいいっていったもん。ふーん、そうだなあ。「エクボ」、っていう感じかなあ……)
夕ごはんのとき、トトはおもしろいおじいさんのことといっしょに、「もう一つの名前」のことをみんなに話しました。
「ねえ、話をきくと、気になるでしょ。ね、気になるでしょ。じゃ、階段ってさあ、もう一つの名前があるとしたら、なんだと思う? ねえ、かあさん、考えてみない?」
「トトったら、はまっちゃったね。あんたって、ややっこしいのすきだねえ、やれやれ」
ニニはサラダのトマトを口に入れると、めんどうくさそうな顔をしました。
「僕はね、僕はね、ド、レ、ミ、ファ、ソって名前にしたいな。いっつも、口のなかで歌いながら、のぼったり、おりたりしてるもん」
ニニの額にぐっとしわが寄ってきました。
「それで、なんかいいことあるわけ。階段がよろこんで、滑り台になってくれるとか」
「でも、トト、それはおもしろいね。のぼりおりがたのしくなるよ。階段も新鮮な気分だろうよ。こっちも気持ちが歌いそうになる。ドレ、ドレ、とか、ミファ、ミファなんて、すすんだり、もどったりしながら、のぼってみたりしてな」
とんぼさんはテーブルの下で、言葉にあわせて足を動かしています。
「そう、そういわれれば、とうさんが虫の絵なんかを、何回も、何回もかいたりするのも、かくれた名前を探してるようなもんだな。ほんとうの姿を探ってるんだ」
とんぼさんはいいながら、まだ足を動かしています。
「じゃ、とうさん、バッタなら、なんてつけたい?」
ニニがいいました。
「うーん、そうだな、めすだったら、バネコ、おすだったら、バネオ」
「えー、単純! どうしてえ!」
「だって、あの足のバネはすごいよ。ああいうのあったら、人間はビョーン、ビョーン歩きもできる」
「でも、雌はよろこぶかなあ。バネコなんてかわいくないよ。夢ないな」
ニニがいいました。
「そういえば、わたしの飛んでる姿のこと、コリコの町の、空についたブローチみたいって、いわれたことあったわ」
「それ、自慢ですか? かあさん」
ニニはくいっと口をまげました。
つぎの朝、トトは球根のバケツを、グーチョキパン屋さんの前におきました。そばにはこんな看板を出しました。
「これは『エクボ』です。『花の球根』ともいいます。ご希望のかたはいくつでもおもちください。そして植えてください。『エクボ』はきっと笑います。もしお気持ちがあれば、花が咲いたら、写真でも、絵でも、手紙でもいいですから、『ふたごののっぽさん』の家までお送りください」
「なかなかいい言葉じゃないか」
とんぼさんが出がけに見て、トトにいいました。
「トト、名前が二つだと、たのしみも二つってことだわね。わたしも植えてみるわ。咲くのがまちどおしい」
キキはいいました。
「トトには『エクボ』が見えるの?」
ニニがいいました。
「見えないよ。でも、この名前もいいと思ったんだ」
「ま、ちょっとおしゃれだけど。でも、球根はいやかもよ。勝手につけられてさ」
ニニは鼻にしわを寄せて、ふっと笑いました。
「かわいいから、これで、いいんだよ」
「一つもらってもいい? 咲いたら、だれかにあげるんだ」
「だれかって、だれ?」
「わからないから、だれかなんじゃないの。ドンカン」
それからしばらくした満月の夜、キキはニニ、それにジジとブブといっしょに、くすりぐさの「種のおきよめ」をしました。
ニニが素直に参加したのは、キキにも、とんぼさんにも、それからトトにも意外でした。
「だってさ、夜更かしできるもん。おもしろいよ。変なものがどろろーんなんて、出てくるかもしれないものね」
ニニはふざけて、ひょんと肩をすくめました。
「残念ながら、それには会えなかったけどさ。気持ちよかったよ。お月さまの光ってさ、はっかみたいに、すーっとするんだよね。でも、にょごにょごってなんか歌みたいなこというのは、めんどくさいよ。つぎはかんたんにしちゃおう、かんたんに。ねえ、かあさん、そうしようよ」
キキは苦笑いしながら、(この子は、変なとこ、わたしに似ちゃってる)と思いました。
トトは、キキとニニが、くすりぐさの種のおきよめをしているあいだ、ベッドによこになって、窓からお月さまを見ていました。
(僕にだって、まんまるのお月さまだ)