3 タカミ カラさん
キキはベッドからおきあがると、頭をきゅきゅっと左右に動かしました。このところ、夜なかなかねつけなくて、まだ半分目がさめないのです。
それから目を細めて窓のむこうを見ました。すると細めた目に、くすりぐさの畑がぼーっとくすんだように見えてきました。
春分のあとの十三日間の水やりがおわるとほっとして、キキはくすりぐさのことをわすれていたのです。くすんだように見えたのは、うすい緑色のやわらかいはっぱが朝の露をためて、ところどころ銀色に光っていたからでした。
「わたしって……なんか……」
キキはふとつぶやきました。
「なんかって、なに?」
ジジは耳をぴくぴくと動かし、キキの足もとによってきました。
「それが……わかんないのよ」
キキはくすりぐさの畑から目をそらせて、口をくいっとまげました。
「また始まったみたいだね。キキの考えこみ病。でもしばらくぶりだね」
「なんだか、なにかつっかかって、うずうずするの。このとろんとしたなまあったかい空気のせいかしら」
「どこらへんが?」
「どこかな、首の後ろのほうかな」
キキは頭をぐるりとまわしました。
「わかった。たてがみのところでしょ。そういうときは、首のとこつまんで、つりさげてもらうといいんだ。すーっと体がかるくなるよ。ほら、おソノさんとこのおきゃくさんで、魚のにおいのする人いるでしょ。港市場ではたらいているシンさんっていう人、あのおじさん、それやるのうまいんだよ。つんってつまんで、やさしくぶらぶらってゆらしてくれるの」
「まあ、ジジったら、ちゃっかりして……あまったれやさんなんだ。でもいいわね。ジジはかんたんで。わたしをぶらさげてくれる人なんていないもの」そういいながらキキは目を窓の外にむけました。「あっ、とんぼさんだわ」
「キキをぶらさげてくれる人かもよ、チェチェチェッ」ジジはからかうように口を鳴らしながら窓わくにとびのりました。ズボンのポケットに両手を入れて、むこうからとんぼさんがすいすいっと歩いてきます。「足、細いね。コンパスみたい、くくく」
「まあ、ひどい。長くてかっこいいじゃない」
キキのさっきまでぐずぐずしたようすが、かわっています。すいっと窓からはなれ、くすくす笑いながら体を細くして、わざとらしく壁のかげにかくれました。
「キキ、いる?」
とんぼさんが体をななめにして、窓からのぞきました。
「いますよー」キキはぴょんと横とびして姿を見せました。
「今、ひま?」
「ええ、もちろんよ」
「はやいね、くすりぐさ、もうあんなにのびちゃったの? むこうの角まがったときからいいにおいしてたよ」
とんぼさんは今通ってきた畑をふりかえりました。
「そうなの、気がついたらもうちゃんとくすりぐさらしくなってたの。生長がはやくってなんだか追いかけられてるような気分よ。あっ、とんぼさん、完成したの? ゼンマイ式」とキキはききました。
「まあね」とんぼさんははずかしそうに笑いました。「まずキキに見せたくってさ」
「見せて、見せて」
「それじゃ、歴史的初飛行といきますか」
「ほんと? 今、すぐ?」
キキの目が大きくあいて、とんぼさんをみつめました。
「ちょっと待って。飛ばすのはさ、こだわって……いちばんすてきに見える時間にしたいんだ。夕焼けのころがいいな。夕方は魔法もききそうだし……」
「どこで? どこで飛ばすの?」
「そうだなあ、海の見えるところがいいな。はてなし公園じゃどう?」
「すてき。わたし、ぜったい行く」
「じゃ、夕方までにちゃんと調整しとくから。なんたって初飛行だもん……ねっ」
とんぼさんは念をおすようにくりかえすと、こんどは両手をぶらんぶらんとふりながら走っていきました。
「きいた? ジジ」
キキはふりかえって、たいせつな秘密をうちあけるみたいに小声でいいました。
「きいたよ、まったくおおげさ……初飛行ったって、とんぼさんが飛ぶわけじゃないのに。ただの竹とんぼでしょ」
ジジは舌をチッと鳴らしました。
ルルルルー ルルルルー
電話が鳴りだしました。
「でもね、ただの竹とんぼじゃないのよ。ゼンマイ式だって、浮遊型、もどり形式なのよ、すごいのよ」
キキはいいかえしながら、受話器を取りました。
「ずいぶん、きどった竹とんぼだね」
ジジが首をすくめました。
電話のむこうから、低いような、高いような、女の人の声がきこえてきました。
「あなた、ほら、魔女のおとどけ屋さんよね。ちょっと、これ、洋服、どうにかしてほしいの。運んじゃってほしいのよ」
どこかできいた声……キキは耳をすましました。
「はい、お手伝いさせていただきます。どちらへうかがったらよろしいでしょうか」
「あおぎり通り、六番地のアパートの三〇八号室なの。もうタンスからだしちゃったから、なるべくはやく来てね」
「はい、すぐに」
キキは窓をしめると、ほうきに手をのばしました。
「ジジも行く?」
「もちろん。ぼくは共同経営者だから」
ジジは肩をいからせて、えらそうにのっしのっしとついてきました。
キキが到着すると、でてきた女の人はいきなり、部屋の奥を指さして、
「これなのよ、これ」と肩をすくめました。ふとんを着たようなふっくりした肩のうえに、ちぢれた毛がかさのようにひらいた頭がのっていました。キキより年はだいぶうえでしょうか。さしてひろくない部屋の鏡の前に、はでな色の洋服がいっぱいひろがっています。「みんな着られなくなっちゃったの。部屋はふくらんじゃったわたしだけでいっぱいだっていうのに、洋服までしまう場所ないわ。だから友だちにあげちゃおうと思って」
「これ? こんなきれいなドレス、みんなですか?」
キキはもったいなくて、思わずため息をつきました。
「ええ、みんな。もういらなくなったの。それに持ってても着られないし」
女の人はくやしそうに口をゆがめました。
「この人の声、おなかにひびくなあ」
ジジがつぶやきました。
「じゃ、たたみますね」
キキはいちばんうえにおいてあった菜の花色のワンピースを取りあげました。どこもかしこもひらひらして、ちりかけの花びらのようなドレスでした。キキはちらっと女の人を見ました。大きな目がじっとドレスにそそがれています。キキはそれを見ないふりして、たたみはじめました。
「あっ、ちょ、ちょっと待って。そのドレス……」
女の人がたたんだドレスのはじをつまんで持ちあげると、ドレスはぱらりっと、体の前にさがりました。女の人はドレスを抱きしめるようにして、体をふりふりと動かしました。いっしょに小さな声で歌がきこえてきました。
「このみちの さきまで ふっふふ
あしおと あわせて ふっふふ
ごいっしょ しても かまいませんか ふっふふ
とおく ひかる あの町まで ふっふふ」
「あっ、あなた、タカミ カラさんですね」
キキはおどろいていいました。
「わかる?」
「ええ、わたし、だいすきでした、この歌、『しずかに ふっふふ』。この町に来たとき、すごくはやってて、いつもラジオできいてました」
「気をつかってくれなくてもいいのよ。遠い昔のことよ。でも、魔女さん、いくつだったの?」
「十三でした」
「まだ、子どもじゃないの。この歌がすきだったなんて、おませさん」
「でも、おとなっぽくって、すきだったんです。わたし、その……おとなっぽく、みられたくって」キキはこたえながら、このコリコの町になれないで、毎日どきどきしていたとき、この歌がラジオから流れていたのを思いだしました。音が体のなかで小さな波のようにゆれて、ふしぎと元気になれたのです。「このドレスも、ふっふふって感じですね」
カラさんは体にあてたままドレスをしげしげとながめました。
「ふっふふ、そう、この歌ができたときにつくったのよ。高かったけど、うれしくって、思いきってつくっちゃったの。それがもはや着られないなんて」カラさんは悲しそうにため息をつきました。「このドレスもいろんなとこへ行って、いっしょにうたったのよね。いっしょにいろいろな人に会って、いっしょに夢を見て……拍手もいっぱい、握手もいっぱい、思い出があれば……いつか夢ももてるでしょうか、ふっふふ……でも思い出があれば、さびしいこともあるのよ、ふっふふ、きれいさっぱり、あきらめましょうか、ふっふふ」
カラさんはうたうように、しゃべるように、まぜこぜにしながら、キキにドレスをさしだしました。
「ほんとにあきらめちゃうんですか?」
キキはざんねんそうにいいました。
「だってわたし、このごろさっぱり売れなくなっちゃったのよ。こんなにふくらんじゃったから」
カラさんは泣きそうに口をゆがめながら、自分のふとった体を見せるように両手をひろげました。
「そんなにすてきな声なのに?」
「ありがとう。わたしだって、まだちょっぴり自信はあるの。でもうたっても気持ちがすかっとしないのよ。もやもやもやもや、ここらへんになにかたまってるの」
カラさんは両手を胸のあたりにおいて、小さく笑いました。
「わたしもそういうとき、ありました。不安をいっぱいかかえてて。そんなときよく歌をうたったんです。カラさんの曲もうたいました。家からちょっとはなれたところにある、トンネルみたいになってる杉並木に行って」
「あっ、そこなら知ってるわ。夕暮れ
「そんな名前がついているんですか。知らなかった」
その並木は、両側の木がうえのほうでからみあっていて、トンネルみたいに見えるのです。夕方になると奥のほうからだんだんと暗くなって、のぞくとどこかべつの世界につながっていくように感じられるのでした。
「わたし、さびしくなったりすると、あの道の入り口に立って、なかに気持ちをふきこむように、歌をうたったんです。そうするとむこうのほうでだれかがじっときいてくれてるような気がして、なんだか気持ちがおちつくんです。……そうだ。カラさんも、やってみませんか? あそこに行って」
キキは身をのりだしました。
「わたしのは、そんなにかんたんなことじゃないのよ」
カラさんは片手をぱったんとふりました。大きく胸が動いて、深いため息をはきだしました。
「でも、やるだけ、やってみたらどうでしょう? 気持ち、はれるかもしれない……」
「今から?」
「ええ、もうじき夕方だし、ちょうどいいように思いますけど。あまり明るいとはずかしいでしょ」キキはさそうように立ちあがりました。ジジの目が、しんぱいそうにキキをうろうろと見上げています。「ジジも、行く?」
「行くよ。でもいいの?」
キキはほうきを持ちあげながらいいました。
「いいに決まってるでしょ。そのすぐ反対したがるの、ジジのわるいくせよ」
ジジはキキをにらみながら、
「知らないよ、わすれんぼ」と不安そうにいいました。
「さ、行きましょうよ」キキはジジの言葉を無視して、カラさんの手をひっぱりながら、「ごいっしょ しても かまいませんか ふっふふ」とうたうようにいいました。
「でもさ、いいの……ほんとに?」
ジジはふたりのまわりをうろうろしながら、まだぶつぶついっています。
夕暮れ路は低くなったお日さまの光をうけて、片側だけつやつやとかがやいていました。それでいっそう奥が暗く見え、名前のとおり、そこはもうすっかり夕暮れのようでした。
「やっぱり、この道、気味わるいわ」といいながら、カラさんはこわごわなかをのぞきました。
「昔、むこうに大きなお屋敷があったんですって。でも今はないので、人はあまり通らないみたいです」キキはそういうと、道の入り口をちょっとはいったところで、「あ──、あっあ──あー」と声をはりあげました。その声はからまりあった枝の間ですこしひびくと、暗い道のなかにすーっと消えていきました。
「はっは──あああ──あ」カラさんも声をはりあげました。それからちょっとつまさき立ちして、奥のほうをのぞきました。「ほんと、むこうで、だれか、きいてくれているみたい」それからおどけたように肩をすくめると、「わたしは、カラよ。キキちゃんじゃないわよ。よ、ろ、し、く、ねっ」と低い声でささやくようにうたいました。
「ひさしぶりだわ」ふりかえってキキを見たカラさんの目がきらきらと光っています。「わたし、ここで歌つくってみようかしら……なんだかうまくいきそう」
「そう、それがいいわ」
キキは大きくうなずきました。カラさんはギターをかかえるまねをすると、手をふって、ぽろんと声をだしました。
「ぽろろーん ぽろろーん
かぜが かわったみたいよ
どこかが ゆれたみたいよ
なにかが うまれるみたいよ
ぽろろーん ぽろろーん」
キキはカラさんの歌にあわせて、体をゆらしました。
「ジジもおどれば」
「それなら猫がおどるような歌つくってよ」ジジが上目づかいにいいました。
「まあ、ジジったら」
キキが笑いだしました。
「猫ちゃん、なんて、いってるの?」
カラさんがいいました。
「猫がすきになる歌つくってって」
「へー、おもしろい。つくってみようじゃないの」
カラさんはのりだしました。目をぱっと開くと、おどけたようすで、手を動かして、じゃじゃじゃじゃーんと景気のいい声をあげました。「じゃ、『猫のしっぽ』」
「ふん、猫っていうと、すぐしっぽ。それって、まずしい発想じゃないの」といいながら、ジジは自分のしっぽを、後ろ足の間に入れてしまいました。
「あら、そのかっこうは、もしかして気に入らないってこと?」
カラさんはおおげさにしょげてみせました。
「じゃ、こんなのどうかしら……
ねこが わらう
からだ くねくね
にゃこ にゃこ にゃこ にゃこ
うたみたいに わらってる
ごきげんで ごきげんで
くねくねくねくね
にゃこ にゃこ にゃこ にゃこ」
カラさんはかるく足をふみならして、歌にあわせて腰をくねくねと動かしました。ジジの口がゆがんで、白い歯がにっとあらわれると体がくねくねくねくねと動きだし、しっぽのさきが、ヘリコプターのはねのようにゆっくりまわりはじめました。
「うふふふ くねくね にゃこ にゃこ」
キキもあわせて体をくねくねしてみせました。
「ふしぎ、なんだかきゅうに胸のふたがとれたみたい。歌がとんでくの。気持ちいい」カラさんの声はさっきとちがって、ぐんと高くなっていました。「わたし、ときどきここに来て、歌つくってみようかしら……つくるだけでいいわ、つくるだけで」
「それ、いいと思うわ、どんどんうたったら、またあのドレス、着られるようになるかもしれませんよね」
キキがうなずきました。
「そうね、そうね」カラさんもうれしそうになんどもうなずきました。「洋服、もうすこしとっておこうかしら」
カラさんとわかれて、キキとジジは家にむかって歩きはじめました。空はすっかり暗くなり、西の空のはじにだけ夕焼けが細い線のようにのこっています。宅急便の仕事は空ぶりでしたが、キキはすっかりごきげんです。ふにふにーと鼻歌をうたいながら、歩いていました。
「カラさん、きっと、またラジオでうたうね」
ジジはかけ足でキキを追いかけながらいいました。
「うん、ぜったいよ」
キキがうなずいたときでした。わきの細い道をむこうに歩いていく、人かげがみえました。
「ねこが わらう
からだ くねくね
にゃこ にゃこ にゃこ にゃこ」
歌声もきこえてきます。
「あら、やだ、ジジの歌、もううたってる。できたてのほやほやなのに」キキはきゅうにむきをかえると、「ちょっと、まって」と声をかけて、走りだしました。
「なにか、用?」
人かげはくるりっと、ふりかえりました。それはいつか、おソノさんのお店にパンを買いにきた、あのかわった女の子ではありませんか。頭のうえで二つにしばりあげた髪の毛が、風で噴水のようにふきあがっています。
キキはびっくりして立ちどまりました。走ったので、息がはあはあしています。
「あなた、どうしてその歌、知ってるの?」
「知ってちゃ、いけない?」
女の子はきっとキキをにらみかえして、あごをしゃくりました。
「あなた、あの杉並木のなかにいたの?」
「杉並木なんて知らない。そこどこ? あたしのいたとこ、いちいちあんたにお知らせしなくちゃいけないんですか?」
つっかかるようないいかたです。キキは体を後ろにひいてしまいました。でも反対に言葉のほうはしぜんとでていきました。
「あなたでしょ、わたしの名前をつかって、さくらんぼジャムを受け取ったの」
「なに、それ?」
「もう、あんなことはやめて。わたしは責任もって自分の仕事をしているんだから」
「あたしがやったなんて、いってないでしょ。たまたま会っただけなのに、どうしてそうえらそうにいえるわけ?」
女の子は、じろりっと、キキの頭のてっぺんから足のさきまで見回しました。
「だって……だって……あなたって……いったい、だれなの? どこにすんでるの?……この町の子なの……いくつ?」
キキは自分がなにをいってるのかわからないほど、あわてていました。足がじりじりと後ろにさがっていきます。
「どうして、そう、なんでも知りたがるの。あたしがだれだって、わからなくちゃ、いけないの? どこかのいい子じゃないと不安なの?」
女の子は投げつけるようにいうと、後ろをむき、道のわきに生えている草を手でさっさっとなでながら歩きだしました。
「ごめん。じゃ……名前だけでも教えて」
キキは女の子の背にむかってさけびました。
「あたし、あたしはケケっていうのよ」ふりむいて、投げるようにいうと、「猫ちゃん、元気でね、いい子でいるのよ」とまたむこうむきのまま手をあげて、左右にひらひらと動かしました。そのとたん、ジジはこおりついたように動かなくなりました。
女の子はすたすたと歩くと、さきの角のところで、ふいっと見えなくなりました。するとまた歌声がきこえてきました。
「とんぼは とぶって いうけど
はねの さきは びくびく びくびく く~くっくく」
かんだかい笑い声もまじっています。
その歌をきいて、キキは顔色をかえました。
「あーっ、たいへん。どうしよう。とんぼさんとの約束わすれてた」
キキはとっさにぼーっとしているジジを抱きかかえ、ほうきにまたがると、飛びあがりました。西の空の夕焼けは、いっそううすく細くなっていました。キキは飛ばしに飛ばして、はてなし公園のうえまで来ました。とんぼさんがひとりぽつんとブランコにすわっています。
「ごめんなさい、おくれちゃって」キキはさけびながら、とんぼさんのそばにとんとおりたちました。「もう、だめ? 暗くなっちゃった?」
とんぼさんはだまって立ちあがると、うえを見上げました。
「待ちきれなくってさ、飛ばしちゃった」
「えーっ、ほんと? じゃ、おねがい、もういちどやって、飛ばしてみせて」
「それがさ、大失敗だったんだ。キキは見なくてよかったよ。どっかに飛んでっちゃったんだもん。まるでさ、行き先が決まってるみたいに、一直線に行っちゃった。浮遊型、もどり形式にしたつもりなのに……もどってきてくれなかった。でも、でもさ、飛ぶことは、とてもきれいに飛んだんだよ」
とんぼさんは、気をとりなおすように、ちょっぴり自慢げにいいました。
「見られなくってざんねんだったわ。どっちに行っちゃったの?」
「あっち」
とんぼさんは海と反対のほうを指さしました。口をとがらし、くやしそうににらんでいます。
「ごめんなさいね」
キキはぽつりといいました。
「また、つくるよ。こんどはぜったい失敗しないからね。こんどはキキと飛びくらべなんてできるといいんだけどね」
とんぼさんは気をとりなおしたようにいいました。
その夜、キキはいすにすわって、窓からふいてくる風をうけながら、ひとりごとをいいました。
「とんぼさんたら待っててくれないんだから……」
ジジの耳がぴくりと動きました。
「でもわすれたのはキキだよ。ぼくが『いいの? いいの?』って、きいたのに」
「あら、ジジはおぼえてたの?」
「うん。だからなんどもいったじゃない。でも、カラさんのすてきな歌をきいているうちに、ぼくもわすれちゃった」
「もう、がっかり……」
キキはすっかりしょげていました。