5 今夜決行
トトが肩からさげたかばんを揺らしながら、家にむかって全速力で走ってきます。今さっき郵便配達のおじさんとすれちがったので、おおあわてです。だれよりもはやくポストのなかの手紙を取りださないと、おそらく、たぶん、きっと、ややっこしいことになってしまいそうです。
「魔女の宅急便」の看板の下にある、ポストの上にどかんと、トトの猫、ベベがすわっているのを見て、
「やっぱり、あれ、来たんだね」とトトは小声でききました。
「見張りしてくれて、感謝です」
ベベが耳をぴぴぴっと動かしました。
「わたしだって、まってたもん」
空気のささやきみたいな小さな声です。でもトトにはその空気の動きでなんとなくベベの言葉の意味がわかるようになったのです。
トトはあたりを見回し、人の気配がないのを確かめると、ポストから手紙を取りだして、すばやく宛名に目をやるとするりとかばんに入れ、歩きだしました。ベベが飛び降りてついてきます。トトはせまい道にはいっていきました。今では小さな美術館になっている、昔、デザイナーのサヤオさんの家だった夕日館へつづく道です。こんなせまい道がのこっているのは、近くではもうここだけになってしまいました。昔よくジジが歩いたように、ベベは塀の上に飛びのると、しっぽをたててついてきます。
トトは両側の塀のあいだがひときわせまくなっているところに来ると、立ちどまって、寄りかかりました。
「ねえ、はやくう」
上からベベがのぞきこんでいます。
トトはまず封筒の裏を見ました。そこには「ケケより」とかかれていました。トトの両ほほがぽーっと赤くなりました。トトはかばんからはさみを取りだすと、封筒のはじをていねいに切り、はさみをまたきちんと元にもどしてから、やっと手紙を開きました。
「ふたごのくせに、まったくもーう……ニニとちがうんだから」
ベベがじれったそうにつめをたて、塀の上をかりかりとひっかいています。
トトは目を細めて、読みはじめました。
「トト、ああ、トト。キキの息子ちゃんなのね。あなたから手紙をもらうなんて、うれしいやら、びっくりやら。もう十一歳なの! まだ赤ちゃんだと思ってたわ。ちゃんときれいな字でかいてあるんだもの、感慨無量。やっぱり時間は走ってるのね。時間ってもう、まったくつかれしらずなんだから。こっちもついつられて走っちゃうのよね。そしていつのまにか過ぎてる。
いいんだか、悪いんだか……ということは、さておいて……。
あたしの『半分魔女』を読んでくれたんだって? ありがとう。興味をもってくれてうれしいわ。キキに送ろうと思ったんだけど、あたしとしては妙にしりごみしちゃってさ。ゴメンでした。
ところで、トトくんの『半分魔女』の問題だけど……君もやっぱり半分にこだわっているのね。気持ちわかるわ。あたしだってぐっと考えたわよ。いまだに考えている。あたしも、あんたも、名前のかいてない半端な免許証をもらってさ、つかっていいんだか、悪いんだか……はたして本物なのか、偽物なのか、うろうろよね。だれも生まれる前のことはおぼえてないしね。でもさ、仮に半分ってことはよ。もう半分がどこかにあるってことよ。見えないものなんだけど、でもないとはいえない。だからトト、自分で作ってもいいのよ。自分の半分は。えらぶんじゃなくって、思うままに作ることができるのよ。これってもしかしたらすごいことじゃない。あたえられた半分をぜんぶにするのもいいし、その半分をすてちゃって、まったく違うぜんぶにするのもいいし。見つけなくっちゃ。きっとどこかにあるわ。そこで考えなくちゃいけないのは、自分の気持ちよね。得とか、損とかじゃなくてよ。まわりが望むか、望まないかじゃなくてよ。正直、正直がいちばんだと思う。それにさ、君はとんぼさんのいい目ももらってるんでしょ。もしかしたら半分はそっちのほうかもしれないよ。とんぼさんは分厚いめがねをかけてるけど、あたしのいってるのはめがねの目じゃない、ほんとうの目よ。
あたし、偉そうなこといっちゃってる。柄じゃないよね。はずかしいよ。あたしなんてさ、まだまだなんだから。『半分魔女』が本になったけどさ。世の中はきびしい! ときどき、子守なんてしてるの。これって案外いいお小遣いかせげるのよ。おとうさんはあたしをだいじすぎるくらいに、育ててくれたけどさ。トトもあたしの本を読んで、知ってるでしょ。あたしにはかあさんに子守された思い出がないじゃない。それを知りたい、探りたいって気持ちもあってさ。おかあさんって、あたしにとっちゃ、いわば見えない半分なのよね。まわりの人、みんな、子どもまるだしのケケが子どもの面倒を見るなんて、笑っちゃうっていうけどさ。でもかんたん。子どもが泣くときはいっしょに泣けばいいし、笑うときはいっしょに笑えばいいのよ。なにしろ、正直、正直がいちばん。
というようなケケ……でした。じゃ、またね……なんの意味もない手紙になっちゃったね、ごめん」
トトは読みおわって、しばらくどこかをぼーっと見つめていました。それからていねいにたたんで、かばんのなかに入れ、ぱんと上からたたくと、歩きだしました。
「そうすると……ねえ、わたしも半分魔女猫ってわけ?」
ベベがかすかな声でつぶやきました。
「おい、字、わかるのかよ」
「なんとなくね。でもさ、それもこれも、トトの出方によるわけよね。わたしがぜんぶになるかどうかはさ」
「ベベ、あまったれるなよ」
トトはひょいと肩に乗ってきたベベにいいました。
あの衝撃的な、とんぼさんの二本のほうき発言の後、四、五日して、出入り口の壁に、キキのほうきにならんで、二本のほうきがぶらさがりました。キキのつかいこんだほうきの房は、きっかり半分ずつにされ、あたらしくたされた柳の枝とまぜてあります。それでまだらになった色は、髪の毛のおしゃれ染めみたいです。大きさも、形も、ふたごのようにそっくりです。
とんぼさんがたのしそうに口笛を吹きながらほうきを作っているのを見ていたら、もしかしたらトトも魔女のように飛べるかもしれないと、キキは思いました。トトにはニニのような、なにをやりだすかわからない心配はありません。でも、トトのこれからのほうがずっとむずかしいことになるかもしれないのです。
(魔女の子どもに生まれるって大変ね……でもだれでも、だれかの子どもなのよね。考えてみればみんなおなじなのに、でもこれって、かんたんなようでかんたんじゃないのね)
でも、もし、もしも、トトが飛べたら、どんなところにいって、どんな仕事を見つけるのでしょう……キキは想像しただけで、うれしいような、でもやっぱり怖いような気持ちになるのでした。
とんぼさんは、まじめにきっちり二つおなじほうきを作ったりして、ほんとうにトトが飛ぶようになると思っているのでしょうか……かわいそうだけど、キキは、やっぱりむずかしいと思うのです。だって魔女は女の人だと、ずっといわれてきたし、男の人がほうきに乗って、飛んでいたといううわさも今まで一度もきいたことがありません。だからといって、魔女に興味をもっているトトに、できないのよと、目の前でドアをぴしゃりと閉めてしまうようなことはとてもできません。ふたりともキキの子どもなのに、ニニはうなずくだけでかんたんになれて、トトは望んでいるのになれないというのは、あまりにも不公平です。
トトは家を出入りするたびに、なにげなさそうに立ちどまっては、ほうきを眺めたり、さっと手でなぜたりしています。
ニニのほうは、通るたびに、どっちのほうきがかっこいいか気になってしかたがありません。かわりばんこにかかえたり、乗るまねをしたりしています。でもとんぼさんの技は見事、二つともまったくおんなじなのでした。
入り口のドアをあけて、ニニが寒そうに外を見ています。肩をつぼめて、手をこすりあわせています。
「寒くなってきたなあ。締め切り近いからなあ。チェチェチェ」
「なに、その声?」
キキは結婚前からいまだに縫いつづけているキルトのカーテンに針をさしながらいいました。
「鳥よ。鳴き声よ。チェチェチェ。日暮れ鳥じゃなくって、十一歳年暮れ鳥っていう鳥の鳴き声かな……」
「なに、そんな鳥いるの?」
「とうさんなら、すぐわかってくれるんだけどな。鳴き声もわかるし、鳴き声の気持ちもわかるし」
「すいませんね、わからなくって」
キキは、こたえながら、いつもこんなふうにニニには突っかかるようないいかたになってしまうのを気にしていました。
「かあさん、約束ごとって、遅れたらまじいよね」
「そりゃあ、そうでしょ」
「でもさ、きりきり守るっていうのもどうかなあ。余裕がないよ。決まりごともたまにはかえなきゃ、空気がかわらないもんね。わたしはかえる人になりたいな」
「なにをぐちぐちいってるの? あなたはいつも気楽にくるくるかえてるじゃないの」
キキが小さく笑いました。すると、トトがそばから口をはさみました。
「つまり、自分に都合いいようにかえたいんだろ」
ニニはトトの言葉にはこたえないで、部屋の奥にむかって、
「ねえ、とうさん」と、すこしあまったれた声でいいました。
「バッタってさ、生まれたときから、すぐ飛べるの?」
「ああ、飛ぶよ。まず飛ぶんだ。ぐずぐずしてると、鳥におそわれちゃうからな。生まれつきそんなことは、知ってるのさ。バッタはなぜとか、どうしようとか、考えないんだよ。そんなこと考えたとしたら、とたんに墜落するかもな」
とんぼさんはぶつぶつとこたえながら、机にむかって、鉛筆でしきりに線をひいています。近づいてのぞくと、虫のような、子どものおもちゃのような、形をしています。
「なにかいてるの? 変な絵! 先生なのに。変な先生!」
「ふふふ、とうさんにもわからん。でもかいてると、なにかいいものが見つかりそうなんだ」
「いいものってなに?」
「昆虫の足って強いんだよ。どんな構造になってるのか、そこがおもしろくって。とうさんもそんな力がほしくなる」
「どれ、とうさん、見せて」
トトがのりだしてきました。
見ると、紙にまがりくねった線やら、絵のようなものやら、ごちゃごちゃとかさなるようにかいてありました。
「なに、それ。謎の地図みたい」
「まだとうさんにだってわからないんだよ。いたずらがきさ。もやもやがき、ふふふ」
「とうさんも、もやもやなときあるの」
「あるさ。ずっと、あったさ。いろいろもやもやはね。でも虫にはないんだよ。そこがすごい。はねるときは、はねる。飛ぶときは、飛ぶ。逃げるときは、逃げる。はっきりしてて、そこがいい。だからいくら見ても見あきないんだ。それに、ずっと見てると、さらに見えてくる」
「見てると、見えてくる……なにが?」
トトがとんぼさんの言葉をなぞるようにいいました。
「自分のなかにね、虫が住みつく。その見えない虫といっしょにくらすのさ」
とんぼさんがつぶやくようにいいました。
ニニは、あへというように、首を前に出しました。
「かあさんも、よく、そんなこというよね。見えない世界がだいじとかなんとか……うちってなぞなぞがすきだよなあ。なぜ? なぜ? なぜなの? なんちゃって。そういえば……いつか、ノラオおじさんもおなじようなこといってたね。でも、なんかそういうのめんどくさいね……すきなら、やる、きらいなら、やめる。はっきりがいい。わたしはバッタのやりかたでいくわ」
「それって、あきっぽいってことじゃないの」
トトはいいながら、目は、とんぼさんのいたずらがきをじっと見ています。
「とんぼさんはね、いつもいつも冒険がすきなのよ。わたし、そこがすてきだと思うわ」
キキは手をとめて、自慢するように、うなずきました。
「やれ、やれ、かあさんたら、そういう自慢、子どもにしてどうするの」
ニニがおおげさに肩をすくめました。
(僕、とうさんに、似てるかも……ケケもいってた)
トトは声に出さないでいいました。
「あーあ、わたしのこのカーテン。今年中には完成するかしら」
キキは手元のつぎはぎだらけの布をもちあげ、ため息をつきました。
「コマコマ屋さんで買った布だけにしておけばよかったんだけど、ニニの赤ちゃんだったときのよだれかけの布、すてられなくって縫いつけたいとか、トトのだいすきだったズボンのポケット、はりつけようとか、寄り道しちゃったから。あら、これって、よく見ると、我が家の地図みたい。でも、今年こそは完成させるわね。大晦日までにはいくらなんでも」
「そうだ、もうすぐ誕生日だ。ここは、一ついい子でいないとな」
ニニが首をすくめました。キキはそんなニニをじろりと見ました。
(十歳までには決めるっていう魔女の約束、この子ったらわすれてるのかしら。もうすぐ十二になるっていうのに。でもニニの問題だから、あくまでもこれは)
「キキかあさん、またなに考えてるのよ。わたしのことでしょ。もやもやは体によくないからいいかげんにしたら。これがおすすめよ」
「わかってますよ。それにしてもあなたたち、十二月二十八日とは、なんていそがしいときに生まれてきたのかしらね」
キキはいいました。
「いそがしいっていったって、かあさんがうんだんだから。しょうがないでしょ。ああ、そう、トト、いよいよ年の暮れだね。お気持ちはどう?」
「なにがだよ?」
ニニはトトをのぞきこみました。
「やだ、しらばっくれちゃって。大晦日の我が町、コリコのマ、ラ、ソ、ン大会のことよ。さてはいかないつもりね。見せつけられちゃうから?」
「………」
トトは口をむっとつぐんで外を見ています。
「トト、寒いから、窓を閉めてくれない?」
キキは顔をあげずに、縫い物をつづけています。
子どものころのコキリさんの声がきこえてくるようでした。
(あなたの気持ちで決めなさい。むりして決めるのは、いちばんいけないわ。魔女はそういうものよ)
コキリさんはよくこんなふうにいっていました。そのくせ今か今かとまっているのが、キキに伝わってきました。
(コキリさんも今のわたしのように我慢してたんだ)
でも、魔女になるって気持ちで決めていいのでしょうか。ほんとうにそれでいいのでしょうか。キキは今までこのことをあまり深く考えたことはありませんでした。
もし気持ちで決められるなら、気持ちで魔女になることもできるってことではないでしょうか。
キキは縫い物の手をとめて、トトをそっと見上げました。
気持ちでいいなら、トトにはその気持ちがたっぷりあるのに……。
すこしの迷いはあったにしても、かんたんに魔女になると決めてしまったキキには、トトを勇気づける言葉が見つからないのでした。
「ふたりいっしょに生まれてきたんだから、おなじがいいのに。べつべつで、だから、心配もべつべつになってしまう……」
こんな気持ちをキキはとんぼさんに話したことがありました。するととんぼさんはこうこたえたのです。
「おなじじゃ、きっとつまらないよ。心配があるってことは、にぎやかってことでもあるのさ!」
コリコの町のマラソン大会で、トトは家族といっしょに、いつものように走りました。ニニはめずらしく、冗談もいわずに走っていました。でもちらちらとサラミとタイくんのほうを見ているのに、トトは気がついていました。
(サラミのことは、もう卒業したのに)
でもトトはニニの姉らしいやさしい気遣いを感じていました。
トトとニニは十二歳になり、お正月も過ぎていきました。ニニの気持ちも決まらないまま、キキのいらいらもおさまらないままに過ぎていきました。
今夜、決行。
トトは三日前から決めていました。
時計の針が一時をさすまで、トトは必死に目をあけてまちました。それからそっとベッドから抜け出し、頭をぶるっとふって眠気を吹きとばすと、梯子から下をのぞいて、ニニの様子をうかがいました。「くんくん」と子犬みたいな寝息がきこえてきます。トトは昼間ベッドの下にかくしておいたほうきを取りだしました。パジャマに着替えないで、洋服のままはやばやと寝たふりをしていたのです。トトはそっと窓をあけました。冷たい風がすーっとはいってきます。下で、ニニが寝返りをうっています。トトはあわてて体をのりだし、屋根の上に出ると、そっと窓を閉めて下をのぞきました。えっと思うほど地面ははなれて見えます。それからかかえているほうきと靴を家の壁に滑らせるようにしておろすと、屋根のはしに手をかけて、ぶらさがり、ぱっと手をはなしました。トトの体はかるがると地面に着地しました。
「背がのびててよかった」
トトはふっと笑って、つぶやきました。
トトは靴をはき、ほうきをかかえて、走りだしました。走ると、冷たい風が倍も冷たくなって、体にあたります。
もう行く先は決めてありました。夕暮れ路のむこうの、ヨモギさんの家と、くすりぐさの畑の先から始まる急な斜面です。その下の運動場にむかって飛んでみるつもりなのです。
(みんなはむりだって思ってるんだ。それはわかってるけど、もしかしたら僕だって飛べるかもしれないじゃないか。やってみなくちゃわからないよ。やってもみないであきらめるなんて、やだもん。でも、もし、もしも、飛べたらどうしよう。空から、コリコの町がいっぺんにぜんぶ見えるんだぜ。星くず群島の小さな島に、ちょーんちょーんと片足ずつつけて、三段とびみたいに飛んだりしちゃってさ。なんか空を手に入れたみたいじゃないか。空の上では、風ってどんな音を出すんだろう……風が口とがらせて口笛吹いたりしてさ、すごいよな。一度でいいからきいてみたいよ。もし、もしもだけど……飛べたら、コキリさんや、オキノさんのところだって、さーっていけるんだから。ケケおばさんにだって、会いたいときに会える。手紙かくよりかんたんだ)
トトは、飛べないかもしれないと思っている自分をまぎらせたくって、いろいろなことをつぎつぎ考えました。
葉を落とした林の木はどれも、たくさんの枝を上にのばし、その先はかじかんだ指のようにふるえています。ざざっと風が通りすぎていきました。
(チェッ、コート着てくるんだった)
トトが上着の襟をたてて、下を見ると、暗いなかに、背丈ほどもある枯れ草が、なにかの影のようにつづいて、暗い闇のなかに沈んでいました。
トトの胸がきゅっとふるえました。
(なんだよ、いつも来てるとこなのに、びびるなよ)
トトはそっとあたりを見回して、だれもいないのを確かめると、キキのようにほうきを足のあいだに入れながら、ちょっと照れて肩をすくめました。
(やっぱり手がたく、準備運動からだよな)
トトは斜面の上を通っている、草の生えた、細い平らな道を走りだしました。はじめは歩くように、それからだんだんはやく。道が林でおわると、回れ右して、もと来た道を走りました。かるく、かるく体をもちあげるようにすると、足が地面から浮いていくような気がします。地面は黒く、遠くにあるようです。
(僕だって、かあさんの子なんだから、ほら、できないわけないんだ)
トトの胸はどきどきしてきました。
(でも飛ぶってことは、やっぱり高く、空のまんなかまでいかないとなあ)
トトはこれが本物の飛ぶってことではないと思わないわけにはいきませんでした。いくらはじめてだからといっても、三歩に一歩は足が地面をけっています。それをちゃんと感じています。ごまかしようもありません。飛んでない……やっぱり……。
でもトトはそう認めてしまうのは、いやでした。
(じゃ、いっきに飛んでみるか)
トトは立ちどまり、下を見ました。それから空を見上げました。濃い藍色の空がひろがっていました。星がチリリ、チリリと寒さにふるえているようです。月は、見えません。
(チェッ、まずい。魔女にはやっぱり満月だよな……そこまで考えなかったよ)
でもトトは口をちょっとまげて笑うと、ほうきにまたがり、おそるおそる下をのぞきました。空から冷たい風が吹きおりてきます。思わず肩をつぼめて、足ぶみをしました。でもすぐ目をきっと光らせると、風に追われるようにいきなり飛び上がりました。
ズボンの裾から冷たい風がはいりこみ、上着の裾がひろがります。
「ヤッタッ!」
こうさけぶつもりでした。でもその声は「ヤッ」とも出ないうちに、トトは茂った枯れ草のなかへ、もまれるように落ちていきました。枯れた草の茎がぶすぶすと体をさします。
「イテテッ、イタッ」
トトは見えない相手とけんかをするように、もがきました。でも落ちるのはとまりません。そしてがっつんとぶつかったのは、運動場の鉄棒の杭でした。トトはくたんとしたまま動きません。髪の毛だけが風で揺れています。
そばでもそもそと動いているものがいます。ベベでした。自分もどこか怪我をしているのか、はうようにしながら、トトに近づいてきます。
「にゃごーん、にゃごーん」
いつになく大きな声です。さけびながら、赤い舌で、トトの顔をなめはじめました。
やっと姿をあらわした細いお月さまがうすい光をのばして、トトたちを照らしました。
こそっと、トトが動きました。
「にゃーごー」
ベベが鳴きます。
トトはゆっくり体をおこしました。体中で血がずきずきと動いています。破けた上着から冷たい空気がはいってきて、痛い傷をさします。
トトははうように体をずらして、鉄棒の杭に寄りかかってすわりました。ベベがおなかの上によじのぼってきました。じわじわとあたたかさがしみてきます。
「ベベ、おまえも来てたのかよ」
トトはベベの背中に手をおきました。
「そうよ、ほうきの房の上に乗ってみたの。だってこれ魔女猫の乗りかたでしょ」
ベベのおしりがくたんとなっています。
「怪我したの? ベベも、いっしょにころげたの?」
「当たり前でしょ。仲間だから」
「ごめん。大丈夫?」
「痛いけど。トトだって痛いんでしょ」
「僕は自分でしたことだから」
「わたしだって、そうよ。わたしだけ飛べないのは大問題だもの」
「まいったよなあ」
トトはそういいながら、ベベに手をおいたまま、ぼーっと前を見つめていました。
やっぱり飛べないや! やっぱりな。
この言葉が何度も何度も、トトの体のなかを通りぬけていきました。
(かあさんから魔女の半分はもらってるはずだから、すこしぐらい飛べると思ったのに、ぜんぜんのぜんぜんだよ。がっかりだな)
トトは腰が抜けてしまったように、そのままだらりとすわっていました。
さっきはあんなに寒かったのに、今はなにも感じません。なにかがすとんと落ちて、自分が消えてしまったような気分です。トトは目を閉じてじっとすわっていました。
気がつくと、お尻が痛いほど冷たくなっています。
空がすこし明るくなってきました。どこかですずめが鳴きはじめました。朝もやのなか、運動場のむこうを走っていく人がいます。トトは体をおこすと、おなかにしがみつくようにすわっている、ベベをだきあげました。
「ベベ、歩ける?」
「トトは?」
「大丈夫だよ」
「こっちも、おんなじ」
「おー、さむ。寒いや。いくか?」
トトはベベをだいて、ゆっくりと立ち上がりました。腰と膝がずきずきと痛みます。ベベはトトの腕から飛び降りました。
「へっ、へいきなの?」
「人間よりはつくりがいいもの」
そういいながら先を歩きはじめたベベも後ろの右足をひきずっています。
「ほんとうに大丈夫なのかよ。だいてやるよ」
「それよりほうきはどうしたの?」
トトはあわててまわりを見回しました。すると運動場のまんなか近くに、無残なすがたのほうきが横たわっていました。柄は半分に折れ、房はずりぬけて散らばっています。
(あんなとこまで……いってるよ)
トトは足をひきずりながら、ばらばらになったほうきを集めました。
トトはさっきころげおちた、急な斜面をのぼるのはあきらめて、ぐるっと遠回りをして家にむかいました。
トトが折れたほうきをかかえ、足をひきずりながら、パン屋さんの前の道を歩いてきます。後からおなじように足をひきずって、ベベがついてきます。いつも早起きのおソノさんと、フクオさんが窓ごしにそれを見て、ぎくりと顔を見合わせると、飛びだしてきました。
「トト、トト……」
おソノさんはよびかけて、声をのみました。トトのきずだらけの顔と、こわれたほうきを見て、すべてがわかったのです。
家のドアはあいていました。その前にキキが立っていました。走りだそうとしているキキにトトは両手をあげて、にっと笑いました。キキもつられて笑いかえしました。でも笑いながらトトは、今にも足ががっくりと折れて、しゃがんでしまいそうでした。
「まあ……」
キキから出てきた言葉はこんな半端なものでした。
「見事、墜落。いてえのなんの」
トトは両手をひろげて、キキに破けた上着を見せました。
とんぼさんがゆっくりとドアから出てきました。トトを見て、ちょっと目を見開くと、すぐにっと笑いました。
「トト、おまえも、失敗かあ」
「そうらしいわ。とうさんとおなじね」
キキもほっとしたように、笑いました。
「やってみたかったんだよな。確かめたかったんだよな。わかるよ。とうさんなんか、もっとらんぼうだった。なにしろキキのほうきを盗んでやったんだからな」
「そう、そう、そうだった。こわれかたまでそのほうきにそっくりよ。新米魔女だったわたしは、ほうきがなくなって、途方にくれたわよ。でも自分であたらしいのを作ったのよ。そうだわ、こわれたコキリさんのほうきの房をまぜてね。とうさんたら、いたずらだったんだから。今でもそこんとこ、なおってないみたいだけどね」
キキは気まずさをうずめるように早口でしゃべりながら、トトにもう一度笑いかけました。
「これでさっぱりしたよ」
トトはそうつぶやくと、家にはいっていきました。それから、壁にかかったニニのほうきのとなりの空いた釘を見て、
「僕、なおすからさ、またここにかけてもいいでしょ」
キキがちょっとのりだして、なにかいいかけると、
「大丈夫。もうむちゃしないから」といいました。それからふりかえり、あらたまった口調で、
「本日、トト、十二歳と二十八日でありました」
だれだかわからないものに報告するように声に出していいました。
キキは眉と目を寄せ、じっとトトの後ろ姿を見つめました。その目には涙があふれてこぼれそうでした。
トトは階段をのぼり、ニニの部屋のドアをそっとあけました。ニニはなんにも知らないで、ブブといっしょに、くーくーと平和な寝息をたてています。トトは足下のベベをだきあげ部屋にあげると、自分は梯子をのぼって、そのままベッドにたおれこみました。