3 海のかぎ
ルルルルー ルルルルー
電話が鳴っています。
「はい、はい、ただいま」
キキは走ってきて、受話器を取り上げました。
「おまたせしました」
空いている手でスカートをつまみ、おじぎをするようにかるく腰をかがめました。いつからかこんなふうに電話にむかってあいさつするのがくせになっていました。
窓からの光が床の上でまぶしくひろがっています。
「あのー、魔女さん、少々ややっこしいお願いなんですけどねえ。たのまれてくれませんか?」
低めの男の人の声でした。
「はい、なんでもどうぞ」
「わたしは海岸通りからはいったところのこじゃり通りにある中古船の部品をあつかっている店なんですけどね」
「ああ、わかります。船の
「おう、よくご存じで。それじゃ、来てもらえますか?」
「ええ、もちろん」
「じゃ、用件はそのとき話します」
キキは話し終わるとふりかえりました。ジジがソファの上であおむけになり、おなかをまるまる見せて寝ています。「ちょっと夏バテ」といって、このところよくお昼寝をするのです。
「ジジ、仕事だけど、行く? どうする?」
キキは小さな声でききました。
ジジはゆっくり頭をあげると、桃色の舌で口のまわりをぺろりとなめました。
「行くよ、もちろん、ふわわーん」
はずかしくなるような大きなあくびをしながら、ジジはソファからおりると、「共同経営者だから」とぼそりとつぶやきました。
こじゃり通りの「大波商会」さんの前で、男の人がまっていました。
形のくずれた、古い船長さんの帽子をかぶり、大きな鼻の下には立派なひげがありました。
「ま、はいってください。ちょっと説明しないと……」
お店のなかにはいろいろなものがおいてありました。古い船の模型、船の旗、ランプ、ガラス玉、羅針盤など、光っているものやら、さびているものやら。積み重ねられた品物の間のわずかのすきまが事務所のようです。かんたんな机をはさんでいすが二つおいてありました。キキはすすめられるままにいすにすわりました。すぐジジがその
「このかぎなんですけどねえ」
大波さんは引き出しから小さなかぎをだして、机の上におきました。
「コリコ湾に沈んだ船のなかにあった物なんですが、さびだらけだったので、ここに入れっぱなしにしてたんです。ところがこのごろ、船関係の品を集める人がふえましてねえ。とくに古い物に目がない人がいるんですよ。たまたまこのかぎを見て、これは百年はたっているだろうと、ぜひゆずってほしいという人がいてね……『なににつかうんですか?』ってきいたら、にやっと笑って、『昔の扉を開けるのさ』って。おしゃれなせりふをいうんですよ。でもあまりにも汚れがひどかったものですから、さびや、こびりついてるフジツボやらをとってみたら、意外としっかりした銀製だったんです。ね? なかなかかぎらしいかぎでしょ。大きさの割にずっしりと重いし、手のこんだ模様なんかもついてるし、そしたら、ほら、ここに住所が彫ってあったんです」
大波さんはかぎのよこをキキの目に近づけていいました。
「さるすべり小路、二十九番地、キャプテン・ゴーゴー。キャプテンというからには船長さんでしょう。ゴーゴー船長、この人が持ち主だったと思うんです」
「あら、さるすべり小路なら、旧市街の古い家がドーナツみたいな形につながってならんでいる広場からはいった、小さな道じゃありません?」
「そうなんですよ。このかぎがおなじコリコの町の人の持ち物だったとはねえ」
「じゃ、そこにおとどけすればいいんですか?」
「ええ、わたしが行けばいいんですけど、なにぶん店番はわたしひとりなもんで……それに前から一度でもいいから魔女さんに仕事をお願いしたいと思っていたんですよ」
「ありがとうございます。うれしいわ」
キキはかるく頭をさげました。
大波さんは手のひらのかぎをひっくりかえしました。
「この古いかぎなら魔女さんに運んでもらうのにぴったりな気もしてたのでねえ。でも……うー」
大波さんはこまったぞというように、とつぜん、うーんぱっと口を動かしました。
「なにぶん昔のことですからねえ、まったく違う人が住んでいるかもしれませんねえ、もっていってもらっていいものやら……でもね、かぎですからねえ、相棒のかぎ穴を見つけてあげたくなりますよ。やるだけやって確かめないと、このままではかぎに申し訳ないような気もするんですよ。せっかく魔女さんにお手伝いいただいても、むだになるかもしれないけど……」
大波さんはえんりょがちに声を小さくしました。
「でも、もしかしたら、そこにこのかぎと仲よしだったかぎ穴があるかもしれないですよね」
「ええ、まあ」
大波さんはうなずきました。
キキはぐっとのりだしました。
「わたし、子どものころからこういうお話ってだいすきなんです。あるかどうかわからない。でももしかしたらあるかもしれないっていうの。なんだかワクワクしちゃうわ。もしかしたらって考えているうちは、なんでもできるような気がするんですもの。やってみましょうよ、この冒険」
「冒険か……。ちょっとおおげさだなあ」
「わたし、よろこんでお手伝いさせていただきます」
キキは立ちあがりました。
「もしかしたらっておっしゃるけど、それこそもしかしたら働き損のくたびれもうけってことになるかもしれませんよ。こんなに小さなかぎだし、売ったとしてもたいした額にはならないし、お礼はそんなにできないし」
「大丈夫です。ご心配なく。もしかしたらって、心がワクワクするでしょ、そのワクワクのおすそわけでじゅうぶんです。もちつもたれつが、魔女の宅急便の心得ですから」
大波さんの体がゆらゆら揺れだし、歌うようにいいました。
「ほ、ほー、
もちつもたれつ もしもし
もちつもたれつ もしかしたら もしもし
もしかしたらー おわりは からっぽー
なんてね。
ハッハッハ、ちょっとゆかいになってきた、ねっ、ねこちゃん」
大波さんはおどけて肩をすくめながら、ジジのあごをちょっと手でさわると、まるい体をゆすって笑いました。ジジはまんざらでもないようにちらりっと大波さんを見上げました。
キキは銀のかぎをしっかりにぎると、飛び上がりました。
海からの風が背中をかるくおしてくれます。
「こんな日は、ちょっと、音楽」
キキはほうきにさがっているラジオのスイッチをまわしました。
小さな子どもの声で歌が流れてきました。
「おひさま おひさま
うらやましいこと
金色の手をたくさんのばし
にぎっているのね
いいこと いっぱい
おひさま おひさま
一つちょうだい」
キキは歌にあわせて、かぎをもった手をすいとあげました。
「わたしにもちょうだい」
かぎがきらっと光りました。
「ほら、もらっちゃった」
キキがふりかえってジジを見ました。
「すぐその気になるキキ、単純」
ジジが鼻にしわを寄せて小さく息を吹きました。
「すぐ皮肉をいうジジ、複雑」
キキはにっと笑いかえしました。
コリコの町はこのごろ、どんどん大きくひろがっています。郊外に建つあたらしい建物は、どれもガラス窓が大きく、それにおひさまの光があたって、上を飛ぶキキの目をまぶしくさします。でもそんなとき、目を町のほうにむけると、時計台を中心に、ひまわりの花のまんなかのように色がくすんで見えるところがあります。昔のコリコの町がそのままのこっているところです。細い道がまがりながらつながり、小さなお店や、アパートが寄りかかるようにならんでいます。そこを歩くと、なつかしい昔にもどったような気がすると、今はとても人気の場所になっているのです。そのなかに、さるすべり小路がはじまるドーナツ形の広場もありました。この広場にはコリコの町の名物、小魚の唐揚げで人気のレストランや、広場にむかってテーブルをだしているお茶とお菓子のお店、また近ごろ、おしゃれなバッグなど小物を売っているお店もならぶようになりました。この付近もかわらないようでいて、すこしずつかわっているのでした。はたして百年以上も前の家がまだあるでしょうか。
キキがドーナツ形の広場におりたつと、屋根で休んでいた鳩がかわりにいっせいに飛び立ち、建物にそってまわるように飛びはじめました。
キキは、広場からいくつかでている道の一つ、さるすべり小路にはいっていきました。
「えーと、二十九番地……」
キキは建物の上にはってある数字を見ながら歩いていきました。その数字もすりへって見えにくくなっています。
「二十九番地ってことは……、小路の入り口から二十九メートルってことよね」
キキはぶつぶつつぶやきながら歩いていきました。そう、コリコの町の番地の数字は、そういうふうに、道の入り口からその家の戸口までの距離で決まっていました。右側が偶数で、左側が奇数。三番地なら三メートルはいった左側です。これはこの町で宅急便を始めたとき、キキにはわかりやすくて、とても助かりました。
「あったわ!」
石に彫られた数字はすりへっていてやっと二十九と読めます。見ると扉には
「錨だわ。間違いないわ。船長さんだもの」
キキはジジをひょいと肩に乗せ、姿勢を正して息をしずめると、とんとんと鳴らしました。
「はーい」
遠くから声がします。やがて厚い木の扉が内側にあいて、キキよりちょっと年上の女の人が顔をのぞかせました。暗い家のなかからにぎやかな話し声がきこえてきます。
「あのー、つかぬことをうかがいますが、キャプテン・ゴーゴーというお名前にお心あたりはおありでしょうか? 百年、もしかしたらもっと前の方かもしれないのですが……そのころはここの番地に住んでいらしたようなのです」
口にだしてみて、あらためてほんとうに遠い昔のことなのだと思うと、キキの胸はどきどきしてきました。
「まあ、あなたは……もしかして……この町の魔女さん? おとどけやさんなさってる。空を飛んでるとこ何回も拝見したわ。わたしが飛んでるわけでもないのに、あなたを見ると、胸がすかっとするのよね。こんな近くでお会いするなんて……」
女の人はよほどおどろいたのか、ぴっと開いた目でキキを見つめました。
「あのー」
キキがいいかけると、
「あー、そうそう、百年っておっしゃったけど、百年前のおとどけものなの? 魔女って長生きだってきいていたけど、おどろいた!」
女の人は目をぱちっとさせ、なにをもってきたかと、キキの手のあたりをいぶかしそうに見つめました。
「百年なんて、いやだわ。わたし、そんなおばあちゃんではないですよ。キャプテン・ゴーゴーさんがもっていらしたと思われるお品をおもちしたんです。ゴーゴーさんにお心あたりはありますか?」
「キャプテン・ゴーゴー? もちろん、もちろん。お心あたりありますよ」
女の人は胸をそらしてうなずきました。
「わたしのひいおじいちゃんですもの。でもコリコ湾で、船が沈んで、死んじゃったの。ほら、ここには夏のおわり近くに海坊主風という嵐がくるでしょ。その年はものすごく強烈で、前代未聞の大嵐だったんですって。さしものゴーゴー船長もやられちゃったのね」
女の人はちょっと話すのをやめると、なぜかおかしそうにくすくすと笑いました。
「あら、ひとりでしゃべっちゃって。ここじゃなんだから、なかにはいって。兄もおばあちゃんもいるから。でもなにかしら……? そんな昔のことなんて、わたし、背中がゾクゾクしてきたわ!」
女の人は両手を胸に重ねて大げさに体をふるわせてみせると、キキにはいるように体をかたむけ、おくにむかって大きな声でいいました。
「ねえ、なんだかおもしろそうな話が飛びこんできたわよ」
入り口からのびる細い廊下のむこうの部屋では、大きながっしりとしたテーブルをかこんで、もう大人になりかかった男の子ふたりと女の子、その子たちの両親と思われる男の人と女の人。姉妹なのでしょう、その女の人はドアを開けてくれた人とそっくりでした。そのむこうにかわいい帽子をかぶって、揺りいすにすわっている小柄なおばあさん。みんなそろってちょうどお茶の時間のようです。
「なに、おもしろい話って」
みんないっせいに身をのりだして、キキにいいました。その声があまりにもぴったりと一致していたので、キキは思わず半歩あとずさりしました。
「こちらのご先祖でいらっしゃるキャプテン・ゴーゴーさんのかぎが、大波商会さんのとこで見つかったんです。こじゃり通りにある船の古い部品を売っているお店なんですけど……ごぞんじでしょうか……そのかぎのさびやよごれを落としてみたら、ここの住所が彫ってあったので、おとどけしたほうがいいんじゃないかって、わたしがたのまれて、もってきました。昔のことですからご家族はもういらっしゃらないかもしれないけど、確かめるだけ、確かめてみようということで……かぎだから、相棒のかぎ穴があるはずだって、はなればなれじゃかわいそうだと大波商会さんがおっしゃるんです」
キキは手にしっかりとにぎっていたかぎを見せました。
「なるほど、かぎに、かぎ穴ねえ。そういえば、二つで一つだものね」
男の人がかぎを手にとりました。
みんな、いっせいにのぞきこみました。それから「どれどれ」と、手にとって、かわりばんこに窓の明かりにかざして眺めました。
「あっ、あれかも」
とつぜん、男の子のひとりが体をびくんとふるわせました。
「ほら、あの『もしかしたらの箱』だよ。ここの模様もおなじだし」
もうひとりの男の子が追いかけるようにさけぶと、女の子が音をたてて階段を駆け上がり、宝石箱のような箱を両手でかかえておりてきました。
「これ、これよ、きっと。かぎ穴はここだわ」
その箱はなにかの金属でできていて、黒く光っていました。とても手のこんだ作りです。長いあいだにこすれてうすくなってしまったのでしょう、かぎとおなじ模様がかすかに見えます。女の子は箱をゆっくりとふりました。コトンコトンと音がします。その音をきいたとたん、みんなの顔が「わー」っというように輝きだしました。
「この『コトンコトンさん』の正体がこれでやっとわかるのよね。ずーっとずーっと知りたかった正体が」
みんなの声がまたまたぴったりとそろいました。それからまたぴったりいっしょに、ほーっとため息をつきました。
「さて、ここが問題のかぎ穴です」
女の子はすこしおごそかな声でいいました。みんなの目がいっせいにかぎ穴に
「ほんとになにがはいってるんでしょうね」
「見たいわ」
「そうよ。見られるのよ、いよいよ」
「長年の願いがかなうのよ」
「今までいろいろと試してみたんだけど、どんなかぎでも開かなかったのよ。いらいらして、いっそこわしてしまおうとしたときもあったのよ。一度なんておじいちゃんがわざと石の上に落としたんだけど、それでもこわれなかったの」
女の子はキキのほうをむいて、説明するようにいいました。
「いい根性してるんだ、この箱」
「ねえ、その秘密の扉を開ける大役をぼくにやらせてよ」
男の子のひとりがかぎを取り上げ、かぎ穴にさしこみました。ぴたりとはいりました。そのとたんみんなの体がそろってびびっとふるえました。それからさぐるように目をよせて、さしたかぎをじーっと見つめました。みんな息もしていないように動きません。
キキも体をかたくして穴を見つめました。
しばらくして、女の子が思いきったようにいいました。
「じゃ、わたしがまわすわよ、いいわね。それでは、歴史的瞬間です。じゃーん」
「ちょ、ちょ、ちょっと、まって!」
お父さんらしい人が手をのばして、さけびました。みんなの目がお父さんにむけられました。
「あけちゃって、いいのかい? ほんとうにいいのかい?」
お父さんはみんなを見まわしました。
一瞬どきっとしたようにどの目も大きくゆれました。
「あけちゃったら、それでおわり。ぜんぶ見ちゃったら、それでおわり。『もしかしたらのパーティー』はおしまいになっちゃうんだよ。それでいいのかい?」
「あっ」
だれかが息をのみました。
「そうだよね」
「それはいやだなあ!」
女の子がさけびました。
「コンペもやれなくなっちゃう!」
「そうですよ、おばあちゃんからの一等賞の賞金もなくなってしまうのよ。おばあちゃんの賞金はね、つづきがつづくたのしみの賞金よ。わからないってことは、一つのたのしみなんだから……」
今までだまっていたおばあちゃんがいいました。
キキはめまぐるしく話がかわるので、息をころして様子をうかがっていました。
「あのね、魔女さん」
表の扉をあけてくれた女の人がいいました。「この箱はね、ずーっと我が家の謎だったのよ。どんなことをしても開かないんですもの。ふると音がするから、なかになにかははいっているのよね、でもそれがなんだかわからないから。家ではね、『もしかしたらの箱』ってよんでいたの。もしかしたらこんなものがはいってるんじゃないか。もしかしたらあんなものがはいってるんじゃないかって……この箱を見ると、いつでもいろいろ想像しちゃうのよ。それでね、キャプテン・ゴーゴーが遭難した八月二十三日に、この箱をかこんでみんなが集まるようになったの。そして十年ほど前から、亡くなったおじいちゃんが、なかになにがはいっているか想像する遊びを始めたの。今はおばあちゃんが受け継いでて、いちばんおもしろいこといった人には賞金がでるのよ」
「ところで魔女さんはなにがはいってると思う?」
男の子がのぞきこみました。
「えーっ、わたしがいうの?」
キキは途方にくれたように箱を見つめました。
「そう、想像して」
「うーん、想像? いきなりきかれても……遠い国の石ころじゃ……、だめ?」
「えー、そんなの平凡だよ、魔女さん」
男の子ががっかりしたようにいいました。
「もっと、すっとんきょうなこといってよ。魔法っぽく」
「ええ、どうしよう」
キキはどう考えてもなにがはいってるか、思いつかないのです。なさけなさそうに目をふせました。
「たとえば、鳥になるのに、三百年かかる卵とかさ」
「へー、ほんとうにそんな卵あるの?」
キキは思わずかぎ穴に顔をよせて、なかをのぞこうとしました。
「いやだなあ。魔女って、案外まじめなんだねえ。それじゃ、一等賞なんてとれないよ」
「わたしは見た夢を消す消しゴムがはいってるっていったことあった。そんなふうにあることないこと考えるのって、案外おもしろいのよ。賞金よりたのしみなぐらいよ。今年こそはって、みんな夢中。一年かけて考えるの」
「うそをつくるおもしろさってたまらないよ。ぞくぞくする。ほんとだよ。でもこれはね、うそじゃない、ほんとでもない、でも見えないほんと、くくく」
「あんまりばかばかしいのはだめなのよ。でもありそう、でもなさそうって思えるようなこと、……これがだいじなの」
おかあさんらしい人はいいながら、ふーっと一息つきました。「いつもわたしは負けちゃって、ね、おばあちゃん、今度はわたしに一等賞をくださいよ」
「この子がね、四歳のときいったのが、最高におもしろかったわ」
女の人がいいました。
「はーい、四歳のときだけ天才だった、ぼく」
男の子のひとりが手をあげました。
「どんなこといったの? きかせて」
キキがいいました。
「この箱にはですねえ。『どろのおだんご』がはいっていてね、耳を近づけると、ないしょばなしをしてくれるっていうの」
男の子は箱を自分の耳のそばにもちあげました。
それから箱をキキの耳にも近づけました。
「ほら、きこえない? きこえる……ね、きこえるでしょ」
キキは耳をすましました。
「きこえないなんていわないでよ、魔女さんなんだから」
男の子はかさねていいました。なんだかきこえてくるような、きこえてこないような……でもこそこそって、だれかが、だれかにささやいているような気もしました。
「ね、きこえるでしょ。これってうそっていえないうそだよね、ほんとのうそ」
「おい、おい、おまえ、まだ本気でそう思ってるわけ?」
「もちろん。ぼくにはまだ清い子どもの心がのこってるからね。エヘン」
男の子は肩をすくめ、ぺろりっと舌をだしました。
「証明できないところがすばらしいんだ」
お父さんがうなずいています。それから男の子はぽつりといいました。
「ほんと、ふたをあけたら、なんだかつまらなくなっちゃうよね」
「うん」
みんな、つぎつぎうなずきました。
「あけたとたんに、キャプテン・ゴーゴーも不思議なおじいちゃんじゃなくなっちゃうよ。ただのおじいちゃんになっちゃうよ」
「そ、そう。そうだよ。不思議はずっと不思議のほうがいいよ。や、やめようか」
「うん、やめとこう。そのほうがいい」
「でも、見たいなあ、イライラしちゃうぐらい、見たい気持ちもあるわ」
女の子がいいました。
男の子たちはそろって両手をひろげ、まわりの空気をおさえるようにいいました。
「お願いだ」
「やっぱりやめようよ」
「このままがいいよ」
「そうね」
「賛成だわ。夢はつづいたほうがいいもん」
みんな、細かくなんどもうなずきあいました。お父さんの手がのびて、かぎ穴にさしてあったかぎをそっと抜くと、キキにさしだしました。
「せっかくおもちいただいたけど」
「いいんですか? かぎと宝箱がはなればなれになっても? こちらにおいておいてもいいんじゃないかと思いますけど」
キキは手わたされたかぎを見ながらいいました。
「いいんです」
みんなの声がまたまたぴたりとそろいました。
「あればあけたくもなります。この世は決まりきったことが多すぎるから、なんだかわけのわからない遊びがあってもいいじゃないですか。ほしいかたがいたらおゆずりになってください」
お父さんがいいました。
「行方がわからなくなってしまうかもしれませんよ」
「ええ、いいです。この世にかぎが存在すると思えば、もしかしたらのたのしみもさらに大きくなる。これからもずっとつづけられるし」
お父さんの言葉に、みんな「そうよ」というようにうなずきました。
「よかったら、魔女さんも、来年の八月二十三日に、『もしかしたら』をいっしょにやってみませんか?」
「まあ、いいんですか?」
「そのかわり腕をみがいてきてくださいよ」
「腕じゃないでしょ。目でしょ」
「いや、頭だよ」
「努力します」
キキはおじぎをしました。
大波商会にもどると、キキはあったことをぜんぶ話しました。
「そうですか、いやはや、そうでしたか。それならわたしもこのかぎを売らないでとっておきますよ。そしたらわたしにも『もしかしたら』がつづくかもしれないから。この気持ちって、いいですねえ。心が動くっていうか……うきうきしますよ。
キキさん、やっぱり……
もちつもたれつ
もしかしたら もしもし
ってことになりましたなあ」
「ええ、こんな魔法の箱があると思うだけでうれしいわ。わたしもいいおすそわけ、いただきました。たのしいお仕事でした」
キキはかぎを大波さんにわたしました。
「そんな気持ちだけのおすそわけじゃ、いくらなんでも……申し訳ないです……あー、こんなつまらないものだけど」
大波さんはキキに小さな
「じゃ、猫ちゃんに」
大波さんはジジの首にかけてくれました。ジジはぶるんと体をふるわせました。
「似合うわ」
キキはジジに笑いかけ、頭をさげました。
家にむかう途中、ジジがいいました。
「人ってさ、ものごとをわざとややっこしくしたりするんだねえ。それでうれしがってるんだから」
「たのしいことはできるだけにぎやかにするっていうの、いいじゃないの。ジジだったら、どうする?」
「きっとあけちゃう」
「そしたら、それでおわりよ」
「おわりじゃないよ。また不思議がでてきたりして、やってみなくちゃわからないじゃないか」
「うーん、それもおもしろそう」
「ね、ほら、ちょっと残念になってきたでしょ。ちゃんと答えを見つけるのもたいせつだよ」
ジジは得意そうに鼻をひくつかせました。
キキはふっととんぼさんの大きな眼鏡を思いうかべました。あれを通してとんぼさんはなにを見ているのでしょう。あの眼鏡は「もしかしたら」のかぎとおなじように、きっとつづきの不思議を見ようとしてるのだわ、とキキは思いました。
「あのね、キキとぼく。魔女と魔女猫、いつまでも不思議でいようよね。ただの不思議でなくしっかりしたやつ。あの箱ぐらい、いや百年よりもっとずっとつづけよう。ねっ」
ジジがあらたまった声でいいました。
「そうね、ほんとうにそうね。約束よ。ドキドキがつづくようにね」
「うん、まあね。いつも生きのいいお魚でいたいよね」
そばにお魚があるみたいに、ジジの鼻がひくひくと動きました。
とんぼさんから手紙が来ました。
「キキ、元気? ぼくも元気。いうまでもなく。
この間もらったキキの手紙に、『ひとりぐらしはさびしくないか?』って書いてあったけど、ぜんぜんぜんぜん大丈夫」
キキは手紙から目をはなして、文句をいいたそうに、口をぴゅっととがらせました。
「……なんかつまらない」
手紙はつづきます。
「キキ、ご安心ください。ぼくは虫たちとにぎやかにくらしています。このあいだ学校の近くにある『子ども会』によばれていきました。『アソボ』っていう会なんだ。『学生さん、ぜひ「アソボ」に遊びにきてください』それでぼくが行くことになった。うれしいじゃないか。『アソボ』だよ。もうわすれかけた言葉だよね」
キキの口が笑いそうにゆがんできました。
「わたしは、いつもいってるのに。ド・ン・カ・ン」
手紙はまだつづきます。
「虫をいろいろもっていきました。カタツムリ、テントウムシ、ミミズ、バッタ、カマキリ、ゲジゲジムシ、ダンゴムシ……。
ぼくがいろいろ教えてもらっているぼくの先生みたいな虫たちです。大きな虫眼鏡ももっていって、子どもたちに見せたら大、大好評!
『わー、カマキリ怪獣!』
『ミミズってしましまなんだ! 首のところがえりまきみたいになってる』
『バッタの足って、つっぱってるのね』
子どもたちの目はみるみるまんまるの、ぴかぴかになった。虫におどろくのはぼくだけじゃないんだね。子どもたちは虫が動くのをじっと見ていたかと思ったら、『虫になってみたいねえ』っていいだして、すぐまねをしだした。はじめは手だけ、でもだんだん大きくなって、とうとう体ぜんぶをつかって動きはじめた。勝手にひとりごとみたいな歌なんてうたっちゃってさ。おぼえているのを、ちょっとここに書いてみるね。
『ミミズ みみあるの?
わたし アコちゃんよ
きこえる ミミズちゃん』
アコちゃんって小さな女の子の歌だよ。ぼくもさ、ときどき自分も虫だって思っちゃうときあるんだけど、アコちゃんもそうらしい。もう一つは……小さな男の子、コンくんの歌。
『にんげんの あかちゃんは ゆらゆら ねんね
バッタのあかちゃんは ぴょんぴょん ねんね
おちないように つかまってるよ』
コンくんは、バッタのあかちゃんになりきってるよね。ほんとはご夫婦なんだけどね。おんぶがうらやましいんだね。ぼくもときどき……虫のこと、うらやましくなるもの。尊敬しちゃうときだってあるよ。
みんな、それぞれ虫のつもりになっててね。それがけっこう上手なんだ。でもゲジゲジムシになる子がいないんだよ。
『きもちわるいもん』『あれ手なの、足なの? わたしにはあんなにたくさんないもんね』
気の毒にゲジゲジくんは、人気ないんだ。あげくに、『とんぼさんが、なったら』っていいだした。ゲジゲジムシかあ……ため息がでたね。あいつはあいつでかわいいとこあるけどさあ。空を飛びたいとんぼが
『ずいぶんやせっぽちのゲジゲジだなあ』
ゲジゲジはもともとやせてるもんなんだよ。そして、『もっと進め、もっと進め』ってかけ声をかけだした。ずるじり、ずるじり、進んだよ。その距離、二十メートル弱。大変だった。鼻の頭はきずだらけ、手のひらには小石がめりこむわ。痛いからなめたら、しぶかった。土ってしぶいんだね。やってみてゲジゲジの偉大さがわかった。というわけでね、ぼく、とんぼのくらしは、ぜんぜんさびしくないよ。
じゃ、キキ、また書くからね。それでは心をこめて チ、チ、チ とんぼ」
キキは笑いだしました。
「やだわ、とんぼさんたら土なんてなめて。ジジ、虫になるとしたら、なにになりたい?」
「虫なんて、いやだよ。猫につかまって、食べられちゃうから」
なんてつまらないことをきくんだというように、ジジはふんとむこうをむいてしまいました。
「ちょ、ちょっと、ジジ。この手紙の最後にさ。
チ、チ、チって書いてあるのよ。ゲジゲジって、チ、チ、チって、鳴くのかしら」
「チ、チ、チ、は、やもりだよ。それってとんぼさんの鳴き声じゃないの?」
それからジジは赤い舌で鼻の頭をなめて、つぶやくようにいいました。
「とんぼさん、いうんだったら、チュ、チュ、チュじゃないの? しっかりしてよ。まったく、だいじなときにずっこけるんだから」