10 くすりぐさの願い
屋根で雨音がしています。今年の夏はどうしたわけか雨がつづきます。キキがおきようかどうしようかとぐずぐずしていると、ルルルルーと電話のベルが鳴りだしました。キキはカーテンをひいて、外を見ました。ぬれた窓ガラスのむこうに雨まじりの空がのぞいています。仕事をたいせつに思っているキキでも、雨のなかを飛ぶのは、なるべくならえんりょしたいのです。キキはちょっと顔をしかめて電話をとりました。
「キキ」
電話の声はコキリさんでした。
「どうしたの、こんなにはやく?」
キキはびっくりしていいました。
「今、いそがしい? 仕事は?」
「ううん、そんなことないわ。おかあさん、どうしたの? どうしたの? 声がへんよ」
「ちょっと、帰ってこない? 夏休みだし……」
キキはえっと目を開きました。たのんでいるようないいかたです。
キキはひゅっと息をすいこむと、いそいでいいました。
「うん、帰る、すぐ、帰るわ」
それをきいてジジがベッドからとびだしてきました。
キキはおソノさんに連絡すると、当座の着がえをバッグに入れて、それからふと考えて、去年二瓶も多くとれたので、まだその分がそっくりのこっているくしゃみの薬を入れると、じぶじぶとふりつづく灰色の空に飛びあがりました。
「キキ、ぼく、なんだか胸がばくばくする、どうしてだろう」
ジジが後ろからしがみついてきました。
「わたしもよ……いそごうね」
キキはジジの手をやさしくたたきました。どうしたのかしら、どうしたのかしら……キキはその言葉でいっぱいでした。
キキは厚い雲をおしのけるようにして飛びつづけ、家の前にドンと音をさせておりました。その音におどろいて並木道のからすがいっせいに飛びたちました。
キキは走っていきドアをあけました。むっとあたたかい空気が顔にあたります。
「ただいまあ、キキよ」
キキはつとめて元気に声をはりあげました。見ると、夏だというのにストーブがたかれています。キキは走って、オキノさんたちの寝室のドアをあけました。
「おう、どうして……」
オキノさんがおどろいてふりむきました。そのむこうにベッドの背によりかかるようにして、コキリさんが寝ていました。
「キキ、帰ってきたのね。はやかったのね」
コキリさんがさけびました。その声はむりにむりをしてだしているようでした。それからオキノさんに目をむけて、「わたしがキキをよんだの」といいました。
「だいじょうぶ? おかあさん」
キキはいそいでコキリさんの手を握りました。
「もちろん、だいじょうぶよ」
コキリさんはきっぱりとうなずきました。
「病気だったの? ……いつから?」
「ちょっと前よ。風邪ひいちゃったの。魔女が風邪ひくなんて、はずかしい話だけど……」
コキリさんは小さく笑いました。元気をだそうだそうとしています。
「ちょっとした風邪だったんだよ。あたたかいのに風邪なんて……とかるく見すぎたね。くすりぐさを植えたり……今年はたくさん植えたからね」
オキノさんがいいました。
「ちがうわ。はたらいたせいでもいそがしかったせいでもないのよ。風邪がね、わたしからでていかなくなっちゃったの。こういうときは風邪にまかせなきゃ。むこうにも言い分ってものがあるから」
コキリさんはふっと笑顔をつくりました。元気なときよくきいたおちゃめないいかたでした。でも息はみじかく、一言ごとに胸は大きくゆれました。
「お医者さまはなんて?」
キキはオキノさんを見ました。
「うん、しずかに寝ていなさいって……」
オキノさんの声は小さく口のなかに消えていくようでした。
「お医者さんより、わたしのほうがよくわかっているわよ。魔女はね、昔はお医者さんだったんですから……今じゃなさけないことに、そんな力はないけど……でも自分の体ぐらいはなんとかわかるわ。きっとわかるわ、だからしんぱいしないで」
コキリさんは言葉をおしだすようにして、休み休みいいました。
「ジジ、こっちにおいで」
コキリさんははなれたところから体をかたくして見つめているジジに手をさしのべました。ジジはすこし考えてから、ベッドのすそに飛び乗りました。
「こっちに来て、ほっぺた、くっつけっこしよう」
ジジは「いいの?」といいながら、コキリさんの枕にのり、小さな桃色の舌でコキリさんのほっぺたをぺろりとなめました。
「やだ、くすぐったい、なんてかわいい舌なの」
コキリさんはうれしそうに体をよじりました。
「ずるーいわ、ジジったら、わたしもー」
キキがいいました。
「風邪うつっちゃうわよ」
「いいの、だいじょうぶ」
「まあ、じゃ、あんたもいらっしゃい、あかちゃん」
コキリさんはうすいふとんを持ちあげました。キキは靴をぬぎ、するりっとなかにはいり、ならんで横になりました。あまったれたように頭をコキリさんの胸につけました。
「うふふふふ」
コキリさんが照れくさそうに笑いました。
「うふふふ」
キキもちらりっと舌をだして、笑いました。
「にゃーん」
ジジが頭をつっこんでふたりのあいだに割り込んできました。
「じょうだんみたいだな……なにもかも……」
オキノさんはぽつりといいました。
「おかあさん、くすりぐさを飲んでる?」
キキはベッドからおりて、いいました。
「ええ、自分製をね」
「ちゃんと?」
「すこしね、もう十分。これ以上はもう必要ないわ」
「だめよ。もっともっともっと飲まなきゃ」
「そうキキは思うの?」
「うん、あなたの娘よ。キキちゃん魔女ちゃんの計算よ。わたしのつくったお薬も持ってきたわ。わたしのほうがきくかもよ」
キキは鼻にしわをよせて、いばってひょいと唇をあげると、台所に行き、コキリさんの前掛けをかけて、飲み薬をつくりはじめました。たくさんたくさんくしゃみの薬を入れて、熱いお湯をそそいでこい薬をつくりました。それをコキリさんに飲ませ、うすめた液でコキリさんの顔や手を
「キキ、すごいじゃないの。じょうずになったのね」
コキリさんはうれしそうに目を細めました。
「とっても気分がいいわ。キキが来てくれてほんとうにうれしいわ」
コキリさんの顔がすこしかがやいて見えました。
それから毎日、キキはすこしでもコキリさんが飲みやすいように考え、工夫をして、薬からいろいろな香りをひきだしました。でもコキリさんの息はしだいに弱くなり、あまり話もしなくなっていきました。すこしでも口に入れてもらおうと、キキは必死で飲み薬をつくりつづけました。
「キキ、わたしの薬はほどほどにして、もういいのよ。わたしのわたしの……飛ぼう、飛ぼうとしてる」
コキリさんはふーっと目をうえのほうにむけました。それからそのまま遠くを見るような目つきでいいました。
「キキ、畑のくすりぐさをおねがいね。水がほしいって……」
「おかあさん、そんなことしんぱいしないで……キキがついてる。キキが守るから」
キキはコキリさんに抱きついて、ゆすりました。
「安心だわ、わたし……魔女にはね、もう一度旅立ちがあるのよ。ふるさとの森のむこうに消えていくのね。おばあちゃんも、そうだった。しずかにね。ふるさとの森ってね、遠くじゃないの。ここにあるのね。おばあちゃんがいってたこと、やっとわかってきた」
コキリさんは一生懸命目を見開き、キキを見つめました。
そのつぎの日からコキリさんはうとうととねむるようになりました。なにかがすこしずつコキリさんの体からぬけだしていくようでした。
「おかあさん」とキキや、オキノさんが声をかけると、うすく目をあけ、かすかに笑おうとします。でもその口から言葉がでてくることはありませんでした。キキはそばにつきそい、手をさすりつづけました。
キキはくすりぐさの畑に水をまこうと外にでていきました。
空は青く、真夏の元気な太陽が庭を照らしています。
キキは青々と茂っているコキリさんのくすりぐさの畑に目をむけました。どこもかしこも力にあふれています。なんのしんぱいもないように見えます。キキは不安をふきとばすように両手をひろげて、深い息をつきました。
すると、キキのなかでひゅーっと風が飛びさるような音がきこえました。なにかがへんなのです。体がはげしくふるえだしました。あわてるキキの目に高い空を白い線を描いて、飛びさる細いほうきが見えたような気がしました。キキはおどろいて家に走ろうとして、あっと立ちどまりました。たった今まで生き生きとしていたくすりぐさがみるみる黄色に、そして茶色にかわり、うなだれるようにしたをむこうとしています。
「おかあさん、おかあさーん」
キキは岩が裂けるような声をあげて、家に走りました。ドアをあけるのももどかしくコキリさんのベッドにかけよりました。キキの声におどろいてオキノさんがいすから立ちあがりました。
コキリさんは目をとじて寝ています。キキのふるえる手がコキリさんにしがみつきゆすりました。いくらキキがさけんでも、顔は白くこわばり、口はかたくとじたままでした。
「おかあさん、おかあさん、だめよ、だめ! いやっ、いや」
キキは大きな声をあげて泣きだしました。泣きながらつめたいコキリさんの手をさすり、コキリさんのほほに顔をくっつけました。
「おかあさん、目をあけて、おねがい、おねがい、行かないで!」
キキはコキリさんにおおいかぶさるようにしがみつきました。狂ったような泣き声がだんだんとしずかになっていきました。でもその手はコキリさんがどこかにつれていかれるのをとめようとでもしているように、かたく抱きついたままでした。
「キキ、ごらん」
しばらくして、オキノさんがキキの肩に手をおきました。
キキが泣きながら顔をあげると、コキリさんのまぶたがかすかにゆれています。
「おかあさーん」
キキはさけびました。するとコキリさんの目が細く開き、キキを見ると、小さく、うなずいて、またとじました。
その日をさかいにコキリさんはすこしずつ回復していきました。ベッドにすわれるようになると、窓から真っ茶色に枯れ、地面をはうようにたおれている自分のくすりぐさをはじめて見ました。
「おかあさんに全部の力をくれたのね」
キキはいいました。
「ありがとう。それにこの新米魔女も助けてくれたわ」
コキリさんは庭から目をうつして、キキを見ました。
四、五日すると、キキは庭の木陰にいすをだし、調子のいいときをえらんで、コキリさんをすわらせました。
自分もいすをそばによせてすわりました。そしておしゃべりをしました。
キキが生まれたときのことやら……
生まれてからしばらくキキがでべそでしんぱいしたこととか……
「だって大きくなって水着を着たとき見えたらかわいそうだと思ったから」
コキリさんはキキのおなかをなでて笑いました。
またジジだけでなく、犬もほしいと足をばたばたさせて泣いたこととか……
それにコキリさんがオキノさんとはじめて会ったときのこと……
「オキノさんはわたしが魔女だって知らなかったのよ。だからわかったらきらわれるんじゃないかって、しんぱいしたわ。今よりずっとそういうことが問題になる時代だったから……でもね、わたしがこわごわうちあけたとき、オキノさんたらなんていったと思う? 『ぼくの奥さんは、すごい才能の持ち主なんだね』って。それが結婚のもうしこみだったのよ。だって奥さんっていったんですもの」
「おかあさん、そういう話、どうして今までしてくれなかったの?」
キキはあまったれたように口をとがらせました。
「かくしてたの」
コキリさんは舌をぺろりっとだしました。
「ずるーい。これからはもっときかせて」
キキはコキリさんのひざをゆすりました。
「そうね、いっぱいしようね。おかあさんの思い出、話してあげるね。出会えて、生まれて……思いかえすとたのしいことばかり。でもね、すぎた日の思い出も魔法だけど、これからつくる思い出こそ魔法なのよ。キキ」
「おかあさんたら、もうだいじょうぶね。そのいいかたはすっかりもとのおかあさんだわ」
キキはコキリさんの首に両手を回してくっつきました。
「じゃがいも畑のひとりぐらしのおばあちゃんが……そのおばあちゃんがね、亡くなっただんなさんのこととってもすてきに話してくれたの。ひとりぼっちなんだけど、これでもにぎやかな思い出を持っているのよって自慢してた。その顔がとってもきれいだった。私もいい思い出つくらなくっちゃ」
キキはコキリさんの畑の枯れたくすりぐさをぬいて、土をほりかえし、来年の準備を始めました。かたまった土をていねいにほぐして、表面を平らに整えました。朝はやくおきて、見て歩くと、土のあいだにたくさん露が光っています。キキにはそのひとつひとつが畑を、そしてコキリさんを元気にしてくれるように思えました。
「キキ、ほんとうにありがとう。こんどはあなたの畑のことがしんぱいだわ」
「あーっ」
キキはとびあがりました。すっかりわすれていました。決められた十三日間の水やりはちゃんとすましたのですが、暑い日がつづいているなかで、元気に育っているでしょうか。それに立秋まであと幾日もありません。
「あっ、そうか」
キキはきゅうにさけび声をあげました。ヨモギさんのところの畑が目にうかんできたのです。
「おかあさん、わたしね、今年、畑を大きくしたのよ。もっともっとたくさんつくりたくなったの。それはとめられないくらい強い気持ちだったわ。コリコの町に夕暮れ
「まあ、そうだったの」
コキリさんの目にきゅうに涙があふれてきました。
「ねえ、おかあさん、わたし、みんな自分の力でやってるつもりだったけど……わかった。これが魔女の計算ってことね」
「そう、そうね。計算っていうけど数えられないのね。すごく大きなものなんだわ。わたしもやっとわかった気持ちよ」
コキリさんはだまって窓のそばに行き、自分の畑をじーっと眺めると、それから遠いむこうの空を見上げ、動かずに立ちつくしていました。
キキはコリコの町に帰っていきました。そしてあしたは立秋という日の午後、夕暮れ路を通って、くすりぐさの畑を見にいきました。くすりぐさは夏の光をいっぱいにすって、青々と茂っていました。キキはその前にしゃがむと草のなかにゆっくりと顔をうずめ、深く息をすいこみました。草の香りがキキの全身を包んでいきました。