「ひゅーくるるるー
ひゅーくるるるーひゅー
こんな青い空のなか
きっとわたしも 空いろで
風のかたちで はこばれる はこばれる
ひゅーくるるるーひゅー」
1 小さなお客さま
キキはベッドのなかでグーンと手をあげ、体を思いっきりのばしました。
「さーて、きょうも、始まり、始まりよ」
天井にむかって大きな声でさけぶと、ぴょんと立ちあがりました。
「おっはよう」
ジジも元気です。キキにつられて自分の寝床からすっとでてくると、まぶしそうに目をパチパチさせました。
しめたカーテンのあいだから、細い線になってはいってくるお日さまの光がちょうど目のところにあたっているのでした。その光は明るく、くっきりと床のほうまでのびています。
キキは窓に近づいてカーテンをいきおいよくあけました。前の通りの家と家とのあいだから走るように光がはいってきます。キキは思わず目をつぶりました。
このところだらだらつづいていたうすぐもりの日や、しょぼしょぼふる雨の日はどこかにいって、きょうはすみずみまで青い空がひろがっています。それはもうすっかり夏の空気でした。
「あっ、そうだわ……もうじき、夏休みだわ……」
キキはうれしそうに目をぱっとあけました。同時に足のかかとがあがり、背のびして遠くを見上げました。
「学校は……夏休み……よね」
キキは声にだしてくりかえしながら、とぶように動いてつぎつぎカーテンをひき、ガラス窓をあけていきました。とたんに前の通りに植えてあるくすりぐさのいいにおいがおしよせてきました。雨のあとの香りは特別に強いのです。
キキはきゅうにさわがしくなった胸をしずめるように深く息をすいこむと、
「はなれてはじめての夏休み……いっしょね」と小さくつぶやきました。
ルルルルー
電話のベルが鳴りだしました。
「おはよう、魔女のキキさん、夏いちばんのおとどけものをおねがいしたいんですけど」
女の人の声でした。
「はい、すぐいただきにあがりまーす」
キキはちらっとパジャマ姿の自分を眺めると、着がえのため空いている手でもうボタンをはずしはじめました。
女の人の声はつづいています。
「わたしね、夏のいちばんはじめにつくった帽子を、いちばん仲よしの友だちにおくりたくなったの。まっしろな帽子よ。朝、目がさめたらこんなきれいな青空でしょ。夏いちばんの帽子にぴったりの日だわ。それで今おおいそぎで仕上げたところなの。とどけていただけるかしら?」
「ええ、もちろんです。夏が来て、夏休みが来て……そして帽子ね。なんてすてきなんでしょう。うれしくなっちゃうわ」
キキははずんだ声でこたえました。
「わたしはヒメシャラ通りの三番地、黄色いアパートの三階に住んでるの。届け先の友だちはね、町はずれのオリーブ並木のはじまりの家、きょうの空のように、屋根も壁も、明るい空色の家よ。すぐわかると思うわ。よろしくね」
「はーい、かしこまりました」
キキは受話器をおくと、「夏が来た、ほい夏が来た、ほい」とうたいながら、おおいそぎでパジャマから洋服に着がえ、すばやく顔を洗うと、なれた手つきで、髪をとかし、リボンを結びました。いつもの魔女の姿です。あっという間にできあがりました。
「さ、ジジ、いくわよ。用意はいい?」
「ぼくには用意なんてありません。心の用意はあるけどね。だれかさんといっしょできょうの心はウキウキさ。朝ごはんはまだで、ちょっとおなかはすいてるけど……」
ジジはキキがうかれていると、いつもすこし皮肉まじりのいいかたをしたくなるのです。
ヒメシャラ通りの上空に来ると、アパートはすぐわかりました。三階のあいた窓のそばにまっしろな帽子がおいてあるのも見えます。
キキは階段をあがるのを省略して、ゆっくりと近づいて窓枠に、横ずわりしました。
「おはようございまーす。魔女の宅急便です。ちょっと近道しちゃいました。お行儀わるくてごめんなさい」
キキはなかにむかって声をかけました。
「わかってるならお行儀よくすれば」
ジジが小声でぶつぶついっています。
「まあ、びっくり!」
女の人が大きく手をひろげてでてきました。それからおどけたように首をすくめていいました。
「じゃ、この帽子は三階から飛んでいくのね、あの人のところに。ワオ、この帽子にぴったりの出発だわ。だってこの形、なにかににてない? ふふふ、宇宙船、空飛ぶ帽子のつもりでつくったの」
「まあ」
キキは受け取りながら、いいました。
「ほら、見て。ここのすかし編みのとこ、宇宙船の窓みたいでしょ。乗ってる人はここからしたの世界をのぞくのよ。どう? すてきでしょ、あっ? そうそう、わすれたらたいへん。魔女さんにもささやかなお礼を……」
女の人は奥からまっしろなリボンを持ってくると、キキの襟に結んでくれました。リボンは長くて、風にふかれてするすると泳ぎだしました。それからジジの首にも同じリボンを結んでくれました。
「まあ、きれい! ありがとうございます。わたしたちにも、夏が来たわ。それでは行ってまいりまーす」
キキは手をふって、飛びあがりました。
「ねえ、ジジ、きいたでしょ。宇宙船だって……こんなのがきょうみたいな澄んだ空のあちこちで飛んでたら……すごくきれいだと思わない?……ためしにちょっと飛ばしてみようか」
キキは帽子のつばをもって、手に力を入れました。
「な、なに、うかれてるの、キキ。も、もしどこかに飛んでっちゃったら、どうするつもり? なにはしゃいでいるんだろ」
ジジはあわててほうきの房から、キキの肩に飛び乗ってきました。
「だいじょうぶ、これは宇宙船よ。ほら、ゆれてる、飛びたがってる。まかせてよ。風はいつもわたしの味方です、うふふ」
キキは帽子のつばをもった手をいきおいよくふりました。帽子はキキの手をはなれ、風を切るようにびゅーんと飛んでいきます。
「ああ、ほんとうにやっちゃったよ!」
ジジがおどろいて大声をあげました。
「さ、いくわよ。宇宙船を追跡、追跡! ジジ、しっかりつかまって」
キキはほうきの柄を握りなおすと、帽子目ざして、すごい速さで追いかけました。そしてみるみる近づくと、さっとつばをつかまえます。
「ほら、このとおり! うふふふ ほーら」
キキは笑いながら、帽子のつばを持ってもう一度ぽーんと投げると、また全速力で追いかけました。帽子はさっきとちがって、すごいいきおいでくるくると回転しながらしたに落ちていきます。キキもくるりっとむきをかえ、まねしてくるくると落ちていきます。
「ひゃーっ、やめてよ」
ジジが悲鳴をあげました。
「くくくくく、あー気持ちいい」
こんどもキキは見事につかまえました。それから帽子のつばを持って、泳ぐようにゆっくりと飛びはじめました。
「ほらね、ふふふ」
キキは笑ってジジに帽子をふってみせました。
「よし、もう一度、ぽーん」
キキはまた帽子を飛ばしました。帽子は風にさらわれるようにすごい速さで飛んでいきます。追いかけても追いかけても手をすりぬけてにげていきます。
やがて帽子はだんだんとおとなしくなり、何度もくるーりくるーりと回りながら、大きな庭のまんなかに生えている木のてっぺんにふーっと落ちてとまりました。キキがいそいで近づくと、すぐそばの家のなかから、「やったっ」という子どもの声がきこえてきました。キキは空中でとまって、声のする窓のなかをのぞきました。
「おかあさん、ぼく、弾けたよ、弾けたんだよ。きいてよ」
小さな男の子がバイオリンを持って、奥にむかって話しています。
「どれどれ」台所にいたのでしょうか、おかあさんがぬれた手をふきふきでてきました。
男の子はぴっとみがまえると、かしこまってバイオリンを弾きはじめました。
ひゅーくるるる ひゅーくるるるるるる ひゅー
男の子は手をとめると、あごをつんとあげて、「ねっ、できたでしょ。じょうずにできたでしょ」といいました。
「ほんと、あんなにむずかしかったのにね。すごーい、おかあさん、びーっくりよ」
おかあさんは男の子の肩に手を回して、たたきました。
「あのね、外から風の音がきこえてきたの。ひゅーくるるるって。だからぼく風のまねして弾いてみたの。そしたらできたんだ」
男の子はいいおわると、うれしそうにぴょんととびあがりました。
それをきくと、キキもだまってばんざいをしました。それから木のうえにとまっている帽子をつかみ、こんどはまじめにオリーブの並木道を目ざしていそぎました。
キキが空色の家の空色のドアをたたくと、わかい男の人が顔をのぞかせました。キキが帽子をさしだすと、「おっ、夏が来た。ソヨちゃんから、夏が来た」
男の人はうれしそうにいいました。
「そうです。夏の風といっしょに飛んできたんですよ。帽子宇宙船です」
男の人は目を細めて空を見上げてつぶやきました。
「ほう、宇宙船かあ……これかぶって、ソヨちゃんと浜辺宇宙散歩といこうかな。休みの日がたのしみだな。ところで、魔女さん、君の今年の夏は、どんな夏かい?」
「わたしのもきっとすてき。きっとたのしいこといっぱい」
キキはぴょんと体をはずませてこたえました。
キキは家にむかって飛びました。お礼にいただいた白いリボンが風になびいて、するするすると音をたてています。ジジの背中でも、するするする……
「ひゅーくるるるー
ひゅーくるるるーひゅー
こんな青い空のなか
きっとわたしも 空いろで
風のかたちで はこばれる はこばれる
ひゅーくるるるーひゅー」
キキは心にうかんだ言葉をそのまま歌にしてみました。そして、はこばれる、はこばれる、とくりかえし小さな声でうたいつづけました。
家にもどったキキがジジとおそい朝ごはんを食べていると、「ラランチョ、ラランチョ」とドアのむこうから声がきこえてきました。
キキはぬきあしさしあしドアに近づくと、さっとあけました。
「あーわかった、きょうは、おんまちゃんでしょ。おおあたりでしょ」
前に立っていたのは、グーチョキパン屋さんの男の子オレくんです。もうじき二つになります。
「ちがうよ、キリンさんだよ。ラランチョ、ラランチョだよ」
オレくんは体をのばし、両手をぶらぶらさせ、足踏みしていいました。オレくんは毎朝キキと動物のあてっこするのにこのところ夢中なのです。
「わー、まけちゃったあ。じゃ、けさはキリンさんといっしょにお散歩ね」
キキはいそいで外にでていきました。そしてオレくんの二つのみじかい足のあいだに、頭を入れると、ぐいっと立ちあがりました。
「キリンさん、ラランチョ、ラランチョ」
キキはくすりぐさのあいだを走りだしました。元気よく草がゆれて、いい香りといっしょに緑のバッタがとびだしてきます。
「キリンさんは、首が長いよ。はっぱだって食べちゃうよ」
オレくんは手をのばして、並木の枝をつぎつぎさわっていきます。キキもオレくんにあわせてぽんぽんと体をはずませました。
キキは道沿いのくすりぐさの畑をぐるっと回ると、そのまま体をかがめて、パン屋さんにはいっていきました。
「おはようございます」
「オレくん、すごーい、高いねえ」
パン焼き
「オレくんじゃないよ。キリンさんだよ」
オレくんがとくいそうに胸をはりました。
「よかったね、オレくん」
おかあさんのおソノさんが手をのばして、オレくんを抱きとめました。
「ノノちゃんは、なにになりたいの?」
キキはオレくんをおろしながら、仕事場のすみに小さく立っているおねえちゃんのノノちゃんにいいました。
「うさぎさん」
ノノちゃんは小さな声でいいました。
「じゃ、ぴょーんと、とぶの?」
「ううん、おくち、もぐもぐ」
ノノちゃんは口をちょっと動かしてやめました。このところノノちゃんはオレくんのいきおいにおされ気味、みょうに口数がすくなくなっているのです。
つぎの日、遠いナルナの町の学校へ行っている、とんぼさんから手紙が来ました。
「キキ、元気? ジジも元気? ぼくはいつものとおりとっても元気です。新学期もあっという間にすぎ、はやいものでもう夏休みが始まろうとしています。いよいよとんぼの出番です。はじめての夏休み、たいせつにしなくちゃ」
「そうよね。たいせつにしましょうね、ふたりで」
キキはつぶやいて目をそっとふせました。でも手紙のことばはこんなふうにつづいていました。
「それでぼくはあしたから
「えーっ、山にはいるって……どういうことなの……?」
キキは手紙をじっとにらむと、またつづきを読みはじめました。
「雨傘山はぼくの学校のあるナルナの町から北西にあり、その距離、八キロ。町も含めて、まわりの平らな土地のなかに、山がひとつぽっつんともりあがっているのです。海抜は約二百メートル、こんもりとした山です。でもてっぺんに一本大きな木が突き出て、それが傘のさきのように見えるので、雨傘山という名前でよばれています。学校の窓からこの雨傘山を毎日見ているうちに、なぜかぼくはこの山に行きたくなっちゃったんです。いや、この山によばれているような気さえしてきてね、ちょうど夏休みだし、ひとりで行ってみようと思ったんです。あんな平凡な山にどうして行くのって友だちはいうけど。
遠くから見たところ、この山は全体がいろいろな木でびっしりとおおわれていて、緑のかたまりに見えます。はたして道があるのかどうかもわかりません。
受け持ちのエッテ先生に話したら、『そんな気持ちになったのならぜひ行ってこい』って、テントをかしてくれました。それでとりあえず三日分の食料と水、それから考えつくかぎりの必要なもの、たとえばマッチにロウソク、懐中電灯にキャンプ用のコンロ、ノートに鉛筆、植物図鑑に昆虫図鑑など、それからいつもそばにある個人的なたいせつなもの、などなどをもってでかけることにしました」
「とりあえず……? 三日分? とりあえずだって……」
キキはもごもごとつぶやきました。
「そういえば、エッテ先生のことキキにはまだ話してなかったね。なにかおもしろいもの見つけると、『エッ!』て立ちあがるものだから、こんな名前になったのです。先生はね『エッ』て思ったら、もう一度『エッ』てよく見る、それが見るってことさ、っていうんだ。そんなとき先生の目はぎょろっと光って、とんぼめがねのぼくがいうのもおかしいけど、まるでとんぼの複眼みたいにかわる。ぼくたちにもね、それがうつっちゃって、気になるものに出会うと、すぐ『エッ』て声をあげて、目を大きくひらくようになっちゃった。この先生がなんでもエッてたのしそうに見つけるのを見ていると、ぼくまでわくわくしてくる。
そう、この雨傘山はぼくにとって、『エッ』て立ちあがっちゃった山なんだ。山がさそったってもいえるし……ぼくの心がさそったってもいえるし……なぜか行かなければいけないような気持ちになってしまった。この山をもっとよく見たいと追いかけられてるみたいに思ったんだ。
ぼくの描いたナルナの町の地図もいっしょに送ります。見てください。
こんなところにぼくはいるんです、じょうずには描けないけど……
キキへ とんぼより」
キキは手紙を机のうえにおいてしばらくだまって眺めていました。
「ふたりの夏休みはなしってこと? これってそういう意味? そんなのいやだ!」
夏休みには、とんぼさんが帰ってくる、帰ってくると思うと、うれしくって、けさからどんどんふくらんでいた気持ちが音をたててしぼんでいくようでした。
「わたしまで、エッていいたくなっちゃう……」
キキは口をとがらせ、
「どうして帰らないなんていえるの……」
キキにはとんぼさんの気持ちが理解できません。泣きそうでした。
ひとりで決めて、ひとりでよろこんで、ちょっとだけキキに報告しておわりなんて……。キキはしょげているのを、ジジに知られないように、地図のほうに目をそらしました。
地図にはいろいろ書き込みがしてありました。
「この店ではときどきアイスクリームの立ち食い」
「この公園では寝ころがって本を読む」
「コリコの町はこっちの方向」
通りの四つ角ごとに植えてある木も一つ一つ名前が書き込まれています。駅も、市場も、郵便局も、病院も、ずっとはなれたところにある雨傘山も、細かく描いてありました。
「よく描けてるわね。まるで空から見ているみたいだけど……」
キキはまだ不満そうに口をぐっとつぐみました。
「とんぼさん、キキにも見せたかったんだよ、きっと」
そばで地図をのぞいていたジジがキキの顔をチラッと見上げました。
キキはその目にいいわけするようにいいました。
「夏休みはこっちの地図のなかへ……行っちゃったわ。ひとりでさっさと行っちゃった! くすりぐさの草取り、手伝ってもらおうと思ったのに……」
「でも、しょうがないよね」とジジがぼそっとつぶやきました。
「そんなこといったって、わたしにも、相談したいことはいっぱいあるのよ」
「とんぼさんに? ぼくじゃだめなの?」
ジジが不満そうにいいました。
「だめなの、ごめんね」
「そんなにたいせつな相談なの?」
「もちろんよ、たいせつなことよ。まずスリッパは赤がいいか、緑がいいか、ききたかったの。もうこれ古くなっちゃったからかえたいのよ。とんぼさんは、きっと緑がすきね」
キキは片足をあげてすりへったスリッパを見せました。
「あんがい、桃色かもよ」
ジジはそっけなくこたえて、あきれたように横目でキキを見ました。
「それにさ、髪の毛、みじかくしようか、どうしようか、相談したかったんだ」
「髪の毛ってキキの?」
「そうよ」
「そんなこと、自分で決めればいいじゃない」
ジジはあきれたようにいいました。
「だってとんぼさんが気に入るほうがいいじゃない。それってあたりまえのことじゃない? これからはなんでもふたりで決めたいの」
「ふー、たいへんだね。だけどさ、ふたりで決めるってことは、とんぼさんと決めたの?」
「えっ……? だけど、あたりまえでしょ。みんなそうしてるもの」
「ほんと? みんな、みんなそうしているの?」
「そうよ。仲よしはそうするものよ。ジジ、あんた、なにか文句でもあるの?」
ジジは右の肩をくいっとあげていいました。
「キキ、このごろ一日に百回はとんぼさんていうね」
「百回なんていってません」
キキはかがんで、顔をジジの前に突き出して横に強くふりました。
「いや、九十三回か、えーと、八十四回はいってるよ。いやだなあ、女ってさ。すきな人ができると、かわっちゃうんだから。それをまたうれしがっちゃうんだから……キキってさ、自分のこと決めるのにも、寄り道ができちゃったんだね。ふん、とんぼさんっていう寄り道……」
ジジはひっと顔をゆがめると、「あきれるね……」と低い声でうたうようにいいながら、外へでていってしまいました。
「なによ、えらそうに」
キキはジジが行ったほうをにらみつけました。
ルルルルー ルルルルー
電話が鳴りました。
ルルルルー ルルルルー
キキは気をとりなおして、受話器を取りあげました。
「こちらは魔女の宅急便です」
「キキ、ごぶさたしてまーす」
とびこんできたのはモリさんの元気な声でした。小さな弟と森のなかでふたりだけでくらしているモリさんです。おとうさんも、おかあさんも遠くにはたらきに行っていると、いつかきいたことがありました。でももう何年もふたりは帰ってきません。町のうわさでは弟のヤアくんを生むとすぐおかあさんが死んで、それを悲しんだおとうさんがいつの間にかいなくなってしまったというのです。ほんとうかどうか、キキにもわかりません。ときどき来てくれていたおばあちゃんも二年前に亡くなったのでした。でもモリさんはいつでもたのしくくらす力に満ちています。つらいとか、さびしいとかいう言葉をきいたことはありませんでした。
「キキ、さぞかしこの夏は予定でいっぱいでしょうねえ」
モリさんはいいました。
「そんなことないわ。予定なんてぜんぜんのぜんぜんよ。かわいそうなキキちゃんなのでーす」
キキは舌をぺろりっとだしました。
「ほんと? じつはわたし、この夏、お料理を習いに行きたいって思ったんだけど。となりの、となりの、となりの町にね。そこでわたしみたいな女の子が小さなレストランをはじめて、たいそう評判なのよ。それで思いきってたのんでみたら、最低一ヶ月住み込みで手伝うなら無料で教えてくれるっていうの。夏のあいだはいそがしいから、あっちも助かるっていうの。それでね、キキ、おねがいなんだけど……」
「ずいぶんあらたまっているのね」
「だっていいにくいことなんですもの。夏休みのあいだ、ヤアくんをあずかってもらえないかしら」
「えっ、ヤアくんを!」
キキの体はびくっとふるえ、声もぎくりとつっかかりました。
いつの間にかもどって、入り口の敷居に前足をおきかけていたジジもヤアくんときいたとたん体を針金のようにつっぱらせました。はじめて会ったとき、木にのぼっていたヤアくんにしたからパチンコで狙い撃ちにされ、空から墜落、しっぽがレの字にまがってしまったときのことがわすれられないのです。
「やっぱり、むりよね」
モリさんはため息をつきました。
「そうよね、だれだってびびるわよね。いいわ、もう一年待ってみるわ。前に話したと思うけど、わたし、将来あの森で小さなホテルをつくりたいの。その用意にと思ったんだけど。でもヤアくん、このごろずいぶんいい子になったのよ。もう八つになるんですもの。さすがにあまり高いところにはのぼらなくなったわ」
「モリさん、わたし、あずかってもいいわ。なんとかできると思うの」
「いいの、いいの。むりいっちゃってごめん、キキ。もうわすれて」
「だいじょうぶ。わたしもこのごろずいぶん子どもずきになったのよ。おソノさんのとこのノノちゃんや、オレくんとあそんでいるから。しんぱいしないで、ちゃんとあずかるから」
「でも……」
「だいじょうぶよ、まかせて!」
ジジはこわばった体をキキの足にこすりつけて、なんとかやめさせようと合図を送っています。キキはそんなジジを安心させるように目配せを送りました。
「それじゃおねがいしちゃおうかな」
「ええ、たのしみに待っているわ」
キキは笑いながらこたえました。
キキが電話を切ったとたん、ジジがあらい息をはきながらいいました。
「こういうことはひとりで決められるわけ? スリッパは決められないくせに」
「挑戦、挑戦。ふたりでがんばろう」
「ぐーっ」
ジジはうなり声をあげました。
それから五日後、ヤアくんはあらわれました。小さな背中がかくれるぐらい大きなリュックを背負い、手には一本の棒を握りしめています。
「ひさしぶりねえ、ヤアくん」
キキはドアをあけ両手をひろげていいました。
「こんにちは。ぼく、大きくなったでしょう」
ヤアくんはすいっと背のびしてみせると、まるで自分の家のように大きく手をふり、足音も高くはいってきました。ジジはとっくにベッドのしたににげこんでいます。
「ジジ、こわがることないよ。おれ、もう猫なんて興味ないもんな」
ヤアくんは荷物をさっとおろしました。
「ぶーう」
無視されたのが気に入らないのか、ジジの不満そうな声がきこえてきました。
ヤアくんは床にどんとすわると、荷物のなかから、タオルや歯ブラシ、下着などをつぎつぎ取りだし、さいごにていねいにたたんだ包みからしっぽと足がついたぺったんこになったものを二つ取りだしました。
「これ、ヤモリのミイラだよ。ぼくと仲よしだったんだ。このヤモリたちいつもいっしょだったからきっと兄弟だよ。もしかしたら双子かもしれない」
「飼ってたの?」
すわってのぞきこんでいたキキは気味わるそうに体を後ろにそらしてききました。
「ぼくがひとりでいると、いっしょにあそびたがって、ときどきどっかからでてきたんだ。でもある日森で一匹が死んでて、つぎの日にもう一匹が死んでたの。だからたいせつにとっておいたんだ」
ヤアくんは一匹を自分のひざに乗せ、「キキ見る? かわいいよ」ともう一つをキキの手に乗せました。
「げっ」
キキは思わず小さなさけび声をあげ、手のひらに乗ったヤアくんの仲よしをあやうく落としそうになりました。
「しょうがないなあ」
ヤアくんはキキの手から取りあげると、紙のうえに乗せ、そっと包みはじめました。
「ごめん、でもちょっと……こわいの」
「そうか……でもキキは友だちじゃなかったんだから仕方ないよね」
「ヤアくん、あなたのお部屋はこっちよ」と、キキは立ちあがって前にケケがいた部屋のドアをあけました。どうやらこの部屋はかわった人に縁がありそうです。
ひさしぶりに部屋を眺めながら、キキはケケをなつかしく思いだしていました。去年の春、噴水のように髪の毛を二つに逆立て、長いスカートをひきずって、ヤアくんと同じようにとつぜんケケはあらわれたのです。魔女だか、魔女になりかかりだか、それとも魔女になりすますつもりだったのか……あのときケケのいきおいにぎりぎりと追いつめられ、さいごのさいごになってキキは自分の素直な気持ちを取りもどしたのでした。そのとき同時にとんぼさんがすきだという気持ちをはっきりと感じたのです。
あのケケにくらべれば、こんどのおきゃくさんはなんのしんぱいもなさそうなかわいい子どもです。
「ふーん、ここかあ。魔女の家って、まあまあだなあ」
ヤアくんは腰に手をおき胸をそらせて、ぐるっと眺めると、生意気に口をきゅっとまげました。
ヤアくんはまずコップに一杯水を飲むと、ものすごいいきおいで家のまわりを探検しはじめました。
持ってきた棒を握りしめ、「よーし、しゅっぱーつ」とか、「野こえ、山こえ、原っぱへ」とか、ひとりごとをいいながら勇ましく走り回りだしたのです。持ってきた棒で、草をかき分け、とびだしてきた虫を手にならべてとまらせたり、石をひろって集めたり、鼻の頭に汗をびっしょりかきながら、棒で地面に夢中でなにかを書いたりしています。
キキが「なにしてるの?」ときくと、「いろいろさわってるの」とふしぎなことをいうのでした。
ところが二、三日すると、おもしろい光景が見られるようになりました。棒を持っていばって歩くヤアくんに、まるでしっぽのようにつながって、ノノちゃんとオレくんが歩きはじめたのです。
「野こえ、山こえ、原っぱへ」
ヤアくんの声にあわせて、後ろの小さな二つの口が動きます。どこに行くのもいっしょです。
「なんだ、すぐ仲よくなっちゃって、へんなの」とぶつぶついいながら、おかしなことにジジはどこかつまらなそうなのです。
「ジジもついていったら……おもしろいことおきそうよ」
「ぶー、あんな子どもっぽいことやってられないよ」
ジジは鼻を鳴らすと、わざとふんと笑ってみせました。
「よし、この棒からむこうはね」
外からヤアくんの声がきこえてきました。
キキは背をのばして、窓から声のするほうをのぞきました。くすりぐさの畑のむこうで、ヤアくんがかがんでいます。それをノノちゃんと、オレくんがのぞきこんでいます。
「いいか、この棒のむこうはね、へんな国なんだよ。ノノちゃんも、オレくんもへんな国に行きたい?」
ヤアくんはいいました。
「うん、いきたい、いきたい」
ふしぎなことに、このごろ自分からあまり口をきかなかったノノちゃんが、目を見張るほど積極的になって、「いきたい、いきたい」と両手をぶらんぶらんと強くふっています。オレくんも両手をあげて、いっしょにまわりをぴょんぴょんとはねています。
「じゃ、いっしょに行こうね。棒のこっち側にならんで……ぼくのまねするんだよ。じゃ、胸に手をおいて大きく息をして、いいね、行くよ」というと、ヤアくんはみょうにかん高い声でさけびました。
「くるっと回って、むこうへぴょーん、とびっこ、とりっこ」
「へんな国って……? どこ、それ……」
キキはつま先立ってのぞきました。くすりぐさのむこうで三人の頭がぴょーんと飛んでいるのが見えました。
するときゅうに窓から風がふーっとはいってきました。そしてキキにぶつかると、そのままぱたりとあたりがしずかになりました。キキはみょうに胸がドキドキして、思わずぐっと首をのばしてのぞきました。
「あれ!」
今までたしかにいたはずなのに、三人とも見えないのです。
それにいつも見ている窓からの景色なのに、どこかちがいます。すぐ前に植わっているくすりぐさはよばれてでもいるようにむこうへ、むこうへとなびいています。なにもかもがしずかで、ふわーっとういたような感じです。子どものころ、目のさめかけに、これほんと? それともうそ? と思いながら見ていた夢の景色のようでした。
「ジジ」
キキはふりかえりました。ジジはベッドでまるくなりぴたりとも動かずに寝ています。あたりすべてのものがとまってしまったみたいでした。キキはドアをあけ、子どもたちの姿をさがして、外にとびだすと、ふいている風をかき分けるように走っていきました。ひゅーひゅーと口笛のような音がどこかでかすかにひびいています。
「ヤアくん」
キキはよびました。でもその声は耳のなかでぼーっとひびいて自分の声のようではありません。
「ヤアくん」
声をつまらせながら、もう一度よびました。やっとすこし自分の声がもどってきました。
「ヤアくん!」
キキは力を入れて、またよびました。
すると、
「やったね」
ちょっとはなれたくすりぐさのかげからヤアくんの声がひびいてきました。いっしょにノノちゃんとオレくんのはしゃいで笑う声がきこえてきました。同時にいつもの空気をかき回すような町の音がおしよせてきました。
「やだあ、あんたたち、どこにいたの?」
キキはさけびました。
「ぴょーん」
オレくんが笑っています。
「そう、むこうに、ぴょーんて」
ノノちゃんがとぶまねをしました。そばでヤアくんはとくいそうに胸をはって気をつけをしています。
トン
ドアのわきについている郵便受けで音がしました。
「あっ、おねえちゃんからだ」さっきまで昼寝をしていたヤアくんがとなりの部屋から顔をのぞかせました。
キキは手紙を取りだし、差出人を見て、ふしぎそうにいいました。
「ほんとだ、どうしてわかったの?」
「トンって、落ちた音がおねえちゃんの音だったもんね」
ヤアくんはとくいそうに笑いました。
「ヤアくんって、なんかへんね」
キキはじっと手紙を見ながら、開いていきました。
「キキ、ごめん。イタズラ坊主、どうしてる? きっと手を焼いているでしょうね。ほんとうにわるいと思ってる」
キキは手紙から目をはなして、ヤアくんににこっと笑いかけました。
「おれのこと、イタズラ坊主って書いてあるでしょ。わかってるんだから。でもキキ、イタズラ坊主じゃないよね。おれ、これでもけっこうすましてるんだよ」
「おれ……になったのね。かっこよくなったんだ、ヤアくん」
「そう、おれだもん。ここには小さい子がいるからね」
ヤアくんは、わかってないんだからというように、むっとした顔をしました。
「キキ、わたしが見習いにきたレストランはね、持ち主が二十三歳のすらりっとしたおねえさん。それでおきゃくさんもかわいい女の子がだんぜん多いの……だけどこのおねえさん、とってもしっかりしてるの。そして趣味がいいのよ。五つあるテーブルもいすもほうぼうの古道具屋さんから安く買ってきたんだって。だからそれぞれ形がちがうのよ。だけど自分の趣味できちんとえらんでるから、ばらばらには見えないの。それからお店の色はうすい、緑……カーテンからナプキンまで同じ……そして食器は白だけ、と決まっているの。さわやかでしょ。わたしが見ていてわかったことは、おきゃくさんにあわせようとしないってこと。自分のやりかたを通してるってこと。お料理もそのやりかたなのよ。
『おきゃくさんのこのみをいちいち気にして不安になったらきりないもの。わたしのやりかたでよかったらよっといでー、わたしの味でよかったらよっといでー、ってこのやりかたでやるつもり』
そういうのよ、強い人でしょ。見習わなくっちゃと思ったわ。でも、そのやりかたは一見ケチ風……いやいや、かしこいってことね。たとえばとり料理。まずたっぷりのお水でまるごと一羽ゆでて、すこし煮たら肉とってサラダ用によけて、また骨を入れてさらにことこと煮て、こしてスープ。このスープを澄んだスープにしたり、ゼリーでよせたり、お米を入れておじやにしたり……お金はすこし、手間はたくさんっていうのかしら。いやお金はすこし、でも心はたくさんっていったほうがいいわね。がんこなんだけど……これはたいせつなことかもしれない。わたしは相手にあわせることが親切だとつい思っちゃうもんだから……いい勉強してます。おかげさまです。キキありがとう」
モリさんの手紙はこのあともレストランのくらしが細かく書いてありました。
キキが手紙を読みおわって、紙をたたみかけると、同時にヤアくんが顔をあげました。
「おねえちゃん、しっかりやってる?」
「ええ、すごく」
「それならいいんだけど、おねえちゃん、料理うまいのに、なんで習いに行くんだろ。人のことばかり気にしてるんだから……しょうがないな」
ヤアくんは細かくうなずきながら、手に持った紙袋をがさがさいわせて、床にぺたーんとすわりました。キキがのぞくと、紙袋に顔を近づけて、なにかぶつぶつといいはじめました。ジジもキキの足もとで首をぐっとのばして、さぐるようにのぞいています。
「なにしているの?」
キキがききました。
「さっきつくったお話をね、しまっているんだ。ちゃんとしまっとかないと、つぎつぎできるからわすれちゃうんだもん」
ヤアくんはふくらんだ袋の口をきゅっとねじると、棚のうえに乗せました。
「ねえ、ヤアくん、きのう、へんな国ごっこっていうあそびしてたでしょ」
「あそびじゃないよ」
「じゃ、へんな国ってどこにあるの?」
「棒のむこう」
ヤアくんははっきりといいました。
「むこう……? どこ、それ?」
「むこうだよ、胸のなかんとこがね、ふーっと飛んでいくんだ」
「ヤアくんよく行くの?」
ヤアくんはうんとうなずきながら、
「いいものをつかまえるの」
といいました。
「なにを?」
「いいものだよ、どきどきものだよ」
ヤアくんはいばるような、どなるようないいかたをしました。それからつづけて、
「おもしろいよ」
といって笑いました。
「わたしも、いっしょに行きたいな。こんどつれてってよ」
「だめだよ。おとなはね、ひとりで行くんだよ」
ヤアくんはまじめな顔でいいました。
キキは首をかしげて、つぶやきました。
「おとなはひとりで? わたし、おとな?……そうよね、きっとおとなよね」
ヤアくんが来てから、まわりの空気がどことなくかわったような気がします。あんなにヤアくんのことをこわがっていたジジまでいつの間にかたのしそうに、そばにくっついているのです。
グーチョキパン屋さんのほうから声が聞こえてきました。
「うんとこさんと どっこいさん
おかいものに いちまちた
うんとこ どっこい
うんとこ どっこい」
オレくんです。すっかりヤアくんのまねして、棒をふり回しながらやってきます。
「オレくん、ちょっと、ちょっと」
キキはドアの外にでて、声をかけました。
「キキのおひざに乗らない?」
「うん……でも、あとで」
「いいじゃない。ちょっとだけ、ほら……ここに、どうぞ」
キキはしゃがんで、ひざをたたきました。
オレくんはふんと小さくうなずくと、またがるようにすわってキキと顔をあわせました。
「オレくん、教えてくれない。ヤアくんとへんな国にいったんでしょ」
「うん、いったよ」
オレくんはこくんとうなずきました。
「どんなとこだった?」
「あのね、ぷーって……とびっことりっこしたんだ」
オレくんはぷーっというと、キキのひざのうえでとぶまねをしました。
「それで……?」
「とんで……おちまいするの。これからうんとこどっこいいくから、あとでね」
オレくんはキキのひざからおりて、また棒をふり回しながら行ってしまいました。
すると、トトトットとかるいスキップの足音をさせて、ノノちゃんがやってきました。
「あっ、ノノちゃん、キキのおひざにすわらない?」
キキはよびとめて、入り口の敷居にすわると、さそうように両手でひざをたたきました。
「いいよ」
ノノちゃんはむこうをむくと、ぽんと小さなおしりを乗せました。スカートがふわっとゆれました。
「わー、おすましだなあ」
「うん、およめちゃんみたいでしょ」
ノノちゃんははにかんでにやっと笑いました。
「ねえ、ノノちゃん。ヤアくんと行ったへんな国のお話、して」
「おててつないで行くんだよ。みんなして胸のところ、きゅうっとなるの。それから、とびっことりっこするの。また行くんだ、ヤアくんと……」
そういうとノノちゃんはキキのひざからぷおーんととんでおりて、走っていってしまいました。
キキはじっとふたりが行ったほうを見ていました。それから立ちあがると、「とびっこ とりっこ」といって、力いっぱいとびあがってみました。でも両足が地面についたとき、かかとからつーんと頭のさきへ痛さが伝わってきただけでした。
(ひとりで行くの? わたし、行けないみたい……)
キキはつまらなそうに顔をしかめました。
その夜、キキは寝ているジジをそっとゆすりました。
「ジジ、おきて、いっしょにお茶飲まない?」
「ぼくはいいよ」
ジジはあくびまじりの声でいうと、ごろんとむこうをむいてしまいました。
キキはその背中に声をかけました。
「ねえ、ジジ、ヤアくんのへんな国ごっこって、あんたも知ってるの?」
「うん」
ジジはむこうをむいたままいいました。
「へー、ジジったら、いつヤアくんと仲よしになったの? わたしにはなんにもいわないんだから……それでジジも行ったの?」
「まだ。こんど行くんだ。いっしょに行こうって、約束したんだ」
「約束? ヤアくんと言葉通じるの?」
「うん、いつの間にか通じちゃうんだよ」
「そうなの。それでもし行ったら、わたしに話してね、どんな感じか。約束よ」
「わかんないよ、まだ……ぼくだって約束できないよ」
キキはいつものように話にのってこないジジをじっと見つめながら、
「いっしょ、いっしょ、ってあんたたちいいわね……わたしだって、へんな国に行っちゃいたいわよ」
とつぶやきました。
キキはヤアくんの部屋のドアをすこしあけて、寝袋のなかに半分かくれている小さな顔を見つめました。しずかな寝息も聞こえてきます。それは小さかったときのヤアくんの顔のままでした。
「お月さまに近くなる、お月さまに近くなる」
はじめて会ったときヤアくんはうたうようにいいながら、木のてっぺん目ざしてのぼっていたのでした。
(あれからずっとヤアくんは、高いところ、高いところとのぼりつづけて、変な国をのぞいてなにかをとびっことりっこしているのかもしれない……)とキキは思いました。