「この道の さきまで ふっふふ
あしおと あわせて ふっふふ
ごいっしょ しても かまいませんか ふっふふ
とおく ひかる あの町まで ふっふふ……」
7 夕暮れ路のむこう
「この道の さきまで ふっふふ
あしおと あわせて ふっふふ
ごいっしょ しても かまいませんか ふっふふ
とおく ひかる あの町まで ふっふふ……」
キキは小声で歌をうたいながら、歩いていました。
一年ほど前、歌手のタカミ カラさんと歌の練習に来た「夕暮れ
コリコの町に来てひとりでくらしはじめてまもなくこの道を見つけると、キキはよくひとりで入り口に立って、だれにもいえないさびしさや、悩みを、道のなかにふきこむように歌をうたいました。すると見えない奥でだれかがじっときいていてくれるようで、ふしぎと気がまぎれたのでした。でも同時に自分かっての想像なのに、いると思ってるだれかさんがこわくもあって、なかなかなかにはいっていけなかったのです。けれどあのザザさんの森ですごしたキキはすこしかわりました。きょうはちょっとはいってみようと思ったのです。
キキは足音をしのばせそっと歩いていきました。歌も小声でうたっています。
キキは手を後ろにまわし、ほうきを背中にかくすようにして、進んでいきました。ジジも首をのばし、あとからついてきます。
幹の太い木がならんでいて、そのあいだをうえのほうからつたのようなつるがからみあいながら、さがっています。鳥が木のうえに落とした種が根を生やし、したにのびていくことがあるときいたことがありました。道はすこしずつ狭くなり、すこしずつ左のほうにまがっていきます。足もとで小さな虫の鳴き声がしています。しめった草のなかをのぞくと、かたつむりがゆっくりと動いています。
「見て、あの虫。ちいちゃいねえ。こんなところでひとりぐらししてるのかしら……あっ、見て、見て、ほら、木のむこう、ちょうちょが……あんなめちゃくちゃに飛ばなくってもいいのに。なに考えてると思う? あっ、またよろけて飛んでる。あっ、とかげもいた! ぬるっと光って、すらりっとすてきな姿してる。ジジ、見てる? ほらちゃんと見なさいよ」
キキは腰をかがめて、ジジにいいました。
「ちゃんと、見てるよ。なんできゅうに虫とか、とかげとかいいだすのよう。だれかさんの影響か。単純、単純。あきれちゃうね」
ジジがむっとしています。
前のほうからかすかにあたたかい風がふいてきます。さきのほうがぼーっと明るく見えます。キキはほっとして小走りに近づいていくと、ぽっかりと日のあたった草はらがあらわれました。あたりは明るいのにしーんとしています。もうないときいていた家も立っていました。うわさできいていたようなお屋敷ではなく、小さな家でした。赤茶色のかわらのうえにはびっしりと
キキはこわごわまわりを見回しました。
「プチプチ プチ」
「ツツツ ツツツ ツツツ」
鳥の声がきこえてきます。とつぜんはいってきた人のうわさでもしているようにひそひそ声です。家のまえには同じように古い木をつぎあわせたテーブルといす、そのうえにはコップをおいたまるいあとがついていました。だれか住んでいるのでしょうか。
「おじゃまさせていただきます」キキは小声でいうと、「ちょっとのあいだです……」とつづけました。それからテーブルのわきにおいてあるいすに腰かけて、空を見上げました。ジジもとなりのいすに飛び乗り、鼻をうえにむけて、すーっと息をすいました。
日はすこし西に傾きかけていました。ここは庭でしょうか、道のつづきの行きどまりなのでしょうか。お日さまの光をたくさんすった草のにおいが足もとからのぼってきます。小さな花がまざりあって咲いています。あの暗い夕暮れ路のあとに、こんな絵の具をとかしたようなしっとりと美しい景色に出会うとはなんてすばらしいのでしょう。この道のうえを飛んだことは幾度となくあったのに、夕暮れ路の暗さばかりに気をとられて、その先にぽっかりとひろがっている草の庭には目がいかなかったのでした。
「すー、ふー」
キキも背中をのばし大きく息をすいました。夏のおわりで、温度も風のふきぐあいも、すべてとても気持ちがいいのです。
「この道の さきまで ふっふふ
あしおと あわせて ふっふふ
ごいっしょ しても かまいませんか ふっふふ……」
キキは空に顔をむけたまま小声でまたうたいました。
ぎー
ドアをあける小さな音がきこえてきました。
キキがおどろいてふりむきながら立ちあがると、歳のころはおかあさんの、コキリさんぐらいでしょうか、女の人がコップを二つおぼんにのせてでてきました。コップのなかにはうす桃色の飲み物がはいっています。
「あっ、ごめんなさい。かってにはいりこんじゃって」
キキは肩をちぢめるようにしていいました。「とっても気持ちがよかったものですから」
女の人は、「いいえ」とでもいうように、細い顔をしずかに動かしました。
雲が動いたのか、光がきゅうに強さをまして、明るくなりました。女の人はまぶしそうにまばたきました。
「ここにお住まいだったのですね。だれもいないと、きいていたので……」
「ええ、ちょっと前から……ずっと外国でくらしていたんですけど。やっぱりなつかしいところにもどりたくなって……」
女の人はちらりっと家のほうを見ながらいいました。
「もしお時間がおありでしたら、ごいっしょしてくださいませんか。まあ、猫ちゃんも……あなたにはなにもなくってごめんなさい」
女の人はおぼんをテーブルにおくと、コップをさしだしました。
キキは受け取って、お日さまにすかして眺めました。
「きれいな……色」
「ゆすらうめのジュースです。あの木になってたんです。
女の人はドアのそばにある、キキの背丈ほどの木をさしました。それからキキにもすすめて、自分もいすにすわりました。
「十三年ほど、事情があって、ここをはなれていたんです。あの並木、すっかりもしゃもしゃになってしまいましたわねえ。でも幸いこの家はあまりいたんでなくって、すこしゆがんでしまいましたけど、ふふふ。ずっと南のほうの砂漠に近いところにいたんです。こちらはいいですねえ、この空気のやわらかなにおい、緑の色のやさしいこと。はやく帰ってくればよかった……あら、わたしったら、ひさしぶりに町の方とお話ししたもんですから……うれしくなって、自分のことばかりいって……さあ、どうぞめしあがって」
女の人は白髪まじりの髪を後ろになぜながら、澄んだこい灰色の目で、じっとキキを見つめました、昔はえくぼだったのでしょう、ほっぺたにこそげたような深いしわがありました。
「いただきます」
キキは細かい泡がのぼってくるコップを持ちあげ、一口飲みました。
「あー、おいしい」
やっぱりあの並木道の奥にはやさしいものがかくれていた、とキキは思いました。
「あら、そのほうき……あなたの? めずらしいのね。ラジオをさげてるのね」
女の人はいすに立てかけたほうきをめずらしそうに見ていいました。
「ええ、じつはそうなんです、わたし……」
キキがうなずくと、
「なにが?」と女の人はふしぎそうに顔をかしげました。
「あ、わたし、魔女なんです。ちょっとかわった話でしょ。四年前からこの町に住んでいます。おどろかないで、魔女って今でもいるんです。それで、ほうきが……」
「えっ」
女の人は目をまるくしました。
「ほうきでなにをなさるの?」
「空を飛んで、なにか、品物おとどけするんです」
「空を飛ぶですって……」
女の人はとっさに空を見上げました。
「あの高いとこ? じゃ、魔法つかいなの? 魔、魔法をつかえるの? 魔、魔力をお持ちなのね」
女の人の顔にみるみる血がのぼり、目が光りだし、体がのりだしてきました。
でもあんまりおどろいた自分がはずかしくなったのか、「まさかね」とつぶやくと、体をいすにしずめました。
そのかわりように、キキはあわてて首をふりました。
「いいえ、たいしたことないんです。ただの魔女です。ほうきにのって飛べるだけなんです。魔女っていっても、それしかできないんです」
「ああ、そう……飛ぶだけなの。でも、すてき」
女の人はがっかりしたのをかくすように、目をぱちぱちさせました。
「すいません。名前ばっかりおおげさで」
キキは思わず下をむきました。
「とんでもないわ。飛べるんでしょ。飛べるなんて、すばらしいわ。そりゃあ、すばらしいわ。すばらしすぎるくらいよ。あたし、奇跡ってまだあるかもしれないって……、つい思っちゃって……あっ、またへんなこといって、ごめんなさい……飛べるのも奇跡ですわよね」
「たのまれてなにかをおとどけする仕事をしているんです。せめて飛ぶことでお役に立ちながら、わたしもこの町で生きていこうと思って。仕事の名前は『魔女の宅急便』っていうんです」
「そうなの、いいお仕事ね。あなたがこの庭にはいっていらっしゃるのを窓から見て、なにかいいことありそうな気がしたんです……こんな気持ちになったのひさしぶり、ほんとうに……そうだわ、わかったわ。運んでくださったのね、いいこと。あーあ、そうだといいのだけど。いえ、きっとそうよ。いいことがやってきたのだわ」
女の人は手を握りしめて、祈るように目を空にむけました。
「こんなかわいいおじょうさんが来てくださったんですもの」
女の人のほっぺたがぽーっと赤くなりました。
「すいません。なにも、おとどけに来たんじゃなくて……ちょっと散歩のつもりで、歩いてきたんです」
キキはもうしわけなさそうにいいました。
「いいえ、あなたがここにすわってくださると、こわれかけた家に命がふきこまれたみたい。鳥までかわいい声をあげて。みんな、よろこんでいるんですよ」
女の人はまたちらりっと後ろの窓をふりかえると、まぶしそうにキキを見ました。
「あーあ、なんていい時間でしょう。ほんとうにひさしぶりだわ」
女の人は深く息をすいました。それからえんりょがちにいいました。
「ねえ、おじょうさん」
女の人はふっと言葉をとめました。
「あの、キキってよんでください。それから、あの猫、わたしの仲間です。ジジっていいます」
ジジはいつのまにか窓の細い枠のうえに乗って、すましてすわっていました。
「まあ、ふたりともかわいいお名前ね。わたしはヨモギってもうします。よろしく」
女の人はひざに両手をそろえてていねいにおじぎをしました。
「あのー、キキさん、おねがいしてもいいかしら。おひまなときでいいの、ここにときどきいらしてくださらない? おねがいできれば、お天気のよい日のほうがいいわ。光がきれいですもの。わたしとお茶をいかがかしら? そう、そのほうきであなたを運んでくださいな。ジジちゃんもいっしょにね」
ジジは返事をするように、窓からとびおりて走ってきました。
「おいそがしいかしら……?」ヨモギさんはキキを見ました。
「いいえ、うれしいわ。わたし、ひとりぐらしですから……たのしみになります。ここ、ぽっかりしていて生まれたての景色みたいなんですもの。なんだかとってもたいせつな場所に思えるんです」
キキはいいました。
「生まれたての景色……なんてうれしいいいかたでしょう」
ヨモギさんは持っていたお盆を抱きしめました。
じゃ、また会いましょうと約束して、キキが帰りがけ、なにげなくふりかえると、来たときはみんなしまっていたよろい戸がいつのまにか一つだけ、半分あいて、きれいにみがかれたガラス窓にレースのカーテンがふんわりとかかっているのが見えました。
それから一週間ほどたった、お天気のいい日、キキはまたヨモギさんを訪ねていきました。夕暮れ
「飛んでいくなら、空を飛んで、さーっと景気よくおりていけばいいのに」
「そうねえ、どうしてかなあ。あそこの庭ってふしぎなの、この道を通らないといけないような気がするの」
トンネルをぬけると、キキはまるい庭の周囲をゆっくり飛んで、地面におりました。
「ねえ、ジジ、やっぱりここは特別のとこに思えるわ。空気が、あったかいのと、つめたいののまんなかみたいな……」
「うん、ぽっかりまんなかって、ぼくも感じる」
「ジジのそのいいかた、ぴったり」
きょうは窓のよろい戸が全部あいていて、ガラス窓のむこうにはカーテンがさがっていました。するとそのひとつのカーテンがすーっとゆれて、またもとにもどりました。
「ごめんください、キキです」
「お待ちしてましたよ」
ドアがあいて、ヨモギさんがエプロンで手を
ほんのりあまい香りもただよってきます。
「きょうは来てくださるって、そういってたの……お菓子を焼きました。さ、おすわりになって。そうだわ、キキさんはテーブルのむこう側に、こっちをむいてね。ジジちゃんはおとなりに。そう、そう、これでよく見えます」
ヨモギさんはこの前とはちがってすこし早口にいいました。いろいろ考えてキキを待っていたようでした。
ヨモギさんはいそいで家のなかにもどると、おぼんを抱えてでてきました。この前と同じゆすらうめのジュースと、まるくごろんとした形の焼き菓子がお皿のうえにのっていました。
「おもしろい形のお菓子でしょ」
ヨモギさんはいすにすわりながらいいました。
「キキさんに見せたくってつくったの。わたしのいた砂漠のお菓子よ。あそこの土の色そっくりなの。お祭りのときなんかにつくるんです」
ヨモギさんはキキの手に一つぽんとのせてくれました。
「力を入れてかじってね。お行儀わるくっていいのよ」
キキは両手で持って、かじりつきました。粉がぱらぱらとこぼれて落ちました。
「へんなお菓子でしょ。でもだんだんいいお味になっていくの」
「ほんと、おいしい」
キキは粉が飛びださないように口をおさえました。
「かたそうでいて、とけていくの、砂漠って、そういうとこなの」
「遠いんでしょうね」
「ええ、星くず群島のずっとずっとさき……大きな大陸のまんなかにあるのよ。何日も船で行くんですよ。近づくと、海の色がとってもこくなって黒く見えるほどよ。暑い、暑いとこですから、それは日差しが強いのね。それも一年中ね。空気もからからに乾いて。そう、あちらはなにもかもはっきり二つに分かれているんです。とってもはっきり……日の光と影にね。毎日、光と影が戦っているみたい。こことはだいぶちがうの」
ヨモギさんは「分かれている」といったとき、手で空気を二つに切るようなしぐさをしました。
「夜になるとね、空には星がいっぱい! 雨どころか、雲まで、一年のうち何度もあらわれませんからね。星はね、まるで空に穴があいたように見えるんですよ。ここみたいにちらちらとまたたかないの。動かないでじっと地上をのぞいているの。なにかかくしてもすぐ見つけられそう。そんなふうにはっきりしてるのがいいと思えるときもあるんですけど……でもこっちも強くないとね、まけそうになっちゃうの。でもわたしの生まれ故郷なんです。あら、わたしったら、またまた自分のことばかりおしゃべりして……」
ヨモギさんははずかしそうに笑いました。
「わたしの生まれたとこは、コリコの町よりずっと小さな町なんです。お星さまは見られるっていうより、こっちから見上げるものだわ。そんなときいうおまじない、わたし、つくったんです。『いいこと ありそな、いいこと ありそな』って、うたうようにいうんです」
キキはコリコの町の夜よりずっと暗い子どものときの空を思いだしていました。
「まあ、そうなの! わたし、あなたとはじめてお会いしたとき、ふしぎね、いいことありそう、って思ったんですよ。あなたのおまじないが伝わったのかしら……たしかにいいことありましたよ。お友だちになれたんですものね。わたし、これから毎日、その言葉、となえることにするわ。なんだかとってもうれしいわ」
ヨモギさんの目にうっすらと涙がうかんできました。
「言葉ってすてきね。それも魔女さんの言葉ですもの。きっと魔法があるのよ、きっと」
「いいえ、とんでもないわ。わたし、弱虫になったとき、おまじないするんです。べそをかくかわりです……魔法なんて……」
「そうかもしれないわ。魔法はきっと弱虫の味方なのよ、……それもうれしいわ」
ヨモギさんはキキを見つめて、何度もうなずきました。
「あら、ジジったら」
キキは窓のほうに顔をむけました。いつの間にかジジは窓のそばにいってなかをのぞいています。
「ごちそうさまでした。おいしかったわ。ジジ、もうそろそろ失礼しましょうね」
キキは立ちあがりました。
「また、いらしてね、待ってるわ」
ヨモギさんも追いかけるように立ちあがると、「待ってるわ」という言葉に力を入れてもう一度いいました。
「ええ、ぜひ、おじゃまさせていただきます。たのしみ、とっても」
キキはほうきを手に持ち、またがると、ふーっとすこしうきあがりました。ジジが走ってきて、房にしがみつきました。
「おや、まあ!」
立ちかけていたヨモギさんはびっくりして、またいすにすわりこみました。
「ほ、ほんとうに、飛ぶのね」
「でも、わたしの魔法はほんとうにこれだけなの。じゃ、さよなら、またうかがいます」
キキは手をふりながら、夕暮れ路のトンネル並木のなかにはいっていきました。
「ねえ、ねえ、キキ」
すぐジジがキキの肩までのぼってきていいました。
「ヨモギさんのうちにだれかいたよ」
「そう、やっぱり……」
「知ってたの?」
「ううん。そうじゃないかなって思ったの。お年寄りでしょ?」
「ううーん、ちがうみたい……でもなかは暗くって、よく見えなかった。影みたいにしか……」
ジジはすこしふるえたような声でいいました。
きのうからの雨もやっと朝のうちにやんだので、キキはまたヨモギさんを訪ねようと、夕暮れ
「なんだかさあ、この道、きょう、へんだよ。重たい感じがするけど」
ジジが上目づかいに見回しながらいいました。
「なに、それ?」
キキもあたりを見回しました。
わずか十日ほどのあいだに、なにか感じがかわっています。並木の葉はいっそうこい緑色に茂って、そのあいだをやどり木がぼってりと埋めています。
「ヂヂヂヂ」
するどい声がしてはっぱがゆれました。するとまたむこうでも「ヂヂヂヂ」、せみです。それを合図のようにして、ほうぼうから鳴き声がわきあがりました。
「うるさいなあ、耳がわんわんしちゃうよ」
ジジが前足で耳を抱えこみました。
「ほら、地面にこんなにたくさん穴があいてる。せみが生まれてきた穴よ。ほら、ここにも」
キキはほうきで落ち葉をはらいながらいいました。
「せみってながーいこと、この穴のなかで生まれるの待っているんですって。だから今は生まれてうれしくって、大さわぎしてるのね」
やっとトンネルのさきがぼーっと明るく見えてきました。
「ああ、よかった。体が湿っぽくなっちゃったよ」
ジジはしっぽをぱたぱたさせて、走っていきました。つづいて草の庭にでていこうとして、ジジはぴたりと足をとめました。キキも立ちどまりました。やっぱりなにかがちがうのです。ぽっかりとあいた明るい光のあふれた空き地だったのに、きょうはみょうに白っぽく、しーんとしています。家の窓もぴっちりとよろい戸がしまっていて、木のテーブルといすはのびた草で少し足もとがかくれていました。あれから訪ねて来るたびに、待っていたようにヨモギさんが足早にでてきてくれました。でもきょうはその気配がありません。
「ヨモギさん、こんにちは」
キキは家のほうをのぞきこんでいいました。返事がありません。
「ちょっとすわらせていただきますね」
キキは小声でいうと、いすにすわり、じっと目のまえの木立を見つめました。でも気になってちろちろっと家のほうに目がいってしまいます。
ジジも
きゅうに部屋のなかが、明るくなりました。太陽がうすい雲から顔をだし、キキの後ろからすき間をぬうようにして、部屋のなかを明るくうきあがらせたのでした。いすのわきに小さなテーブルがあり、絵の具とパレットがおいてあります。そしてこっちに背をむけるようにして、三脚にのった絵が見えました。
「ねえ、キキ、ここになにか書いてあるよ」
ジジが窓枠に飛び乗っていいました。
背のびして見ると、ちょうど目の高さのところに、「キキへ、おして」とナイフで彫ってありました。彫ってからそんなに時間はたっていないようです。けずったあとが白く見えました。
「おしてって……ここをかしら」
キキは窓のよろい戸に手をあて力を入れました。すると、どこかおさえがはずれたのか、よろい戸がゆらりと動き、ガラスの窓がむこう側にすっとひらいていきました。
キキが顔を入れてのぞくと、部屋全体が見えました。すぐ横にはむきだしのベッドがあり、そのうえに「キキさんへ」とかかれた封筒がおいてありました。
キキは手をのばしました。でもとどきません。
ジジがかわりにするりと部屋におりていきました。そして手紙をくわえて、でてきました。手紙にはこう書かれてありました。
「キキさん、三脚のうえの絵をもらってやってください。いきなりこんなことをいっておどかしてごめんなさいね。これは絵描きだったわたしの息子が描いたさいごの絵です。この絵を描いているあいだの一ヶ月はほんとうなら存在しない時間でした。この時間はまさにわたしたちにとっておくりものだったのです。息子の生涯と同じぐらいすばらしいおくりものでした。美しい光に包まれた時間でした。この光あふれる庭で、あなたというわかいおじょうさんに会い、息子はもうないと思っていた時間を取りもどしたのです。『もう一枚、描きたいなあ』と息子はもうしました。そして描きおわったとき、『あーあ生きていてよかったなあ』としみじみもうしました。とても穏やかな顔をしておりました。その三日後、息子はここから旅立ちました。わたしもここの思い出だけをそっと持ってでていきます。砂漠の家もそのままにしてきてしまいましたので、一応帰ることにいたしました。心のよゆうもなく、あなたにお知らせもできないで失礼します。またいつかどこかで、ゆすらうめのジュースをごいっしょしましょうね。いろいろわたしたちのこと、お話しすればよかったかもしれませんね。でもお話ししないことも、たくさんお話ししたことかもしれないと思いました。キキさん、ありがとう。とても悲しいことでした。でも、そのなかで、『いいこと ありそな……』というおまじないはたしかにききましたよ。いすのうえに布地がおいてあります。どうぞ絵を包んでお持ちください。 ヨモギ」
キキは窓を乗り越えて、なかにはいると、じっと絵を見ました。それはテーブルをかこんですわっているヨモギさんとキキといすのうえでまるくなって寝ているジジを描いた絵でした。いつもごちそうになったゆすらうめのジュースもあります。まわりの木々は夏のおわりの光をあびてはじけるように光っています。ヨモギさんが笑っています。キキも笑っています。両手で抱けるほどの小さな絵なのに、そこから光が生まれてでもいるようにかがやいていました。
「あなたを運んでください」とヨモギさんがいいました。いわれたとおり、お天気のいい日をえらんで、訪ねて、町のことやら、おいしいものの話をしただけでした。それをじっと見て絵を描いていた人がいたのです。キキは絵に目を近づけました。すみに「センタ」、それから「ありがとう」とくっつくように小さく書かれていました。
キキはだまって絵を包みました。ジジも察したのか、なにも話しかけてきません。キキは外にでて、もとどおり窓をしめました。
空気がつめたくなっていました。あたりもうす暗く感じられ、木もいっそう黒くかたまりのように見えます。光はすべてこの絵のなかにはいってしまったようでした。キキとジジはじっと家を見てから、夕暮れ
「あっ」
ジジが声をあげました。見ると、草がうずにでも巻き込まれたようにまるくたおれています。それはだれかが風をおこし、くるくると回りながら地のなかにはいっていったようでした。ジジは飛びつくように走っていくと、鼻をこすりつけました。
「入り口みたいだね」
ジジがいいました。
キキはじっと立ってかすかにうなずきながら見つめていました。それから抱えていた絵を強く胸におしつけると、
「さ、いこう」と、いって、夕暮れ路のなかにはいっていきました。