2 とんぼさんからの手紙
とんぼさんから手紙が来ました。
「キキ、お元気ですか? ごぶさたしました。
ぼくは今雨傘山の中腹にいます。あの日ぼくが学校を出発し、雨傘山にむかったのは朝の六時。ナルナの町をすぎると、まわりは畑になり、それもすぎると、道は山のすそを回る細い道に突きあたります。どうもそこが山の入り口らしいのです。幹にうろがあいているような古い木が腰をかがめたように一本生えていて、枝が地面にはうように低くのびています。風にゆれると、『おいで、おいで』と手招きしているみたいでした。ぼくはその木のしたの草をかき分け、用心しながら一歩、二歩とのぼりはじめました。草のむこうからなにがでてくるかわからない。ちょっぴりこわい。考えてみると、おかしいよね。なにと出会えるかわからない、それがたのしみで、ここにきたのにね。ぼくの胸はばくばくとさわがしく鳴りつづけた。はずかしいけどこの歳まで、こんなふうにひとりぽっちになるなんてはじめてだったから。すこし進むと、木や草がかすかに左右に分かれている道らしいものも見つかったので、そこをたどって進むことにした。最初にぼくがしたことは、ぼくの肩の高さぐらいの枝を一本ナイフで切って、いただくことだった。このなかを歩くとしたらどうしても必要な道具に思えたんだ。一本の棒っていろいろはたらいてくれるよ。のぼるとき杖になるし、草をかき分ける道具になるし、場合によっては物差しにもなる。ただの棒だけどパワーがあるのさ」
「棒だって……一本の棒だって……」
キキはふりかえって、棒をわきにおいて、戸口にすわっているヤアくんを見ました。そんなキキに、なんの用? とでもいうように、ヤアくんはにこっと笑いかけてきます。キキはうなずいて、また手紙を読み進めました。
「空では太陽がぐるぐる回ってるみたいに光ってた。
のぼるにつれて、遠くの景色が見えてきた。ナルナの町、学校、駅、線路のさきにトンネルも見える。まるで絵地図のうえにいるようだ。これはちょっといい気分。飛んでるときのキキはいつもこんな景色を見てるのかな……この山にしばらくいるつもりだから、夕暮れまでにぼくの陣地になるような場所を見つけなければと歩き回った。体が横になれるぐらいの平らな場所で、なるべく木のしたがいい。ぼくはさっきつくった棒で草をはらいながらさがして歩いた。すると頂上よりだいぶさがったところに、なかなかよさそうなところが見つかったんだ。大きな木の太い幹からのびる根っこは、もりあがるように地上をはっていて、それがさきのほうでつながって比較的平らな地面をかこっていた。船の底みたいな形といったらいいかな。枝も低くのびて、なにかをつるすのによさそうだった。ぼくはほっとした。さっそくまわりの草を刈って、テントをはり、寝袋をひろげ、リュックのなかのものをならべ、着がえを入れた袋を枝につるした。となりにもうちょっと小型の船底を見つけたので、そこで食事をつくることに。すこしくだると、石のあいだから水がちょろちょろ湧いているところも見つかって、ありがたいことにこれでなにもかもそろった。まるではじめて山ぐらしをするぼくを歓迎しているようじゃないか。こう書くとかんたんなように見えるけど、見つかるまではたいへんだったよ。こんなとこがあるといいなと思うと、見つからないし、ああこれはとてもむりだと思うと、思いもかけずいいものを見つけたり……その連続。かくれんぼの鬼みたいな気分。山のなかってふしぎなんだよね。
山をおりて、二キロほどもどれば、小さな店もあるから、そこで食料も買えるし、ポストもあったから手紙もだせる。ここに当分いられそうな気がしてきた。ぼくはほっとして気持ちがおちついてきた。
まずテントにはいって、あおむけに寝ころがってみる。枝とはっぱが重なり合って、そのあいだからぽっかりとまるい空が見えた。
『ぴゅーぴるー』
空の高いところでとんびが翼を突っ張るようにひろげて、飛んでいた。なんていい気持ちなんだろう。じっと、じっと見ていたら、空がまったくちがう空に見えてきた。今までのは空なんだけど、今見てる空は世界なんだ。その世界のなかにぼくがいる。そしてぼくのなかにも空色の世界がはいってくるようだ。思わず空に手をかざしてみてしまったよ」
キキは手紙から目をはなして、上目づかいにどこかをぶーっとにらんでひとりごとをいいました。
「ふーん、なにもかもそろってるのね。たのしいのね。満足なんだ……」
手紙はまだつづいています。
「すると、そばでかさりと音がした。体のむきをかえて、顔をあげると、目のさき三十センチぐらいのところの石のうえからトカゲがじっとぼくを見ていた。そこだけスポットライトのように日があたっている。細くするりとのびた体に黒い目が光っている。小さな四本の足が石のうえでふんばっていた。ぼくは息をとめ、じっとしていた。むこうもぴたりと動かない。まばたきもせずにこっちを見ている。ぼくはとうとう苦しくなって、わからないようにそっと息をついた。そのとたんこっちの動きが伝わったのか、黒い目はくるんとむこうをむいて、細いしっぽをするりとくねらせ、あっという間に消えてしまった。あとには草が小さな生き物と同じように小さくゆれていた。ものすごく優雅な姿だった。ぼくがいて、むこうもきっとおどろいたんだ。あの目は警戒してるというより、あたらしくあらわれたぼくに興味しんしんっていう感じだったもの。なんだか仲間に入れてもらった気分でうれしい。
それからというもの毎日なにかしらあらわれる。きのうなんか、ぼくが懐中電灯を消して、寝ようとしたら、すぐ顔の横のテントにヤモリがぺったりと張り付いている影が見えた。木の枝をぬって月の明かりがさしていたんだね」
「あら、やだ、ふしぎ、棒のつぎは、ヤモリだって……そこも、へんな国っていうつもり?」
キキは目をまるくし、しばらくじっと考えていました。それからまた手紙に目をむけました。
「ヤモリはね、チチチなんてささやくように鳴くんだ。それはぼくに小声でないしょ話をしているみたいだった。ぼくは思わず『やあ』なんて返事をしてしまったよ。話し相手なんてずっとなかったからね。そのあとすぐ小さな体はぱっと横に飛んで消えた。すばやいんだ。ぼくなんて山にはいってから、毎日おたおたすごしているから、きっとあの小さな口やほっぺたを動かして笑われてるかもしれない。
こんな生き物が入れかわり、立ちかわりあらわれる。だからぼくの目はいつもとってもいそがしい。
いそがしいことはもっとあるよ。なんだと思う?
それは料理。ごはんづくりさ。山にはいるとき持ってきた食料はすぐなくなっちゃったから、山をおりて、しばらく歩くと店があるからきょうそこでお米と、塩を買ってきたんだ。そのふたつだけだよ。あとは自然の神様からもらってる。感謝! 山に生えている草や、実、それからはっぱ、おいしいのがいっぱいあるよ。でも用心しなければならない。特にきのこにはね。これはちょっとあやしい存在なんだ。だってちょっと前までそこになかったのに、ふりむいたとたん顔をのぞかせている。そしてじっとこっちを見ているんだもの。地面のしたにはべつの世界があって、そこに住んでる生物が潜望鏡をのばしているんじゃないかって思っちゃう。山って見えないものをいっぱいかくしていて、それがときどきふっと姿をあらわすから油断できないよ。
夜、まっくらななかでひとりぼっちですごすのは、ちょっと厳しいけど、とにかく、ぼくはいろいろなことに出会ってる。今、この山に夢中なんだ。おもしろくってたまらない。
今までは虫のひげや足のばねの構造とか、はっぱのもように虫が変化したりするのに興味があったけど、それだけじゃおわらないみたい。そのあとに『どうして?』が百個もつながってしまうんだ。
あせっちゃうほどわくわくしてるよ。
キキもいい夏を送ってね。
キキは手紙から目をそらし、「あせっちゃうほど、わくわくしてる、だって」とひとりごとをいうと、口をむっとまげました。
とんぼさんはキキにいろいろ知らせたくて、山道をおりてまで手紙をだしてくれるのです。そのやさしい気持ちはキキにもちゃんと伝わってきます。
手紙が来てうれしい。どんな山ぐらしかわかってたのしい。それはほんとうにそうなのでした。でもやっぱりすこし物足りないのです。「キキもいい夏を送ってね」というのは、なにかべつべつって感じがするではありませんか。窓枠にすわってさっきからキキを見ていたジジがとんとおりてきていいました。
「キキ、とんぼさんに電話かけたら?」
「やだわ、ジジ。とんぼさんは山のなかにいるのよ。電話なんてないわよ」
「じゃ、手紙は?」
「ジジ、なにいってるのよ、山のなかまで配達してくれるわけないでしょ」
「そうか……」
「そういうことよ」
「でも、キキ、会いたいんでしょ? じゃ、飛んでいったら? 三時間も飛べば行けるよ、きっと。ぼく、ついてってあげてもいいよ。とんぼさんもうれしがるよ」
「そうかなあ。あちらは小さい生き物がいっぱいいて、いそがしいみたいよ。わたし、行かない、うん、やっぱり行かない」
キキは大きく首をふると、とんぼさんの手紙をたたんで、封筒に入れました。
外からヤアくんの声がきこえてきました。キキがのぞくと、道の敷石にヤアくんとノノちゃん、それにオレくんがすわってなにか話しています。ヤアくんの前にはこのあいだお話をしまったといっていたくちゃくちゃになった袋、それからひろげた紙のうえには、このあいだキキに見せてくれたヤモリのミイラが二つならんでおいてありました。
「こっちのヤモリはピ。こっちはポっていう名前なの。ぼくの友だち」
ヤアくんがいいました。
「じゃ、ノノもお友だちだ。ノノはヤアくんのお友だちだもんね」
ノノちゃんがのりだしてミイラをのぞいています。
「これ、死んじゃったの?」
「そう、死んじゃったんだ」
「死んだらどこに行くの?」
「へんな国のずっとむこう。おばあちゃんがいつかいってた。みんな死ぬときはクレヨン持っていくんだって。絵を描いていると退屈しないんだって。だって死んだらひとりぼっちだもん。たのしくしないといけないんだよ」
「へー、ほんと? 何本持っていくの? 二十四色?」
「一本だけなんだって……」
「ヤモリもクレヨン持っていったの?」
「そう、もちろんさ。大すきな色のクレヨン持っていったんだ。へんな国のずっとむこうで、すきなもの描くんだって。ピはね、みかん色を持っていったんだよ。そして毎日毎日デンキを描いてるんだって。明るいのすきなんだよ」
「ポは?」
「茶色持っていったんだ。そして階段描いてるんだって。高い高いどこまでも、どこまでも高い階段描いているんだって」
「すきなの? 階段」
「うん、天井がすきだったからね。うえからよくぼくのこと、のぞいてたんだ。ぼくのおばあちゃんはすごいよ。金色持っていったんだ。そしていっつもいっつもお月さま描いてるんだ。だからヤアくん、お月さまがでたら、見てねって、死ぬときぼくにいったもん。おばあちゃんは、ぴかぴかのお月さま描くからねって」
「ヤアくんはなに色持っていくの?」
「そうだなあ……おばあちゃんの反対、お日さま色にしようかな」
「あたしは桃色」
ノノちゃんがいいました。
「オレくんは、りんご色だよ」
オレくんは口をとんがらせていいました。
「ヤアくん、お日さま色でなに描くの?」
ノノちゃんがききました。
「まだわかんないよ。まだおじいちゃんじゃないもん」
「くくくく、ヤアくん、おじいちゃんになるの? おかしいね」
ノノちゃんは両手で口をおさえて笑いだしました。
「なんだよ、あたりまえじゃないか」
ヤアくんも笑いながらひじをまげて、ノノちゃんをつっつきました。
ふたりのまわりをオレくんが「おじいちゃん、おじいちゃん」といいながら、とんだりはねたり、動き回りはじめました。
キキはヤアくんたちに気づかれないように、そっと窓際をはなれました。このあいだヤアくんが袋のなかにしまっていたのはこのお話だったのかもしれません。でもキキはヤアくんが心のなかにたいせつにしまっていることをきいてしまったような気がしました。