6 キキ、雨傘山へ
とんぼさんから手紙が来ました。
「キキ、元気?
ぼくはこの雨傘山に来て、ほんとうによかったと思っています。このあいだキキに手紙をだすためにお店やさんまでおりていったら、おばさんが、『あんた、よくあんな山にひとりでいるねえ。夜、こわくないの?』っていうんだ。
夜はぼくだってとってもこわい。ちょっとはずかしいけど、こわいなんてもんじゃないよ、ぶるぶるさ。この歳になるまで、ぼくはいつもだれかといっしょだったもの。それとくらべてキキはすごいと思うよ。十三のときにコリコの町に来て、なにもかもひとりで始めたんだものね。弱虫のぼくは日が暮れると、こそこそテントにもぐりこみ、寝袋に顔をうずめて、寝てしまうことにしてたんだ。とんぼは夜は飛ばないんだよなんて、いいわけをいってさ。山ってしずかだと思うでしょ、でも昼間はとってもにぎやかなんだよ。たくさんの音がきこえる。風が空のうえを通りすぎる音や、はっぱのあいだをすりぬける音。木の枝が折れたり、はっぱがちる音や、しずかな日は花が咲く音まで聞こえる。もちろんさまざまな生き物のたてる音も。食べる音とか、あくびらしいかわいい音までもね。でもにぎやかなのはそれだけじゃない。この山のものはみんなが呼吸をしてるんだよ。すったり、はいたり。それは動かない石だって、地面だって……その、音ではない音が感じられるんだ。ひとりでいるとね、体におしよせてくるのが感じられるんだ。そのなかにぼくもはいって息をしてると思うと、なんだかわくわくしてくる!
でもやっぱりこれじゃこの山とは半分しか出会っていないよね。夜をこわがってちゃ影法師がない人みたいじゃないか。そこで、とんぼは一大決心。おばさんにいわれた日の夜、寝ないでおきていようと思ったんだ」
キキは手紙から目をあげ、「とんぼさんたらおんなじこと……」とつぶやくと、また手紙を読みつづけました。
「だんだんと日が暮れてきた。するとなんてことだ。昼間は晴れていたのに、夕方から雲がわいて、厚ぼったくぼってりと山のうえにいすわってしまったんだ。月も、もちろん星も見えない、まっくら。ぼくは勇気をだして山を歩きまわるつもりだったんだけど、テントからすこし歩いたところで、もうどこにいるんだかわからなくなった。見えるはずのナルナの町の明かりさえ見えない。これでは方向もわからない。ぼくはすわりこんだ。こわくて顔だけきょときょと動かしていた。緊張の極致さ。すると暗闇がじわじわっとよってきて、ぼくをひっぱりこもうとしているような気がする。ぼくはこわくて顔をふせ、なるべく暗いなかにいるこわいやつたちに気がつかれないように体をちぢめてじっとしていた。すると、するとだよ、山は昼間よりもっとにぎやかだったんだ。みんなの息が強くきこえる。それがぼくの体にもひびいてくる。『いったいこれはなんなんだ!』ってぼくは思った。ほら、ぼくはいつでも理由を知りたがって、どうして、どうしてっていいつづけてきたものね。それでキキのこともどうして飛ぶんだって、そのわけが知りたくって、いつもさぐっていた。キキが飛ぶのをそのまま認めるのは、自分をばかだって認めるようで、なかなかむずかしかったんだ。キキがコリコの町に来たとき、ぼくはほうきを盗んでこわしてしまったよね。あのときキキがいった。
〝ほうきが飛ぶんではなく、魔女の血が飛ぶんです〟って。これにはまいったよ。頭でいくら考えても、それをぶっとばすような力がこの世に存在するなんて。あのときのぼくにはまったく理解できないことだった。キキはふしぎを持って生まれてる、ぼくとはぜんぜんちがう特別な人なんだと思った。あこがれもあったけど、なにかくやしくって、競争するような気持ちになって……まけてたまるかなんてね。
でもこの山の暗い闇のなかでじっとしていて、山のものたちの深い息をいっしょに感じてたら、『どうして?』って、いくらいっても、答えはでてこないことがある……それがあたりまえのことなのかもしれない。つまりこの世界は『エッ』ていうものだらけなんだよ。そう、魔女の血のようにね。そしたら、こわいのがすーっととんで、まっくらな山のなかが、おもしろくなってきたんだ。なんだかわからないけど、わくわくしてきた。わからないものがいっぱいあるってたのしいなって。すると気持ちが自由になってね、ずっと抱えていたもやもやとくやしい気持ちも消えていった。ぼくにもわからないものはいっぱいある、もしかしたらふしぎな血もあるかもしれないじゃないかって思えたんだ。キキのように空を飛んで、宙返りはできないけど、ぼくもどこかで宙返りができる人なんだ、たぶん……いや、きっと。そう。だいじょうぶって! だんだんうれしくなってきた!
ねえ、キキ、ぼくも君と同じ世界に生きているんだよね! そうなんだ!
暗闇のなにも見えないなかで、かえって自分がよく見えてきたような気がした。これはすてきな気持ちだったよ。この山がぼくに教えてくれたんだね。何年もあせっていたぼくの気持ちがやっとおちついてきた。そしてはじめて心の底からキキの全部がすきだと思えた。魔女のキキも、キキの魔法もすきだよ」
キキは手紙から目をそらして、ぼーっと立ちすくんでいました。キキの目がうるんでいます。手に持っている手紙が細かくふるえています。とんぼさんの手紙はまだつづいていました。
「ぼくはそのまま寝てしまったらしい。さむいので目がさめたら、山は夜明けを迎えていた。お日さまがキキのいるコリコの町のほうからのぼってきた。するとぴちんぴちんとどこかで音がする。見ると、なんのはっぱだろう、あそんでいるようにそこらじゅうを飛んでいる。ぼくはとびあがって、つかまえた。朝の光にすかしてみると、それはぼくがつくる竹とんぼににた形をしていて、まんなかに小さな種がついている。今生まれたばかりの種らしい。これからどこかに飛んでいって生きるんだ。キキが飛んでコリコの町に来たように。ぼくは一つをすぃーと、おすように飛ばしてみた。飛ぶ飛ぶ、あわててるみたいに飛んでいく。小さな体のなかに雨傘山のみんなの息をつめて飛んでいく。あんな小さくってもふしぎをいっぱい抱えてるんだ。すごーい、すごいよね、感激。ぼくも飛ばなきゃ。
とってもうれしい朝を迎えた、とんぼより」
キキは手紙から目をあげると、はねるように窓に近づき、つま先立ちになって、遠くの空を見ました。こっちもうれしい朝なのでした。するとキキが握っていた封筒からぱらりとうすいはっぱのようなものが落ちました。手紙に書かれていた種のようです。キキは指にはさんで、しばらくじっと見ると、思いきったように窓からすぃーと飛ばしました。種は一瞬キキのほうにもどりかけ、でも空気の流れに乗ると、きゅうに高く舞い上がり、くすりぐさの畑のむこうに飛んでいきました。
「あれ、行っちゃった。もどってこない……」
キキはうろうろと種の消えたほうに目を動かしました。
それからキキは目をかがやかせて、つぶやきました。
「うん、そうだわ、飛ぶんだわ、飛んでいくんだわ」
しばらくしてキキはとつぜんジジに声をかけました。
「きょうはわるいけどお休みにさせてもらうわ。わたし、でかけたいの。お留守番、おねがいします」
「えーっ?」
ベッドのしたからジジのおどろいている声がきこえてきました。
キキはそれには返事をしないで、飛ぶようにして鏡にむかうと、ぴんとアイロンをかけておいた、リボンを頭につけました。それからずっと前にとんぼさんからもらったポシェットを肩にさげました。
「行ってきまーす」とキキは大きな声をあげ、すばやくほうきに乗って家の前から飛びあがりました。ぐいぐいと空高くのぼっていきます。キキの姿はみるみる小さくなっていきました。
戸口に走りでてきたジジがどうしちゃったのというように、口をぽかんとあけて見上げていました。
キキは毎日のように地図を見て知っていたとんぼさんのいるナルナの町の方向、西にむかって飛びつづけました。山を三つほど越すと、大晦日に指きりげんまんする町の時計台が見えてきました。コリコの町のマラソン大会とちがって、年越しの鐘を合図に、来年も仲よくねって、指きりげんまんをする町です。
空のうえのほうは思ったより風が強くふいていました。夏のおわりを感じさせるからりと乾いた風でした。キキの髪の毛がさらさら、さらさらと音をさせながら後ろに流れていきます。
やがてとんぼさんが書いてくれた地図そっくりの町が見えてきました。見回すと、平らな土地のうえにすわりこんでいるような雨傘山も見えます。近づくとてっぺんに一本高い木がそびえ、あとはまあるくもりあがって傘にそっくりな形をしていました。想像したよりずっと大きく見えます。キキはうれしくって思いっきり力を入れ、一回宙返りをすると、そのままいっきに近づいていきました。でもはっきりと見えてきた山はびっしり木におおわれていて、どこからおりられるのか、どこにとんぼさんがいるのかもわかりません。
キキはしっかりとほうきを握り、まず山のてっぺんに突き出ている木のうえを目ざして、ゆっくりおりていきました。それから足をのばして突き出ている木のうえに乗せようとしました。でも何度やっても木はゆらりとゆれて、受けとめてくれません。キキは両足に力を入れ、枝にまたがろうとしました。でも力を入れた分大きくよろけて、声をあげる間もなく下に茂っている木のうえをぽんぽんとはずんで、転がっていきました。ほうきの柄を握りしめているのがせいいっぱいです。とめようもありません。
すると、どこかで、チリリン、チリリンと音がします。
「あっ、あの音!」
キキの体がぎくりと動きました。それはわすれようとしても、わすれられない音でした。キキが小さいとき、飛ぶ練習のために町の木に結びつけられていた、あの鈴の音でした。ついついよそ見をしてしまって、落ちそうになり、足をひっかけてよく鳴らしたのです。町の人はちいちゃなキキの鈴とよんでいました。キキがコリコの町で一年間魔女の修行をして、自分の町にもどったあと、やっぱりまたコリコの町で生きていこうと心に決めたとき、その鈴のひとつをとんぼさんへおみやげに持ってきたのでした。それをとんぼさんは雨傘山の木につるしていたのです。そして今キキはその鈴をまた鳴らしたのでした。
「わたしの鈴!」
キキの胸はうれしくっておどるようでした。でもキキの体のほうもものすごいおどりようです。あっちの木にぶつかり、こっちの木にぶつかり、転げるように落ちていきます。
「キキ、キキ」
おどろいているとんぼさんの声が、したのほうからきこえてきました。
「あっ、あた、あたし、あっ、助けて」
キキはあわてて手も足もばたばた動かしました。そのいきおいで木の枝につっかかりバリバリと大きな音を鳴らして落ちていきました。
「こっち、こっち」
とんぼさんが走ってきて、手をあげています。そのほうに気をとられたとたんキキは太い枝にぶつかって、ぼーんとはずんで、ちょうど走ってきたとんぼさんにしがみつきました。ふたりはそのままごろごろと転げ、太い木の幹にぶつかってとまりました。それからふたりは地面にぺたんとすわると、はあ、はあと息をつきました。声をだすどころではありません。やっととんぼさんがとぎれとぎれにいいました。
「ふうふう、よ、よく、来たね」
「うん、うん」
キキも言葉にならない声をだしながら、ただただうなずくばかりです。すこし息がしずかになって、すわりなおしたキキは自分の姿を見てどきりとしました。袖が破れています。腕も、足もきずだらけです。おしゃれしたつもりのリボンはとけて、肩にだらしなくさがっていました。たいせつにさげてきたポシェットは首のまわりにからまっています。
きっとすりむいたのでしょう。右のほっぺたがひりひり、これではきっとすごい顔になっていることでしょう。キキはとなりにすわっているとんぼさんを見ました。とんぼさんもまけずおとらず泥と枯れ葉だらけです。
「くくく」
キキは笑いだしました。
「わたし、もっとかっこうよく来るはずだったのに……くくく」
「おかしいね、最初に会ったときもぼく、転げたけど、またこんどもだ……くくく……でもぼく、うれしいよ、来てくれて。キキにこの山、とっても見せたかったんだ。とってもね」
とんぼさんはズボンのごみをパンパンとはたきながら立ちあがると、かるくおじぎをして、おどけた顔でいいました。
「それでは、これよりぼくの山荘にご案内しましょう」
とんぼさんはキキの手をとると、さきに立って歩きはじめました。キキはほっぺたをハンカチでこすりながらついていきました。
とんぼさんのテントは大きな木にすっぽりとかこまれていました。それは雨傘山のなかの雨傘のようでした。
「お茶を飲もうと思ってたところだったんだよ。そしたらおきゃくさまが空からふってきた」
とんぼさんは笑いながら、キャンプ用のコンロに火をつけ、小さなおなべをかけました。キキは地上にもりあがっている木の根に腰かけてまわりを見回しました。手紙に書いてあったようにとんぼさんの山ぐらしは工夫がいっぱいです。うえのほうの枝にはリュックや袋がさがり、したの枝にはタオルがさがっていました。木の幹のくぼみには野の花までさしてありました。
「ここにはお茶の木もあるんだよ。ちぎって、干してつくったんだ。案外おいしいよ」
とんぼさんはぱらぱらと茶色のはっぱを入れると、火をとめました。お茶はしぶく、でもほのかな甘みもありました。
「キキ、ちょうどいいときに来たよ。ぼくの友だちがもうすぐ訪ねてくるんだ。こっちに来て」
とんぼさんは枝をよけて、小さくあいた日のあたる場所にでていきました。それからぺたんと腹ばいになるといいました。
「キキも同じようにして。そしてじっと、しずかに待つんだ」
キキはならんで腹ばいになると、とんぼさんのまねをしてひじを立て、顔をのせました。小さなちょうちょが追いかけっこするように飛んできて、またむこうに消えていきました。
「ほらほら、来たよ、来た来た」
とんぼさんが小声でいいました。キキが目をあげると、赤とんぼです。すーっと飛んできて、くるりとまわり、またくるりとまわると、こっちに顔をあわせるようにしてとまりました。ゆっくり羽がさがっていきます。
「このところ毎日来るんだよ。同じ時間にね。ぼく、かってに友だちになったつもり……」
とんぼさんがにこっと笑いました。
「赤いスカートはいたおやせさんね」
キキも小さい声でいいました。
「顔をのばしてのぞいてごらん。目のなかにキキがうつるよ」
キキは目をのぞきこみました。ガラスの粒をよせ集めたような、その目のなかに黒いてんてんがいくつも見えます。
「ね、キキがたくさんいるでしょ」とんぼさんものぞきこみました。
すぐそばにとんぼさんの横顔があります。
「アカミちゃんって名前どう?」
キキはそのほほに自分のほほを近づけてささやくようにいいました。
「うん、ぴったり!」
とんぼさんはキキに顔をむけ、じっと見つめました。
しばらくするとアカミちゃんはとつぜん飛びあがりました。ふたりは同時に顔を上げアカミちゃんを目で追いかけました。
「この飛びあがるとき、いつもいっしょに飛んでる気持ちになるんだ」
とんぼさんがいいました。
「あの鈴、つるしてくれたのね」
キキは遠くの木の枝を見上げました。
「うん、できるだけ高いところにつるそうと思ったんだ。ときどき鳴ると、あっ、キキが来たって思った……たいていは鳥だったけど。鳥もびっくりして、あわてたりしてるのが、おかしかったよ。でもきょうはぼくがびっくり!」
とんぼさんはおどけたように目をまるくしながら、ちょっと照れてしたをむきました。
うすいもやが山のすそからのぼってきました。ぼーっとかすんだナルナの町が見えます。いつの間にかふたりは手をかたく握り合って立っていました。そのふたりを白いもやが包んでいきます。まわりの木も、草も、うすい布のむこうにかくれているように見えます。みんなふたりにえんりょして、姿をかくそうとしているようでした。
「風のない日の夕方はいつもこうなんだ。ほら、かすかに緑の屋根がむこうに見えるだろ、あそこがぼくの学校さ」
「わたし、ナルナの町も見たし、とんぼさんの学校も見たし、山荘まで見ちゃったもん。夢みたい」
キキは顔をとんぼさんに近づけてささやきました。
「きょうは、うれしかった! 最高だわ! ほんとうに最高! わたしもね、まっくらな森にはいりこんじゃったんだけど、でてこられたのよ……とんぼさんと同じ気持ちになって……」
するととんぼさんの手がキキの肩に回り、唇が、やさしい風のようにゆっくりとキキの口にふれてはなれていきました。
キキの体のなかをびーんと光が走っていきました。その目は大きくひらいて、まばたきもせずにとんぼさんを見つめています。とんぼさんも棒のように立ったまま、キキを見ています。とつぜんキキの胸が大きく鳴りだしました。その音はしっかり握った手を通して、とんぼさんに伝わっていきました。どっちの胸のひびきか、どっちの手のあたたかさか、手と手のあいだから、しずかにふたりの気持ちがとけ合っていくようでした。
キキはとんぼさんの胸に顔をよせ、もうだいじょうぶ、と思いました。
キキはアカミちゃんのくる小さな草地から飛びあがりました。
「さよなら、またね」
「うん、またね」
キキは手をふりながら、くるくるっと山のうえをまわると、風に乗りいっきに空高くのぼっていきました。
とんぼさんは近くの木の枝にぴょーんと飛びつき、つぎの枝にまた飛び乗って立ちあがると、両手を大きくふりました。
キキはそのまままっすぐに、高く高くのぼり、いつまでもいつまでもとんぼさんに手をふりつづけました。やがてナルナの町も、雨傘山も、とんぼさんもうすい紫色の霧におおわれていきました。キキはもう一度「またね」と大きくさけぶと、コリコの町のほうにむきをかえて飛びはじめました。