12 おわりのとびら
その夜、キキの胸ははげしく波立っていました。このところずーっとたまっていた不満が、体じゅうをかけめぐっていきます。
(あの子が、じゃまする。
あの子が、じゃまする。
わたしの大事にしてるコリコの町のくらしを。
ジジだって、そわそわしてどこかへん。
おソノさんだって、あの子を頼りにしている。
とんぼさんだって、仲よくしたいみたいじゃないの。
町の人たちだって、あたらしものずきの、おっちょこちょいだわ。
それなのに、ケケはいつだって笑っている。どうしてあんなふうに平気な顔でいられるの?)
キキは世界じゅうが敵のように感じていました。キキはケケにまけまいとして、いろいろはずかしいことをしてしまいました。魔女のほこりも決まりもすてて、仕事を放りだしたり、お金をねだったり、うかれてぜいたくな買いものをしたり、考えるだけでもなさけなく、消えてしまいたくなります。
ある日とつぜんとびこんできた、この十二歳の女の子のために、キキのくらしはかわってしまったのです。キキはケケにおされ、どんどん自分を見うしなっていきました。毎日をたのしく、元気に生きていたキキはどこへ行ってしまったのでしょう。嵐のような半年でした。そしていったい、このさきはどうなっていくのでしょう。
(もうわたしなんていなくってもいいんだわ)
そばのふとんにくるまってジジはぐっすりと寝ています。キキはきゅうに泣きたくなりました。まくらをひきよせ、顔をうずめました。声がでないように、ぐっとおさえて肩をふるわせました。
キキは、こんなさびしい自分に出会うなんて、思ってもみませんでした。
(もうどこかに消えてしまいたい。こんなはずかしい自分をもう見たくない。もう、おわりにしたい……)
キキはなにか気配を感じて、涙でくちゃくちゃになった目で棚のうえの「おわりのとびら」の本を見ました。キキは、はだしの足を床におろし、しのび足で近づいていきました。ふいをつくように、本をすばやく手にとったとたん、本は待っていたように、するりっと二つに開きました。
キキは窓の近くによって、月の明かりにかざして文字をさがしました。あいかわらず、とぎれとぎれです。でもそこにはこんなことが書いてありました。
「あんた、とびらをあけたね。
あたしを一目見るなり、にげていっちゃったけど、
この世のおわりって顔をしていたけど、
このとびらはね、おわりから開くんだよ。
にげないで、さ、はいっておいでよ」
読みおわって、キキはじっと空中を見つめていました。
「おわりから開くとびら……」キキはつぶやいて、それからいそいでベッドのほうにもどると、はだしの足を靴にいれ、ほうきをもって外にとびだしました。「どこか行ってしまいたい」キキは立ちどまって、さがすように空を見上げました。
遠く暗くつらなる夜の山のうえに、こい
「わたしは空といつもいっしょだった。わたしと空は二つで一つ。わたしの『おわりのとびら』はきっと空のむこう!」
キキはほうきにまたがり、空にむかって飛びあがりました。矢のように、ぐんぐんうえへ、うえへとのぼっていきます。
「ひっ」
後ろから小さな悲鳴がきこえてきました。ふりむくと、いつのまにか、ジジがふさのさきに、両手でしがみつき、ゆれています。キキはそれをちらっと見ただけで、息もつかずにのぼっていきました。空気はつめたく、ほほがぴしぴしとひきつります。キキはほうきの柄をにぎった手に力を入れて、さらに、高く、高く、のぼっていきました。
目をしたにむけると、遠く、小さくコリコの町が見えます。電気のついた町は、まるでやみにうかぶ光の島のようでした。
その光の島のまんなかに、時計台のまるい時計が見えます。キキにとって、あそこはコリコの町の中心でした。十三歳のとき、魔女の旅立ちをして、この町の上空にたどりついたとき、あの棒のような高い塔を持って、この町をコマみたいにまわしたらおもしろそうなんて、思いました。なんでもできると思っていた、魔女一年生のときです。キキはおソノさんのグーチョキパン屋さんのほうに目をむけました。
(あの粉だらけになって寝た、さいしょの夜……。魔女の宅急便の看板をかけた日……。あっ、二本の首かざりのように光っているのは、大川の橋の明かり……。ずっと前に会ったおばあちゃんが小さな女の子だったとき赤い靴を投げたとこ……。どれも、これも、みんな、みんなおわってしまった思い出……)
きゅうにキキの目から涙がぼうぼうと流れてきました。
(この町はわたしの町だったのに。この町がすきでもどってきたのに……)なつかしい人たちひとりひとりをキキは思いだしていました。(この人たちがいたから、自分に安心していられた。こんなたいせつなものから、はなれてどこに行こうというの? 今はなれたら、みんな消えてしまうのよ。いいの?)
キキは自分に問いかけました。したにひろがるコリコの町の風景がキキの胸をうちつづけます。
(この町にくらべたら、ケケのことなんて小さなことじゃないの)
キキは今まで自分をささえてくれていたものがこの町にあることを、ふるえながら感じていました。
風がうずまいています。髪が逆立ち、涙にぬれたほほにはりつきます。キキは顔を動かしてふりはらおうとしました。その動いた目のはじに、光とやみがくっきりと分かれている線が見えました。コリコの海岸です。キキがとんぼさんとはじめて会ったところです。あのときは暑く明るい夏の浜辺でした。キキの目のなかでとんぼさんの姿がいっぱいになりました。
「キキに見せたくって」
竹とんぼができたとき、とんぼさんはいいました。たしかにいいました。
「キキに見せたくって、見せたくって……」
こだまのようにとんぼさんの言葉がひびいてきます。
キキはきゅうにぶるぶるとふるえだしました。するとだれと競争するのでもない正直な気持ちが、キキのなかからほとばしっていきました。
「とんぼさんがすき、わたしは、とんぼさんがすき、
とんぼさんのコリコの町もすき」
そのとたんです。ぐんぐんと暗い空にむかって飛んでいたほうきが、とつぜんおれたようにしたをむき、まっさかさまに落ちはじめたのです。ものすごい速さです。まるでほうきに強い意志でもあるみたいに落ちていきます。一直線にしたへ、したへ、世界を切りさくように落ちていきました。そのとき、キキのなかからなにかがちぎれ、とびちっていきました。息も思うようにならないほど、はげしく風がうずまいているのに、やがてその風は魔女になろうと思った日、はじめて飛んだときと同じ、ふしぎにやさしい魔法の風にかわっていました。
やがて小高い山のすそに、キキの体が大きくはずんで落ちると、そのままぐるぐると転がってとまりました。
(とびらが、あいたの? わたし、べつの世界に行っちゃったの?)
キキはぼーっとした頭で思いました。たおれたままで目を開くと、あたりはまっくらです。見上げると、空一面に星が光っていました。となりにはジジがぴったりとくっついてうずくまっています。その体のあたたかさがつたわってきました。
(わたし、まだ生きているみたい)とキキは思いました。
キキはずきずきと痛む体で、やっとおきあがると、ジジを抱き、ほうきをひきずって、家に帰ってきました。夜のやみのなかで、なつかしい町のにおいが、キキを包むようにただよっていました。
キキははっと目をさましました。ベッドにたどりつくと、そのままたおれて、寝てしまったようです。カーテンもあけたままの窓から、朝の光がキキの顔にあたっていました。ケケの部屋のドアが半分開いています。キキは立ちあがって、こわごわなかをのぞきました。すると、なかはすっかりかたづいて、きのうまでケケがちらかしほうだいにくらしていたあとは、まったく見えません。キキは一瞬わけがわからなくなって、がらんとしている部屋のなかを見つめていました。
(あの女の子、ほんとうにここにいたのかしら……あれは夢だったのかしら……)
キキはきのうの夜、地面にぶつけて、まだずきずきと痛んでいる左の手をそっとかかえてみました。それからくしゃみの薬を取りだして、そっと痛む手にあてました。なぜかこの薬は、いまのキキの痛みにもきくように思えたのです。ずきずきととがったような痛みが、すこしやわらいでいきました。
「行っちゃったんだ、ケケ」
ジジがよってきて、ぽつりっとつぶやきました。
「あの子? ほんとに?」
キキがいいました。
「朝はやーく、前の道をすーっとでていった。追いかけたけど、見えなくなっちゃったの」
ジジがいいました。
(ずっといてくれても、わたしはもうだいじょうぶなのに……)
あの、いつも細くゆれているような女の子。まぼろしのように、とつぜんあらわれ、とつぜん消えてしまった……。キキの体にするどい痛みがひろがっていきました。
キキはおソノさんのところに走っていきました。
「ケケのことね」おソノさんはキキの顔を見ると、すぐいいました。「けさはやく来てね、また、どこかに行くっていうのよ。もちろんわたし、とめたんだけど……そしたら、あの子、なんていったと思う? もうこれ以上いても、この町はおもしろくないもーん、ですって。でもね、この道まっすぐ歩いていく後ろ姿はまるでかげろうのようだった。細くて、ふらーっとして、さびしそうで……それ見たら、わたし、たまらなくなって追いかけたの。でもふいっとむこうの横町をまがってしまって、わたしも、つづいてとびこんだんだけど……もう、どこにもいないの。消えちゃったの」
キキはだまっておソノさんを見つめていました。
「あの子、やっぱり魔女だったのね。だから行っちゃったのね。魔女って一つの町にひとりってことになってるんでしょ」
おソノさんはいいました。
「わたし……わかんない……それ、昔の……決まりだし……」キキは口のなかで、もそもそといいました。すると、とつぜん、涙がどーっとでてきました。「ごめんなさい。わたし、びっくりしてるの」キキはそういうと、後ろをむきました。
(あの子はまだ十二歳だったのに。細い腕、消えていきそうな歩きかた、いちどだって、ケケの身になって、わたしは考えてみたことがあったかしら……)
今になってキキは、ケケの心のなかを感じたいと強く思いました。
キキが家にもどって、あけたままにしてあったドアをしめようとしたときでした。ドアの動きにつれて、一枚の紙がすべるように落ちてきました。それは走り書きのメモで、あの本のことが書いてありました。
「ながらくおあずかりいただいた本、『おわりのとびら』をとどけていただきたい。場所は中央駅、ホーム、本日十一時半に。時間はお守りください」
キキは時計を見ました。十一時です。あと三十分しかありません。キキは机のうえから本を取りあげました。表紙をじっと見てから、いつものように指で紙をなぞってみました。本はしずかに開きました。そこにはこんなことが書いてありました。
「あたしはいつもここにいるよ。安心おし。いつでもいるから」
キキは本をとじ、ちょっとの間、胸に抱きしめました。
「ジジ、行くわよ」
キキは声をかけて外にでていきました。
中央駅のホームの海側のはずれに、細い人かげがゆらめくように立っていました。ケケでした。キキはひゅっと息をのみました。
「ケケだ、ケケだよ。会えたよ」
ジジがさけびます。
キキがすぐそばにおりたつと、ケケはおどろいたようにいいました。
「どうして、わかったの?」
「この本をここにとどけてほしいって、手紙があったの」
「やだ、また、パパだわ。あの人、またおせっかいして。あたしとキキをもういちど会わせようとしたんだ、きっと」
ケケが、あきれたように、首をふりました。
「じゃ、この本、やっぱりケケのだったのね。そうじゃないかと思ったわ」
「ちがう。おやじの……いや、ママの……なんだって」
「やっぱり、みなしごじゃないじゃない」
キキはちょっぴりからかうように笑いました。
「おんなじようなもんよ」
ケケは口をつきだし、横をむきました。
「いつか、家をのぞいていた人が、ケケのおとうさんね、そうでしょ?」
「うん。やったらうるさくって、もうかんべんしてほしいよ」
ケケは会ったときからずーっとそうだったように、なまいきなままのケケでした。そんなケケにもういちど会えてよかったと、キキは思いました。
「ケケ、もう列車にのるの? 帰っちゃうの?」
キキは線路のむこうを見ました。
「それがさ、このいなかじゃさ、あと一時間しないと、列車来ないんだって。おくれてるんだって、まったくもう。親指立てて、にっこりやってなにかに乗せてもらってもいいけどさ……。もう、あきたしさ」
「やっぱり、行っちゃうのね」
「いつまでも、ばかやってられないもん」
「またそんなこという……じゃ、いっしょに待とう、いい?」
キキはいっしょに家に帰ろうねといいたくなりました。でもいつもとどこかちがうケケの顔を見ていると、それは自分の満足のための言葉のように思いました。ケケもなにかを心に決めたのです。
キキがベンチにすわると、そのとなりにケケものろのろとすわりました。海からの風が、ふたりの髪の毛を、ぼうぼうにふきちらしていきます。
「あたし、見たよ」ケケがキキを見つめました。目がきっと光っています。「あんたが、落ちてくるとこ」
「ほんと?」
「すさまじかったね。あたし、ふるえた。暗い空が切れていくみたいだった。あたしも、いっしょに痛かった。でもよかったね、生きてて」
「うん、よかった。でもね、ここ、ぶつけちゃった」
キキは左の腕をおさえました。
「痛い?」
「うん。だけどね、ほんとういうとね、痛いのうれしいの」
キキは肩をすくめて笑いました。
「また、いい子ちゃんぶっちゃってる……でも、あたし、あれ見て、家に帰ろうと思った。もういい、帰ろうと思った。見えたんだ、帰り道が」
「わたしも、見えたの。やっぱり道が。おわりのとびらが開いたのよ。そしたらおわりのとびらって、はじまりにつながっていた。空でなく、地上にあったの」
ケケがうなずいて、にっと笑いました。キキもかえすように、にっと笑いました。
「ケケの家って、どこ?」
「ずーっと北のほう。でっかい町だよ。ここよりずーっと。それにあたしんち、でっかい家でさ。金持ち。でも、ママ、いないんだ。あたしが、四つのとき死んじゃったんだ。はやすぎるよな。あたしもひとりっ子でしょ。おやじ、猫っかわいがりでさ、あたしも猫かぶり病やってたし。ママはかっこいい女だったらしいんだ。おやじは、ママみたいにあたしがいなくなっちゃたいへんだと思ってるんだよ。いっとくけど、あたしはママじゃないのに。で、家出しちゃった。ちょっとの家出のつもりだったけど、大きな家出になっちゃったみたい……」
ケケはリュックサックから、いつか玉小袋といっていた袋を取りだしました。それからひものさきについている赤い玉を目にあてて、「ジジ」っていいました。とたんにジジが毛を逆立てました。
「あっ、それだったの?」
キキも声をあげました。
「やみ夜に光るんだ、この玉」
ケケはそういうと、袋をあけて、すこし茶色くなった紙を取りだすと、キキにわたしました。
「見てもいいの?」
「いいよ。意味、よくわかんなかったんだけど、すこしわかってきた」
キキはたたんである紙をひろげました。太い万年筆の字で、一字、一字、きちんと書いてありました。
「ユイゴンなんだって、ママの」
ケケがいいました。
「ケケ、思い出は魔法だって、ママは思います。とてもみじかい間だったけど、ケケとママの思い出はやっぱり魔法です」
「泣いちゃだめだよ」キキが読みおわると、ケケはすかさずいいました。「ママがいうように、あたしには思い出なんてないのに。ママのひとりよがりだね」
「そうかな」キキがいいました。「でもケケがここにいるじゃない。思い出ってそういうことだと思う。考えるとふしぎね。見えないけど……消せない。……これって魔法じゃないかしら。わたしがコリコの町にいるのも魔法って思えるのよ。たまたま来たのに、今は思い出がいっぱい。思い出ってわたしなの。それをすてたら、わたしもすてることになっちゃう。空のうえで、わたしそれを見つけたの」
「ふーん」ケケは大きく息をはくと、そのままじっと空中を見つめていました。「魔法って、見つけるってことなんだね」
ケケは自分にいうようにつぶやくとまた、話しだしました。
「おやじは、ママが魔女だったっていったけど、ほんとだったみたい。だってあたし、ひとりでこの町に来たら、なんでもできるようになっちゃったんだもの。どうしてだかわかんないけど……。さきにキキがいたからかな」
「この本に魔法が書いてあったの?」
キキはかかえていた本をさしだしました。
「その本はね、あたしがここに来たあと、パパが送ってよこしたの。へんなやりかたでキキにたのんでさ。どうしたらいいかわからなかったんじゃないの。でも家出したあたしのそばにおいとかなくちゃって思ったんだよ。あたし、知らなかったけど、あの日、キキが持って帰ってきたとき、ぴーんときた。だって、『おわりのとびら』って書いてあったから。死ぬ前ママが『おわりになっても、開くとびらがある。だからはなれてもわたしたちはいつもつながってる』っていってたって、ずーっと前パパにきいてたから」
「そうなの。きのうの夜、わたしも、この本を開いたら、『このとびらはね、おわりから開くんだよ。……はいっておいでよ』って、いわれたの。それで空に飛びだしたの。とびらは空にあるような気がして」
「それ、あたしのせいだね」
ケケがいいました。
「ちがう、わたしのせいよ」キキはだんだんとのりだして、いいました。「ねえ、この本、ちょっとおせっかいなとこあるけど、もういちどふたりであけてみようか」
「いっしょに……?」
ふたりは笑いあいました。それから二つの手をそえて、ぱっとあけてみました。するとこんな言葉がでてきました。
「すべてより、ひとつが宝」
「どういう意味かしら……」
キキがまゆをひそめました。
「あたしはわかるよ。なんでもできるのってどこかまちがってるって、キキ、いってたじゃない。ほんと、なんでもできるのって、あんがいおもしろくないんだよね。自分がなんだかわからなくなっちゃう。これってやばいよ。ごめんね、キキ。あたし、うわさをきいて、キキのこと、ちょっと見ようと思ってこの町に来たんだ。そしたらすごく評判いいし、かわいい猫なんているし、それにさ、とんぼさんなんてかっこいい友だちまでいて、おかあさんもいるし、キキにはみんなそろっているんだもの。あたし、めちゃめちゃわるものになりたくなっちゃったんだ。横取りしてやろうと思った。でも、もうおわり。こわいもんを見ちゃったから。キキが落ちてくるんだもの、あれ、こわかったあ」
ケケは青ざめて、体をこわばらせました。キキはきのうのことを思いだして、空を見上げました。つられてケケも見上げていいました。
「空のなかって、魔法あるんだ」
「はてしないから……」
キキはうなずいていいました。
ケケは、走ってくる列車に気がついて、立ちあがりました。
「あれ、わかれの列車が来ちゃったみたいだよ」
「また、もどってくるでしょ」
キキも立ちあがりました。
「わかんない」
「ケケ、魔女になるんでしょ?」
「それもわからない。まず、『ひとつが宝』っていうの、さがすほうがさきだから」
ケケは口をきゅっとつきだしました。はじめて会ったときからずっとかわらないケケの顔でした。
列車がホームにとまり、人がおりてきました。ケケは乗り口に足をかけると、
「ジジ、あたしの猫ちゃんにならないの?」といいました。
キキの足もとにいたジジが、びりりっとふるえました。それからとぶように走って、ケケの背中にかじりつきました。ケケはふりむいて、ジジをしっかりと抱きしめました。
「いいの? ほんと? まさかね……ジジ、あんたもやさしいね」ケケはジジを抱きあげて、口をちゅっとつけました。「さよなら」
ケケはジジをはなしました。
走りだした列車からジジがとびおり、手をふるキキといっしょに、ホームのはじまで走りつづけました。
それから、何日かして、キキはコキリさんに手紙を書きました。
「おかあさん、おとうさんがすきって思ったとき、どんな気持ちだった? おしえて」
一週間ほどして、コキリさんから返事がきました。
「ずいぶん昔のことだけど、なにもかも、はっきりおぼえています。わたしは十八でした。この小さな町で魔女として、なんとか生きていました。そんなとき、オキノさんと会ったのです。オキノさんはわたしに好意をもってくれているようでした。でも、オキノさんはふつうの人です。しかも今のように、開かれた時代でもありませんでした。わたしも魔女であることにひけめを感じていたのです。だからすきになるのはやめようと思っていました。両方の家族の反対もあったし、えんりょもあったし、自分の気持ちはなるべくごまかして、見ないようにしていました。そんなしずんだ気持ちをもちつづけるのにつかれて、ある夜、空の高いところを飛んでいたの。そのとき、もう、だれからもはなれ、自分からもはなれて、どこか雲のなかにでもかくれてしまいたいと思った。おわかれかもしれないと思って、もういちど、この町を見たの。オキノさんのいるところを見たかったのよ。
そのとき、思ったの。
わたしはオキノさんがすきだ。それはほんとうのことだって。わたしが生きているのと同じぐらいたしかなことだって。わたしがわたしでいるかぎり、この気持ちはかえられないって思ったの。そのとたん、わたし、落ちていったの。まっさかさまに、一直線に。気がついたときには、足をひどくねんざして、草山の中腹にたおれていました。
その日から、おかあさんはおとなになれたと思いました。そしてその日からオキノさんといつもいっしょです。そして今でもちゃんと魔女しています」
読みおわって、キキは思わず笑いました。
(おんなじだったんだ)
それからうれしくって、すこし泣きました。
ケケがいなくなって、ケケを知っていた人はみんな、すこしぼーっとしています。
「ぱっと、消えちゃったわね」
おソノさんはさびしそうです。
「どこかで飛行クラブつくってるよ、きっと」
とんぼさんもなつかしそうです。
ケケはねずみ花火のように、ぽんぽんとはねながらやってきて、またぽんぽんとはねながら行ってしまいました。でもこの、へんにおしゃれで、人なつっこいねずみ花火は、だれにとってもわすれられない思い出になりました。
もうすっかり秋になりました。
とんぼさんが遠くはなれた技術学校へ行く日も近くなってきました。そんなある日のこと、とんぼさんからキキに電話がかかってきました。
「ねえ、あした、会えない?」
「いいわよ。みんなも、いっしょ?」
「いや、ぼくだけ……」
「わっ、ふたりで? うれしい!」
キキはとびつくようにこたえました。
「どこで会おうか。キキはどこがいい?」
「わたしねえ、あそこがいいな。コリコの海岸」
「同じだ。ぼくもコリコの海岸で会いたかったんだ。夕方がいいな。水飲み場のとこ」
「とんぼさん、夕焼けがすきね」
キキははずんだ声でいいました。それからふたりはしぜんと声をあわせていいました。
「ちょっぴり魔法もあるもんね」
「それからキキ、いつものキキ……」
「え? もちろん、あのキキ十六歳の記念のドレスは、思い出にしまっておくわ」
キキはこたえながら、くくくと笑いました。
いつ見ても、コリコ湾の夕日は美しいとキキは思いました。とくに秋の夕焼けは、夕日がのこっている空と、暗くなっていく空の色が、くっきりとわかれて、空のふしぎさを感じさせてくれます。
空のなかには魔法がある、といったケケの言葉を、キキは思いだしていました。
キキは海岸通りから公園をぬけて、浜辺におりていきました。
「やあ」
とんぼさんがふりむいていいました。
「来てくれてありがとう」
とてもあらたまった声でした。
(あれ、わたしが来ないとでも思ったのかしら……なんてこたえたらいいの? こんなとき……)
「ありがとう」とっさにキキはいいました。あわてたので、きゅうに目がぱちぱちって動いてしまいました。それから、「わたしも……よ」とつづけました。
とんぼさんもかしこまっています。ふたりがむきあっている間を、かたい空気が流れていきました。
「あのね、ぼくね、あと三日したら、この町はなれて、学校に行かなくちゃならない」
「うん、そうね。知ってるわ」
「そしたら遠くなっちゃうから、あまり帰ってこれないかもしれない。キキもどっかに行っちゃう?」
「行かない、ぜったい! わたし、コリコの町がすきだもの。この町、とんぼさんの町でしょ。そしてわたしの町。だからずっとここにいる。帰ってきたら『魔女の宅急便』のとびらをたたいてね。わたしはいつもいるから。約束するわ」
キキの声はだんだん大きくはやくなっていきました。とんぼさんはうれしそうに、でもちょっとはずかしそうにうなずきました。
「ああ、よかった。キキがいなくなっちゃったらたいへんだもの。あのね……あっ、ぼくってすぐ、こう、自分の話になっちゃうんだなあ……」
「いいわよ、きかせて」
「ぼくね、学校にはいったら、昆虫のこと研究したいと思ってるんだ」
「えっ、昆虫って、とんぼとか? あら!」
キキは笑いだしました。とんぼさんも笑いだしました。
「そう、ふふふ、そうだよ。まず、自分を知ることからはじまるのさ。あんがいとんぼってふしぎかくしてるかもよ。ぼく、そこを勉強してみたいんだ。昆虫ってあんなに小さいのに、姿をかくすことができるのもいるし、もちろん飛んだりするし、ふしぎがいっぱいだよ、想像しただけで目がまわりそう」
とんぼの目みたいなめがねのなかで、とんぼさんの目がおどけてぐるんとまわりました。すっかりいつものとんぼさんにもどっていました。
それから、とんぼさんはよせてくる波に近づいて、キキにいいました。
「ねえ、ちょっと、キキもここに来て」
キキもとんぼさんとならんで立ちました。
「ねえ、きこえる?」とんぼさんがいいました。「波ってさ、なにかつぶやいてるって思わない?」
キキは目をあげて遠くを見ました。よせてくる波が、岸辺近くになると、今までかくしていたものを見せるように白い波頭をめくり、じぶじぶ、じぶじぶと音をさせて砂に消えていきます。
「ほんと、なにかささやいているみたい。そういえば、人の声にきこえる」
キキはうなずいて、いいました。
「ここでキキを待っている間、ずーっとぼく、この音、きいていたんだけど……波って、ほうぼうの海辺できいたことを運んでくるんじゃないかなって、思った。それが昔からずっととまらないでつづいているんだよ。すごいね」
「もしかして、海に秘密をきいてもらったり?」
「うん」
とんぼさんがうなずきました。
「じゃ」キキはすっと立ちあがりました。それから大きく息をすうと海にむかってさけびました。「わたしたちふたりも仲間に入れて」
とんぼさんはとびあがるように立ちあがりました。
「わお! すてきだ。入れてくださーい」
それからふたりは顔を見合わせて、笑いあいました。
「きっとほうぼうの浜辺に運んでくれるわ。わたしたちの言葉……じぶじぶ、じぶじぶ……って」
キキはいいました。
「そうだ、キキ、ぼく、竹とんぼを持ってきたんだ」とんぼさんはポケットから、くねっとまがった竹の板と棒を二本取りだしました。「キキに見せたくって」
とんぼさんはあのはじめのときと同じいいかたをしました。
「ほんと? 有名なゼンマイ式、浮遊型、もどり形式ね! わあ、うれしい!」
「じゃ、特別飛行、はじめますよ!」
とんぼさんは棒を板にさしこみ、その棒にもう一つの棒を横にさしこんで、きりきりと回しはじめました。
「とてもかんたんな形なのね」
「そう、かんたん。これってぼくの魔法」
とんぼさんは目をかがやかせて笑いました。それから海にむかって手を高くあげ、ぱんとはなしました。竹とんぼはすごいいきおいで飛んでいきました。
(あれ! また、どっかに行っちゃう)
キキはしんぱいになって目で追いかけました。
竹とんぼは海のうえで一瞬うくようにとまったかとおもうと、つぎにはげしく回転をつづけ、こんどはゆっくりとキキのほうにもどってきました。そしてキキのさしあげた両手のなかに、しずかにおりてきました。
「あら、もどってきた。わたしのところに」
「そう、もちろんさ」
とんぼさんはちょっと胸をそらして、うなずきました。
出発の日にはジジと駅まで見送りに行くと約束をして、とんぼさんとわかれると、キキはひとり、グーチョキパン屋さんの見える横町をまがりました。すると、どこかの家のラジオからカラさんの歌が流れてきました。
ひざを かかえて うなだれて
なにかを さがして
自分で 自分の ひとみをのぞく
弱気な あなた
窓の むこうに 風はふくのに
手をふる ひとも きっと いるのに
あなたのなかに 笑顔も あるのに
自分が 自分に 出会うとき
あなたにも いつかある
自分が 自分に 出会うとき
あなたにも きっとある