3 ケーキ事件
くすりぐさを刈った、立秋の日から、トトはずっと考えていました。
「これからをまつひと」
センタさんがノートに最後に書いた言葉です。これはトトも生まれていない、ずっと前に書かれたものです。この後にはなにも書かれていないページがつづいていました。悲しいことだけど、このとき、センタさんは自分の命が長くないことを知っていたと思えるのです。これは最後の、最後の言葉です。
この後間もなく、センタさんは、今キキの家の壁にかけられている一枚の絵をのこして、なくなったのでした。それなのに、最後の言葉が「これからを……」そして「まつ……」でした。センタさんはどんな気持ちでこれをかいたのでしょう。トトは考えれば、考えるほどわからなくなってくるのです。
(死んじゃうって、おわりなのに。これからをなんて……なんにもないのに……)
そのときのセンタさんの悲しみを思うと、トトは怖くなってくるのでした。
トトはそばにぺたんとくっついている猫のベベを、手でやさしくなぜました。あたたかくって、とくとくと胸の鼓動が小さく伝わってきます。
トトとニニが生まれたとき、キキは町中を歩いて、まだ目もあかない黒猫の赤ちゃんを二匹探してゆずりうけてきました。魔女になるならないに関係なく、これは魔女の家に子どもが生まれたときの決まりなのでした。ほんとうは将来の魔女候補である、ニニのための猫だけでもよかったのです。でもキキはいっしょに生まれてきたトトもおなじように育てていきたいと思ったのでした。トトの猫は雌で名前はベベ、ニニの猫は雄で名前はブブとつけられました。トトにとっても、ニニにとっても、今はまだふつうの猫です。
キキとジジのように、魔女猫言葉がはっきりと生まれてくるのは、たぶん、それは女の子であるニニが魔女になると決めたときでしょう。気持ちがなければ、なんにも生まれてきません。不思議も……魔法も……です。
それでは男の子であるトトとベベの関係はどうかわっていくのでしょう。
今のところ、トトにとってこの黒猫、ベベはだいすきな本を読むときの、気持ちの重しでした。トトが本をひろげると、すぐひざに乗って、まるくなるのです。するとトトはお話の世界へするりとはいっていけるのです。このベベの重さにはこんな不思議な力がありました。友達もすくなく、家族以外とはあまり話をしないトトには、本は大きなあそび場所でした。また安心できる時間でもありました。
「この絵だわねえ、この絵、なるほどね」
二階から音をたてておりてきたニニが、センタさんの絵の前で立ちどまると、感心したようにうなずきました。その絵には、テーブルをかこんですわっているヨモギさん、キキ、ジジがかかれています。そばにはコップにはいったゆすらうめのジュースがおかれています。そこから光が生まれてでもいるように輝いていました。
「ねえ、トト。センタさんってさ、キキかあさんのこと、すごくすきだったんだね、きっと。わたし、わかる。この絵を見てると、わかる。センタさんの気持ちがぐんぐんこっちにおしよせてくる。かあさんだってとってもきれいにかかれてるし」
ニニは本を読んでいるトトの後ろ姿にむかってしみじみとした口調でいうと、いきなりがらりと調子をかえて、おおげさに手をひろげ、お芝居の言葉のようにおどけてつづけました。
「そのとき、とんぼさんはどうしたか……というと、と、と……と、さわがず、あわてず、いや、だまって……がとうさんらしいかな」
「なに興奮してるんだよう。おまえは……かるいね、どうしようもないね」
トトは本を閉じて、ふりむきました。
「おまえはやめてよ。お姉さまにむかって」
ニニはあごをしゃくると、テーブルで書き物をしているキキにいいました。
「ねえ、ねえ、かあさん、とんぼとうさんはセンタさんのことどう思ってたの。やきもちやいた?」
キキはきこえないのか、書く手をとめません。
「やめろよ」
トトは低くおさえた声でいいました。キキは知らんぷりで仕事をつづけています。
「そうよね、弟よ。あなたもおなじお悩みをかかえておられるんですものね。お、お、おかわいそーに」
「やめろ!」
トトはふるえながら立ち上がると、今度は本気でどなりました。
「いらいらしない、いらいらしない。バスは八時三十分。しらべてあげたよ。うふふ、わたし、あんたにかわって、あの子に、お気持ち、お伝えしましょうか」
とつぜん、トトがニニにぶつかっていきました。ふたりはそのままたおれて、とっくみあったまま、ばたばたと暴れています。ベベがさっと部屋のすみに逃げていきました。
「いいかげんにしなさい!」
キキがばんとテーブルをたたきました。
「ふたりとも、ならんで、そこに立ちなさい。トト、いい? らんぼうはいけないわ。ニニもよ、いっていいことと、悪いことがあるでしょ。あんたは、どうしてそううわべばかりしか見ないの。物事のむこうにはね、見えるものとおなじくらい、見えないものがかくれてるのよ。それを見ようとしなければね。人間にはそういう力があたえられてるんだから。よく考えてよ。やさしい子になってちょうだい」
「あっ、また魔女のお説教だ」
ニニはひょいっと頭をひっこめると、「そのお話なら毎度です」といって、家から飛びだしていきました。
見えないものと、見えるもの、これはキキの口ぐせです。ニニはきこえてくると、まず知らんぷり。ときにはこんなことをつぶやきます。
「自動ドアつけてるからね、わたしの耳には……。さっと閉めちゃう。考えたってわからないものは、考えないのがいちばん。でも、見えないものってなに? 見えるものならわかるけどさ……」
キキはそっとトトを見ました。うつむいたトトの目にうっすらと涙が浮かんでいます。キキはその肩に手をおいて、いいました。
「かあさんは、センタさんには会ったことないのよ」
「えっ、ほんとうに?」
「かあさんは知らなかったけど、とても重い病気でね、ベッドに寝たきりで、あの家の窓からわたしたちを見ていたの。そしてあの絵をかいたのね。かあさんはなにも知らなかった。たまたまヨモギさんに会ってジュースをごちそうになっていただけなの」
キキは遠くを見るように、目をあげました。どこかわからないけど、キキがよく口にする見えない世界を思いうかべているように見えました。
「センタさんがいたから、わたしもいたの。あの年はすばらしい夏だった」
「センタさんは死んだっていうのに? よく、そんなこといえるよ」
「うん、お別れになっちゃったけど、でも、つづいているわ。わすれないもの。トトもわすれないでね」
キキはトトをじっと見ていいました。
トトの胸はいっぱいになりました。あの小さな家の、小さな窓から、センタさんは、キキかあさんを見ていたのです。センタさんのいたところは、きっと暗く、ひんやりとしていたことでしょう。反対にキキは強い日ざしを浴び、輝く光のなかにいたのです。ずいぶんの違いです。どうにもならない力に動かされ、センタさんは死へむかっていたのです。センタさんの気持ちはどんなだったでしょう。そんなときにセンタさんはこの絵をかいたのです。こんなに光いっぱいの幸せな女の子の絵をかいたのです。
(僕だったら、とってもだめ。きっとどうにかなってる)
トトはだまって、センタさんの絵に目をうつしました。
(これからをまつひと……)
トトはバス停のそばの並木に体を半分かくして、バスがやってくるほうを背伸びして見ています。いつもは歩いて学校にいくのに、今日からバスでいくことにしたのです。お目当ては八時三十分のバス。そう、くやしいけど、ニニが教えてくれたバスです。目下トトが気にしている女の子、サラミが乗っているはずです。すらっとして、いつも元気いっぱいで、見ているだけで、うれしくなってしまうピッカピッカの女の子なのです。トトはこういう元気で、活発な女の子がすきでした。
トトはまだあいさつぐらいで、ふたりで話したことはありません。でもちょびっとでもいいから気持ちにのこる話をしたいのです。それもごくごくなにげなく、絶対、絶対偶然に。それで今、バスをまっているというわけなのです。トトの胸はもうどきどき。
バスがトトの心みたいに揺れながら近づいてきました。トトはステップにつまずきそうになりながら乗りこむと、さりげなーくなかを見回して、すわっているサラミのそばにそっと立ちました。気配を感じて、サラミが顔をあげました。
「あら、トト、めずらしいね。いつもは歩きじゃなかったの?」
トトは外にむけている目をそのままに、小さくうなずきました。
「わたしはね、トトとは反対。あしたから、歩きにかえようと思ってるのよ。
トトの目はかすかに細くなって、じっと窓の外を見たままです。でも、トトのなかでは、「いっしょに、いっしょに、タイくんと……」というサラミの言葉が駆け回っていました。タイくんはおなじクラスの男の子です。走るのがはやく、それもとってもかっこよく走ると、人気でした。
「ねえ、トト、きこえてんの」
サラミがつっつきました。
「そ、そんな魔法、かあさん、できないよ。それはただのうわさだよ」
トトはあわてて、それでも精一杯ふつうの声でこたえました。でもどうしようもなくほっぺたがぴりぴりとふるえています。
キキは、台所でさっきからケーキを焼いているトトを何度ものぞきにいっては、満足そうにいいました。
「ケーキっていったら、やっぱりトトにかぎるわ」
「お菓子はね、やさしい気持ちがだいじなの。それならトトよね。パンは大きな心。わたしみたいな大きな体っていうかな……」
パン焼き天才、グーチョキパン屋のおソノさんもこんなことをいって、トトのケーキがだいすきなのです。
ほんとうに、なぜかトトはケーキを焼くのがうまいのです。とくに教えたわけでもないのに、四歳ではじめてビスケットを焼いたときから、お菓子なら、トトにおまかせしましょうということに、決まってしまいました。
けさ、とつぜんケーキを焼きたいといいだしたトトにキキは思わず、「今日はなんの日だったっけ」とつぶやきました。でもおいしいものがあらわれるのですから、文句をいう気持ちはさらさらありません。みんなでわくわくしながらまっていました。
「お菓子ってさ、ああいう無口なやつがすきなんだよ。どうせ口に入れられるんだから、せめてそれまではきちっと口を閉めてまっててもらいたいのよ。味も出会いがたいせつ」
ニニは、理屈っぽくからかいながらも、こればかりは争うことなく、トトの才能を認めています。
「ほほほっ、できてる、できてる」
台所にはいってきたニニが、クリームで飾ったケーキを、トトの肩越しにのぞいて、いいました。
「さあ、お茶、お茶にしましょ、かあさーん、おいしそうよー」
ニニはうれしそうにさけぶと、あら、と、調理台の脇にかくすようにおいてあったもう一つの小さなケーキに目をうつしました。
「なに、このケーキ。かわいいね。白いお花つけちゃって」
そして、手をのばして、そのケーキにいきなり指を突っ込み、ぺろりとなめました。
「やめろ!」
トトがどなりました。その声にびっくりしたニニはあわてて指を口から抜きました。
「そんなに怒ることないじゃないの。つまみ食いしただけじゃない。クリームをちょいっとつけてなおせばいいでしょ。わたしが、やったげるわよ」
ニニはいいかえしました。
その声をふりはらうように、トトは家を飛びだしました。
これからおいしいお菓子が食べられると、いそいそとまっていた、キキもとんぼさんも、おソノさん夫婦も、あっけにとられています。
トトは走りつづけました。途中とめてあった自転車に足をぶつけ、痛くてぴょんぴょんはねながら、でも走りつづけました。
(ケーキっていうと、いつもこうだ)
あの小さいケーキは、明日、サラミにあげるつもりでした。それでついでにみんなの分も焼いたのです。小さいほうが百倍もだいじなケーキだったのです。サラミがタイくんをすきでも、そんなこと関係ない。ほんとうはとっても関係あるのですが……、でもトトは強いてそう考えました。おいしいから食べてくれたらうれしいと、そう思うことにしたのです。自分の得意なものはこれしかないのです。ついでに作ったからとさりげなくわたすつもりでした。
十歳の誕生日に焼いたケーキも、みんながおいしい、おいしいと食べてくれたのに、トトはどこかでつまらなさをかかえていました。
こういうとき、いつも話はニニに集中するのです。そう、魔女になるか、ならないか、そればかりです。このときは十歳のお誕生日だったので、特別その話でもりあがりました。
「魔女になれるんだから、ならなきゃ損。友達、みんなうらやましいっていうしぃ……わたし、なろうかな、かな、かな、かなー。せっかく、コキリおばあちゃんから、キキかあさんへ、そしてわたしのものになるんだものね。つかわない手はないよね。わたし、えらばれてるんだから」
ニニは得意そうに、みんなを見回しました。
「まあ、なんてことを! よくばりと、うぬぼれを、絶対もってはいけないのよ。魔女は」
キキがいいました。
「なんてことを、っていったって、ほんとのことじゃない。だれでももってる気持ちよ。世の中、損しないようにしなくちゃ」
キキは渋い顔して、とんぼさんを見ました。
ニニのいいたい放題はとまりません。
「それでね、学校でさ、いわれちゃった。あんた、おとうさんに魔法教えてあげなさいよ、おかあさんが魔女なのに、おとうさんはただの人じゃ、かわいそうでしょって。だからわたし、いってやった。おとうさんはとびっきりいい目をもってるんだから。それもずば抜けてるんだから。どんな小さな虫とも、仲よしになっちゃうんだからって。ね、とうさん、そうでしょ、これって魔法みたいだもんね」
「いい目……かな。おもしろがりの目ならもってるかもしれないけど」
とんぼさんは笑いながらいいました。
「娘は、これでも結構、神経つかってるのよ。わかる?」
ニニはテーブルにひじをついて、とんぼさんをのぞきこみました。
「これは、すべて、魔女の娘に生まれた、ヤドメイだもんね」
「ヤドメイ? なに、その言葉。ちょっと、それ、間違ってない?」
トトがいいました。
「宿に命ってかくんだよ。チロコが手紙にかいてくれたの。ニニは魔女になる
「それは、シュクメイって読むんだよ。やだな」
トトが顔をしかめました。
「じゃ、宿命って、どういう意味?」
「まったく、もーう、話にもなにもならないよ。なっさけなーいったら。おばかな姉、もって」
トトはうんざりだというように、手をふりました。
「もうすでに決まってて、かえられない運命っていう意味だよ。ちゃんとおぼえて、人前で間違えるなよ」
「じゃ、わたし、魔女になる、シュクメイなの。かえられないの? そんなのやだなあ」
「あんたって、まあ、こういったかと思うと、くるりとかわる。むりになることはないのよ。どうぞご心配なく」
キキが、けわしい目つきでにらみました。
そうはいっても、キキはニニが自分とおなじように、いつか、きちんと魔女の道をえらんでくれるのを、どこかでねがっていました。ふつうは十歳で魔女になるかならないか決めることになっています。そして、魔女のおかあさんにいろいろ習って、十三歳の満月の夜にひとりだちの旅に出かけるのです。ニニはもう十一歳です。でもまだ魔女になると決めていません。魔女の決まりはもうとっくに過ぎているのです。キキは、このごろではほとんどあきらめかけていました。
「まあ、ニニの問題だからね、自由に考えていいのよ。わたし、むりやりって、だいきらいだから。でも、かるがるしく考えないでね。魔女はね、古い血筋なのよ。伝統があるんだから」
キキはニニとおなじ年のころ、コキリさんによくいわれたおなじ言葉を口にしていました。あのころ、キキもコキリさんのやんわりとした、それなのにおしつけがましい言葉がうるさくてたまりませんでした。またニニとおなじに、なれるんだからならなきゃ損って、ちゃっかり思ったこともあったのです。こういうことは、わすれてないけど、わすれているのでした。
それでニニにはあまり強いことはいえません。いらいらしながらも、我慢して様子を見守っているところでした。
「でも、わたしさ、母さんとおなじことはしたくないのよね。そうだ、宅急便じゃなくって、タクシーにしようかな……かな。ほうきタクシー」
ニニはかるく体を揺らしていいました。
なんとまあ、いいたい放題です。小さいときは、いつもいつもキキのスカートをにぎって、「魔女のかあさん、魔女のかあさん」といいながら、はなれようとしなかったのに。
トトのほうは、こういう話題はどうもおもしろくありません。いつも自分は話にはいっていけないのです。ニニの運命の話なのですから。僕の運命だってあるのに……でも、どうして自分は魔女になれないのだろう。トトは納得できません。男だからって! おなじキキから生まれてきたのに。しかもほとんど同時にです!
でも、トトは感じていました。魔女の家だから、女の子が上になるのは当然だとみんなが思っていることを。いつもトトのことは二番目にされるのです。
キキに直接きいたこともありました。
「どうして、男の子は魔女になれないの?」
「だって、そう決まっているんですもの」
「かあさんが、決めたわけじゃないんでしょ?」
「かあさんじゃないわ」
「じゃ、いいんじゃない。男がなっても」
「でも、昔からそうなってるの。伝統だから……どうしてっていわれても……女は子どもをうんで、家族を守っていくからっていわれてるのよ……」
キキは口ごもって、ごまかすように目をそらし、はっきりこたえてはくれません。
(伝統って、えらそうにいうけどさ、伝統って、いじわるじゃないか。子どもを育てるのは女だけじゃない、家族を守るのも女だけじゃない!)
トトは納得がいきません。
飛べるのは魔女の血が飛ぶのだ……といわれているそのおなじ血がトトにも流れているのに、なぜ?
おてんばで、いつもいいかげんなことばかりいってるニニよりも、ずっと自分のほうが魔女にあっていると思うのに、なぜ?
もちつもたれつの気持ちだって、ニニよりはずっと強いって自信もあるのに、なぜ? どう考えても、これは不公平です。
魔女になれば、ニニは一年間、学校を休んで、修行といって、すきな所にいけるのです。場合によってはそのまま魔女をつづけることだってできます。
(伝統っていえばそれですんじゃうんだから)
トトは不満です。そのあいだもトトは、すきでもない学校にいかなければなりません。なんという差別でしょう。
友達は、「ふたごのお姉ちゃんが、どっかの町にいったら、あんたも、いっしょにいって、お姉ちゃんのお手伝いなんかするの?」というのです。これもひどい話です。ニニのお手伝いなんて!
でも、もしトトもどうぞ一年間自由に過ごしなさいといわれたら、ちょっとこまってしまいそうです。知らない町で、ひとりぽっちになって、どうしたらいいでしょう。ほうきで飛ぶこともできないし……。トトには魔法がないのです。でもはじめから、ダメっていわれるのは、どうしても我慢できないのです。だれも自分のことを、ニニとおなじに考えてくれないのが、トトには不満でした。
家をとび出したトトは走りつづけました。橋をわたり、砂浜を走り、海へじゃぶじゃぶとはいっていきました。しぶきが顔にかかったのに気がついてはじめて立ちどまりました。遠くまで水がちろちろと光っています。トトは砂浜にあがって、すわりこむと、砂をつかんで、ばんとたたきつけました。
しゅわしゅわとえんりょがちに波が寄ってきます。近くまで来ては、あわててさーっともどっていきます。波までトトのご機嫌を気にしているようです。そんな波の動きを目で追っているうちに、トトの大暴れの気持ちもだんだんと落ち着いていきました。ふと、そばであたたかな気配がします。みると、トトの腰にぴったりとくっついて、ベベがすわっていました。
「なんだ、いつ来たの、ベベ」
トトはだきあげて、
しずかです。ゆっくり寄せる波も今日は無口です。トトはベベを見ました。ベベも上をむいて、だまってトトを見ています。ふと笑ってるような顔をすると、桃色の舌がちらりとのぞきました。
「トト」
小さな声がします。
トトははっとしてまわりを見回しました。だれもいません。
「ひょっとして、今、僕の名前、よんだ? ベベ」
でもベベはいつものとおり、「にゃーん」といっているように口をあけました。
かすかに、でもはっきりとトトにはきこえました。
「僕、ひょっとして、ベベと話してるのかなあ。まさか……な、まさかだよなあ、な」
ベベは大きく口をあけてあくびをすると、すいっと背伸びして、トトのあごをぺろりとなめました。
「あ ん た っ て、せ っ か ち」
「ベベ、ベベだよね。僕たち、話せるんだ」
トトは思わず、ベベをだきあげました。
「く、る、し、い。あ、ま、っ、た、れ、な、い、で」
トトはくすくすと笑いだしました。ベベが話したのです。トトにはきこえるのです。これが魔女猫言葉でなくてなんでしょう。きっとだれも信じてくれないでしょう。それでもいいんだ──ベベの気持ちが、トトにわかる言葉で、きこえたのです。すこしだけど魔法が顔をのぞかせたのです。どきどき胸が鳴って、トトの体があたたかくなっていきました。ベベの胸の音もトトの腕に伝わってきます。とくとく、とくとくと、いつもより、ちょっと大きくって、はっきりしています。
(ベベもうれしいんだ。こいつもあわててる)
トトはおかしくなりました。
「さ、帰ろうか」
トトはゆっくりと立ち上がり、歩きだしました。その後を、「にゃー」と鳴いて、ベベが追いかけていきます。
「ただいま」
トトはいつもの調子で家にはいっていきました。
「トト、どこにいってたの。あんなに怒らなくっても」
キキがいいました。
「べつに。あー、ケーキ、ケーキ食おうぜ」
トトはさっきのことなんかなかったみたいに、さばさばした声を出して、台所にはいっていきました。
「みんな、まってたのよ……かあさん、クリームをたして形をなおしといたわよ。あのケーキ、だれかにあげるんでしょ」
「ちがうよ。僕の分だよ。一つまるごと、食ってみたかったんだ」
そういうと、トトはサラミのために作ったケーキにフォークをぐさりとさして、大きな塊を口に運びました。
「あー、うまい。僕って、天才!」
トトはにっこりすると、足下を見て、「な、ベベ」といいました。
「とうさーん、ケーキ、ケーキだよ。いっしょに食べようよ。おソノさんたちにも来てもらってさ」
トトは大きな声でいいました。
ニニは、どうしちゃったの……というように、部屋の入り口に立って、飛びだしそうな目でトトを見ています。
「ニニも、食べれば。どうぞ、ごえんりょなく」
トトは口のはじをちょっとゆがめて笑いました。