5 しみだらけの本
「あの手紙には、いずれって書いてあったけど、いずれっていったいいつなんだろう」
キキはひとりごとをいいながら、窓辺の机のうえにおいたままになっている、「むかし屋」さんからあずかってきた本を横目で見ました。よごれのかたまりのような表紙を見るたびに気になってしかたがありません。あれからもう七日がすぎています。キキは、わけもわからない悩みごとをおしつけられてしまったような気持ちでした。
大きな音をたてて物置のドアがあくと、ケケがでてきました。おあずかりものがここにも一つあったわと、キキは思いました。
「ちわー」
ケケはキキに手をあげて、いせいのいい声をかけました。赤いリボンできりっと二つに結んでいる髪の毛が、きょうはいっそうとんがっています。肩からは赤いポシェットをさげ、赤い靴をはいていました。
「あら、いたの? しばらくね」言葉をかえしながらキキは思わず見とれてしまいました。(あんなおしゃれの冒険、わたしもしてみたいな。でもコキリさんは、なんていうかしら……)
そのとたんキキははっとして、机のうえの本をかくすように、体を動かしました。
「うん、よくでかけていたのよ。ちょっとばかりさ、あたし、勉強してたから」
ケケは気どって目をぱちぱちさせて見せました。
「勉強?」
「そうよ。ぼちぼち始めてるんだ。じゃないと、ばかがばかになっちゃうでしょ」
ケケは口をなまいきにまげていうと、はははっとわざとらしく笑いました。
「どんな勉強してるの?」
「それきいてどうするの。キキって気にするんだね。人のこと……」こんどは鼻であしらうようにいいながら、ドアのほうにむかいかけ、ふとふりむきました。「ねえねえ、あたし、きのう町でへんな看板見ちゃった。ドアに『飛行クラブ』って書いてあったの。入会自由だって」
キキはひゅっと息をのみました。同時に、いすにすわっていたジジの耳がぴんと立ちました。
「あれ、キキも知ってるの?」
「ええ、わたし、この町に長いもん」
「キキには関係ないことだけど、飛びたい人の集まりなんだってね。飛べないってわかっているくせに……どういうつもりなんだろ。まったく、お・き・の・ど・く・さま」
「でも、たのしいからやってるんでしょ」
「それって、学校の先生みたいないいかたじゃない? ところで、あのクラブ、女でもはいれるの?」
「あら、ケケ、はいるつもり?」
「ふん、ばかばかしいことやってみるの、あたし、すきだから。それにあたし、お友だちもほしいし……」ケケは、びっくりしているキキを、からかうように見ると、「あっ、それそれ」と、キキの後ろをのぞきこみ、「その本、おもしろいね」といいました。
「えっ、見たの?」
「ちょびっと。盗み見、わりかったかな」
「でも、ページがくっついてあかなかったでしょ」
「あいたよ。ものすごくおもしろいよ。キキも見てごらんよ」
キキの目がきゅっとつりあがり、むっとした顔になりました。
「これ、おきゃくさんからのあずかりものなのよ。いたずらしないでよ」
「はい、はい。だからわりいって、いったじゃないの。じゃ、キキは見てないんだ。ほんとうに見ないつもり? おもしろいのにさ……あー、そうそう、あたしはこんなことをしてられない。これから、ちょっとご用事、おでかけでーす」ケケはそれから、「たいへーん、おくれちゃうー」と、声をはりあげて、とびだしていきました。
キキはその後ろ姿を、唇をかみながらじっと見ていました。
「ねえ、見ないの?」
ジジがぴょんと机のうえにとびのりました。
「なにを?」
「本だよ」
「わたしは、見ないの、見ないったら、見ないの」
キキは体をかがめ、ジジの鼻さきに言葉をぶっつけました。ジジはふーっと体をふくらませて、ふんと横をむいてしまいました。
ぱらぱらぱらと、外から音がきこえてきました。雨です。さっきまでいいお天気だったのに、空には雨雲がいっぱいにひろがっていきます。窓のむこうでは、二十センチばかりにのびたくすりぐさが、雨にあたってぷるぷるとふるえていました。
「ケケ、ぬれちゃうね」
ジジがぽつりといいました。
「あんた、しんぱいなの?」キキはおどろいて、ジジを見ました。「なら、傘、持っていってあげたら」
「むりだよ。遠いもん」
「ジジ、あんた、知ってるの? ケケがどこに行ったか……」
キキの声がひっくりかえりました。
ルルルルー ルルルルー
はりつめた空気をたち切るように、電話が鳴りだしました。
「もしもし、魔女さんですか。雨のふるところもうしわけありませんが、おねがいがあります。とどけていただきたいものがあるんですけど……」
「はい」
キキはちらりとむかし屋さんの本に目を走らせながら、うなずきました。
「うちはかいづか通りの十六番地です。すいませんね。すぐ来ていただけます?」
「はい」
キキはうなずきながら、そばにかかっているレインコートに手をのばしました。
「わるいけど、ぼく、待ってる。雨だから」
ジジがもうしわけなさそうにいいました。ジジったらやっぱりちょっとへん……と思いながら、キキはドアをあけ、ひとりで家をでました。
かいづか通りは、かいづかの枝がのび、緑の葉が壁のように重たくからまっている垣根がつづいていました。その間から古びた家の三角屋根がいくつかのぞいています。キキがその一つ、十六番地のドアをたたくと、足をひきずるような音がして、
「わるいわねえ。おねがいするのは、とても小さなものなのよ。ちょっと前に主人が美術館にでかけたんです。ごぞんじかしら? 図書館のとなりにあるんですけど。あの人、わすれものをしてしまって。気がついたら、きっとこの雨のなかをもどってきちゃいますわ。走ったりしたら、足もとがあぶないから……」
「はい、わたし、お役に立ちます。で、ご主人はなんというお名前ですか?」
「アラヤって、いいます。こい緑のふちのめがねをかけてますから、すぐわかると思います」
おばあさんはそういいながら、赤いふちの小さなめがねをキキにさしだしました。
(あら、もう一つめがね?)って、キキは思いました。それを感じたのか、おばあさんがいいました。
「これはわたしのめがねなの。わたしのかわりに、主人はいつもつれていってくれるんです」
(えっ)キキはおばあさんの顔を見ました。おばあさんのしわにうずもれた目は、ぴったりととじられています。そんなキキのようすに気がついたのか、おばあさんがいいました。
「ごしんぱいなく。こんなふうになってもアラヤのおかげで、わたし、なんでも見せてもらっています」
おばあさんはふーっと笑いました。
「そ、そうですか。わかりました。かならずおとどけします」
キキはなんだかわからないまま、めがねを受け取って、肩にかけたポシェットにそっと入れました。
美術館の切符売り場の前で、おじいさんが洋服のポケットにつぎつぎ手を入れて、さがしものをしていました。緑色のふちのめがねをかけています。
「アラヤさんですか」
キキは走りよっていいました。
「ええ、そうですが。ちょっとわすれものをしたらしい」
アラヤさんはちらりとキキのほうを見て、またポケットをさがしはじめました。
「はい、これ」
キキはおばあさんのめがねをさしだしました。アラヤさんはびっくりしていいました。
「おう、おう、よくわたしがわかりましたな。そ、それにしても、また、どうして?」
「おくさまにたのまれたんです」
キキはおじいさんの目をじっと見ました。
「ミツミに? そう、そうですか。よかった。助かります」おじいさんはそういうと、自分のめがねのうえに、おばあさんの赤いめがねをひょいとのせました。「こうしてね、いっしょに見るんですよ。あなたも、ごいっしょにいかがです? この展覧会はいいと思いますよ」
「おじゃまじゃないですか?」
キキは、とまどいながら、いいました。
「とんでもない、よろこんで。それじゃ、三人いっしょだ」おじいさんは笑うと、ポケットからお金をだして、受付の人に「三人」といいました。それから、ふしぎそうに目をよせてお金を受け取った人に、「いいんですよ。ちゃんと、もうひとりも、拝見しますから」といいながら、額のうえの赤いめがねを、とんとんとたたきました。
「はあ……展示室は二階です」
受付の人は、まだふしぎそうな顔で、手を二階のほうにあげました。
アラヤさんとキキは、一つ一つ絵を見て歩きました。おじいさんはときどき絵の前で、「これは、いいね」とか、「この画家はたのしいね」とかつぶやきました。そしてある絵の前にくると、足をとめて、「ああ、これこれ、わしのおくさんがだいすきなんだ。見えるかな、ほれ、ほれ見てるかな」
それは幹がくねっている大きな木のしたで、女の人が、木に話しかけているように、両手を高くあげている絵でした。おじいさんはしきりに赤いめがねをさわって、動かしています。キキはそーっと二つのめがねをのぞきました。おじいさんのめがねのほうには絵がくっきりとうつっています。そして赤いめがねにも……。でもこちらの絵はどこかに走っていくように、だんだんと小さくなっていきました。
(おばあさんのとこにいったんだ……)とキキは思いました。
見おわって階段をおりかけて、アラヤさんは立ちどまりました。
「魔女さんにお礼をしたいけどな、どうしたらいいかな」
「わたしにはそのときどきのおすそわけでいいんですけど……でも、きょうはもういただきました。切符代もはらっていただいたし、それにすごくすてきなおくりものをもらったような気がします。人の気持ちって、ふしぎですね」
キキは頭をさげました。するとそのとき、階段の窓のむこうに、となりの図書館が見えました。とたんにキキの体がびくっとこわばりました。ななめしたに見える図書館の窓ぎわで、机のうえに厚い本をいっぱいつんで、ケケが夢中になって、なにかを読んでいるのでした。
「あそこは図書館ですよ。ごぞんじなかったかな」と、立ちどまったアラヤさんがいいました。
「ええ、知ってます。あんなふうに勉強もできるんですね」
キキはもごもごこたえながら、ちらり、ちらりとケケのほうに目を走らせました。するとケケの机のそばに、ズボンの足が近づいてきて、とまりました。ケケが顔をあげておしゃべりをしています。たのしそうに笑いながら手ぶり、身ぶり、いそがしく口も動いています。キキのところからは壁にかくれて、その人の顔は見えません。
(あの、細い足……だれかに……にてる)
キキは顔がかーっと熱くなるのを感じました。
ふと気がつくと、アラヤさんはもう階段のしたで、キキを待っています。キキはいそいでおりながら、また窓のほうを見ました。でも階段の窓はもうおわって、壁にかわっていました。そこには鉄の彫刻のポスターが一枚かかっているだけでした。
キキはアラヤさんとわかれると、レインコートのフードを深くかぶり、ほうきをずるずるひきずりながら、雨のなかを歩きだしました。雨のじとじと、じとじととふる音が、不安な気持ちをひろげていきます。
うちに着いて、ドアをあけると、
「ぬれちゃったね、だいじょうぶ?」と、ジジが走りよってきました。
それには返事もしないで、ぱんぱんと雨のしずくをはらうと、ほうきを釘にかけ、ぬれたレインコートをぬいでいすのうえにひろげました。それから、ぬれているのもかまわずにそのうえに腰をおろすと、体をかがめ、ぼーっと空中を見つめました。心はすっかりどっかへ行ってしまったみたいです。しばらくしてキキはふと体をおこし、窓辺においてある本に目を走らせました。ケケに対しての不安な気持ちと、この不気味な本が重なってきたのです。
「見ちゃおう、わたしも……。あの子だって見たんだから」
キキは立ちあがりました。
「本のこと?」
すかさずジジがいいました。
「うん、べつに見ちゃいけないっていわれたわけじゃないんだから……」
キキはそういうと、気持ちが決まったのか、いそいで本に近づき、手にとってじっとながめました。ただの古い本だと思っていたのに、今ではとてもそうは思えなくなりました。こわい刃物でもかくしているような気さえします。キキはスカートのすそをつかむと、表紙のよごれをごしごしとふきはじめました。すると、はじのほうに文字がかすかに見えてきました。
目を近づけ、指でなぞると……どうやら「おわりのとびら」と読めます。とびらの「ら」の字のおわりが、ずずーっとのびて、表紙のまわりを一周すると、「お」の字につながっています。とびらの形になっているみたいです。「おわりのとびら」という文字がちょうど取っ手のところに書かれているのでした。
キキは本を開こうとしました。でもやっぱり開きません。ケケはどうやってこの本を読んだのでしょう。風の通るところにおいておいたのに、かわくどころか、この間よりまたいっそうかたくくっついてしまったようにみえます。
それでもキキはあちこち指を動かしてみました。すると、びっくりするほどとつぜん、ぱりんっと音がして、目の前に二つのページがひろがりました。表面には茶色いしみが一面にういています。つよいかびのにおいで、のどがくすぐったくなってきました。
そこには古めかしい形の字が、とびとびにならんでいました。しみや、虫食いの穴もあって、なかなかつながって読めません。それでもキキがくりかえし見ていると、見えないところが想像できて、すこしずつわかってきました。どうやらこんなことが書いてあるようです。
「『おや、おまえさん、やっとおいでなさったね』と、灰色の髪の老婆がいった。
『待っていたよ。さあ、おはいり』」
かたほうのページはこの言葉だけしか読めませんでした。
「でも、わたし、用があったわけではないのよ。ぐうぜんこのページのところがあいたんですもの」
キキは、思わず声をだして、本にむかっていいわけをいいながら、きゅうにこわくなって後ろをむいてしまいました。でもつづきを見ないではいられませんでした。キキはまた本に目をむけました。
「見るものに、ふしぎはある」
ずーっとはなれて、この一行がやっと読めました。もっとほかのところを読みたいと、キキはあちこちさわってなんとかページをめくろうとしました。でもどのページも波打ちながらもぴったりとくっついていて、どこもあきそうで、あきません。
「はははーん、読んでるんだ、やっぱり」
とつぜん後ろから声がしました。キキがとびあがってふりむくと、にやにや笑ってケケが立っていました。
「やめてよ。おどかすの」
キキがいいました。
「でもさあ、おもしろかったでしょ?」
キキがもっている本のはじを、ケケがすーっとなでていいました。
「だって、ろくに開かないもの、わからない」
「かっこうつけちゃって。ちょびっとはあいたんでしょ。あんがいおもしろいでしょ」
「ケケはこの本の中身、知ってるの?」
「知ってるわけないじゃない。でも、うっすら、わかる」
「どういうふうにわかるの?」
「きっと、『おまえさん』って、よばれてるのは、女の子でさ。なにかしたいんだけど、うまくいかないもんだから、きーきーしてるの。そういう子いるでしょ。きっと昔いたんだな。今もいるけどね」
なんだかいやみないいかたです。
「じゃ、あの灰色の髪のおばあさんは?」
「ほら、やっぱり読んだくせに。あの人はただのおせっかいでしょ」
ケケはそれだけいうと、ふんと肩をもちあげました。それから持っていたポシェットをぐるんと大きくふると、自分の部屋にしている物置に、足音をたててはいっていきました。
「ねえ、勉強してるって、なにしてるの?」
キキはケケの背中にむかっていいました。ケケは立ちどまって、ふりむくと、うれしそうににたーっと笑いました。
「ただ、ちょっと、勉強っていってみたかったのよ。かっこういいもんね。そういうと、みんな、安心するんだよね。キキもそのくち?」
ケケはまたにたーっと笑うと、その顔のまま、部屋のドアをしめてしまいました。キキは目の前のドアを見つめながら、頭のなかに重い石のようにいすわってしまった、本のなかのみじかい言葉のことを、考えていました。
「見るものに、ふしぎはある」とはどういう意味なのでしょう。きょうキキが見たものに関係あるわけないのに、キキはどうしてもつなげて考えてしまうのでした。
赤いめがねのレンズのなかで遠ざかっていった、あの絵のこと、それと窓ごしに見た、あのとても不安になるふたりのこと。この二つがきょうキキが見たものでした。そして、「横取り屋」っていったジジの言葉を思いだして、どきんっとしました。